「上総国」の版間の差分

提供:「ムラの戸籍簿」データベース
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|description=「ムラの戸籍簿」とは、日本古代・中世の文献史料上にみえる郷・村の初見事例を国別・郡別に集積したデータベースです。民衆の生活の基盤である郷・村 (=ムラ) が、いつ生まれ 、近世村にどのように接続するのか、あるいは消滅するのかを記録する「郷村表」を、人間の戸籍にたとえて「ムラの戸籍簿」と呼んでいます。
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本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。<br>
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2022年10月1日 (土) 23:08時点における版

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本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。
また、郷村表はもともと各国担当者によってWordで作成されており、これを、「ムラの戸籍簿」研究会事務局で集約して公開用に変換しております。
変換作業上、特殊な文字や史料表記について、やむをえず作成者の作成した文字データが反映されていない部分のありますことをご承知おきいただけましたら幸いです。
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作成者:大欠哲

郷村名郡別世紀別初出表

概要

概要

 現在の千葉県中部。房総半島の中央に位置し、北は下総国、南は安房国に接し、東は太平洋、西は江戸湾に面する。
養老二年(718)に南部の平群・安房・朝夷・長狭の四郡を割いて上総国から安房国が独立。天平十三年(741)にいったん上総国に併合された後、天平宝字元年(757)再び分立した。
古代末期から中世にかけて上総氏が活動し、鎌倉期には上総広常、その後は足利氏となる。足利尊氏が上総国守護になっており、足利氏は鎌倉末期までは被官を通じて上総国と深い関連をもっていたといえる。室町時代の守護には、高氏・佐々木氏・千葉氏・新田氏・上杉氏・宇都宮氏の諸氏が就いた。15世紀半ば頃より、原氏・武田氏・酒井氏・土岐氏・正木氏らが割拠するようになる。16世紀前半には上総武田氏が擁立し、下総国生実に拠った小弓御所足利義明の影響が強まっていったが、義明が天文七年(1538)に小田原の北条氏との国府台合戦での敗死後は、北条氏と安房里見氏の抗争の地となった。
 上総国西部に市原郡が置かれ、中世には市東・市西・山田郡、また海上郡域に海北・馬野・佐是郡が現われ、近世にはこれらも編入して広大な郡域になる。畔蒜郡は中世には畔蒜庄として再編されるが、後に望陀郡に編入される。望陀・周淮郡内には平安末期に望東・望西郡、周東・周西郡が成立した。南西部には天羽郡が置かれたが、平直胤かその父常澄によって中世的な庄園に再編されていたようである。一郡の庄園化、郡庄と想定できるが、庄域などは明らかではない。夷灊(隅)郡は南東部に置かれ、平安末期に伊北・伊南郡が成立。後に伊北・伊南庄となり、戦国期まで推移した。長柄・山辺・武射郡には、長北・長南郡、山辺北・山辺南郡、武射北・武射南郡が成立する。しかし、武射北・南郡は成立時期が他の郡のように平安末期であるかは未詳である。古代の埴生郡は、12世紀半ば頃には大部分が上総氏の本領玉前庄域に含まれていたと想定されるが、一部は中世的郡として存続していたか、または埴生郷が中世的郡に発展していたと考えられる。

典拠史料

『千葉県の歴史』資料編の古代・中世2~5、『千葉県史料』金石文編Ⅰ~Ⅲならびに中世編(諸家文書・県外文書)、さらに適宜他の自治体史などを利用した。

凡例

『千葉県の歴史』資料編・・・出典欄における表記は県-古など。
『千葉県史料』・・・出典欄における表記は県史-金など。

郷村表

市原郡

郷(里)

海部、市原、江田、湿津、山田、菊麻

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
江田郷 市原郡 宝亀4.6.8 773 〔 〕【江田】刑部稲麻呂年卅八 〈上総国市原郡江田郷戸主刑部荒人戸口〉 県-古p.84
172 正倉院文書
海部郷[1] 市原郡 天長5.11.- 828 〔調庸綾絁布墨書銘文〕【海部】上総国市原郡海マ郷戸主刑マ小黒人庸壱段 県-古p.502
正倉院墨書銘文6
有木郷☆ 市西郡 宝治1.9.- 1247 〔某注進状写〕注進 御寄進 八幡宮 御灯油田畠所付事、合田壱町 在家壱処 田ハ市西郡有木郷内〈みつまた、但榎東〉畠ハ同郡内国符市庭紀藤次之屋敷也、 県-中5p.267
観智院金剛蔵聖教目録1
勝馬郷[2] 市西郡 永仁4.3.11 1296 〔足利貞氏袖判下文写〕下 倉持新左衛門尉可令領掌‖市西郡内勝馬郷‖右任亡父左衛門入道浄円正応五年二月十三日譲状、 県-中4p.148
倉持文書3
西谷郷[3] (市原) 元亨2.5.23 1322 〔足利貞氏下知状〕上総国西谷郷内田在家、同富永内田地、長彦三郎幸康〈本名康連〉与継母尼観阿幷子息七郎師連〈本名季連〉相論、 県-中4p.502
尊経閣古文書纂18
土宇郷☆ (市原) 嘉暦3.12.13 1328 〔某寄進状請取状案〕上総国土宇郷堀内田畠山□□所令寄進当寺也、依□約之旨、用途可致沙汰□、□無御免許者、可返進御□進状、仍状如件、 県-中4p.681
金沢文庫文書95
新堀郷☆ 市西郡 建武5.6.- 1338 〔新堀郷給主得分注文〕注進 上総国市西郡新堀郷給主得分注文事右以前注進之目録之外、相尋候之処、如此候、 県-中4p.718
金沢文庫文書166
加茂高滝郷[4] (市原) 永禄1.12.4 1558 〔大日如来胎内銘〕上総国加茂高滝郷 本願神主 鳥海新兵衛 市原市史-中P.240
675[5]
八幡郷[6] (市原) 天正9.7.5 1581 〔原胤栄印判状〕法度 右、八幡之郷守護不入相定、新市之事為立候、押買狼藉堅停止、殊於近郷取候役之事、如前々其所にて可改之、近郷にて未進役、 県-中3p.770
飯香岡八幡宮文書2
平蔵郷☆ (市原) 天正9.9.- 1581 〔里見義頼印判状〕覚 一、興津地 一、上野之郷 一、興津ノ内大針大蔵抱 一、守屋 一、宇原 一、南目川 一、平蔵之郷 一、高根之郷 一、壱松之郷 一、池田之郷 一、竹原之郷 「一、板屋・紙舗」 一、本須賀 右八ヶ村、依忠信出之候、於後日如何差者、忠之人茂其仁ニ努々出間敷候、[7] 県-中4p.454
里見叢書1
菊間郷☆ (市原) 天正11.12.13 1583 〔里見義頼充行状〕【菊麻】於菊間之郷、一乗坊跡出之候、仍如件、 県史-諸p.26
田代文書2

年月日 西暦 原 文 出 典
能勢村
野間村
(市原) 保延6.-.- 1140 〔今富保延坪付〕今富名〈能勢村〉 保延六年 七条三里十九坪一反〈才半〉‖野間村 四条二里三一 一反半 県-古p.357
1313 壬生家文書
上村 市東郡 延文5.5.26 1360 〔上総守護千葉氏胤施行状〕上総国市東郡内上村〈醍醐彦三郎同右衛門五郎跡〉幷同国海北郡内泉村〈内記越中入道跡〉等事、上裁落居之間、可致警固之状如件、 県史-諸補p.156
圓城寺文書3
古敷屋村[8] (市原) 年月日未詳 16C 〔里見義頼印判状〕平蔵之郷古敷屋之村 上畠一 壱貫百文 堂の上 十郎左衛門尉、上田三 五百五十文 ゑはた こさく 藤へもん 県-中3p.803
恵日寺文書2

海上郡

郷(里)

佐是、稲庭、大野、山田、倉橋、福良、嶋穴、馬野

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
倉橋郷 (海上) 年月日未詳 8C 〔国分尼寺出土平瓦〕【倉橋】人 倉椅郷長谷部稲□ 県-古(別)p.38
2-9 上総国分寺関連遺跡15
久吉郷 海北郡 承元2.12.14 1208 上総国海北郡久吉郷住人僧善勝以下輩、被加鶴岳職掌云々、図書允清定為奉行云々、 県-中5p.675
125 吾妻鏡
矢田郷☆ 佐是郡 正元2.4.28 1260 〔僧静寛譲状案〕譲渡 上総国佐是郡内矢田郷、依為静寛先祖相伝私領、公領仁おきてハ松正仁、任先祖堺譲渡、 県-中5p.238
烟田文書4
郡本郷☆
富益郷
馬野郡 年月日未詳 13C 〔馬野郡郡本郷・富益郷公田数覚書〕馬野 郡本郷与富益郷公田、合四十三丁一反小定 文永十二年之由不審在之、 県-中4p.609
覚園寺文書10
椎津郷☆ 真野郡 建武2.10.23 1335 〔三浦高継寄進状〕寄進‖上総国真野郡椎津郷内田地壱町事、右且為天地長久、現世安穏、子孫繁昌、至于子々孫々、於此料田者、不可致其煩、仍寄進状如件、 県-中4p.860
鶴岡八幡宮文書3
内田郷☆ 佐是郡 延文3.11.9 1358 〔大般若波羅密多経奥書〕上総州佐是郡内田郷西福寺常住住持比丘広厳勧縁 県史-中p.238
331 慶壽寺所蔵聖教
豊成郷☆
嶋穴郷[9]
青柳郷☆
入沼郷☆[10]
馬野郡 応安5.5.- 1372 〔市原八幡宮五月会馬野郷内四ヶ村配分状〕【嶋穴】市原八幡宮五月会馬野郡内 □ 一、豊成郷分‖一、嶋穴郷分‖一、青柳郷分‖一、入沼郷分 県-中4p.613
覚園寺文書22
国吉郷☆
小松郷
不入続郷[11]
馬野郡 年月日未詳 14C 〔上総国馬野郡惣勘文〕一、国吉‖一、小松‖此外不入続郷云椎津知行云々 県-中4p.609
覚園寺文書11
佐是郷[12] 佐是郡 永正5.7.18 1508 〔阿弥陀像〕【佐是】上総国佐是郷内也和田正徳寺阿弥陀三尊奉再興綵色處也、 県史-金2p.415
1812[13]
泉郷
町田郷☆
津井比地郷[14]
引田郷[15]
麻井郷[16]
梶路郷[17]
風戸郷☆
(海上) 永禄3.10.14 1560 〔北条家朱印状写〕不入與被仰定在所之事 泉之郷・嶋之郷・町田郷・津井比地郷・引田・麻井郷・梶路郷・風戸郷以上八ヶ郷 右、八ヶ所任所望、不入ニ相定候、但椎津大普請矢格馬者、如定毎年可被申付候、其外随時御用之儀者、以印判可被仰付候、為無印判郡代・觸口申付儀、不可有承引旨、被仰出候也、仍如件、 神奈川県史-3古・中下p.413
7160
河田郷[18] 佐是郡 永禄7.12.8 1564 〔鰐口〕奉寄進上総国佐是郡河田郷坂中薬師堂鰐口 県史-金1p.193
2119[19]
皆吉郷☆ 真野郡 年月日未詳 16C 〔足利義氏印判状〕此外真野郡之内‖皆吉郷四ヶ村‖さいひろ‖浅井村‖嶋野道 以上、右芳春院殿以仰出、氏康各々被出直判、庚申歳迄致知行候、已上、 県-中4p.345
喜連川文書影3

年月日 西暦 原 文 出 典
矢田村☆
池和田村☆
佐是郡 文治2.1.21 1186 〔源頼朝下文〕下 上総国佐是郡内矢田・池和田両村 可早以権介娘為一色別納、有限所当者、令弁加□美小次郎事、右件両村、為令優免公事、為一色別納、所仰付権介之娘也、 県-中5p.237
烟田文書1
平滝村
小山田村
佐是郡 延元1.6.20 1336 〔行方信崇譲状案〕上総国佐是郡矢田郷〈四至境見于本証文、但同郷内平滝・小山田村除之〉右所々者、信崇重代相伝私領也、 県-中5p.239
烟田文書9
糸久西村[20] 海北郡 貞和4.9.10 1348 〔大般若波羅密多経奥書〕大勧進聖朝圓〈五十五才〉為一切衆生現世安穏後生善處及至法界平等利益也、於上総国海北郡内糸久西村徳蔵寺書写之畢、 県史-諸p.336
神宮寺文書1
泉村 海北郡 延文5.5.26 1360 〔上総守護千葉氏胤施行状〕上総国市東郡内上村〈醍醐彦三郎同右衛門五郎跡〉幷同国海北郡内泉村〈内記越中入道跡〉等事、上裁落居之間、可致警固之状如件、 県史-諸補p.156
圓城寺文書3
あさ山村[21]
のけの村[22]
馬野郡 応永8.7.16 1401 〔上総国富益郷名分・散田等注文〕富益郷内 一、あさ山村、のけの村在之 県-中4p.616
覚園寺文書26
下村 佐是郡 永享4.3.7 1432 〔阿弥陀如来立像〕佐是郡高瀧社下村、大檀那源秀義 県史-金1p.59
1183[23]
椆宇村 海北郡 永正1.12.13 1504 〔舎利札〕上総国海北郡久吉保椆宇村十人 覚俊敬白、 県史-金1p.184
1787[24]
金澤村☆ 佐是郡 文禄3.8.- 1594 〔古検地帳目録〕上総国佐是之郡金澤村御検地水帳 県史-諸補p.417
浅井村[25] 真野郡 年月日未詳 16C 〔足利義氏印判状〕此外真野郡之内‖皆吉郷〈四ヶ村〉‖さいひろ‖浅井村‖嶋野道‖以上 右芳春院殿以仰出、氏康各々被出直判、庚申歳迄致知行候、已上、 県-中4p.345
喜連川文書影3

畔蒜郡

郷(里)

美々、小河、甘木、新田、椅原、三衆

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
新田郷☆ 阿比留郡 天平勝宝5.6.15 753 【新田】日下部子真人〈上総国安比留郡新田郷戸主日下部智万呂戸口〉 県-古p.70
105正倉院文書
甘木郷 (畔蒜) 年月日未詳 8C 【甘木】蕀郡甘木郷 県-古p.489
平城宮木簡
亀山郷 (畔蒜)
畔蒜南庄
弘安6.7.16 1283 〔関東下知状〕円覚寺事、為 将軍家御祈祷所、任相模国司申請、所被寄進‖上総国畔蒜南庄内亀山郷也者、依仰下知如件、 県-中4p.571
円覚寺文書1
永吉郷☆ (畔蒜)
畔蒜庄
正中2.3.17 1325 〔平胤連打渡状案〕打渡上総国畔蒜庄内永吉郷之内田畠在家事 、合田三町五反・畠六反内屋敷一宇、但此内田二町・畠六反、亡父胤清之令沽却年記のすゑ也、 県-中4p.674
金沢文庫文書81
泉郷[26] (畔蒜)
畔蒜庄
建武4.6.10 1337 〔胤房打渡状〕上総国畔蒜庄泉郷〈角田三郎跡〉事、任被仰下之旨、莅彼所、令打渡別符尾張権守代官成田小郎幸重之候畢、仍渡状如件、 県-中4p.852
佐藤行信氏所蔵文書1
なひつ郷 (畔蒜)
畔蒜庄
貞治3.12.3 1364 〔諸国檀那願文帳〕かつさのくにあひるのしやうなひつのかう地引 わんあミ(花押) 県-中5p.353
熊野本宮大社文書1
横田郷☆ (畔蒜)
畔蒜庄
応永18.9.20 1411 〔上総国畔蒜庄横田郷地検目録案〕畔蒜庄横田郷内〈こんとう三郎跡 応□田畠地検目録事□〉 県-中4p.618
覚園寺文書31

年月日 西暦 原 文 出 典
鹿田村 (畔蒜)
(畔蒜庄)
正和3.-.- 1314 〔平胤連打渡状案〕右所ハ、亡父胤清、正和三年ニ同庄内鹿田村田代をうりわたす処、年記末をゑさるさきに、永代他人ニ令□処ニ、寺家よりうたへ申さるゝ、 県-中4p.674
金沢文庫文書81
上郡葛原刀村 (畔蒜)
畔蒜庄
応永22.12.- 1415 〔雲板〕福源山 長板 上総州畔蒜庄上郡葛原刀村 県史-金2p.416
1083[27]
笹村☆ (畔蒜)
畔蒜庄
文亀4.2.7 1504 〔棟板〕棟板上総州畔葫庄亀山郷笹村総社山神宮 奉再興所也 県史-金1p.79
1777[28]

望陀郡

郷(里)

畔治、表可、倉戸、飫富、磐田、河曲、鹿津

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
飫富郷[29] (望陀) 年月日未詳 8C 〔木簡〕【飫富】□飫冨郷 県-古p.466
平城宮木簡14
真利谷郷(真里谷)☆ (望陀) 建武4.-.- 1337 〔相馬乙鶴丸代申状〕相馬泉五郎胤康〈今者討死〉子息乙鶴□代妙蓮謹言上‖次上総国三直・津久良海・真利谷等郷、常州伊佐郡西方者、為度々合戦賞預給一族申訖、 県-中4p.263
相馬岡田文書22
谷中郷☆ (望陀) 文和2.7.16 1353 〔日祐法花寺免田畠坪付注文〕法花寺免田畠事 谷中郷内‖右故殿〈胤貞〉御時御寄進也、仍為後注文如件、 県-中5p.458
光勝寺文書2
金田郷 (望陀) 文和3.11.24 1354 〔二階堂成藤奉書〕春日社雑掌慶道申上総国金田郷内万石・大崎村等正税事、訴状如此、所申無相違者、可究済、 県-中4p.878
明王院文書1
本納郷
加納郷[30]
(望陀)
飫富庄
貞治1.12.18 1362 〔三浦貞清寄進状〕寄進 上総国飫富庄内本納・加納両郷事、右件両郷、任亡父因幡守先年避状、且為天下安全、且為家門繁昌、永所奉寄進 飫富大明神也、 県-中4p.500
尊経閣古文書纂8
高柳郷☆ (望陀) 康暦2.8.3 1380 〔管領奉書〕刑部少輔長康所領上総国金田保内高柳郷・同国佐貫郷内百貫文下地〈坪付在之〉相博事、相互証文等分明之上者、領掌不可有相違之状、依仰執達如件、 県-中4p.808
金沢文庫文書393
大崎郷 (望陀) 応永3.6.19 1396 〔伊勢貞信代沙弥道貞書状〕上総国堀代・上郷・大崎三ヶ郷相博事、自寺家堅御所望之間、当年一所務之事、先申定候了、 県-中4p.591
円覚寺文書35
梁郷(矢名) [31] (望陀)
菅生庄
永享7.6.6 1435 〔二階堂盛秀書状写〕上総国菅生庄梁郷住人鋳物師和泉権守藤原光吉事、為政所御造畢所補任也、早守先例、本御造畢相模国飯山住人森左衛門次郎国吉相共、可勤当役之由、可被申含之候、 県-中3p.780
大野昭八家文書1
本郷 (望陀)
菅生庄
享徳11.12.15 1462 〔梵鐘〕敬白 於上総国菅生庄本郷飯富宮社頭 県史-金1p.223
1369[32]
木更津郷☆ (望陀) 文明18.8.- 1486 爰にふと木更津の郷過れとも、猶もあつまのうちとこそきけ、 県-中5p.918
605 廻国雑記
造細郷[33] (望陀) 年月日未詳 15C 〔足利成氏書状写〕上総国造細郷等事、知行不可有相違候、謹言、 県-中5p.480
士林証文2
戸崎郷☆ (望陀) 天正8.12.19 1580 〔里見義頼判物写〕亀山為在城分、戸崎之郷私領進候、幷亀山之郷佐久間宗次郎抱拘之代官所同給三ヶニ渡申候、為其及壱札候、仍如件、 県-中4p.531
武州文書21
有吉郷☆ (望陀) 天正9.7.1 1581 〔里見義頼寄進状〕於有吉之郷、永福寺・龍蔵寺両寺領之内五貫代、其外年貢所五貫代、都合拾貫代令寄進候、 県-中5p.361
西門院文書19
向郷[34] (望陀) 天正16.6.17 1588 〔里見義康判物〕久留里向郷之内、愛宕山不入之事被申候、其段心得候、雖然百姓等年貢無沙汰幷蔵下之負物候ハん者、永被指置間敷候、為其一札遣候、仍如件、 県史-諸p.28
田代文書6
高谷村☆ 望東郡 天正19.9.4 1591 〔古検地帳目録〕上総国望藤郡高谷之郷御縄打水帳 県史-諸p.414

年月日 西暦 原 文 出 典
万石村☆
大崎村
(望東) 文和3.11.24 1354 〔二階堂成藤奉書〕春日社雑掌慶道申上総国金田郷内万石・大崎村等正税事、訴状如此、所申無相違者、可究済、 県-中4p.878
明王院文書1
高柳村☆ (望陀) 康暦2.-.- 1380 〔上総国金田保内高柳村公事銭結解状〕上総国高柳村〈康暦二年〉公事銭結解事、合参拾弐貫百六十六文之内、 県-中4p.808
金沢文庫文書395
三佐古東村[35]
三佐古西村
(望陀) 応永25.10.29 1418 〔足利持氏御判御教書〕上総国加津社内三佐古東西村地頭職事、早任去年十二月十一日還補下文之旨‖可沙汰付下地於進士九郎左衛門尉之状、如件、 県-中4p.918
古文書鑑1
滝口村☆ (望陀) 永禄2.2.12 1559 〔 〕廿貫文 但半所務 滝口三ヶ村当所務‖正木ニ被下内也、 反銭棟別懸銭以下為不入被下幷知行役御免許御判形有之、以上、 県-中5p.985
696 北条家所領役帳
きさらづ村☆ (望陀) 元亀2.12.4 1571 〔正木憲時印判状〕き□らすの村の事、先年酒井左衛門尉ニ椎崎領相渡刻も不渡候、土気へも不相渡候間、土貢公事以下小田喜へ無難渋つとむへき者也、 県-中3p.831
宍倉安衛家文書3
江河村[36] (望陀) 年月日未詳 16C 〔里見義頼寄進状〕此度江河之村手前之分、令新寄進候、於御宝前精誠之処尤候、為其覃判形候、仍如件、 県-中5p.380
西門院文書79

周准郡

郷(里)

山家、山名、額田、三直、凡田、湯坐、藤部、勝部、勝川

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
額田部郷☆[37] 周准郡 天平勝宝5.6.15 753 〔 〕【額田】若田部黒麻呂〈年卌三上総国周准郡額田部郷戸主若田部荒馬戸口〉 県-古p.69
103 正倉院文書
藤部郷 周准郡 年月日未詳 8C 〔調庸綾絁布墨書銘文〕【藤部】上総国周准郡藤部郷葛原部□□貲布調壱端 県-古p.503
正倉院墨書銘文9
末利郷 周東郡 元徳2.5.2 1330 〔東盛義代貞安打渡状案〕打渡 上総国周東郡末利郷下村西方子安村田畠在家等事‖任御下知御教書之旨、為末利郷下村西方八ヶ年押領、所打渡之状如件、 県-中4p.689
金沢文庫文書117
秋元郷 周東郡 康永3.11.3 1344 〔懸佛〕上総国周東郡秋元郷住人大槻宮禰宜大夫源盛澄 県史-金1p.89
536[38]
三直郷☆ (周准) 建武4.-.- 1337 〔相馬乙鶴丸代申状〕【三直】相馬泉五郎胤康〈今者討死〉子息乙鶴□代妙蓮謹言上‖次上総国三直・津久良海・真利谷等郷、常州伊佐郡西方者、為度々合戦賞預給一族申訖、 県-中4p.263
相馬岡田文書22
周西郷 (周准) 応永10.6.18 1403 〔仲祐契約状案〕明王院〈寺領上総国周西郷〉‖右件寺務職并所領等者、故明王院快季僧正所譲賜也、 県-中5p.251
青蓮院文書1
貞元郷☆ 周西郡 永享7.11.6 1435 〔鰐口〕上総国周西郡貞元郷羽黒神前鰐口 県史-金2p.427
1206[39]
田中郷 周西郡 嘉吉2.5.28 1442 〔上杉清方書状写〕地蔵院領上総国飫富庄内本納・加納、同国周西郡田中郷等事、自京都被仰下候上者、早々無相違様御成敗候者可然候、恐々謹言、 県-中5p.270
観智院金剛蔵聖教目録11
氷郷☆[40] (周准) 永禄2.2.12 1559 〔 〕廿五貫文 同 杉谷村‖弐百貫文 西上総 氷郷‖正木ニ被下内也、 反銭棟別懸銭以下為不入被下幷知行役御免許御判形有之、以上、 県-中5p.985
696 北条家所領役帳
烏田郷☆[41] (周准)
周東庄
天正6.8.10 1578 〔阿弥陀如来立像〕上総国周東庄烏田郷別当照光寺良宥 開眼供養行者 請西長谷寺住僧権大僧都訪印 県史-金1p.65
2182[42]
狐絲郷 周東郡
秋元庄
天正13.9.- 1585 〔額〕上総州周東郡秋元荘狐絲郷鎌瀧神野山 天安護国禅寺諸仏如来大功徳諸吉祥中最無上諸仏具来入此處 県史-金1p.90
2251[43]
前窪郷☆[44] (周准) 天正19.9.- 1591 〔古検地帳目録〕前窪郷 天正十九年〈辛卯〉九月吉日 県史-諸p.416
惣久郷☆[45] 周准郡 天正19.11.- 1591 〔徳川家康寄進状写〕寄進 鹿野寺 上総国周准郡惣久郷之内五拾石之事、右如先規令寄附訖、弥守此旨、可抽武運長久之懇祈之状如件、 県史-諸p.189
神野寺文書4

年月日 西暦 原 文 出 典
泉村☆ 周東郡 正応3.6.23 1290 〔関東下知状〕可早以平氏〈字鶴若〉領知上総国周東□泉村内田地〈員数載譲状〉事、‖周東左近五郎幸綱文永九年二月十日譲状、可令領掌之状、依仰下知如件、 県-中4p.256
相馬岡田文書2
畑沢村☆
馬込村
子安村☆[46]
周東郡 嘉暦1.12.20 1326 〔東盛義所領注進状〕注進 〈賀都村、比那井郡在之、〉上総国周東郡内東六郎盛義所領等事、合 一所、畑沢村‖馬込村‖子安村‖右、注進如件、 県-中4p.676
金沢文庫文書84
末利下村☆ 周東郡 嘉暦4.4.12 1329 〔東盛義知行分注進状案〕注進 上総国周東郡末利下村西方盛義知行分三分一目録事、 県-中4p.682
金沢文庫文書102
南東村 (周東) 元徳3.3.12 1331 〔道明請文案〕一、南東村分〈三分一定〉‖右件波多沢・子安・駒込三ヶ村者、称名寺々領也、而依為経入公用、於毎年得分半分者、所給也、 県-中4p.692
金沢文庫文書122
梅佐古村 (周准) 貞和5.7.26 1349 〔座主賢俊御教書案〕篠村八幡宮領上総国梅佐古村事、致知行、社用無懈怠可被備進給之由、前大僧正御房御気色所候也、仍執達如件、 県-中5p.255
醍醐寺文書7
末利上村 周東郡 応永4.12.23 1397 〔鎌倉公方足利満氏挙状〕治部卿大僧都日暹申、下総国八幡庄法花寺・本妙寺・弘法寺等免田、谷中郷幷北方村内田畠在家、同庄曽谷郷田畠在家、同郷秋山村内田畠在家、臼井庄神保郷小室村、同伊毛窪・嶋田・平戸・真木野等村々田畠在家、同国千田庄原郷内所々堂免、同庄中村郷内田畠在家、同三谷村内田畠在家、金原郷内阿久山堂免以下、千葉庄堀籠郷内屋敷壱ヶ所、葛西御厨篠崎郷内田畠在家、上総国周東郡末利上村中嶋内田畠在家等、任師匠日尊譲状幷重義避状之旨、相伝当知行実否、可支申仁有無、被尋証人大須賀左馬助憲宗・臼井上総介胤盛之処、請文無相違之上者、安堵事可有申沙汰候哉、恐々謹言、 県-中2p.1128
中山法華経寺文書2-55
大谷村☆ 周東郡 応永24.1.1 1417 〔足利持氏寄進状〕奉寄進 鶴岡八幡宮宮 上総国周東郡大谷村〈岩松左馬助入道跡〉事、右為天下安全、武運長久、所奉寄附之状如件、 県-中4p.861
鶴岡八幡宮文書8
上村
周東郡 応永24.8.- 1417 〔日英譲状〕末寺講演職等事、上総国絹村蓮明寺、周東郡上村板御堂〈今ハ破壊〉、同国刑部鵠谷〈今ハ破壊〉、同郡南長石顕妙寺、鴈田・小浜等〈今乱〉、房州下佐久間法花堂等、 県-中2p.1147
法宣院文書
大宮上村 周東郡 応永25.-.- 1418 〔懸佛〕上総国周東郡末利郷大宮上村之社春日大明神 県史-金1p.89
1101[47]
大山名上村☆[48]
青木村☆
周西郡 正長3.6.27 1430 〔足利持氏寄進状〕【山名】上総国周西郡内大山名上村・同郡浜子田畠・同郡青木村内田地等〈簗田河内守寄進之地〉事、右為且子孫繁昌、且武運長久、所寄附也、 県-中4p.861
浄光寺文書10
中津美村 (周准)
周西庄
弘治3.5.2 1557 〔北条氏康判物写〕仍周西庄之内中津美村、息修理亮方ヘ進候、自今以後、弥可被励忠節事肝要候状、如件、 県-中4p.916
川辺氏旧記1
杉谷村☆ (周准) 永禄2.2.12 1559 〔 〕廿五貫文 同 杉谷村‖弐百貫文 西上総 氷郷‖正木ニ被下内也、 反銭棟別懸銭以下為不入被下幷知行役御免許御判形有之、以上、 県-中5p.985
696 北条家所領役帳
中嶋村☆ 周東郡 天正15.5.3 1587 〔棟札〕上総国周東郡秋元郷中嶋村神野寺鹿野山 修善院奉造二王現世安穏後生善處 県史-金1p.95
2267
人見村☆ 周西郡 天正19.8.25 1591 〔古検地帳目録〕上総国周西郡人見村田帳 県史-諸p.415
濱子村☆[49] 周准郡 天正19.11.- 1591 〔徳川家康寄進状〕上総国周准郡濱子村之内拾五石事、右令寄附訖、殊寺中可為不入之者也、仍如件、 県史-中p.170
237 西角井文書
練木村☆ 周准郡 天正20.-.- 1592 〔古検地帳目録〕上総国周維(ママ)郡練木村御縄打水帳 県史-中諸p.415

天羽郡

郷(里)

讃岐、三宅、長津、雨霑

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
讃岐郷☆[50]
磐井里
天羽郡 天平6.7.27 734 〔 〕【讃岐】石上部忍山年〈卅九上総国天羽郡讃岐郷磐井里少初位上戸主石上部大島戸之口〉 県-古p.157
65 正倉院文書
三宅郷 天羽郡 天長5.10.- 828 〔調庸綾絁布墨書銘文〕【三宅】上総国天羽郡三宅郷他田公足庸布一段 県-古p.504
正倉院墨書銘文13
宇部郷 天羽郡 天長5.10.- 828 〔調庸綾絁布墨書銘文〕上総国天羽郡宇マ郷子田マ家長庸布一段 県-古p.505
正倉院墨書銘文14
古谷郷
吉野郷
大貫下郷
天羽郡 建武2.9.27 1335 〔足利尊氏袖判下文〕下 三浦介平高継可令早領知‖天羽郡内古谷・吉野両郷、大貫下郷‖右以人、為勲功之賞所充行也者、守先例、可致沙汰之状如件、 県-中4p.292
小田部庄右衛門氏所蔵文書1
津久良海郷 (天羽) 建武4.-.- 1337 〔相馬乙鶴丸代申状〕相馬泉五郎胤康〈今者討死〉子息乙鶴□代妙蓮謹言上‖次上総国三直・津久良海・真利谷等郷、常州伊佐郡西方者、為度々合戦賞預給一族申訖、 県-中4p.263
相馬岡田文書22
大貫郷 (天羽) 文和2.4.8 1353 〔日郷置文〕譲渡上総国大貫郷内上畑法花宗事、香菊丸出家以後導師之益可令勤仕者也、右、謹勘先師之制誡称、対治爾前迹門謗法、建立法華本門正法云々、 県-中3p.362
妙本寺文書Ⅰ317
萩生郷☆ 天羽郡 応永24.10.17 1417 〔関東管領上杉憲基施行状〕大御所御料所上総国天羽郡内萩生・作海郷〈皆吉伯耆守跡〉事、早佐々木隠岐守相共莅彼所、可被打渡下地於預人之状、依仰執達如件、 県-中4p.175
伊佐早文書10
嶺下郷 天羽郡 天文11.6.26 1542 〔鰐口〕奉納白山権現神前鰐口之事、上総国天羽郡嶺下郷 県史-金3p.26
1974[51]

年月日 西暦 原 文 出 典
絹村☆ (天羽) 応永24.8.- 1417 〔日英譲状〕末寺講演職等事、上総国絹村蓮明寺、周東郡上村板御堂〈今ハ破壊〉、同国刑部鵠谷〈今ハ破壊〉、同郡南長石顕妙寺、鴈田・小浜等〈今乱〉、房州下佐久間法花堂等、 県-中2p.1147
法宣院文書2
岩坂村☆ 天羽郡 永禄11.3.4 1568 〔棟札〕上総国天羽郡嶺下郷岩坂村 県史-金1p.104
2129[52]

夷隅郡

郷(里)

雨霑、蘆道、荒田、長狭、白羽、余戸

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
盧道郷 夷隅郡 宝亀5.-.- 774 【蘆道】上総国夷隅郡盧道郷戸主若□□□ 県-古p.468
平城宮木簡18
内野郷 (夷隅)
伊南庄
建長1.12.2 1249 〔尼めうち譲状写〕ゆつりわたすかつさのくにいなんのしやううつののかうのうちのたやしきの事、 県-中4p.494
相州文書14
関郷 (夷隅) 康元1.1.14 1256 〔往生禮讃聞書奥書〕康元々年正月十四日、於上総国伊南関郷 県史-中p.75
140 金沢文庫所蔵聖教
布施郷☆[53] (夷隅)
伊南庄
永仁6.9.21 1298 〔関東下知状〕可令早伊北庄司小太郎 法師〈法名覚仏〉領知、上総国伊南庄布施郷内田屋敷〈名字分限載譲状等〉事、 県-中4p.602
覚園寺文書2
久保郷☆ (夷隅) 暦応2.2.29 1339 〔上総国久保郷麦畠目録結解状〕注進 久保郷〈建武三四〉両年麦畠目録結解事、 県-中4p.721
金沢文庫文書171
佐古田郷☆[54] (夷隅)
伊北庄
永徳3.11.12 1383 〔夢窓疎石臨川寺三会院遺誡写〕一、上総国伊北庄内佐古田郷、日向国国富庄内南加納、以此土貢充当院資縁、此内以拾五貫、塔主得分宜為参拾貫、充塔主私用、 県-中4p.596
黄梅院文書1
山中郷 (夷隅)
伊北庄
応永10.12.26 1403 〔鰐口〕上総州伊北庄山中郷明王堂左近次郎 県史-金2p.418
1033[55]
大上郷☆ (夷隅)
千町庄
応永24.⑤.24 1417 〔足利持氏料所注進状〕上総国千町庄大上郷〈二階堂右京亮跡〉事、御れう所になさるへく候、 県-中4p.174
伊佐早文書7
榎沢郷☆ (夷隅)
伊南庄
応永28.9.5 1421 〔足利持氏御判御教書〕六天宮領上総国伊南庄榎沢郷地頭職事、任前大僧正弘賢幷権大僧都賢円譲状之旨、領掌不可有相違之状如件、 県-中4p.505
尊経閣古文書纂20
上野郷☆[56] (夷隅)
伊北庄
文明19.9.- 1487 〔日蓮坐像像内納入文書〕南無妙法蓮華経 右、建立之御影、御長二尺四半、大日本国上総国伊北庄上野郷興津村広栄山妙覚寺 御影御長二尺四半 県-中3p.804
妙覚寺文書1
かむね(鴨根)郷☆ (夷隅)
伊南庄
永正18.1.10 1521 〔簗田高助書状〕かむね之郷之事、可有成敗候、恐々謹言、 県-中4p.891
簗田家文書4
荻原郷☆ (夷隅)
伊南庄
永禄12.6.- 1569 〔佛増臺坐〕上総州伊南庄荻原郷行元山 種ニ□罪五逆消滅一切衆生即身成仏 県史-金1p.52
2130[57]
西畑郷
三俣郷☆
(夷隅) 天正10.7.5 1582 〔里見義頼印判状〕西畑・三俣両郷問答野畠之事、如先規西畑内ニ相済候、為其遣印判者也、 県-中3p.809
妙厳寺文書3
中瀧郷☆ (夷隅) 慶長2.10.6 1597 〔古検地帳目録〕中瀧之郷墨付拾八枚 御縄打水帳 県史-諸p.416

年月日 西暦 原 文 出 典
法華村☆ (夷隅) 永和4.3.- 1378 〔鰐口〕上総国法華村、瀧上寺之鰐口 県史-金1p.45
882[58]
興津村☆ (夷隅)
伊北庄
文明19.9.- 1487 〔日蓮坐像像内納入文書〕南無妙法蓮華経 右、建立之御影、御長二尺四半、大日本国上総国伊北庄上野郷興津村広栄山妙覚寺 県-中3p.804
妙覚寺文書1
岩廻田村☆[59] (夷隅) 天正12.10.23 1584 〔正木頼忠証文〕一、為塩味岩廻田之村、為私領進置候事、 県-中5p.399
吉備寛氏所蔵三浦文書1
泉水寺村☆[60] (夷隅)
伊保庄
慶長2.12.13 1597 〔古検地帳目録〕上総国伊保庄泉水寺村御縄打水帳 県史-諸p.412
中倉村☆ (夷隅) 慶長3.3.4 1598 〔古検地帳目録〕南ノ畑中倉村御縄打帳水帳写也 県史-諸p.412

長柄郡

郷(里)

刑部、管見、車持、兼陀、柏原、谷部

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
長谷部郷
西里
(長柄) 年月日未詳 8C 〔荒久遺跡出土墨書土器〕【谷部】長谷部郷西里 県-古(別)p.38
2-9 上総国分寺関連遺跡45
十三郷 (長柄) 建久5.10.20 1194 〔蓮西年貢支配状〕上総国橘木社御年貢三方支配事‖十三郷方〈以三分之一進上之定〉、 県史-諸p.229
橘神社文書1
さくらやの郷(桜屋)☆[61] (長柄) 弘安1.12.15 1278 〔平賀惟長譲状〕譲渡 所領事‖上総さくらやの郷‖右、此所々ハ、相伝知行無相違地也、 県-中5p.429
平賀文書1
よし田郷 (長柄) 応長1.10.24 1311 〔さた茂書状案〕かつさの国よし田の郷のそう庄はむふん、しけちか方後家尼御前にはからひまいらせ候所也、あなかしく、 県-中4p.840
市島謙吉氏所蔵文書1
藻原郷☆[62] (長柄) 応長2.2.8 1312 〔藤原範綱施入注文〕藻原郷法花道場江奉施入色々注文事、‖右志者、為藤原範綱同妻子現当二世大願所願成就息災延命也、 県-中3p.834
藻原寺文書1
秋羽郷 (長柄)
二宮庄
観応2.8.23 1351 〔粟生為広譲状写〕譲渡 粟生四郎秋広所領事‖上総国二宮庄内秋羽郷高師村参分壱‖右惣領秋広所譲与也、不可有他妨‖任先例可致其沙汰、仍譲状如件、 県-中4p.498
尊経閣文庫文書1
長屋郷☆[63] (長柄) 観応2.11.7 1351 〔管領仁木頼章奉書〕上総国長屋郷事上杉宮内大輔跡事、守御下文之旨、可被沙汰付□之状、依仰執達如件、 県-中5p.394
野田文書1
高根郷☆[64] (長柄)
一宮庄
観応3.6.8 1352 〔足利尊氏下文〕下 安田修理亮氏義 可令早領知上総国一宮庄高根郷内跡大曽禰太宰少弐入道跡事、右為勲功之賞、所充行也者、早守先例可致沙汰之状如件、 県-中5p.313
垣谷隆一郎氏所蔵文書1
国符関郷☆ (長柄) 文和3.12.23 1354 〔本郷家泰譲状写〕上総国 惣政所同庄内国符関郷‖右家泰 領之所々也、仍相副御下文、譲与虎丸者也、 県-中4p.546
本郷文書1
庄吉郷☆ (長柄)
二宮庄
康安2.4.25 1362 〔関東管領高師有施行状〕上総国二宮庄内庄吉郷〈細河相模守跡〉事、早守去廿三日御下文旨、可被沙汰付下地於御愛局代之状、依仰執達如件、 県-中4p.848
帰源院文書1
小林郷☆ (長柄)
二宮庄
貞治2.10.2 1363 〔吉良満家書下写〕鎌倉八幡武氏宮寄進之地事、任文和二年十月十五日亡父貞家寄進状之旨、上総国小林郷半分年貢内毎年五石、可運送鎌倉之由、申付代官訖、 県-中4p.863
鶴岡神主家伝文書2
長尾郷☆

本藻原郷
(長柄)
二宮庄
長北郡
応永16.3.3 1409 〔鰐口〕上総国二宮庄長尾郷手千花大明神‖上総国長北郡本藻原郷住人大工三郎大郎正吉 県史-金1p.115
1055[65]
邑た郷☆[66] (長柄)
二宮庄
応永16.3.3 1409 〔梵鐘〕上総国二宮庄邑た郷大森山満光寺洪鐘 県史-金1p.114
1056[67]
舟木郷☆ (長柄)
二宮庄
応永17.9.- 1410 〔鰐口〕上総州二宮庄内舟木郷 山王 市原市史-中P.193
520[68]
南上郷 (長柄)
一宮庄
応永18.11.3 1411 〔藤原某遵行状〕上総国一宮庄南上郷半分事‖可沙汰付下地於佐々木豊前次郎左衛門入道有秀代之状如件、 県-中4p.594
円覚寺文書39
長南郷 (長柄) 延徳2.2.16 1490 〔木造慈恵大師坐像〕上総国長南郷三途臺 県史-金1p.162
1665[69]
椎木郷☆ (長柄)
一宮庄
永禄8.4.14 1565 〔胎灌頂私記奥書〕於上総州一宮荘椎木郷長坂般若寺写書訖、令法久住利益人天云云、 県史-諸p.174
行元寺文書5
壱松郷☆[70] (長柄) 天正9.9.- 1581 〔里見義頼印判状写〕覚‖一、高根之郷 一、壱松之郷‖右八ヶ村、依忠信出之候、 県-中4p.454
里見叢書1
虎見郷☆[71] (長柄) 天正9.11.22 1581 〔里見義頼印判状写〕虎見之郷相渡候、為其及印判候、仍如件、 県-中4p.537
武州文書42
山根郷☆ 長保郡 天正16.5.1 1588 〔鰐口〕上総国長保郡山根郷小村飯尾也 県史-金2p.411
2272
寺崎郷☆ (長柄) 天正19.7.- 1591 〔徳川氏知行目録〕上総之内おたき近辺寺崎之郷‖右分可有御請取候、重而御朱印可被成、令取之候者也、仍而如件、 県史-諸p.227
宮崎文書3
山田郷☆[72] (長柄) 天正19.8.20 1591 〔古検地帳目録〕上総国山田之郷田方水帳 県史-諸p.417
澁屋郷☆[73] (長柄)
二宮庄
天正19.-.- 1591 〔古検地帳目録〕上総国二宮之庄澁屋之郷之内北塚村御縄打水帳 県史-諸p.416

年月日 西暦 原 文 出 典
高師村☆ (長柄)
二宮庄
観応2.8.23 1351 〔粟生為広譲状写〕譲渡 粟生四郎秋広所領事‖上総国二宮庄内秋羽郷高師村参分壱‖右惣領秋広所譲与也、不可有他妨‖任先例可致其沙汰、仍譲状如件、 県-中4p.498
尊経閣文庫文書1
東村 (長柄)
一宮庄
元亀3.3.- 1572 〔鰐口〕奉鰐口一懸上総国一宮之荘東村 薬師如来御宝前大旦那平氏朝臣正木種成公願主別当禅貞敬白 県史-金1p.58
2147[74]
小村 長保郡 天正16.5.1 1588 〔鰐口〕上総国長保郡山根郷小村飯尾也 県史-金2p.411
2272[75]
高根村☆[76] (長柄)
一宮庄
天正18.5.- 1590 〔浅野長吉・木村一連署禁制写〕禁制 上総国一宮荘〈十二村之内高根〉一、当手軍勢乱妨狼藉之事 一、放火之事、一、対地下人百姓申懸非分儀、付麦毛苅取之事 県-中3p.801
上総国古文書3
北塚村☆[77] (長柄)
二宮庄
天正19.-.- 1591 〔古検地帳目録〕上総国二宮之庄澁屋之郷之内北塚村御縄打水帳 県史-諸p.416

山辺郡

郷(里)

禾生、岡山、管屋、山口、高文、草野、武射

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
岡山郷 山辺郡 天平20.4.25 748 〔 〕【岡山】丈部臣曾禰万呂〈年卌九上総国山辺郡岡山郷戸主丈部臣古万呂戸口〉 県-古p.65
89 正倉院文書
堺郷 山辺北郡 元弘3.10.5 1333 〔後醍醐天皇綸旨〕当寺領上総国山辺北郡内堺郷并鹿見塚、相模国波多野庄内平沢村一分等、知行不可有相違之由、天気所候也、仍執達如件、 県-中4p.853
浄光明寺文書1
森郷☆ 北山辺郡 建武1.8.3 1334 〔一色頼行寄進状〕寄進 上総国北山辺郡森郷内藤大夫名‖右所領者、為勲功之賞頼行所拝領也、 県-中4p.876
法華堂文書1
細草郷☆ (山辺) 正平7.5.3 1352 〔新田義興袖判下文〕下 水野平太致秋領 上総国須賀・行内・紬(細ヵ)草郷事、右人且所宛行也、守先例可被知行之状如件、 県-中5p.181
水野文書1
湯井(由井)郷☆[78] 北山辺郡 観応3.10.15 1352 〔足利尊氏御判御教書〕浄光明寺雑掌申、上総国北山辺郡内由井郷事、早任寄附之旨、沙汰付下地於雑掌、可被執進請取之状如件、 県-中4p.853
浄光明寺文書2
堀代郷 (山辺) 応永3.6.19 1396 〔伊勢貞信代沙弥道貞書状〕上総国堀代・上郷・大崎三ヶ郷相博事、自寺家堅御所望之間、当年一所務之事、先申定候了、 県-中4p.591
円覚寺文書35
滝沢郷☆ 北山辺郡 応永7.12.26 1400 但対本職此供僧分不足間、自別当坊社領之内上総国北山□郡内滝沢郷永代被寄進也、同十三年二月転叙披露畢、 県-中5p.878
508 鶴岡八幡宮寺諸職次第
粟宇郷☆[79] (山辺) 応永27.12.21 1420 〔足利持氏御判御教書〕【禾生】浄光明寺雑掌申‖玉泉院末寺粟宇郷内真珠寺‖早任官符宣幷京都御成敗、同以前御免状之旨、所被免除也、 県-中4p.853
浄光明寺文書4
大椎郷☆ (山辺) 応永33.8.- 1426 〔大慈恩寺寺領注進状案写〕上総国大椎郷内山野等文書等事、去廿八年□月七日当寺炎上時紛失之条勿論候、 県史-中、諸(補)p.266
大慈恩寺文書26
郡名郷☆[80] (山辺) 享徳2.12.15 1453 〔足利持氏御判御教書〕華蔵院領同国郡名郷内十文字荒野村‖役夫工米・国衙般若会以下諸公事課役幷守護使・郡使催促入部事‖所令免除之也、 県-中4p.854
浄光明寺文書6
田馬郷☆[81] (山辺) 享徳26.9.10 1477 〔足利成氏袖判報国寺寺領目録写〕一、上総国山辺保内田馬郷、休畊庵領当乱来不知行、 県-中4p.493
相州文書13
土気本郷☆[82] 山辺郡 天正10.11.- 1582 〔徳川家康朱印状〕寄進 本寿寺 上総国山辺郡土気本郷内参拾石事、右令寄附訖、殊寺中可為不入者也、仍如件、 県史-諸p.271
県庁文書1

年月日 西暦 原 文 出 典
子中村 年月日未詳 9C 〔土・高台杯〕子中村 県-古(出)p.34
1-35 南河原坂第2遺跡27
駒込村☆
赤荻村☆[83]
土気郡 応永26.12.17 1419 〔足利持氏御判御教書〕同国土気郡堀代郷駒込・赤荻両村‖寺家知行不可有相違之状如件、 県-中4p.594
円覚寺文書41
十文字荒野村 (山辺) 享徳2.12.15 1453 〔足利持氏御判御教書〕華蔵院領同国郡名郷内十文字荒野村‖役夫工米・国衙般若会以下諸公事課役幷守護使・郡使催促入部事‖所令免除之也、 県-中4p.854
浄光明寺文書6
中村 山野辺郡 文禄2.6.18 1593 〔古検地帳目録〕上総国山野辺郡渋川之内中村小縄打水帳 県史-諸p.418

武射郡

郷(里)

巨備、加毛、理倉、狎猥、長倉、畔代、片野、大蔵、新屋、埴屋

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
高舎里 武昌郡 和銅6.10.- 713 〔木簡〕上総國武昌郡高舎里荏油 四升八合 県-古p.490
平城京木簡45
畔代郷 武射郡 宝亀1.-.- 770 〔 〕【畔代】矢作広島〈上総国武射郡畔代郷戸主矢作広麻呂戸口〉 県-古p.82
160 正倉院文書
長倉郷☆ (武射) 年月日未詳 8C 〔調庸綾絁布墨書銘文〕【長倉】長倉郷桜井舎人部豊前匚 県-古p.504
正倉院墨書銘文12
武射北郷 武射郡 年月日未詳 12C 〔鎌倉幕府奉行人奉書案〕上総国武射北郷事、為請所、准布陸佰段、毎年無懈怠弁□京、庫預返抄畢、其儀何可有変改哉、 県-中4p.427
中右記紙背文書1
須賀郷☆[84] (武射) 正平7.5.3 1352 〔新田義興袖判下文〕下 水野平太致秋領 上総国須賀・行内・紬(細ヵ)草郷事、右人且所宛行也、守先例可被知行之状如件、 県-中5p.181
水野文書1
南郷 武射郡 文安3.4.13 1446 〔千葉胤将紛失状〕上総国武射郡南郷内坂田霊通寺并寺領田□□等事、右当寺者、為 萩原院勅願幷二条殿下御祈祷所、開山法印以来密教相承之□□定置住持也、 県-中3p.853
神保誠家文書1
賀茂郷☆[85] 武射郡 文明11.11.28 1479 〔千葉常顕充行状〕【加毛】武射賀茂郷上吹入村之事、為給恩知行不可相違候、仍為後日如件、 県-中3p.938
香取文書1
木原郷☆ (武射) 天文3.2.3 1534 〔日淳付属状〕木原郷二御座候キ、 県史-諸補p.292
正覚寺文書7
早船郷☆ (武射) 永禄4.2.7 1561 〔酒井胤治制札〕制札 右、於于早船之郷、濫妨狼藉堅可令停止候、若背此旨候者、可処罪科者也、仍如件、 県-中3p.850
平山佳子家文書1
高谷郷☆ (武射) 永禄5.4.28 1562 〔北条家印判状ヵ写〕当寺中江横合申懸事、堅令停止畢、若背此旨、非分之儀申懸者有之者、注交名、小田原へ可被申越者也、║高谷郷延命寺 県-中3p.787
上総国古文書2
湯坂郷☆ (武射) 永禄9.-.11 1566 〔海岸寺尼書状写〕右、御一札の事、此度の御ちそおちつきのうへ、ゆさかのかうの事、なかくわたさせられ候へく候、 県-中3p.854
神保誠家文書3
小池郷☆ 武射郡 永禄9.11.3 1566 〔阿弥陀如来坐像〕上総国武射郡小池郷新田称名寺 住持第八代和田教順覚阿弥陀仏 県史-金1p.174
2123[86]
富田郷☆ (武射) 天正18.4.20 1590 〔里見義康印判状〕富田之郷・同光明寺加倍之事申上候、其段意得候、若狼藉之仁有之付而者、可申上候、 県-中3p.849
光明寺文書1
埴谷郷☆ 武佐郡 天正19.7.23 1591 〔古検地帳目録〕【埴屋】上総国武佐郡埴谷郷御縄打水帳 県史-諸p.419

年月日 西暦 原 文 出 典
栗山村☆
賀志毛村☆[87]
堀内村
吹入村☆[88]
山田村☆
古和村☆
長倉村☆
小原子村☆
下里倉村
行野村
角田村
高谷村☆
菱田村☆
山室村☆
新田村☆[89]
南蓮沼村☆[90]
松本村
高田村☆
(武射) 延慶1.10.25 1308 〔関東下知状案〕【長倉】【理倉】可令早弟童子丸領知、上総国武射北郷内栗山・賀志毛・堀内・吹入・山甲(田ヵ)・古和・長倉・小原子・下里倉・行野・角田・高谷・菱田・山室・新田・南蓮沼・松本・高田以上拾捌箇村‖右、能登三郎左衛門尉貞宗未処分而死去之間、以弟童子丸、為嫡子所致配分也者、早守先例、可致沙汰之状、依仰下知如件 県-中5p.539
古書売立目録所収文書2
小松村☆ 武射郡 観応3.7.4 1352 〔足利尊氏寄進状案〕寄進 円頓宝戒寺上総国武射郡内小松村‖右為当寺造営料所、限永代所寄進之状如件、 県-中4p.876
宝戒寺文書1
上吹入村☆ (武射) 文明11.11.28 1479 〔千葉常顕充行状〕武射賀茂郷上吹入村之事、為給恩知行不可相違候、 県-中3p.938
香取文書3
嶋戸村☆ 武射郡 天正19.8.29 1591 〔古検地帳目録〕上総国武射郡□野辺庄嶋戸村御縄打水帳墨付拾八枚 県史-諸p.420

埴生郡

郷(里)

埴生、埴石、小田、坂本、横栗、河家

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
山田郷☆ 埴生郡 天暦9.1.8 955 〔四天王寺縁起〕上総国埴生郡山田郷伍拾烟 県-古p.232
806 四天王寺縁起
小野田郷☆[91] (埴生) 貞応1.12.27 1222 〔 〕【小田】遠景所領分‖上総州小野田郷〈已上惣公文職〉、武州足立郡〈已上領主職〉、同州大畑名〈已上地主職〉、右之内遠元譲与之分有之、 県-中5p.691
167萩藩閥閲録
佐坪郷☆ (埴生) 応永2.⑦.5 1395 〔鶴岡事書日記〕佐坪郷為当年所務 両使〈綿貫継玄・平川祐玄〉被下之、粮物各三百文宛也、当年々貢、百姓等各皆納之後、可有帰参在郷之間、可申含子細等条目七ケ条在別紙、 県-中5p.861
480鶴岡事書日記
市野郷☆[92] (埴生) 天正13.11.20 1585 〔北条家禁制〕掟 市野 右、当軍之者於当郷、竹木一切不可剪、?仮初ニも致狼藉者有之者、則時搦捕可致披露、惣而郷中ヘ人不可寄候、仍定所如件、 県-中4p.874
原文書1

年月日 西暦 原 文 出 典
一野村☆
佐坪村☆
埴生郡 正平7.1.8 1352 〔足利尊氏御判御教書〕鶴岡八幡宮領上総国埴生郡一野・佐坪両村之事、止軍勢并甲乙人等妨、可沙汰付社家雑掌状如件、 県-中4p.351
興野文書1
小蓋村☆[93]
八板村
(埴生) 観応3.6.24 1352 〔足利尊氏禁制〕禁制 覚園寺 右、於当寺領上総国小蓋・八板両村、武士・甲乙之輩、不可致濫妨狼藉、若有違犯之族者、為処罪科、可注申交名之状如件、 県-中4p.
早大図書館蔵覚園寺文書1

  1. 海士村。 乾元2.④.12(1303) 〔足利貞氏袖判下文写〕下 倉持左衛門次郎師経‖市西郡内海郷 県-中4 倉持文書5。
  2. 勝間村。
  3. 西ノ谷村。
  4. 加茂村。
  5. 旧大日堂所蔵、現市原市平野青年館蔵。
  6. 『飯香岡八幡宮由緒本記』(市原市史資料集中世編p24)によると、源頼朝が治承四年(1180)に飯香岡八幡宮に対して八幡郷を含む27の郷村を寄進したことが記されている。しかしながら、『飯香岡八幡宮由緒本記』は元禄年間に筆写されたものであり、史料に現れる郷村が12Cまで遡れるかが不確実なため採録を見送った。
  7. 史料中の守屋(守谷)・宇原・板屋・紙舗(紙敷)は、近世の夷隅郡の村名で現れるが、確実に村なのかは不明なために表には採録していない。
  8. 古敷谷村。
  9. 嶋野村。
  10. 飯沼村。
  11. 不入斗村。
  12. 佐瀬村。
  13. 専修寺。東京都品川区西大崎。
  14. 廿五里村。
  15. 疋田村。
  16. 浅井小向村。
  17. 神代村。
  18. 幸田郷。
  19. 薬師堂。市原市外部田。
  20. 糸久村。
  21. 今津朝山村。
  22. 野毛村。
  23. 東陽寺。夷隅郡大原町岩船。
  24. 霜崎正典氏所蔵。市原市海保。
  25. 浅井小向村。
  26. 上泉村・下泉村。
  27. 海晏寺。東京都品川区南品川。
  28. 山神社。君津市笹。
  29. 飯富村。
  30. 神納村。
  31. 矢那村。享徳4.正.-(1455)〔法橋某奉書写〕菅生庄之内矢名之郷 県-中3 大野昭八家文書2。
  32. 圓福寺。銚子市馬場町。
  33. 請西村。
  34. 向江村。
  35. 三作村。
  36. 江川村。
  37. 糠田村。
  38. 諏訪神社。君津市大井戸。
  39. 延寿寺。神奈川県三浦市。
  40. 郡村。
  41. 上烏田村・中烏田村・下烏田村。
  42. 西福寺。木更津市上烏田。
  43. 天南寺。君津市鎌滝。
  44. 前久保村。
  45. 草牛村。
  46. 北子安村・南子安村。
  47. 春日神社。君津市上。
  48. 山野村。
  49. 浜古村。
  50. 佐貫町。
  51. 白山神社。富津市長崎。
  52. 八雲神社。富津市岩坂。
  53. 上布施村。
  54. 作田村。
  55. 根津伴七氏所蔵。埼玉県。
  56. 植野村。
  57. 普門寺。長生郡睦沢村大上。
  58. 龍蔵寺。勝浦市法華町。
  59. 岩和田村。
  60. 泉水村。
  61. 桜谷村。
  62. 茂原村。
  63. 長谷村。
  64. 北高根村。
  65. 橘神社。茂原市長尾。
  66. 上・下太田村。
  67. 万光寺。茂原市下太田。
  68. 長生郡長柄町味庄天神社。
  69. 長福寿寺。長南町長南。
  70. 一ッ松村。
  71. 東浪見村。
  72. 北山田村。
  73. 渋谷村。
  74. 薬師堂。夷隅郡大原町。
  75. 飯尾寺旧蔵。長生郡長柄町飯尾字山根。
  76. 高根本郷村。
  77. 北塚村新田。
  78. 油井村。
  79. 粟生村。
  80. 求名村。
  81. 田間村。
  82. 土気町。
  83. 赤荻村新田。
  84. 本須賀村。
  85. 西加茂村・東加茂村。
  86. 称名寺。山武郡芝山町新井田。
  87. 借毛本郷村。
  88. 上・下吹入村。
  89. 新井田村。
  90. 蓮沼村。
  91. 上・下小野田村。
  92. 市野々村。一野村も同様。
  93. 小生田村。