「参河国」の版間の差分

提供:「ムラの戸籍簿」データベース
(ページの作成:「作成者:服部光真 ==郷村名郡別世紀別初出表== {|class="wikitable align_center" |- |rowspan="2" class="goumei border_bottom"|郷村<br>/<br>世紀||col…」)
 
1行目: 1行目:
========================================<br>
本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。<br>
また、郷村表はもともと各国担当者によってWordで作成されており、これを、「ムラの戸籍簿」研究会事務局で集約して公開用に変換しております。<br>
変換作業上、特殊な文字や史料表記について、やむをえず作成者の作成した文字データが反映されていない部分のありますことをご承知おきいただけましたら幸いです。<br>
========================================<br>
<br>
<br>
作成者:服部光真
作成者:服部光真
==郷村名郡別世紀別初出表==
==郷村名郡別世紀別初出表==

2020年3月31日 (火) 20:58時点における版

========================================
本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。
また、郷村表はもともと各国担当者によってWordで作成されており、これを、「ムラの戸籍簿」研究会事務局で集約して公開用に変換しております。
変換作業上、特殊な文字や史料表記について、やむをえず作成者の作成した文字データが反映されていない部分のありますことをご承知おきいただけましたら幸いです。
========================================


作成者:服部光真

郷村名郡別世紀別初出表

郷村

世紀
郷(里)
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 未詳 合計 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 未詳 合計
合計 13 24 4 27 53 69 183 1 374 1 2 42 29 256 330
碧海郡 3 4 16 2 16 14 1 56 1 6 3 47 57
額田郡 5 1 5 7 13 23 54 1 4 28 33
賀茂郡 3 1 2 24 7 17 54 31 4 45 80
幡豆郡 4 1 1 1 9 29 45 2 1 33 36
宝飫郡 1 7 1 4 4 45 62 1 1 1 4 29 36
八名郡 5 1 1 5 14 26 6 15 21
渥美郡 2 1 1 3 12 6 24 49 20 20
設楽郡 2 6 17 25 7 31 38
所属郡不明 3 3 1 8 9

概要

概要

・参河国は、東海道の一国で、現在の愛知県東部に相当する。もともと西部が三河国造、東部が穂国造の支配地であったのが、遅くとも天武期までに穂を下位として三川(三河・参河)国が成立したと考えられている(福岡2008)。
・西三河の碧海郡(青見評)、額田郡、賀茂郡(鴨評、加茂郡)、幡豆郡、東三河の宝飫郡(穂評、宝飯郡)、八名郡、渥美郡からなり、延喜3年(903)に設楽郡が宝飫郡から分割されて成立した(『延喜式』民部上頭注)。「西三河」「東三河」の地域呼称は戦国期には明確に認められるようになる。また織豊期に碧海郡、賀茂郡の一部が高橋郡として分立し、西三河または尾張に属したが、近世には消滅し、もとのように碧海・加茂両郡に分かれた。
・国府は宝飫郡に置かれた。一宮は砥鹿神社(宝飯郡)、二宮は知立神社(碧海郡)、三宮は猿投神社(賀茂郡)とされるが、古代・中世段階では明確ではない。寺院では、真福寺(額田郡)、瀧山寺(同)、鳳来寺(設楽郡)、普門寺(渥美郡)などの顕密寺院が12世紀以降盛期を迎え、相互のネットワークも確認される。一方、15世紀後半以降、西三河で真宗寺院が多く展開し、一向一揆の基盤にもなった。また、浄土宗西山派や、遠江国からの影響のもとで日蓮宗や曹洞宗などが広まった。
・中世の国衙領は国府周辺、額田郡、設楽郡などに分布している。荘園は、西三河で12Cまでに碧海庄(碧海郡)、志貴庄(碧海郡・幡豆郡)高橋庄(賀茂郡)、足助庄(同)など大規模なものが成立したが、東三河では宇利庄(八名郡)などはあるが、顕著には展開しなかった。三河湾沿岸部には伊勢神宮領が多く分布した。10世紀に渥美郡に本神戸・新神戸が設置され、12世紀後半までに多くの御厨や御薗が成立している。平安後期の開発領主として、熱田大宮司職を継承した額田郡の藤原氏一族が知られる。
・鎌倉初期には安達盛長が守護を勤めた。守護所は御津(宝飯郡)に置かれたものとみられる。また、尾張守護の小野成綱が高橋庄地頭職を得た。正治2年(1200)に後鳥羽院の生母七条院が分国主となり、承久の乱では小野盛綱、重原次広らが院方についている。乱後、三河守護には足利義氏が任ぜられ、小野氏、重原氏の闕所地には、中条氏が尾張国守護・高橋庄地頭、二階堂氏が重原庄地頭としてそれぞれ入った。足利氏は守護職のほか、額田郡、設楽郡、碧海庄、吉良庄(幡豆郡)の各地頭職を獲得し、矢作(碧海郡・額田郡)に守護所と額田郡政所を置いて支配した。
・室町期になると、守護は高氏、仁木氏、新田氏を経て一色氏(1377~1440年)、細川氏(~1478年頃)と推移した。守護所は一色氏の時期から再び御津に置かれている。応永14年(1407)に足利義満より三河国衙職が醍醐寺三宝院に与えられ、翌年守護請契約により守護一色氏が宝飯郡、渥美郡で守護領を形成したとされる(湯原2003)。しかし、鎌倉期以来の足利氏所領に由来する室町将軍御料所、奉公衆領、在京寺院領などが多く分布したため、守護支配は全体的に進展しなかった。
・戦国期になると守護、奉公衆に代わり、牧野氏、戸田氏、松平氏などが台頭したが、16世紀半ばには今川氏領国に組み込まれた。義元死後は松平元康(徳川家康)が天正18年(1590)の関東移封まで治めた後、池田照政領(吉田城)、田中吉政領(岡崎城)、水野忠重領(刈谷城)などに分けられた。
・村の初見は12Cと遅れるが、郷に関しては7,8Cに所見があったあと、9-11Cの空白があり、12Cに再び出現し、漸増して14C以降に急増する。他国と概ね同様の傾向が認められる。
・大規模荘園内部の郷や、国衙領の郷の多くは近世村にそのまま継承される。一方、国衙領の大規模郷では下位に村が見いだされ、郷―村の関係が一般的に見出される(但し、「宝飯郡下五井村瓜郷」の一例の例外がある)。その場合の郷は近世村落に継承されず、村のほうがそのまま継承される。
・今川氏、徳川氏まで所領の基本単位としては郷が一般的で、両氏は拠点となる郷の名を冠して複数の郷を「領」として編成した。村が基本的な行政単位となるのは豊臣系大名が入る1590年代からとなる。

参考文献

福岡猛志「古代の尾張・三河世界と伊勢湾」『愛知大学綜合郷土研究所紀要』第53輯、2008年
新行紀一「三河国」『講座日本荘園史』第5巻東北・関東・東海地方の荘園、吉川弘文館、1990年
湯原紀子「室町期における三河国の支配構造」『学習院史学』第41号、2003年
『新編安城市史』1通史編 原始・古代・中世、安城市、2007年

典拠史料

・原則として、『愛知県史』資料編6~14(古代、中世、織豊)の各巻(1999年~2014年)を使用した。
・既刊の『愛知県史』資料編6~13に収録されていない寺社縁起やその他の新出史料などについては、他の文献を適宜使用し、出典欄に署名を明記した。但し、これらの文献は網羅的に繰っていない。

凡例

・『愛知県史』資料編8中世1p.365→県史8p.365などと略記する。
・出典欄の自治体名は、『愛知県史』各巻の刊行当時のままである。市町村合併、市制移行等により2013年現在と異なる自治体名もあるが、『愛知県史』との対応関係を考慮して、直さなかった。
・近世村落への継承関係については、寛永年間(1624-44)の『三河国村々高附』(寛永高附と略記)、天保5年(1834)の『天保郷帳』を参照した(『日本歴史地名体系23 愛知県』平凡社、1981年)。
・註では『角川日本地名大辞典23 愛知県』を「角川」と略記する。
・織豊期のみに出現する高橋郡については独立して表を作らず、高橋郡として登場する郷村は碧海郡、賀茂郡のいずれかに収めた。比定に際しては、新行紀一「戦国時代の高橋庄」(『豊田市の城下町展』豊田市郷土資料館、2001年、後に『三河中世史断章』私家版、2004年に収録)にしたがった。但し、特別に注意を要する場合は註記した。
・志貴庄(幡豆郡と表記されることが多いが、中心は碧海郡か)、足助庄(加茂郡と表記されるが、設楽郡にも跨る)に属する郷村は所属郡が不明確な場合が多い。ここでは便宜史料上の表記の通りに各郡に収めたが、和名抄段階の郡を基準とする「ムラの戸籍簿」の方針に照らして、今後検討を要する。比定の根拠や近世の状況などについて特別に注意を要する場合は註記した。

郷村表

碧海郡

郷(里)

智立、采女、刑部、依網与沙美、鷲鳥和之止利、谷部、大市於保以知、碧海、木遺礼、呰見、河内、桜井、小河、大岡、薢野

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
大市部五十戸 青見評 7C 〔荷札木簡〕【大市】三川国青見評大市部五十戸人/太市部逆米六斗 県史7p.733
石神遺跡木簡
知利布五十戸☆[1] (碧海) 7C 〔荷札木簡〕【智立】乙亥□[歳ヵ]十月立記知利布五十戸/□止下又長部加□小□米□□ 県史7p.733
石神遺跡木簡
委之取五十戸 (碧海) 7C 〔木簡〕【鷲取】委之取五十戸仕丁イ車物□□/「建建」/二斗三中神井弥[ ]三ヵ斗/「銀銀釜□重子□小子□□/建建□建」 県史7p.734
石神遺跡木簡
呰見郷
碧海郡 8C[2] 〔貢進歴名帳〕【呰見】呉部清虫年廿二、参河国碧海郡呰見郷戸主呉部呰麻呂戸口、 県史6p.119
正倉院文書
婇里[3]
青見里
長谷部里
(碧海) 8C 〔荷札木簡〕【采女】【谷部】【碧海】婇里、知立ヵ里、□部里、長谷部里/□□里、青見里、前里、石寸里 県史6p.699
平城宮木簡
上青野郷☆ 碧海庄
(碧海)
永仁元.5.30 1293 〔親玄僧正日記〕参河国碧海庄上青野郷地頭職事、正応六年五月卅日長光拝領之、 県史8p.365
占部郷☆[4]
中郷☆[5]
村高郷☆
下青野郷☆
薬師寺郷
橋良郷☆[6]
津々針郷☆[7]
下渡郷☆
長瀬郷
宿石神郷
小針郷☆
榑戸郷☆[8]
牧内郷☆[9]
上戸郷[10]
大友郷☆[11]
碧海庄
(碧海)
永仁3.8.- 1295 〔三河国碧海荘日御供米配分状〕熊野山日御供米碧海庄配分事/合四百玖石五斗〈但、自上総国畔赫庄、至手新宮津運賃、雑用定〉/百十四石 占部郷/四十二石八斗 中郷/二十九石八斗七升 村高郷/三十五石三斗 下青野郷/二十四石七斗三升 宇祢部郷/四石四斗七升 薬師寺郷/八石六斗五升 橋良郷/二石四斗七升 津々針郷/十壱石 下渡郷/七十石五斗 長瀬郷/壱石四斗 宿石神郷/五石 小針郷半分〈尾藤兵衛六郎分〉/四石二斗 榑戸郷/四石二斗 南小崎三分二/壱石壱斗 同郷三分一/壱石壱斗 牧内郷/三十八石八斗九升 上戸郷/十石五斗四升 大支(友)郷/右、支配之状如件、/  永仁三年八月 日   僧判 県史8p.367
紀伊続風土記
下和田郷☆[12] (碧海) 康暦元.8.21 1379 〔管領斯波義将奉書案〕参河国渥美郡〈野依郷除之〉、同国下和田郷事、任安堵之旨、可被沙汰付佐々木大膳大夫高秀代之状、依仰執達如件、 県史9p.160
佐々木文書
野田郷☆ 重原庄(碧海) 14Cヵ 〔野田せんあ申状案〕みかわのくにしけわらのしやうの内、のたのかうのきう人、のたのきやうふ入たうせんあ申、てきしんいはいの事、 県史8p.686
八坂神社記録紙背文書
重原本郷[13]
八橋郷☆
小垣江郷☆
借屋郷☆[14]
小山郷☆
牛田三ヶ郷☆[15]
竹村郷☆
高取郷☆
平田郷[16]
小崎郷☆[17]
高浜郷☆
吉浜郷☆[18]
(碧海) 応永16.1.11 1409 〔良尊譲状案〕熊野参詣良尊法印引導之檀那之在所事〈次第不同〉‖三河国分/一所重原本郷内井か屋・にしさかい/一所八橋郷 一所智鯉鮒・氷見・小林/一所小垣江郷 一所借屋郷 一所小山郷/一所牛田三ヶ郷 一所野田郷〈幷繁畾土〉/一所湯屋脇 一所竹村郷 一所今泉・ひかしさかい五ヶ村/一所 大浜郷 一所高取郷・同高棚/一所 浦西はた 一所平田郷 一所上戸郷/一所小崎郷 一所小張郷 一所長瀬郷〈是ハ宝福寺一和尚引の檀那也、〉/一所高浜郷 一所吉浜郷/右彼檀那、悉宰相律師良実譲渡所実正也、仍譲状如件、 県史9p.419,420
熊野那智大社文書
三木郷☆[19] 碧海庄
(碧海)
嘉吉元.11.- 1441 〔南禅寺上乗院雑掌訴状案〕上乗院雑掌謹言上/参河国碧海庄内三木郷今一色事 県史9p.712
葛川文書
堤之郷☆ 重原庄(碧海) 康正2.6.23 1456 〔造内裏段銭幷国役引付〕一貫百五十文 〈同日(六月廿三日内)、同前、/二日定〉 堤新次郎殿〈三河国重原庄之/内堤之郷段銭段銭〉 県史9p.856
都賀利郷☆[20] 碧海庄
(碧海)
文明9.12.26 1477 〔棟札銘〕奉造立鹿嶋宮一于(宇)/大檀那三川国碧海庄都賀利郷住人 ◆(ママ)原重次/文明九年〈丁酉〉十二月廿六日 県史10p.883
豊田市鹿島社
合歓木郷☆ 碧海庄
碧海郡
明応2.12.10 1493 〔弥陀画像裏書〕[ ]寺門徒ヵ/三河国碧海郡碧海庄/村高郷内合歓木郷ヵ 県史10p.944
岡崎市正願寺
和田郷☆[21] 碧海庄
碧海郡
永正8.4.8 1511 〔弥陀画像裏書写〕勝漫寺門徒三州/碧海郡碧海庄和田郷/光顔寺常住物也 県史10p.949
岡崎市清水文慶氏所蔵『平地光顔寺由緒』所収
長崎郷☆ 重原庄
碧海郡
永正13.6.28 1516 〔弥陀画像裏書〕本證寺門徒参州碧海郡重原庄長崎郷 県史10p.950
吉良町源徳寺
東端之郷☆ (碧海) 天文15.3.10 1546 〔松平広忠判物写〕今度世上就申事、別而無御等閑趣本望候、此式雖少所候、東端之郷之内長福寺領進置候、 県史10p.643
記録御用所本古文書
別郷☆ 碧海郡 永禄元.11.13 1558 〔草下重次売券〕永代売渡申田地之事/合五斗目者〈在所別郷之下/より田と申候〉、/右彼田地、代物参貫文ニ売渡申候処実正也、 県史10p.864
妙源寺文書
矢作郷[22] 碧海庄
碧海郡
永禄9.5.6 1566 〔言継卿記〕東海道三川州碧海郡碧海庄矢作郷藤原来天契収叟総持寺住持職之事、 県史11p.250
青野郷[23] (碧海) 永禄9.5.21 1566 〔松平家康判物写〕青野郷内小栗分買徳(得)方五百疋之田地大樹寺昇蓮社進誉上人寄進之事 県史11p.252
大樹寺文書
一ツ木郷 (碧海) 永禄11.6.8 1568 〔徳川家康判物写[24]〕知行方之事‖一弐拾貫四百八十文 〈一ツ木郷豊後分/公方年貢八貫四百文ハ、先給人へ此方より替知可遣也〉‖已上、/右分可有領知、猶追而可致沙汰者也、 県史11p.313
知立神社文書
八間郷 重原庄
碧海郡
天正9.9.- 1581 〔証如画像裏書〕大谷本願寺釈顕如(花押)/天正九〈辛巳〉年九月□六ヵ日/参州碧海郡重原庄八間郷慈光寺住物也/証如上人真影 願主釈教寿 県史11p.762
岡崎市慈光寺
和泉之郷☆[25] (碧海) (天正16).3.- 1588 〔石川家成書状写〕今度上へ材木之儀三州一向宗一立御頼被成候、七ヶ寺本作左より被申候ハヽ、一向宗之分ハ無沙汰可相届候、其上何かと申候者、殿様ヨリ御意事候、急度可申付候、ふさた申ましく候、かしく、/三月   石日(石川家成)/長瀬郷/合歓木郷/牧山之郷/平田之郷/和泉之郷 県史12p.694
上宮寺文書
宇藤之郷☆[26] (碧海) 天正17.10.27 1589 〔徳川家康定書〕定(徳川家康朱印、印文「福徳」)‖右七ヶ条所被定置也、若地頭及難渋者、以目安可令言上者也、仍如件、/天正十七〈己丑〉十月廿七日  阿部善八郎正次(花押)/宇藤之郷 県史12p.786
井上家文書
本郷☆[27] (碧海) 天正17.10.27 1589 〔徳川家康定書〕定(徳川家康朱印、印文「福徳」)‖右七ヶ条所被定置也、若地頭及難渋者、以目安可令言上者也、仍如件、/天正十七〈己丑〉十月廿七日  阿部善八郎正次(花押)/三川本郷蓮華寺 県史12p.787
蓮華寺文書
大岡之郷☆[28] (碧海) 天正17.10.27 1589 〔徳川家康定書〕【大岡】天正十七〈己丑〉十月廿七日  阿部善八郎正次(花押)/大岡之郷 県史12p.788
三州岡崎領古文書上
河野之郷☆ (碧海) 天正17.12.26 1589 〔三河国河野郷年貢請負状写〕今度御縄之上御請負代わケ之事‖丑十二月廿六日  河野之郷(印)/加藤喜助殿まいる 県史12p.816
鳥居家文書
中島郷☆[29] 西三川(碧海) 天正18.2.5 1590 〔伊奈忠次知行書立〕御知行書立/一千九百卅弐表(俵)壱斗六升九勺壱才 西三川中島郷‖松平又八殿 県史12p.840
本光寺常盤歴史資料館所蔵文書
土井郷 (碧海) 年未詳.-.- 〔某判物写〕其方屋しき之密柑、壱本ほらせ取候、重而ハ所望有ましく候之間、樹木を可植置候、誰人所望候共、出候事有ましき者也、/午三月十五日/御判/土井郷/平左衛門 新編岡崎市史6p.1117
三州岡崎領古文書

年月日 西暦 原     文 出  典
今村☆ (碧海) 文永8.5.7 1271 〔二階堂行氏置文案〕一 重原庄与今村堺事/於田畠者、付作人、○(任先)例、可致其沙汰、至野山境者、 県史8p.261
二階堂文書
三木村☆
今一色村
碧海庄
(碧海)
元応2.12.1 1320 〔萬一記〕元応二年十二月一日評定/一 松殿前中納言与持明院前中納言相論参川国碧海庄内三木・今一色両村幷山城国富坂庄事 県史8p.493
牛田下切村
馬渡村
小林村
重原庄
(碧海)
貞和2.⑨.11 1346 〔足利尊氏下文案〕下 隠岐三郎左衛門尉法師〈法名行存〉/可令早領知筑前国師岡別符〈武藤新左衛門尉法師跡〉・参河国重原荘内平(牛)田下切・馬渡・小林参ヶ村地頭職事 県史8p.704
二階堂文書
桑子村☆ 碧海郡 永和4.3.10 1377 〔某印判状写[30]〕名主/刑部/参河国碧海郡桑子村畠方五貫事、任先規令下行者也、 県史9p.149
雑文書
ひかしさかい五ヶ村☆[31] (碧海) 応永16.1.11 1409 〔良尊譲状案〕熊野参詣良尊法印引導之檀那之在所事〈次第不同〉‖三河国分‖一所今泉・ひかしさかい五ヶ村‖右彼檀那、悉宰相律師良実譲渡所実正也、仍譲状如件、 県史9p.420
熊野那智大社文書
一木村☆[32] (碧海) 康正2.6.11 1456 〔造内裏段銭幷国役引付〕一貫二百五十文 〈六月自七日/至十一月(日)、九日定〉 大和弥九郎殿〈三河国一木村之/段銭〉 県史9p.855
小垣江村☆ (碧海) 長禄3.2.- 1459 〔細川成之代申状写〕細河讃岐守成之謹支言上/参河国宝飯郷(郡)半分幷同国小垣江村・嵩山村等之事 県史9p.887
尊経閣文庫所蔵「為自然写之」所収
中島村☆ 碧海郡 永禄3.6.3 1560 〔松平元康禁制写〕禁制/三州碧海郡中島村/廬庵崇福寺境内 県史11p.6
岡崎市崇福寺
下和田(村)☆ (碧海) 永禄6.⑫.- 1563 〔松平家康判物写〕富永伴五郎知行貝福・駒場并永良・山田給之為替知進置地之事/一百貫文 下和田一村散田/一九拾六貫八百文 善明之郷/一百五拾七貫九拾六文 瀬戸之郷/右之三ヶ所、縦無事ニ雖成行候、替地等之儀有間鋪候、又津平為替地、木田之郷一円、付吉田之郷、其方知行之外七拾三貫文之地、進置之候、 県史11p.145
譜牃余録巻33
青野村☆ 碧海郡 永禄7.-.25 1564 〔松井忠次寄進状写[33]〕参州碧海郡青野村之内五石者、厳松為菩提令寄附畢、岡崎領掌不可有相違者也、 県史11p.202
慈光寺文書
川原本郷村[34] (碧海) 天正15.1.20 1587 〔川原本郷村重代記録奥書写〕重代記録書畢/天正十五〈丁卯〉年/正月廿日/川原本郷村 県史12p.636
北本郷町区有文書
今岡村☆ 重原庄
碧海郡
天正17.8.20 1589 〔棟札銘写〕奉建立神明宮社一宇/天正十七年己卯八月廿日三州碧海郡重原庄今岡村 県史12p.752
刈谷市今岡神明社
宮地村☆[35] (碧海) 天正17.9.23 1589 〔徳川家康定書写〕天正十七年九月廿三日  水野平衛門〈御印判/御墨印〉/宮地村 県史12p.766
三州岡崎領古文書写
渡利村☆[36] (碧海) 天正17.10.27 1589 〔徳川家康定書〕定(徳川家康朱印、印文「福徳」)‖右七ヶ条所被定置也、若地頭及難渋者、以目安可令言上者也、仍如件、/天正十七〈己丑〉十月廿七日  加藤喜助正次(花押)/筒針之内 「渡利村在」(異筆ヵ) 県史12p.787
鳥居家文書
井内村☆ (碧海) 天正17.11.21 1589 〔徳川家康定書〕定(徳川家康朱印、印文「福徳」)‖右七ヶ条所被定置訖、若地頭及難渋者、以目安可申上者也、仍如件、/天正十七年十一月廿一日  小栗二右衛門尉吉忠(黒印、印文「満」)/井内村 県史12p.803
某氏所蔵文書
さゝめ村☆[37](篠目) へきかいノかうり 天正18.9.- 1590 〔三河国篠目村田方検地帳写〕(表紙)「へきかいノかうり さゝめ村/天正拾八年九月吉日/田方「帳」(追筆) 県史13p.69
篠目町内会所蔵文書
野寺村☆ あふみ郡 天正18.10.7 1590 〔三河国野寺村畠方検地帳写〕(表紙)「あふみ郡内/畠方 野寺村/天拾八十月七日」 県史13p.82
本證寺文書
和泉田村☆[38] (碧海) 天正18.10.13 1590 〔津田宣久判物〕以上/和泉田村之免あい(相)之事、田畠おこしめて三つ七分ニ定置うへ相替義有之間敷者也、/天正拾八年十月十三日 津田四郎兵衛尉宣久(花押)/いつミ田村惣百性中 県史13p.90
刈屋市教育委員会所蔵文書
福鎌村☆[39] 碧海郡 天正18.10.28 1590 〔三河国福鎌村田方検地帳写〕(表紙)「天正拾八年十月廿八日/三川国碧海郡福鎌村/田方」 県史13p.95
立教大学図書館所蔵文書
箕輪村☆ 碧海郡 天正18.10.28 1590 〔三河国福鎌村畠方検地帳写〕(表紙裏貼紙)「天正十八年十月廿八日/字きれと/御本田御縄打帳/三州碧海郡/訴訟方/箕輪村」 県史13p.99
立教大学図書館所蔵宇文書
高木村☆
大岡村☆
河野村☆
中切村☆
(碧海) 天正18.-.- 1590 〔縄打歩測帳〕(表紙)「御縄打歩測御帳   中記/天正拾七年〈己丑〉九月廿八日/三州碧海郡平田庄大岡」‖(異筆)「天正拾八年とら/高辻弐百拾九石九斗四升 高木村/高辻百卅八石三斗五升九合 大岡村/高辻百七拾壱石八斗四升 河野村/高辻参百九拾六石九斗/高辻百四拾参石三斗七升 宮地村」 県史12p.774
大岡白山神社文書
いも川村[40](今川) (碧海) 天正20.4.12 1592 〔吉田勝親判物写〕其村免相之事/物成三ツ成相定候間、相違不可有候、町屋敷之儀は御検地之時如極たるべき也、/天正廿年卯月十二日 吉田修理亮勝根(親)華押/いも川(今川)村中 県史13p.298
碧海郡誌所収文書
ちりう村☆[41](池鯉鮒) 西三河高橋郡
(碧海)
文禄4.8.3 1595 〔豊臣秀吉朱印状〕(表紙)「知行方目録/文禄四年八月三日/水野和泉守」/知行方目録‖一千石 同(西三河内高橋郡) あハのもく分 ちりう村‖水野和泉守とのへ 県史13p.453
下総結城水野家文書
うとふ村☆(宇頭)
田もミ村[42]
小川村☆
ねふの木村☆(合歓木)
おとう村
古井村
(碧海)
へきかい郡
西三河
(碧海)
文禄4.8.8 1595 〔豊臣秀吉朱印状写〕知行方目録‖一四百拾九石四斗弐升 三河うとふ村‖一百九石 西堀助九郎分 田もミ村/一弐百弐拾石壱斗 同へきかい郡 田中助右衛門分 井内村/一三百六石弐斗四升 同 同分 小川村内/一九拾六石六斗七升 同 同分 ねふの木村内/一九拾三石七斗七升 同 おとう村‖一七拾七石三斗弐升 西三河内 熊谷大膳分 赤松/一九拾三石六斗 同 同人分 古井村/一九拾三石弐斗六升 同 同人分 小川村‖都合壱万六千石/右、令扶助之訖、可全領知候也、/文禄四年八月八日/日根野治部卿法印 県史13p.457,458
藩中古文書
いけはた村☆(池端)
坂戸村☆
高かハら村☆(高川原)
宮口村☆[43]
本地村☆[44]
あふこおり
(碧海)
高橋郡
(碧海)
文禄4.8.8 1595 〔豊臣秀吉朱印状写〕知行方目録‖一参百八拾三石 同(勢州、ママ)あふ(碧海ヵ)こおり 丹羽勘介分 いけはた村/坂戸村/一百五十石 同 高かハら村‖一千五百参十石四斗六升 同高島(橋)郡 西堀助九郎分 宮口村/一八百石 同 西堀助九郎分 本地村‖都合壱万六千石/右、令扶助之訖、可全領知候也、/文禄四年八月八日/日根野法印 県史13p.459
藩中古文書
はしめ村☆(橋目)
山さき村☆(山崎)
上野村☆[45]
たて出し村[46]
西さかい村☆(西境)
あみたたう村☆(阿弥陀堂)
たかむら☆(竹村)
とかり村☆(渡刈)
とい村☆[47](土井)
こはり村☆(小針)
寺領村☆
東はた村☆(東端)
いつミ村☆[48](泉)
へつ所村☆[49](別所)
こもう村☆[50]
上条村☆
高橋郡
(碧海)
文禄5.7.27 1596 〔豊臣秀吉朱印状〕知行方目録/一三百九拾弐石七斗三升 三州高橋郡 はしめ村/一六百三拾六石七斗九升 同郡 山さき村/一弐千四百六拾石一斗五升 同郡 上野村/一七拾四石七斗一升 同郡 たて出し村/一七百九拾壱石三斗 同郡 西はた村/一五百九拾三石七斗三升 同郡 ふつかま村/一三百三拾七石六斗 同郡 西さかい村/一弐百五拾四石壱斗八升 同郡 あみたたう村/一千四拾弐石壱斗七升 同郡 たかむら(竹村ヵ)/一百五拾三石五升 同郡  中島村/一三百五拾三石四斗七升 同郡 とかり村/一七百弐拾六石六升 同郡 とい村/一四百六拾石八斗八升 同郡 こはり村/一六百五拾壱石三斗 同郡 ゑの木津村/一百八石八斗弐升 同郡 寺領村/一九拾四石 同郡 なかね村/一八百九拾九石五斗八升 同郡 東はた村/一四百九拾四石弐升 同郡 いつミ村/一参百六拾六石七斗八升 同郡 中きり村/一六拾六石三升 同郡 へつ所村/一千弐拾弐石六斗七升 同郡 おかき江村/一弐百壱石七斗六升 同郡 こもう村/一七百六拾弐石四升 同郡 上条村/一八百拾壱石四斗八升 同郡 本地村/一三百二拾七石三斗 同郡 今村/合壱万四千弐百五拾弐石六斗/右、為加増令扶助訖、本知八万五千七百五拾八石、都合拾万石全可領知候也、文禄五年七月二十七日  ○(豊臣秀吉朱印)/田中兵部大輔とのへ 県史13p.564,565
田中文書
大友村☆ 碧海庄
碧海郡
慶長2.8.13 1597 〔顕如画像裏書〕顕如上人真影/大谷本願寺釈教如(花押)/慶長二〈丁酉〉年八月十三日/佐々木上宮寺門徒三州碧海郡碧海庄大友村玉泉坊常住物也/願主釈尊乗 県史13p.580
岡崎市安受寺

額田郡

郷(里)

新城、鴨田、位賀、額田、麻津、六石、大野

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
額田郷 額田郡 天平勝宝2.4.19 750 〔仕丁送文〕【額田】物部忍万侶、〈年卅二/参河国額田郷山綱家戸主物部刀良戸口〉 県史6p.129
正倉院文書丹裏文書85
麻津郷 額田郡 8C
(747-753)[51]
〔貢進歴名帳〕【麻津】尾津君荒鷹年十九、参河国額田郡麻津郷戸主尾津君阿久多戸口(朱消あり)、 県史6p.119
正倉院文書
新木郷☆[52] 額田郡 8C 〔荷札木簡〕【新城】参河国額田郡新木郷丸部五月 県史6p.695
平城宮木簡
鴨田郷☆ 農多郡 8C 〔荷札木簡〕【鴨田】参河国農多郡鴨田郷厚石里□ 県史6p.697
平城宮木簡
謂我郷☆[53] 額田郡 8C 〔荷札木簡〕【位賀】参河国額田郡謂我郷白米五斗 県史6p.698
平城宮木簡
恵那河内ノ郷☆[54] (額田) 保延6.10.2 1140 〔瀧山寺縁起〕棟木銘曰、保延六年庚申十月二日〈源氏女/藤原ノ季範〉、仏性燈油ノ料ニ被寄進恵那河内ノ郷ヲ了ヌ、大匠源ノ末貞矣、 県史14p.474
滝山寺文書
阿智波郷☆[55] (額田) 嘉禄2.4.- 1226 〔高階惟行・坂上惟伴連署寄進状〕寄進 惣持禅院修正等料田事/合捌段者、阿智波郷名越 影基跡/右件田、為修正仏性菩提心論講幷御忌日僧饍盆供御魂御料、所令寄進如件、 県史8p.144
滝山寺文書
やふたのかう☆(薮田郷) (額田) 建長元.6.16 1249 〔藪田郷地頭代・公文某貢物送文〕やふたのかう/進上/かりくさ 百はう/たきゝ 五十そく/件御さうしの事、上もちとうとのも御京上候之上、御年貢米ハ皆寺用米せめおろさせ候て、一合ものこり候はす、 県史8p.205
中山法華経寺文書
秦梨子郷☆[56] (額田) 弘安4.11.5 1281 〔髙重氏奉書〕秦梨子郷者、為不輸之地、当給主所充賜之也、早可令存其旨之由、所被仰下也、 県史8p.304
尊経閣文庫所蔵「武家手鑑」所収
比志賀郷[57] 額田郡 永仁4.3.1 1296 〔高師氏譲状〕譲渡 稲荷女房/額田郡内比志賀郷事/右、所譲渡如件、 県史8p.372
総持尼寺文書
萱園郷☆[58] 額田郡 永仁4.3.11 1296 〔足利貞氏下文案〕可令領掌賀美郡内穀積郷・沼袋郷半分・中新田郷内屋敷田畠、額田郡内萱園郷・仁木郷内屋敷田畠、市西郡内勝馬郷、相模国宮瀬村、足利庄内国府野屋敷給田畠〈但任後日譲状、後家一期可知行、〉幷屋形地・屋形〈後家/一期云々、〉等事、 県史8p.373
倉持文書
藺田郷☆[59] (額田) 嘉暦元.11.8 1326 〔論語集巻1奥書〕時也嘉暦元年十一月八日、於三州藺田郷書写了、 県史8p.541
菅生郷☆[60] (額田) 観応2.11.2 1351 〔足利義詮御教書〕参河国菅生郷地頭職事、停止軍勢等違乱、沙汰付下地於越後次郎代、可執進請取之状如件、 県史8p.792
総持尼寺文書
山中郷[61] (額田) 貞治2.2.24 1362 〔大般若波羅蜜多経巻381奥書〕貞治二年癸卯二月廿四日 於山中郷舞木釈迦棠(堂ヵ)書、/喜阿 県史8p.921
法輪寺文書
大矢原郷 額田郡 永和4.10.23 1378 〔彦部光春打渡状〕三河国額田郡内大矢原郷徐別給、事、任去十月十一日御施行之旨、莅彼所、打渡進士太郎左衛門入道代候訖、仍渡状如件、 県史9p.152
猪熊文書
大草郷☆ (額田) 康暦3.2.16 1381 〔将軍足利義満御判御教書〕参河国大草郷西方地頭職事、任観応・貞治等御下文、可令領知之状如件、 県史9p.179
尊経閣古文書纂
片寄郷☆ 額田郡 永徳2.8.22 1382 〔源信氏寄進状〕寄進/天恩寺領在所片寄郷/参河国額田郡内片寄郷幷大多伊良、次矢作東宿内在家、次保井郡内市田郷内三名等 県史9p.199
永源寺文書
岩堀郷☆ 額田郡 至徳2.8.- 1385 〔鰐口陰刻銘〕施入 三州額田郡岩堀郷新熊野御宝前/至徳二年〈乙丑〉八月 日 県史9p.227
名古屋市西蓮寺
古部郷☆ 額田郡 応永17.12.16 1410 〔棟札銘〕奉造替三州額田郡古部郷三社霊壇/応永十七年〈庚寅〉十二月十六日 大工藤原助三郎/檀那女浄栄/幷源朝臣常因 県史9p.1007
岡崎市須佐之男神社
中山郷 額田郡 応永24.12.26 1417 〔鰐口陰刻銘〕(表)三川額田郡内中山郷内高草村見光名/八幡宮鰐口檀那道性 (裏)応永廿二二年〈丁酉〉十二月廿六日敬白 県史9p.480
額田町高薄八幡宮
牧平合(郷)☆ 野方郡 永享5.1.21 1433 〔鰐口陰刻銘〕参河国野方郡牧平合(郷)薬師寺之鬼目也、 県史9p.622
豊橋市妙泉寺
細河郷☆[62] (額田) 享徳元.11.- 1452 〔雲版陰刻銘〕三州細河郷北山西光寺/道熱/享徳元壬申十一月日 県史9p.818
三重県長徳寺
葦谷郷☆[63]
保久郷☆
(額田) 康正2.6.17
康正2.6.20
1456 〔造内裏段銭幷国役引付〕五百五十五文 〈同(六月)十七日定/同前、〉 天花寺領〈三河国葦谷郷/段銭〉‖五百五十五文 〈同日(六月廿日)、/同前、〉 山下上野入道殿〈三河国保久郷段銭〉 県史9p.856
大門郷☆[64] 額田郡 長禄4.11.26 1460 〔松平親則請文写〕三河国額田郡大門郷内井口横大路屋敷空浄跡田畠事、預申処実正也、 県史9p.903
大樹寺文書
薗目郷[65] 額田郡 文明10.6.10 1478 〔弥陀画像裏書写〕参河国勝万寺門徒同国額田郡薗目郷 県史10p.941
岡崎市泉龍寺(絵像之控)
能見郷☆ 額田郡 延徳元.6.- 1489 〔天盈良倪置文写〕書置条々‖一崇岳院殿布施物、開山遺物、帳面之通後住江譲置者也、野衲事、此間西郷殿之請ニ応シ能見郷大林寺開山ニ被成候、依テ校割等什物帳ニ書留候事、/延徳元卯六月/妙心寺二代/良倪(花押)/妙心寺後住御坊 県史14p.851
千代の松根
於為平郷☆[66] (額田) 延徳4.8.13 1492 〔松平光重・同親貞連署状写[67]〕於為平郷内之事/一しヵ平井広大寺野事、/一東ハ古部二囲、桜井渡瀬切、/一南ハさかもりか入、水落を切、/一西ハ駒帰り坂、川通梅藪境、/一北ハはたなし境、水落切、/右、彼在所之分、依有御所望、永代所進置也、仍為後日状如件、 県史10p.207
某氏所蔵文書
井口之郷☆[68] (額田) 明応3.10.28 1494 〔松平光重奉書〕額田拾人百姓之内、井口之郷次郎右衛門名田之内、大樹寺西川端畠之事、代物七貫文ニ作敷(職)永代被召置候、 県史10p.222
大樹寺文書
磯辺郷☆[69] (額田) 明応6.8.13 1497 〔和漢朗詠集上聞書奥書〕于時明応六年〈酉(抹消符、丁)巳〉中秋十三日、於三川磯辺郷書写畢、/書写之意趣者、偏為末代弘通也、後見之人々者必々弥陀宝号可被唱之、南無阿弥陀仏 県史10p.237
養寿寺文書
岡崎郷[70] 額田郡 明応8.5.- 1499 〔観経疏抄散善義抄奥書〕右此抄十巻者四帖之疏之求疏也、/作者深草立信上人筆授竹林寺道教上人云々、‖右此本者、従崇福寺令恩借書写之、従明応七年極月上旬之比立筆、於次明応八蕤賓上旬之比所願成就也、/三川国額田郡東矢作岡崎郷大林寺精舎南面之庵主/沙門厭穢欣浄舜禎(花押)〈生年/廿六歳〉 県史10p.250
大谷大学図書館所蔵文書
若松之郷☆
大畠郷☆[71]
そふみ郷☆[72](衣文)
(額田) 大永3.8.12 1523 〔清孝判物〕今度忠節無比類候、如本意候者、若松之郷不入候、幷杉山分蔵一つゝ井土蔵之儀ハ、両人江進之候、万一聞候而不相調候者、大畠・そふみ於両郷三拾貫分可進之候、扶持ハ六人扶持ニ可申合候、居敷(ママ)之儀ハ、寺道より西方を両人江進之候、仍如件、 県史10p.414
稲河文書
根石郷 額田郡 享禄5.3.9 1532 〔弥陀画像裏書〕上宮寺門徒三川国額田郡根石郷一沢 県史10p.952
岡崎市法光寺
高宮郷☆[73] 額田郡 天文12.3.- 1543 〔棟札銘写〕高宮郷 旧岡崎市史7
黄梅院白山権現
雨山郷☆[74] 額田郡 天文12.9.18 1543 〔棟札銘〕奉新造牛頭天王八王子大明神三河国額田郡雨山郷 県史10p.915
岡崎市熱田神社
大平之郷☆ (額田) 天文12.10.19 1543 〔松平家次寄進状〕為道見・道嘉日盃(牌)、大平之郷此方知(行脱ヵ)之内壱石弐斗目、坪者うちほつ田弐反、未(末)代寄進仕候者也、仍状如件、 県史10p.610
大樹寺文書
山中七郷[75] (額田) 天文16.9.2 1547 〔今川義元朱印状写〕去年(朱印)一乱以前借物之事、就敵筋者、縦雖有只今免許不及返弁、先当年貢急度可弁済者也、若就旧借之儀有入催促使輩者、彼使不及許容、依注進可加下知者也、仍如件、/天文十六九月二日/山中七郷/其外医王山知行分 県史10p.672
松平奥平家古文書
中金郷☆[76] (額田) 天文16.11.- 1547 〔鰐口陰刻銘〕奉掛御宝前鰐口中金郷内大代村/旹天文十六丁未歳霜月吉日願主定康 県史10p.677
岡崎市高之御前神社
深溝郷☆ 額田郡 天文23.10.14 1554 〔今川義元判物〕参河国額田郡深溝郷本光寺領之事 県史10p.793
本光寺常盤歴史資料館所蔵文書
渡之郷 額田郡 弘治3.4.4 1557 〔棟札銘〕奉再興檜皮上葺神主藤原氏天野三郎左衛門貞家/大日本国三刕額田郡渡之郷天王宮祢宜天野孫衛門願主〈敬白〉/于旹弘治第三天〈丁巳〉卯月四日大工岩松藤次郎重弘 県史10p.930
岡崎市須佐之男神社
造岡郷[77]
生田郷☆
(額田) 弘治3.5.3 1557 〔松平元信判物〕高隆寺之事/一大平・造岡・生田三ヶ郷之内、寺領如先規可有所務事、 県史10p.837
高隆寺文書
夏山郷☆[78] 額田郡 弘治3.11.- 1557 〔棟札銘〕□□再興八幡大菩薩宮拝殿之事‖大日本国三刕額田郡夏山郷 県史10p.931
岡崎市夏山八幡宮
坂崎之郷☆ 額田郡 永禄4.2.12 1561 〔松平元康判物写〕坂崎之郷久保田‖右、於末代大橋善五左衛門ニ出置所□(所ヵ)也、仍如件、/永禄四年〈辛酉〉/二月十二日 蔵人佐元康(花押)/大橋善五左衛門殿 県史14p.933
竹内勇氏所蔵文書
土呂郷☆ (額田) 天正2.3.12 1574 〔徳川家康朱印状写〕土呂郷中鍛冶・番匠・諸職人門次人足等、用次第可申付、若於難渋者、可成敗者也、仍如件、 県史11p.476
譜牃余録巻36
山綱郷☆ (額田) 天正17.9.13 1589 〔徳川家康定書〕定(徳川家康朱印、印文「福徳」)‖右七ヶ条之趣被定置訖、若地頭令難渋者、以目安可申上者也、仍如件、/天正十七年九月十三日  水野平右衛門(黒印)(花押)/山綱郷 県史12p.756
山綱町区有文書
大樹寺郷☆ 額田郡 天正17.12.19 1589 〔大樹寺寺領年貢目録〕三州額田郡大樹寺御寺領之事/一五百八拾四表(俵)弐斗八升六合〈八勺五才〉大樹寺郷/一弐百六拾壱俵弐合五勺 鴨田郷‖上田壱反大五拾歩  伝能領ニ付/此取七表六升六合六勺八才 鴨田村にて 県史12p.814
大樹寺文書
おいの郷☆(小美)
ほゞの郷☆(保母)
(額田) 天正18.2.5 1590 〔伊奈忠次知行書立〕御知行書立‖一五百八拾六表(俵)壱斗壱升八合弐勺四才 おいの郷/一弐百七拾九表壱斗六升六合四勺 ほゞの郷‖松平又八殿 県史12p.841
本光寺常盤歴史資料館所蔵文書
高須之郷☆[79]
羽禰之郷☆[80]
(額田) 天正18.2.5 1590 〔伊奈忠次知行書立写〕御知行書立‖一八百四拾九表(俵)壱斗四升七合三勺三才 高須之郷/一弐百八拾弐表三升弐合弐勺三才 羽禰之郷‖松平弥三郎殿 県史12p.842
長泉寺文書「御当家覚書寄并当家日記覚書」
田代之郷☆[81] (額田) 天正18.2.12 1590 〔伊奈忠次知行書立写〕御知行書立‖一参百三卅三表(俵)弐斗弐升壱合六勺八才 田代之郷‖松平源次郎殿 県史12p.844
松平乗承家蔵古文書

年月日 西暦 原     文 出  典
上村 額田郡 正安3.12.23 1301 〔瀧山寺縁起〕俊算法印以テ持仏堂ヲ、彼所へ被移造セ云云、料田者額田郡上村ニテ田三段、又正観坊跡大門屋敷云云、/正安三年十二月廿三日/讃岐入道殿御下文在御判、左衛門尉師重奉ル、 県史6p.478
滝山寺文書
高草村[82] 額田郡 応永24.12.26 1417 〔鰐口陰刻銘〕(表)三川額田郡内中山郷内高草村見光名/八幡宮鰐口檀那道性 (裏)応永廿二二年〈丁酉〉十二月廿六日敬白 県史9p.480
額田町高薄八幡宮
西熊村 額田郡 永享12.11.- 1440 〔大般若波羅蜜多経奥書写〕三州額田郡西熊村天満宮御経/永享十二年十一月吉日 県史9p.397
岡崎東泉記
高宮村[83] 額田郡 文安5.8.15 1448 〔木造釈迦如来坐像台座天板裏墨書銘〕旹文安五〈戊辰〉年/八月十五日/三州額田郡高宮村/金峯山安心禅院/諸堂建立成就/本願施主当国六名影山城主/成瀬大蔵佐国平(花押)/開山竜沢叟/住持芳源代 県史9p.787
岡崎市安心院
下村 (額田) 長禄3.12.- 1459 〔高師長本領目録案〕高小太郎師長本領事‖一 三河国 額田郡政所職  同(勲功地也)、/一 同 矢作東宿 下村中山郷 雑役免、/進退分十家名 県史9p.894
蜷川家古文書
奥殿村☆ 額田郡 文亀3.9.5 1503 〔弥陀画像裏書〕勝鬘寺門徒三河国/額田郡細川郷奥殿村 県史10p.948
豊田市楽円寺
雨山村☆[84] 額田郡 永正13.3.24 1516 〔棟札銘〕奉上葺牛頭天王八王子大明神三河国額田郡雨山村永正十三秊〈丙子〉三月廿四日敬白 県史10p.897
岡崎市熱田神社
野谷村 (額田) 享禄3.2.- 1530 〔春日部長明売券〕永代売渡申道場屋敷畠之事/合壱所者‖仍永代売券如件、/享禄参年〈庚寅〉二月吉日 売主春日部弥十郎長明(花押)/大平六郎左衛門尉政盛(花押)/桑子明眼寺殿まいる/「仁木郷野谷村道場本願長源」支証人 大ひら式部丞長勝(花押)/同 大平新左衛門(花押)/同 三郎右衛門尉(花押) 県史10p.461
妙源寺文書
大代村☆[85] (額田) 天文16.11.- 1547 〔鰐口陰刻銘〕奉掛御宝前鰐口中金郷内大代村/旹天文十六丁未歳霜月吉日願主定康 県史10p.677
岡崎市高之御前神社
田口村☆ (額田) 天文20.6.21 1551 〔今川義元判物〕一参河国中山郷田口村庵室屋敷、幷弟子受幹仁譲置田地証文明鏡之間、不可相違事、 県史10p.734
大樹寺文書
蓬生村☆ (額田) 永禄3.3.18 1560 〔今川家朱印状〕参州当知行古部郷内蓬生分事/右、今度粟生将監依令検地、同蓬生村共可検地云々、 県史11p.3
児島好平氏所蔵文書
桑ヶ谷村☆ 額田郡 永禄6.11.- 1563 〔松平家康制札写〕定  額田郡桑ヶ谷村広忠寺門前・門内 県史11p.140
広忠寺文書
山中七村[86] (額田) (元亀4).6.30 1573 〔武田勝頼判物写〕定/一遠州之内新所五百貫・高部之内百貫、并西三河之内山中七村山形原分千貫文者、累年被拘来之由候間、可為奥平美作守計之事、 県史11p.454
松平奥平家古文書写
岡村☆ (額田) 天正5.4.23 1577 〔徳川家康判物写〕服部中宛行本知行分之事/合百弐拾貫文/此内〈百貫文者遠州刑部村/弐拾貫文者参州岡村〉 県史11p.643
古文書(記録御用所本)
山綱村☆ (額田) 天正7.4.25 1579 〔徳川家康朱印状写〕山中郷之内於山綱村三貫五百文、賀藤甚十郎有断、近年所務仕来、然上者無相違可相渡者也、仍如件、 県史11p.694
譜牃余録巻34
夏山村[87] (額田) 天正7.9.21 1579 〔奥平宗仙七年忌志注文写〕拾弐表(俵)めし米何も黒米、三表もち米、又三百五十文、壱斗あつき、六升こまあふら、二十挺らうそく、百ぶせせんほう衆へ、弐壱〇〇文そうめん/天正七年〈己卯〉九月廿一日〈右者奥平千千代七年季、夏山村遊仙寺ニて入用之事〉 県史11p.703
三川古文書
六名村☆ (額田) 天正15.7.22 1587 〔誉翁判物写〕昔岡崎之御守護者西郷弾正左衛門殿と申候、此御代に今之御城普請出来候、即大林寺開基檀那、御遠行ハ大永五乙酉年七月廿二日、法名者泰叟昌安与申候、此御城御開基故、弾正左衛門殿御忌日ニ者、当寺住持伴僧拾人宛ニ而致登城御持斎毎月御座候処ニ、信康様之御代ニ、鳥居伊賀守下知として、六名村今なはてと申処ニ而霊供田六反御寄進之後者、登城をとめ、大林寺にて持斎仕候、依之此御城主としては泰叟之御位はひ前江御報謝御座候事御代々無相違候、雖然近代者何も御無沙汰ニ罷成候、 県史12p.648
大林寺文書「大林寺旧記」
片寄村☆ (額田) 天正17.10.29 1589 〔三河国天恩寺領検地帳〕(表紙)「天正拾七年〈己丑〉年拾月廿九日/三河州ヵ額田郡片寄村天恩寺領/御縄打水帳」 県史12p.793
天恩寺文書
鴨田村☆ 額田郡 天正17.12.19 1589 〔大樹寺寺領年貢目録〕三州額田郡大樹寺御寺領之事/一五百八拾四表(俵)弐斗八升六合〈八勺五才〉大樹寺郷/一弐百六拾壱俵弐合五勺 鴨田郷‖上田壱反大五拾歩  伝能領ニ付/此取七表六升六合六勺八才 鴨田村にて 県史12p.815
大樹寺文書
八町村☆ 額田郡 天正17.12.22 1589 〔小栗吉忠黒印状写〕三州額田郡八町船越御請之事/一七貫文 八町村/此取拾四俵者下方三斗入也、/右之分当所務可仕者也、仍如件、/天正十七〈己丑〉年十二月廿二日 小栗二右衛門尉○(黒印影、印文「満」)/八町村舟越 県史12p.815
鳥居家文書
西あちわ村☆(阿知和)
いそへ村☆(磯部)
(額田) 天正18.2.5 1590 〔伊奈忠次知行書立写〕御知行書立‖一拾六表(俵)弐斗九升壱合七勺壱才 西あちわ村/一四拾七表六升九合四勺九才 いそへ村‖松平弥三郎殿 県史12p.842
長泉寺文書「御当家覚書寄并当家日記覚書」
牛金村(中金村)☆[88] (額田) 天正18.2.12 1590 〔伊奈忠次知行書立写〕御知行書立‖一弐拾七表(俵)弐斗弐升五勺六才 牛金村(中金村)‖松平源次郎殿 県史12p.844
松平乗承家蔵古文書
窪田村☆[89] (額田ヵ) 天正18.10.18 1590 〔池田照政判物写〕以杉平之内八拾六石、窪田・池塩・芝崎村之内百四拾石、都合弐百石令扶助之、全可領知状如件、‖小原孫次郎殿 県史13p.92
大原直鑑家譜
真木村
谷篠村
額田郡 天正19.7.8 1591 〔池田照政判物写〕於宝飯郡橋尾村内百参拾壱石弐斗、額田郡真木村内八拾石・谷篠村内参拾八石八斗、都合弐百五拾石令扶助、全可有知行状如件、‖佐藤宮千世殿 県史13p.192
佐藤長樹家譜
明大寺村☆ (額田) 天正19.9.11 1591 〔大林寺誉翁置文写〕天正十九辛卯年当城主田中兵部大輔殿大林寺ヲ明大寺村欲引遷、至日限期其夜城中有鐃鉢ノ響并僧衆読経ノ声、不知幾千万トシコトヲ時ニ城主帯メ刺戟ヲ、出レハ底(庭)上ニ忽ニ無音無跡也、 県史13p.197
大林寺文書
能見村☆ (額田) 天正20.9.18 1592 〔辻重勝判物〕能見村神明祢宜屋敷之事令寄進候、永相違有間敷候、為其状仍如件、‖祢宜深見六蔵殿へ 県史13p.320
深見氏所蔵文書
なのうち村☆(名之内) (額田) 文禄3.3.6 1594 〔田中吉政書状〕宮川助作知行分脇坂右兵衛ニ宛行候間、来田畠指出速ニ可出候、去年之物成を別紙ニ目禄(録)を以可相渡候也、謹言、‖東かしやう村/なのうち村/両村庄屋百性中 県史13p.409
出口家文書
中の郷村[90]
川はた村☆[91](川端)
むねさた村☆[92](宗定)
ぬかた郡 文禄4.8.8 1595 〔豊臣秀吉朱印状写〕知行方目録‖一五百拾七石壱斗九升 同(勢州、ママ)ぬかた郡 中の郷村/一百四拾三石三斗七升 同 川はた村/一百八拾五石五斗六升 同 むねさた村‖都合壱万六千石/右、令扶助之訖、可全領知候也、/文禄四年八月八日/日根野法印 県史13p.459
藩中古文書
土呂村☆ (額田) -.10.11 (1590-1600) 〔伊三左衛門書状写〕先日已後不申承候、仍而土呂村屋敷之儀申聞候、少分之儀候之間、安御事候、即帳面三はし候へ者、被申付候屋敷主之名承度候、此方にて伝翁へ相尋候ヘハ、宗春与可有之候由候間、帳面改候へ共無之候、又ハ貴公之御名も無之候、御書付候て可給候、尚以とろむら御抱分つと可承候、為其申入候、恐惶謹言、‖念誓 人々御中 県史13p.815
参遠古文書覚書「松平甚助指出古文書」

賀茂郡

郷(里)

賀茂、仙陁、伊保、挙母、高橋、山田、賀祢、信茂

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
山田里 鴨評 7C 〔荷札木簡〕【山田】庚寅ヵ年十二月三川国鴨評/山田里物部万呂ヵ□米五斗 県史7p.735
石神遺跡木簡
万枯里 鴨評 7C 〔荷札木簡〕鴨評万枯里物部稲都弥米五斗 県史7p.735
石神遺跡木簡
高椅里 (賀茂) 7C 〔荷札木簡] 【高橋】壬辰年九月廿四ヵ日 三川国鴨ヵ[ /高椅里 物部□乃井六斗 県史7p.735
石神遺跡木簡
上□郷 加茂郡 8C 〔荷札木簡〕参河国加茂郡上□郷□ 県史6p.698
平城宮木簡
神郷 (賀茂) 延応元.6.18 1239 〔三河国神郷真重名等注進状写〕神郷真重名田坪付事但内検之時也、/合壱町陸段伍内、 県史8p.183
猿投神社文書
深見郷☆ (賀茂) 文永11.7.15 1274 〔中条頼平寄進状写〕寄進 猿投社一日経用途料事/合/深見郷貞光新田新畠内/田一丁一反十八歩/畠三反七十八歩 県史8p.266
猿投神社文書
寺部郷☆ 高橋庄
(賀茂)
延慶2.3.25 1309 〔中条景平寄進状案〕奉寄進/猿投大明神繁行御宝前/自正月至六月毎十五日御穀幷一月行檀供餅/右御穀米者、所領高橋庄河東得光名田壱段〈坪社金料〉・寺部郷友正名内田参段〈坪一段者池田、一段皆副三井廻〉、‖所奉寄進也、 県史8p.429
猿投神社文書
亀頸郷☆[93] 高橋庄
(賀茂)
正慶2.4.21 1333 〔某免許状写〕猿投宮御修理田沽却御免状案/御判‖亀頸郷末定名三反、已上一丁六反、為拝殿造営、当年癸酉才一作、可沽却之由、作人等申所候、免許状如件、/正慶二年四月廿一日/高橋庄北方公文所 県史8p.572
猿投神社旧蔵文書
竹生郷[94]
加納郷☆
矢並郷☆
中山郷☆
三船郷☆[95]
舞木郷☆
四郷☆
(賀茂) 貞和5.-.- 1349 〔貞和五年年中祭礼記〕(正月)十一日 四季大般若経‖西方竹生郷二反、地本磯谷四郎左衛門入道々性管領之時、被渡了、‖(二月)廿九日庚寅 中門ノ前ノ御輿宿造営ス、去貞和三年加納郷住人権平三郎入道貞阿存修造之功、臨終時、料足十結ヲ覚賢律師ニ渡ス、‖(三月)廿七日戊午、有神宮寺新造、上葺ヲ終ヘ棟上ニ向、‖秀長崇メ社壇ヲ、被興宮中ヲ、依為時(地)代矢並郷平内大夫入道善阿ニ被ル仰付、‖御油料上次第/中山郷有之、‖(九月)十五日 一日経 〈久安四年戊辰、三船郷司持養坊睿増始之、〉‖十一月三日 臨時御祭〈田一段安行〉/御穀一斗五升 舞木郷越中五郎四郎施入、‖修理田坪事‖一町 四郷  三反清則名  四反宗広名 県史8p.747~749,753,755,756,758
猿投神社文書
志多利郷☆[96] 高橋庄
(賀茂)
文和3.10.21 1354 〔親鸞絵伝添状〕□□荒木源海聖人門徒/三州高橋庄志多利郷 如意寺常住□□□□ 県史8p.848
如意寺文書
弘見郷☆[97]
佐々原郷☆[98]
伊保郷☆[99]
西乙部郷☆[100]
荕生郷☆[101]
浮谷郷☆[102]
大見郷☆
平江郷☆[103]
富田郷☆
(賀茂) 貞治3.3.3 1364 〔猿投半行社上葺勧進帳〕【伊保】半行御社上葺被結縁申、庄内貴賤上下勧進帳次第ヵ事、‖一貫百五十文 弘見郷 「覚ヽ」(覚意坊ヵ)‖一貫文 佐々原郷 「覚ヽ」(覚意坊ヵ)‖二貫七百六十三文 伊保郷 「安ヽ」(安居坊ヵ)‖五百文 西乙部郷 「安ヽ」(安居坊ヵ)‖七百五十文 荕生郷村人 「加州より」‖百文 浮谷郷 「同」(「加州より」)‖百文 大見郷村ヽ[人] 「六」‖八百文 平江郷村人‖四百文 富田郷村人 県史9p.25,26
猿投神社文書
菜倉郷[104] (賀茂) 明徳3.12.12 1392 〔鰐口陰刻銘〕大日本国三州路菜倉郷津具村白鳥宮/明徳三年〈壬申〉十二月十二日鋳之檀那久総 県史9p.297
津具村白鳥神社
阿摺郷[105] 賀茂郡 明徳5.2.29 1394 〔棟札写〕奉造立社檀一宇‖三州賀茂郡阿摺郷謁播宮大明神 県史14p.825
豊田市御蔵町川原宮謁磐神社
衣郷[106] (賀茂) 応永4.7.- 1397 〔道願寄進状〕【挙母】寄進申/衣郷内馬鍬田一町〈坪大嶋〉事/右、此所者、申為道願御恩、為四季大般若経田、猿投御宮所奉寄進也、 県史9p.334
猿投神社文書
介木郷 足助庄
賀茂郡
応永5.7.- 1398 〔鰐口陰刻銘〕三州賀茂郡足助庄介木郷小戸(渡)村/観音堂/応永五年戊寅七月日願主道妙 県史9p.342
長野県白川神社
足助郷☆
(賀茂) 14C 〔足助八幡宮縁起〕鬼形、黒雲に乗して北方へ飛さる。足助郷深山たりし所ニ至来れり‖元弘三年秋、当社足助又三良(郎)殿領主たりし処に、吉河殿入部有て、足助郷知行せんとせし時、又三良(郎)所領相違を歎、当宮に祈申されし時処に、野口大夫と云者の女子五才に成に御詫(託)宣有けり。 県史14p.447,456
足助八幡宮文書
奥下山郷 足助庄
賀茂郡
応永27.11.8 1420 〔大般若波羅蜜多経奥書写〕三河国賀茂郡足助庄奥下山郡(ママ)/右神宮大盤若経也、/応永廿七年十一月八日、松平徳阿弥 県史9p.397
岡崎東泉記
仁木郷☆[107] 足助庄
(賀茂)
応永29.2.22 1422 〔将軍足利義持御判御教書〕(花押)/美濃国肥田瀬郷地頭職・同国六条郷・参河国足助庄内仁木郷等事、早任相伝当知行之旨、土岐肥田瀬三郎持康領掌不可有相違之状如件、 県史9p.516
徳川美術館所蔵文書
中鹿野郷☆[108] 高橋庄
賀茂郡
永享元.10.15 1429 〔喚鐘銘写〕【加祢】三州賀茂郡高橋庄東方中鹿野郷/千鳥山護持禅院 住持比丘良曇/檀那藤原兵庫尉重基/願主尾州人正泉 県史9p.587
豊田市史所収
三吉一色郷[109] 高橋庄
(賀茂)
永享3.11.19 1431 〔棟札銘〕[ ]神明一社 永享三年〈辛亥〉十一月十九日/高橋庄内/三吉一色郷/大願主尾張黄□入道〈法浄〉/大工[ ] 県史9p.1012
三好町西一色神明社
高橋卅六郷 賀茂郡 永享4.10.11 1432 〔看聞日記〕十一日、陰小雨降、聞‖又中条判官失面目、〈室町殿御拝賀之時、御共無行粧之由被咎仰、〉参河国高橋卅六郷被召放、一色左京大夫と上の吉良とにヵ頒給云々、三万七千貫在所也云々、 県史9p.620
泉田郷[110] 賀茂郡 明応9.10.13 1500 〔弥陀画像裏書〕勝慢寺門徒/□賀茂郡/泉田郷池浦 県史10p.947
刈谷市順慶寺
大島郷 高橋庄
(賀茂)
15C 〔大般若波羅蜜多経界線天部墨書〕三州高橋庄大島郷柳島正蔵庵公用 県史9p.812
延命寺文書(大府市)
野口郷☆ 足助庄
賀茂郡
文亀3.4.11 1503 〔弥陀画像裏書〕野寺本證寺門徒/三河国賀茂郡/足助庄野口郷/(追筆)「野口山増慶寺」 県史10p.947
豊田市増慶寺
広瀬冨田郷[111] 高橋庄
賀茂郡
永正7.7.12 1510 〔阿弥陀如来画像裏書〕方便法身尊像 上宮寺門徒参州/賀茂郡高橋庄広瀬冨田郷/願主釈道慶 県史14p.858
浄専寺文書
外下山郷 足助庄
賀茂郡
大永3.③.28 1523 〔弥陀画像裏書写〕勝鬘寺門徒三河国賀茂郡足助庄外下山郷大田 県史10p.951
豊田市信光寺(絵讃之控)
瀧脇郷☆ 足助庄
賀茂郡
天文8.6.5 1539 〔弥陀画像裏書写〕勝万寺門徒参河国賀茂郡足助庄外下山之内瀧脇郷 県史10p.953
豊田市専光寺(絵讃之控)
西野郷☆
九久平郷☆
桂野郷☆
山中郷☆
行広郷
鵜瀬郷
(賀茂) 天文21.11.22 1552 〔今川義元判物写〕年来相拘名職年貢之事/一西野郷名田之事、十九貫文田畠山河屋敷共、/一井山名之事、七貫六百文/一則貞名之事、六貫六百文/一二本木名之事、四貫三百六十文山河屋敷共、/宛行新地四十貫之事/一久九(九久)平郷十三貫文/一桂野郷六貫文/一山中郷十壱貫文/一行広郷六百貫六百文/一鵜瀬郷三貫三百文/右、今度松平左衛門督逆心之刻、兄弟八人相談、九久平仁中条与三郎・松平田三左衛門尉楯籠之処、廻計策城主市兵衛尉共立出、抽忠節之条、依其賞彼市兵衛知行八十ヵ貫文之内四十貫文分書立、居屋敷共永所宛行之也、 県史10p.760
名将之消息録
武節之郷☆[112] (賀茂) 永禄4.8.2 1561 〔松平元康朱印状写〕今度下立・菅沼之郷為替改、武節之郷任望令扶持者也、 県史11p.77
譜牃余録巻2
津具郷☆[113] (賀茂) (永禄12).1.12 1569 〔徳川家康感状写〕今度津具郷へ相働悉放火、其上後藤九左衛門ヲ始、随分之者数多被討捕由無比類候、 県史11p.324
北設楽郡史所収文書
弘見上郷[114] (賀茂) 元亀2.3.1 1571 〔永源寺引着帳〕(表紙)「壱伏竜山永源禅寺引着之帳/永禄十年ゟ元亀天正六年迄/当寺七代天山代」‖道珍/元亀二年〈辛未〉三月朔日/弘見上郷 県史11p.300
永沢寺文書
かミわき之郷(上脇) (賀茂) 天正6.3.30 1578 〔越前守某請文写〕おかめやしない申候事‖一十五年之いゑを渡申候ハヽ、我等親子かいぶんとして、かミわき之郷ふにうニ被下候、ほうかたわも上わき之内也、もし次右衛門むす子出き候ハヽ、御うつろなミニ似相之御役等被仰付者也、 県史11p.670
松平乗承家蔵古文書
戸島之郷 足助庄
(賀茂)
天正8.3.11 1580 〔棟札銘〕敬 白/奉建立事三州足助之庄戸島之郷中ナベタ村お千子宮 県史11p.719
豊田市乳子守神社
猿投郷☆ (賀茂) 天正14.7.24 1586 〔八講牃〕天正拾四年七月廿四日尾州織田大納言殿御国中御検地被成候而、御縄を以当社も三百七拾五貫三百文余、猿投・神郷両郷以寄進□□、弘見・深見一所ニ所務仕候者也、 県史12p.559
猿投神社文書
島之郷 (賀茂) 天正18.2.12 1590 〔伊奈忠次知行書立写〕御知行書立‖一弐百弐表(俵)弐斗八合三勺四才 島之郷‖松平源次郎殿 県史12p.844
松平乗承家蔵古文書

年月日 西暦 原     文 出  典
津具村☆[115] (賀茂) 明徳3.12.12 1392 〔鰐口陰刻銘〕大日本国三州路菜倉郷津具村白鳥宮/明徳三年〈壬申〉十二月十二日鋳之檀那久総 県史9p.297
津具村白鳥神社
大川原村☆
月原村☆
摺村☆[116]
渡合村☆[117]
岩倉村☆
池嶋村☆
萩平村☆
大坪村☆
菊田村☆[118]
高野村☆[119]
白石村☆
沢尻村☆
実栗村☆
西加塩村[120]
菅田和村☆[121]
鳥巣村☆
能見村☆
仁井寺村☆[122]
有間村☆[123]
笹渡村☆[124]
市平村☆
小沢村☆
御蔵村☆
小町村☆
万根村☆
切山村☆
賀茂郡 明徳5.2.29 1394 〔棟札写〕奉造立社檀一宇‖三州賀茂郡阿摺郷謁播宮大明神/阿摺之内惣氏神 大川原村 月原村 摺村 渡合村 岩倉村 池嶋村 萩平村 大坪村 菊田村 高野村 白石村 沢尻村 実栗村 西加塩村 菅田和村 鳥巣村 能見村 仁井寺村 有間村 笹渡村 市平村 小沢村 御蔵村 小町村 万根村 切山村 此四村いがき之内/額田郡東阿知波村 県史14p.825
豊田市御蔵町川原宮謁磐神社
小戸村☆[125] 足助庄
賀茂郡
応永5.7.- 1398 〔鰐口陰刻銘〕三州賀茂郡足助庄介木郷小戸(渡)村/観音堂/応永五年戊寅七月日願主道妙 県史9p.342
長野県白川神社
野口村☆
仁木すもゝの村☆[126](李)
三吉村☆[127]
(賀茂) 14C 〔足助八幡宮縁起〕平城天皇の御宇、大同三年戊子四月中旬に野口村藤大夫か女七歳に成に侘(託)していはく‖然間、仁木すもゝ村の内、田五段寄進あり‖足助ゑた(枝)村に、当麻大夫と云者、田の堺を人にさしこされ、地頭に此由申て歎けれ共、訴人つよかりけれハ、本望に成かたし‖三吉村一色の中、田五段是也 県史14p.448,453,454
足助八幡宮文書
金沢村 (賀茂) 応永25.10.20 1418 〔棟札銘写〕奉再宮神殿一宇/金沢村氏子中/神主藤原刑部介義国 県史9p.1009
足助町御内蔵連 東切八幡社
吉平村☆ 賀茂郡 応永30.5.1 1423 〔鰐口陰刻銘〕(右廻)三川州賀茂郡吉平村薬師堂鰐口一口/(左廻)応永卅年癸卯五月一日施主心光敬白 県史14p.833
豊田市薬師堂
阿摺村[128] 足助庄
賀茂郡
寛正5.7.1 1464 〔雲版銘写〕三河国賀茂郡足助庄阿擦村/古銘曰円山用泉寺常住/旹寛正五年〈甲申〉七月一日/願主性慶 県史9p.937
豊田市千鳥寺
宇連野村☆[129] 足助庄
賀茂郡
文正元.10.2 1466 〔棟札銘〕八幡大菩薩 奉造立三川州賀茂郡足助庄奥下山郷山地之内宇連野内村社 氏子各以[ ]地縁敬白/大檀那当村住人藤原氏刑部大良重常 県史14p.844
豊田市八幡神社
大谷村☆[130] 足助庄
賀茂郡
永正12.10.27 1515 〔梵鐘銘写〕娑婆世界南瞻部刕大日本国三河国賀茂郡足助庄名蔵郷於大谷村鐘一宇、大檀那国安田辺膳左衛門尉幷膳右衛門、美濃州可児之郡衛度下郷大工家長/旹永正十二年乙亥神無月二十七日/龍谷庵願主聖慶蔵主敬白/田辺氏十二代之孫国安造立之、 県史10p.345
参河鐘銘集
沢尻村☆ 賀茂郡 永正15.10.8 1518 〔棟札銘〕奉建立神明宮本社/永正拾五〈丙寅〉年/拾月八日/願主三刕賀茂郡介木郷沢尻村源田太兵衛/惣氏子敬白 県史10p.899
豊田市神明神社
加治屋村[131] 高橋郡
(賀茂)
永禄4.4.- 1561 〔信長公記首巻〕一翌年四月上旬、三州梅か坪の城へ御手遣、‖野陣を懸けさせられ、是より高橋郡御働、端々放火し推詰、麦苗薙せられ、爰にても矢軍有、加治屋村焼払、野陣を懸られ、翌日いぼの城是又御手遣、麦苗薙せられ、直に矢久佐の城へ御手遣、麦苗薙せられ御帰陣、 県史11p.61
古瀬間之邑☆[132] 高橋庄
賀茂郡
永禄10.3.- 1567 〔大象山龍田院縁起并鼻祖希声禅師行状録〕三州賀茂ノ郡高橋ノ庄古瀬間ノ邑、大象山龍田院ノ縁記(起)並鼻祖希声禅師行状録 県史11p.279
龍田院文書
峰山村 賀茂郡 元亀元.1.14 1570 〔棟札銘写〕大日本国三州賀茂郡武節郷之内峰山村 県史11p.358
稲武町押山熊野神社
山内村 賀茂郡 天正元.11.- 1573 〔御神楽日記[133]〕(表紙)御神楽日記/天正元/〈辛亥〉十一月 山内村住 若大夫‖天正元年〈辛亥〉□(十一ヵ)月日 参河国賀茂郡 山内村住榊原氏 県史14p.990,995榊原清氏所蔵文書
舞木邑☆ 高橋庄
賀茂郡
天正5.10.29 1577 〔銅造鰐口陰刻銘〕三州賀茂郡高橋庄西宮舞木邑鰐口清水洞小太郎寄進 県史11p.653
豊田市明王堂
中ナベタ村[134] 足助庄
(賀茂)
天正8.3.11 1580 〔棟札銘〕敬 白/奉建立事三州足助之庄戸島之郷中ナベタ村お千子宮 県史11p.719
豊田市乳子守神社所蔵
野入村☆[135] 足助庄
加茂郡
天正10.9.19 1582 〔棟札銘〕(表)奉献建立天照皇大神宮三社一宇村中安全所願成就‖(裏)天正十年九月十九日/三州加茂郡足助之庄野入村 県史12p.26
豊田市野入神明神社
奥七村内黒河村[136] 足助庄
賀茂郡
天正12.11.14 1584 〔棟札銘〕奉新造娑婆世界大日本国東海道三河国賀茂郡阿(足)助荘名倉郷奥七村内黒河村粟世里 県史12p.275
豊根村神明神社
花本村☆ 高橋庄
賀茂郡
天正12.11.- 1584 〔棟札銘〕奉新造再興 若宮八幡大菩薩御宝殿/三州賀茂郡高橋之庄花本村住人平松与左衛門広忠 県史12p.280
豊田市八幡神社
仁木村☆ (賀茂) 天正13.6.1 1585 〔千体仏画像裏書〕西林院常住物再講(興)施主/仁木村 木又与助/成瀬与十郎 県史12p.454
岡崎市西林院
六木村☆
押切村
(賀茂) 天正18.2.12 1590 〔伊奈忠次知行書立写〕御知行書立‖一弐百四拾六表(俵)弐斗壱合五勺四才 六木村‖一百八拾七表(俵)壱斗九升九合壱勺壱才 押切村‖松平源次郎殿 県史12p.844
松平乗承家蔵古文書
与ツ松村☆[137] 足助庄
賀茂郡
天正18.9.21 1590 〔三河国四ツ松村畠方検地帳写〕(表紙)「三川国賀茂郡足助庄与ツ松村/天正拾八年九月廿一日」 県史13p.39
四ツ松自治会所蔵文書
綾津村(あひつむら、あいつむら、相津村)☆[138] (賀茂) 天正18.-.- 1590 〔三河国綾津村検地帳写〕(表紙)「たけミつ新次郎殿代/天正拾(ママ)年  綾津村」あひつむら‖あいつ村分/合百壱石八升八合/相津村畠方‖相津村之分/畠方合弐十四石七斗七升五合/田畠惣高百廿五石七斗(八升抹消)五升三合 県史13p.118,121,123
綾渡区有文書
町村☆[139] (賀茂) 天正18.-.- 1590 〔三河国武節町村検地帳写〕(表紙)「武節町村本帳」/町村田方」 県史13p.132
武節町区有文書
簗平村☆ 賀茂郡 天正18.-.- 1590 〔三河国簗平村名寄帳〕(表紙)「三河賀茂郡小原之内/簗平村/天正拾八〈庚寅〉暦/田方分帳」 県史14p.769
豊田市郷土資料館所蔵文書
西枝下村[140] 賀茂郡 天正20.4.1 1592 〔三河国西枝下村検地帳写〕(表紙)「三州賀茂郡西枝下村田畑検地帳/天正弐拾年/卯月朔日/紙数拾六枚」 県史13p.249
枝下区有文書
八草村☆ 高橋郡
(賀茂)
天正20.4.1 1592 〔三河国西枝下村検地帳写〕(後添表紙)「三州高橋郡八草村/一四百石/紙数○/右之内山手共ニ/さほうち 吉田修理○/天正弐拾年 七月四日 後藤勘右衛門」 県史13p.255
八草区有文書
さなけ村☆(猿投) 高橋郡
(賀茂)
天正20.4.5 1592 〔三河国西枝下村検地帳写〕(表紙)「三州高橋郡さなけ村/御神領/一御けんち之高七百七拾六石壱斗七升壱合/山手共ニ/紙数卅五まい上かミ共ニ/さほうち 吉田修理亮内/天正弐拾年 卯月五日 樋口勝介」 県史13p.266
森光家文書
さゝ原村☆[141] 高橋郡
(賀茂)
天正20.4.6 1592 〔三河国西枝下村検地帳写〕(表紙)「三州高橋郡  さゝ原村 御検地帳/御検地之高/五百五拾参石六斗七升五合 但山手共ニ/天正廿年 四月六日 吉田修理様」 県史13p.281,282
明治大学博物館所蔵文書
うきかや村☆[142]
南あさふむら(荕生)
あさぶむら☆[143](荕生)
高橋郡
(賀茂)
天正20.6.11 1592 〔徳永寿昌・駒井重勝連署状〕御知行方之目録‖高橋郡内/一千弐百壱石五斗四升 うきかや村/一百九拾石八斗二升 南あさふむら/一九百六十六石壱斗 あさぶむら/已上弐千三百六十五石六斗七升‖藤堂玄番(蕃)頭殿 県史13p.309
藤堂文書
大はた村☆[144](大畑)
おちべ村☆[145]
高橋郡
(賀茂)
天正20.6.11 1592 〔徳永寿昌・駒井重勝連署状〕御知行方御目録/一六拾六石六斗七升 八草村/高橋郡内/一百七拾石 大はた村/一拾三石六斗三升 おちべ村内分可取之/以上弐百五拾石三斗か(ママ)‖香西又一殿 県史13p.310
黄薇古簡集
東かしやう村(加塩)[146] (賀茂) 文禄3.3.6 1594 〔田中吉政書状〕宮川助作知行分脇坂右兵衛ニ宛行候間、来田畠指出速ニ可出候、去年之物成を別紙ニ目禄(録)を以可相渡候也、謹言、‖東かしやう村/なのうち村/両村庄屋百性中 県史13p.409
出口家文書
中当村☆ 足助庄
(賀茂)
文禄3.9.- 1594 〔棟札銘写〕娑婆世界南閻浮提大日本国三川刕賀茂郡足助庄名蔵郷中当村ニ於テ/奉懸御宝前南無大明神 県史13p.430
豊田市中当神社
あら井村[147](荒井)
一色村☆[148]
尾州高橋郡
(賀茂)
文禄4.8.3 1595 〔豊臣秀吉朱印状〕知行方目録/一四拾七石五斗六升  尾州高橋郡 あら井村内/一九拾石三斗五升  同 一色村内‖賀藤又八とのへ 県史13p.450
加藤景美氏所蔵文書
本徳村☆[149] 高橋郡
(賀茂)
文禄4.8.3 1595 〔豊臣秀吉朱印状写〕三河国高橋郡本徳村三拾九石壱斗事令寄附畢、全可寺納者也、‖白坂寺 県史13p.452
雲興寺文書
下市場村☆
かるや村☆(金谷)
三ふね村☆(御船)
とミた村☆(冨田)
西ひろせ村☆(西広瀬)
まつミね村☆(松嶺)
ふちさわ村☆(藤沢)
おしさは村☆(押沢)
とわいむら☆[150](渡合)
西三河
高橋郡
(賀茂)
文禄4.8.3 1595 〔豊臣秀吉朱印状〕(表紙)「知行方目録/文禄四年八月三日/水野和泉守」/知行方目録/一弐百五拾三石五斗七升 西三河内高橋郡 熊谷大膳分 下市場村/一九拾弐石三斗五升 同郡 同人分 かるや村/一五百四石壱斗六升 同郡 同人分 三ふね村/一千石 同 あハのもく分 ちりう村/一千弐百壱石五斗四升 高橋郡 藤堂玄蕃分 うきかや村/一百九拾石八斗二升 同郡 同人分 南あさふ村/一九百六拾六石壱斗 同郡 同人分 あさふ村/一九拾三石五斗二升 同郡 生田右京分 とミた村/一三百四拾四石壱斗五升 同郡 同人分 西ひろせ村/一百拾九石九斗四升 同郡 同人分 まつミね村/一七拾八石 同郡 同人分 ふちさわ村/一九拾壱石三斗五升 同郡 同人分 おしさは村/一六拾五石六升 同郡 同人分 とわいむら/合五千石/右、為加増令扶助畢、本知壱万五千石、都合弐万石全可領知候也、文禄四年八月三日 ○(豊臣秀吉朱印)/水野和泉守とのへ 県史13p.453,454
下総結城水野家文書
長興寺村☆
下林村☆[151]
西三河
高橋郡
(賀茂)
文禄4.8.8 1595 〔豊臣秀吉朱印状写〕知行方目録‖一参百拾石壱斗四升 同(西三河) 高橋郡 同人(熊谷大膳)分 長興寺村/一九拾五石弐斗一升 同 同人分 下林村‖都合壱万六千石/右、令扶助之訖、可全領知候也、/文禄四年八月八日/日根野治部卿法印 県史13p.458
藩中古文書
宮口村☆ (賀茂) 慶長2.2.18 1597 〔六所御宮立之書立之事写〕六所御宮立之書立之事‖一下馬ノ鳥ひ二間三間宮口村ニ有 同(たいは) 県史13p.576
古案 六所并八幡書簡・奉加帳
栃立村☆ (賀茂) 年月日未詳 16C 〔画像裏書写〕顕如上人御判 勝鬘寺門徒栃立村高福寺 県史13p.863
末寺触下絵讃之控

幡豆郡

郷(里)

能束、八田、意太、礒泊之波止、大川於保加波、大浜、析嶋、修家

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
之者津五十戸 (幡豆) 7C 〔荷札木簡〕之者津五十戸人/建公部御加塩又建公部[ 県史7p.736
石神遺跡木簡
篠嶋里☆[152] 波豆評 7C 〔荷札木簡〕三川国波豆評篠ヵ嶋里大贄ヵ一斗五升 県史6p.691[153]
藤原宮木簡
矢田里[154] 波豆郡 7C 〔荷札木簡〕【八田】参河国波豆郡矢田里白髪部小□□ 県史6p.691
藤原宮木簡
熊来里☆[155] (幡豆) 7C 〔荷札木簡〕【能束】[156]熊来里水ヵ 県史6p.692
飛・藤概報[157]六16上5
析嶋郷☆[158] 播豆郡 8C 〔荷札木簡〕【析嶋】参河国播豆郡析嶋郷海部供奉七月料御贄鯛楚割六斤 県史6p.703
平城宮木簡
角平寺嶋郷[159] (幡豆) 長承元.11.4 1132 〔中右記〕今朝彼御厨事、申子細了、/参河国饗庭御厨内、字角平寺嶋郷事、/件所代々国司奉免、/永久三年被奉免宣旨了、於今者可為御厨欤、 県史7p.285
中右記
佐々木郷☆ 志吉庄(幡豆) [160] 貞治2.2.16 1363 〔大般若波羅蜜多経巻351奥書〕三州志吉庄内於佐々木郷書写了、/貞治二年癸卯二月十六日 比丘師元 県史8p.921
法輪寺文書
大浜郷☆[161] 幡豆郡 応永16.1.11 1409 〔良尊譲状案〕【大浜】熊野参詣良尊法印引導之檀那之在所事〈次第不同〉‖三河国分‖一所 大浜郷‖右彼檀那、悉宰相律師良実譲渡所実正也、仍譲状如件、 県史9p.420
熊野那智大社文書
河嶋郷☆[162] 志貴庄
(幡豆)
応永33.5.- 1426 〔大般若波羅蜜多経巻231奥書〕参州志貴庄内河嶋郷於安養寺書写畢、執筆融海 県史9p.549
村手重雄氏所蔵文書
大河内郷 志貴庄 (長禄2ヵ[163]) 1458 〔真福寺元起〕参河国真福寺元起/人皇卅代欽明天皇第二皇子智原親王三人之御子御座、其中第二之御子者守屋大臣物部朝臣真昌也、彼守屋五人子御座、所謂一宇多大将真政、奉仕太子不与合戦、二好大納言真福、参河国仁木郷流罪、三好村中将真通、同国平田郷左遷、四好少納言真隆、同国志貴庄大河内郷配流、五矢田宰相秀真、因幡国村田遠流云々、 県史14p.465
真福寺文書
比目郷 志貴庄
(幡豆)
文明8.3.26 1476 〔弥陀画像裏書〕参河国 幡津ヵ 郡 志貴庄 比□郷ヵ[ 県史10p.941
石川県善照坊
岡山郷☆ 吉良庄
(幡豆)
文明16.6.2□ 1484 〔弥陀画像裏書〕参河国勝万寺門徒同国/幡豆郡吉良庄岡山郷 県史10p.942
岡崎市正覚寺
饗庭郷☆[164] 幡豆郡 文明16.12.- 1484 〔鰐口陰刻銘〕三川国幡豆郡饗庭郷正法寺常住金鼓/旹文明十六年〈甲辰〉十二月吉日願主〈道観/道仏〉五郎右衛門敬白 県史10p.126
吉良町正法寺
米津郷☆[165] 志貴庄
(幡豆)
延徳3.4.28 1491 〔弥陀画像裏書〕参河国幡豆郡志貴庄比目郷/野寺本證寺門徒同荘米津郷道場 県史10p.944
西尾市龍讃寺
西伊文郷 吉良庄
(幡豆)
明応4.4.- 1495 〔弥陀画像裏書〕勝鬘寺門徒三川国/幡豆郡吉良庄/西伊文郷 県史10p.944
岡崎市(元能見)浄泉寺
桜井郷☆[166] 志貴庄
(幡豆)
明応6.12.4 1497 〔弥陀画像裏書〕【碧海郡桜井】野寺本證寺門徒/三川国幡豆郡/志貴庄桜井郷 県史10p.946
安城市円光寺
安城郷☆[167] 志貴庄
幡豆郡
文亀元.4.11 1501 〔弥陀画像裏書〕野寺本證寺門徒/三川国幡豆郡/志貴庄安城郷 県史10p.947
安城市明法寺
志籠谷郷☆[168] 吉良庄
幡豆郡
文亀3.11.9 1503 〔弥陀画像裏書〕三河国幡豆郡吉良庄/志籠谷郷惣道場物也 県史10p.948
西尾市浄念寺
岩根郷 志貴庄
幡豆郡
永正2.-.28 1507 〔弥陀画像裏書〕野寺本證寺門徒参州/幡豆郡志貴庄岩根ヵ郷 県史10p.948
安城市松韻寺
古井郷☆[169] 志貴庄
幡豆郡
永正12.5.14 1515 〔弥陀画像裏書〕佐々木上宮寺門徒/参州幡豆郡志貴庄古井郷ヵ 県史10p.949
安城市願力寺
江原郷☆ 吉良庄
幡豆郡
永正12.6.15 1515 〔弥陀画像裏書写〕三州幡豆郡吉良庄江原郷惣道場住物也 県史10p.949
西尾市浄福寺(絵讃之控)
八面郷☆[170] 吉良
(幡豆)
天文20.12.- 1551 〔弥陀画像裏書〕参州幡豆吉良八面郷惣/[  ]道 県史10p.954
西尾市瑞玄寺
吉田郷☆ 東条
(幡豆)
永禄4.3.16 1561 〔今川氏真判物〕三河国東条吉田郷之内、野方参拾[ ](貫文ヵ)地之事〈但当所務弐十貫文也、〉 県史11p.53
平沼家文書
津ノ平郷☆[171]
菱池之郷☆
(幡豆) 永禄5.8.- 1562 〔松井忠次判物写〕就忠節出置知行之事/一弐百八拾四貫四百廿五文/右之条々、相定上者、於津ノ平郷之内、永所務可有者也、内六拾八貫七百五拾文者、小者忠左衛門江分可被遣候、年来被持来候菱池之郷之内六百五拾九貫五拾文之地、田畠共ニ不可有相違者也、為後日如件、 県史11p.112,113
白応雑話
永良之郷☆ (幡豆) 永禄6.6.1 1563 〔松平元康判物写〕長沢在城之儀同心被成候、祝着候、然者永良之郷去年相改、五百貫文之分渡申、残所ハ此方給方ニ雖出置候、今度刻も無別儀、長沢在番之儀請負被成候条、永良郷残所相添、村松給・千本給・星野給・公田給・政所・御税所諸給共、一円進之候、 県史11p.133
譜牃余録巻40
斑馬之郷☆[172]
荻原之郷☆
綿内之郷[173]
東条領
(幡豆)
永禄6.⑫.- 1563 〔松平家康判物写〕今度就忠節、東条城并知行五百貫文出置了、彼知行在所之事/一斑馬之郷百弐拾六貫八百廿文/一岡山之郷弐百貫文/一荻原之郷草加次郎右衛門給六拾七貫七百廿文/一荻原雑色藤左衛門給参拾貫弐百八十文/一綿内之郷七拾六貫四百六十文/右、都合五百貫文出置畢、東条領何もへ出置候、 県史11p.145
松井家文書
善明之郷☆
瀬戸之郷☆
木田之郷☆
(幡豆) 永禄6.⑫.- 1563 〔松平家康判物写〕富永伴五郎知行貝福・駒場并永良・山田給之為替知進置地之事/一百貫文 下和田一村散田/一九拾六貫八百文 善明之郷/一百五拾七貫九拾六文 瀬戸之郷/右之三ヶ所、縦無事ニ雖成行候、替地等之儀有間鋪候、又津平為替地、木田之郷一円、付吉田之郷、其方知行之外七拾三貫文之地、進置之候、 県史11p.145
譜牃余録巻33
須崎之郷☆[174] (幡豆) 永禄7.4.7 1564 〔松平家康起請文写〕神罰起請文/一両城相違有間鋪之事/幡豆知行方者、東者須崎之郷ニ至川切、西者宮崎山共、北者小野賀谷八幡境、 県史11p.184
古文書(記録御用所本)
横手之郷☆[175] 吉良
(幡豆)
元亀4.2.2 1573 〔徳川家康判物写〕宛行知行分之事/右、於吉良横手之郷弐百貫文之地、并菅沼・笠井島・御判・折立・善夫・木和田令扶助畢、 県史11p.437
古文書(記録御用所本)
むろ(郷)☆
(室)
ゑたけ(郷)☆[176](家武)
(幡豆) 天正6.2.11 1578 〔家忠日記〕新城御普請候、自浜松陣ふれ越候て普請やみ候、永良の者御領所ゑたけ山へ入候、□□けし人出候へ之由、申越[ ]隣郷むろ・ゑたけとも同前也、 県史11p.667
富田之郷☆ 吉良庄
(幡豆)
天正12.10.16 1584 〔徳川家康朱印状〕吉良之庄内富田之郷三郎二郎屋敷之内蔵之事 県史12p.263
鈴木文書
赤羽郷☆[177] 吉良
(幡豆)
天正13.1.30 1585 〔徳川家康判物写〕三州吉良赤羽郷草野之内令開発田畠之事 県史12p.438
高須家文書
すミ之郷☆[178] (幡豆) 天正17.9.13 1589 〔徳川家康定書〕定(徳川家康朱印、印文「福徳」)‖右被定置七ヶ条之趣、若地頭令難渋者、以目安可申上者也、仍如件、/天正十七年九月十三日  島田次兵衛尉重次(花押)/すミの郷 県史12p.757
蘇美神社文書
阿佐井郷☆[179] (幡豆) 天正17.9.13 1589 〔徳川家康定書写〕天正十七年九月十三日  水野平衛門〈御印判/御書判〉/阿佐井郷 県史12p.757
三州岡崎領古文書下
貝吹之郷☆[180] (幡豆) 天正17.9.17 1589 〔徳川家康定書〕定(徳川家康朱印、印文「福徳」)‖右被定置七ヶ条之趣、若地頭令難渋者、以目安可申上者也、仍如件、/天正十七年九月十七日  島田次兵衛尉重次(花押)/貝吹之郷 県史12p.765
貝吹町内会所蔵文書
羽角之郷☆ 幡豆郡 天正17.-.- 1589 〔三河国西明寺領検地帳写〕(表紙)「水帳/三州幡豆郡羽角之郷御縄打/西明寺領」 県史12p.821
随念寺文書
さかさ河郷☆[181](逆河)
きり山郷☆[182]
野場之郷☆
(幡豆) 天正18.2.5 1590 〔伊奈忠次知行書立〕御知行書立‖一弐百六拾四表(俵)弐斗八升九合九勺七才 さかさ河郷/一四百拾四表壱斗九升六合八勺七才 きり山郷/一九百拾七表壱斗四合五勺七才‖松平又八殿 県史12p.841
本光寺常盤歴史資料館所蔵文書

年月日 西暦 原     文 出  典
須美村☆[183] (幡豆) 元弘3.8.9 1333 〔後醍醐天皇綸旨〕[ ]須美村内家武[ ]可令知行者、天気候、悉之、以状、 県史8p.582
上杉家文書
山園村 須美保
(幡豆)
14C 〔比丘一元等結縁交名〕娑婆世界南閻浮提大日本国三川州須美保山園村生縁、 県史8p.917
実相寺釈迦三尊像胎内文書
井ノ口村 旙頭郡 長禄2.10.- 1458 〔棟札銘写〕大日本国三州旙頭郡饗庭厨屋郷井ノ口村/奉再建明王堂一宇 願主〈妙道/玄仙〉 県史14p.842
西尾市金蓮寺
八ッ面村☆ 吉良庄
幡豆郡
大永7.3.20 1527 〔棟札銘〕大日本国幡豆郡吉良庄八ッ面村久麻久神社再興 県史10p.905
西尾市久麻久神社
徳永村☆ (幡豆) 天文20.9.28 1551 〔棟札銘〕奉勧主処天文廿〈辛亥〉秊九月廿八日 敬白/三州徳永村 神主筒井善太夫/大(ママ)尾州辺若左衛門 県史10p.923
西尾市徳永神明社
平口村☆ (幡豆) 弘治4.3.25 1558 〔今川義元判物写〕御判/西参河内平口村年来令居住屋敷之事 県史10p.851
鈴木文書
矢田村[184] (幡豆) 天正9.12.6 1581 〔徳川家康朱印状写〕西条之内小寺二ケ所/寺領之事/弐貫六百文 徳永安養寺/壱貫八百文 矢田村恵海庵/右四貫四百文、各寺屋敷米銭踏出共ニ如前々永不可有相違、可為本寺儘候、勤行以下不可有怠慢者也、仍如件、/権現様御朱印 天正九〈辛巳〉/十二月六日/小寺中 県史14p.1022
三河国朱印状集
寺津村☆ (幡豆) (天正13.11.15ヵ[185]) (1585) 〔鏡陰刻銘〕(柄陰刻)酒井重忠 敬白 (箱蓋表墨書)寺津村八幡宮/奉納鏡/酒井与四郎重忠 県史14p.1050
西尾市八幡神社
あさい村☆(浅井) (幡豆) 文禄4.2.11 1595 〔吉村信次土免掟書写〕掟 あさい村土免之事 県史13p.440
三州岡崎領古文書
のゝ宮村☆[186]
またらめ村☆[187]
友国村☆
せと村☆(瀬戸)
かいふく村☆[188]
なか井村☆[189](永井)
さか井村☆(酒井)
あいは村☆[190](饗庭)
小山田村☆
こまき村☆(小牧)
こはま村☆[191](小浜)
をしかも村☆[192](鴛鴨)
河島村☆[193]
古井村☆
(幡豆)




はつの郡)








西三河
(幡豆)
文禄4.8.8 1595 〔豊臣秀吉朱印状写〕知行方目録‖一百六拾五石八斗六升 同(三河)のゝ宮村‖一三百四拾弐石壱斗五升 三州 またらめ村/一四百八拾五石七斗 同 友国村/一百九拾弐石五斗三升 同 せと村/一参百弐石九斗五升 同 かいふく村‖一弐百五拾九石三斗八升 三州はつの郡 なか井村/一百八拾六石三升 同 長野右近分 さか井村/一五百六拾弐石六斗四升 同 同人分 あいは村/一参十石六斗六升 山手・塩浜共ニ 同村/一三百七拾七石弐升 同 長野右近分 小山田村/一拾五石三斗八升 塩浜共ニ 同人分 同村/一百六拾壱石八斗五升 同 同人分 こまき村/一弐百五拾九石五斗七升 同 同人分 こはま村/一八拾弐石 同 西尾五郎右衛門分 をしかも村/一百四石 同 同人分 河島村‖都合壱万六千石/右、令扶助之訖、可全領知候也、/文禄四年八月八日/日根野治部卿法印 県史13p.457,458
藩中古文書
中田村☆
一志き村☆(一色)
はすミ村☆(羽角)
野田村☆
くす村☆(楠)
吉良領
(幡豆)
文禄4.9.- 1595 〔田中吉政代官職宛行状〕三州吉良領内台所入[/一三百五拾六石一斗三升四合五勺 中田村/一三百八拾七石三升 ひしいけ/一弐百拾五石壱斗 一志き村/一七百弐拾七石九斗三升四合 はすミ村/一百七拾五石八斗四升二合 野田村/一百五十三石一斗二升六合 くす村 県史13p.469
中川文書
大和田村
わき上下村(脇)[194]
(幡豆) 文禄4.10.- 1595 〔原長頼掟書写〕掟‖右条々相定訖、若於違犯者急度可加成敗之者也、仍如件、/文禄四年十月日  隠岐守長頼書判/大和田村/わき上下村/あさひ村/惣百性中 県史13p.477
三州岡崎領古文書
西はた村[195]
なかね村[196]
高橋郡
(幡豆)
文禄5.7.27 1596 〔豊臣秀吉朱印状〕知行方目録‖一七百九拾壱石三斗 同郡(三州高橋郡) 西はた村‖一九拾四石 同郡 なかね村‖合壱万四千弐百五拾弐石六斗/右、為加増令扶助訖、本知八万五千七百五拾八石、都合拾万石全可領知候也、文禄五年七月二十七日  ○(豊臣秀吉朱印)/田中兵部大輔とのへ 県史13p.564,565
田中文書
よりすミ村☆(寄住)
やそね村☆[197]
にへいけ村☆[198]
(幡豆) 文禄5.⑦.28 1596 〔田中吉政判物〕目録‖一参百六石弐斗四升二合 よりすミ村/一四百四拾八石三斗九升四合 やそね村/一弐百五拾七石三斗七升三合 にへいけ村/一九百卅壱石七斗七升一合 にしお町 県史13p.565,566
中川文書
さゝきむら☆(佐々木) (碧海) (慶長5).7.6 1600 〔中村采女佐書状写〕木竹之切手取候て致進入候、則安藤太郎右衛門手前ニて御座候間、可被成御請取候、尚以御用之儀可被仰下候、恐惶謹言、/七月六日  中村采女佐最(ママ)判/さゝきむら上宮寺様御床下 県史13p.646
三州岡崎領古文書

宝飫郡

郷(里)

形原加多乃波良、赤孫阿加比古、美養、御津、宮道、望理、賀茂、度津、篠束之乃豆加、宮嶋、豊川止夜加波、雀部

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
赤日子里 宝飫郡 7C 〔荷札木簡〕【赤孫】□□□/赤日子里/□ 県史7p.737
藤原宮木簡
篠束郷☆ 宝飫郡 天平18.9.20 746 〔荷札木簡〕【篠束】参河国宝飫郡篠束郷中男作物小擬六斤/天平十八年九月廿日 県史6-1618
平城宮木簡
形原郷☆[199] 宝飫郡 天平勝宝2.5.15 750 〔優婆塞貢進文〕【形原】雀部御垣守、年廿四、参河国宝飫郡形原郷戸主雀部小虫戸口 県史6p.130
正倉院文書
丹裏文書21
美養郷☆[200]
三宅里
(宝飯) 8C 〔荷札木簡〕【美養】美養郷三宅里輪中男[ ] 県史6p.704
平城宮木簡
望里郷☆[201] 宝飫郡 8C 〔荷札木簡〕【望理】参河国宝飫郡望里郷 県史6p.709
宮町遺跡木簡
度津郷[202] 宝飫郡 8C 〔荷札木簡〕【度津】参河国宝飫郡度津郷海松ヵ六斤大 県史6p.709
平城宮木簡
豊川郷☆ 宝飯郡 8C 〔荷札木簡〕【豊川】参ヵ[ ]国宝飯郡度津ヵ郷豊川郷/□[ ]道宗我ヵ日置□□日置占部麻 県史7p.737
平城宮木簡
中条郷 (宝飯) 建久8.9.23 1197 〔妙法華経巻四奥書〕南閻浮提日本国参河国中條郡(郷ヵ)漆寺村書畢/建久八年九月廿三日/執筆僧 俊鑑 県史14p.783
財賀町観音山出土史料
星野神郷 (宝飯) 元徳元.-.- 1329 〔覚源禅師年譜略〕元徳元年己巳、師四十三歳、寓居参州星野神郷ノ小庵ニ、 県史9p.80
定光寺文書
為任郷☆[203] (宝飯) 観応2.8.15 1351 〔足利義詮御教書写〕参河国為任郷〈中条刑部少輔跡〉地頭職事/右、為勲功之賞、所充行也者、 県史8p.789
記録御用諸本
市田郷☆ 保井郡 永徳2.8.22 1382 〔源信氏寄進状〕寄進/天恩寺領在所片寄郷/参河国額田郡内片寄郷幷大多伊良、次矢作東宿内在家、次保井郡内市田郷内三名等 県史9p.198
永源寺文書
牧野郷☆ 中条
(宝飯)
嘉慶2.6.14 1388 〔大般若波羅蜜多経奥書〕嘉慶二年戊辰六月十四日、於三河国中条牧野郷福昌寺実山比丘書之(ミセケチあり)、 県史9p.254
普賢院文書
音羽郷 宝飯郡 応永10.8.- 1403 〔棟札写〕奉修補八王子神社遷宮棟札/三河国宝飯郡音羽郷長沢里氏子安全 県史9p.1006
音羽町八王子神社
宮道郷[204] (宝飯) 応永24.9.15 1417 〔将軍足利義持寄進状〕【宮道】寄附/石清水八幡宮/参河国宮道郷内三橋方〈上野民部大輔入道/昌光知行分〉幷八幡〈号赤坂/別宮〉領事 県史9p.479
石清水文書
東上郷[205] (宝飯) 文安3.6.5 1446 〔管領細川勝元下知状〕普光院領‖参河国東上郷‖等事、任当知行之旨、寺家可企(全)領知之由、所被仰下也、仍下知如件 県史9p.764
相国寺普光院文書
伊奈郷☆ 宝飯郡 明応6.11.21 1497 〔梵鐘陰刻銘〕三州宝飯郡伊奈郷若宮八幡大菩薩御宝前/奉鋳鐘壱口 県史10p.238
小坂井町伊奈八幡宮旧蔵
赤根郷☆ 御津庄
宝飯郡
大永2.9.6 1522 〔棟札写〕奉造宮殿大日本国宝飯郡御津庄内赤根郷大明神守護諸人息災安穏 県史10p.901
豊川市萩原神社
赤坂郷☆[206] (宝飯) 大永3.4.11 1523 〔棟札銘〕奉造立大明神社社頭一宇 于時大永参秊〈癸卯〉初夏十一日 祢宜四郎太夫/御遷宮同日 市田郷檀那寽秀久重家長 左衛門六郎/勤行四箇法用管弦財賀寺衆徒等 番匠大工赤坂郷五郎左衛門 県史10p.902
豊川市伊知多神社
瓜郷☆[207] 宝飯郡 大永5.9.- 1525 〔喚鐘陰刻銘〕三河国宝飯郡下五井村瓜郷通月山満光寺小鐘一頭/于時大永五年〈乙酉〉九月如意日明全叟記之 県史10p.424
豊橋市満光寺
牛窪郷☆[208] 宝飯郡 大永5.9.- 1525 〔鰐口陰刻銘〕奉若一王子鰐口三川宝飯郡牛窪郷/大永五年〈乙酉〉九月吉日願主利兼敬白 県史10p.424
豊川市熊野神社
八幡郷☆ (宝飯) 天文5.11.15 1536 〔牧野成勝寄進状〕敬白/八幡宮寄進状/八幡郷之内於本所方伍貫文之内、奉進納所也、後々末代子々孫々迄、相違有間敷候者也、仍為後日右如件、 県史10p.532
八幡宮文書
下地郷☆ (宝飯) 天文5.11.15 1536 〔牧野成敏寄進状〕敬白寄進状/下地郷之内於本所方、弐拾貫文之地也、改而奉進納候、於後日末代子々孫々迄、不可有相違候、仍為後日如件、 県史10p.532
聖眼寺文書
千両郷☆ 宝飯郡 天文7.3.- 1538 〔鰐口陰刻銘〕(表)奉懸大明神御宝前鰐口一ヶ/旹天文七〈戊戌〉秊三月吉日願主敬白/(裏)三川国宝飯郡/千両郷信次 県史10p.552
豊川市犬頭神社
大崎郷☆
佐脇郷上下☆[209]
六角郷☆
(宝飯) 天文15.9.28 1546 〔牧野保成条目写〕条目‖一長沢御味方ニ参候者、下条之郷・和田之郷・千両上下・大崎郷・佐脇郷上下・六角郷、此都合八百貫余可有御座候、以上使被成御糾明、可被仰付候事、‖右之条々、有御分別御披露可畏入候、然者御聴も被合御判形を可被下候、/以上 県史10p.646
松平奥平家古文書写
長沢郷☆[210] (宝飯) 天文20.7.4 1551 〔今川義元判物写〕参河国奥郡野田郷一円代官職之事、散田共ニ、‖并竹木諸普請之具人足等、如前々長沢郷中可申付、 県史10p.735
今川一族向坂家譜
行明郷☆[211] 宝飯郡 天文21.12.23 1552 〔棟札銘〕奉造建八王子社頭一宇 三河国宝飯郡行明郷大村幷御遷宮舩形寺阿闍梨権大僧都玄朝〈敬白〉 県史10p.925
豊橋市大村八所神社
萩郷☆ (宝飯) 天文23.9.20 1554 〔今川義元判物〕(花押)/参州萩郷之事 県史10p.791
伊藤一美氏所蔵文書
苻中郷 (宝飯) 天文24.11.17 1555 〔棟札銘〕奉造立守宮神、苻中郷村人、福寿延命祈所、祢宜高次郎也 県史10p.929
豊川市守公神社
小坂井郷☆ (宝飯) 弘治2.2.13 1556 〔今川義元朱印状〕定(朱印「如律令」)/軍勢甲乙人等濫妨狼藉之事、堅令停止之訖、若於違犯之輩者、可処厳科者也、仍如件、/弘治二年二月十三日/小坂井郷平兵衛尉 県史10p.814
川出文書
御津郷[212] 宝飯郡 弘治2.2.17 1556 〔今川義元判物〕【御津】参河国宝飯郡御津郷大恩寺領之事 県史10p.815
大恩寺文書
長山郷☆[213] (宝飯) 永禄4.6.11 1561 〔今川氏真判物写〕牛窪本領之内、近年菅沼新八郎尓令扶助千貫之内、只今定能尓宛行五百四貫余之事/一百九拾四貫四百四十文 長山郷米銭陣夫共跡引物除之 県史11p.69
松平奥平家古文書写
上郷☆[214] (宝飯) (永禄4).11.4 1561 〔松平元康判物〕一松崎籠城之衆足弱事、上郷償之在所并西条端、又寺内仁雖有之、改次第可成敗、 県史11p.85
松井家文書
楽筒之郷☆[215]
江村之郷☆
橋尾之郷☆[216]
麻生田之郷☆
三橋之郷☆
(宝飯) (永禄5).7.24 1562 〔松平元康判物〕一富永之郷 塩谷之郷 矢部片山之郷/一吉田之郷 宇利之郷 八名井之郷/一養父之郷 楽筒之郷 多米当之郷/一長山之郷 小屋敷方 石田 得貞/一河田之郷 いな木村之郷 江村之郷/一橋尾之郷 麻生田之郷 三橋之郷/一東条之郷 宮地之郷之事 県史11p.108
菅沼家文書
御馬之郷☆
篠田之郷☆
(宝飯) 永禄5.8.6 1562 〔松平元康判物〕一四拾貫文 市田半済方‖一百貫文 御馬之郷‖一弐百貫文 篠田之郷 県史11p.111
徳川恒孝氏所蔵文書
大塚郷☆[217] (宝飯) 永禄5.12.14 1562 〔今川氏真判物写〕就今度忠節、出置知行之事/一所 大塚郷一円浦山共 県史11p.119
安得虎子10
御油郷☆[218] (宝飯) 永禄6.12.26 1563 〔今川氏真判物写〕去年西郡払退候段為忠節之条、任訴訟之旨、御油并みとの郷、同陣夫四人永扶助畢、 県史11p.142
因幡志
平井之郷☆ (宝飯) 永禄9.8.8 1566 〔松平家康判物写〕平井之郷成ヶ之事 県史11p.258
譜牃余録巻39
観音寺郷 宝飯郡 天正3.11.20 1575 〔棟札銘写〕(表)●(梵字キリーク)奉上葺権現宮社内安穏郷内繁昌所‖(裏)三州宝飯郡観音寺郷 県史11p.562
御津町白山神社
牧山之郷☆ (宝飯) (天正16).3.- 1588 〔石川家成書状写〕今度上へ材木之儀三州一向宗一立御頼被成候、七ヶ寺本作左より被申候ハヽ、一向宗之分ハ無沙汰可相届候、其上何かと申候者、殿様ヨリ御意事候、急度可申付候、ふさた申ましく候、かしく、/三月   石日(石川家成)/長瀬郷/合歓木郷/牧山之郷/平田之郷/和泉之郷 県史12p.694
上宮寺文書
日色野之郷☆ (宝飯) 天正17.11.24 1589 〔徳川家康定書〕定(徳川家康朱印、印文「福徳」)‖右七ヶ条所被定置也、若地頭及難渋者、以目安可致言上者也、仍如件、/天正十七年十一月廿四日  神屋弥五郎重勝(花押)/日色野之郷 県史12p.806
日色野区有文書
長山之郷☆[219] (宝飯) 天正17.11.24 1589 〔徳川家康定書〕定(徳川家康朱印、印文「福徳」)‖右七ヶ条所被定置也、若地頭及難渋者、以目安可致言上者也、仍如件、/天正十七年十一月廿四日  神屋弥五郎重勝(花押)/長山之郷 県史12p.806
小林家文書
平尾之郷☆
白鳥之郷☆[220]
馬場之郷☆
(宝飯) (天正17).-.- 1589 〔財賀寺寺領書出写〕御縄打帳写‖諸供僧田之分/一合五町小四十九歩 平尾之郷‖一合八反卅三歩 白鳥之郷‖一合三反大四歩 市田之郷/一合弐町四反七歩 馬場之郷 県史12p.826
財賀寺文書
広石之郷☆ (宝飯) 天正18.2.5 1590 〔伊奈忠次知行書立〕御知行書立‖一五百九拾壱表(俵)弐斗八升七合四勺七才 広石之郷/但八幡名共ニ‖松平又八殿 県史12p.841
本光寺常盤歴史資料館所蔵文書
五井之郷☆
中村之郷
坂本之郷☆(坂本)上之郷
水竹之郷☆
下之郷
清田之郷☆
(宝飯) 天正18.2.5 1590 〔伊奈忠次知行書立写〕御知行書立‖一六百五拾弐表(俵)弐斗七升九合七勺六才 参州五井之郷‖一七拾八表壱升六合四勺七才 中村之郷/一百七拾四表弐斗弐升八合三勺一才 坂本之郷/一拾表 同所山銭/一六拾九表八升八合六勺三才 同所上之郷/一八表弐斗四升三才 水竹之郷/一弐拾弐表三升六合六勺八才 下之郷/一弐拾七表壱斗四升七合七勺八才 清田之郷‖松平弥三郎殿 県史12p.842
長泉寺文書「御当家覚書寄并当家日記覚書」
川原郷 宝飯郡 天正19.12.9 1591 〔池田照政判物写〕為神領参州宝飯郡川原郷内弐百石進之候、 県史13p.211
古文書集
吉田郷 宝飯郡 文禄4.10.20 1595 〔顕如画像裏書〕顕如上人真影/大谷本願寺釈教如(花押)/文禄四〈乙辛〉年十月廿日/三州宝飯郡吉田郷惣道場物也 県史13p.473
豊橋市真宗大谷派豊橋別院(応通寺)

年月日 西暦 原     文 出  典
漆寺村 (宝飯) 建久8.9.23 1197 〔妙法華経巻四奥書〕南閻浮提日本国参河国中條郡(郷ヵ)漆寺村書畢/建久八年九月廿三日/執筆僧 俊鑑 県史14p.783
財賀町観音山出土史料
麻宇田村☆[221] (宝飯) 文永元.6.- 1263 〔上賀茂社権祝某申状〕当他庄人等驚来而、追籠傍所一宮領内麻宇田村戦明之、 県史8p.249
早稲田大学所蔵荻野研究室収集文書
平田村☆ 西郡
(宝飯)
康永4.3.17 1345 〔将軍足利尊氏袖判下文案〕下 多度元利房/可令早領知参河国西郡平田村白鬢・沢河・恒吉事、 県史8p.698
地蔵院文書
市田村☆ 宝飯郡 応永20.7.10 1413 〔管領細川満元奉書〕近江国永源寺末寺天恩寺領参河国片寄郷・東矢作内田三段八・市田村内三名事、 県史9p.457
永源寺文書
北鍛冶村☆[222] (宝飯) 永享8.12.24 1436 〔鰐口陰刻銘〕奉懸三川州北鍛治(冶)村浄福寺鰐口一面/永享八丙辰極月廿四日願主徳阿弥敬白 県史9p.663
額田町不動祠
中村 西郡 康正2.5.29 1456 〔造内裏段銭幷国役引付〕四百文 〈同日(五月廿九日)、/同(送状アリ、請取出)〉岩堀修理亮殿〈三川国西郡/中村段銭〉 県史9p.854
松原村☆ 宝飯郡 寛正3.9.27 1462 〔䕃凉軒日録〕廿七日、‖参河国宝飯郡之内、松原村之事、上野長福寺領也、自嘉吉元年八月一色右馬頭押領、帯勝定院殿御祈願所御判幷故一色殿又上野殿譲状、奉懸于御目、仍安堵之事伺之、以奉行可被仰付也、 県史9p.917
多野村 御津荘
(宝飯)
文明2.3.- 1470 〔棟札写〕奉造立免頭大明神小一宮氏子繁昌諸攸/文明二年/三月吉日/御津庄多野村/旦那 敬白 県史10p.879
蒲郡市相楽神社
下五井村☆ 宝飯郡 大永5.9.- 1525 〔喚鐘陰刻銘〕三河国宝飯郡下五井村瓜郷通月山満光寺小鐘一頭/于時大永五年〈乙酉〉九月如意日明全叟記之 県史10p.424
豊橋市満光寺
長山邑☆[223] 宝飯郡 天文3.3.8 1534 〔熊野三社権現縁起〕蓋惟参河州宝飯郡長山邑熊野三社大権現、人皇三十世/欽明帝丙寅年、所奉勧請焉也 県史14p.464
熊野神社文書
横洲村☆[224](横須村) 宝飯郡 天文13.2.- 1544 〔棟札銘写〕(表)奉建立医王善逝宝殿/大檀那 戸田孫四郎/願主 宝飯郡渡津横洲村〈氏子〉衆‖(裏)天文十三年〈甲辰〉令月良辰月/願主横須村中島新左衛門家氏 県史10p.916
豊橋市横須賀進雄神社旧蔵
千両村上下☆ (宝飯) 天文16.4.17 1547 〔棟札銘〕奉造立犬頭大明神上下千両村 天文拾六年卯月十七日〈敬白〉 県史10p.919
豊川市犬頭神社
平井村☆ (宝飯) 天文17.2.15 1548 〔今川義元判物〕参河国知行分之事/一所 伊奈/一所 前芝湊幷湊役、東西南北傍示如前々、一所渡津・平井村船役/以上/右年来任令為知行之旨、所充行之也、此上於抽忠節者、重可加扶助者也、仍如件、 県史10p.682
摩訶耶寺文書
三橋村☆[225]
牛久保村☆[226]
(宝飯) 天文21.6.3 1552 〔富士山檀記〕(表紙)「自天文元年至慶安四年/三州檀所帳/大鏡坊/執事」‖三州導者帳‖三日/一三橋村七百文 同行十人 金剛寺/一牛くぼ村 弐百文 市川殿 県史14p.614
大鏡坊文書
大村☆ 宝飯郡 天文21.12.23 1552 〔棟札銘〕奉造建八王子社頭一宇 三河国宝飯郡行明郷大村幷御遷宮舩形寺阿闍梨権大僧都玄朝〈敬白〉 県史10p.925
豊橋市大村八所神社
鍛冶村☆ (宝飯) 天文22.4.23 1553 〔棟札銘〕(表)奉上葺熊野本宮大権現/大工鍛治(冶)村藤原家次次郎右衛門/天文弐拾弐年〈癸丑〉卯月廿三日 願主意済/(裏)導師鍛治(冶)村一乗坊/祢迫(宜)三郎大夫藤原助盛 県史10p.926
豊橋市日色野熊野大神社
赤根村☆ (宝飯) 弘治2.10.24 1556 〔今川義元判物〕(花押)/参河国赤根村右衛門四郎分田地之事 県史10p.827
林文書
正岡村☆ (宝飯) 永禄2.12.- 1559 〔鰐口陰刻銘〕奉掛鰐口牛頭天王三川行明郷正岡村塚田衛〈大夫〉/于時永禄二〈己未〉年十二月吉日願主 県史10p.876
豊川市素戔嗚神社
上村 宝飯郡 永禄3.6.29 1560 〔今川氏真判物〕参州宝飯郡中条郷豊河妙厳寺領之事/一畠壱町三段余〈此内上村方参貫成/牧野四郎右衛門尉寄進、/屋敷壱間有之〉 県史11p.8
妙厳寺文書
下地村☆ (宝飯) 永禄4.3.10 1561 〔今川氏真判物写〕参州吉田居屋敷并小郷之内小池名田・同寺社領、高師方開発之田畠、下地村名田、遠州神座名田・山屋敷・荒地共、如前々無相違可支配、 県史11p.53
三河国吉田名蹤綜録
江村☆ (宝飯) 永禄4.6.11 1561 〔今川氏真判物写〕牛窪本領之内、近年菅沼新八郎尓令扶助千貫之内、只今定能尓宛行五百四貫余之事‖一拾九貫九百文 江村陣夫共 県史11p.69
松平奥平家古文書写
御津村 (宝飯) 永禄5.8.6 1562 〔松平元康判物〕一四拾貫文 市田半済方‖一四百弐拾貫文 御津村 県史11p.110
徳川恒孝氏所蔵文書
野田村 (宝飯) 永禄6.3.4 1563 〔今川氏真判物〕参州野田村権現并白山神領之事 県史11p.127
徳川家康判物并朱黒印16
多米当村☆[227] 渡津庄
宝飯郡
永禄12.6.14 1569 〔棟札銘〕奉造立稲荷大明神三社/永禄十二己巳三州宝飯郡渡津庄多米当村神主竹本源蔵 県史11p.339
豊川市稲荷神社(為当)
下佐脇村☆
北金屋村☆
(宝飯) 永禄12.7.2 1569 〔雲版銘写〕下佐脇村長松寺雲盤/為帰真玉屋金公禅定尼/北金屋村大工重信寄進是也 県史11p.340
御津町長松寺
久保村☆[228] (宝飯) 元亀元.11.12 1570 〔棟札銘〕奉謹請若一王子宮地之郷久保村 願主禰宜源六 県史11p.377
豊川市久保神社
大樹村☆[229] 宝飯郡 天正15.12.- 1587 〔棟札銘写〕奉造立牛頭天王祇園宮一宇‖三州宝飯郡篠田郷大樹(木)村御正躰願主〈左衛門六郎/九郎左衛門〉 県史12p.670
豊川市進雄神社旧蔵
南田之村 (宝飯ヵ) (天正17).-.- 1589 〔財賀寺寺領書出写〕御縄打帳写‖諸供僧田之分‖一合弐反十歩 南田之村 県史12p.826
財賀寺文書
下牧山村☆[230] (宝飯) 天正18.2.5 1590 〔伊奈忠次知行書立写〕御知行書立‖一四十表(俵)弐斗弐升七合五勺三才 下牧山村‖松平弥三郎殿 県史12p.842
長泉寺文書「御当家覚書寄并当家日記覚書」
うや村☆(雨谷) (宝飯) 天正18.10.18 1590 〔池田照政判物写〕以額田郡主仙寺六拾石弐斗、うや村内八拾弐石、都合百五拾石令扶助候、 県史13p.93
八田秀也家譜
牧野村☆ (宝飯) 天正18.10.18 1590 〔池田照政判物写〕窪田・海塩・芝崎内百石、牧野村内参拾石、都合百卅石令扶助候、 県史13p.93
鹿野義智家譜
橋尾村☆[231] 宝飯郡 天正19.7.8 1591 〔池田照政判物写〕於宝飯郡橋尾村内百参拾壱石弐斗、額田郡真木村内八拾石・谷篠村内参拾八石八斗、都合弐百五拾石令扶助、全可有知行状如件、‖佐藤宮千世殿 県史13p.192
佐藤長樹家譜
南おんま村☆(南御馬) (宝飯) (文禄4).7.- 1595[232] 〔御灯明銭覚〕御灯名(明)銭/未ノ七月七日/(異筆)「十九日」米五升済  南おんま村 西法寺 県史13p.449
上宮寺文書
以原村☆[233] 宝飯郡 -.3.18 1590-1600 〔池田照政判物写〕三州宝飯郡以原村(伊奈村)内百石扶助、全可知行者也、 県史13p.807
矢島幹太郎家譜
篠束村☆ 宝飯郡 -.7.1 1590-1600 〔池田照政判物〕於宝飯郡篠束村六百拾弐石、設楽郡名蔵内河向村百六拾六石・大名蔵四拾六石・う連村六拾弐石・大桑村五拾石・久原村六拾五石、都合千石遣之候、 県史13p.810
池田家文庫所蔵文書

八名郡

郷(里)

多米、美和、八名、養父、和太、服部、美夫

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
多米里☆ 八名郡 和銅6.-.- 713 〔荷札木簡〕【多米】八名郡多米里多米部麿ヵ庸米五斗ヵ/和銅六年 県史6p.698
平城宮木簡
片山里☆[234] 八名郡 和銅6.-.- 713 〔荷札木簡〕参河国八名郡片山里大伴健ヵ□/庸米五斗 和銅六年 県史6p.698
平城宮木簡
神里☆[235] 八名郡 和銅6.10.- 713 〔荷札木簡〕【美和】参河国八名郡神里飽[ /和銅六年十月 県史6p.698
平城宮木簡
八名郷
大刀里
八名郡 8C 〔荷札木簡〕【八名】八名郷大刀里 県史6p.708
平城宮木簡
上宇利郷[236] 八名郡 承久3.10.5 1221 〔大般若波羅蜜多経巻19奥書写〕承久三辛巳年十月五日書写了、三河国八名郡上宇利郷奥貴山冨賀寺心王院仏子実応 県史8p.105
冨賀寺文書
吉川郷☆ 宇利庄
八名)
応永6.3.11 1399 〔棟札銘写〕上棟一宇 奉再興宇利庄吉川郷大社六所大明神宮 県史9p.1005
八名郡誌所収
吉田郷☆[237] 宇利庄
(八名)
応永20.8.10 1413 〔鰐口陰刻銘〕(表)三州宇利庄吉田郷沙弥道通/応永廿年八月十日 県史9p.457
鳳来町六所神社
大野郷☆ 宇利庄
八名郡
応永35.2.28 1428 〔大般若波羅蜜多経巻11奥書写〕三河国八名郡宇利庄大野郷大檀那沙弥道鈴木并理幸(ママ)、/于時応永三十五己巳(ママ)仲春二十八日 県史9p.571
淵竜寺文書
竹輪郷☆ (八名) 永享5.11.25 1433 〔棟札銘〕(表)奉修造大明神御宝殿事 因上棟午時日山作ハ九月十八日ヨリ/大檀那伊福部、祢宜左衛門四郎同伊福部、公文左衛門三郎同、‖永享五年〈癸丑〉十一月廿五日右修造志趣者、現世安穏・後生善所・心中所願、皆令満足処如件、‖下さげ作太郎/東さげ形(刑)部夫/馬士道幸道妙/次郎夫講衆三十人/竹輪郷村人等 県史9p.1013
鳳来町日吉神社
高井郷☆ (八名) 康正元.11.19 1455 〔将軍足利義政御判御教書写〕北野宮領‖参河国高井郷‖等事、早任当知行、宝成院明憲領知、不可有相違之状如件、 県史9p.850
北野神社文書
和田郷☆[238] 八名郡 文明3.12.17 1471 〔木造雨乞面墨書銘〕【和太】和田郷/文明参〈辛卯〉/十二月十七日
大野之郷☆[239] (八名) 永正10.7.10 1513 〔薬屋国明売券写〕定永代売渡申三河道者之事/大野之郷一円合六里小名之事/一大野 一ほそかわ 一いしろ 一なかう 一す山 一にようかう すゝき左京助殿一家中/其外ニ今橋きゃうふさえもん一人加而/直銭合拾参貫三百文ニ売申候/右件道者ハ、親ニて候五郎衛門尉自徳屋売(買)得仕、于今雖無違相(相違)道者候、依有急用、自薬屋孫太郎方、同小五郎方へ以直銭永代売渡申処実正明金券(鏡)也、 県史10p.336
輯古帖
下条郷 (八名) (享禄5.-.-) [240] 1532 〔大般若波羅蜜多経巻314奥書〕(別筆1)「参州宝飯郡陀羅尼山財賀寺常住也、/願主下条郷右衛門太夫」 県史9p.393
財賀寺文書
賀茂之郷☆[241] 東三川八名郡 天文12.9.- 1543 〔賀茂社祭礼費用注文〕東三川八名郡賀茂之郷大明神御祭之事 県史10p.609
賀茂神社文書
西郷☆[242] (八名) 天文15.9.28 1546 〔牧野保成条目写〕条目‖一御馬出候歟、又御人数西郷へ御行候ハヽ、質物渡可申事、右之条々、有御分別御披露可畏入候、然者御聴も被合御判形を可被下候、/以上 県史10p.646
松平奥平家古文書写
宇利郷☆[243] (八名) 天文19.10.8 1550 〔今川義元判物〕白山先達之事/右、三河国牛久保領幷宇利郷之事、従前々勤来分、無相違領掌訖者、守此旨可抽武運長久之懇祈者也、仍如件、 県史10p.721
財賀寺文書
庭野郷☆ (八名) 天文22.9.4 1553 〔今川義元判物写〕年来同名三郎左衛門尉、、同織部丞・同新左衛門尉令同意逆心之儀、先年奥平八郎兵衛尉為訴人申出之上、今度林左京進令相談、為帰忠以証文言上、甚以忠節之至也、因茲同名隅松一跡之儀、所々令改易也、然者前々知行分際田菅沼之内市場名、幷善部(夫)平居内井道〈同代木、〉養父半分、武節友安名之内中藤、同田地八段、杉山之内〈田四段/畠〉、宇利之内田地五段・屋敷一所、如前々収務永領掌了、勅養寺・松山観音堂同寺領・霊峰庵〈如前々可支配、但三ヶ/所、人給ニ不可落也〉、平居内田地五貫六百文地、庭野郷内米五石幷於庭野郷〈三人扶持〉、如年来永領掌井(抹消符)「畢」、 県史10p.775
浅羽本系図
月谷郷☆[244] 八名郡 天文24.10.16 1555 〔今川義元判物写〕参州吉田領月谷郷事 県史10p.805
参州戸田文書
太養寺郷[245] (八名) 永禄5.3.7 1562 〔今川氏真判物写〕太養寺郷弐拾貫文之事 県史11p.98
松平奥平家古文書写
八名井之郷☆
養父之郷☆
(八名) (永禄5).7.24 1562 〔松平元康判物〕【養父】一富永之郷 塩谷之郷 矢部片山之郷/一吉田之郷 宇利之郷 八名井之郷/一養父之郷 楽筒之郷 多米当之郷/一長山之郷 小屋敷方 石田 得貞/一河田之郷 いな木村之郷 江村之郷/一橋尾之郷 麻生田之郷 三橋之郷/一東条之郷 宮地之郷之事 県史11p.108
菅沼家文書
深田郷[246] (八名) 永禄11.4.29 1568 〔棟札銘〕奉再興飛滝権現宮一宇/三河国 深田郷 三渡野村 地頭酒井左衛門尉殿 村人十四人 県史11p.312
豊川市緑野神社
嵩山郷☆
牛川之郷☆
東三川
(八名)
天正18.2.2 1590 〔伊奈忠次知行書立写〕御知行書立‖一千百八拾八表(俵)壱斗三升四合弐勺壱才 東三川 嵩山郷円(ママ)‖一千百九拾六表壱升八合九勺四才 同 牛川之郷円(ママ) 県史12p.840
古文書(記録御用所本)
長良郷☆[247] (八名) 天正18.2.5 1590 〔伊奈忠次知行書立〕御知行書立‖一千参百拾四表(俵)四升壱合弐勺 長良郷‖松平又八殿 県史12p.841
本光寺常盤歴史資料館所蔵文書

年月日 西暦 原     文 出  典
吉川村☆ (八名) 応永12.春.- 1405 〔大般若波羅蜜多経巻234奥書〕依此書写功徳、一念不生汚縁頓息、無辺病本随念潰除、塵却罪山一味推倒矣、為[雖脱ヵ]悪筆為且仏法興隆、且現当二世諸縁、如形置写之畢、可恥、于応永十二年春、三川吉川村常興庵釈子正順書写畢、 県史9p.403
延命寺文書(新城市)
小波田村☆[248] 宇利新庄
八名郡
応永13.7.8 1406 〔大般若波羅蜜多経巻421奥書〕時応永十三年丙戌七月八日、於三州八名郡宇利新庄上宇利郷小波田村延命寺草亭、雖為悪筆、為現世安穏後生善処、生々世々値遇頂戴、不顧外見所奉書写而已、信厚、 県史9p.403
延命寺文書(新城市)
久寸村[249] 八名郡 文安2.8.- 1445 〔鰐口陰刻銘〕三州八名郡久寸村大村大明神御宝前/文安二年八月吉日願主五郎敬白 県史9p.762
鳳来町大村神社
竹谷村 宇利庄
八名郡
享徳3.4.17 1454 〔棟札銘〕(裏)享有志龍集甲戌各有栄語余曰/大日本国三川州八名郡宇利庄竹谷村六所大明神宮之再興/上葺、於御宝殿弐□大工既於数十日各々致丹誠之志、捧法昧[ ]飯故養成、修造畢而/謂亦諸大明神神帰本坐、致法楽之義村人等之旨如斯 県史9p.1013
鳳来町日吉神社
嵩山村☆ (八名) 長禄3.2.- 1459 〔細川成之代申状写〕細河讃岐守成之謹支言上/参河国宝飯郷(郡)半分幷同国小垣江村・嵩山村等之事 県史9p.887
尊経閣文庫所蔵「為自然写之」所収
鳥原村☆ 宇利庄
(八名)
寛正6.8.1 1465 〔鰐口陰刻銘〕三河国宇利庄鳥原村/光明禅寺鰐口施主/寛正六〈乙酉〉年/八月一日敬白 県史9p.953
鳳来町朝日神社
御油村☆[250](五井) 八名郡 天文5.8.13 1536 〔棟札銘〕奉造建天王宮鳥居一宇 三川八名郡御油(五井)村〈敬白〉 県史10p.909
豊橋市五井素戔嗚神社
金田村☆ 八名郡 16C 1549以前ヵ[251] 〔大般若波羅蜜多経巻213奥書〕「石巻之宮経也、」三川州八名郡神郷金田村也、 県史9p.310
石巻神社文書
竹内村☆[252]
下条村[253]
(八名) 天文21.6.1 1552 〔富士山檀記〕(表紙)「自天文元年至慶安四年/三州檀所帳/大鏡坊/執事」‖三州導者帳‖一竹内村百文 五郎兵衛/同村 百文 孫兵衛/一下条村 百文 野尻弥兵衛 県史14p.613
大鏡坊文書
三渡野村☆[254] (八名) 永禄11.4.29 1568 〔棟札銘〕奉再興飛滝権現宮一宇/三河国 深田郷 三渡野村 地頭酒井左衛門尉殿 村人十四人 県史11p.312
豊川市緑野神社
大野村☆ 八名郡 永禄12.11.18 1569 〔梵鐘銘写〕三州八名郡大野村惣社大明神鐘 県史11p.353
東滸金石文一斑
平野七村☆[255]
神ヶ谷村☆[256]
なぎの上村☆[257]
井之島村☆[258]
わちかや村☆ (月ヶ谷)
東三川
(八名)
天正18.2.2 1590 〔伊奈忠次知行書立写〕御知行書立‖一千三百拾八表(俵)壱斗三升八合七勺八才 同(東三川) 平野七村円(ママ)‖一弐百八拾六表弐斗弐升八勺五才 同 神ヶ谷村‖一弐百四拾九表弐斗六升六合三勺弐才 同 なぎの上村‖一五拾七俵 同 井之島村‖一参百八拾六表壱斗三升三合 同 わちかや村 県史12p.840
古文書(記録御用所本)
たかい村☆(高井) (八名) 天正18.10.18 1590 〔池田照政判物〕於額田郡岡崎内百弐拾石、三橋村内百四拾石・たかい村四拾石、都合参百石令扶助候、 県史13p.91
乾家文書
牛川村☆ (八名) 天正18.10.18 1590 〔池田照政判物〕以小田淵内百七石五斗、牛川村之内五拾弐石五斗、都合百六拾石令扶助候、 県史13p.91
岡島文書
多離村☆[259] (八名) (天正18).-.- 1590 〔三河国多離村検地帳写〕多離村田かた検地之事 県史13p.145
黄柳野区有文書
竹輪村☆ 宇利庄
(八名)
文禄3.11.- 1594 〔棟札銘〕(裏)奉修造大明神御宝殿之事同上棟午時之内ニハ入用之事□よ寿[ ]‖宇利庄竹輪村 県史13p.436
新城市竹ノ輪日吉神社

渥美郡

郷(里)

幡太、和太、渥美、高蘆太加之、礒部、大壁於保加へ

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
大辟部五十戸 飽海郡 7C 〔荷札木簡〕【大壁】飽海ヵ評大辟部五十戸人ヵ/〈委文部□□/委文ヵ[ ]〉俵 県史7p.736
石神遺跡木簡
寸松里☆[260] (渥美) 7C 〔荷札木簡〕寸松里人海部国麻呂二/[ ] 県史6p.691[261]
藤原宮木簡
幡太郷☆[262] (渥美) 8C 〔荷札木簡〕【幡多】幡ヵ太郷戸主凡直□/宝字[ 県史6p.696
平城宮木簡
伊良期郷☆[263] 渥美郡 承安4.5.29 1174 〔三重県伊勢市小町塚出土瓦経銘〕承安四年〈甲午〉五月〈庚午〉廿九日、於南閻浮提日本国東海道三河国渥美郡伊良期郷[ ]、 県史7p.456[264]
花崎郷☆[265] 橋良御厨
(渥美)
仁治2.閏10.1 1241 〔平戸記〕一日庚申、天晴、今朝、自殿下被下神宮祢宜家重・盛重相論参河国橋良御厨花崎郷内延盛遺領田畠等文書在目六、法家勘之也、 県史8p.188
雲谷郷☆[266]
岩崎郷☆[267]
(渥美) 仁治3.1.28 1242 〔普門寺四至注文写〕船形山普門寺梧岡院幷坂本雲谷・同岩崎之郷、余郷余郡或他国仁混境之事 県史14p.806
県史9p.64[268]
普門寺文書
山田郷☆ 渥美郡 正和5.6.10 1316 〔大般若波羅蜜多経奥書写〕一 第六百巻ノ終ニ曰ク/于時正和五丙辰年六月十日/於三州渥美郡山田郷泉福寺東ノ坊ニ書写シ畢ル/大檀那沙弥蓮念/右筆願主比丘円證 県史9p.61
医福寺文書
野田郷☆
高足郷☆[269]
細谷郷☆[270]
大岩郷☆
若見郷☆
赤羽郷☆[271]
弥熊郷☆[272]
吉胡郷☆[273]
渥美郡 建武3.2.6 1336 〔後醍醐天皇綸旨案〕【高蘆】参河国渥美郡内野田・高足・細谷・大岩・若見・赤羽・弥熊・吉胡・岩崎等郷、為備中国荏原・草間両条、駿河国津河郷、同国藍沢御厨内大沓間田在家等替、可令知行、 県史8p.607
結城家文書
牟呂郷☆
草間郷☆
渥美郡 延元元.4.2 1336 〔結城宗広譲状〕一譲与 所領等事/(中略)/一参河国渥美郡内/野田郷・高足郷・細谷郷・大岩郷・若見郷・赤羽郷・弥熊郷・吉胡郷・岩崎郷・牟呂郷・草間郷 県史8p.612
結城家文書
野依郷☆[274] 渥美郡 康暦元.10.13 1379 〔管領斯波義将奉書案〕参河国渥美郡〈野依郷除之〉、同国下和田郷事、任安堵之旨、可被沙汰付佐々木大膳大夫高秀代之状、依仰執達如件、 県史9p.160
佐々木文書
本神戸郷[275] 渥美郡 応永19.20.26 1412 〔将軍足利義持御判御教書〕当門跡領参河国渥美郡内本神戸郷事、為守護使不入之地、段銭以下諸公事所令免除也、可令存知給之状如件、 県史9p.450
実相院文書
大草郷☆[276] 渥美郡 文明16.2.28 1484 〔鰐口陰刻銘〕奉施入日本国三川渥美郡大草郷大日堂鰐口/文明十六〈甲辰〉十二月廿八日願主浅庭平太夫敬白 県史10p.126
南知多町和泉蔵院
加治郷☆[277] 渥美郡 文明21.1.11 1489 〔久世信康売券〕永代売渡申参河国渥美郡加治郷清友名事/合参百捌拾八貫捌百文 県史10p.165
長興寺文書(田原市)
大窪郷☆[278] 渥美郡 明応3.2.10 1494 〔玉栄判物写〕参河国渥美郡大窪郷長興寺事、為茅所処、田原弾正被再興、本寺領之外買付新所、依古今儀執申、為玉栄菩提所、恵成前司申合、奉進之云々、 県史10p.217
三川古文書
大津郷☆[279] 渥美郡 明応4.12.- 1495 〔梵鐘陰刻銘〕大日本国三川刕渥美郡大津郷/長松山太平禅師(ママ)再興鋳鐘銘曰‖旹明応第四〈乙卯〉稔蜡月如意珠日/住持比丘宗観/大工 県史10p.227
豊橋市太平寺
新神戸郷[280] 渥美郡 明応6.11.17 1497 〔棟札銘〕奉造立参川国於渥美郡新神戸郷社頭壱宇 県史10p.889
豊橋市安久美神戸神明社
杉山郷☆[281] 渥美郡 文亀3.5.21 1503 〔棟札銘〕奉造立長杉大明神殿/三州渥美郡杉山郷/文亀第三〈癸亥〉五月廿一日 県史10p.891
豊橋市杉山八幡社
堀切之郷☆ (渥美) 天文元.9.1 1532 〔古簡雑載〕堀切之郷常光寺門前不入之事申定候、於子々孫々煩不可有之者也、仍如件、 県史10p.469
古簡雑載
大崎郷☆ 渥美郡 天文10.11.15 1541 〔棟札銘〕奉八幡宮健(建)立 願主戸田三郎右衛門尉宣成(花押)/三河国渥美郡大崎郷/天文拾秊〈辛丑〉十一月十五日敬白 県史10p.912
豊橋市大崎八幡社
七根郷☆ 厚見郡
(渥美郡)
天文17.9.21 1548 〔今川義元寄進状〕参河国厚見郡七根郷内小松原山東観音寺領之事 県史10p.685
東観音寺文書
月谷之郷 渥美郡 天文18.11.8 1549 〔今川義元判物写〕三河国渥美郡月谷之郷、米銭七拾貫文幷陣僧相勤小庵弐ヶ寺等之事、右先知之外出置所也、諸役・時之雇等一切免許之、仮令増分雖有之、為不入出置上者可致所務、弥可抽戦忠状、仍如件、 県史10p.707
古簡雑載
田原郷☆[282] 渥美郡 (天文22).8.23 1551 〔今川義元寄進状〕参河国渥美郡田原郷龍門寺領之事 県史10p.737
龍門寺文書
世谷郷
浦郷☆
(渥美) 天文22.10.21 1551 〔今川義元判物〕参河国奥郡田原郷龍門寺領山屋敷事/一世谷郷田地九百文・畠壱貫文、根田七百文、浦郷壱貫文、/一野田郷運昌寺田畠山屋敷共、/
右先判雖出置之、紛失之由、依隠居天庵申状、只今相改所出判形也、於向後雖令先判出来、不可許容者也、仍如件、
県史10p.776
龍門寺文書
吉田郷[283] (渥美) (弘治元).⑩.7 1555 〔今川義元判物写〕参州吉田郷盛源寺領之事 県史10p.806
三河国吉田名蹤綜録
小郷[284] 渥美郡 弘治3.11.15 1557 〔今川義元判物写〕参河国小郷之内花崎祢宜名之事 県史10p.844
石田文書
飽海郷☆[285] 渥美郡 永禄3.10.2 1560 〔今川氏真判物〕参河国渥美郡飽海郷大雄山吉祥院領事 県史11p.14
東観音寺文書
坪出郷 (渥美) 永禄5.6.- 1562 〔福島春興寄進状〕小松原山東観音寺奉寄進田地之事/合弐貫文地者〈坪出郷并御子沢谷/根又原〉/右知行、寺沢村左近右衛門名之内也 県史11p.106
東観音寺文書
古郷 (渥美) 永禄6.2.24 1563 〔今川氏真判物〕給恩分之事/於三州吉田之内田畠屋敷分共拾壱貫文地、古郷之内四貫七百文〈此内弐貫参拾文者、荒地開発忠節分也、〉都合拾五貫七百文、如年来可令知行〈但此内弐貫四百文者、扶持銭従蔵前毎年可請取之、〉 県史11p.125
本光寺常盤歴史資料館所蔵文書
高松両郷☆[286] (渥美) 永禄7.5.13 1564 〔松平家康起請文写〕就今度忠節進置新知之事‖一参百八十貫文 高松両郷 県史11p.186
参州戸田文書
下郷 (渥美) (永禄7).6.25 1564 〔松平家康書状写〕田原・あかはねときり候て、下郷人そく可有御便(使ヵ)候、若此上罷不出候ハヽ、成敗可有候、 県史11p.190
譜牃余録巻33
二崎之郷☆[287]
白屋之郷☆[288]
敷地之郷[289]
新野美之郷☆[290]
(渥美) 永禄7.6.- 1564 〔松平家康判物写〕今度田原・梶之取出申付、為其忠賞進置地之事‖一五拾貫文  二崎之郷/一五拾貫文  白屋之郷‖一七拾貫文  敷地之郷/一百貫文  新野美之郷網弐帖 県史11p.191
譜牃余録巻33
小島郷☆[291] (渥美) 天正2.1.- 1574 〔玉岫宗璵置文〕小島二郎左衛門作人ざる田之事、又ちやうぎ田とも云、小島郷そし大夫死去之後子なき之間、彼下地寺沢太左衛門・七根二郎兵衛、地下おとなの事あらそい候間、皆々あつかい中分ニなり候て、彼ざる田ハ其時あれも候て、中分にはつれ候時小松原へ寄進候て、五十文つゝねんくなり申候、 県史11p.470
東観音寺文書
保尾之郷
中山之郷☆
(渥美) 天正2.12.9 1574 〔徳川家康朱印状写〕保尾之郷江其方可令居住之由、然者彼地為不入諸役一円令免許畢、并中山之郷地下網弐帖・湊役、如近年之可有所務、 県史11p.490
書上古文書四
上郷 (渥美ヵ) (天正17).12.13 1589 〔彦坂元正書状〕未一両日爰元ニ候て田原へ罷越、上郷之棹子可申付存分ニ候、‖(切封ウワ書)「(墨引) 自大崎 彦坂小刑部/小松原寺様 侍者御中」 県史12p.812
東観音寺文書
百之郷[292] (渥美) 16Cヵ 〔長仙寺領収務分覚〕長仙寺領相残而被収務分‖相違之分/八貫八百文 杉山郷之内  弐貫四百文 百之郷内/四貫弐百六十文 浜田領家銭幷此郷之内佃四帖/七貫弐百文 是ハ戸田三郎御寄進下条郷之内伴名半分 県史10p.808
長仙寺文書

年月日 西暦 原     文 出  典
三相村 渥美郡 永正2.11.- 1505 〔今川氏親判物写〕其方馬見塚為替地、於渥美郡三相村、本銭百廿貫文、永令宛行之畢、於当家於令忠節、益可加扶所候、依如件、 県史10p.289
今橋物語
小松原沙村☆[293] 渥美郡 大永6.5.- 1526 〔東観音寺縁起〕参河国渥美郡小松原東観音寺縁起序‖欲観我普門示現之質随類化度之粧者、於参州渥美郡小松原沙村可尋、 県史14p.482
東観音寺文書
雲之谷村☆[294] 渥美郡 天文3.2.1 1534 〔船形山普門寺梧桐岡院闓闢之縁起由来之記録〕大日本国三河国渥美郡雲之谷村船形山普門寺梧桐岡院闓闢之縁起由来之記録 県史14p.485
普門寺文書
青津村☆[295] (渥美) 天文5.12.24 1536 〔新三郎売券〕売渡申田地之事/合本銭参貫文者〈但在所熊野上之分/此年貢米打飯升にて壱斗弐升也、〉/右、件田地者、依急用有、雖青津村新三郎下地、同村伝法寺へ売渡申候処実正也、 県史10p.534
伝法寺文書
小嶋村☆ 渥美郡 天文18.7.1 1549 〔今川義元判物写〕参河国渥美郡七根内小嶋村一ヶ所之事/右、毎年切符之内、為弐拾貫文之改替所補任之也、縦収務以下雖有過上、年来抽軍功之条、一円為知行令領掌上者不可有相違、棟別免許之、弥可励忠信之状如件、 県史10p.699
御家中諸士先祖書
姜村[296] 渥美郡 天文22.12.13 1553 〔棟札銘〕奉造立三州渥美郡姜村神明宮一宇/天文廿二年〈癸卯〉十二月十三日〈□刻〉諸人等敬白 県史10p.926
豊橋市東田神明宮
馬伏村☆ 奥郡 弘治3.9.28 1557 〔今川義元禁制写〕参州奥郡新美西光寺幷馬伏村東山寺之事 県史10p.842
東仙寺文書
今村 (渥美) 弘治3.11.15 1557 〔今川義元判物写〕参州野依郷之事、代官・同百姓職共可相計之旨、判形出置之処、今村松天庵以増分、就有内約筋目、彼郷中百姓職一円令与奪之段、任其儀ニ所領掌也、 県史10p.845
野依町有文書「野依村来由記」
畠村☆[297] (渥美) (永禄5).5.22 1562 〔松平元康判物写〕一畠村之儀、田原へ理可進之、 県史14p.954
松平忠和氏所蔵文書
寺沢村☆ (渥美) 永禄5.10.13 1562 〔今川氏真朱印状〕福嶋因幡守知行寺沢村之内弐貫文地之事 県史11p.115
東観音寺文書
□中村 (渥美) 永禄6.11.28 1563 〔棟札銘写〕(表)奉修理八幡宮一宇 于時永禄六年〈癸亥〉霜月廿八日‖(裏)□中村 左近左衛門 県史11p.139
牟呂八幡宮旧蔵
杉山村☆[298] (渥美) 永禄9.12.27 1566 〔酒井忠次判物〕長慶寺領之事‖右条々、仍(依)為古跡、如前々領掌訖、此外野端門前屋敷等、棟別・四分一・押立・人足以下其外諸役、如近年令免許者也、仍如件、/永禄九年寅十二月廿七日  酒井左衛門尉忠次(花押)/杉山村長慶寺 県史11p.269
長慶寺文書
山田村☆ (渥美) 天正4.4.2 1576 〔諸宗寺社領目録〕諸宗寺社領/御門跡方并院家‖百十七石余同州(参州)山田村泉福寺 県史11p.626
醍醐寺文書九八函
西大窪村☆[299] (渥美) 天正17.11.3 1589 〔徳川家康定書〕定(徳川家康朱印、印文「福徳」)‖右七ヶ条所被定置也、若地頭有難渋之儀者、以目安可言上者也、仍如件、/天正十七〈己丑〉年十一月三日  彦坂小刑部(花押)/西大窪村 県史12p.799
長興寺文書
亀山村☆ (渥美) 天正17.11.3 1589 〔徳川家康定書〕定(徳川家康朱印、印文「福徳」)‖右七ヶ条所被定置也、若地頭有難渋之儀者、以目安可言上者也、仍如件、/天正十七〈己丑〉年十一月三日  彦坂小刑部(花押)/亀山村 県史12p.800
田原市渥美郷土資料館所蔵文書
二川村☆[300] (渥美) 天正18.10.18 1590 〔池田照政判物写〕於額田郡岡崎内百弐拾石、二川村内百四拾石、都合六拾石令扶助候、 県史13p.92
加藤治平家譜
いらこ村☆[301] (渥美) 文禄5.⑦.28 1596 〔田中吉政判物〕目録/一参百八拾壱石五斗七升五合 いらこ村 県史13p.565
中川文書
野田村☆[302] 渥(美脱ヵ)郡 慶長4.4.16 1599 〔親鸞画像裏書〕本願寺親鸞聖人御影/大谷本願寺釈教如(花押)/慶長四〈己亥〉年四月十六ヵ日/佐々木上宮寺門徒/三州渥(美脱ヵ)郡野田村/西円寺常住物也/願主釈尊忍 県史13p.622
田原市野田町西圓寺
七根村☆
細谷村☆[303]
(渥美) 慶長5.12.22 1600 〔三河国東観音寺寺領指出〕三川国渥美郡小松原山東観音寺領指出之事/一百八石 在小松原村東観音寺領/一漁船五艘 在小松原山同領‖一壱石弐斗七升 在七根村同領施餓鬼田‖一拾壱石三斗 在細谷村幸福寺領 県史13p.721,722
東観音寺文書

設楽郡

郷(里)

賀茂、設楽之太良、黒瀬、多厚

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
田奈江郷☆[304] (設楽) 康暦2.11.24 1380 〔管領斯波義将奉書写〕参河国田奈江郷幷塚嶋極楽寺以下〈設楽与一跡〉地頭職事、為料所々被預置也、早可被致沙汰之状、依仰執達如件、 県史9p.177
尊経閣文庫所蔵「諸家文書」所収
黒瀬郷[305] (設楽) 応永6.7.10 1399 〔管領畠山基国奉書案〕【黒瀬】飯尾大和守兼行申参河国黒瀬郷内塚嶋地頭職事、高新右衛門尉不出帯支証之間、理非糺明之程、可被置所務於中之旨、相触当所、如元可被渡返兼行代之由、所被仰下也、 県史9p.350
飯尾文書
塚嶋郷 設楽郡 応永26.6.19 1419 〔三善某寄進状写〕寄進 釣月庵/参河国塚嶋郷内大豆壱石幷料足壱結等事 県史9p.499
釣月寺文書
折立郷☆[306] 設楽郡 応永29.10.20 1422 〔鰐口陰刻銘〕奉施入折立郷薬師堂鰐口一面/応永廿九年〈壬刁〉十月廿日〈敬白〉 県史9p.523
富山村熊野神社
振草郷
古戸郷☆
設楽郡 正長2.9.- 1429 〔木造神像墨書銘写〕三河国振草郷/古戸江(郷)夏目九郎/左衛門実清作之也/正長二年九月吉日 県史9p.587
東栄町誌
横山郷☆ 設楽郡ヵ 寛正5.11.12 1464 〔将軍足利義政御判御教書写〕大内四郎重弘申、摂津国得位時(抹消符)枝(抹消符)庄内五分一方幷時枝庄地頭等〈北野社上分/三千疋在之、〉参川国横山郷之事、早任相伝当知行、領掌不可有相違之状如件、 県史9.942
北野社家日記
設楽郷☆ 設楽郡 文正元.5.28 1466 〔将軍足利義政御判御教書写〕【設楽】妙雲院領参河国設楽郷・若狭国三宅庄地頭職、段銭・人夫幷臨時課役・守護役等諸公事、早任先例、所令免除之状如件、 県史9p.965
曇華院殿古文書
足込郷☆[307] 設楽郡 永正5.4.3 1508 〔鰐口銘写〕三河国設楽郡振草内足込郷観音堂 県史14p.858
大平村史
本郷[308] 設楽郡 天文11.9.16 1542 〔棟札銘〕奉再興諏訪宝殿一社大願主伊藤左京亮藤原貞久/大日本国三川州設楽郡振草郷本郷村人六名乙名/于時天文拾一歳〈壬寅〉九月十六日大工門谷八良次郎 県史10p.914
東栄町諏訪南宮社
振草七郷 (設楽) 天文11.11.- 1542 〔梵鐘銘写〕于時天文十一年〈壬寅〉年霜月如童(意)珠日、願主藤原氏伊藤左京亮貞久、振草七郷施主等、大工北金屋太郎左衛門金久、檀那藤原朝臣菅沼左馬充(允)元貞/前住永平光国老衲書之/順智代 県史10p.596
東栄町長養院
振内長峯郷 設楽郡 天文12.11.- 1543 〔棟札銘〕奉造立大日本国三川刕設楽郡振内長峯郷小田之村 県史10p.915
東栄町小田天王神社
平居郷☆[309] (設楽) 天文22.4.23 1553 〔今川義元判物写〕参州平居郷永住寺之事/右寺領等、如前々不可有相違、 県史10p.768
永住寺文書
作手郷 設楽郡 弘治3.12.18 1557 〔鰐口陰刻銘〕三河国設楽郡作手郷岩波村白鳥大明神御宝前鰐口大工北分(金)屋朝臣兼重/于時弘治三〈丁巳〉年十二月十八 父九吉敬白 県史10p.849
新城市八柱神社
田峯郷[310] (設楽) 永禄3.10.7 1560 〔今川義元判物写〕定/一先年依忠節被宛行知行所之事/一於田峯郷所務仕来人夫銭之事 県史11p.14
浅羽本系図
菅沼之郷☆ (設楽) 永禄4.8.2 1561 〔松平元康朱印状写[311]〕今度下立・菅沼之郷為替改、武節之郷任望令扶持者也、 県史11p.77
譜牃余録巻2
とひなか之こう[312](富永) (設楽) 永禄5.6.28 1562 〔熊野那智社旦那分け状〕三河山ヶ三方之内実報院へ参分/一したら之こう 一ひやうとう/一とひなか之こう 此分参候、
塩谷之郷☆[313]
矢部片山之郷[314]
河田之郷☆[315]
いな木村之郷☆(稲木村)
(設楽) (永禄5).7.24 1562 〔松平元康判物〕一富永之郷 塩谷之郷 矢部片山之郷/一吉田之郷 宇利之郷 八名井之郷/一養父之郷 楽筒之郷 多米当之郷/一長山之郷 小屋敷方 石田 得貞/一河田之郷 いな木村之郷 江村之郷/一橋尾之郷 麻生田之郷 三橋之郷/一東条之郷 宮地之郷之事 県史11p.108
菅沼家文書
山中(郷)☆ (設楽) 永禄6.5.22 1563 〔今川氏真感状〕山中・大野之郷以調略百姓等引付之由、自井伊谷注進候之条、甚以忠節之至也、 県史11p.131
鈴木重信氏所蔵文書
徳貞郷☆[316] (設楽) 天正3.4.30 1575 〔武田勝頼制札〕高札(武田家朱印)  徳貞郷/当手軍勢・甲乙人等、於彼郷中不可濫妨・狼藉、若有違背之族者、可被行厳科者也、 県史11p.541
渡辺家文書
嶺之郷☆[317] (設楽) 天正18.2.12 1590 〔伊奈忠次知行書立写〕御知行書立‖一弐百弐拾九表(俵)壱斗弐升壱合壱勺三才 嶺之郷‖松平源次郎殿 県史12p.844
松平乗承家蔵古文書
ふりの庄十七郷[318](布里) (設楽) 慶長4.5.8 1599 〔廊之坊分旦那目安〕(表紙)「廊之坊分旦那目安」‖一三河国 片浜ナシり一円 いらご一円 山か三方一円/ほうらいじ中分/ふりの庄十七郷一円 大村一円 牛窪一円/吉田一円 あすけノ庄一円 県史13p.623
熊野那智大社文書

年月日 西暦 原     文 出  典
恩原村☆ 設楽郡 文安元.12.11 1444 〔鰐口陰刻銘〕奉懸白鳥大明神御宝前/文安元年〈甲子〉十二月十一日恩原村 県史9p.760
鳳来町八剣神社
怒多之輪村☆[319] 設楽郡 宝徳3.1.27 1452 〔棟札銘〕発菩提心建天道大日神/宝徳三〈壬(辛)未〉年/正月廿七日/願主 両□怒田輪村/柾平[ ]‖三刕設楽郡/怒多之輪村 県史9p.1019
設楽町天道神社
河路村☆[320] 設楽郡 康正2.6.19 1456 〔造内裏段銭幷国役引付〕四貫七百五十文 〈六月十九日、六日定〉設楽越中守殿〈三河国下立郷河路村段銭〉 県史9p.856
田峰村☆[321] 設楽郡 文明13.11.15 1481 〔梵鐘陰刻銘〕大日本国三刕設楽郡田峰村高勝禅寺奉施入、右志者奉為賢室道聚禅定門七周忌者也、聞鐘声煩悩軽智慧長菩提生離地獄出火火元願成仏度衆生、南無観世音菩薩/文明十三年〈辛丑〉十一月十五日/大工藤原兼次/大旦那藤原貞吉 県史10p.103
設楽町谷高山高勝寺
市場村☆[322] 設楽郡 長享2.11.7 1488 〔梵鐘陰刻銘〕大日本国三河国/設楽郡市場村/松尾大明神鐘 県史11p.486
新城市永住寺
西路村☆ (設楽) 延徳4.9.- 1492 〔棟札銘〕奉造立日月天道社堂一宇‖大工西路村大屋次兵衛 県史10p.886
設楽町天道神社
黒沢村 設楽郡 明応9.8.- 1500 〔鰐口陰刻銘〕(裏)三河州黒沢村住人願主源左近/旹明応九年庚申八月彼岸敬白 県史9p.547
鳳来町六所神社
大和村 設楽郡 永正14.9.- 1517 〔鰐口陰刻銘〕三川設楽郡大和村御堂公用也/永正〈丁丑〉九月日旦那妙祐孫兵衛門 県史10p.365
新城市八剣神社
赤塚邑[323] 設楽郡 享禄元.11.- 1528 〔棟札銘〕奉建立薬師堂一宇事幷釈迦不動〈普賢/□□〉/当処世界大日本国三川刕設楽郡振草郷園目内赤塚邑大願主 百文刑部三郎/[ ]享(ママ)元年〈戊子〉霜月 日 県史10p.907
東栄町薬師堂
九郎瀬村[324] (設楽) 天文11.12.3 1542 〔棟札銘〕奉新造三所権現御宝殿 大旦那お千 旹天文十一年〈辛丑〉十二月三日/幷代観松平雅楽助殿・大工九郎瀬村定清/本願友文・同大野六名勧進/敬白 県史10p.915
新城市熊野神社
小田之村 設楽郡 天文12.11.- 1543 〔棟札銘〕奉造立大日本国三川刕設楽郡振内長峯郷小田之村 県史10p.915
東栄町小田天王神社
月村☆[325] (設楽) 天文21.6.2 1552 〔富士山檀記〕(表紙)「自天文元年至慶安四年/三州檀所帳/大鏡坊/執事」‖三州導者帳‖一つき村四百文 同行十人 五郎作 県史14p.613
大鏡坊文書
黒田村☆ (設楽) 弘治2.12.5 1556 〔今川義元判物写〕去九月林左京進江令内通兄大膳亮前出引切、馳参在于大野取出昼夜相働条、山中過半属手之段、甚以忠節也、因茲知行之事、/一所黒田村/一所津具村幷関有之/一所平居郷之内田弐段・畠四百文地幷屋敷六本知行之内参年棟前永免許之事、/以上、 県史10p.827
記録御用所本古文書
岩波村☆[326] 設楽郡 弘治3.12.18 1557 〔鰐口陰刻銘〕三河国設楽郡作手郷岩波村白鳥大明神御宝前鰐口大工北分(金)屋朝臣兼重/于時弘治三〈丁巳〉年十二月十八 父九吉敬白 県史10p.849
新城市八柱神社
徳貞村☆[327]
石田村☆
(設楽) 永禄4.6.11 1561 〔今川氏真判物写〕牛窪本領之内、近年菅沼新八郎尓令扶助千貫之内、只今定能尓宛行五百四貫余之事‖一五拾三貫六百五十七文 徳貞村米銭陣夫共/一弐拾六貫四百文 石田村米銭陣夫共 県史11p.69
松平奥平家古文書写
田口村☆[328] 設楽郡 永禄5.3.- 1562 〔今川氏真判物写〕去戌三冬、三州津具於白鳥山令忠節候、先判有之候、其後武節之城相籠之刻走廻リ、依之設楽郡於田口村ニ、徳分拾五貫文可進処務候、 県史11p.99
今橋物語
稲木村☆ (設楽) 永禄6.5.14 1563 〔今川氏真判物写〕一菅沼新八郎本知悉并蔭山方稲木村共所令扶助也、 県史11p.130
松平奥平家古文書写
長峰村 設楽郡 永禄7.11.- 1564 〔棟札銘〕●(梵字キリーク) 奉建立當社御宝殿二社筍月成就畢 筆者月村清平寺住僧賢□□□/大日本国東海道三州設楽郡振草郷長峰村 県史11p.199
東栄町長峯神社
新城村☆[329] (設楽) 天正2.11.- 1574 〔梵鐘陰刻銘〕三州新城村/延命山永住禅寺三世喚州遵応/老衲代 県史11p.486
新城市永住寺
屋部村[330] (設楽) 天正6.11.13 1578 〔棟札銘〕奉建立東海道三河刕屋部村輿休山勅養寺 県史11p.684
新城市勅養寺
奥七村 (設楽) 天正9.12.- 1581 〔桜井正次譲状〕於三河旦方譲状之事‖ふり草七郷奥七村供に、同信州之国者、ひろめ次第ニ渡事実正也、 県史11p.777
桜井文書
黒川村 (設楽) 天正17.5.23 1589 〔富士山檀記〕(表紙)「自天文元年至慶安四年/三州檀所帳/大鏡坊/執事」‖三州導者帳‖一宝来寺内黒川村先達孫兵衛 県史14p.615
大鏡坊文書
大当下村☆[331] (設楽) 天正18.9.26 1590 〔三河国大当下村畠方検地帳写〕(表紙)「天正拾八秊/九月六日 ○(黒印)/大当下村/畠方」 県史13p.47
小野田孝氏所蔵文書
尾籠村 (設楽) 天正18.9.27 1590 〔三河国振草月村之内尾籠村検地帳写〕(表紙)「三河国設楽郡振草月村之内〈尾籠村/御検地〉帳/天正十八年/九月廿七日」/月村之内尾籠村御けん地帳 県史13p.66
岡田みね子氏所蔵文書
中ノ設楽村[332] (設楽) 天正18.9.27 1590 〔三河国振草月村之内尾籠村検地帳写〕(表紙)「天正拾八年/三州設楽郡振草郷月村検地帳/九月廿七日」‖三河之国設楽ノ郡中ノ設楽村 与次郎 県史14.752
月区所有文書
小代村 設楽郡 天正18.9.- 1590 〔三河国小代村検地帳写〕(表紙)「本田畑検地水帳/天正拾八年九月竿/設楽郡/小代村」 県史13p.78
設楽町教育委員会所蔵文書
池は之村☆[333](池場)
松平之村
設楽郡 天正18.(10).- 1590 〔三河国長嶺村之内検地帳写〕(表紙)「天正十八年/三河国設楽郡長嶺村之内御検地帳/池は之村/松平之村」‖いけは村之分‖いけは村/まつ平村 県史13p.104,105,107
金田家文書
川手村☆[334] (設楽) 天正18.-.- 1590 〔三河国川手村検地帳写〕川手村田方‖(裏表紙)「三州設楽郡武節之内川手村/古田代方」 県史13p.123,128
松井一元氏所蔵文書
桑原村☆ (設楽) 天正18.-.- 1590 〔三河国桑原村検地帳写〕桑原村田方‖桑原村/五左衛門 県史13p.128,131
桑原区有文書
塩山村 (設楽) 天正18.-.- 1590 〔三河国塩山村検地帳写〕(表紙)「(異筆)「四号」/天正十八寅年/宮部善定坊様御検地帳写/塩山村」 県史13p.136
夏焼区有文書
長峰各内賀柿野村 (設楽) 慶長2.11.- 1597 〔棟札銘〕奉造立八王神御宝殿一社‖大日本国東海道三川国設楽郡振草郷長峰各内賀柿野村居住三宝弟子大小旦那衆諸人快(楽脱ヵ)所  施主 県史13p.586
東栄町柿野八王神社
河向村☆[335]
う連村☆[336](宇連)
大桑村☆
久原村☆[337]
設楽郡 -.7.1 1590-1600 〔池田照政判物〕於宝飯郡篠束村六百拾弐石、設楽郡名蔵内河向村百六拾六石・大名蔵四拾六石・う連村六拾弐石・大桑村五拾石・久原村六拾五石、都合千石遣之候、 県史13p.810,811
池田家文庫所蔵文書
作手十一村 (設楽) 16Cヵ 〔某譲状写〕於三河旦方譲状之事‖作手十一村‖(後欠) 県史10p.757
桜井文書

所属郡不明

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
栖山郷 応永22.11.8 1415 〔棟札銘写〕奉修理供養三河国栖山郷金龍山萬福寺本堂上葺事/大旦那 鈴木左京亮満為/時別当 沙弥方証 大工藤原友弘/応永廿二年〈大歳/己(乙)未〉十一月初八日 県史9p.1009
三川古文書
佃田郷 応永27.10.- 1420 〔瑠璃山年録残篇〕応永廿七年庚子、四月五日、鎮守金鼓代二貫七百三百(十)文、祝願主慶尊、/十二灯■台代一貫文、願主直証、/大工三川佃田郷内次〈応永廿七庚子十月日〉 県史9p.506
大福寺文書
下山平郷 永享12.11.9 1440 〔鰐口陰刻銘〕(表右廻)三州下山平郷伊良湖大明神/(表左廻)旦那了道 県史14p.836
静岡県 薬師堂

年月日 西暦 原     文 出  典
大内村 正平3.8.7 1348 〔北畠親房袖判御教書〕参川国大内村地頭職、為御祈祷料所、可被知行、綸旨未踏之間、且可被存知者、一品家御消息如此、仍執達如件、 県史14p.811
河合寺文書
中瀬村
井野山村
天文21.6.2
天文21.6.3
1552 〔富士山檀記〕(表紙)「自天文元年至慶安四年/三州檀所帳/大鏡坊/執事」‖三州導者帳‖一中瀬村 三百文 先達寄金‖一井野山村 百文 懸部殿/辻本五郎右衛門 県史14p.614
大鏡坊文書
波青村 (宝飯、又は設楽ヵ) 永禄4.6.11 1561 〔今川氏真判物写〕牛窪本領之内、近年菅沼新八郎尓令扶助千貫之内、只今定能尓宛行五百四貫余之事‖一六拾弐貫五百文 波青村米銭陣夫共 県史11p.69
松平奥平家古文書写
よか村 天正9.12.- 1581 〔桜井正次譲状〕於三河旦方譲状之事‖よか村 県史11p.776
桜井文書
池塩(村)
芝崎村
天正18.10.18 1590 〔池田照政判物写〕以杉平之内八拾六石、窪田・池塩・芝崎村之内百四拾石、都合弐百石令扶助之、全可領知状如件、‖小原孫次郎殿 県史13p.92
大原直鑑家譜
升内村 慶長2.6.20 1597 〔治部卿法印空石判物〕令支配知行分之事‖一三拾石者  三川升内村 県史13p.579
宮部文書
越出村 慶長5.6.29 1600 〔大日如来坐像台座墨書銘〕慶長五年庚子夏六月廿九日為出陣当国安城々主内藤弥次右衛門家長/奉再興本尊 三州越出村 覚王山心王寺遍照寺金剛坊 県史13p.643
豊田市の城下町展

  1. 池鯉鮒村(寛永高附)、池鯉鮒町(天保郷帳)。
  2. 県史は、本史料の上限を天平19.10.9、下限を天平勝宝5.6.15としている。
  3. 中世は宇祢部郷(永仁3〈1295〉.8.-三河国碧海荘日御供米配分状、県史8p.367、紀伊続風土記)。
  4. 額田郡浦辺村(寛永高附)。慶安2年(1649)以前に碧海郡内中・正名・定国・国正の占部四か村に分村(角川)。
  5. 中之郷村(寛永高附)、中ノ郷村(天保郷帳)。
  6. 天文5(1336).5.-花井雅楽助売券写(三川古文書、県史10p.526)に、「永代売渡申下地之事/合九斗九升目、料足壱貫百七拾文目、〈在所/柱郷〉」などとある。近世は額田郡柱村(寛永高附)。
  7. 筒針村(寛永高附)。
  8. 暮戸村(旧高旧領取調帳)。寛文2年(1662)に西本郷村より分村(角川)。
  9. 東牧内村・西牧内村(寛永高附)。
  10. 近世の碧海郡宇頭(うとう)村に比定する説がある(角川)。
  11. 大友村(寛永高附)。慶安年間(1648-52)に西大友村、東大友村に分村(角川)。
  12. 康暦元(1379).6.12将軍足利義満御判御教書(醍醐寺文書21函、県史9p.159)には「下和田庄」とある。
  13. 碧海郡重原村に比定される(角川)。
  14. 享徳3(1454).4.29瀧山寺衆徒等言上状写(瀧山寺文書、県史9p.839)では「重原庄之内刈屋郷」とある。近世は苅屋村(寛永高附)、苅谷町(天保郷帳)。
  15. 牛田村(寛永高附)。
  16. 建武3(1336).12.5物部凞氏寄進状(妙源寺文書、県史8p.622)に「三河国平田庄」とある。
  17. 尾崎村(寛永高附)。
  18. なお、幡豆郡に属するとする史料もある。所属郡を明記したものとして、明応4(1495).3.1弥陀画像裏書(高浜市専修坊、県史10p.944)に「三川碧海郡志貴庄吉浜郷」、永正7(1510).4.28弥陀画像裏書(高浜市正林寺、県史10p.949)に「参州幡豆郡志貴庄内吉浜郷」とあるのを参照。
  19. 三ツ木村(寛永高附)。
  20. 渡刈村(寛永高附)。
  21. 上和田村・下和田村(寛永高附)。
  22. 中世に矢作宿あり。矢作東宿は額田郡八町村、矢作西宿は碧海郡矢作村に相当するという(角川)。
  23. 『後二条師通記』寛治5(1091).11.13条(県史7p.161)には「青野庄」とある。
  24. 県史はこの文書について要検討の注記を加える。
  25. 泉村(寛永高附)、和泉村(天保郷帳)。『神鳳鈔』(県史7p.287)にみえる「泉御薗」の所在地に比定される。
  26. 宇頭村(寛永高附)。
  27. 西本郷村・東本郷村(寛永高附)。
  28. 明応8(1499).10.15梵鐘銘写(安城市白山大権現旧蔵、県史10p.254)には「三河国碧海郡平田郷大是(岡)」、天正17(1589).9.28縄打歩測帳(大岡白山神社文書、県史12p.768)には「三州碧海郡平田庄大岡」とある。
  29. 明応6(1497).4.28弥陀画像裏書(岡崎市浄光寺、県史10p.945)には「三河国碧海郡/碧海庄中島郷ヵ」とあり、欠損文字の推定が正しければ、中島郷の初見史料となる。
  30. 県史はこの文書について要検討の注記を加える。
  31. 東堺村(寛永高附)、東境村(天保郷帳)。
  32. 永禄11年(1568)6月8日徳川家康判物(知立神社文書、県史11p.313)に「一ツ木郷豊後分」と見える。但し、この文書について要検討の注記あり。近世は「一ツ木村」(寛永高附)。
  33. 県史はこの文書について要検討の注記を加える。
  34. 近世は碧海郡東本郷村のうち東分(角川)。
  35. 寛永高附、天保郷帳ではいずれも碧海郡に属する。慶長9年(1604)の検地帳には額田郡とあるという(角川)。表題に「三州碧海郡平田庄大岡」とある天正17(1589).9.28縄打歩測帳(大岡白山神社文書、県史12p.774)には、天正18年の異筆として「宮地村」がみえる。
  36. 渡里村(寛永高附)。寛永年間に上渡村、下渡村に分村(角川)。
  37. 篠目村(寛永高附)。
  38. 泉田村(寛永高附)。
  39. 福鎌村(寛永高附)、福釜村(天保郷帳)。
  40. 近世には幡豆郡に上今川村・下今川村があるが(寛永高附)関連は不明。本欄における「今川村」の注記は県史に付されている傍注による。
  41. 池鯉鮒村(寛永高附)、池鯉鮒町(天保郷帳)。
  42. 県史の傍注にしたがい、碧海郡におさめた。なお、近世には加茂郡田籾村(寛永高附)がある。
  43. 賀茂郡宮口村(寛永高附)。中世~近世初期には碧海郡に属したという(角川)。
  44. 寛永高附では碧海郡、天保郷帳では加茂郡に属している。江戸前期から加茂郡に属したとされる(角川)。
  45. 上野上村・上野下村(寛永高附)。
  46. 岡崎市島坂町に比定される(新行紀一「戦国時代の高橋荘」『豊田市の城下町展』豊田市郷土資料館、2001年、後に『三河中世史断章』私家版、2004年に収録)。
  47. 大井村(寛永高附)、土井村(天保郷帳)。
  48. 泉村(寛永高附)、和泉村(天保郷帳)。『神鳳鈔』(県史7p.287)にみえる「泉御薗」の所在地に比定される。
  49. 東別所村・西別所村(寛永高附)。
  50. 薦生村(寛永高附)、小望村(天保郷帳)。
  51. 県史6p.119の注記による。
  52. 永仁4(1296).3.11足利貞氏下文案(倉持文書、県史8p.373)に「仁木郷」。近世は仁木村(寛永高附)。
  53. 伊賀村(寛永高附)。永禄9(1566).2.-帳銘写(岡崎文書、県史14p.960)に「井賀郷」の所見がある。
  54. 米河内村(寛永高附)。
  55. 東阿知和村・西阿知和村(寛永高附)。
  56. 秦梨村(寛永高附)。
  57. 近世には名之内・毛呂・柳田・冨尾・桃ヶ久保・小楠・麻生・赤田輪・切山の各村を日近郷と称したという(角川)。
  58. 萱薗村(天保郷帳)。慶安3年(1650)に土呂村から分村(角川)。
  59. 井田村(寛永高附)。
  60. 天正18(1590).10.13三田村直清書状写(参遠古文書覚書「松平甚助指出古文書」、県史13p.90)には「須郷町」とある。近世には「満性寺領菅生」を称し、公には村号をつけなかったという(角川)。
  61. 近世の本宿・舞木・羽栗・山綱・池金・鉢池の6村に相当する(角川)。
  62. 細川村(寛永高附)。
  63. 芦谷村(寛永高附)。
  64. 上大門村・下大門村(寛永高附)。
  65. 近世には設楽郡に薗目村がある(寛永高附)。
  66. 生平村(寛永高附)。
  67. 県史はこの文書について要検討の注記を加える。
  68. 井ノ口村(寛永高附)。
  69. 磯部村(寛永高附)。
  70. 近世は岡崎城下。
  71. 大幡村(寛永高附)。
  72. 上衣文村・下衣文村(寛永高附)。
  73. 近世明大寺村に相当するという(角川)。
  74. 寛永高附では宝飯郡、天保郷帳では額田郡に属している。寛永15年(1638)より額田郡に属すという(角川)。
  75. 山中郷は近世の本宿・舞木・羽栗・山綱・池金・鉢池各村に相当するが(角川)、この6村と「七郷」の関連は不明である。(元亀4)(1573).6.30武田勝頼判物写(松平奥平家古文書写、県史11p.454)には「西三河之内山中七村」とある。
  76. 天和元年(1681)に宮崎村より分村(角川)。中金村(天保郷帳)。
  77. 近世は額田郡岡村の字作岡。
  78. 寛永10年(1633)頃に柿平・殿井戸・平針・寺野・鬼沢・寺脇(平)の6か村に分村(角川)。
  79. 高洲村(寛永高附)。年次未詳ながら大内介知行所預目録(東大寺文書、県史14p.911)にも「高須郷」の所見があり、初見史料となる可能性がある。
  80. 羽根村(寛永高附)。
  81. 加茂郡田代村・上田代村(寛永高附)。額田郡田代村・上田代村(天保郷帳)。江戸初期に加茂郡、後に額田郡に属したという(角川)。
  82. 額田郡高薄(たかすすき)村に比定される(角川)。
  83. 近世明大寺村に相当するという(角川)。
  84. 寛永高附では宝飯郡、天保郷帳では額田郡に属している。寛永15年(1638)より額田郡に属すという(角川)。
  85. 寛永高附では宝飯郡、天保郷帳では額田郡に属している。寛永15年(1638)より額田郡に属すという(角川)。
  86. 山中郷は近世の本宿・舞木・羽栗・山綱・池金・鉢池各村に相当するが(角川)、この6村と「七村」の関連は不明である。天文16(1547).9.2今川義元朱印状写(松平奥平家古文書、県史10p.672)には「山中七郷」とある。
  87. 寛永10年(1633)頃に柿平・殿井戸・平針・寺野・鬼沢・寺脇(平)の6か村に分村(角川)。
  88. 天和元年(1681)に宮崎村より分村(角川)。中金村(天保郷帳)。
  89. 久保田村(寛永高附)。
  90. 碧海郡に中之郷村(寛永高附)、中ノ郷村(天保郷帳)があるが関連は不明。
  91. 碧海郡川端村(寛永高附)。
  92. 碧海郡宗定村(寛永高附)。
  93. 亀首村(寛永高附)。
  94. 近世は挙母城下町八町のうち竹生町(角川)。
  95. 御船村(寛永高附)。
  96. 志たり村(寛永高附)、枝下村(天保郷帳)。
  97. 広見村(寛永高附)。
  98. 弘治3(1557).5.8今川義元朱印状(永澤寺文書、県史10p.837)に「篠原村」。近世は笹原村(寛永高附)。
  99. 上伊保村・下伊保村(寛永高附)。
  100. 落部村(寛永高附)、乙部村(天保郷帳)。
  101. 近世は碧海郡北荕生村・荕生村(寛永高附)。天保郷帳では加茂郡に属す。本史料に「庄内」とあり、賀茂郡高橋庄に属することが明らかなことから賀茂郡に収めた。但し、和名抄の碧海郡薢野郷に比定する説もある(角川)。
  102. 碧海郡福谷村(寛永高附)。加茂郡福谷村(天保郷帳)。本史料に「庄内」とあり、賀茂郡高橋庄に属することが明らかなことから賀茂郡に収めた。
  103. 平井村(寛永高附)。
  104. 室町期成立の足助八幡宮縁起(足助八幡宮所蔵、豊田市史6p.499)に「名倉郷」、永正12(1515).10.27梵鐘銘写(参河鐘銘集、県史10p.345)に「三河国賀茂郡足助庄名蔵郷於大谷村」などとある。近世は設楽郡内に位置する。
  105. 御蔵村に比定される(角川)。
  106. 衣村(寛永高附)、挙母町(天保郷帳)。
  107. 室町期成立の足助八幡宮縁起(足助八幡宮所蔵、豊田市史6p.494,497)にも「仁木郷」の所見がある。
  108. 中金村(寛永高附)。
  109. 碧海郡三吉村・一色村(寛永高附)、賀茂郡三好村・一色村(天保郷帳)。
  110. 近世には碧海郡泉田村があり(寛永高附)、所蔵者順慶寺も同地に位置する。賀茂郡とするかは検討を要す。
  111. 西広瀬村、東広瀬村、富田村(寛永高附)。
  112. 設楽郡武節村(寛永高附)、設楽郡武節町村(天保郷帳)。元亀元(1569).1.14棟札銘写(稲武町押山熊野神社、県史11p.358)に「三州加茂郡武節郷」。
  113. 設楽郡上津具村・下津具村(寛永高附)。中世には加茂郡に属した(角川)。明徳3(1392).12.12鰐口陰刻銘(津具村白鳥神社、県史9p.297)とあり足助庄名蔵郷に属したことが明らかなことから加茂郡に収めた。
  114. 近世には広見村(寛永高附)がある。
  115. 設楽郡上津具村・下津具村(寛永高附)。足助庄名蔵郷に属することから加茂郡に収めた。
  116. こかり村(寛永高附)、摺村(天保郷帳)。
  117. 渡会村(寛永高附)、渡合村(天保郷帳)。なお、近世には加茂郡内に渡合村が3か村あり(寛永高附)、注意を要する。この渡合村は矢作川支流阿摺川流域(旧足助町)に所在する。
  118. 兼田村(寛永高附)、菊田村(天保郷帳)。
  119. 高能村(寛永高附)。
  120. 加塩村(天保郷帳)。なお、文禄3(1594).3.6田中吉政書状(出口家文書、県史13p.409)に「東かしやう村」の所見がある。
  121. 菅田輪村(寛永高附)。
  122. 天文8.5.21棟札銘(豊田市御蔵町川原宮謁磐神社、県史14p.876) には「仁和寺村」とある。二井寺村(天保郷帳)。
  123. あんま村(寛永高附)、有間村(天保郷帳)。
  124. 篠戸村(寛永高附)。
  125. 小渡村(寛永高附)。
  126. すもゝ村(寛永高附)、李村(天保郷帳)。
  127. 碧海郡三吉村(寛永高附)、賀茂郡三好村(天保郷帳)。
  128. 御蔵村に比定される(角川)。なお、室町期成立の足助八幡宮縁起(足助八幡宮所蔵、豊田市史6p.498)にも「阿摺村」の所見がある。
  129. うれ野村(寛永高附)、宇連野村(天保郷帳)。
  130. 設楽郡大谷村(寛永高附)。足助庄名蔵郷に属することから加茂郡に収めた。
  131. 賀茂郡金谷村に比定する説もあるが(豊田市史1、1976年)、近年異論も出されている(村岡幹生「新出の今川氏真判物と桶狭間合戦前後の高橋郡」『豊田市史研究』第2号、2011年)。
  132. 北古瀬間村・南古瀬間村(寛永高附)。
  133. 県史は、天正元年の干支が癸酉であるとして、史料の成立年代に要検討の注記を加える。
  134. 近世には苗田村(寛永高附)、鍋田村(天保郷帳)がある。
  135. 設楽郡野入村(寛永高附)。
  136. 設楽郡内に比定される(角川)。
  137. 四松村(寛永高附)、四ッ松村(天保郷帳)。
  138. 綾渡村(寛永高附)。
  139. 設楽郡武節村(寛永高附)、設楽郡武節町村(天保郷帳)。元亀元(1569).1.14棟札銘写(稲武町押山熊野神社、県史11p.358)に「三州加茂郡武節郷」。
  140. 志たり村(寛永高附)、枝下村(天保郷帳)。
  141. 弘治3(1557).5.8今川義元朱印状(永澤寺文書、県史10p.837)に「篠原村」。近世は笹原村(寛永高附)。
  142. 碧海郡福谷村(寛永高附)。加茂郡福谷村(天保郷帳)。貞治3(1364).3.3猿投半行社上葺勧進帳(猿投神社文書、県史9p.25)で「浮谷郷」が賀茂郡高橋庄に属することが明らかなことから賀茂郡に収めた。
  143. 碧海郡北荕生村・荕生村(寛永高附)。天保郷帳では加茂郡に属す。貞治3(1364).3.3猿投半行社上葺勧進帳(猿投神社文書、県史9p.25)で、賀茂郡高橋庄に属することが明らかなことから賀茂郡に収めた。但し、和名抄の碧海郡薢野郷に比定する説がある(角川)。
  144. 大畑村(寛永高附)。
  145. 落部村(寛永高附)、乙部村(天保郷帳)。
  146. 加塩村(天保郷帳)。なお、明徳5(1394).2.29棟札写()に「西加塩村」の所見がある。
  147. 近世初期に一色村と統合。一色村内に「荒井」の地名が残る(角川)。なお文禄4(1595).8.3賀藤隼人宛豊臣秀吉朱印状(西加藤家文書、県史13p.450)にも「あら井村」の所見がある。
  148. 寛永高附で碧海郡、天保郷帳で賀茂郡に属す。永享3(1431).11.19棟札銘(三好町西一色神明社、県史9p.1012)に「高橋庄内/三吉一色郷」とあり、中世には賀茂郡高橋庄に属したことが判明することから、その歴史的な経緯を鑑みて、賀茂郡に収めておく。
  149. 正慶2(1333).4.21某免許状写(猿投神社文書、県史8p.572)では高橋庄北方の神郷の内に「品得名」がみえる。
  150. 近世には加茂郡内に渡合村が3か村ある(寛永高附)。①矢作川右岸・支流飯野川流域(旧藤岡町)、②矢作川支流阿摺川流域(旧足助町)、③矢作川左岸(豊田市下渡合)。①②は冨田村、松嶺村、藤沢村、押沢村に近いが、②は矢作川対岸に位置する。③は金谷村、下市場村に近いが、いずれも矢作川対岸に位置する。
  151. 下森村(寛永高附)、下林村(天保郷帳)。
  152. 中世以降は尾張国知多郡に属す。近世には尾張国知多郡篠島村(尾張国郷帳、1646年)。
  153. 県史7p.745に釈文訂正あり。原文欄の引用はこれに拠る。
  154. 文明15(1483).4.15『太子伝』巻第一奥書に「三河国吉良庄矢田郷養寿庵」とある(養寿寺文書、県史10p.115)。近世は上矢田村・下矢田村(寛永高附)。
  155. 神護景雲元(767).10.10西隆寺木簡に「参河国播豆郡熊来郷」がみえる(県史6p.709)。
  156. 熊来里を『和名抄』の能束郷に比定することについて、「高山寺本・東急本ともに「能束」と記すが、古くから「熊来」の誤写と指摘されている」とある(角川)。
  157. 「飛鳥・藤原宮発掘調査出土木簡概報」(奈良国立文化財研究所)。
  158. 作之嶋村(寛永高附)、佐久島村(天保郷帳)。
  159. 津ノ平村・寺嶋村(寛永高附)、津平村・寺嶋村(天保郷帳)。饗庭御厨は幡豆郡内。
  160. 応仁2(1468).11.1蓮如・如光連坐画像裏書(上宮寺文書、県史9p.991)に「参河国波津郡志貴庄之内佐々木浄弘寺常住物也」とあることから、幡豆郡に収めておく。但し、志貴庄は碧海郡、幡豆郡のいずれに属したか不明確である。県史では、文明16(1484).11.1如光弟子帳(上宮寺文書、県史10p.121)で「佐々木之郷」を碧海郡とする傍注がある。近世佐々木村は碧海郡に属した。
  161. 天正9(1581).11.28の証如画像裏書写(「末寺触下絵讃之控」、県史11p.772)には「参州碧海郡志貴庄大浜郷」とあり、碧海郡に属すとする史料もある。慶長10年(1605)矢作川改修にともなう河道変更により、幡豆郡から碧海郡に属するようになったという(角川)。
  162. 碧海郡川嶋村(寛永高附)、碧海郡川島村(天保郷帳)。
  163. 県史14p.378の推定による。
  164. 長禄2(1458).10.-棟札銘写(西尾市金蓮寺、県史14p.842)に「饗庭厨屋郷」の所見がある。中右記』長承元(1132).11.4条(県史7p.285)に「饗庭御厨」がみえる。
  165. 碧海郡米津村(寛永高附)。なお、本史料の「徒同荘米津郷道場」は後筆の疑いがあるという(角川)。その場合、文禄5(1596).7.27豊臣秀吉朱印状(田中文書、県史13p.565)で「高橋郡」の「ゑの木津村」とあるのが確実な初見となる。
  166. 碧海郡桜井村(寛永高附)。
  167. 碧海郡安城村(寛永高附)。
  168. 志こや村(寛永高附)、志篭屋村(天保郷帳)。
  169. 碧海郡古井村(寛永高附)。
  170. 八ツ面村(寛永高附)。
  171. 津ノ平村(寛永高附)、津平村(天保郷帳)。
  172. まだらめ村(寛永高附)、駮馬村(天保郷帳)。
  173. 上横須賀村(旧吉良町上横須賀)内に「綿打」の地名が残るという(角川)。
  174. 須崎村(寛永高附)、洲崎村(天保郷帳)。
  175. 横根村(寛永高附)、横手村(天保郷帳)。
  176. 元弘3(1333).8.9後醍醐天皇綸旨(上杉家文書、県史8p.582)には「須美村内家武[ ]」とある。
  177. 赤羽根村(寛永高附)。
  178. 須見村(寛永高附)、須美村(天保郷帳)。中世には、「蘇美御厨」建久3(1192).8.-伊勢神宮神領注文写、神宮雑書、県史8p.56)、「須美保」(建武3(1336).10.11吉良満義書下、今川文書、県史8p.618)、「須美村」(元弘3(1333).8.9後醍醐天皇綸旨、上杉家文書、県史8p.582)などの所見がある。
  179. 浅井村(寛永高附)。
  180. 貝福村(寛永高附)、貝吹村(天保郷帳)。
  181. さかさ川村(寛永高附)、逆川村(天保郷帳)。
  182. 切山村(寛永高附)、桐山村(天保郷帳)。
  183. 須見村(寛永高附)、須美村(天保郷帳)。中世には、「蘇美御厨」建久3(1192).8.-伊勢神宮神領注文写、神宮雑書、県史8p.56)、「須美保」建武3(1336).10.11吉良満義書下、今川文書、県史8p.618)、「すミ之郷」(天正17(1589).9.13徳川家康定書、蘇美神社文書、県史12p.757)などの所見がある。
  184. 文明15(1483).4.15『太子伝』巻第一奥書に「三河国吉良庄矢田郷養寿庵」とある(養寿寺文書、県史10p.115)。近世は上矢田村・下矢田村(寛永高附)。
  185. 県史の注記の推定による。
  186. 野ノ宮村(寛永高附)、野々宮村(天保郷帳)。
  187. まだらめ村(寛永高附)、駮馬村(天保郷帳)。
  188. 貝福村(寛永高附)、貝吹村(天保郷帳)。
  189. 南永井村(寛永高附)、永井村(天保郷帳)。
  190. 『中右記』長承元(1132).11.4条(県史7p.285)などにみえる「饗庭御厨」の所在地に比定される。
  191. 碧海郡駒場村(寛永高附)。「小浜」が転訛したという(角川)。
  192. 近世には碧海郡に属した(寛永高附)。
  193. 近世には碧海郡に属した(寛永高附)。天保郷帳では碧海郡川島村。
  194. 脇村(寛永高附)、和気村(天保郷帳)。
  195. 近世には碧海郡に属した(寛永高附)。慶長10年(1605)矢作川本流の河道変更により、幡豆郡から碧海郡に編入されたという(角川)。
  196. 天保郷帳では碧海郡と幡豆郡に中根村があり、後者に比定する説がある。ただし、後者は元禄3年(1690)に開 発された辰巳新田が享保年中に中根勘兵衛により再開発されて成立したといい(角川)、疑問が残る。
  197. 矢曾禰村(寛永高附)、矢曾根村(天保郷帳)。
  198. にべ地村(寛永高附)、熱池村(天保郷帳)。
  199. これに次いで、『続日本後紀』承和6(839).12.8条(県史6p.256)にも「形原郷」の所見がある。
  200. 三谷村(寛永高附)。
  201. 森村(寛永高附)。なお、天正17(1589).10.19三河国府中郷検地帳写(大社神社文書、県史12p.777)には府中之郷の一部として「森之郷」がみえる。
  202. 明徳元(1390).10.15鰐口陰刻銘(服部和彦氏寄贈資料、県史14p.824)に「渡津郷」とみえる。
  203. 為当村(寛永高附)。(永禄5)(1562).7.24松平元康判物(菅沼家文書、県史11p.108)に「多米当之郷」。
  204. (永禄5)(1562).7.24松平元康判物(菅沼家文書、県史11p.108)に「宮地之郷」。
  205. (永禄5)(1562).7.24松平元康判物(菅沼家文書、県史11p.108)に「東条之郷」。
  206. 天正19(1591).6.-池田照政判物(平松真氏所蔵文書、県史13p.190)に「参州赤坂町中」、(慶長5)(1600).12.6伊奈忠次判物(御油区有文書、県史13p.720)に「五井・赤坂両宿」などとみえる。なお、中世には東海道「赤坂ノ宿」(「海道記」)などとして紀行文等に所見がある。近世には赤坂村(寛永高附)、赤坂宿(天保郷帳)。
  207. 寛保2年(1742)に下五井村から分村して瓜郷村が成立したという(鹿菅村誌、豊橋市史8所収)。
  208. 牛久保村(寛永高附)。
  209. 上佐脇村・下佐脇村(寛永高附)。
  210. 応永10(1403).8.- 棟札写(音羽町八王子神社、県史9p.1006)に「音羽郷長沢里」。
  211. 永禄2(1559).12.-鰐口陰刻銘(豊川市素戔嗚神社、県史10p.876)に「行明郷正岡村」とあり、近世の行明村だけではなく、正岡村をも含む領域に相当するものであったと考えられる。
  212. 文安3(1446).10.18梵鐘陰刻銘(御津町仲仙寺、県史9p.769)に「御津庄」、『梅花無尽蔵』文明17(1485).9.12条(県史14p.660)に「三戸里」の所見ある。
  213. 旧一宮町域の本宮山南麓に位置する。近世宝飯郡内に長山村2ヶ所あり、注意を要す。長山村(寛永高附)。『春記』長暦3(1039).10.30、同.11.4条(県史7p.99,100)に「長山庄」の所見がある。
  214. 上ノ郷村(寛永高附)、上之郷村(天保郷帳)。
  215. 楽洞村(寛永高附)、楽筒村(天保郷帳)。
  216. 寛永高附では宝飯郡橋尾村、天保郷帳では八名郡に属している。
  217. 『公衡公記』延慶4(1311).2.4条(県史8p.441)で「大墓御厨」、『神鳳鈔』(県史7p.287)で「大墓御薗」、永禄7(1564).5.14松平家康判物写(譜牃余録巻34、県史11p.186)で「大墳之郷」などと表記されている。
  218. 御油村(寛永高附)、御油宿(天保郷帳)。(慶長5)(1600).12.6伊奈忠次判物(御油区有文書、県史13p.720)では「五井・赤坂両宿」とみえる。
  219. 豊川市牛久保の至近に位置する。近世宝飯郡内に長山村2ヶ所あり、注意を要す。下長山村(寛永高附)、長山村(天保郷帳)。
  220. 天正17(1589).10.19三河国府中郷検地帳写(大社神社文書、県史12p.777)には府中之郷の一部として「白鳥之郷」がみえる。
  221. 麻生田村(寛永高附)。
  222. 鍛冶村(寛永高附)。
  223. 豊川市牛久保の至近に所在。近世宝飯郡内に長山村2ヶ所あり、注意を要す。下長山村(寛永高附)、長山村(天保郷帳)。
  224. 横須賀村(寛永高附)。
  225. 掲出史料の他に、天正18(1590).10.18池田照政判物に「於額田郡岡崎内百弐拾石、三橋村内百四拾石・たかい村四拾石、都合参 百石令扶助候、」(乾家文書、県史13p.91)とある。
  226. 掲出史料の他に、文禄2(1593).8.-棟札銘に「奉建立御殿山八幡宮一宇殿氏子繁昌之所大工牛久保村藤原新八」(設楽町八幡神社、県史13p.354)とある。
  227. 同年月日の棟札銘(豊川市稲荷神社〈為当〉、県史11p.339)にも「多米当村」とある。為当村(寛永高附)。
  228. 天正17(1589).10.19三河国府中郷検地帳写(大社神社文書、県史12p.782)で府中之郷の一部に「白鳥久保」がある。
  229. 大木村(寛永高附)。
  230. 牧山村(寛永高附)。
  231. 寛永高附では宝飯郡、天保郷帳では八名郡に属している。
  232. 県史では注記で慶長12年(1607)の可能性も指摘されている。
  233. 伊奈村(寛永高附)。比定は県史の傍注にしたがった。
  234. 設楽郡片山村(寛永高附)。
  235. 神郷村(寛永高附)。
  236. 中宇利村・下宇利村(寛永高附)。寛元2(1244).2.23源盛長譲状(九条家文書、県史8p.194)に「宇利本庄」とあるのをはじめ、「宇利庄」「宇利本庄」「宇利新庄」等の所見がある。
  237. 上吉田村・下吉田村(寛永高附)。
  238. 『民経記』寛喜3.8.24条(県史8p.155)に「和太保」。
  239. 県史では設楽郡との傍注があり、『角川日本地名大辞典23 愛知県』でも「設楽郡のうち」とされているが、永禄12(1569).11.18梵鐘銘写(東滸金石文一斑、県史11p.353)に「八名郡大野村」とあり、近世大野村も八名郡に属しているため(寛永高附)、八名郡に収めておく。
  240. 年次比定は、大般若波羅蜜多経巻66奥書(財賀寺文書、県史9p.393)に(別筆1)「旦那下条右衛門太夫/享禄五年〈壬辰〉今月今日」とあることによる。なお財賀寺所蔵『大般若経』については鶴田知大「財賀寺所蔵『大般若経』の調査記録」(『豊橋市美術博物館研究紀要』20,2017年)に詳細な再調査の記録がある。
  241. 加茂村(寛永高附)。
  242. 西郷村(寛永高附)。慶長9年(1604)に中山・長楽・成沢・入文・西川・平野・荻平に分村(角川)。
  243. 中宇利村・下宇利村(寛永高附)。
  244. 月ヶ谷村(寛永高附)。
  245. 豊橋市石巻中山町に大陽寺前の字がある(角川)。天台宗白星山太陽寺があった。
  246. 三渡野村、土童之上村に比定される(角川)。
  247. 県史は八名郡との傍注を付しているが、本文書の宛所である深溝松平家忠との関係から、幡豆郡長良郷の可能性もある。八名郡とする場合、長楽村(寛永高附)がある。天正9年(1581)に西郷から分村したという(角川)。
  248. 小畑村(寛永高附)。
  249. 大村神社は近世の八名郡下吉田村に所在。
  250. 八名郡五井村(寛永高附)。現豊橋市下条西町。
  251. この大般若波羅蜜多経は、当初応永7年(1400)までの勧進により細谷郷両八王子社に奉納されたのち、遅くとも天文18年(1549)までに八名郡神郷の石巻宮に移されている。原文に引用した書き込みは石巻宮に奉納される際のものと考えられる(愛知県立大学中世史研究会・愛知大学地域史研究会編『石巻神社所蔵『大般若経』調査報告書』豊橋市美術博物館、2016年)。
  252. 竹之内村(寛永高附)。掲出史料の他に、(文禄2(1593).9.-)棟札銘に「(表)奉上葺 社頭一宇‖(裏)竹内村諸人以檀力葺主 右馬衛門」(豊橋市藤ヶ池素盞鳴神社、県史13p.357)がある。
  253. 天正11(1583).11.-『大鏡坊三河国檀所帳』(菟足神社所蔵文書、阿部美香・大高康正・井上卓哉・阿部泰郎・伊藤聡・三好俊徳・猪瀬千尋「菟足神社所蔵富士山・熱田信仰史資料調査報告」『学苑』949、2019年)には「下条四ヶ村」とある。
  254. 寛永高附では宝飯郡、天保郷帳では八名郡に属している。
  255. 平野村(寛永高附)。西郷七村のうち。
  256. 建久3(1192).8.-伊勢神宮神領注文写(神宮雑書、県史8p.56)に「神谷御厨」の所見がある。
  257. 浪之上村(寛永高附)。
  258. 井之嶋村(寛永高附)、井之島村(天保郷帳)。
  259. 多利野村(寛永高附)。
  260. 平城宮木簡に、「参河国飽海郡寸松里海部宇麻呂舂糯/米五斗 和銅二年十二月无位主帳石部国麻呂」とある(県史6p.696)。建暦3(1213).2.-慈円書状写(華頂要略55上、県史8p.102)に「村松庄」。近世村松村(寛永高附)。
  261. 県史7p.744に釈文の訂正あり。原文欄の引用はこれに拠る。
  262. 羽田村(旧高旧領取調帳)。天保郷帳では吉田方村に含まれている。『神鳳鈔』(県史7p.287)に「秦御薗」。なお、旧渥美町(田原市)福江畠に比定する説もある(角川)。
  263. 伊良子村(寛永高附)、伊良湖村(天保郷帳)。建久3(1192).8.-伊勢神宮神領注文写(神宮雑書、県史8p.56)に「伊良湖御厨」の所見がある。
  264. 複数の三重県伊勢市小町経塚出土瓦経史料に所見がある(県史7p.457)。
  265. 花ヶ崎村(寛永高附)。弘治3(1557).11.15今川義元判物(石田文書、県史10p.844)では「小郷之内花崎祢宜名」とある。
  266. 雲ノ谷村(寛永高附)、雲谷村(天保郷帳)。永享4(1432).4.26御前落居記録(県史9p.609)では高足郷内に雲谷名がある。
  267. 上岩崎村・下岩崎村(寛永高附)、岩崎村(天保郷帳)。延宝3年(1675)に上下に分村(上岩崎村検地帳、上岩崎区有文書、豊橋市史7p.394)。『神鳳鈔』(県史7p.287)にある「岩前御薗」の所在地に比定する説もある(角川)。
  268. 上川通夫「普門寺(豊橋市)所蔵永暦二年永意起請について」(『愛知県史研究』第14号、2010年)に紹介がある。
  269. 建久3(1192).6.3皇太神宮年中行事(県史8p.50)に「高師御厨」、同.8.-伊勢神宮神領注文写(神宮雑書、県史8p.56) 、『神鳳鈔』(県史7p.287)に「高足御厨」などとみえる。
  270. 寛正5(1464).5.15伊勢内宮一祢宜荒木田氏経書状写(氏経卿引付、県史9p.935)などに「細谷御厨」、永禄12(1569).12.-経聞坊良雄譲状(経聞坊文書、県史11p.355)に「ほそや両郷」。近世には上細谷村・下細谷村(寛永高附)。
  271. 赤羽根村(寛永高附)。
  272. 谷熊村(寛永高附)。『神鳳鈔』(県史7p.287)に「弥熊御薗」、寛正5(1464).5.15伊勢内宮一祢宜荒木田氏経書状写(氏経卿引付、県史9p.936)に「弥熊御厨」。
  273. 吉子村(寛永高附)、吉胡村(天保郷帳)。『神鳳鈔』(県史7p.287)に「吉胡御厨」。
  274. 『神鳳鈔』(県史7p.287)に「野依御薗」。
  275. 建久3(1192).8.-伊勢神宮神領注文写(神宮雑書、県史8p.55)に「本神戸」、『神宮雑例集』(県史8p.12)に「本神戸廿戸〈号渥美神戸〉」。年月日未詳(1424年以前)大僧正増詮書状(満済准后日記紙背文書、県史9 p.450)には「神戸郷寄船事」とあり、単に「神戸郷」として表れている。近世には谷ノ口・新美・志田・赤松・青津・市場・漆田・東ヶ谷・本前・水川の各村が神戸十郷と称された(角川)。
  276. 『神鳳鈔』(県史7p.287)に「大草御薗」、文明13(1481).8.-三河国神領注文写(内宮引付、県史10-198)に「大草御厨」。
  277. 同年月日の黒川信秀証状写(三川古文書、県史10p.165)、清友名公方成目録写(長興寺文書(田原市)、県史10p.166)にも所見がある。『神鳳鈔』(県史7p.287)に「加治御薗」、文明13(1481).8.-三河国神領注文写(内宮引付、県史10-198)に「加治御厨」。
  278. 大久保村(寛永高附)。明応3(1494).3.7戸田宗光寄進状写(田原市長興寺文書、県史10-495)では「野田保之内大窪郷」とある。
  279. 建久3(1192).8.-伊勢神宮神領注文写(神宮雑書、県史8p.56)に「新封戸大津保」、『神鳳鈔』(県史7p.287)に「大津神戸」。
  280. 飽海村(寛永高附)。建久3(1192).8.-伊勢神宮神領注文写(神宮雑書、県史8p.55)に「新神戸」、『神宮雑例集』(県史8p.12)に「新神戸廿戸〈号飽海神戸〉」。
  281. 年次未詳の宝林寺寺領目録(宝林寺文書、県史14p.826)にも「杉山郷」の所見がある。建久3(1192).6.3皇太神宮年中行事(県史8p.50)に「杉山御厨」。
  282. 『神鳳鈔』(県史7p.287)に参河国内の神宮領として「田原」がある。
  283. 建久3(1192).8.-伊勢神宮神領注文写(神宮雑書、県史8p.56)に「吉田御園」 、『神鳳鈔』(県史7p.287)に「吉田御薗」。近世は吉田城下。
  284. 永禄6(1563).3.4今川氏真判物(徳川家康判物并朱黒印16、県史11p.127)、および永禄7(1564).6.22松平家康判物(譜牃余録巻33、県史11p.190)には「吉田小郷」とある。近世は吉田町(天保郷帳)。
  285. 飽海村(寛永高附)。『神宮雑例集』(県史8p.12)に「新神戸廿戸〈号飽海神戸〉」。
  286. 高松村(寛永高附)。
  287. 三崎村(寛永高附)、仁崎村(天保郷帳)。
  288. 白屋村(寛永高附)、白谷村(天保郷帳)。
  289. 田原市大久保に「敷地」の地名があるという(角川)。
  290. 新美村(天保郷帳)。神戸十郷のうち(角川)。
  291. 小嶋村(寛永高附)、小島村(天保郷帳)。
  292. 百々郷の誤りか。近世に百々村(寛永高附)がある。
  293. 小松原村(寛永高附)。慶長5(1600).12.22三河国東観音寺寺領指出(東観音寺文書、県史13p.721)に「小松原村」。
  294. 雲ノ谷村(寛永高附)、雲谷村(天保郷帳)。永享4(1432).4.26御前落居記録(県史9p.609)では高足郷内に雲谷名がある。
  295. 神戸十郷のうち(角川)。
  296. 永禄元(1558).7.18今川義元判物写(古簡雑載、県史10p.856)には「橋上村」とある。建久3(1192).8.-伊勢神宮神領注文写(神宮雑書、県史8p.56)に「薑御厨」がみえる。
  297. 畠村(寛永高附)、畑ヶ村(天保郷帳)。
  298. 建久3(1192).6.3皇太神宮年中行事(県史8p.50)に「杉山御厨」。
  299. 大久保村(寛永高附)。明応3(1494).3.7戸田宗光寄進状写(田原市長興寺文書、県史10p.217)では「野田保之内大窪郷」。
  300. 二川村(寛永高附)、二川宿(天保郷帳)。
  301. 伊良子村(寛永高附)、伊良湖村(天保郷帳)。建久3(1192).8.-伊勢神宮神領注文写(神宮雑書、県史8p.56)に「伊良湖御厨」。
  302. 明応3(1494).3.7戸田宗光寄進状写(田原市長興寺文書、県史10p.217)では「野田保之内大窪郷」とある。
  303. 寛正5(1464).5.15伊勢内宮一祢宜荒木田氏経書状写(氏経卿引付、県史9p.935)などに「細谷御厨」、永禄12(1569).12.-経聞坊良雄譲状(経聞坊文書、県史11p.355)に「ほそや両郷」。近世には上細谷村・下細谷村(寛永高附)。
  304. 天文9(1540).9.19設楽町伊豆神社所蔵棟札写に「奉造立田内郷西田内社」とある(県史10p.912)。近世は西田内村・東田内村(寛永高附)。
  305. 旧鳳来町玖老勢(新城市)。
  306. 康正2(1456).6.19造内裏段銭幷国役引付に「設楽越中守殿〈三河国下立郷河路村段銭〉」とみえる。
  307. 元亀3(1572).12.-大般若波羅蜜多経巻第六奥書に「足込江」の所見がある。
  308. 天正17(1589).9.-棟札銘(東栄町熊野神社、県史12p.775)にも「設楽郡振草之内本郷」とみえる。
  309. 平井村(寛永高附)、上平井村・下平井村(天保郷帳)。
  310. 田嶺村(寛永高附)、田峯村(天保郷帳)。
  311. 県史では「松平元康はこの時期朱印状は発給していないので、判物として出されたものと思われる」との注記を付している。
  312. 正和4(1315).12.20長幸連所領等譲状写(能登長伝書、県史8p.463)をはじめとして「富永保」の所見がある。『神鳳鈔』(県史7p.287)に「富永御薗」、文明13(1481).8.-三河国神領注文写(内宮引付、県史10p.100)に「富永御厨」あり。
  313. 塩野谷村(寛永高附)、塩谷村(天保郷帳)。
  314. 設楽郡矢部村・片山村(寛永高附)、設楽郡東矢部村・西矢部村・片山村(天保郷帳)。
  315. 河田村(寛永高附)、川田村(天保郷帳)。
  316. 徳定村(寛永高附)。
  317. 嶺村(寛永高附)、峯村(天保郷帳)。
  318. 布利村(寛永高附)、布里村(天保郷帳)。
  319. 奴田輪村(寛永高附)怒田輪村(天保郷帳)。
  320. 河路村(寛永高附)、川路村(天保郷帳)。
  321. 田嶺村(寛永高附)、田峯村(天保郷帳)。
  322. 寛永高附では宝飯郡、天保郷帳では設楽郡に属す。ただし設楽村にあてる説もある(角川)。
  323. 薬師堂は東栄町大字東薗目の赤羽根集落に所在。
  324. 旧鳳来町玖老勢(新城市)。
  325. 掲出史料の他に、永禄5(1562).12.20大般若波羅蜜多経奥書写(冨賀寺文書、県史11p.121)に「第十一/天文二十四暦乙卯壬十月初十日、乱入於籠屋焼脚(却)処也、然者永禄五年壬戌十二月二十日仁、此大般若経一部代拾貫文仁而買取、月村勢平寺置之、願主当寺住僧回叟并大小旦那等各々、‖第一百一/右、此経一部置(買)取代拾貫文、月村置之、/永禄五季壬戌十二月二十日、願主勢平寺住回叟」の所見がある。天正18(1590).9.27三河国振草月村之内尾籠村検地帳写(岡田みね子氏所蔵文書、県史13p.66)には「振草月村」とある。
  326. 岩浪村(寛永高附)、岩波村(天保郷帳)。
  327. 徳定村(寛永高附)。
  328. 田口町村(天保郷帳)。寛永18年(1641)に西路村より独立(角川)。
  329. 新城村(寛永高附)、新城町(天保郷帳)。
  330. 設楽郡矢部村(寛永高附)、設楽郡東矢部村・西矢部村(天保郷帳)。
  331. 大峠村(寛永高附)。
  332. 中設楽村(寛永高附)。
  333. 池場村(寛永高附)。寛正4(1463).11.-の棟札に「三河国設楽郡池場村」とあるという(北設楽郡史、角川)。天正18(1590).10.-以書付奉願上氏神供領之事写(金田家文書、県史13p.104)にも「池場村」の所見があるが、県史はこの文書について「研究の余地がある」との注記を加える。
  334. 河手村(寛永高附)、川手村(天保郷帳)。
  335. 川向村(寛永高附)。
  336. 宇連村(天保郷帳)。
  337. 久平村(寛永高附)、久原村(天保郷帳)。