「伊勢国」の版間の差分

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2018年9月18日 (火) 09:12時点における版

作成者:鎌倉佐保・伊藤哲平

郷村名郡別世紀別初出表

概要

概要

伊勢・伊賀・志摩の三国の最終的な分立は、天武朝期か。天武天皇9年(680)に伊賀国四郡が伊勢国から分離し(『扶桑略記』)その後、志摩国も伊勢国から分離。
奈良時代初期までに、桑名・員弁・朝明・三重・河曲・鈴鹿・奄芸・安濃・壱志・飯高・多気・飯野・度会の十三郡が存在。(『延喜式』大国)。度会・多気郡は孝徳天皇朝(大化5年(649)に設置され、飯野郡は天智天皇3年(664)に多気郡から分置。(『皇太神宮儀式帳』)。度会・多気両郡は、はやくから神宮の神郡とされていた。弘仁8年(817)に神郡の雑務が、同12年(821)に田租検納の権限が神宮に付与され、従来の伊勢国司にかわり、伊勢太神宮司がその行政権を掌握するようになる。さらに寛平9年(897)には、飯野郡が神郡に加えられ、度会・多気・飯野の三郡が「三箇神郡」(『延喜式太神宮』)または「神三郡」とよばれ、神宮の経済的基盤となった。その後も神宮神郡は逐次増加し、天慶三年(940)に員弁郡、応和2年(962)に三重郡、天禄4年(973)に安濃郡(12世紀後半に東西二郡に分かれていることが確認でき(『兵範記』)、鎌倉時代には安東・安西郡に分けて記されることが多くなる。)、寛仁1年(1017)に朝明郡、文治1(1185)に飯高郡が、それぞれ施入され、ここに「神八郡」が確立する(『神宮雑例集』)。これらのうち、北部に位置する員弁・朝明・三重の三郡はあわせて「道前」とよばれ、膝下の度会・多気・飯野の三郡は「道後」ともよばれた。
国府は鈴鹿郡(現鈴鹿市国府町)。一宮は椿大社(鈴鹿市)。
禰宜ら集団が台頭し、10世紀以降、膨大な御厨・御薗が形成される(『神凰抄』にみえる)。また、神宮領以外では、大安寺領、大国荘・川合荘(東寺領)、曾禰荘(醍醐寺領)、栗真荘(近衛家領)等の荘園があげられる。

参考文献

『角川日本地名大辞典24三重県』
『国史大辞典』
『伊勢市史 第二巻 中世編』(「第一章 鎌倉時代の伊勢 第三節 神宮領と武士」(多田實道執筆)2011)
棚橋光男「中世伊勢神宮領の形成」(同『中世成立期の法と国家』塙書房、1983〔初出1975〕)

典拠史料

『三重県史』資料編 古代(上)(下)、中世1(上)(下)、中世2、中世3(上)、古代・中世(荘園編)
『神道大系』神宮編
『四日市市史』第7巻(史料編 古代中世)
『鈴鹿市史』第4、5巻(資料編)
『嬉野史』資料編(上)(下)
『三雲町史』第2、3巻(資料編)
『松阪市史』第3巻(古代中世 資料編)
『明和町史』資料編2(文書史料)
『勢和村史』第2、3巻(資料編)
『多気町史』史料集
『小俣町史』資料編
『二見町史』資料集

凡例

『三重県史』は、それぞれ県史古上、県史古下、県史中1上、県史中1下、県史中2、県史3上、県史古中(荘)と表記した。

郷村表

桑名郡

郷(里)

野代能代呂、桑名、額田、尾津乎豆、熊口久万久知

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
猲原郷 桑名 天平勝宝5.6.15 753 〔優婆塞貢進文〕右、伊勢国鈴鹿郡長背郷戸主瓜工連御垣戸口‖(外包裏)久米部家主<年廿九/伊勢国桑名郷‖原郷戸主久米部馬戸口>/「了了」 県史古上p.81
正倉院文書-丹裹文書
野代郷[1] 桑名 8Cヵ 〔木簡〕【野代】伊勢国桑名郡野代郷」」」 県史古上p.791
木簡研究6
桑名里☆ 桑名 8Cヵ 〔木簡〕【桑名】(表)伊勢国桑名郡/(裏)桑名里俵 県史古上p.791
平城京木簡1(長屋王家木簡1)
香取五ヶ郷☆ (桑名) 文治1.11.12 1185 〔吾妻鏡〕今日、河越重頼所領等被収公、是依為義経縁者者也、其内、伊勢国香取五ヶ郷、大井兵三次郎実春賜之、其外所者、重頼老母預之、 県史古上p.623
吾妻鏡
深矢部郷 (桑名) 文永8.5.7 1271 〔道智(二階堂行氏)置文案〕所々堺事/‖/一 益田庄与深矢部郷山野堺事/をかこへの南、大たかふろ小たかふろのあいに、大道より山へのほりたるふるき馬路あり、それよりとさはやしの東の峯の路へのほりて、その路よりそかはのとりうちの峯の西むしうの谷のかしこへ、路のまゝのほりて、そかはの峯きりのおほミちを、峯つゝき西へとをして、きたの山を深矢部に領知すへし、又島々におきてハ、嘉禄検注の取帳に付たる島の外ハ、惣庄に領知すへし 鎌倉遺文14p.274
薩摩二階堂文書
上郷☆ (桑名) 弘安1.9.17 1278 〔大井蓮実譲状写〕譲渡 処分事/子息彦次郎頼郷所/‖/伊勢国鹿取庄内上郷地頭職‖鎌倉屋地 県史中2p.5
大井文書
福永郷☆ (桑名) 永享1.9.17 1429 〔室町幕府奉行人連署奉書〕伊勢国福永郷壱分<赤坂五郎左衛門入道/跡>事、所有御寄付同国建国寺也 県史中1(上)p.310
氏経卿引付
矢田郷☆ (桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、八百貫<いなへ郡/三重西日野相違>忠岳/千弐百貫<此内四百貫余 朝明郡西富田・西日野替知也/横郡矢田郷 四百貫 新御寄進也/いなへ 大木 四百貫>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
中郷 (桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐千七百貫文<横郡中郷 千拾三貫/九百七拾貫 縄生郷/朝明 七百四拾五貫三百 小向郷> 森清十郎 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
桑部郷☆ (桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百貫文<三重郡内堀相違>佐久間右馬之允/弐百貫文<横郡/桑部郷内>同/一、弐百六拾貫文<三重中江原/小柴田 相違>伊藤久右衛門/弐百六拾貫文<横郡/桑部郷内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
野代上下郷☆ (桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、五百貫<河曲郡若松南村相違>太田監物/三百参拾四貫文<横 野代上下郷之内>同/一、弐百貫<三重 いつミの郷相違>坂井三平/百参拾四貫文<横 野代上下郷之内>同/一、弐百六拾貫文<三重 松もと郷相違>野々村半六/弐百六拾貫文<横 野代上下郷之内>同/一、弐百五拾貫文<三重 しかまの郷相違>牧村忠内/百七拾貫文<横 野代上下郷内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
安永郷☆ (桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/弐百貫文<横 安永郷之内>同/‖/百弐拾貫文<横 安永の郷内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
野田郷☆ (桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百貫<横 野田の郷/之内 相違>片岡助三/‖/一、百三拾貫文<横 野田の郷>安井弥助 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
東方郷☆ (桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/八拾六貫六百<横/東方郷之内>同/‖/百参拾貫文<横/東方郷之内>同/‖/百拾参貫文<横 東方郷内>同/‖/百貫文<「横」/東方の郷>同/‖/百参拾四貫文<横 東方郷内>同/‖/百参拾参貫/横/東方郷内>同/‖/弐百貫文<横 東方郷内>同/‖/弐百貫文<横 東方郷之内>同/‖/百五拾貫文<よこ 東方郷の内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
西金井郷☆ (桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百五拾貫<横 西金井の郷>生駒久道 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
多度郷☆ (桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百五拾貫文<横 多度郷>屋代才蔵 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
下ひぢの郷☆
(下肱郷)
(桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百廿貫文<横 下ひぢの郷>杉山藤助 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
とヅの郷[2]
(富津郷)
(桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百五拾貫文<横 とヅの郷>伊坂長左衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
うへ野の郷☆
(上野郷)
(桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百七拾貫文<横 うへ野の郷>伊藤孫十郎 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
本金井郷☆
(東金井郷)
(桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百貫文<横 本金井の郷>伊坂五左衛門/‖/一、百七拾貫文<百六十貫 横郡 東金井郷/此外拾貫ハ懸八郎左衛門知行/あいはの内より出申候也> 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
ぬかたの郷[3]
(額田郷)
(桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百拾貫<pp貫 朝明郡下宮郷/pp貫余 ぬかた郷内>星野新左衛門/‖/一、弐百貫文<横 ぬかたの郷ノ内>浜田/一、弐百貫文<横 同郷の内>茂福/一、百貫文<横 同郷之内>大木 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
いかいノ郷☆
(猪飼郷)
(桑名)
(横郡)
天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、五百「六拾」貫文<横/いかいノ郷>矢田半衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
西方郷☆ (桑名) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、四百五拾貫文<横 西「方」ノ郷/此内 たま(大夫ヵ)村可(百)貫御加増>可児甚五兵衛 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)

年月日 西暦 原     文 出  典
東□村 桑名 長寛2.11.29 1164 仮名藤井花元重解 申請祭主 裁事/請殊蒙 恩裁、早任道理、被停止私領伊勢国桑名神戸内東□村、為前預所平俊基、以非道欲押妨子細状 県史古上(別)p.727
兵範記紙背文書
たま村☆
(太夫村ヵ)
(桑名) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、四百五拾貫文<横 西「方」ノ郷/此内 たま(太夫ヵ)村可(百)貫御加増>可児甚五兵衛 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)

員弁郡

郷(里)

耶摩夜万、笠間加左万、石加以之賀、美耶美乎、久米

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
久米郷☆ (員弁) 13C後半頃 【久米】右任料事/神領/‖/久米郷司五疋 県史中1(上)p.1198
公文筆海抄
笠間郷☆ (員弁) 14C前半頃 【笠間】同 奏料任料等/‖/神領/笠間郷司 県史中1(上)p.1231
公文所初心抄
田井郷
宮郷
員弁 延文5頃 1360頃 〔神鳳抄〕【笠間】伊勢国/‖/員弁郡/‖/同田井郷‖宮郷内宮神田‖久米郷外宮神田<五丁三段> 同郷用永<二丁> 笠間郷荒祭宮神田<一丁>‖宮郷司職田<六丁> 久米郷司職田<二丁> 笠間郷司職田<六丁> 神宮神領記p.300
神鳳抄
響庭郷 (員弁) 文明17.9.30 1485 〔蔭涼軒目録〕卅日(略)清住院領勢州響庭郷、乱後御還補之処、奉公片山平三于今不去渡、致押領、剰同国志礼石今月廿三日強入部云々、 四日市市史p.647
蔭涼軒目録
大社郷[4]
赤尾郷☆
員弁 天正12.9.11 1584 〔織田信雄奉行人連署奉書〕北伊勢伊那郡内大社之郷、同郡赤尾郷合八百貫文、替地之内、先右分被仰付候、全可有御知行状如件 四日市市史p.867
阿波国古文書
河原郷[5] (員弁) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百六拾貫文<南伊勢河原郷 根村なハ 卅貫 両所相違/南伊勢中中うミ郷 滝なハ 百卅貫/北伊勢いなへ郡/かたひの郷 百拾貫>/‖/一、三百五拾貫文<河はらの郷>高木将兵衛 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
かたひの郷☆
(片樋郷)
(員弁) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百六拾貫文<南伊勢河原郷 根村なハ 卅貫 両所相違/南伊勢中中うミ郷 滝なハ 百卅貫/北伊勢いなへ郡/かたひの郷 百拾貫>/弐百弐拾貫文<此内 百拾貫 かたひノ郷いなへ/百拾貫 草かへノ郷内> 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
ひろく郷☆
(美鹿郷)
(員弁) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、六百七貫<此内二百貫 南いせもりもと郷相違 大田なハ/百八十貫<尾州林ノ郷相違 大炊なハ/二百廿七貫 北いせ朝明郡富田> 朝夕/九百弐拾弐貫文<此内弐百廿七貫 北いせ富田 朝明郡/五十貫 北いせひろく郷いなべ郡/百廿貫 尾州堀田郷/百廿七貫 同なつか郷 此外廿九貫不足>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
五原五郷 員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、四百貫文<河曲郡鬼神岡/相違>長崎弥左衛門/四百貫文<いなへ郡五原五郷>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
梅戸郷☆ 員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、六百五拾貫<河曲郡若松北村相違>富田喜太郎/六百五拾貫<いなへ梅戸郷之内>/一、五百貫<河曲郡はじの郷/西はし共 相違>岡田源太郎/参百参拾四貫<いなへ郡梅戸郷之内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
せこいつミ郷☆
(瀬古泉郷)
員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/八拾貫文<いなへノ郡/せこいつミ郷の内>同/‖/百貫文<いなへ/せこいつミの郷内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
治田郷 員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/弐百六拾七貫弐百文<いなへ郡/治田郷内>同/‖/弐百六拾七貫弐百文<いなへ/治田郷之内>同/‖/弐百貫文<いなへ/治田郷之内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
星川の郷☆ 員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百貫文<いなへ 星川の郷内>竹丈 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
つくしの郷☆
(筑紫郷)
員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百貫文<いなへ/つくしの郷>花坊 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
さかいノ郷☆
(坂井郷)
員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百五十拾貫文<いなへ/さかいノ郷>青木孫作 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
山村郷 員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、五拾貫文<いなへ/山村郷内>ぬし弥右衛門/一、五拾貫文<同郷之内>ひものヤ善左衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
志知郷☆ 員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、三百貫<いなへ/志知郷内>伊藤孫太夫/‖/一、三百貫<いなへ/志知郷内>伊坂太郎一/‖/一、三百貫<いなへ/同郷ノ内>栗田監物 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
もしたゝ郷[6]
(守忠郷)
員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、五百貫文<いなへ/もしたゝ郷内>嶺/一、百五拾貫<いなへ/同郷ノ内>長源 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
ともの郷
(友郷)☆
本願寺郷☆
員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐千「弐拾五」貫文 御鉄砲 青山新七御代官<‖二百七十貫 同 せき とり(もヵ)の郷‖九十貫 同 東(本)願寺ノ郷> 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
東野両郷
島田郷☆
山田両郷
野尻郷[7]
員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐千九貫文 御鉄砲 御代官山本小六郎<七百五貫 いなへ郡丹生川 東野両郷/弐百五十三貫 同 島田郷/七百壱貫 同 山田両郷/弐百貫 同 野尻郷> 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
たぎり郷
(田切郷)
員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百貫文<いなへ たぎり郷同(内)>森二蔵 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
大井田ノ郷 員弁 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/百貫文<いなへ/大井田ノ郷内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)

年月日 西暦 原     文 出  典
切田村 員弁 延文5頃 1360頃 〔神鳳抄〕伊勢国/‖/員弁郡/‖/切田村<三石/同> 神宮神領記p.298
神鳳抄
甲斐野村[8] 員弁 天文13.6.30 1544 〔世続光重奉書〕伊勢国員弁郡甲斐野村代官職之事、大木孫太郎方江被預置候条 県史中1(下)p.199
佐八文書
田切村 (員弁) 天正年間ヵ 1573-1592ヵ 〔祭主家領注文〕太神宮御師領/伊勢国/‖/田切村 百五十貫文 県史中1(上)p.68
惣官家旧記

朝明郡

郷(里)

田光太比加、杖部波世津加へ、額田、大金於保加禰、豊田、訓覇久流倍

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
葦田郷[9] 朝明 天平20.4.25 748 〔写書所解〕写書所解 申願出家人事/合廿八人/‖/又/秦家主<年廿二/伊勢国朝明郡葦田郷戸主船木臣東君戸口> 県史古上p.73四日市市史
p.23
正倉院文書
褥多里 朝明 8Cヵ 〔木簡〕(表)伊勢国朝明郡褥多里/(裏):: 県史古上p.792
平城宮発掘調査出土木簡概報25(長屋王家木簡)
柿郷 朝明 康正2.-.- 1456 〔康正二年造内裏段銭‖国役引付〕佐脇三河守殿<伊勢国朝明郡内柿郷段銭> 群書類従28p.431
康正二年造内裏段銭‖国役引付
小向郷☆ 朝明 寛正6.7.6 1465 〔親元日記〕六日、(略)伊勢国朝明郡小向郷内名主山本兄弟等<交名/在別紙>跡散在<名田畠屋敷>山林以下事、早任御判之旨、可被沙汰付下地於伊勢与一貞弘代之由、被仰下也、仍執達 四日市市史p.470
親元日記
下野三郷☆ 朝明 文明12.2.22 1480 〔宿職売券写〕定 永沽渡申朝明郡下野三郷村人当宮宿職/合<地頭海老名殿/同円満寺>其外寺庵名主地下人等共直銭捌貫文請納畢 四日市市史p.522
櫟木文書
河北郷☆ (朝明) 延徳2.8.晦日 1490 〔横瀬上野入道常珍請文写〕曇華院殿様御領伊勢国小向郷、以御代官之下被仰付候、御年貢諸公事為請切分、毎年京着百参拾貫文、無未進懈怠、十一月中ニ皆済可申候、若有少未進懈怠之儀者、私之知行分、伊勢国朝明郡内河北郷・同関壱所pp、御年貢相当程可被召候、御代官職可被召放者也 四日市市史p.660
曇花院殿古文書
吉沢之里☆ (朝明) 永禄3.10.29 1560 〔曽禰定盛道者売券〕永代売渡申御道者之事/一、羽津之里一円 一、吉沢之里一円 一、あしかの里一円 県史中1(下)p.174
五文字屋道者屋敷座沽券
五原五郷 朝明 天正12.9.10 1584 〔織田信雄奉行人連署奉書〕北伊勢朝明郡五原五郷之内四百貫文、為替知被宛行之旨、被仰出者也 四日市市史p.866-867
長崎文書
小嶋郷☆
田口郷☆
垂坂郷☆
朝明 天正12.10.26 1584 〔織田信雄奉行人連署奉書〕小嶋郷弐百五拾貫、田口百十貫、垂坂郷五拾貫、合四百貫余、弐百貫宛被仰下候之、全可有領知者也 四日市市史p.869
高木文書
羽津郷☆ 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、六百貫<尾州かなうの郷/源五殿縄ノ内相違>大原豊蔵/千貫文<朝明郡羽津郷/「此内四百貫御加増也」同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
縄生郷☆ (朝明) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐千七百貫文<横郡中郷 千拾三貫/九百七拾貫 縄生郷/朝明 七百四拾五貫三百 小向郷> 森清十郎 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
豊田ノ郷☆ 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、五百五拾余貫<朝明豊田ノ郷内を以/相違>伊藤豊左衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
西富田郷☆ 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/百貫文<六拾七貫六百 朝明郡西富田郷内、此外不足>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
杉谷郷☆ 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百七拾貫文<朝明/杉谷郷内相違>片岡善四郎 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
広永郷☆ 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/百貫文<朝明/広永郷内>同/‖/九拾四貫文<朝明/広永郷内>同/‖/百七貫文<朝明/広永郷内>/‖/八十六貫百「文」<朝明 広永郷内>同/‖/八十貫文<朝明広永郷内>同/‖/百貫<朝明 広永郷内>「同人」/‖/百八拾貫<朝明/広永郷内>同/‖/一、百弐拾六貫文<‖北伊勢 朝明広永郷内を以六十八貫被下候>安井宗右衛門/‖/五拾貫<朝明 広永郷内/右草手替知>同/‖/一、四百貫<此内朝明郡広永の郷内 二百五十貫/百貫いくわ ひかし方五十貫>堀田彦兵衛 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
北小嶋郷☆
田口郷☆
朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、四百貫文<‖弐百五十貫 同郡北(小)嶋郷/「百十貫 同郡 田口郷」>高木権右衛門/高木勝右衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
茂福郷☆ 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、三百貫文<「朝明郡」/茂福郷内>水野勝兵衛/一、参百貫文<同郷之内>中野新左衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
下宮郷 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百拾貫<pp貫 朝明郡下宮郷/pp貫余 ぬかた郷内>星野新左衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
伊坂郷☆ 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百貫文<朝明郡伊坂郷内>養和/一、百貫文<同郷内>高橋彦右衛門/一、百貫文<同郷内>御大工喜左衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
長井郷☆
(永井郷)
朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百四十貫<「同郡」長井ノ郷>梅戸次郎左衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
高松郷☆ 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、三百五拾貫貫文<朝明 高松郷>丹羽半助 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
大泉郷 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一 千弐百貫<‖朝明郡大泉郷> 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
中郷 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、六百貫文<朝明郡/柿ノ郷/中郷内>九人 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
入宮郷 朝明 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、「三」拾貫<朝明郡/入宮郷相違>才金勘左衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)

年月日 西暦 原     文 出  典
山村☆ 朝明 応永31.2.22 1424 〔足利義持御判御教書案〕伊勢国朝明郡山村金剛寺事、可為祈願所之状如件 県史古中(荘)p.809
醍醐寺文書聖教 26函40-2
羽津村☆ 朝明 文禄3.9.21 1594 〔豊臣秀吉朱印状〕知行方目録/一、千三百七石九斗 羽津村/一、拾弐石壱斗 浜年貢 同村 県史中2p.135
地蔵院文書

三重郡

郷(里)

采女宇禰米、河後加波之利、葦田、柴田之波多、刑部於佐賀部

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
采女郷☆ 三重 天平19.2.11 747 【采女】伊勢国六百四十四町‖同郡采女郷十四町 県史古上p.69
大安寺伽藍縁起‖流記資材帳
柴田郷☆ (三重) 8Cヵ 〔木簡〕【柴田】柴田郷長右pp 県史古上p.816
四日市遺跡調査会文化財調査報告Ⅲ『宮の西遺跡』
河後郷☆ 三重 8Cヵ 〔木簡〕【河後】三重郡河後郷白米五: 県史古上p.792平城宮発掘調査出土木簡概報17
良田郷[10] 三重 承徳3.7.25 1099 〔民有年解案〕民年有解 申請 祭主裁事/請被任道理令糺返、僕従伴常遠馬一疋<鹿毛、直百五十疋>、為検非違使経貞、不論是非、押取不安愁状/件馬押取事、如云ゝ者、安部守富三重郡郷ゝ可領知名田、可被裁給之由、先年申請之日、可尋沙汰之由、所下給 御外題於件経貞‖、而不致沙汰押取之由、所訴申也、其故者、有年名主所領村主寛丸名田之内、良田郷四条十三日長里廿五坪一段、可為守富名田之由、良平宿禰俄依申出矣 県史古上(別)p.694
四日市市史
p.63
壬生家文書
坂部郷[11] (三重) 永仁4頃[12] 1296 〔僧有円重申状〕【刑部】法眼有円謹重言上/伊勢国日野寺供僧能慶相語祭主卿使光信等、掠申問状綸旨、令押領地下、致種々狼藉条、罪科無比類上者、且被加炳誡、且欲被向後追訴、同国坂部郷内県御園田地一町余事 四日市市史p.159-160
神宮文庫所蔵三条家古文書(『鎌倉遺文』)
苽生郷
もり郷☆
(森)
ゑひハら郷[13]
(衣比原)
こハやし郷
(小林)
にハ田郷
(庭田)
(三重) 元応2.7.1 1320 〔藤原公行譲状案〕譲渡 伊勢国智積御厨事/‖/其子あくり御前ニ‖生・もり二郷、三位にハゑひハら二郷、大納言あさり了覚にハこハやし・にハ田二かう、かやうニわけて智行せらるへく候、 四日市市史p.172
口宣綸旨院宣御教書案
衣比原上郷☆
衣比原下郷☆
(三重) 延元1.10.1 1336 〔後醍醐天皇綸旨案〕伊勢国智積御厨内庭田・小林等野・衣比原上下郷等、付惣御厨可令知行給者、 四日市市史p.207
口宣綸旨院宣御教書案
刑部郷 (三重) 至徳3.4.17 1386 〔某寺銭借券案〕【刑部】借請 用途事/合拾貫文者/右用途者、為奉行方会尺料足、所借請也、毎月貫別加五十文利分、来秋以刑部郷年貢内、可令返納也 県史中1(下)p.664
輯古帖
中村郷
桜郷[14]
一色郷
平尾郷☆
(三重) 長禄2.12.13 1458 〔伊勢国智積御厨年貢帳〕(表題)「智積帳」/智積御厨内御年貢帳之事/‖/中村郷/‖/桜郷/‖/一色郷/‖/森郷/‖/平尾郷/‖/上衣比原郷/‖/ 四日市市史p.398
醍醐寺文書
野田郷☆ (三重) 文明16.10.11 1484 〔蔭涼軒目録〕十一日 去七日、(略)就野田郷語心等事、正岩来乞予一行、蓋遣汲古状也、汲古以予一行、被伝梅戸加賀守方、其返章到来、披見之返之、 四日市市史p.640
蔭涼軒目録
神戸郷
河尻郷☆
(三重) 延徳2.10.5[15] 1490 〔蔭涼軒目録〕【河後】五日(略)一 同院領伊勢国神戸・河尻郷半分、近日長野強入、御奉書事、此十ヶ条以葉室公伺之、御返答曰、(略)雲頂院領所々安堵御判事、愚一行共台覧、可命奉行云々、同院領伊勢国神戸・河尻郷半分、長野押領、以奉行可令披露云々、 四日市市史p.694
蔭涼軒目録
津賀郷☆ (三重) 天文8.⑥.7 1539 〔披露事記録〕一 布下披露 松田丹後守晴秀申知行分江州箕浦庄土肥庶子分・伊勢国津賀郷志賀麻散在・丹後国光富保‖安芸国志通村・城州紀伊郡嶋村散在等事、守護押領候 四日市市史p.751
披露事記録
羽津之里? (三重) 永禄3.10.29 1560 〔曽禰定盛道者売券〕永代売渡申御道者之事/一、羽津之里一円 一、吉沢之里一円 一、あしかの里一円 県史中1(下)p.174
五文字屋道者屋敷座沽券
赤堀郷☆ (三重) 天正11.9.10 1583 〔織田信雄奉行人連署知行宛行状〕赤堀郷千弐百貫文/右為扶助被遣之候、尚追而御判可被参之旨御諚候、可被成其意候、 四日市市史p.863
河波国古文書
日永郷☆ (三重) 天正11.9.29 1583 〔織田信雄奉行人連署寄進状〕於日永郷内、七拾貫文被成御寄進畢 県史中2p.36
観音寺文書
かう田郷☆
(神田郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百五拾貫文<北伊勢三重郡/森・かう田両郷相違> 津田三四郎 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
を畠郷[16]
(小幡郷)
(三重) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百三拾貫文<北いせを畠郷内 三重郡/相違> 大津孫右衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
高角の郷☆ 三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、八百貫文<三重郡高角の郷>津田小平次/一、千弐百貫文<同郡赤堀郷相違>津田清次 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
うる田郷☆
(潤田郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、六百四拾貫文<三重郡うる田郷>荒川甚座衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
いつミの郷
(小泉郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百貫<三重 いつミの郷相違>坂井三平/百参拾四貫文<横 野代上下郷之内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
松もと郷☆
(松本郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百六拾貫文<三重 松もと郷相違>野々村半六/弐百六拾貫文<横 野代上下郷之内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
しかまの郷☆
(鹿間郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百五拾貫文<三重 しかまの郷相違>牧村忠内/百七拾貫文<横 野代上下郷内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
音羽郷☆ 三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/弐百七拾貫<三重 音羽郷之内>同/一、弐百貫<三重郡/吉沢・福村相違>太田助兵衛/百参拾四貫文<三重音羽郷>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
山越上郷
山越三郷
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百貫<三重うねめ/山越上郷内相違>神左馬助/‖/一、百貫文<三重 うねめ山越/上郷内相違>袮津喜左衛門/‖/一、百貫文<三重 うねめ 山越/三郷内 相違>井田三吉/‖/一、百貫文<三重 うねめ山越/三郷内相違>犬塚加兵衛/‖/一、百貫文<三重 うねめ山越/三郷相違>吉田所持助/‖/一、百貫文<三重 うねめ 山越/三郷 相違>中山五平次/‖/一、百貫<三重 采女・山越三郷 相違>村田勝右衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
宿野郷☆ 三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百三拾貫<三重/宿野の郷内相違>友松吉右衛門/‖/一、百参拾貫<三重 宿野之郷内相違>萩須勘右衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
おこそ郷☆
(小古曽郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百弐拾貫文<三重/おこそ郷之内>伏屋善右衛門/‖/一、百弐拾貫文<三重/おこそ郷之内相違>天野弥右衛門/‖/一、百弐拾貫文<三重/おこそ郷之内相違>高木小七郎/‖/一、百弐拾貫文<三重/おこそ郷之内相違>篠田孫八郎/‖/一、百弐拾貫文<三重/おこそ郷内相違>古橋久右衛門/‖/一、百拾貫文<三重/おこそ郷内相違>生駒久三 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
くろ田郷☆
(黒田郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/八拾貫 御加増<三重郡/くろ田郷 坂井新左衛門跡> 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
いくらの郷☆
(伊倉郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百八拾貫文<三重 いくらの郷/相違>寺西助左衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
くほ田の郷☆
(久保田郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百貫文<三重 くほ田の郷/相違>林与助 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
むろ山郷[17]
(牟山郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百貫文<三重/むろ山郷相違>林平右衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
河島郷[18] 三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/百卅貫文<三重 河島郷内相違>篠田又蔵/‖/百廿貫文<三重 河島郷内相違>高木五郎右衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
小松村郷[19] 三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、参百貫文<三重/小松村郷内相違>後藤 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
千草郷☆ 三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/弐百五貫文<此内百五十貫 千草郷内「小林九左衛門分」/廿五貫 三重 平尾郷内/卅貫 いなへ 笠田宇一色>同/一、三百貫文<‖六十貫 三重 平尾郷内>萱生/弐百五拾貫<此内百七拾貫/千草郷ノ内 水野半右衛門分/三拾五貫 三重 平尾郷之内>同/‖/一、弐百貫文<三重/千草郷内>山本藤次郎/一、百六拾「貫」文<同郷内>国枝伊右衛門/‖/一、九百五拾貫<三重/千草郷>千草 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
そいの郷☆
(曽井郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百九十貫文<三重郡そいの郷>纐纈源十郎 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
なひら郷☆
(尾平郷)
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、参百参拾貫文<三重(お)なひらの郷>石川修理 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)

年月日 西暦 原     文 出  典
三重村 (三重) 8C 〔古事記〕到三重村之時、亦詔之、吾足如三重勾而、甚疲、故、号其地謂三重、 県史古上.18
古事記
浜村(浜田)[20] (三重) 文治2.-.- 1186 〔伊勢記〕浜村といふ所を過ぎ待りけるに、このほどはあさけのこほりと云ふ、浜の行くさきに見ゆるは、日永と人の云ふ所なりと、いふをききてよめる、/行き詫びぬいざ浜村に立ちよらむ朝気過ぐるは日永なりけり 四日市市史p.129
伊勢記(『校注鴨長明全集』)
小幡村☆ (三重) 承元1.11.17 1207 〔吾妻鏡〕伊勢国小幡村者、為伊勢平氏冨田三郎基度、年来忽緒領家押領之、滅亡後、亦為没収地被補新地頭之間、領家女房頻被愁申之、為大夫属入道善信奉行、今日停止其職、如本可為領家進止之由、被仰遣云々、 四日市市史p.125
吾妻鏡
柴田村[21]
深瀬村
(三重) 延慶1.11.28 1308 〔関東下知状案〕可早以尼永忍領領知伊勢国大連名内柴田・深瀬両村事 四日市市史p.168
金剛三昧院文書『高野山文書』
水沢村☆ 三重 文明17.6.下旬 1485 〔大般若波羅蜜多経奥書〕弘安十年<丁亥>八月十三日十地、勢州三重水沢村/‖/於勢州三重郡水沢村書之、文明十七年六月下旬、筆者円賢 四日市市史p.154-155
滋賀県蒲生郡日野町西明寺所蔵『滋賀県大般若波羅蜜多経調査報告書』(一)
野田村☆ (三重) 天正18.2.3 1590 〔岡本良勝判物〕今度黒田次助ニ申付開申野田村、諸役令免鐘(ママ)候、隣郷之草野手‖及次第ニ取可申者也 県史中2p.41
黒田文書
江村☆ (三重) 天正年間 1573-1592 〔祭主家領注文〕太神宮御師領/伊勢国/‖/江村 拾貫文 県史中1(上)p.68
惣官家旧記
吉沢村☆
福島村
三重 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/百三十貫<三重 吉沢 福島村>鈴木千八郎 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
四日市場村☆ 三重 文禄3.9.21 1594 〔豊臣秀吉朱印状〕知行方目録/一、八百弐拾八石弐斗五升 四日市場/九斗八升 あミやく 同村 県史中2p.135
地蔵院文書

河曲郡

郷(里)

中跡奈賀止、海部安万、川部、賀美加美、資母之毛、深田布賀

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
中止里☆ 河曲 8Cヵ 〔木簡〕【中跡】(表)伊勢国川勾郡中止里/(裏)阿斗部小殿万呂/同遊万呂 県史古上.793
木簡研究1
安麻手里 河曲 8Cヵ 〔木簡〕(表)伊勢国川勾郡安麻手里海部/(裏)子首春米一斛 県史古上p.793
平城宮発掘調査出土木簡概報27(長屋王家木簡)
箕田上郷 (河曲) 延徳2.⑧.18 1490 〔延徳二年仁木氏知行回復〕一、仁木左京大夫政長代申 同名右馬助跡<千代/菊丸>、知行分、伊勢国塔世南北、岩田御厨、河曲庄、箕田上郷幷丹波国矢田・上林等事、任由緒可被返下之旨申之 鈴鹿市史p.40
伺事記録
はじの郷 河曲 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、五百貫<河曲郡はじの郷/西はし共 相違>岡田源太郎/参百参拾四貫<いなへ郡梅戸郷之内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
みだの郷 河曲 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、四百貫<河曲郡/みだの郷相違>津田利助 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)

年月日 西暦 原     文 出  典
岡本村 河曲北 久安4.1.26 1148 〔社家条々記録〕伊勢国河曲北郡岡本村、久安四年正月廿六日、平忠盛寄進状之副調度文書等、感神院大般若可奉転読之旨、依院宣奉始之、為其供料物、永所譲渡大別当定賀也、既為神領不可有相違他妨、偏奉為鎮護国家御祈祷也云々 鈴鹿市史p.40-41
社家条々記録
河曲村 (河曲) 文治3.4.29 1187 〔吾妻鏡〕三月公卿勅使駅家雑事、伊勢国地頭御家人等多以対捍之間、召在庁等注進状被下之、仍今日二品覧彼目録、仰不法之輩、可被誡向後懈緩之由、及厳密御沙汰云々、件目録云、/文治三年三月卅日/公卿 勅使伊勢国駅家雑事勤否散状事/‖/一不勤仕庄/‖/後院御庄内<葉若村 井後村 平野村 上野村 久吉名 河曲村 安楽村 已上> 四日市市史p.104
鈴鹿市史p.52
三雲町史p.155
吾妻鏡
大鹿村 (河曲) 建久3.8.- 1192 〔伊勢大神宮神領注文〕二所太神宮神主/依職事仰‖次第事知(ママ)注進神領子細事/伊勢国/‖山邊御薗<二宮> 給主散位大鹿国忠/‖/当御薗内大鹿村、号国分寺領、申下 院宣之間、恒例供祭上分之勤所減少也 鎌倉遺文2p.31
神宮雑書
若松南村☆ (河曲) 元久1.5.6 1204 〔吾妻鏡〕朝雅飛脚重到来、去月廿九日到伊勢国、平氏雅楽助三郎盛時‖子姪等、構城郭於当国六ヶ山、数日雖相支、朝雅励武勇之間、彼等防戦失利敗北、凡張本若菜五郎城郭構処所、所謂、伊勢国日永、若松、南村、高角、関、小野等也 鈴鹿市史p.53
吾妻鏡
今里村 (河曲ヵ) 建永1.6.29 1206 〔三長記〕廿九日己卯晴、参院、以越中内侍奏条々/記録書勘申、江嶋・河南両厨相論今里村事 鈴鹿市史p.61
三長記
野辺村☆ 河曲 延文5頃 1360頃 〔神鳳抄〕伊勢国/‖/河曲郡/‖/内宮玉垣御厨<八十三丁三段余。九石。六九十二月。>同御厨内野邊村。 神宮神領記p.310
鈴鹿市史p.10
神鳳抄
須賀村☆ (河曲) 応永31.7.- 1424 〔尊勝院文書〕寄附東大寺八幡宮、伊勢国安芸郡徳末名、同郡司田職田、鈴鹿郡北職田及ビ中臣須賀村事、右所寄附当国也 鈴鹿市史p.76
尊勝院文書
若松北村☆ 河曲 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、六百五拾貫<河曲郡若松北村相違>富田喜太郎/六百五拾貫<いなへ梅戸郷之内>同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳
若松中村☆ 河曲 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百五拾貫<河曲郡若松中村/相違>村田治郎 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳

鈴鹿郡

郷(里)

英太安賀多、高宮、長世奈賀勢、鈴鹿須ゝ加、牧田比良多

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
長背郷 鈴鹿 (天平勝宝5.6.15) [22] (753) 〔優婆塞貢進文〕【長世】伊勢国鈴鹿郡長背郷戸主瓜工連御垣戸口 県史古上p.81
正倉院文書-丹裹文書
高宮郷☆ 鈴鹿 8Cヵ 〔木簡〕【高宮】(表)鈴鹿郡/(裏)高宮郷 : 県史古上p.793
平城宮木簡3
鈴鹿郷 鈴鹿 8Cヵ 〔木簡〕【鈴鹿】鈴鹿郡鈴鹿郷 県史古上p.793
平城宮木簡2
牧田郷☆ 鈴鹿 承和12.2.8 845 【牧田】伊勢国言、鈴鹿郡牧田郷戸主川俣県造継成戸口役茂麻呂妻川俣県造藤継女産男、 県史古上p.179
続日本後紀
南職田郷
荒倉郷
鈴鹿 文永11.1.- 1274 〔般若経蔵供僧権律師良祐等申状写〕般若蔵供僧権律師良祐等申/欲早任厳密 宣旨、依先例〇〇〇被奉下為大般若〇転読料所、当国鈴鹿郡所在南識(職)田‖荒倉雑掌等、妄抑留彼両郷所済各拾斛処、供僧等衣鉢俄令欠失間、長日転読擬及退窟、  神慮不快事 県史古中(荘)p.683
田中穣氏旧蔵典籍古文書 伊勢国釈尊寺手継案
伊舟郷[23]
畑郷☆
長沢郷☆
深溝郷☆
池山郷☆
原尾郷☆
小社郷☆
富田郷
平尾郷
広瀬郷☆
(鈴鹿) 永禄9.12.20 1566 〔峯定康寄進状〕一、壱石七斗壱升 伊舟郷/一、壱石七斗壱升 畑郷/一、壱石七斗壱升 長沢郷/一、壱石八斗七升 深溝郷/一、壱石七斗壱升 池山郷/一、壱石七斗壱升 原尾郷/一、壱石八升 小社郷/一、壱石八升 富田郷/一、壱石八升 平尾郷/一、七斗八升 広瀬郷/一、弐石 平尾郷御年貢之、直ニ毎年 県史中1(下)p.856
徴古文府
原郷☆ (鈴鹿) 天正19.5.- 1591 〔内宮領不知行地注文〕伊勢 内宮神領不納之地之事/都合千三百八十石余/‖/伊勢国‖/八石三斗 原郷 八ヶ年已来不納 県史中1(下)p.187
神領関係古文書

年月日 西暦 原     文 出  典
葉若村[24]
井後村[25]
平野村☆
上野村☆
安楽村☆
(鈴鹿) 文治3.4.29 1187 〔吾妻鏡〕三月公卿勅使駅家雑事、伊勢国地頭御家人等多以対捍之間、召在庁等注進状被下之、仍今日二品覧彼目録、仰不法之輩、可被誡向後懈緩之由、及厳密御沙汰云々、件目録云、/文治三年三月卅日/公卿 勅使伊勢国駅家雑事勤否散状事/‖/一不勤仕庄/‖/後院御庄内<葉若村 井後村 平野村 上野村 久吉名 河曲村 安楽村 已上> 四日市市史p.104
鈴鹿市史p.52
三雲町史p.155
吾妻鏡
のしりのむら
(野尻村) ☆
すゝか
(鈴鹿)
寛喜2.12.19 1230 〔作善日記〕寛喜二年十二月二十九日、すゝかのこほりのしりのむらのこんけかうに、米一斗、まいねんにきしむ申 県史中2p.59
善教寺文書
安楽園村☆ (鈴鹿) 建武2.9.2 1335 〔太政官符〕太政官符 伊勢国/応為二所大神宮領当国柳名以下参拾弐筒(ママ)所事、‖、彼御目録偁‖伊勢国‖河曲庄池田東西<近江守宣、/直法師跡>、安楽園村同 県史中1(下)p.601
伊勢二所皇大神宮御鎮座伝記紙背文書
野村☆ (鈴鹿) 永正8.1.- 1511 〔内宮庁宣〕庁宣/早可遂勤進節令再造、神風伊勢国鈴鹿ノ神戸野村新福寺事 県史中1(上)p.99
宮司引付
県史中1(上)p.872
明応永正宮務記
木崎村☆ 鈴鹿 文禄3.9.21 1594 〔豊臣秀吉朱印状〕知行方目録/‖/一、千弐百石 関地蔵/木崎村/合三千五百拾八石五斗/右、可被領知候也 県史中2p.135
地蔵院文書
亀山村[26]
つはいそ村
(椿世) ☆
山した村
(山下) ☆
このした村
(木下) ☆
をの村
(小野) ☆
わた村
(和田) ☆
あのた村
(阿野田) ☆
たも村
(田茂) ☆
あちもと村
(安知本) ☆
ミつてら村
(三寺) ☆
はわか村
(羽若) ☆
すみ山村
(住山) ☆
さかの下村
(坂ノ下) ☆
くつかけ村
(沓掛) ☆
一のせむら
(市ノ瀬) ☆
ふるまや村
(古廏) ☆
をかわ村
(小川) ☆
たいこうし村
(太岡寺) ☆
長ミやう寺村
(長明寺) ☆
なかの庄村
(中庄) ☆
鈴鹿 文禄3.9.21 1594 〔豊臣秀吉朱印状〕(表紙)「文禄三年九月廿一日/伊勢国鈴鹿郡内知行方目録帳/岡本下野守」/知行方目録/一、八百七拾九石九斗三升 亀山村/一、弐石七斗二升 山年貢 同村/一、八百拾三石五斗八升 野尻村/一、六百拾四石五斗 つはいそ村/一、千三百四拾六石壱斗一升 野むら/一、千九拾七石壱斗八升 山した村/このした村/一、七百弐拾弐石弐斗一升 をの村/一、千六百九拾壱石弐斗九升 わた村/一、壱石四升 小成物 同村/一、千六百拾八石壱斗九升 あのた村/一、九百八拾六石六斗二升 たも・あちもと村/一、千百四拾五石七升 ミつてら村/一、千百五拾九石六斗五升 はわか村/すみ山村/一、三拾七石五斗 さかの下村/一、八拾壱石五斗 くつかけ村/一、百弐拾弐石九斗一升 一のせむら/一、弐百八拾壱石四斗三升 ふるまや村/一、八百拾四石壱斗 をかわ村/一、五百四拾弐石五斗七升 たいこうし村/一、四百拾九石壱斗 長ミやう寺村/一、千五拾三石七升 なかの庄村/合壱万五千弐百三拾石弐斗七升/小成物共ニ 県史中2p.128-129
岡本文書
下庄村☆
いづミ村
(和泉) ☆
はちの村
(八野) ☆
しやうの村
(庄野) ☆
ひらの村
(平野) ☆
くかむら
(久我) ☆
鈴鹿 文禄4.1.20 1595 〔豊臣秀吉朱印状〕伊勢国鈴鹿郡内岡本下野知行出米目録/一、千三百五拾五石六斗七升 下庄村/一、百八拾三石三斗七升 いづミ村/‖/一、九百七石三斗六升 すがわち/はちの村/‖/一、八百五拾四石四斗弐升 しやうの村/‖/一、弐百五十七石三升 ひらの村/一、弐百六十石壱斗七升 くかむら/合七千八百弐拾四石六斗三升/右、為加増、令扶助候訖、全可領知候也 県史中2p.129-130
岡本文書

庵芸郡

郷(里)

奄芸、田井太井、塩屋、服部波止利、黒田、窪田久保多

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
久菩多里☆ 奄芸 8Cヵ 〔木簡〕【窪田】(表)伊世国奄伎郡/(裏)久菩多里私部小:: 県史古上p.794
平城宮発掘調査出土木簡概報12
服部郷 (奄芸) 保延5.11.28 1139 〔藤原忠実家家司高階某寄進状〕【服部】下 栗真御庄下司安親幷公文為国等所/可奉免おお郡山新宮田参段事<服部郷七尾崎里弐拾捌坪おお>/東西宮幷三大神三所各壱反 県史中2p.112
鈴鹿市史p.20
酒井神社文書
白子郷☆ (奄芸) 安元1.8 1175 此一巻奉書写、為現世安穏後生善処也/□木郡白子郷住人物部垣永美部氏結縁之/安元元年乙未八月日(梵字)稲生西宮御経也 県史古上p.558
稲生西宮大般若経奥書第五百七巻
染野郷 (奄芸) 暦応3.3.2 1340 〔沙弥真宗奉書〕伊勢国栗真庄染野郷内郡山大明神/神主知行之雑給名幷屋敷事 県史中2p.116
酒井神社文書
久知野郷☆
尾崎郷
稗田郷☆
窪田郷☆
(奄芸) 応安1.9.8 1368 〔栗真荘熊野田三町沙汰日記〕【窪田】伊勢国栗真庄内熊野田三町畠幷五段事/一町 久知野郷内 作人円応寺僧沙汰 此寺/ハ尾崎郷/一町 稗田郷内 服織持之比丘尼作人也 津/次郎作人/一町 窪田郷内 作人 五段白塚兵衛殿/市庭孫六 鈴鹿市史p.38
熊野夫須美神社文書
米良文書
三行之郷☆ (奄芸) 応永31.3.29 1424 〔善覚三郎薮売券〕永代売渡申やふの事/合壱所者<三行之郷内、在所善覚のうしろ/四至、東ハ阿念ノさゑもんのヤフヲ限/南ハ岸ヲ限、北ハ堀ヲカキリ> 県史中2p.117
酒井神社文書

年月日 西暦 原     文 出  典
久保田村☆ (安芸) 文禄3.12.3 1594 〔豊臣秀吉朱印状〕伊勢国一志郡七栗郷中村之内九拾石、安芸郡久保田村内六大院拾石、都合百石事、令扶助之訖、全可寺納、居屋敷幷門前如先々、諸役令免除物也 県史中2p.244
大宝院文書
きりま村 安芸 慶長3.2.8 1598 〔豊臣秀吉知行目録〕知行方目録/本知/‖/一、弐百石 きりま村 嬉野史p.39
国立公文書館所蔵内閣文庫

安濃郡

郷(里)

建部多計倍、村主須久利、内田宇知田、英太阿賀太、跡部阿度倍、長生奈賀夜、石田以波多、片県賀太加多

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
阿刀里[27] 安濃 和銅3.3.- 710 〔木簡〕【跡部】(表)伊勢国安農郡阿刀里阿斗部身 県史古下p.1260
木簡研究25
長屋郷☆ 安濃 神亀4.10.- 727 〔木簡〕【長生】(表)伊勢国安濃郡長屋郷甲可石前調銭壱貫/(裏)    神亀四年十月 県史古上p.794
木簡研究3
片縣里 安濃 8Cヵ 〔木簡〕【片県】安怒評片縣里人田邊 県史古上p.786
飛鳥京跡苑池遺構調査概報
建部里 安濃 8Cヵ 〔木簡〕【建部】(表)伊勢国安農郡建部/(裏)里建部安万呂 県史古上p.794
平城宮発掘調査出土木簡概報27(長屋王家木簡)
建部郷
村主郷
莫大郷
安西[28] 康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕【建部】【村主】康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/散在寺領等証文紛失分/合/‖/一 伊向神田 安西郡<在之>/合/四段 建部郷十四条三牛父里十九坪/壱段小 同郷十八条二山耳里一坪/弐段 同郷十九条二村柴里十七坪/弐段 村主郷十条四曾祢里六坪/参段 同郷十二条四内田里廿九坪/肆段 莫大郷十一条六片山里六坪/‖/参段 同郷十二条七野村里廿二・廿一・廿九坪等<在之>/陸拾歩 同郷十二条六懸里卅六坪 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
石田郷 安東 康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕【石田】康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/散在寺領等証文紛失分/合/‖/一 伊向神田 安西郡<在之>/合/‖/安東郡/合/肆段 石田郷五条四刑部里廿六坪/肆段 同郷二条六尾鞍里十坪・十五坪/玖段大/同郷六条五土知本里廿一坪/‖/七段 同郷七条五椹無里廿坪/‖/壱町 同郷六条四枚板里廿二坪/‖/壱町 同郷同条六柱本里九坪/‖/肆段 同郷四条四刑部里廿五坪 肆段ハ七段中万御前放券/肆段大 同郷八条九市村里卅四坪 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
岩崎郷 (安濃) 永正3.9.24 1506 〔真牧庵通雄屋敷譲状〕譲渡屋敷之事/合口二間 <在所岩崎郷> 県史中1(下)p.17
磯部中氏文書

年月日 西暦 原     文 出  典
草生村☆ 安西 永保2.5.10 1082 東大寺別院崇敬寺牒 斎宮別当殿衙/欲被早任官省符幷公判祭主宮司判状、永停止寺領草生庄田、在郡司等切充斎宮寮納米、令責勘庄内住人田堵等愁事/在安西郡草生村 県史古上(別)p.760
三国地志
荒木村☆ (安濃) 承安4.8.17 1174 〔伊奈冨神社納経奥書〕承安四年<歳次甲午>八月十七日、<辛未>始之、大勧進僧連円、奉加荒木村住人紀盛直執筆角氏愛子毗沙丸 県史古上p.554
鈴鹿市史p.13
稲生西宮大般若経奥書第四百三十一巻
曽禰村☆ 安濃 寛喜2.12.5 1230 〔小朝熊社神鏡沙汰文〕権官成康、有忠、成行、憲継神主、幷祝長清時、祝重松等参洛。着安濃郡曽禰村。 神道大系p.467
小朝熊社神鏡沙汰文
二村 安西 康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/散在寺領等証文紛失分/合/‖/一 伊向神田 安西郡<在之>/合/四段 建部郷十四条三牛父里十九坪/壱段小 同郷十八条二山耳里一坪/弐段 同郷十九条二村柴里十七坪 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
納所村☆ 安濃 天正7.10.10 1579 〔外宮神税帳〕外宮一同神税上分五郡之内毎年/‖/一籾 拾七俵半/右安濃郡納所村 四日市市史p.853
大神宮故事類纂(神領部二神領総載 下)

壱志郡

郷(里)

八太鉢多、日置、島抜之万沼支、民太美乃多、須可須加、小川、呉部久礼へ、宕野太岐乃

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
島抜郷 壱志 天平年間 729-749 【島抜】穂積臣浄麻呂<年卅八/伊勢国壱志郡島抜郷戸主壱志君挨〔族〕祖父戸口> 県史古上p.75
正倉院文書
小河郷☆ 壱志 応永12.2.- 1405 〔宇気比神社棟札銘〕【小川】棟札写/奉謹造栄棟帳事、大日国勢州一志郡四郷之内小河郷八王子殿若宮殿同珎主殿社棟御事 嬉野史p.24
宇気比神社棟札銘
片田郷☆ (壱志) 永享4.11.28 1432 〔足利将軍御教書〕御判/一霊松庵雑事与北畠中将雑掌相論伊勢国片田郷散在名雲出内吉安名事 松阪市史p.236
室町家御内書案
蘇原郷[29] (壱志) 嘉吉3.8.15 1443 〔須賀神社祈願書〕又勧請蘇原郷雖不知経幾星霜霊究明々被氏子迷暗、仰願弓矢斯張、子孫振武威、安富尊栄之益、宜相伝後々末葉云々、 嬉野史p.28
須賀神社祈願書
御麻十一郷 一志・飯高 文明14.2.7 1482 〔内宮一祢宜荒木田氏経書状〕一、一志・飯高両郡御麻十一郷河籠米事/内宮河籠米神役事 三雲町史p.94
内宮引付
安浅賀郷 壱志 天文15.6.27 1546 勢州一志郡安浅賀郷岩蔵谷正法山 浄眼寺 松阪市史p.359
大阿坂町浄眼寺文書
飯福田郷☆
後山郷☆
(壱志) 天正11.10.10 1583 〔織田信雄朱印状〕飯福田郷・後山郷都合拾五貫文遣之候、全可寺納之状如件 県史中1(下)p.662
輯古帖
県史中2p.388
飯福田寺文書
お山の郷
(小山郷) ☆
(壱志) 天正12.4.17 1584 〔沢満景・秋山家慶連署禁制〕お山の郷、らんほうらふせきとめおく者也 県史中2p.325
青巌寺文書
もりもと郷☆
(森本郷)
(壱志) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、六百七貫<此内二百貫 南いせもりもと郷相違 大田なハ/百八十貫<尾州林ノ郷相違 大炊なハ/二百廿七貫 北いせ朝明郡富田> 朝夕 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
多郎生郷[30]
上原郷
須賀領郷[31]
津屋城郷☆
中庄郷
石名原郷☆
市場庄郷☆
星合郷☆
田村庄郷
算所村郷☆
河上郷☆
常留郷[32]
二またの郷☆
(二俣郷)
壱志 天正20.2.- 1592 〔豊臣秀次朱印状〕勢州 先御代官服部采女分/一、参百四拾五石弐斗 勢州一志郡 多郎生郷/一、百拾弐石九斗二升 同 上原郷/一、千九拾弐石六升 同 須賀領郷/一、千参百四拾六石六斗 同 津屋城郷/一、千百参拾石七斗九升 同 中庄郷/一、五百三拾三石九斗弐升 同 石名原郷/一、六百拾七石九斗一升 同 市場庄郷/一、六百三拾三石四斗四升 同 星合郷/一、五百六拾壱石三斗七升 同 田村庄郷/一、弐百三拾六石二斗七升 同 河上郷/一、拾三石四斗五升 同 常留郷/一、参百四石壱斗二升 同 須賀領郷/一、参百五十壱石三斗六升 同 二またの郷 嬉野史p.37-38
生駒文書
七栗郷 壱志 文禄3.12.3 1594 〔豊臣秀吉朱印状〕伊勢国一志郡七栗郷中村之内九拾石、安芸郡久保田村内六大院拾石、都合百石事、令扶助之訖、全可寺納、居屋敷幷門前如先々、諸役令免除物也 県史中2p.244
大宝院文書

年月日 西暦 原     文 出  典
藤形(方)村☆ (壱志) 雄略12.3.2 〔日本書紀〕詔土師連等使進応盛朝夕御膳清器者、於是、土師連祖吾笥仍進摂津国来狭狭村、山背国内村、俯見村、伊勢国藤形村及丹波、但馬、因幡私民部、名曰贄土師部、 県史古上.24
日本書紀
西園村 (壱志) 文治3.4.29 1187 〔吾妻鏡〕三月公卿勅使駅家雑事、伊勢国地頭御家人等多以対捍之間、召在庁等注進状被下之、仍今日二品覧彼目録、仰不法之輩、可被誡向後懈緩之由、及厳密御沙汰云々、件目録云、/文治三年三月卅日/公卿 勅使伊勢国駅家雑事勤否散状事/‖/一不勤仕庄/‖/慧雲寺領<経俊>/西園村<同> 四日市市史p.104
吾妻鏡
中村☆
須可村☆
蘇原村☆
𩵔瀬村
壱志 文安1.11.1 1444 〔大神宮司下文様〕一、下/可早任先例員数致究済、令勤仕神役、阿射賀四ヶ村中村・須可村・蘇原村・𩵔瀬村毎年蕑萱米当年<乙亥>分神税米等事/右任先例員数致催済、可令勤仕神役之状如件、在郷宜承知、敢勿違失、故以下/年号十一月一日/大司大中臣朝臣/五ヶ里稲幷朝田伊幸戸、同阿射賀四ヶ所、中村 須可 蘇原 𩵔瀬等地頭十人之百姓ヨリ米二斗八升云々也 嬉野史p.29
三雲町史p.173
宮司引付
佐田村☆
大村☆
(壱志) 明応3.9.15 1494 〔小倭百姓衆起請文〕真盛上人様依御教化、難有存、於末代成願寺江如在仕間敷候、小山倭百姓衆、以起請定申条々事‖佐田村衆‖大村衆‖ 県史中2p.328
成願寺文書
上座村 壱志 慶長3.2.8 1598 〔豊臣秀吉知行目録〕知行方目録/本知/‖/一、八百五拾石/‖/一、弐百五拾石 大の村之内 嬉野史p.39
国立公文書館所蔵 内閣文庫
波瀬村☆
黒田村☆
三つかの村☆
古市村☆
岡村
南出村☆
壱志 慶長3.7.26 1598 〔豊臣秀吉知行目録〕知行方目録/一、弐千七百七拾八石三斗 勢州一志郡 波瀬村/一、弐百四拾七石三斗六升 同 黒田村/一、参百参拾五石四斗 同 三つかの村/一、弐百五拾六石四斗一升 同 古市村/‖/一、弐百九拾四石四斗 同 岡村/一、参百六拾壱石五升 同 南出村 嬉野史p.38
滋賀県分部宝物保存会所蔵 分部文書
滝野川村[33] 壱志 年月日未詳 〔愛宕山上福院龍泉寺由緒書〕当寺儀は其元聖武天皇勅願書にて領地を勢州一志郡滝野川村に給り一山之構、伽藍建立有之愛宕権現は近郷之産神、山号を則愛宕山滝野川寺と書して龍泉寺と唱え申候。 嬉野史p.32-33
龍泉寺文書

飯高郡

郷(里)

上枚加无津比良、下枚、丹生邇布/出水銀、英太阿加太、立野

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
□牧郷 飯高 8Cヵ 〔木簡〕(表)伊勢国飯高郡□枚郷<戸主夏身阿佐麻呂戸口敢石部/酒麻呂三斗戸主民忌寸大伴>/(裏)戸口祭福飯得三斗/右二人相一俵 県史古上p.796
平城宮発掘調査出土木簡概報24(二条大路木簡)
下牧郷 飯高 8Cヵ 〔木簡〕【下枚】(表)伊勢国飯高郡下牧郷戸主内飯得/(裏)一俵 県史古上p.796
平城宮発掘調査出土木簡概報29(二条大路木簡)
上平郷 飯高 寛和年間[34] 985-987 【上牧】尼某甲、伊勢国飯高郡上平郷人也 県史古上p.321
日本往生極楽記第32話
無坂真弓郷[35] (飯高) 建武2.8.23 1335 〔後醍醐天皇綸旨案写〕伊勢国無坂真弓郷、為御祈祷料所可令知行給之由、 天気所候也 県史中2p.1089
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻22)
立野郷☆ 飯高 康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/散在寺領等証文紛失分/合/‖/一 修理料田一町四段/‖/六段同郡立野郷十条十二猿喰里十五坪二段十六坪四段 県史古中(荘)p.721-747
松阪市史p.218
大神宮法楽寺文書紛失状
神戸六郷 (飯高) 応永22.3.28 1415 〔澤氏古文書〕神戸六郷内司職幷検断之事 如法可令致沙汰給候 松阪市史p.521
澤氏古文書
大河内郷☆ (飯高) 文明13ヵ.8.11 1481 〔仲嶋俊貞書状〕就大河内郷杣預無沙汰之儀、委細預貴札候 県史中1(上)p.728
内宮引付
御麻十一郷 一志・飯高 文明14.2.7 1482 〔内宮一祢宜荒木田氏経書状〕一、一志・飯高両郡御麻十一郷河籠米事/内宮河籠米神役事 三雲町史p.94
内宮引付
野村郷☆ 飯高 天正16.11.20 1588 〔寺倉勝治所領寄進状〕字カラス飯高郡野村郷之内下一反大、一段十歩、一石九斗八升之内一石之分者 県史中1(下)p.259
天正十六年所領寄進状
深野郷☆ (飯高) 天正17.10.19 1589 〔蒲生氏卿判物〕深野郷夫銭ニ相定候、然者、年中ニ五拾貫文定、但毎月ニ可出通可申付者也 県史中2p.435
野呂文書
岩内之郷☆ (飯高) 天正19.6.- 1591 〔石黒貞秀寄進状〕岩内之郷正林坊屋敷分八木五斗之通、為扶助山林共ニ令寄進候 県史中2p.416
石黒貞秀寄進状
上川郷
小野郷
飯高 天正20.2.- 1592 〔豊臣秀次朱印状〕勢州 先御代官服部采女分/一、千五百廿三石九斗一升 飯高郡内 上川郷/‖/一、四百五拾弐石四斗 同 小野郷 嬉野史p.37-38
生駒文書
鎌田郷☆ 飯高 文禄3.9.5 1594 〔服部一忠寄進状〕飯高郡鎌田郷之内を以、為大峯領五拾石、永代令寄進畢 県史中2p.622
服部一忠寄進状

年月日 西暦 原     文 出  典
田村☆ 飯高 康永2.6.13 1343 〔玉田寺大般若経奥書〕伊勢国飯高郡田村玉田禅寺常住経也 松阪市史p.405
玉田寺大般若経奥書
殿村☆ 飯高 康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/散在寺領等証文紛失分/合/‖/一 畠地一処 在飯高郡殿村所在大福寺御園内<号田井良垣念仏院領> 県史古中(荘)p.721-747
松阪市史p.218
大神宮法楽寺文書紛失状
井村☆ 飯高 延文5頃 1360頃 〔神鳳抄〕伊勢国/‖/飯高郡‖井村<三石六九十二月> 神宮神領記p.270
神鳳抄
山村☆ (飯高) 文明5.9.- 1473 〔山村氏神之事の条〕于爰山村の八王子幷天王ハ此里に古たる宮居之跡ありしを我今三代目之侍従として此里人我ヲ尊敬ニ依而右天王八王子を奉勧請御同体者、大津之里の天王八王子同し也、‖矢川庄神楽司 御守屋侍従 松阪市史p.28
御守屋記録(旧松阪市史編纂所写)
矢川村☆
郷津村[36]
高町屋村☆
(飯高) 文明5以降 1473以降 〔乍恐奉申上候口上の条〕一村々神役相勤候儀いつ之頃ゟ相勤候哉猶又節々村方‖頼ニ参ゝ(候)哉又ハ頼ニ不参候ても罷越候哉可奉申上旨仰聞奉畏左ニ奉申上候/矢川村/住吉社/右は治承年中ゟ相勤尓今 山神/毎年霜月十六日相勤申候。 八幡宮/小川塚/山村/牛頭天王/八王子/右は文明五年勧請仕尓今毎年九月八日夕方同九日朝とも相勤申候/郷津村/牛頭天王/右文明五年ゟ尓今年正月十五日六月十五日九月十五日十一月十五日相勤申候。/高町屋村/白山権現/右文明五年巳三月十八日勧請仕尓今正月十八日三月十八日六月十八日九月十八日十一月十八日相勤申候。 松阪市史p.29
御守屋記録(旧松阪市史編纂所写)
大津村☆
西きしへ村☆
(西岸江村)
飯高 慶長3.2.8 1598 〔豊臣秀吉知行目録〕知行方目録/本知/‖/一、弐百石 大津村之内/‖/一、弐百五拾石 西きしへ村 嬉野史p.39
国立公文書館所蔵 内閣文庫
藤ノ木村☆
岸江村☆
飯高 年月日未詳 〔伊勢国司分限帳〕源氏飯高藤ノ木村ニ住今多気郡笠城村ニ子孫有松井半兵衛/同織部正/同数馬正/‖/藤氏飯高郡岸江村ノ住御使番/橋本玄番頭/同主税之助/同数馬首/‖/飯高郡井村/同九良兵衛/同内蔵之丞 松阪市史p.228
伊勢国司分限帳

飯野郡

郷(里)

乳熊千久万、兄国江久尓、黒田、長田、渭代

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
黒田郷 飯野 8Cヵ 〔木簡〕【黒田】(表)伊勢国飯野郡黒田郷/(裏)加知」」」」 県史古上p.796
木簡研究16
謂手郷[37]
(井手郷)
(飯野) 承和2.4.15
*応徳3.7.-
835
1086
〔川合荘文書進官目録案*〕【渭代】若進文書粉失日、以此定案詞、後代可尋申/川合庄依沙汰進官文書目録等事/合/‖/一、承和二年四月十五日、在国田所判官代等勘定云、以庄外施入東寺田、以庄内公田廿一町二段百廿歩、謂手郷卅二烟、各公田相博之由勘定、所謂庄外施入東寺田川合勅旨六十六町、両郡<飯野/多気>諸郷散在也 県史古中(荘)p.396
松阪市史p.166-167
東寺百合文書 ニ函3
中万郷☆ 飯野 天暦7.2.11 944 【乳熊[38]】飯野郡中万郷宮守村在垣内壱処 県史古上p.299
近長谷寺資材帳
稲木郷☆
横道郷☆
(飯野) 天治2.11.- 1125 〔大国荘専当藤原時光解〕大国御庄専当藤原時光解 申請 祭主裁事/言上二箇条愁状/一、請被任水便道理、下遣清直実検使、且不致当御庄領田畠損亡、且無溝末煩、令掘宛字大堰、往古溝為去九月一日洪水依流失、為堰長末久幷稲木横道両郷住人等、背御庄指南、幷不可有末煩、所々水便、恣従本家御正作田字三坪中、擬令堀通間、田畠一町余歩可令掘損子細状 松阪市史p.196
東寺百合文書
兄国郷 (飯野) 長承2.5.- 1133 〔大国荘田堵住人等解案〕【兄国】大国御庄田堵住人等解 申請 本家 裁事/請殊任 民部省図勘文幷相伝旧領道理、申下 宣旨、被令停止横妨/為神郡封戸給主等、自去承和・延喜以来相互無相論経三百歳、各領掌後、今俄経訴祭主、請下検非違使俊長等、令違乱往古旧領七个坪ゝ、恣当庄領能田畠二町余歩、以去四月十一日破取不安愁状/在管飯野郡十一条六井於里坪ゝ/同里号二坪田二反百廿歩御正作田也、而種蒔耕作後、井手郷兄国子屎戸破取/‖/一反兄国郷p部小藤子戸破取/‖/同里以廿三坪改十三坪田二反百四十歩、兄国郷石部貞吉戸破取/同里以廿二坪改十四坪田五反八十歩畠一反、兄国郷秦菅町戸破取 県史古中(荘)p.433
松阪市史p.200
東寺百合文書 ほ函6
長田郷 (飯野) 天福2.1.20 1234 〔度会広光処分状〕【長田】分行 少財物事/嫡子官符権祢宜長光神主分/一戸田/壱段 長田郷秦十二月丸戸 県史中2p.849
光明寺文書
東里 飯野 元徳3.2.- 1331 〔楞厳院児童千菊丸重申状〕楞厳院樺尾谷児童千菊丸謹重言上/欲早重被経御 奏聞、被下 綸旨於祭主卿、召出謀書人行言陳状、糺明真偽、預 勅裁、全領掌大夫房晴春遺跡飯野郡東里外以下田畠等事 県史中1(下)p.458
仁治三年御仮殿記紙背文書
莫大郷
黒部郷
里田郷
飯野 康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失記〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/散在寺領等証文紛失分/合/‖/一 戸田壹段 在飯野郡中万郷秦貞真戸授給内字和田/‖/一 飯野郡兄国郷私部教町子戸/‖/一 畠地七段 在飯野郡黒田郷田村四神山里廿三四坪/‖/一 畠田参段 在黒田郷九条高宮里十一坪/‖/一 戸田一段 春秀戸 在飯野郡阿波曾村在之字大窪/肆段莫大郷十一条六行山里六坪/‖/一 灯油料畠地三町四段/飯野郡三段 在黒田郷九条三高宮里九坪内/‖/飯野郡七段半内 六段黒部郷七条一堺里廿一坪内 一段半同里廿坪/‖/一 燈油料畠地参町四段/‖/飯野郡三段/在里田郷九条三高倉宮里九坪内 /‖/飯野郡七段半内/六段黒田郷七条一堺里廿一坪内/‖/一 戸田壱町<但見作玖段>/在兄国郷秦妙成戸授給内八条二大墓里八坪 県史古中(荘)p.721-747
松阪市史p.218
大神宮法楽寺文書紛失状
立理郷[39]
魚見郷☆
朝田郷☆
宮田郷
(飯野) 正平7.-.- 1352 〔釈尊寺手継案〕神三郡之内 太神宮法楽寺棚橋領<幷末寺領等事>/一職田 九貫文<立理郷/坂本郷>二ヶ郷/一七段田三百代<段別魚見郷/斎宮郷>二ヶ郷 坊人十三人朝田郷、立理郷、宮田郷 松阪市史p.221
法楽寺文書紛失記同綴
西黒部郷☆ (飯野) 永享10.11.- 1438 〔大宮司大中臣長盛代宗吉申状〕大宮司長盛代宗吉謹言上/抑於忠氏者、朝敵与同忠隆之正流、令相続其遺跡、剰為西黒部郷之下司、既交平民令放埒畢 県史中1(上)p.222
松阪市史p.44
氏経卿引付
野原郷
下野原郷
(飯野) 永享10.11.16 1438 一野原郷、当時西相計、経満神主給人為領家時、袖判、当年御年貢‖公事物等、任例可被致沙汰之由、領家殿仰所也。/長持奉/年号十二月日 野原郷沙汰人中<政所殿/トモ書>/‖/下野原郷追捕使職事/氏名乗/右件職所令補任也任先例為専神役公役之状如件仍郷人等宜承知莫違失故以下。/‖/野原郷領家禰宜荒木田神主判 松阪市史p.45-46
内宮年中神役下行記
よこちの郷☆
(横知郷)
(飯野) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、三百四拾貫<北伊勢富田之内百七拾貫 朝明郡/南伊勢よこちの郷内相違「百七十貫根村縄」> 梅心 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)

年月日 西暦 原     文 出  典
飯野高宮村 (飯野) 天智天皇3.-.- 670 多気郡四箇郷申割弖、立飯野高宮村屯倉弖、評督領仕奉支、即為公郡之、 県史古上.35
皇太神宮儀式帳
宮守村 飯野 天暦7.2.11 944 飯野郡中万郷宮守村在垣内壱処 県史古上p.299
近長谷寺資材帳
麻生曾村
大国村
横道村[40]
(飯野) 保安2.9.23 1121 〔大国荘流失田畠注進状〕大国庄注進為去八月廿五日洪水、且流失、且砂埋田畠損亡子細状/一、御庄内麻生曾村田一町、桑畠四段、/‖/一、大国村田三町八段半、畠一町一段之中五段桑畠<已損> 一、横道村田八町四段半、桑畠二町二段三百歩 県史古中(荘)p.424
松阪市史
p.192
東寺百合文書
稲木村☆ (飯野) 保安3.3.11 1122 〔大国荘専当藤原時光・菅原武道等解案〕大国御庄専当時光・武道等解 申重請 本家 政所裁事/言上三箇条雑事/‖/一、他庄幷公郷料始新堀溝二所之中一所令掘之間、庄田損失一段余歩、雖不幾、依為田数之内、所注進也、一所為字稲木村刀祢住人等、乍置以往溝口、御庄司在京之間、訴大神宮司、従当御庄田字八段長中心五町許大溝押掘之間、令損失庄田一町三段、敢不可寄作者也 県史古中(荘)p.426
松阪市史p.194
東寺百合文書
射和村☆ (飯野) 弘安5.4.9 1283 一、刀祢補任状様/祭主下 太神宮司/正六位上兄国時尚/右人、補任射和村刀祢職如件、因准傍例、令勤仕神役公役、以下 県史中1(上)p.1197
公文筆海抄
土田村
田村
上蛸道村
(上蛸路村)
阿波曾村
(飯野) 康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御園内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/散在寺領等証文紛失分/合/‖/一 治田一段 在飯野郡土田村字阿世迫‖/一 畠地七段 在飯野郡黒田郷田村四神山里廿三四坪/‖/一 治田一段 在上蛸道村字乙戸田/‖/一 戸田一段 春秀戸 在飯野郡阿波曾村在之字大窪 県史古中(荘)p.721-747
松阪市史p.218
大神宮法楽寺文書紛失状
宮田村 飯野 貞治7.2.7 1368 〔前大宮司忠緒朝臣代伴朝臣幸立申紛失日記〕右田畠幷林等者、或先祖相伝之地、或連ゝ買得之所領也、仍旧領当知行無相違、而去暦応元年<戊寅>七月晦日玉丸城軍勢等、寄来宮田村放火之間、忠緒朝臣宿所炎上之時、所帯田畠等文書依例紛失、 松阪市史p.74
宮田宮司神領記
朝田村☆ (飯野) 15C頃 一、下/可早任先例員数致究済、令勤仕神役、朝田村伊幸戸役当年<乙亥>分神税米等事 県史中1(上)p.1265
宮司公文抄
安楽村☆ (飯野) 天文21.3.11 1552 覚/一川之事、楠木助右衛門、佐八忠大夫相談ノ上安楽村市郎右衛門方も尋候ヘハ、如先年之川少もかまい無之候と申来候間、爰元百姓中ニも様子申聞セ候処ニ、近年魚無指上ヶ候間、横地村領分ニつき申候川之分へは元ゟ魚取、当年より三千之鮎之魚年貢之内相済候ハゝ川之義は永代かまい無之条、為後日之一筆如件。/‖横地村/‖/同村/地下中/土田村/‖/同村/地下中旨 松阪市史p.49
漕代地区所蔵文書
松なせ村
うをミ村
飯野 慶長3.2.8 1598 〔豊臣秀吉知行目録〕知行方目録/本知/‖/一、三百拾三石弐斗壱升 松なせ村/‖/一、弐百石 うをミ村 嬉野史p.39
国立公文書館所蔵 内閣文庫

多気郡

郷(里)

相可阿布加、有弐宇尓、多気多計、麻続乎宇美、三宅美也計、流田奈加礼多、櫛田久之多

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
麻績郷
(麻続郷)
(多気) 垂仁26.-.- 〔倭姫命世記〕【麻続】倭姫命入坐飯野高丘宮、作之機屋、令織大神之御服、従高宮而入坐礒宮、因立社於其地、曰名服織社、号麻績郷者、 松阪市史p.107
倭姫命世記
竹郷 多気 天長2.乙巳 825 【多気】一斎宮寮<在多気郡竹郷> 神道大系p.5
神宮雑例集
相可郷☆ 多気 天暦7.2.11 944 【相可】多気郡相可郷十六条三疋田里五坪二段 惣肆段八坪二段 県史古上p.294
近長谷寺資材帳
有尓郷[41] 多気 延久3.5.2 1071 【有弐】神領管多気郡有尓郷池上村深田之中、掘出木仏三体之由有其聞 県史古下p.523
神道大系p.86
神宮雑例集巻第二政印事
流田郷
井手郷
多気 承暦3.-.- 1079 【流田】一神服麻続両機殿/神服機殿<在多気郡流田郷服村>/麻続機殿<在同郡井手郷> 神道大系(神)p.4
神宮雑例集
櫛田郷 (多気) 文治3.5.26 1187 〔吾妻鏡〕【櫛田】宇治蔵人三郎義定代官押領伊勢国斎宮寮田櫛田郷内所処云々 松阪市史p.41
吾妻鏡
三宅郷 (多気) 建久3.6.3 1191 〔皇太神宮年中行事(十月)〕【三宅】一同日、御綿奉納神事。/‖/司/進納荷前御綿絹等事/‖/油五升 三升中万郷<下符> 二升三宅郷<下符> 神道大系p.380
皇太神宮年中行事
池上郷
岡前郷
笠服郷
佐奈郷
(多気) 正嘉3.1.- 1259 〔二所大神宮使等申状〕去年四月おお使末俊幷神宮方方使等入部、任長久施入、致沙汰之間、於當郷園田おお段余者、弁済所当、取放返抄畢、至其余者、皆以非當郷園所在、麻続pp田・池上・岡前・笠服・佐奈郷々所在也 松阪市史p.86-90
神宮文庫文書
河田郷 (多気) 文永11.5.6 1274 〔関東下知状案〕山内新三郎左衛門尉通茂法師<法名道専>・左衛門三郎義‐<通字有憚>与棚橋律師通海代僧禎海相論伊勢国河田郷地頭職事 県史古中(荘)p.684
田中譲氏旧蔵典籍古文書 大神宮法楽寺文書紛失記
坂倉郷 (多気) 嘉暦3.8.22 1328 〔嘉暦三年戊辰九月十日公卿勅使御参宮日記〕五相可住僧雲法師、引率當他国悪党、致合戦由事、‖早二宮使共、重々向在地、相尋刀禰四郎左衛門入道以下村人、幷坂倉郷律師僧雲法師等、且死人在所、東西垣墻之有無、加見知、細碎可注進之。 神道大系p.355
公卿勅使記
服郷 (多気) 元徳3.2.- 1331 〔楞厳院児童千菊丸重申状〕楞厳院樺尾谷児童千菊丸謹重言上/欲早重被経御 奏聞、被下 綸旨於祭主卿、召出謀書人行言陳状、糺明真偽、預 勅裁、全領掌大夫房晴春遺跡飯野郡東里外以下田畠等事/‖/右伊勢国飯野郡東里外以下田畠者、為伯父大夫房晴春遺跡、千菊丸相伝知行之所帯也、爰同国服郷住人四郎大夫行言、構出謀書、相語悪党人等、令濫妨彼田畠等、致種々狼藉之間、就訴申 県史中1(下)p.458
仁治三年御仮殿記紙背文書
田邊郷 多気 延文5頃 1360頃 〔神鳳抄〕伊勢国/多気郡/‖/麻続郷 三宅郷 有尓郷 田邊郷 相可郷 流田郷 櫛田郷 神宮神領記p.270
神鳳抄
中村郷☆ (多気) 応永34.2.24 1427 〔新楽寺光守田畠寄進状〕永/奉寄進新楽寺訪料田畠事/合/一反 中村郷尼田庄垣内 五郎法師 福太郎百姓ナリ 県史中2p.436
大西春海氏所蔵文書
前野四ヶ里
前野郷
(多気) 享徳2.11.- 1453 〔神三郡内内宮領注文〕三郡内神税徴納注文/‖/一、笠服土羽禅師跡上分<略>/一、同郷刀祢職/‖/一、多気郡前野四ヶ利(里)上分、内宮御饌米料十貫文在所、家城・高柳方御代官、神宮減少沙汰/‖/一、前野郷内上分田三段、二段蛭奥方押領、一段沢方代官押領/‖/佐奈郷内官民領、当宮河原御祓酒肴料所、九月十六日・十二月両度分 県史中1(上)p.259-260
松阪市史p.91
三雲町史p.174
氏経卿引付
佐奈十一郷☆
御糸六十六郷
(多気) 享徳4.4.5 1455 〔内宮庁宣〕一、庁宣/可早任先○(規傍)例、致催促沙汰、伊勢国神三郡内佐奈十一郷御糸六十六郷、太神宮御裳濯河堤防役河籠米事 県史中1(上)p.275
氏経卿引付
四ヶ郷
斎宮☆
上野☆
竹河☆
有尓中村☆
(多気) 天正11.10.8 1583 〔織田信雄朱印状〕【有弐】目録/一、斎宮 一、同上野/一、竹河 一、有尓中村/已上/右、四ヶ郷合弐千五百貫文、大神宮<内/外>為 御供料、奉 神納畢、全社務不可有相違之状如件 県史中1(下)p.142
織田信雄朱印状
柳原郷 (多気) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、五百貫 <尾 せこの郷/南伊勢柳原ノ郷 是ハ相違> 滝口五「右」衛門 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
中うミ郷
(中海郷)
(多気) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、弐百六拾貫文<南伊勢河原郷 根村なハ 卅貫 両所相違/南伊勢中中うミ郷 滝なハ 百卅貫/北伊勢いなへ郡/かたひの郷 百拾貫> 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
鳥羽郷☆ 多気 天正17.9.1 1589 〔蒲生氏郷宛行状〕於多気郡鳥羽郷之内、七拾石全可領知候也 県史中1(下)p.834
徴古文府
大国郷
抽田郷
坂本郷
斎宮郷
(多気) 年月日未詳 〔法楽寺棚橋領目録〕神三郡之内 太神宮法楽寺棚橋領<‖末寺領等事>/一、川田散在<米四石二斗/銭三貫文><大国郷・抽田郷/坂倉郷、以上三ヶ郷>/一、職田 九貫文<立理郷/坂本郷>二ヶ郷/一七段田三百代<段別魚見郷/斎宮郷>二ヶ郷 坊人十三人朝田郷、立理郷、宮田郷 県史古中(荘)p.770
松阪市史p.221
田中穣氏旧蔵典籍古文書 伊勢国釈尊寺手継案

年月日 西暦 原     文 出  典
逢鹿村[42] 多気 垂仁天皇25.3.- 〔垂仁天皇二十五年三月の条〕飯野高宮。遷幸于伊蘇宮坐時倭姫命詔久。‖伊蘇宮任多気郡逢鹿村字古宮本。 松阪市史p.37
増補重校・神名秘書
有尓鳥墓村 (多気) 孝徳天皇 (645-654) 有尓鳥墓村造神【广+寺】弖、為雑神政所仕奉支、 県史古下p.54
皇太神宮儀式帳
宇保村 (多気) 承和12.11.15 845 〔伊勢国符〕国符 多気・飯野両郡司/可任官符旨如旧免jjjjjjj領二箇所事/‖/一処大国庄<略>/四至<限東宇保村高岡 限南多気郡佐奈倉崎/限西中万氏墓 限北四神山里縄幷大溝> 松阪市史p.131
東寺文書礼(平安遺文)
池上村[43] 多気 延久3.5.2 1071 神領管多気郡有尓郷池上村深田之中、掘出木仏三体之由有其聞、 県史古下p.523
神宮雑例集巻第二政印事
服村 多気[44] 承暦3.-.- 1079 一神服麻続両機殿/神服機殿<在多気郡流田郷服村> 神道大系(神)p.4
松阪市史p.109
神宮雑例集
岡前村 (多気) 応徳2.6.6 1085 〔大国荘政所日記〕東寺領大国庄政所応徳二年六月六日立日記/‖/「件日記被注稲木小大夫従類所為、殆似乱行企、不待使沙汰、件田競殖之上、為沙汰雖加制止、不承引旨実正也、仍加進署名之/在地岡前村刀祢御薗預県用吉 県史古中(荘)p.389
東寺百合文書 せ函古5-4
池部村 (多気) 応徳2.6.9 1085 〔伊勢神宮検非違使新家俊晴解〕使検非違使俊晴解 申進 申文事/‖/以去五月廿八日延能神主進於祭主之申文状云、請被任道理‖本寺御下文旨、且裁定、且令停止、為東寺御領大国庄司円順、押妨作相伝作川合庄田参町状、在池部村岡前里、坪付在本寺御下文面、右状云々、 県史古中(荘)p.390
東寺百合文書 せ函古5-6・な函1-1
田中村
野中村
宇保上村
多気 康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/散在寺領等証文紛失分/合/‖/一 畠地壱処/在多気郡田中村字牟山垣内<付西方>/‖/一 治田壱段/在多気郡田中村十九条五足東里廿六卅坪内字柴迫/一 畠地壱段/在多気郡田中村廿条九御本里十六・十七坪内字上垣/‖/一 畠地壱段/在多気郡有爾郷野中村字須山野自道南伍段/‖/一 田地壱段/在多気郡野中村字瓜田垣内/‖/一 林壱処 号伊賀利林/在多気郡有爾郷野中村林<伊賀利垣内>/‖/一 田畠壱処/在多気郡有爾郷野中村内 字桂迫/‖/一 畠地一段半 在宇保上村内 四至<東限四市別当中垣 南限伴追捕使領居住 西限宇保庄溝 中切北限上堀> 県史古中(荘)p.721-747
松阪市史p.218
大神宮法楽寺文書紛失状
内原村
内佐奈村
多気 延文5頃 1360頃 〔神鳳抄〕伊勢国/多気郡/‖/矢田御厨<田中村三丁>‖田邊郷<内原村> 相可郷<内佐奈村> 神宮神領記p.270
神鳳抄
大淀村[45] 多気 応永31.1.2 1424
ほか21通
〔竹大與杼神社神事頭番帳〕大淀村 産土神社 御神事頭番帳 県史中2p.502
竹大與杼神社文書
池村☆ (多気) 永享11.12.29 1440 〔神宮検非違使新家真成奉書〕一、池村徳智庵、就刀祢職公事、資材物等雖注置、難去依有口入被差閣也 県史中1(上)p.192
道後政所職
前野村☆
矢田村☆
多気 天正12.11.26 1584 〔蒲生賦秀寄進状〕於多気郡之内前野・矢田村、弍拾貫令寄進訖、可有全領知候 県史中2p.554
岩井田文書
笠城村 多気 年月日未詳 〔伊勢国司分限帳〕源氏飯高藤ノ木村ニ住今多気郡笠城村ニ子孫有松井半兵衛/同織部正/同数馬正 松阪市史p.228
伊勢国司分限帳

度会郡

郷(里)

宇治、田辺多乃倍、城田岐多、湯田由太、伊蘇以曽、高田多加无古、箕田美乃和、継橋津岐波之、二見布多美、伊気以計

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
宇治郷 度会 垂仁天皇25.-.- (BC1C?) 【宇治】天皇即位廿五年<丙辰>、‖三月之後、差度会郡宇治郷五十鈴之川頭天進参来、 県史古下p.42
太神宮諸雑事記第一
沼木郷 度会 雄略天皇21.-.- (5C) 伊勢国度会郡沼木郷山田原宮仁奉鎮給<倍利、今号豊受太神宮是也>、 県史古下p.49
太神宮諸雑事記
城田郷 度会 天平20.-.- 748 【城田】任宮司従五位下津嶋朝臣小松、件小松、以去十五年正月廿三日、度会郡城田郷、字石鴨村新築固池一処既畢、依件成功、叙従五位下之後、拝任宮司也、 県史古上p.74
県史古下p.72
太神宮諸雑事記
継橋郷 (度会) 天平勝宝6.6.26 754 【継橋】豊受宮御稲御倉之放棟天、盗取御稲十八束畢、‖付跡尋求之処、‖神主元継之私宅捜出多利件元継者継橋郷美乃乃村住人也、 県史古上p.83-84
県史古下p.74
神道大系p.327
太神宮諸雑事記第一
湯田郷☆ 度会 延暦16.8.3 797 【湯田】桓武天皇、延暦十六年丁丑八月三日官符、移立離宮院於度会郡湯田郷之時、件社自津嶋崎奉遷鎮彼院西方也 県史古上p.136
神道大系p.6
神宮雑例集
沼木郷 度会 延暦16.8.3 797 一離宮院/延暦十六年丁丑八月三日官符、従度会郡沼木郷高川原、移造於同郡湯田郷宇羽西村畢 県史古下p.97
神道大系p.7
神宮雑例集巻第一御鎮座事
継椅郷 度会 8Cヵ 〔木簡〕伊勢国度会郡継椅郷庸米四斗」」」 県史古上p.797
平城宮木簡4
土橋郷 度会 8C 夫所以号度会郡者、‖大国玉神、資弥豆佐ゝ良比売命参来、迎相土橋郷岡本村、天日別命、観地出之参会曰、刀自尓度会焉、因以為名也、 県史古上.12
伊勢国風土記
宇治里 度会 延暦23.3.14 804 【宇治】伊勢大神宮禰宜謹解申儀式幷年中祭行事/‖/天照坐皇大神‖/同殿坐神二柱‖/御坐地、度会郡宇治里、‖天照坐皇大神乃伊勢国度会郡宇治里佐古久志留伊須ゝ乃河上尓御幸行坐時儀式、 県史古下p.102
皇太神宮儀式帳・止由気宮儀式帳
二見郷 度会 延長5.-.- 927 【二見】凡斎王到国之日、取度会郡二見郷磯部氏童男、卜為戸座、‖、但遭喪及長大即替之、 県史古下p.278
延喜式巻五神祇五斎宮
久見郷[46] 度会 延長7.11.27 929 豊受宮神口分田事/肆段/右、件神戸田、在度会郡久見(ママ)郷七条廿二里十八坪北富原也、内一段卅六歩宅地、一円知行之者也、三百廿四歩者公田也、正税肆斗伍升、夫用途弐伯弐拾五文可弁者也、於久見郷百万之一、雖有課役之子細、此下地者、課役之事不有、可令承知、以状具解 県史古上(別)p.676
吉田文書
田辺郷[47] 度会 天暦7.2.11 944 【田辺】度会郡田辺郷里条金尾原地壱処 県史古上p.298
近長谷寺資材帳
伊介郷 (度会) 長暦3.2.15 1039 【伊気】太神宮禰宜等京上了、‖、抑神宮乃訴、十三箇条也、‖、第九、伊介二見両郷調塩二百十斤不弁済事、 県史古下p.437
神道大系p.400
太神宮諸雑事記第二
箕曲郷 (度会) 天永1.⑦.13 1110 【箕田】分充小財物等事/合/一男豊受太神宮権禰宜度会神主雅平給物/正家弐処/一処、在箕曲郷河辺村、立屋四宇 県史古上(別)p.648
光明寺古文書
県史中2p.963
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻10)
山田郷 度会 平治1.8.15 1159 平治元年己卯八月十五日伊勢国度会郡山田郷 県史古上p.529
朝熊山十九号経塚銅製経筒銘
原郷[48] (度会) 建久3.6.3 1191 〔皇太神宮年中行事(三月)〕一山宮祭木目神事。今月中日ヲ撰、木目時分也。/‖/抑巡番禰宜不慮指合出来之時者、次座参向。其猶蒜ヲ喰事在之時者、次々ノ傍官ヲ自官首被差進例也。若依洪水等通路不叶者、原郷邊ニ居住物忌父等‖祝参集、神事ヲ遂行例也。 神道大系p.279
皇太神宮年中行事
野別郷
打見郷☆
(度会) 建久3.6.3 1191 〔皇太神宮年中行事(九月)一廿二日、瀧原竝宮祭禮、五六禰宜間ニ参向次第同六月。但今度ハ幣使米三斗自野原進。人夫一人自野別郷進。今日ハ餉河原ノ饗膳勤之。仍晝飯略之。其外之次第神事等如六月。自帰参途中打見郷人夫相替。 神道大系p.375
皇太神宮年中行事
伊蘇郷☆ (度会) 寛喜4.3.5 1232 〔藤原氏吉戸田売券案写〕【伊蘇】謹辞 定永財沽渡進戸田新立券文事/合壱段者/在伊蘇郷右部元箕曲郷清眉女授給内者 県史中2p.1022
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻16)
高向郷☆ (度会) 弘安4.12.23 1281 〔祭主大中臣定世下文〕【高田】下 使成澄・弘茂/可早沙汰、平真行与僧常円訴論妙楽寺寺務間事/右件事、就訴陳状、先日裁許真行之処、常円欝陶相貽致越訴之間、召證文等、重令比校之処、建仁利延仮字文常円条々加疑難之中、滋光戸一烟之由差載彼状、件戸者本名清守也、建仁二年改名于滋光之処、彼仮字文、為建仁元年状之由真行於令称者、改名以前、争可書新名哉、為詐構状之旨訴申之間、尋糺之処、司中調所目代惟貞出対祖父惟憲自筆建仁元年外宮寄戸帳、高向郷秦滋光戸之由載之、然者二年不改名之条粲然也 県史中2p.1167
国立歴史民俗博物館所蔵光明寺古文書
内城田郷
氷室郷
長田郷
度会 康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事//‖/散在寺領等證分紛失分/合/‖/一 久具村 庄厳寺領/在同郡内城田郷内/‖/上津久田村一円 松尾寺領/在同郡内城田郷内/一 伊介御厨半分<一名小浜>/在同郡二見郷内/‖/下小河村 古利寺領/在同郡内城田郷内/‖/一 南迫壱所<一名田摩>/在同郡内城田郷内/‖/一 田地五段 西光寺領/在同郡同郷内長津久田村在之字迫田/‖/一 戸田弐段/在度会郡城田郷礒部名生子戸授給田十九条一採赦里廿六坪内/一 戸田壱段/在度会郡城田郷礒部明生子戸授給田十九条一土呂赦里廿三坪内/‖/一 治田壱段/在同郡城田郷字賀茂池従中溝西参段内南長者/一 治田壱段/在同郡城田郷完河参段内付南方/一 畠地弐佰七拾歩/在同郡湯田郷下宇羽西村字前田畠/一、畠地壱段/在同郡湯田郷下宇羽西村正家垣内/‖/一 田地壱段/在同郡伊蘇郷野依村野中御薗田内字今野田四段内西副壱段/一 畠地肆段/在同郡湯田郷下宇羽西村字前野太畠/‖/一 畠地伍段/在度会郡湯田郷下宇羽西村内/‖/一 治田弐段/在同郡湯田郷松倉村字土渕<但松本>/一 治田壱段 畠弐百歩/在同郡湯田郷下津宇羽西字p壟/‖/一 田地佰捌拾歩 畠地肆段佰捌拾歩/在度会郡湯田郷下宇羽西村字前田 畠地モ一所一也/‖/一 畠地壱段/在度会郡同郷同村字宮前畠/‖/一 畠地二佰‖歩/在湯田郷松倉村公保垣内付南方壱段次/一 畠地壱段/在度会郡湯田郷松倉村字松本大垣内/‖/一 畠地壱処/在度会郡湯田郷下松倉村物部徳本居住畠/‖/一 畠地壱処/在度会郡城田郷山上村十五条五‖田里字小山田垣/‖/一 畠地壱段/在度会郡城田郷山上村三字子畠/‖/一 畠地陸拾歩/在度会郡城田郷矢野村字大殿垣壱段内/‖/一 畠地参佰歩/在度会郡城田郷矢野村字大辻垣内/‖/一 戸田壱段佰捌拾歩/在度会郡箕曲郷小月奥平戸授給肆条矢野里卅肆坪内/一 浮嶋壱処/在度会郡二見郷内/一 畠地壱段/在度会郡湯田郷長深村四土p里十五坪内付西畔本/‖/一 田地弐段小 重光戸/在度郡湯田郷筒岡所在字木坪/‖/一 畠地弐段/在度会郡湯田郷小俣村内字正家垣内/‖/一 戸田弐段 伴吉丸戸/在度会郡有爾郷十二条榎撫里廿二坪内/一 畠地壱段/在度会郡田辺郷中村九条四竹依里八九坪内/‖/一 畠地壱処/在度会郡田辺郷大原村字松本/一 田地壱段/在度会郡氷室郷字馬渡/一 田地壱段/在度会郡城田郷廿条五久具里廿三坪内石部有行戸授給字山田<二段之内/付南>/‖/一 戸田壱町捌段/在度会郡城田郷私部三郎丸戸授給内/‖/一 畠地一処 参段余歩/在度会郡城田郷野辺村三尊寺敷地/‖/一 畠地壱段/在度会郡有爾郷二絖河里十八坪内/‖/一 田地伍段/在度会郡湯田郷長深村九条四葦里三十坪字中村/一 田地壱段/在度会郡湯田郷長深村五打里内字棒野田/一、田地壱段/在度会郡湯田郷岡村前<付道>/‖/一 常光寺領任施入案田畠等坪付注之<度会良遠施入帳>/田地百四十歩<修正月料田>/在度会郡沼木郷十一条十五気義里一坪内/畠地一段<修二月料田>/在度会郡沼木郷上河原村字中川原/田地一段<同料田>/在沼木郷<在之>/‖/田地一段 在沼木郷同村上神社東谷迫<同料田>/一 毎年法花講‖千手講料田畠弐町伍段佰肆捨(拾)歩内/田地一段/在湯田郷小俣村字庄田<正月頭役分>/畠地三百廿歩田六十歩/在沼木郷二俣村<同分>/田地一段/在沼木郷二俣村庄田東一段次<二月頭役分>/畠地一段/在沼木郷松倉村字松本<同分>/田地弐段/在伊蘇郷野依村四条一野中里卅四坪南畔本<三月頭分>/田地弐段/在湯田郷小俣村庄田七段内東五段次同相伝田内<四月頭分>/次同郷松倉村字中川両所各一段宛/畠地一段/在湯田郷庄田七段内東二段次<五月役分>/田地一段/在沼木郷中山田村字中屋垣内<同>/田畠弐段/在湯田郷松倉村字松本<六月頭分>/‖/田畠弐段卅歩/田一段卅歩ハ湯田郷松倉字中川二段六十歩内<八月頭分>/畠地一段ハ沼木郷上川原村字中川原<同分>/田畠弐段卅歩/治田一段湯田郷松倉村字中川二段六十歩内<九月頭分>/畠一段沼木郷上川原字浦口/田畠弐段/治田一段湯田郷小俣村同庄田七段東三段次同相伝田内<十月頭分>/畠一段箕曲郷上川原村字庄地<同分>/田畠弐段/治田一段湯田郷小俣村庄田七段内東四段次同相伝田内<十一月頭分>/畠一段沼木郷中山田村字車垣内<同分>/田畠弐段/治田一段在湯田郷宇羽西村葉渕<十二月頭分>/畠一段沼木郷二俣村字田尻垣内<同分>/田地佰捌拾歩/在湯田郷宇羽西村字泉浦田<潤(閏)月分>/一 燈油料畠地参町四段/沼木郷六段佰二十歩/‖/箕曲郷一町三段三百歩内/‖/高向郷九段八十歩内/二段同郷眼武成居住/三段半同郷武兼垣内/一段同郷字神村御社南方/‖/一 仏供料田二町五段二百二十歩 沼木郷五段四十歩/‖/郷々散在治田一町三段百二十歩/一段在伊蘇郷五条三礒里八坪内字籠世町/二段在湯田郷長深村七条三丈林里三坪南畔本/一段在同郷鷹河御厨内/‖/二段在長田郷五条四鎌田里卅五坪東畔本一段/‖/一 修理料田一町四段/‖/奉大工僧源増別畠地一処事/在沼木郷上山田村沆後垣内/二親遠関日料畠四段/二段在箕曲郷上竹原字中岐佐野/‖/二段同郷同村字小坂垣内/妹度会寿々犬子遠関日料田/一段在沼木郷上山田村外祖父正家地付西方/‖/一 堂舎敷地一処/在沼木郷上山田村十一条五気美里廿七坪/‖/一 朝熊本御薗同新御薗‖散在田畠等在之、二見郷内同在之/在度会郡宇治郷朝熊村<在之>/‖/一 田地壱段/在度会郡湯田郷野東上宇羽西村字羽渕//‖/一 田地弐段/在同郡内城田郷久具村字石原/一 田地壱段/在度会郡内城田郷牧戸内ニ在之、今ハ上津久田ニ混領ス、字下カサ/一 田地壱段半/在度会郡内城田郷牧戸在之、今ハ上津久田内ニ押領/一 田地壱段/在度会郡内城田郷牧戸在之、今ハ上津久田混領/一 田地弐段/在度会郡内城田郷上津久田村在之/‖/一 山林壱処 号玉櫛山/在度会郡内城田郷久具村<在之>/一 小勾御薗 文書 宣旨・祭主公判等悉在寺庫/在度会郡箕曲郷内 法楽舎領/‖/一 畠地‖段/在度会郡外城田郷岩坂村<在之>/‖/一 畠地壱段百捌拾歩/在度会郡田辺郷原中村字室垣内/一 畠地伍段/在度会郡湯田郷上宇羽西村中河西曾祢/‖/一 畠地捌段内/一処肆段 在度会郡湯田郷上宇羽西村字阿曽根/一処壱段 在同郡同郷上宇羽西村字中河畠/畠地壱段 在同郡同郷上宇羽西村字中河畠/‖/一 薮山御園一円/在度会郡内城田郷久具村<在之> 県史古中(荘)p.721-747
松阪市史p.218
大神宮法楽寺文書紛失状
外城田郷 度会 延文5頃 1360頃 〔神鳳抄〕【城田】伊勢国/度会郡/宇治郷 沼木郷 箕曲郷 継橋郷 二見郷 高向郷 伊蘇郷 湯田郷 外城田郷 内城田郷 神宮神領記p.266
神鳳抄
壱瀬御園郷 (度会) 貞治2.8.28 1362 〔伊勢神宮領一瀬御薗四至定〕伊勢大神宮領壱瀬御薗郷内之事/四至<東ハ限奈井瀬横峰/西ハ限高山神之久岐佐ハタ/南ハ限志摩根/北ハ限峰 県史中1(下)p.727
輯古帖
山神郷☆ (度会) 応安5.1.11 1372 〔内宮庁宣〕庁宣<権祢宜尚氏神主/権祢宜泰尚神主>/可早致沙汰、箕曲郷・沼木郷以下宮河以東幷御糸・飯高神戸・十一郷四箇所・有地郷・山神・内城田・外城田以下郷々村々 県史中1(上)p.201
氏経卿引付
小木郷☆ (度会) 至徳3.11.26? 1386? 〔度会犬石子等畠地寄進状〕(異筆)「為無末代異儀、依小木郷沙汰人八郎大夫之口入、自寺家姉妹中、用途壱貫文所致沙汰也、雖然、自明年麦作、寺家一円可有進退領掌者也」 県史中2p.1124
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻26)
くすへのかう
(楠部郷)
(度会) 明徳3.11.9 1392 〔荒木田なつ女畠地売券〕なかくうりわたす畠地の事/合二丈者/あり うちのかうの所在くすへのかうあさな/乙部畠きとうしかやしきのあと/直銭四貫文うけとりぬりぬ 県史中1(下)p.811
徴古文府
大塩屋里 (度会) 応永2.9.2 1395 〔永阿大塩屋里・塩屋・塩浜等処分状案〕嫡子左衛門次郎処分渡大塩屋里一円・塩屋一円幷塩浜等事/合/一、大塩屋里之年貢一円 県史中1(下)p.70
太田家古文書
小浜郷 (度会) 応永12.7.20以前 1405以前 〔法楽寺領拝領人数注文〕当寺領拝領人数事/‖/一、小浜郷 立幸丸 県史古中(荘)p.768
醍醐寺文書聖教 6函174・175
棚橋郷
大乃木郷
枚戸郷
(度会) 応永13.1.11 1406 〔弘尊置文案〕伊勢国棚橋、大乃木、枚戸二(三)ヶ郷荒野新田開発地之事 県史古中(荘)p.771
櫟木文書
鹿海郷 (度会) 応永28.4.10 1421 〔道幸等連署置文案〕合/所在宇治郷鹿海北岡千福之所領文書事/‖/一、野田半縄返/右件之田畠浜之文書、去応永廿五年八月廿八日、覆盆子与宇治弓矢之時、千福之在宅ヲ焼払、内在物ヲ被取、其時彼文書ヲ被取間、鹿海郷刀祢方彼置文定所也 県史中1(下)p.990
東内精兵衛氏寄贈文書
田宮郷[49] (度会) 享徳1.9.2 1452 〔田宮寺氏子等目安〕目安/皇太神宮太小(ママ)祠官田宮寺氏子等申/欲厳密蒙御成敗、就田宮郷祢宜祢宜讒訴、寺家定使無料而被殺害条、神慮難測者也、仍訴人預糺明御沙汰間事 県史中1(上)p.242
氏経卿引付
岩坂郷 (度会) 1452-1455.7.1 〔内宮一禰宜荒木田経見書状〕一、太神宮御領岩坂郷者、大晦日夜令備進本宮所々幷別宮以下御火油、厳重神領候之処、被入御代官、可被召年貢之由被仰出候 県史中1(下)p.235
氏経卿引付
狩田里☆
矢野里☆
積良里☆
(度会) 享徳2.11.- 1453 〔三郡内内宮領注文〕三郡内神税徴納注文/‖/一、狩田・原・矢野・山神・積良里内在々所々在之 県史中1(上)p.259
氏経卿引付
野原郷☆ (度会) 長禄2.12.2 1458 〔内宮解〕一、皇太神宮神主/注進、早被成下御下知於古江彦右衛門方、被召放内宮第一御領七箇御薗内野原郷為当奉行、可被止任雅意悪行子細事 県史中1(上)p.327
氏経卿引付
藤郷☆ (度会) 寛正5.3.- 1464 〔皇太神宮年中行事(十二月)〕一廿二日、為瀧原竝宮祭禮供奉幣使進発。次第如六月勤。但今度ハ荷前御調糸荷文御封等無之。仍不開御門。/‖/幣使米藤郷勤退転之間、甲爪上分米三斗料足三百文ヲ被付。人夫ハ自藤郷進。同郷人夫於楠御堂前相替。帰参人夫自神原進。自宵館ニ参。又同郷人夫自途中相替。其外次第如六月。 神道大系p.395
皇太神宮年中行事
佐田之郷☆ (度会) 文明5.7.24 1473 〔榎木蔵武吉請文〕崇恩寺大用庭領事/右田畠幷屋敷等至迄、鍔鐸申上者、雖永代至其煩不可申、次彼塔頭文書文明二年<庚寅>八月廿一日、佐田之郷勢知客申悪僧盗取、亀石及違乱候之間、以甚依不可然候 県史中1(上)p.603
氏経卿引付
小俣郷☆ (度会) 15C 〔道後政所下文〕下 小俣郷代官職事 <七郎物忌>/‖/―――――――判 <高向郷、雖同主預、下文無之>/一、下 狩田郷、家久、同日補任<御中間左衛門三郎也> 県史中1(上)p.190
道後政所職事
野依郷☆ (度会) 年未詳.2.21 15C 〔道後政所荒木田氏実書状〕一、野依郷落人居住伊蘇郷、重犯重科候 県史中1(上)p.193
道後政所職事
下馬所郷
中世古郷
前野郷
(度会) 年未詳.9.19 15C 〔太神宮司解〕一、従四位下貴彦執印<壬申>九月十九日、松木一禰宜貴彦<癸酉>二月一日ヨリ参宿ス、然所ニ山田ノ住人堤源助ト山田大路彦八互相論ニ、下馬宿・中世古・前野三郷放火ス 県史中1(補)p.3
宮司引付
湯田三郷☆ (度会) 年未詳.9.25 15C後半 〔北畠政勝書状〕【湯田】一、湯田三郷事、自坂内無為返答候、本望候、併神忠候 県史中1(上)p.711
内宮引付
宇田郷 (度会) 天文5.12.13 1536 〔高木次郎左衛門尉名田得分売券〕永代売渡申宇田郷之内我々引得分之田之事/合壱段半者‖ 県史中2(補)p.118
古文書
曽袮之郷 (度会) 天文7.5.13 1538 〔山田三方触状〕多気様御参宮ニつき、御礼銭ニ入申候、代壱貫五百文、来十六日ニもたせ可有候、せいせんたるへく候/‖/曽袮之郷御代官衆中 まいる 県史中1(下)p.826
輯古帖
くろせ里
(黒瀬里)
(度会) 天文17.4.19 1548 〔黒瀬亀千世田地売券〕(端裏書)「くろせ里之内うちほりと云、米三斗五升二度二かい申候/百姓くろせ善五郎 八合のます合四杖之米」/定永代沽渡申候田之事/合二杖 在所者くろせ里ノ内うちほりと云 県史中2(補)p.135
古文書
山田下中郷 (度会) 天文17.5.24 1548 〔かみくほ孫三郎・さいく四郎兵衛門田地売券〕永代売渡文書之事/在所者河崎之西 限<西者地類 北畠也/東者道 南畠也>/右件之田地者、雖為末代知行、急用之子細有ニより、直銭七貫文ニ山田下中郷静観之孫三郎殿為口入、長屋之松領庵江永代売渡申処也 県史中1(下)p.792
輯古帖
上中郷 (度会) 天文19.5.18 1550 〔高向与五郎畠地売券〕定永代沽渡申候畠之事/合三杖‖/四至境<限南上中郷丹後殿畠ヲ 限西高向五郎か野ヲ/限東大主屋又六殿畠ヲ 限北高向二郎大夫畠ヲ> 県史中2(補)p.138
古文書
八日市郷 (度会) 永禄3.11.2 1560 〔新衛門田地売券〕(端裏書)「納三斗五升/寺中新衛門よりかい申候田也 在所かくのめおく山と云」/(異筆)「八日市郷内三村(黒印)」/定永代沽渡申候田之事 県史中2(補)p.149
松葉安平氏所蔵文書
下中郷 (度会) 永禄7.5.27 1564 〔松田幸保畠地売券〕定永代沽渡申候畠之事/合壱段 在所者長やまんてう 納一石代也/四至境<限南大道ヲ 限北ハ下中郷長熊大夫殿畠ヲ‖> 県史中2(補)p.93
松葉安平氏所蔵文書
宇治六郷
岡田郷
岩井田郷
中村郷
尾崎郷
(度会) 永禄11.6.- 1568 〔宇治六郷中連判契状〕右今度就一儀、六郷之儀以御馳走、無事至相調者、於末代其方御大事出来刻、可致御味方者也、仍衆議如件/‖宇治六郷(花押印)/‖/<岡田/岩井田>両郷連判 次第不同/‖/中村郷/‖/<尾崎/楠部>両郷名代 県史中1(下)p.732
輯古帖
県史中2(補)p.26
宇治郷古文状
四目指郷[50] (度会) 天正11.10.15 1583 〔織田信雄朱印状〕以四目指郷内五拾貫文、令寄進訖 県史中2p.397
延命寺文書
中島郷 (度会) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、四百七拾参貫文<此内百七十貫 富田之郷/弐百貫 尾 もち郷御加増/百三貫 中島郷南いせかへノ知 此内三ヶ一引> 同 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
佐田之郷 (度会) 天正14.11.- 1586 〔松下徳左衛門田地売券〕永代売渡申田地之事/四至在所ハ佐田之郷<田数三つ>西浜田中之切之田一つ 県史中1(下)p.947
慶光院文書
浜之郷 (度会) 天正15.9.25 1587 〔建保寺祐保定書〕永代此畠弐両ニ買申候事/在所 浜之郷しやうかいと 県史中1(下)p.1001
東内精兵衛氏寄贈文書
朝熊郷☆ (度会) 天正17.6.10 1589 〔不動堂普請鍛冶奉行請取日記〕(表紙)「天正拾七<己/丑>年六月十日 朝熊郷/不動之御普請鍛冶奉行請取日記」 県史中2p.525
朝熊町有文書
古和郷☆ (度会) 年未詳.⑥.18 16Cヵ 〔北畠氏奉行人奉書写〕古和郷内之儀、如前々、被仰付候、 県史中2p.668
古和文書
上粟里 (度会) 年月日未詳 〔佐伯某田畠処分状〕佐伯土与子処分充給小財物田畠等事/合/‖/一、治田弐杖半、在上粟里字小粟田内上乃世町之内付南方立破定者 県史中2p.1007
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻14)
池村郷
岩内郷
田野辺郷
笠木郷
田宮寺郷
(度会) 年月日未詳 〔法楽寺棚橋領目録〕神三郡之内 太神宮法楽寺棚橋領<‖末寺領等事>/釈尊寺領<米五石六斗三升/池村郷・岩内郷>二ヶ郷/‖/一、室寺領<米壱石弐斗/銭弐貫文><宇尓郷/田野辺郷>二ヶ郷/一、常憧寺領<米八斗/銭六百文><田野辺郷/笠木郷>二ヶ郷/一、光蓮寺領 六貫文<山神郷/原郷>二ヶ郷/一、西明寺領<米四斗/銭壱貫弐百文><山神郷/田宮寺郷>二ヶ郷/一、見世垣内 地子分壱貫文<山神郷> 県史古中(荘)p.770
松阪市史p.221
田中穣氏旧蔵典籍古文書 伊勢国釈尊寺手継案

年月日 西暦 原     文 出  典
石鴨村 度会 天平20.-.- 748 任宮司従五位下津嶋朝臣小松、件小松、以去十五年正月廿三日、度会郡城田郷、字石鴨村新築固池一処既畢、依件成功、叙従五位下之後、拝任宮司也、 県史古上p.74
県史古下p.72
太神宮諸雑事記
美乃乃村 (度会) 天平勝宝6.6.26 754 豊受宮御稲御倉之放棟天、盗取御稲十八束畢、‖付跡尋求之処、‖神主元継之私宅捜出多利件元継者継橋郷美乃乃村住人也、 県史古上p.83-84
県史古下p.74
神道大系p.327
太神宮諸雑事記第一
宇羽西村 度会 延暦16.8.3 797 一離宮院/延暦十六年丁丑八月三日官符、従度会郡沼木郷高川原、移造於同郡湯田郷宇羽西村畢 県史古下p.97
神道大系p.7
神宮雑例集巻第一御鎮座事
岡本村[51] 度会 8C 夫所以号度会郡者、‖大国玉神、資弥豆佐ゝ良比売命参来、迎相土橋郷岡本村、天日別命、観地出之参会曰、刀自尓度会焉、因以為名也、 県史古上p.12
伊勢国風土記
宇遅村 度会 8C 倭姫命、不入坐度会郡宇遅村五十鈴川上之宮奉斎藤方樋宮、 県史古下p.43
伊勢国風土記大神宮儀式解
河上荏間村[52] (度会) 天暦7.2.11 944 度会河上荏間村壱処 県史古上p.298
近長谷寺資材帳
野依村☆ (度会) 長久1.7.26 1040 西風俄吹弖、豊受太神宮正殿、東西宝殿、瑞垣御門等、払地顚倒給既畢、‖、祭主永輔波、自野依村、乗海船、字山田川原仁着、 県史古下
p.452太神宮諸雑事記第二
小俣村☆ (度会) 治暦3.12.26 1067 件勅使等、不着於離宮院<志/天>、小俣村乃小人乃宅来着<志/天>、 県史古下p.512
太神宮諸雑事記第二
栗野村☆ 度会 応徳1.2.13 1084 謹辞 定永地沽渡進畠地立券文事/合壱段者/在度会郡湯田郷栗野村字田畠者 県史古上(別)p.646
光明寺古文書
県史中2p.988
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻13)
山田村 (度会) 天仁2.6.- 1109 天仁二年六月祭延引/使、祭主親定卿也。而山田村住人石連武時妻、五月廿三日亡。六月・四日、所棄置武時子於二俣路頭也。 神道大系p.76
伊勢勅使部類記
河辺村 度会 天永1.⑦.13 1110 分充小財物等事/合/一男豊受太神宮権禰宜度会神主雅平給物/正家弐処/一処、在箕曲郷河辺村、立屋四宇 県史古上(別)p.648
光明寺古文書
県史中2p.963
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻10)
池町村 (度会) 天永1.⑦.13 1110 分充小財物等事/合/‖/二男同宮禰宜度会神主雅頼給物/正家一処/在継橋郷池町村、立屋載(弐)宇 県史古上(別)p.648
光明寺古文書
県史中2p.963
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻10)
上村☆ (度会) 永久5.10.29 1117 品由三郎丸、宇治郷上村字中蕀<之/天>、穢所垣根有柿木、即於大路取食件柿実事沙汰出来。 神道大系p.77
伊勢勅使部類記
積良村☆ (度会) 元永2.2.8 1119 見付古宮所乾方有死人骸骨、有穢否沙汰之間、同為未時許、下人告申云、山田村所在字常覚寺為修仏事、従積良村住人内宮番検大内人頼友許、結送寺家云、持出酒之後、居住垣内有死人手之由、所見付也者、 県史古下p.833
神道大系p.78
伊勢勅使部類記
少社村☆ (度会) 大治5.11.10 1130 祭主卿送書云、去五日任宣下日時、可奉立外宮仮殿心柱之所、小社村住人重遠妻流産穢触来二宮之由、依風聞、糺定之間、日時相過不奉立彼御柱之由、一禰宜彦忠神主、昨日以書且所申送也、 県史古下p.870
中右記
狩田村☆ (度会) 久寿1.12.27 1154 〔沙弥某治田売券写〕定永財沽渡所領治田立券文事/合壱段者/在狩田村十三条七市九里十二坪従北二段長 県史古上(別)p.656
光明寺古文書
県史中2p.1118
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻25)
二見中村☆ (度会) 平治1.4.20 1159 宝蓮寺奉施入畠地事/@@段者 在二見中村 県史古上(別)p.720
御塩殿文書
下船饗村 (度会) 永暦2.2.22 1161 〔佐伯氏命子畠地売券〕;;定永地沽渡畠地事/合壱段者/在箕曲郷下船饗村字三角畠 県史古上(別)p.657
光明寺古文書
県史中2p.942
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻9)
上宇羽西村 度会 永暦2.3.23 1161 〔大中臣某畠地処分状〕二女子大中臣宮古曽子加渡畠地壱段事/在度会郡上宇羽西村内字太良垣内者 県史中2p.995
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻13)
黒瀬村☆ (度会) 長寛2.12.25 1164 〔義意治田売券案〕謹辞 定永財進沽渡治田事/合弐段者/在継橋郷黒瀬村字間黒主 県史古上(別)p.658
光明寺古文書
県史中2p.967
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻11)
下粟野村[53] 度会 元暦2.5.3 1185 永譲渡弥陀寺敷地壱段事/在度会郡湯田郷下粟野村字桑原垣内者 県史古上(別)p.662
光明寺古文書
県史中2p.988
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻13)
阿多気村[54] (度会) 文治3.10.3 1187 〔伴良志等請文案写〕伴良志等解申請畠地事/合〇段者/在継橋郷阿多気村者 県史中2p.969
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻11)
上辺村 (度会) 文治5.2.18 1189 〔大中臣某処分状案〕家女荒木田犬子給物/畠地壱段/在箕曲郷上辺村院能作 県史中2p.941
国立公文書所蔵館光明寺古文書(巻9)
岩井田村 (度会) 建久3.6.3 1191 一山神祭事。<件神在所岩井田村也。> 神道大系p.251
皇太神宮年中行事
川原村
蒜田村☆
(度会) 建久3.11.22 1191 〔大中臣某処分状案〕(前欠)弐段<在継橋郷川原村j神主之替地>/壱段<在箕曲郷字庄地薮田垣内西方康経沽地>/壱段<在沼木郷山田村二俣内付東方僧忠禅沽地>/佰捌拾歩<在同郷蒜田村 季景居住> 県史中2p.1130
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻27)
上竹原村 度会 建久7.8.5 1195 〔多米重真田畠処分状写〕分行 少財物田畠事/継子六郎丸給物/‖/治田壱段<在度会継橋里十二坪内字杉前>/畠地壱段<在度会郡箕曲郷上竹原村> 県史中2p.1131
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻27)
勾村 度会 建保6.3.11 1218 〔壬生用友畠地売券〕永財沽渡進畠地新券文事/合壱段者/在度会郡箕曲郷勾村字間瀬垣内<kkk> 県史中2p.1167
国立歴史民俗博物館所蔵光明寺古文書
しほあいのむら
(塩会村)
(度会) 承久3.1.- 1221 〔某売券案〕(前欠)みかわの」むた::::::::あたい合米参十三石」」」」」」」」のゝのかうしほあいのむら」」」」」」代ニ」」」」」」のかい」」」」」」」」せう」」」」」」の田畠」」」」」」」こねうし」」」」」」」」」」 県史中1(下)p.322
御塩殿文書
礼部村 (度会) 元仁2.2.29 1225 〔物部某畠地売券写〕文事/在度会郡 礼部村<故千与枝居住> 県史中2p.949
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻9)
鹿海村 (度会) 嘉禄1.5.2 1225 〔僧隆玄等連署塩浜避状案〕永避進塩浜事/合壱処之内半分者/在宇治郷鹿海村塩合者 県史中1(下)p.992
東内精兵衛氏寄贈文書
上山幡村 度会 安貞2.1.20 1228 〔僧俊玄治田売券案写〕謹辞 定永財沽渡進治田立券文事/合弐段百八十歩物/在度会郡沼木郷上山幡村宮道御薗内字瀧本者四至本券面具也 県史中2P.1019
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻16)
小坂村 度会 寛喜4.2.13 1232 〔縣月澤畠地売券案〕謹辞 定永財沽渡進畠地立券文事/合弐段者/在度会郡箕曲郷小坂村内<常安本居住也> 県史中2p.951
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻9)
大河原村 (度会) 天福2.1.7 1234 〔度会広光処分状案写〕二女子鶴宮子分/自余田畠除/壱段継橋郷大河原村大道南<波伊田畠替> 県史中2p.972
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻11)
松倉村 (度会) 天福2.1.20 1234 〔度会広光処分状〕分行 少財物事/嫡子官符権祢宜長光神主分/‖/一、治田/‖/壱段 湯田郷松倉村字下立 県史中2p.849
光明寺文書
世木村 (度会) 天福2.1.20 1234 〔度会広光処分状〕分行 少財物事/嫡子官符権祢宜長光神主分/‖/一、畠地/壱段 箕曲郷世木村<即居住>/‖/弐段 同郷同村<字吹上居住西並> 県史中2
p.849光明寺文書
上栗(粟)野乃村☆ (度会) 嘉禎2.9.15 1236 〔比丘尼某治田売券案〕定永財放券渡治田立券文事/合壱段参拾歩者/在度会郡湯田郷上栗野乃村小栗(ママ)里卅一坪内 県史中2p.994
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻13)
世古村☆ 度会 延応1.5.7 1239 〔大原岩午畠地売券写〕謹辞 定永財沽渡進畠地新立券文事/合佰八十歩〇〇者/所在度会郡継橋郷乃世古村居住弐段内 県史中2p.975
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻12)
内井瀬村☆ (度会) 建長1.5.12 1249 〔前権律師覚能書状案〕(端裏書)「kk律師重状案 建長元年」/伊世国内井瀬村事、覚能一期之後、可為寺領之旨、出書状云々、此条不覚悟、定無実候欤、此所者去仁治年中之比、相副本公験幷 宣旨・別当法眼去文案等、進永代契状於阿闍梨御房候了、子細載件状、争可有相違候哉 県史中1(下)p.512
永仁五年本宮仮殿記紙背文書
牛庭村 (度会) 建長2.2.6 1250 〔福阿弥陀仏畠地処分状〕荒木田王寿子処分渡畠地事/合壱段者/在箕曲郷牛庭村故父志末居住四段内付東壱段 県史中2p.955
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻10)
朝熊村 (度会) 正元2.2.11 1260 〔磯部乙子戸田売券〕定 永財沽渡進戸田新立券文事/合壱段者/□□朝熊村所在字自【禾+勾】田西畔本三段長/度会邦十一条廿七山口里十一坪内/□□宇治郷物部□□刀自女戸授給内一町/□□権祢宜度会国俊労職共/直見銭漆貫伍百文請納畢、(花押)/□□件戸田者、自親父手、二女子磯部乙子譲分得□□□□年来進退領掌之間、更以無他妨、爰直□□□有要用、限上件直物、相副次第手継本文、□□□永財沽渡于権宮掌内人伴得元如件、□□□□末代、新立券文、以辞 県史中1(下)p.807
徴古文府
上津竹原村 (度会) 文応1.9.21 1260 〔度会氏子畠地処分状写〕処分少財物事/嫡子康光神主分/在箕曲郷上津竹原村字小坂畠地壱段 県史中2p.952
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻10)
下村☆ (度会) 文永11.4.18 1274 〔伊勢成守治畠売券〕【二見】永沽渡治畠事/合壱段者/在二見郷下村字大曽袮弐段之内付西 県史中2p.1016
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻15)
須納村 (度会) 弘安1ヵ.10.19 1278 〔能快書状〕破壊過去候間、可加修造之由相 候処、当時材木難得候間、仰;仕候而、積良村・須納村杉中末をれなんとして候木とも多候、二本ハかり拝領候哉 県史中1(下)p.478
文永三年遷宮沙汰文紙背文書
四瀬村 度会 弘安2.2.6 1279 〔二所太神宮神主注進状〕二所大神宮神主/注進、自去月十五日卅箇日穢、自同廿一日及宮中由、今月三日<子剋>沙汰出来間、自同四日朝迄来十六日夕、不供進二宮朝夕御饌事/右件穢事、依度会郡箕曲郷四瀬村住人権宮掌国秀字得寿男之告、差遣二宮使令相尋彼穢之処 勢和村史p.22
弘安二年内宮仮殿遷宮記
山幡村 度会 弘安2.5.20 1279 〔比丘尼菩性治田売券写〕定 永財沽渡進治田立券文事/合弐段百八十歩者/在度会郡沼木郷山幡村宮道御薗内字瀧本者 県史中2p.1019
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻16)
三津村☆ (度会) 弘安9.⑪.- 1286 〔某畠地売券〕定 永財沽渡進畠地立券文事/おお拾歩者/在二見郷内三津村 県史中1(下)p.329
御塩殿文書
楠部村 度会 永仁7.2.8 1299 〔中臣末弘畠地売券〕定永財沽却渡畠地新立券文事/合弐杖者/在宇治郷所在楠部村字乙部畠<八段内紀藤氏之屋/敷跡、四至見于本券/直銭壱貫五百五十文請納了(花押) 県史中1(下)p.809
徴古文府
江向村 (度会) 延慶3.3.15 1310 〔江向村在家検注状〕(端裏書)「検注使法橋慶範注進<延慶三三十五/判形在之>」/注進 御領江向村在家検注幷名寄事 県史古中(荘)
p.693醍醐寺文書聖教 13函12
袴田村 (度会) 応長1.7.29 1311 〔度会氏子田畠売券〕定 永財沽渡進田畠新立券文事/合壱段者/在伊蘇郷袴田村字麻続恒内<北ヨリ三段目> 県史中2p.1025
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻16)
松下村☆ (度会) 文保1.3.- 1317 〔太神宮服忌令〕(奥書)「文保元年三月吉日/朝熊嶽呑海院/法王写之/勢洲度会郡内宮領内松下村/瑞穂禅庵琳公雅蔵、」 県史中2p.649
東端文書
小河村[55]
伊蘇村☆
度会 嘉暦2.11.25 1327 〔僧真隆紛失状〕(前欠)字野依前河端五段、度会郡伊蘇郷野依村所在、此田地者、自小河住人車持久光手、祖父昌願買得相伝之地也/以上如此文書等、同以焼失畢‖(証判)「件焼失事、云文書‖雑物焼失、云田地知行之おおお、任被記之旨、見知実正也、仍加證暑之/野依村在地人 大夫太郎綾部光興 在判‖小河村在地人乙王三郎宮掌飯高瀬末在判 左近允伴久村在判/当郷政所使度会正延 在判 沙汰人土用市丸 在判/伊蘇村沙汰人右馬允中臣益家 刑部允藤原兼弘 在判 県史中2p.1026
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻16)
泊浦小里村 (度会) 暦応2.4.4 1339 〔室町幕府引付頭人奉書案〕伊勢国泊浦小里村雑掌申有間庄司已下輩濫妨事、  院宣幷訴状・具書如此、子細見状、早退彼輩、沙汰居雑掌於当所、可被執進請取、将又遵行実否可被注申之状、依仰執達如件 県史古中(荘)p.709
醍醐寺文書聖教 23函63-3
下野村☆ 度会 康永1.11.- 1342 〔内宮禰宜荒木田氏顕申状〕皇太神宮祢宜荒木田神主氏顕申状/‖/勢州守護家人光吉左近大夫背上代以来被定置法儀、  二所太神宮御鎮座砌、以度会郡下野村・同一色、称賜兵粮料所、与四条宰相家雑掌幸熊丸、致喧嘩刻、為遁自科、掠取守護注進、以無誤氏顕、成損亡企旨承及条、存外間事、 県史中1(下)p.447-448
仁治三年御仮殿記紙背文書
一色村☆ 度会 康永1.11.- 1342 〔内宮禰宜荒木田氏顕申状〕皇太神宮祢宜荒木田神主氏顕申状/‖/勢州守護家人光吉左近大夫背上代以来被定置法儀、  二所太神宮御鎮座砌、以度会郡下野村・同一色、称賜兵粮料所、与四条宰相家雑掌幸熊丸、致喧嘩刻、為遁自科、掠取守護注進、以無誤氏顕、成損亡企旨承及条、存外間事、 県史中1(下)p.447-448
仁治三年御仮殿記紙背文書
瀧原村 度会 康永3.6.23 1344 〔瀧原宮六月月次祭祝詞〕(端裏書)「瀧原」/度会乃河上乃瀧原村乃下津石根仁大宮柱太敷立弖 県史中1(下)p.471
正殿仮殿遷宮記紙背文書
久具村
上津久田村
下小河村
長津久田村
度会
内城田郷内
康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/‖/散在寺領等證分紛失分/合/‖/一 久具村 庄厳寺領/在同郡内城田郷内/‖/一 上津久田村一円 松尾寺領/在同郡内城田郷内/‖/下小河村 古利寺領/在同郡内城田郷内/‖/一 田地五段 西光寺領/在同郡同郷内長津久田村在之字迫田/‖/一 田地弐段/在同郡内城田郷久具村字石原/‖/一 田地弐段/在度会郡内城田郷上津久田村在之//‖/一 山林壱処 号玉櫛山/在度会郡内城田郷久具村<在之>/‖/一 薮山御園一円/在度会郡内城田郷久具村<在之> 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
下宇羽西村
下津宇羽西村
下松倉村
長深村
岡村
野東上宇羽西村
度会
湯田郷内
康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/‖/散在寺領等證分紛失分/合/‖/一 畠地貮佰七拾歩/在同郡湯田郷下宇羽西村字前田畠/一 畠地壹段/在同郡湯田郷下宇羽西村正家垣内/‖/一 畠地貮段/在同郡湯田郷下宇羽西村字野中畠/‖/一 畠地肆段/在同郡湯田郷下宇羽西村字前太畠/‖/一 畠地伍段/在度会郡湯田郷下宇羽西村内/二段字北野 二段字野p 一段字松本/‖/一 畠地貮百七拾歩/在度会郡下津宇羽西村正家畠三段内<付北方>/‖/一 田地佰捌拾歩 畠地肆段佰捌拾歩/在度会郡湯田郷下宇羽西村字前田 畠地モ所一也/‖/一 畠地壹段/在度会郡同郷同村字宮前畠/‖/一 畠地貮佰四十歩/在湯田郷松倉村公保垣内付南方壹段次/一 畠地壹段/在度会郡湯田郷松倉村字松本大垣内/‖/一 畠地壹処/在度会郡湯田郷下松倉村物部徳本居住畠/‖/一 畠地壹段/在度会郡湯田郷長深村四土お里十五坪内付西畔本/‖/一 畠地貮段/在度会郡湯田郷小俣村内字正家垣内/‖/一 田地伍段/在度会郡湯田郷長深村九条四葦里三十坪字中村/一 田地壱段/在度会郡湯田郷長深村五打里内字棒野田/一、田地壱段/在度会郡湯田郷岡村前<付道>/‖/一 毎年法花講‖千手講料田畠弐町伍段佰肆捨(拾)歩内/田地一段/在湯田郷小俣村字庄田<正月頭役分>/‖/田地弐段/在湯田郷小俣村庄田七段内東五段次同相伝田内<四月頭分>/次同郷松倉村字中川両所各一段宛/‖/田畠弐段/在湯田郷松倉村字松本<六月頭分>/‖/田畠弐段卅歩/治田一段湯田郷松倉村字中川二段六十歩内<九月頭分>/‖/田畠弐段/治田一段湯田郷小俣村同庄田七段東三段次同相伝田内<十月頭分>/‖/田畠弐段/治田一段湯田郷小俣村庄田七段内東四段次同相伝田内<十一月頭分>/‖/田畠弐段/治田一段在湯田郷宇羽西村葉渕<十二月頭分>/‖/田地佰捌拾歩/在湯田郷宇羽西村字泉浦田<潤(閏)月分>/‖/郷々散在治田一町三段百二十歩/‖/二段在湯田郷長深村七条三丈林里三坪南畔本/‖/一 田地壱段/在度会郡湯田郷野東上宇羽西村字羽渕/‖/一 畠地伍段/在度会郡湯田郷上宇羽西村中河西曾祢/‖/一 畠地捌段内/一処肆段 在度会郡湯田郷上宇羽西村字阿曽根/一処壱段 在同郡同郷上宇羽西村字中河畠/畠地壱段 在同郡同郷上宇羽西村字中河畠 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
山上村
矢野村
野邉村
度会
城田郷内
康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/‖/散在寺領等證分紛失分/合/‖/一 畠地壹処/在度会郡城田郷山上村十五条五混田里字小山田垣/‖/一 畠地壹段/在度会郡山上村三字子畠/‖/一 畠地陸拾歩/在度会郡城田郷矢野村字大殿垣壹段内/一 畠地壹処/在矢野村字坪井迫畠地内付北方/‖/一 畠地参段/在度会郡矢野村字守殿垣内/‖/一 畠地参佰歩/在度会郡城田郷矢野村字大辻垣内/‖/一 畠地壹段/在度会郡矢野村字曽袮垣内五段内付西方/‖/一 治田伍段/在度会郡城田七鴨里十四五六坪内字中波佐見狩田村在之/‖/一 畠地一処 参段餘歩/在度会郡城田郷野邉村三尊寺敷地 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
中村
大原村
原中村
度会
田邉郷内
康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/‖/散在寺領等證分紛失分/合/‖/一 畠地壹段/在度会郡田邉郷中村九条四竹依里八九坪内/‖/一 畠地壹処/在度会郡田邉郷大原村字松本/‖/一 畠地壱段百捌拾歩/在度会郡田辺郷原中村字室垣内 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
蚊野村
狩野村
野後村
粟野村
棚橋村
牧戸村
大乃木村
葛原村
度会 康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/‖/散在寺領等證分紛失分/合/‖/一 畠地貮段/在度会郡蚊野村字栗生垣/‖/一 畠地壹段/在度会郡狩野村/‖/一 田地七段/貮段所在野後村字加尓田/‖/一 畠地伍段/在度会郡粟野村<在之> 字槻本/一 田地壱段大/在度会郡狩田村野比所在<字中居田>/‖/一 田地肆段<松尾寺領>/在度会郡積良村<在之>、字日足/一 田地弐段<松尾寺領>/在度会郡同積良村<在之>、字坪井/一 田地壱段<松尾寺領>/在度会郡積良村字岡本/一 田地五丈<松尾寺領>/在度会郡山上村字ヒツキ迫/一 田地五杖<松尾寺領>/在度会郡山上村字堅口/‖/件軍勢多年乱入寺内、開寺庫・経蔵、捜取文書・重宝之状、実正也、仍加證署、以判/棚橋牧戸村刀祢高橋宗能(花押)/大乃木村刀祢大中臣友氏(花押)/葛原村刀祢度会俊弘(花押) 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
上河(川)原村
二俣村
中山田村
田口村
上山田村
度会
沼木郷内
康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/‖/散在寺領等證分紛失分/合/‖/一 常光寺領任施入案田畠等坪付注之<度会良遠施入帳>/田地百四十歩<修正月料田>/在度会郡沼木郷十一条十五気義里一坪内/畠地一段<修二月料田>/在度会郡沼木郷上河原村字中川原/‖/畠地三百廿歩田六十歩/在沼木郷二俣村<同分>/在沼木郷二俣村庄田東一段次<二月頭役分>/畠地一段/在沼木郷松倉村字松本<同分>/‖/田地一段/在沼木郷中山田村字中屋垣内<同>/‖/田畠弐段卅歩/田一段卅歩ハ湯田郷松倉字中川二段六十歩内<八月頭分>/畠地一段ハ沼木郷上川原村字中川原<同分>/‖/田畠弐段/‖/畠一段沼木郷中山田村字車垣内<同分>/‖/田畠弐段/‖/畠一段沼木郷二俣村字田尻垣内<同分>/‖/一 燈油料畠地参町四段/沼木郷六段佰二十歩/一段上河原村字西中川原/四段田口村字古不谷迫/‖/一 仏供料田二町五段二百二十歩 沼木郷五段四十歩/一段在上山田村十五気美里卅五坪内/‖/一段百八十歩田口村十八条薗相里八坪十七坪内/‖/奉大工僧源増別畠地一処事/在沼木郷上山田村沆後垣内/‖/妹度会寿々犬子遠関日料田/一段在沼木郷上山田村外祖父正家地付西方/一 若林一処/在山田村与二俣村堺字上岡者/‖/一 堂舎敷地一処/在沼木郷上山田村十一条五気美里廿七坪 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
葉村
古智尾上竹原村
度会
箕曲郷内
康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/‖/散在寺領等證分紛失分/合/‖/一 毎年法花講‖千手講料田畠弐町伍段佰肆捨(拾)歩内/‖/田畠弐段/治田一段湯田郷小俣村同庄田七段東三段次同相伝田内<十月頭分>/畠一段箕曲郷上川原村字庄地<同分>/‖/一 燈油料畠地参町四段/‖/箕曲郷一町三段三百歩内/一段字葉村古田畠/一段字古智尾上竹原村者 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
神村
石通村
度会
高向郷内
康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/‖/散在寺領等證分紛失分/合/‖/一 燈油料畠地参町四段/‖/高向郷九段八十歩内/‖/一段同郷字神村御社南方/二段長屋御厨内石通村字船津畠/‖/一段野依村神主本宅居住西中垣副 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
岩坂村 度会
外城田郷内
康永3.8.- 1344 〔大神宮法楽寺文書紛失状〕康永三年<甲申>八月日伊勢国度会郡内城田郷大橋御薗内 太神宮法楽寺所司等立申文書紛失記事/‖/散在寺領等證分紛失分/合/‖/一 畠地‖段/在度会郡外城田郷岩坂村<在之> 県史古中(荘)p.721-747
大神宮法楽寺文書紛失状
大中須村 度会 貞和3.2.12 1347 〔豊受大神宮庁下文案〕下/可早任 宣旨・次第施行旨令催付、宮河堤修固用途度会郡大中須村‖大龍寺所課分事 県史古中(荘)p.750
醍醐寺文書聖教 20函14
岡田村 度会 貞和3.12.26 1347 〔祭主大中臣親忠下知状〕【宇治】立申 所領文書‖家記等紛失状事/‖/右以内宮三祢宜経延神主、伊勢国度会郡宇治郷岡田村宿所 県史中1(上)p.236
氏経卿引付
大林村 度会 延文5頃 1360頃 〔神鳳抄〕伊勢国/度会郡/‖/原御薗<大林村 外宮田畠段別五升>二斗五升 神宮神領記p.267
神鳳抄
馬瀬のむら☆ (度会) 応安2.10.14 1369 〔久義畠地売券〕(端裏書)「きたのこはたけたちまとのゝうりけん」/定 永財沽渡進畠地事/合壱処者/さいしよ箕曲郷馬瀬のむら北みなとの故親父久元のふる屋敷辰巳角十歩者 県史中1(下)p.57
太田家古文書
小勾村 (度会) 応安6.4.28
文中2.4.28
1373 〔大中臣久次畠地売券〕(端裏書)「きたみなとのやしきのもんしよ」/定 永財沽渡進畠地新立券文事/合壱段者/所在箕曲小勾村馬瀬北湊南上 県史中1(下)p.53
太田家古文書
西村☆ (度会) 康応1.8.4 1389 〔荒木田氏親田地売券〕(端裏書)「内宮六殿沽券」/永 沽却渡田地事/合弐段者 四至<限東畔 限西溝/限北井戸田>/在所二見郷字西村五段之内付北<但号吉子戸/段別二升宛> 県史中1(下)p.89
太田家古文書
高向村☆ 度会 明徳5.5.26 1394 〔隣次郎畠地売券〕定 永財沽却進畠地事/合参段者/在処度会郡高向村内字中河原 県史中1(下)p.665
輯古帖
二見北村 (度会) 応永以前ヵ.-.- 1394以前ヵ 〔某書状〕二見北村に、身か扶持する物候かlllくもへとさしあひに成てlllあひて候ところにもとkkて候物を、あらためいたして、その人kkにて進候 県史中1(下)p.575
応永七年内宮仮殿遷宮記紙背文書
小浜村 度会 応永7.3.27 1400 〔伊勢国守護代安芸入道宗栄遵行状〕渡会郡内小浜郷之事、任御遵行之旨、可被沙汰付三宝院家御代官之由候、仍執達如件 県史古中(荘)p.767
南村 度会 応永29.3.10 1422 〔天形星祭文〕天形星祭文/謹請再拝々/‖/<伊勢国度会郡二見郷/南村三津> 陰陽師藤原能次 県史中2(補)p.36-37
天形星祭文
北村 (度会) 応永期ヵ11.22 (1394-1428) 〔二見郷北村村人中書状〕御札之旨、委細拝見仕了候、抑彼盗人之主人事、公方様ニおき候てハ、口入人さりかたきニより候てさしおかれ候、地下村人のいきとをりをとゝむへきよし承候、尤仰難背候へとも、向後こらしめの為候、地下のすまひハかなうましく候、‖二見北村々人上 県史中1(下)p.582
応永二十五年内宮仮殿遷宮記紙背文書
大塩屋之村 (度会) 永享6.11.14 1434 〔須崎五郎太郎屋敷売券〕(貼紙)「洲崎屋敷沽券三枚」/定 永財沽却進屋敷新立券文事/合壱所者 在所大塩屋之村字須崎 県史中1(下)p.69
太田家古文書
津辺村 (度会) 文安4.7.27 1447 〔比丘尼見如畠地売券〕定 永財沽渡進畠地之事/合壱段弐杖者/在所 箕曲郷津辺村<又号/北口>字法道社前 県史中2p.962
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻10)
櫟木村[56] (度会) 文安6.4.29 1449 〔服次吉畠地相博状案写〕永奉相博吹上光明寺領屋敷畠地事/合壱段四杖者/在所沼木郷<小坂村之西北/字八王子>‖右件畠地者、自度会神主範雄之手合買得、与吹上光明寺領櫟木村屋敷奉相伝所也 県史中2p.1021
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻16)
尾崎村 (度会) 康正1.10.2 1455 〔荒木田氏長畠地相博状〕永 替申畠地事/合 一処者/在所尾崎村字葛恒土<東限くね 南限くね/西限大道 北限河中> 県史中1(下)p.815
徴古文府
神田村☆ (度会) 長禄4.8.12 1460 〔神田姫右田地売券写〕定 永財売渡進田地事/合肆杖者/在所継橋郷字神田村社垣内 県史中2p.982
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻12)
小浜之北村 (度会) 文明年間ヵ.12.28 1469-1486ヵ 〔相差能景書状〕依小浜之北村方就船、此方役等無沙汰候之間、致其罪科候之処、彼人物之内御上分候之由承候 県史中1(上)p.693
内宮引付
相可村☆
三疋田村☆
四疋田村☆
井内村
佐井水村
荒牧村
寺脇村
蛸路村
(度会) 15C 〔道後政所下文〕一、下 十一村内所々代官職事 <注文有別紙、磯部成満、<玉屋/刑部也>/右―――― 同十二月二十一日/十一村内所々、相可・三疋田村・四疋田村・井内・佐井水・荒牧・寺脇・阿波曽・蛸路<以上此外除之> 県史中1(上)p.190
道後政所職事
ゆわふち村
(岩淵村)
(度会) 天文3.2.24 1534 〔松蔵善太郎・同国頼畠地売券〕定永代売渡申畠之事/‖/右件畠者、用々依有、直銭廿貫文永代横橋大ぬし屋宗左衛門殿方へ売渡申候、<幷/東北之>やふしへき之事、又壱貫文ニして、ゆわふち村松蔵与一・同善太郎方より売渡申処実正明白也 県史中2(補)p.113
古文書集
三村 (度会) 永禄3.11.2 1560 〔新衛門田地売券〕(端裏書)「納三斗五升/寺中新衛門よりかい申候田也 在所かくのめおく山と云」/(異筆)「八日市郷内三村(黒印)」/定永代沽渡申候田之事 県史中2(補)p.149
松葉安平氏所蔵文書
八日市北村 (度会) 永禄9.9.2 1566 〔慶徳家利屋敷売券〕八日市郷内三村(黒印)/永代売渡申候屋敷之事/合壱所八日市北村 坪数四十七坪 間中有 県史中1(下)p.777
輯古帖
うに坂平ノ郷 (度会) 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百貫<南伊勢うに坂平ノ郷相違/滝縄>富田七助 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
野尻村
さき村
度会 慶長3.2.8 1598 〔豊臣秀吉知行目録〕知行方目録/本知/‖/一、百四拾石 野尻村/‖/一、弐百五拾石 さき村 嬉野史p.39
国立公文書館所蔵 内閣文庫
加野村
積印村
度会 慶長3.7.26 1598 〔豊臣秀吉知行目録〕知行方目録/一、千百五拾七石六斗四升 渡会郡 加野村/一、弐百八拾六石九斗六升 同 積印村 嬉野史p.38
滋賀県分部宝物保存会所蔵 分部文書
吹上村[57] (度会) 年月日未詳 〔某申状案〕(端裏書、切継)「紺屋後家寄進之状也」/箕曲郷吹上村田畠二段事 県史中2p.1108
国立公文書館所蔵光明寺古文書(巻24)
小林村☆ (度会) 年月日未詳 一御厨御薗事/‖/度会郡/‖/外宮/‖小林村 神道大系p.37
神宮雑例集
宮子村 (度会) 年月日未詳 〔法楽寺末寺目録〕当寺末寺廿四寺目録/‖/梶原寺<宮子村/大里・小里> 実聡御恩/‖/庄厳寺<久具村> 立岡筑前守御恩 県史古中(荘)p.769
田中譲氏旧蔵典籍古文書 伊勢国釈尊寺手継案

所属不明

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
黒田郷 [58] 8Cヵ 〔木簡〕「「郡黒田郷調塩三斗 県史古上p.797
平城宮木簡3
下久保郷 永正16.12.12 1519 〔黒辺館八郎左衛門屋敷売券〕永代沽渡申屋敷之事/在所者下久保之郷上館 坪数廿三坪 県史中2(補)p.24
古文書集
田中郷 永禄7.9.25 1564 〔田中与五郎後家屋敷売券案〕永代沽おおおおお敷之事‖/お壱所 在所者田中郷 坪数五十八坪三尺 県史中2(補)p.21
古文書集
ほうつミやけ郷 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、三百貫<南伊勢/ほうつミやけの郷内相違>朴木吉六 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)
八田郷[59] 天正13.-.- 1585 〔織田信雄分限帳〕織田信雄分限帳/‖/一、百貫文<南伊勢 八田郷/内相違> 四日市市史p.876-897
織田信雄分限帳(『続群書類従』)

  1. 下野代村(『角川日本地名大辞典』)
  2. 戸津村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  3. 糠田村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  4. 北大社村・南大社村(『慶安郷帳』)
  5. 川原村(『慶安郷帳』)
  6. 森忠村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  7. 西野尻・下野尻
  8. 東貝野村・西貝野村(『天保郷帳』)
  9. 「朝明郡葦田郷は和名抄では三重郡葦田郷とし、「安之美多」とよんでいる。「正倉院文書続修二十八」によれば、秦家主の前に「写経落人」の四字がみえる。」(『四日市市史』(古代・中世)p.23)
  10. 「良田郷は葦田郷を改称したものか」(『平凡社歴史地名大系』)
  11. 西坂部村・東坂部村。「五鈴遺響」によれば、坂部の名は「和名抄」刑部(おさかべ)郷の転訛したものという。(『日本歴史地名大系』)
  12. 『四日市市史』(古代・中世)p.161による
  13. 上衣比原村・下衣比原村
  14. 佐倉村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  15. 18・21日条にも記載あり
  16. 大治田村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  17. 室山村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  18. 川島村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  19. 北小松村・南小松村
  20. 浜田村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  21. 芝田村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  22. 注1
  23. 伊船村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  24. 羽若村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  25. 井尻村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  26. 亀山東町・亀山西町(『天保郷帳』)
  27. 跡部村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  28. 「兵範記」仁安三年(一一六八)二月四日条に載せる安濃津沙汰人申状に「東西郡甲乙人」とみえ、二郡に分割されていることが知られ、鎌倉時代には安東郡・安西郡に分けて記されることが多くなる。(『日本歴史地名大系』)
  29. 曽原村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  30. 太郎生村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  31. 須賀村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  32. 城立村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  33. 滝之川村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  34. 「『日本往生極楽記』は寛和年間の成立とされるので、寛和年に収めた」とする『県史』に従った。
  35. 「無坂・真弓郷」であるのか、「無坂」の内に真弓郷が含まれるのかは不明。(『地名大系』)
  36. 江津村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  37. 「「和名抄」に漕代郷があるが、同書高山寺本は「渭代」に作っており、これが渭手に転訛、さらに訓をイデとしたものか」(『角川日本地名大辞典』)
  38. 「百済に使者としていった功により当地を賜った乳熊(ちくま)長彦の姓に由来し、平安期に中万を改称したという(三国地誌)。「和名抄」乳熊郷と同一と考えられる。」(『角川日本地名辞典』)
  39. 立利村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  40. 「横地村」(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  41. 下有尓村(『天保郷帳』)
  42. 東相鹿瀬村・西相鹿瀬村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  43. 西池上村・東池上村(『天保郷帳』)
  44. 「弘安8年成立の「伊勢二所太神宮神名秘書」では当郷服村を飯野郡としている。郡名の誤りか、あるいは一時期飯野郡に属したか」(『角川日本地名大辞典』)
  45. 中大淀村・山大淀村(『天保郷帳』)
  46. 「二見郷」の間違いか。
  47. 下田辺村(『天保郷帳』)
  48. 東・西原村(『地名大辞典』)
  49. 田宮寺村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  50. 注連指村(『元禄郷帳』『天保郷帳』)
  51. 岡本町(『天保郷帳』)
  52. 川上村(『天保郷帳』)
  53. 粟野村(『天保郷帳』)
  54. 阿竹村(『天保郷帳』)
  55. 小川三郷(『天保郷帳』)
  56. 一之木町(『天保郷帳』)
  57. 吹上町(『天保郷帳』)
  58. 黒田郷は、奄芸郡と飯野郡にある。(『地名大辞典』)
  59. 「八田」の地名は、飯野郡と壱志郡にそれぞれある。(『角川地名大辞典』)