筑後国

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本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。
また、郷村表はもともと各国担当者によってWordで作成されており、これを、「ムラの戸籍簿」研究会事務局で集約して公開用に変換しております。
変換作業上、特殊な文字や史料表記について、やむをえず作成者の作成した文字データが反映されていない部分のありますことをご承知おきいただけましたら幸いです。
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作成者:門井慶介

郷村名郡別世紀別初出表

概要

概要

  • 現在の福岡県南部に位置する。
  • もとは筑前国とともに「筑紫国」と呼ばれていた。分国の時期は不明だが、『続日本紀』文武天皇2年3月9日条には「筑前国」が初見するため、この頃までに分国されていたとされる。なお、筑後国の初見は『日本書紀』持統天皇4年10月22日条とされる。
  • 「延喜式」には、御原・生葉・竹野・山本・御井・三瀦・上妻・下妻・山門・三宅の計10郡で、国の等級は上国となっている。
  • 国府は御井郡にあったとされ、4期にわたる遺構が確認されている。
  • 12世紀以降、とくに鳥羽院政期に有明海沿岸に多く荘園が立券される。
  • 地理的に大宰府天満宮、観世音寺、安楽寺、宇佐神宮などに近く、それらの地方寺社領が内陸部に多い。また有明海沿岸部の三瀦郡などには、東寺や近衛家などの中央権門領が少なからずある。なお、中央権門領には郡規模に相当するものが少なく、四至傍示の定かでない名の集合体として存在するものが多い。
  • 南北朝・室町期には、幕府の九州支配を代行していた大友氏と大宰府との間に軋轢が起こり、事態を解決するために、幕府によって守護職を大友氏と肥後国の菊池氏に分割した。その結果筑後国は半分に分割され、菊池氏による南部支配は16世紀まで続いた。
  • 戦国時代には、九州南部の龍造寺氏と島津氏の筑後侵攻があったが、秀吉によって平定されると筑後国外にも知行安堵がおこなわれた。

参考文献

  • 「筑後国」(講座日本荘園史10『四国・九州地方の荘園』、吉川弘文館、2005年)。
  • 「福岡県の地名」(『日本歴史地名体系』41、平凡社、2004年)。

典拠史料

  • 『福岡縣史資料』第1輯~第10輯 1932年。
  • 『久留米市史』第7巻、1992年。
  • 『小郡市史』第4~5巻、1999年~2001年。
  • 『筑後市史』第3巻、1998年。
  • 『柳川市史』資料編3、2006年。
  • 『八女市史』資料編、1993年。
  • 『大和町史』資料編、2001年。
  • 『萩藩閥閲録』第1巻~第4巻+遺漏 1967-89年。
  • 『平安遺文』
  • 『鎌倉遺文』
  • 『南北朝遺文』九州編
  • 『南北朝遺文』中国四国編
  • 『大宰府・太宰府天満宮史料』1巻~17巻 1964-2009年。
  • 『五条家文書』(「史料纂集古文書編」) 1975年。
  • 『問注所文書』(「西国武士団関係史料集32・33」) 1998年。
  • 多田隈豊秋『九州の石塔』上巻(1975年、西日本文化協会)

凡例

  • 『久留米市史』・『小郡市史』・『大和町史』・『八女市史』・『柳川市史』・『筑後市史』はそれぞれ市町名のみの表記とした。
  • 『福岡縣史資料』は「県史料○」、『大宰府・太宰府天満宮史料』は「大宰府○」とした。

郷村表

御原郡

郷(里)

長栖、日方、板井(坂)、川口

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
丙部里 (三原) (7C) 〔井上薬師堂遺跡[1]出土一号木簡〕丙家搗米宅津十丙ア里人大津夜津評人/丙里人家〈□□□/□〉□ 小郡
p.753
東郷
西郷
三原郡 正中2.12.‐ 1325 〔最勝光院荘園目録案〕‖一、筑前国[2]/三原荘〈東郷/西郷〉、関東備前守北山出羽入道息女/本年貢米三百石、綾比物二重内〈七月御八講一重/九月御月忌一重〉/七月兵士十人/近年所済二十石内〈東郷四貫/東郷[3]四貫〉令弁済之処、去文永七年以来、寄事於蒙古人、一向無所済、 小郡
p.184
東寺百合文書ゆ
本郷[4] (三原) 応安5.12 1372 〔深堀時広軍忠状〕肥前国住人深堀掃部助時広申軍忠事‖就中、当所筑後国御発向之時、属于御手、楢林・同国本郷御合戦之時、致忠節了、 久留米
p.550
肥前深堀文書

年月日 西暦 原     文 出  典
菅野村 三原郡 貞応1.5.- 1351 〔弥勒寺公文所下文写〕公文所下 筑後定使/可早任本家御下文旨停止〈此間消〉人濫妨、以権大宮司大神忠家、相伝菅野村地頭職事/右者、十月御下文到来偁、右菅野村者、有子細宛給忠家者也、神宮所司等宜承知、可遺失之状、依仰下知如若候、菅野村地頭職事、無異儀、本家御下文明白也、以忠家可為菅野村地頭職之状如件/貞応元年五月 在判/権大宮司殿 福市史中①
P.205
田村別家文書
古飯村☆ 板井荘
(三原)
貞和7.2.18 1351 〔杉原光房奉書〕背振山御寄進地筑後国□(板)井庄古飯村〈古飯次郎/資信跡〉地□□(頭職)事、任去年十二月廿八日御寄附之状、可被致其沙汰之状、依仰執達如件、 小郡
P.203
修学院文書
乙熊村☆
(乙隈村)
三原郡 延文1.10.15 1356 〔平貞輔寄進状写〕奉寄進 長州一宮/筑後国三原西郷乙熊村田地壱町事、/右、為令発向戦場之間、偏所仰当神冥助也、 小郡
p.211
住吉神社文書
高橋村
稲吉村☆
高樋荘
石田荘[5]
(三原)
応永2.⑦.25 1395 〔天満宮領筑後国所領注文〕高樋庄 同高橋村/同庄内原寺免 同鵜木空閑/同上浦空閑 綾野庄/同庄内明暹名 同庄内吉冨名/下妻庄 得飯庄/同甘木村 安忠別符/上下夜部村 長田庄/大墓庄 坂田庄/江門庄 同庄新田/石田庄 稲吉村/二王丸名 白柔村/小河庄 青□/吉田庄 水田南嶋村/同庄北嶋村 同庄福嶋村/同庄下牟田 吉祥村/観興寺 三毛南郷/同北郷 楽徳別符/忠見別符 鯵坂庄五郎丸名/大城村 櫛原庄/上妻郡筑紫部庄 同郡葛野庄/同郡鳥形山 生葉部八尻 筑後
p.492
太宰府天満宮文書
津古村☆ 三原郡 年未詳.10.12 14C 〔秀世打渡状写〕三原西郷津古村内六町之事、高良玉垂宮ニ御屋形より御寄進候、任御書旨、御両人御代官所渡申候、同検帳共進候、恐々謹言、 小郡
p.248
筑後将士軍談
大塚村 (三原) 年月日未詳 14C 〔肥後国山北西安寺石堂碑文〕相良宗頼領地‖筑後国高橋村大塚村三十三町‖相良三郎長頼嫡子/遠州より兄弟三人、三男領地山北郷屋気村、同鎮西下向相良頼平板井村筑後三池郡/玉村今村山崎村中浦村 小郡
p.188
相良家文書
西村 鯵坂荘
(三原)
天文5.9.2 1536 〔大友義鑑預ヶ状〕鯵坂庄之内西村七拾五町分事、任先約之旨、預進之候、全可被知行状如件/天文五年九月二日、修理大夫 久留米
p.42
鏡山文書
古閑村☆ 三原郡
三沢荘
元亀1.3.20 1570 〔荒嶋諸敷・森道応連署遵行状案〕三原郡代殿、森三河入道/荒嶋伊勢守/三原郡三沢荘内古閑村十八町事、任御判旨、小代殿代官方へ可被渡候、不可有御無沙汰候、恐々謹言、 小郡
p.345
小代文書
田中村☆ 三原郡 天正7.1.18 1579 〔高橋紹運(鎮種)知行預ヶ状〕今度不慮之弓箭令出来、秋月・筑紫自身両度取懸候之処、於岩屋麓、被逐防戦、敵数輩仕付、被得大利候、殊更各地盤故、両御城堅固候之条、被対公私、御大中無比類候、必可達上聞候、先以筑後三原郡田中村之内十五町并役職板付之内四十町、穂波郡之内百六十町進之置候、恐々謹言、 小郡
p.68
屋山文書
小さかい村☆
(小板井村)
東福とう村☆
(東福童村)
りきたけ村☆
(力武村)
やつき村☆
(矢次村)
甲条村☆
三原郡 文禄4.12.1 1594 〔草刈太郎左衛門尉知行方目録〕【板井】〈筑後國三井郡〉守部村‖石さき村‖〈筑後國三原郡〉小さかい村‖東福とう村‖りきたけ村‖やつき村‖甲条村 萩閥閲録1
p.814
大保村☆ 三原郡 文禄4.12.1 1595 〔小早川秀俊宛行状〕知行方目録‖〈筑後国三井郡〉あし岐村‖〈三原郡〉たかはし村‖大保村‖古飯村之内(異筆)「ナシ」/‖吹上村之内/‖清水五郎左衛門とのへ 久留米
p.612
萩藩閥閲録
ミつさわ村☆
(三沢村)
ひかた村☆
(干潟村)
三原郡 文禄4.12.1 1595 〔小早川秀俊宛行状〕知行方目録‖〈筑後国三井郡〉にし原村‖こか村‖もり村・草場村‖〈三原郡〉ミつさわ村‖ひかた村之内/村上三郎兵衛尉とのへ 久留米
p.612
萩藩閥閲録
よこくま村☆
( 横隈村)
下たかはし村☆
( 下高橋村)
三原郡 文禄4.12.1 1595 〔問注所小兵衛尉知行方目録〕知行方目録‖一、百石四斗一升、筑後国三原郡甲条村之内/一、三百八十四石九斗、同よこくま村/一、二十九石六斗八升、同下たかはし村之内 県史料10
p.334
問注所文書
さかい村
大さき村
三原郡 文禄4.12.1 1595 〔小早川秀俊(秀秋)知行方目録〕知行方目録‖〈筑後国/えと村 よし竹村/下□□ 新田村〉‖〈同〉泉和村‖〈筑後国三原郡〉さかい村之内‖〈同〉大さき村之内‖〈筑後国三井郡〉ひさ村之内/(朱印)合弐千百石/右、□度以検地之上、令扶助畢、全可領知候也/文禄四年十二月朔日 秀俊(花押)/星野九左衛門尉殿 福市史中①
p.1046
星野文書
下岩田村☆ 三原郡 慶長4.3.3 1599 〔小早川秀俊宛行状〕知行方目録‖〈筑前国下座郡〉‖〈筑後国三原郡〉下岩田村‖ひかた村‖津古村‖〈同国三井郡〉和泉村‖あちさか村‖〈筑前国三笠郡〉‖日野左近とのへ 久留米
p.613
萩藩閥閲録
吹上村☆ 三原郡 年未詳 9.21 〔大友氏加判衆連署奉書〕吹上村之事、代々書跡歴然候処、星野・秋月相論子細候歟、所詮以穏便之儀、替知事、三井郡之内野中六町、広役三町、并白口十二町之事、還附之由被仰出候、可被得其意候、恐惶謹言 小郡
p.272
高良山座主坊文書

生葉郡

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
大石郷
山北郷[6]
生葉郡 延喜5.10.1 905 〔延喜五年観世音寺資材帳〕【大石】【山北】‖山章‖封戸貳佰烟‖筑後國壹佰烟/生葉郡〈大石郷 五十烟/山北郷 五十烟〉 県史料4
p.72
薦野郷 生葉郡 康治3.1.11 1144 〔観世音寺所司等解〕大石・山北両御封幷把岐庄等解 申請 寺家裁事 請被特任解状旨、停止非道沙汰、肥前ゝ司自薦野小大夫資綱臣手、伝領筑後国生葉郡薦野郷公験、令立券皇后宮御庄間、 筑後
p.324
大和筒井寛聖氏所蔵文書

年月日 西暦 原     文 出  典
薦野村 (生葉) 康治3.1.- 1144 〔観世音寺所司等解〕‖右、謹𢮦案内、当寺者是九州之大厦、五代之御願也、尋草創者、則天智天皇之聖代、終土木者、亦天武皇帝之明時也、倩計其星霜者已及五百歳、初当被施入件田園、于今敢無牢籠、以其地利、朝備仏性、夕挑灯明、令其封民修補寺家、召役仏事而已、今資綱以已私領薦野村之田地、渡行前肥前守大江朝臣国通、申立彼御荘之次、遙越本領之堺、 筑後
p.323
大和筒井寛聖氏所蔵文書
朝田村☆ 生葉庄 暦応4.4.10 1341 〔沙弥道大譲状写〕‖譲与/安房国不入計内藤生村、同国吉浦、筑後国生葉庄内朝田村幷福益名、周防国玖珂庄内椙杜郷、備中国新見庄、加賀国小坂庄参分壹、常陸国小幡四郎左衛門尉跡参分一地頭職事、 南北遺(中四国)2
p.9
萩藩譜録椙社六郎廣連
生葉村 (生葉) 応安8.1.- 1375 〔山内通忠軍忠状〕備後国山内下野守通忠申軍忠事‖同七季四月三日、筑前国被召管生御陣、則致警固時分、筑後河小田瀬打入生葉之村、散在村放火之時、終日致合戦、手物若党小笠原準人丞被疵訖、 久留米
p.554
山内家文書
四ヶ所村[7] 生葉郡 寛正6.10.17 1465 〔宝勝院光憧書状〕‖生葉延寿寺城以来、至麦生・鷹執・四ヶ所村・溝口・山崎・三池・白木・鴟形・辺松・黒木合戦、如御注進状并注文、今披露候、於于今、一国可属無為候間、目出候、 小郡
p.245
大友文書
やかたの村☆
(屋形村)
生葉郡 永正5.816 1508 〔城重岑書状〕生葉郡之内朝田百町、橘田三十三町、やかたの村十三町、古河三十町、重朝様御代無相違被仰出地ニ候、今以同前候、可有知行之由、被仰候、恐々謹言、 五条家文書
p.62
吉井村[8] (生葉) (天正4).9.21 1576 〔草野鎮永預ヶ状〕数年御入魂之首尾無相違、今度別而被副心、預加力事、難述舌頭之余、雖不屑候甲斐幷扇分之内三町、於吉井村三町地、以上預令進之候、 久留米
p.153
島井文書
小江村☆ 生葉郡 (天正6年) 1578 〔天正六年筑後領主附〕‖中津留右馬允 居生葉郡小江村/ 久留米
p.414
筑後将士軍談
田籠村[9] 生葉郡 (天正8).7.7 1580 〔大友円斎書状〕前廿至当城秋月種実、同治部、両星野以下悪党、取懸田籠村、令放火候之処、被遂防戦、敵十六人討捕、 県史料10
p.330
問注所文書
芋河村 (生葉) 天正9.8.13 1581 〔大友円斎手負注文一見状〕天正九年八月十三日於芋河村悪党楯籠候之処、問注所刑部太輔統景人数運夜勢被打崩、逆徒之族数多討果之刻、或分捕高名、或被疵人数着到銘々加披見訖 県史料10
p.326
問注所文書
小家村 生葉郡 天正11.10.1 1583 〔〕近年其国上下之者共、逆意深重候処、統景不隈他、被属貞心候、永々不可有志却候、仍而生葉之内小家村八十丁分之事、預進候、可有知行候、恐々謹言、 県史料10
p.331
問注所文書
東山村☆
星野山村☆
いと丸村☆
(糸丸村)
生葉郡 文禄4.12 1595 〔小早川秀俊宛行状写〕知行方目録‖〈筑後国三井郡〉太良原村‖そめむら‖いなかす村‖くしら村‖下ゆけ村‖〈生葉郡〉東山村‖星野山村‖屋形村‖いと丸村 久留米
p.615
麻生文書
ミそ尻村☆
(溝尻村)
うらかわ村
延寿寺村☆
すゑなか村☆
(末永村)
生葉郡 文禄4.12.1 1595 〔知行方目録〕〈筑後国生葉郡〉ミそ尻村之内‖うらかわ村‖延壽寺村‖すゑなか村‖杉助右衛門尉とのへ 萩閥閲録3
p.395
たけ重村☆
(竹重村)
青葉郡[10] 文禄4.12.1 1595 〔知行方目録〕筑後青葉郡よしい村‖同たけ重村‖同朝田村之内‖深野平右衛門とのへ 萩閥閲録4
p.362
田籠端村 (生葉) 年月日未詳 〔問注所統景合戦軍忠交名〕天正九年九月廿二夜於田籠端村、悪党取懸候刻、問注所刑部少輔統景家中之人等、或分捕高名被疵、或戦死之着到、銘々加披見畢、 県史料10
p.327
問注所文書
隈上村☆ 生葉郡 年月日未詳 〔問注所統景合戦軍忠交名〕天正十年正月十一日於生葉郡隈上村、問注所刑部太輔統景家中之者、或分捕高名、或被疵、骨粉之人数着到、銘々加披見畢 県史料10
p.328
問注所文書

竹野郡

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
河北郷 竹野荘
(竹野)
文永10.6.10 1273 〔沙弥蓮種所領譲状〕譲与 四郎永平所/可令早任譲状旨、進退領掌所領田畠所職所帯等事/一筑後国竹野御庄河北郷内赤目別府、同吉富 江在 高橋 中嶋 四垂柳 下津留畠地 杷木町 香椎町 綿引 同郷惣公文職・押領使職停□□/一、同国内荘田御荘内恒用地頭職、同荘内出挙代流地西村 久留米
p.114
草野文書
竹野東郷 (竹野) 正応4.10 1291 〔宇都宮尊覚(?)給地覚〕【竹野】宇都宮薩摩守下知給候/右兵衛尉殿より、豊後国内、/一 大はし一延勝たいまつの庄/一 久とみみやこの郡地とうしき/一 筑前国ありいありやす五十町/一 筑後国竹野東郷松門南/一 豊後国八坂下庄薬丸名/一 法師丸給、木付殿御名代仕候、其後信房四郎大片平山ひらきはしめ、居住仕候、 小郡
p.127
西郷 竹野新荘
(竹野)
徳治3.1.16 1308 〔沙弥道盛譲状〕譲与 女子字今鬼御前所/一 屋敷分焉/筑後国竹野新庄西郷内明暹地頭屋敷内松崎西薗北依壹所焉/一 田地分焉/同庄東郷内国分寺田字東坂伍段・同西郷内国分寺田字相先生依伍段焉 久留米
p.169
荒木近藤文書

年月日 西暦 原     文 出  典
西村 竹野荘
(竹野)
文永10.6.10 1273 〔沙弥蓮種所領譲状〕譲与 四郎永平所/可令早任譲状旨、進退領掌所領田畠所職所帯等事/一筑後国竹野御庄河北郷内赤目別府、同吉富 江在 高橋 中嶋 四垂柳 下津留畠地 杷木町 香椎町 綿引 同郷惣公文職・押領使職停□□/一、同国内荘田御荘内恒用地頭職、同荘内出挙代流地西村 小郡
p.118
草野文書
枝光村 竹野荘
(竹野)
弘安3.6.8 1280 〔筑後国高良御宮在国司藤原永基先祖相伝所帯所職惣間帳事(写)〕‖一枝光村在家幷田畠等 但、田地者当社理修分封田也、畠地者同宮五節供荒菜免也、在家者竹野御庄領也 久留米
p.115
草野文書
武松村 竹野荘
(竹野)
建武4.9.4 1337 〔一色道猷充行状写〕筑後国竹野本庄武松村松延九郎跡内田地拾五町〈屋敷畠地已下/可依田数分限〉地頭職事、為勲功之賞所充行也、早守先例可被沙汰、仍執達如件、 南北遺1
p.313
周防照圓寺文書
牧村[11] 竹野荘
(竹野)
暦応3.10.16 1340 〔福田理慶軍忠状写〕為筑後国凶徒退治、大将□御発向之間、彼杵庄福田三郎入道理慶則令馳参、至同国豊福原幷竹野庄牧村・生葉庄、抽宿直警固忠節候了、以此旨、可有御披露候、恐惶謹言、 南北遺7
p.23(2369)
肥前福田文書
荒木村
綾野村
(竹野) 貞和6.10.- 1350 〔荒木家益申状〕筑後国荒木六郎四郎家益謹言上/欲早且依㝡前馳参実、且任知行旨、預御吹挙、宛給安堵御下文荒木村内富永名田畠屋敷同国綾野村〈号国分/寺領〉内田地屋敷等地頭職事 久留米
p.177
荒木近藤文書
下大窪村 竹野荘
(竹野)
貞和6.11.28 1350 〔六箇里通時申状〕六箇里兵庫允通時謹言上/欲早任傍例、賜安堵御下文、全将来如行、筑後刻竹野本庄内忠富・有恒両名・下大窪村〈号金/丸名〉幷竹野東郷田主丸・清恒両名内田畠屋敷等地頭職幷竹野西郷・同河北[12]・山本[13]参ヶ郷下司職・同給田畠以下事 久留米
p.531
備前池田文書
石垣村☆ 竹野郡 永正5.11.3 1508 〔秀吉朱印状〕於筑後竹野郡石垣村内三百五十石事、今度以検地上令扶助訖、全可領知候也、 萩閥閲禄2
p.557
徳筒村 竹野郡 大永8.9.9 1529 〔大友義鑒書状〕筑後国竹野郡東郷徳筒村之内十町預進之条、可有御知行候、恐々謹言、 五条家
p.80
中原村☆ 竹野郡 文亀3.9.2 1503 〔大友親匡安堵状〕筑後国竹野郡之内近年持留分菅名字地八町幷中原村之内三拾町、任證跡之旨、知行不可有相違之状如件 県史料10輯p.338
小川文書
菅村☆
麦生村[14]
竹野郡 天正6.3.2 1578 〔筑後領主附〕‖一、津村大助、居三瀦郡津村、領廿四町‖一、酒井田河内守、居酒井田村領五町‖一、甘木紀伊守、居甘木村、領十七町‖一、荒木、居荒木村、領十三町、一、吉田、居吉田村、領十二町‖一、菅四郎次郎、竹野郡菅村、領十二町七反/一、麦生、居竹野郡麦生村‖一、鰺坂、居三井郡鰺坂村 筑後
p.704
筑後国史
吉田村
吉瀬村
竹野郡 文録4.12.1 1508 〔小早川秀俊(秀秋)宛行状写〕於筑後竹野郡たぬしまるよし田村・よしせ村□百石□事、今度以検地上、令扶助訖、全可領□/□□二月朔日 □俊 判/大丸□右兵衛とのへ 福市史中①
p.667
王丸文書

山本郡

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
山本郷[15] (山本) 正慶2.2.25 1333 〔鎮西御教書〕高良玉垂宮雑掌朝厳申筑後国山本郷畠地弐町三段内一町□地事訴訟〈副具/書〉如此鏡馬入道跡又四郎入道背興行下知□□早莅彼一門可致沙汰付社家、仍執達如件 久留米
p.205
隈文書

年月日 西暦 原     文 出  典
中原村 (山本) 至徳4.6.20 1387 〔今川貞臣下知状〕草野鎮法師丸申、筑後国山本郷観興寺庄中原村庄司職内当知行無相違之処、作麻等無謂苅取云々、為事実者太不可然、不日退違形人、令糺避作摩以下、若有子細者可被注申之状如件 久留米
p.125
草野文書
蜷河村 山本郡 延徳4.5.22 1492 〔筥崎宮領筑後国蜷河村検麦帳〕(表紙)「筥崎宮□筑後国蜷河村検麦帳」合延徳四〈壬/子〉年五月廿二日/公文方分 福市史中①
p.953
田村文書
城之村
竹子之村
土井之村
大浦之村
放光寺村☆
平原村
(山本) 天文20.2.- 1551 〔山本郡御神領地検簿〕天文廿年〈かとの/井〉弐月吉日/城之村‖竹子之村 同曽祢之分‖〈土井之村〉一所八ヶ所之内 真如別分重役‖大浦之村‖放光寺村‖平原村‖ 久留米
p.205
隈文書
夜田北村 山本郡 天正7.6.26 1578 〔大友義統預ヶ状〕‖〈山本郡之内夜田北村〉一所十二町 同人跡/ 久留米
p.55
高良山文書
飯田村☆
(山本) (天正11) 1583 〔豊前覚書抄録〕‖一 天正拾壱年‖右同申ノ十二月八日ニ足達対馬守・後藤市弥太・海老名弾介、善導寺見物ニ参候由、草野衆承付、飯田村へ臥勢仕、右之衆帰申候所ヲ、発立打捕申候、 久留米
p.359
高村 (山本) 慶長9.-.- 1599 〔吉山旧記〕‖第八代 清麿/清麿〈清多/幾子〉、藤大臣、為筑紫政事当国高村〈美名尾の/末なり〉へ御宮造営す〈則大善/寺なり〉西南ハ入江海、北方ハ大川、御材木美名尾より出る〈今の高良/山なり〉。 久留米
p.340
与田村☆ 山本郡 年月日未詳 〔鎮西本山歴代誌〕‖敬蓮社入阿入西上人(開山遺弟、開山之跡数年看主)‖山本郡飯田村浄土寺、寛元二年開基、明暦年中当山三十代祟無上人塔頭へ引移、今ノ浄土院是也又同郡与田村在寺地、往昔開山没後ニ弟子建立一宇、蓮華台舎云、其以後上品寺改、同時塔頭引移今上品院是也。 久留米
p.329

御井郡

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
加太里[16] (御井) (7C) 〔井上薬師堂出土木簡〕【賀駄】三石 加太里白米二石半/米一石 并十五石/白米半 反俵廿一石半 小郡
p.753
山本郷[17] (御井) 正和2.9.15 1313 〔堪照避状〕筑後国山本□郷内宇□並御幣免畠字〈志計/奈〉三反事、就社領興行沙汰子細候之間、於彼田畠者、相副相伝証文等、奉避与中嶋穀王殿候畢、於向後者、無其妨可令領知、給之状如件 久留米
p.66
宗崎文書
河北郷[18] (御井) 貞和6.11.28 1350 〔六箇里通時申状〕六箇里兵庫允通時謹言上/欲早任傍例、賜安堵御下文、全将来如行、筑後刻竹野本庄内忠富・有恒両名・下大窪村〈号金/丸名〉幷竹野東郷田主丸・清恒両名内田畠屋敷等地頭職幷竹野西郷・同河北[19]・山本[20]参ヶ郷下司職・同給田畠以下事 久留米
p.531
備前池田文書

年月日 西暦 原     文 出  典
今泉村
国分寺村☆
河南郡[21] 観応3.②.11 1351 〔足利直冬宛行状〕下 上津荒木五郎次郎 法師〈法名/勝固〉/可令早領知筑後国河南郡国分寺村内秋丸名参町〈秋月暗□次郎/入道跡〉 同村内吉元名弐町〈守部弥/四郎跡〉 今泉村内参町〈阿志岐諸四/郎入道跡〉 大良原村内参町〈光五郎/三郎跡〉 白桑村内弐町〈飯田次郎/九郎入道跡〉 阿志岐村内壱町〈泉又太/郎跡〉 地頭職事 久留米
p.120
草野文書
白桑村[22]
大城村[23]
(御井) 観応3.2.- 1351 〔安楽寺領注進状案〕‖一、筑後国一円‖白桑村‹一条入道、作人飯田次郎九郎入道›‖‹上切候›吉両村‹関東寄進之›‖三瀦庄内吉祥今村‹凶徒大村小太郎押領、›/幸泉村‹燈油田›/半不輸/三毛北郷 同南郷/大城村‹凶徒押領› 久留米
p.535
太宰府天満宮文書
阿志岐村[24]
石崎村[25]
高野村☆
野中村☆
御井郡 永正5.11.3 1508 〔高良山領坪付〕‖高良山御神領坪付/一所阿志岐村八拾町〈山本郡肆十町上/三井郡肆十町下〉/〈三井郡〉一所石崎村‖一所高野村‖一所野中村‖一所南国符‖〈三瀦郡〉一所大石村‖一所津福村‖一所白口村 久留米
p.37
鏡山文書
中村☆ 鰺坂荘
(御井)
天文7.8.16 1538 〔大友氏加判衆連署遵行状〕筑後国三井郡鰺坂荘之内中村分十五町分事、被充行恵良隠岐守訖、任 御判之旨、厳重可被打渡之由、依仰執達如件、 小郡
p.283
恵良文書
稲数村☆ (御井) 弘治3.2.12 1557 〔豊饒鑑述書状〕上筑後之稲数之村十町御給之由、尤目出度候、併彼在所言語道断之悪所候条、田数不足候、雖少分候、 御判之辻不足候ヘ共渡申候、巨細之趣、彼御使可被建候、随而為祝儀金鐙‹一懸›被懸御意候、拝領畏入候、必出府之砌、以面拝可申承候、恐々謹言、 小郡
p.292
安木文書
鯵坂村[26] 御井郡 天正6.3.2 1578 〔筑後領主附〕‖一、津村大助、居三瀦郡津村、領廿四町‖一、酒井田河内守、居酒井田村領五町‖一、甘木紀伊守、居甘木村、領十七町‖一、荒木、居荒木村、領十三町、一、吉田、居吉田村、領十二町‖一、菅四郎次郎、竹野郡菅村、領十二町七反/一、麦生、居竹野郡麦生村‖一、鰺坂、居三井郡鰺坂村 筑後
p.704
筑後国史
栗村 御井郡 天正12.3.28 1584 〔大友義統袖判知行坪付写〕坪付/‹三井郡之内五日市›一所三町/‹上妻郡之内›一所社領/‹上妻郡之内吉里›一所二十二町‹内六町›/‹御井郡之内国分›一所六町/‹同郡之内野中›一所六町/‹同郡栗村›一所十町/‹同郡藤山›一所二十二町‹内六町社領›/‹同郡森›一所十五町/‹同郡宗崎›一所三町/‹三瀦郡白口›一所三町/‹ゆ気›一所六町/已上 小郡
p.372
大友文書
元村 御井郡 (天正7).7.27 1579 〔大友義統充行状〕‖‹三井郡三とくしま›一所 一町 同/‹同郡なかこう›一所 一町 同/‹同郡みや野路›一所 五町五反 同/‹同郡元村›一所 二町 同 久留米
p.589
問注所文書
泉村[27] (御井) 文禄2.8.15 1593 〔桂民部広兄寄進状〕於泉村田畠壱町進之置候、内々御祈念頼存候、委細橋爪孫右衛門可申達候、恐々謹言 久留米
p.615
安国寺文書
守部村 御井郡 文禄4.12.1 1595 〔知行方目録〕〈筑後國三井郡〉守部村‖石さき村‖〈筑後國三原郡〉小さかい村‖東福とう村‖りきたけ村‖やつき村‖甲条村 萩閥閲録1
p.814
とす村
あかかわ村☆
(赤川村)
御井郡 文禄4.12.1 1595 〔知行方目録〕〈筑後三井郡〉とす村‖あかかわ村‖杉助右衛門尉とのへ 萩閥閲録3
p.395
太良原村☆
(太郎原村)
そめむら☆
(染村)
くしら村☆
(櫛原村)
下ゆけ村☆
(下弓削村)
御井郡 文禄4.12.1 1595 〔小早川秀俊宛行状写〕知行方目録‖〈筑後国三井郡〉太良原村‖そめむら‖いなかす村‖くしら村‖下ゆけ村‖〈生葉郡〉東山村‖星野山村‖屋形村‖いと丸村 久留米
p.615
麻生文書
にし原村☆
(西原村)
こか村☆
(古賀村)
もり村☆
(森村)
草場村☆
御井郡 文禄4.12.1 1595 〔小早川秀俊宛行状〕知行方目録〈筑後国三井郡〉にし原村‖こか村‖もり村・草場村‖〈三原郡〉ミつさわ村‖ひかた村之内‖村上三郎兵衛尉とのへ 久留米
p.612
萩藩閥閲録
高良村☆
にわう丸村☆
(仁王丸村)
塚島村☆
御井郡 文禄4.12.1 1595 〔問注所小兵衛尉知行方目録〕知行方目録/一、五百八十石一斗四升、筑後国三井郡高良村/一、五百二石五斗、同にわう丸村塚島村 県史料10
p.334
問注所文書
江戸村
よし竹村
(吉竹村)
下川村
新田村
ひさ村
三原郡 文禄4.12.1 1595 〔小早川秀俊(秀秋)知行方目録〕知行方目録‖〈筑後国/えと村 よし竹村/下□□ 新田村〉‖〈同〉泉和村‖〈筑後国三原郡〉さかい村之内‖〈同〉大さき村之内‖〈筑後国三井郡〉ひさ村之内/(朱印)合弐千百石/右、□度以検地之上、令扶助畢、全可領知候也/文禄四年十二月朔日 秀俊(花押)/星野九左衛門尉殿 福市史中①
p.1046
星野文書
南国分村[28] (御井) 年未詳.6.23 〔大友家年寄連署状〕高良山御神領之内南国分村之事、近年草野興秀混私領之地候条、連々依社訴候、対興秀被成御下知候処、被任上意、社家御還附之儀、既令落着候、 久留米
p.40
鏡山文書
北野之村 (御井) 年未詳.9.3 〔秋月種実書状〕‖殊北野之村渡船、被忍取候歟、 久留米
p.109
隈文書
南国符村[29] (御井) 年月日未詳 〔某書状〕(前欠)高良山御神領南国符村事、如存知草野興秀多年相論候条、近日以御下知去渡候分、結句今亦星野長泰違乱之由、社家注進候間、其方然々御心得肝要候、兼又肥前中野儀相支候条、為少弐方御合力、筑後国面々以番手至安武村、在陣之通被仰付候、是又急度(以下、切) 久留米
p.40
鏡山文書

三潴郡

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
三笠西郷 青木荘
(三瀦)
建永1.5.- 1206 〔天満宮安楽寺草創日記〕‖新三重塔〈本尊尺迦、多宝、普賢、文殊〉七条女院御願/建永元五月、寄進青木荘荒野〈三笠西郷〉兵馬田幷寺辺基肄中山、 大宰府7
p.291(3119)
大宰府神社文書
西郷
東郷
中郷
三妻郡 永仁4.12.- 1296 〔筑後玉垂宮大善寺神事注文写〕筑後国三妻郡/鎮守玉垂宮幷大善寺仏神事記文事‖春祠‹中卯日› 使‹有徳多町/千代一度› 但官料十九石二斗 東郷‖分米十九石二斗此外以自力勤之 西郷‖八間東郷村庄地頭名主役〈但夜明村除之〉/十二間西郷村〈同前〉 五間中郷村〈同前〉 小郡
p.128
御船文書
蒲池郷 (三瀦) 応永9.10.23 1402 〔某直久安堵状写〕今度被致忠節候之間、蒲池郷本名内蒲生十三町并瀬高五町不可有相違候、可有御知行候、但一家中事者可寄振舞候、於奔走方者色々可致□中候、御心落候ハゝ可目出候、仍状如件 柳川
p.75
蒲池文書
本郷 三瀦郡 天正10.9.16 1582 〔大友義統知行預ヶ状〕連々忠意之次第于今無変化之由、乍案中感悦無極候、然者任御入魂之旨、爰元出勢之儀、無油断申催候、急速日田郡迄差立候之条、其表之才覚無相違様、才覚肝要候、殊黒木表之事、早々被討果、各可被顕心底事、専一候、於様躰重々可申談候、仍三潴郡之本郷五十五町分之事預進之候、可有知行候、恐々謹言、 柳川
p.25
蒲池文書

年月日 西暦 原     文 出  典
西牟田村☆ 三瀦荘
(三瀦)
正治3.2.11 1201 〔某家政所下文〕下、三潴荘内西牟田村/可早奉免、当村起請田外荒野田代二町事/右、当村住人実顕法師、奉造営観音堂一宇〈三間〉云々、件仏聖灯油料、所申請彼荒野田代二町也者、早可令奉免也、但限永年、所令寄進也、可停止万雑事之状、所仰如件、以下、 筑後
p.332
寛元寺文書
夜明村☆
荒木村[30]
江嶋村☆
新六仏村
福春村
蒲池村☆
間村☆
(三瀦) 承久3.9.28 1221 〔高良社定額衆注文〕‖料田一丁 ‹同経田五反›夜明村‖‹修正›料田一丁 荒木村‖料田一丁 江嶋村‖当住、乗門坊安慶、料田一丁‹募六反/四反葦墓/新六仏村北›‖仁王講十三口‖‹『福春村』/当住›‹新›義釈房慶印 无料田‖薬師経一口/‹高良山› ‹本›定陽房琳慶 料田一丁 ‹蒲池村›‖□、実円坊増心、料田一丁、間村 小郡
p.103
御船文書
高三妻村☆
□津村
恒武村
久重村
有久村
田河村
黒田村☆
是友村
酒見村[31]
荊津村☆
安武村[32]
恒里村
高屋村
葦墓村
内野村☆
大依村☆
江上村[33]
四郎丸村☆
諸富村☆
小法丸村
一木村☆
田脇村☆
藤吉村☆
田口村☆
五郎丸村
徳富村
友清村
三妻郡 永仁4.12 1296 〔筑後玉垂宮大善寺神事注文写〕筑後国三妻郡/鎮守玉垂宮幷大善寺仏神事記文事‖一小社/朝妻‹国一宮免田一町/高三妻村› 坂本‹左右免田六段/夜明村›‖御供所三間‹荒木村› 内鳥居幷針貫三十間‹免田一町夜明村/但冠木貫木/免田□津村›‖大鳥居‹免田三町/西牟田村›‖大高座‹恒武村/役也›‖一四季大般若供米 一石五斗 江島村‖一上分米 間村/一御供所次第事/元日御供料田二段‹中略› 粢餅田一段‹付于一勾当在久重村/毎朔粢餅三枚備›‖一十二月礼奠事/但長日不断講経不注之 著到有限‖正月‖二日御供米五斗六升 有久村/三日‹同›田河村 七日‹同›黒田村/十五日御供 是友村‖二月‖御供料米九斗九升‹中略› 酒見村/春祠‹中略› 使‹中略› 但官料十九石二斗 東郷/三月/朔幣料五斗‹中略› 荊津村‖五日最勝講‹中略› 僧膳料一石一斗 安武村/四月/朔幣料五斗‹中略› 恒里村‖五月‖高屋村‹中略›‖七月/朔幣料五斗‹中略› 葦墓村‖八月/朔幣料五斗‹中略› 内野村/五日最勝講‹中略› 僧膳料一石一斗 大依村/‖九月/朔幣料米五斗‹中略›江上村‹中略›‖十月/朔幣料米五斗‹中略› 四郎丸村‖十一月/朔幣料五斗‹中略› 諸冨村‖分米十九石二斗此外以自力勤之 西郷/十二月/朔幣米五斗‹中略› 小法丸村‖一歩射頭事‹中略›/但官料三石一斗三升‹二石 一木村/一石一斗三升› 田脇村‹中略›‖一石塔会頭事‹中略›蒲池村‖渡物次第/一番馬長二騎‹中略›藤吉村‖一物‹藤吉村 田口ヽ 安武ヽ 五郎丸ヽ 徳富ヽ 法師丸/口取同前›‖一九月会頭次第事‖一番田口‖七ヽ‹津村七段依多町/小法二段›‖一樋下幷御供屋畳十帖 友清村役 可募庄年貢也 奉行同人面縁‹中略› 小郡
p.128
御船文書
八院村[34] (三瀦) 永仁6.5.26 1298 〔〕白垣弥藤三宗氏与山城又三郎栄相論筑後国□内八院村田地九段参杖屋敷一所事、 太宰府9
p.127(3864)
山代松浦文書
浜武村☆ 三瀦荘
(三瀦)
嘉暦4.4.16 1329 〔〕筑後国酒見村浄土寺雑掌快潤申三瀦荘浜武村武藤名内屋敷事、 太宰府10
p.304(4523)
浄土寺文書
犬墓村
白口村☆
清松村[35]
木佐木村[36]
津福村☆
大隈村☆
三瀦荘
(三瀦)
貞和3.9.22 1347 〔筑後国三瀦庄鎮守高良玉垂宮幷大善寺仏神免田之事写〕一、玉垂宮定額田社家当知行分/三町七段、高三潴村、一町、五十町村/‖一町、久重村‖一、同定額田寺家知行分/三町、犬墓村、二町、白口村‖一町、高屋村‖一町、清松村、二町、木佐木村‖一町、垣武村‖一、現役田幷人給等/一町、‹正宮司給/一木之村›‖三段 ‹舞人給/津福村›/三段 ‹舞人給/大隈村› 久留米
p.256
御船文書
太郎丸村
成清村
弟子丸村
高津村☆
時藤村
津村☆
木室村[37]
重久村
簗河村
白牆村[38]
包行村
古井柳村
堺村
下幡帆村
上幡帆村[39]
三瀦荘
(三瀦)
貞和3.9.23 1347 〔玉垂宮・大善寺免田注文写〕春祭分/一太郎丸村‖一大隈村‖一蕀津村‖一有久村‖一安武村‖一藤吉村‖一西牟田村‖一垣里村‖一内野村‖一成清村‖一田川村‖一江上村‖一是友村‖一大依村‖一久重村‖一弟子丸村‖一高津村‖一荒木村‖一時藤村‖一高三瀦村‖一夜明村‖一重久村‖一白口村‖一葦塚村‖一垣武村‖冬祭分/一江嶋村‖一四郎丸村‖一蒲池村‖一津村‖一酒見村‖一木佐木村‖一間村‖一小法丸村‖一木室村‖一田口村‖一簗河村‖一田脇村‖一白牆村‖一永久‖一諸富村‖一一木村‖一包行村‖一清松村‖一犬基村‖一五郎丸‖一高屋村‖一友清村‖一津福村‖一古井柳村‖一重未名‖一堺村‖一下幡帆村‖一上幡帆村 小郡
p.197
御船文書
大石村☆ 三瀦荘
(三瀦)
貞和3.12.25 1347 〔琳豪請文〕請申/宝荘厳院領筑後国三瀦庄内大石村所務職条々 久留米
p.524
東寺百合文書
牧村 (三瀦) 貞和5.6 1349 〔藤原家有軍忠状〕肥後筑後凶徒御退治事、御発向之間、荒木弥六自㝡前令参候、迄于肥前国倉上、筑後国白気、隈、善導寺、牧村、石垣寺、荒木、瀬戸嶋、瀬高庄御座、致毎夜宿直警固、 久留米
p.176
荒木近藤文書
鬼空閑村☆
(鬼古賀村)
(三瀦) 年月日未詳
(貞和5年ヵ)
1349 〔三瀦荘内所領坪付注文〕‖一、鬼空閑村‹十三町› 中村六郎 久留米
p.529
豊後詫摩文書
塚町白垣村
牟田口村☆
三瀦荘
(三瀦)
貞和6.10.- 1350 〔肥前国板部太郎藤原成基謹言上〕‖筑後国三瀦荘木佐木村内‖同国同荘牟田口村内/一所五段溝副、一所一町〈蓮町〉、一所五段〈塚町白垣村内〉、一所二段佃田木室内矣、 太宰府11
p.320(5021)
光浄寺文書
吉祥今村[40] 三瀦荘
(三瀦)
観応3.2.- 1352 〔安楽寺領注進状案〕‖一、筑後国一円‖白桑村‹一条入道、作人飯田次郎九郎入道›‖‹上切候›吉両村‹関東寄進之›‖三瀦庄内吉祥今村‹凶徒大村小太郎押領、›/幸泉村‹燈油田›‖三毛北郷 同南郷/大城村‹凶徒押領› 久留米
p.534
太宰府天満宮文書
くさハの村☆
(草場村)
下田殿村[41]
鯰村
(三瀦) 応永25.2.28 1418 〔報恩寺寺領坪付〕報恩寺々坪付之事/一、大祝殿分‖あしつか村/一所、二段〈作人西阿ミた仏〉‖大善寺定額免之坪付‖鯰村/一所、〈二/二〉段〈作次郎四郎入道道用/長禅坊〉、鯰村今ハ屋敷なか/一所、一段〈作人鯰□/料足五百文、長禅坊〉‖内鳥居免くさハの村在/一所、五段〈作人くさハやさ丸〉、極楽寺免、黒田村ニ在之/一所一町‖清六大夫給田質之分‖下田殿村か分/一所、一段〈作人くさハのりやうふん〉 久留米
p.192
隈文書
大石村 三瀦郡 天正16.1.7 1588 〔立花統虎坪付〕坪付〈三瀦郡蒲池寺分〉‖〈屋敷〉一々 壱町 大石村散分/一 已上十壱町六反壱丈半/天正十六年 正月七日 (花押) 福市史中①
p.97
桧垣文庫資料
上村 青木荘
(三瀦)
天正16.12.20 1588 〔大鳥居信寛借銀証文写〕〈たてもの〉依有用段申請銀子之事、合之而弐百三拾三文目定、右為質物青木之庄上村之内六町、以坪付利分之□ニ進之置候、本物を返候者、彼地請寄ニ可返給候、一国平均雖為御徳政、申談首尾、無相違本銀を返可申時、右之地請取被申候、縦御国替候共、先々迄も返弁之所、緩有間敷候、後日之状如件/天正拾六年十二月廿日 大同院信寛御判 福市史中①
p.103
桧垣文庫資料
栗林村 (三瀦) 文禄2.3.18 1593 〔高良社神職名知行所数之事写〕二十五町〈天正七年大祝保常加増地三瀦郡之内栗林/村五日市山本郡誉田北安居野原四ヶ所大友/義統公御判書有〉 久留米
p.92
座主文書
しらくて村
篠淵村☆
小柳村
ふくま村☆
(福間村)
ふくみつ村☆
(福光村)
定覚村☆
蛭池牟田村[42]
一町原村☆
北矢かへ村☆
(矢加部村)
小坂村☆
(小坂井村)
下田村☆
なかの村☆
(中野村)
なかしま村☆
(中島村)
たかはし村☆
(高橋村)
たりき村
小入むら☆
城島村☆
こいぬつか村☆
(小犬塚村)
小保津村
中古賀村☆
はまたき村
(浜武村)
中村☆
大いぬつか村☆
(大犬塚村)
青木村[43]
のくち村☆
(野口村)
かうはる村☆
(郷原村)
立石村☆
大藪村☆
いかたみそ村
いてむら☆
(井手村)
原田村☆
なら林村☆
(楢林村)
鐘ヶ江村☆
大境村
三瀦郡 文禄4.12.1 1595 〔文禄四年十二月筑後国目録〕みつま郡‖しらくて村内‖篠淵村‖おくむた‖蒲池村‖小柳村‖ふくま村‖むたくち村‖四郎丸村‖ふくみつ村‖八ゐん村‖定覺村‖蛭池牟田村‖壹町原村‖北矢かへ村‖きさき村‖小坂村‖江上村‖下田村‖なかの村‖諸富村‖津むら‖鬼古賀村‖なかしま村‖たかはし村‖たりき村‖間むら‖さふらひしま‖小入むら‖城島村‖くさは村‖こいぬつか村‖あしつか村‖きよまつ村‖小保津村‖中むた村‖中古賀村‖江島村‖はまたき村‖かねゆき‖中村‖大いぬつか村‖ゑのき津‖青木村‖さか見村‖しらかき村‖中むた村‖のくち村‖〈木室村内〉かうはる村‖きむろ村内‖木室村‖西むた村‖あらき村‖田くち村‖一木村‖立石村‖大藪村‖蒲生村‖いかたみそ村‖はたほ村‖いてむら‖吉祥村‖なまつ村‖原田村‖大依村‖うちの村‖なら林村‖鐘ヶ江村‖高みつま村‖大堺村‖あらむた村‖田川村‖はや津崎‖大すみ村‖木室村‖〈よしかた〉‖一木村‖間むら‖江島村‖諸富村‖城島村‖中古賀村‖津むら‖小保津‖さけみむら‖はまたけ村‖あしつか村‖たりき村‖下田村‖榎津村‖さふらいしま‖青木村‖四郎丸村‖ふくみつ村‖ひるいけむた‖江上村 県史料4
p.181
立花文書
安武之中島村 三瀦郡 文禄5.4.28 1596 〔立花親成宛行状〕三瀦郡之内田脇村千三百四十八斛五斗三升六合、鐘ヶ江村三百八十斛壱斗四升五合、安武之中島村弐百九十九石四斗六升、 久留米
p.611
三池文書
小堺村
上八院村☆
常持村
三瀦郡 文禄5.4.28 1596 〔立花親成知行宛行状〕三潴郡蒲池村二千六百廿一石七斗三升五合、小堺村百九十二石四合、鬼古賀村四百九十七石四斗二升二合、蒲生村百七十一石五斗二合、定覚村二百八十五石三斗七合、中野村百九十三石一斗三升、上八院村七百九十九石五斗七升六合、定覚近辺散分野内百六石九斗八升四合、常持村之内百三十一石一斗四升九合、合五千石〈目録別紙有之〉事、令扶助訖、可有全領知者也、 筑後
p.809
小野家文書
早津崎村☆
上荒木村☆
三瀦郡 慶長4.3.28 1599 〔立花親成預ヶ状〕三瀦郡上荒木村之内六百弐拾弐石弐斗四升、同郡早津崎村三百七拾七石八斗、 久留米
p.611
問注所文書
上小法村
下小法村[44]
三瀦荘
(三瀦)
年月日未詳 〔筑後三瀦荘地頭名主交名注文〕三瀦御荘村々次第〈在地名主等交名〉/一、宝荘厳院分/五郎丸村〈自昔置致所務収入者也、地頭大石三郎〉/領家御氏寺・中御門家御建立/一、宝常住院分/藤吉村〈地頭種守/米生九郎二郎〉、江上々/白頭村〈名主道念/弥二郎入道〉、堺々〈地頭石清水八幡宮〉/上小法村〈地頭同前〉、下小法々〈地頭同前〉/以上六ヶ村、吉家直致沙汰者也、 久留米
p.502
東寺百合文書

上妻郡

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
北郷 広川荘 天福2.2.- 1234 〔坂東寺所役注文案〕板東寺〈当社〉所役注文‖一、同時相撲十番名々事/一番〈左蔵数/右用丸〉、二番〈左蔵数/右用丸〉、三番〈左蔵数/右富永〉、四番〈左長得/右土三郎〉、五番〈左吉里/右重松〉、六番〈左北郷富久/右五郎丸〉、七番〈左南近元/右富久〉、八番〈左北近元/右久富〉、九番〈左勢得/右久富〉、十番〈左勢得/右久富〉、 筑後
p.347
岡本文書

年月日 西暦 原     文 出  典
宮野村☆ 上妻郡 治安3.7.13 1023 〔筑後国符写〕国符 郡郡司/可任代々例免除八幡宇佐宮御領位田幷御装束料桑事‖桑薗/一所 古河西字加田久江薗/四至 東限古河 南限政則朝臣所領垣 西限下道 北限政則朝臣所領垣/一所 在上妻郡三深/一所 在同郡内宮野村/一所 在同郡内字奴山/一所 三毛郡/四至 東限山 南限山田御寺 西限海 北限山乃部末水山本 平遺9
p.3509
宇佐神領大鏡
北田村☆ 上妻荘 建暦2.12.13 1212 〔将軍家政所下文〕一、可令停止資綱家守妨、任故大将家政所下文、以家宗為北田村地頭職事、 県史料6
p.124
上妻文書
小広川村 広川荘
(上妻)
天福2.2.- 1234 〔坂東寺所役注文案〕板東寺〈当社〉所役注文、法印信覚之/注進/筑後国広川荘鎮守社伽藍仏神講経料田名々所役注文/舎坊地七十四ヶ所〈神宮寺、安福寺、二十二ヶ所/板東寺、広福寺、五十二ヶ所〉/寺社免田百十七町〈寺領四十三町四丈、注文有別紙/社領八十三町九反一丈、坪付見馬上帖〉/浮免田百三十石四斗一升九合〈延米定、注文有別紙〉/敷地福万名四至〈東久良妻橋横道、西三潴荘堺/南楠嶋田縁、北小広川村前岸〉、 筑後
p.343
岡本文書
白桑村 (上妻) 観応3.2 1352 〔安楽寺領注進状案〕‖一、筑後国一円‖白桑村‹一条入道、作人飯田次郎九郎入道›‖‹上切候›吉両村‹関東寄進之›‖三瀦庄内吉祥今村‹凶徒大村小太郎押領、›/幸泉村‹燈油田›‖三毛北郷 同南郷/大城村‹凶徒押領› 久留米
p.534
太宰府天満宮文書
若菜村☆ 広川荘
(上妻)
至徳2.2.13 1385 〔今川了俊書下〕天満宮大鳥居信栄法眼申、当宮領筑後国水田本村百姓石丸・鬼丸両輩、令犯用神要、結句自放火逐電間事、既尋究陰居在所、如信栄訴申者、広河荘内若菜村住人正覚入道加扶持、隠居妻子・資財云々、罪科難遁者歟、所詮、此上者、召搦彼両輩、云扶持人、云妻子・資財、可被渡守護方、若無為沙汰者、直可被加治罰之状、如件、 筑後
p.479
太宰府天満宮文書
上下夜部村[45] 上妻郡 応永2.⑦.25 1395 〔天満宮領筑後国所領注文〕高樋庄 同高橋村/同庄内原寺免 同鵜木空閑/同上浦空閑 綾野庄/同庄内明暹名[2] 同庄内吉冨名/下妻庄 得飯庄/同甘木村 安忠別符/上下夜部村 長田庄/大墓庄 坂田庄/江門庄 同庄新田/石田庄 稲吉村/二王丸名 白柔村/小河庄 青□/吉田庄 水田南嶋村/同庄北嶋村 同庄福嶋村/同庄下牟田 吉祥村/観興寺 三毛南郷/同北郷 楽徳別符/忠見別符 鯵坂庄五郎丸名/大城村 櫛原庄/上妻郡筑紫部庄 同郡葛野庄/同郡鳥形山 生葉部八尻 筑後
p.492
太宰府天満宮文書
大淵村[46] 河崎荘
(上妻)
応永32.6.12 1425 〔宗剛〈五条頼治〉譲状〕譲与、頼経所/筑後国河埼荘大淵村野内八勝蒔之地、頼経之所ニ細々加致番候旨、定置候間、聊良量不加致違乱之旨、定置候、仍譲状如件、 五条家文書
p.38
矢部村[47] 河崎荘
(上妻)
応永32.6.12 1425 〔宗剛〈五条頼治〉譲状〕譲与、頼経所/筑後国河崎荘矢部村之内二津尾之石川之事、於頼経所可為内者候之由定置候、此旨令存、良量不可致違乱候者也、仍為後日、譲状如状、 五条家文書
p.39
下栖村 河崎荘
(上妻)
応永32.6.12 1425 〔宗剛〈五条頼治〉譲状〕譲与、頼経所/筑後国河崎荘矢部村下栖柳木助次郎之事、下栖村当知行のまゝに候て、頼経所ニ可為内者之旨定置候、聊良量不可致違乱候者也、仍為後日譲状如件、 五条家文書
p.40
前津村☆ 広川荘
(上妻)
永享9.8.4 1437 〔知音・正梅連署打渡状写〕三瀦荘高三瀦村内横溝分一町、広河荘前津村内三町事、并三瀦郡内国分寺内田地三町事、去月廿日任御遵行之旨渡進候、恐々謹言 小郡
p.243
横溝文書
甘木村☆
酒井田村☆
(上妻) (天正6年) 1578 〔天正六年筑後領主附〕‖酒井田河内守 居酒井田村 領五町 甘木紀伊守 居甘木村 領十七町 久留米
p.414
筑後将士軍談
忠見村☆ 河崎荘 天正11.3.8 1583 〔龍造寺家恒書状〕‖河崎之庄忠見村之内作所壱町、料所五段、進之候、恐々謹言 久留米
p.204
隈文書
室岡本村☆ 河崎荘
(上妻)
天正11.2.8 1583 〔大友義統書状〕筑後国上妻郡之内鵜池五町五段、同郡之内河崎跡室岡本村五町分之事、至統康預進之候、可有知行候、不足分之儀、追而可申談候、為御存知候、恐々謹言、 五条家文書
p.154
古賀村☆
扇嶋村☆
久泉村☆
永村
鹿田村
吉常村☆
長延村☆
清楽村☆
高間村☆
太原村☆
(大原村)
大田村☆
内田村☆
長徳村☆
川瀬村☆
牟礼村☆
(無礼村)
当条村☆
知徳村☆
一条村☆
藤田村☆
広川荘
(上妻)
天正17.- 1589 〔稲員家記〕一、同年筑後国田畠検地之時、定村号也、上広川荘定廿一箇村也、二百町之旧地記之也、古賀村七町、扇嶋村三町、此両村本同村也、故扇嶋村無氏神社也‖久泉村三町‖永村三町、鹿田村三町、吉常村廿六町‖長延村十五町‖清楽村二町、高間村三町、太原村三町‖吉里村八町‖大田村十六町‖甘木村十六町・内田村四町‖長徳村三町‖川瀬村廿三町‖牟礼村三町‖当条村廿五町‖知徳村三町‖一条村十六町‖藤田村十五町‖上広川田畠二百町也、其旧記有于今也、三井郡藤田浦三町、高良山大宮司宗崎孝直領之也、 柳川
p.383
稲員文書
吉里村☆ 上妻郡 文禄2.3.18 1593 〔高良社神職名知行所数之事(写)〕‖六町上妻郡吉里村拾弐町之内蒲池領大祝領ニ成 久留米
p.83
座主文書
宅間田村
豊福村
大蔵村
納楚村
大嶋村
やな瀬村
やはら村
ひかり村
祈祷院村
よした村
山うち村
たちの村
稲とミ村
蒲原村
はは村
下辺春村
本村
たかつか村
本山村
岩崎村
辺春村
新庄村
河合村
たもと村
ふくしま村
津のえ村
室岡村
鵜池村
くらかけ村
おのこ村
くろき村
古家村
小間田村
黒土村
横山村
寺田村
国武村
緒玉村
宮原村
やなしま村
蓑毛村
前古賀村
ははしま村
土くほ村
北河内村
中河原村
むろその村
釘原村
兼松村
矢部河内村
田形村
庄田村
山崎村
楠田上ノ原村
谷河村
賀名津尾村
なかの村
沢水村
上妻郡 文録4.12.1 1595 〔筑後国上妻郡内知行方目録帳写〕知行方目録‖〈筑後国上妻郡〉宅間田村‖〈同川崎内〉忠見村‖豊福村‖たかた村‖大蔵村‖納楚村‖大嶋村‖やな瀬村‖酒井田村/やはら村/ひかり村‖祈祷院村‖よした村‖〈川崎内〉山うち村‖たちの村‖稲とミ村‖蒲原村‖はゝ村‖下辺春村‖本村‖たかつか村‖本山村‖〈広川庄内〉岩崎村‖宮野村‖辺春村‖新庄村/河合村‖たもと村‖ふくしま村‖津のえ村‖〈室岡村之内〉鵜池村‖室岡村‖くらかけ村/北田村/おのこ村‖古家村‖小間田村‖黒土村‖〈北河内〉横山村‖寺田村‖国武村/緒玉村‖宮原村‖やなしま村‖蓑毛村‖前古賀村‖はゝしま村‖〈黒木内〉土くほ村‖〈北河内村内〉中河原村/むろその村/釘原村‖〈川崎庄内〉兼松村‖矢部河内村‖田形村/庄田村‖山崎村‖〈矢部谷内〉大渕村‖楠田上ノ原村‖鹿子生/谷河村‖田代/賀名津尾村‖なかの村‖沢水村/合壱万八千拾五石/右、以今度検地上、改之令扶助訖、全可領知候也/文録四年十二年朔日 御朱印/筑紫上野介とのへ 福市史中①
p.997
筑紫家資料
上妻村 上妻郡 年未詳6.9 16C 〔大友義統預ヶ状写[48]〕親父壱岐守統連の事、不慮の弓箭以来、別儀なき覚悟をもって、辺春薩摩守申し談じ、貞心の次第感悦極まりなく候、殊に連々申し組衆一致せしめ、鎮信の宅所え楯籠り、手功の粉骨、あまつさえ壱岐守夫婦、舎兄三郎戦死、忠義比類なく候、よって其の賞として、三潴郡の内、牟田口二町二段分、同郡の内、一木七十五町分、上妻郡の内、上妻村十二町分の事、預け置き候、知行有るべく候、恐々謹言、 八女
p.352
酒井田文書

下妻郡

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典

年月日 西暦 原     文 出  典
溝口村☆ 上妻荘
(下妻)
寛喜2.2.8 1230 〔関東下文案〕下、上妻次郎家能/可令早如元領知、上妻荘内筑紫部〈筑紫部則下妻郡溝口村也〉・今弘・北田、已上三箇所事/右人、如元、可令領知之状、如件、 筑後
p.341
上妻文書
福嶋村 北水田荘[49]
(下妻)
2.6.18 1325 〔菅原資兼屋敷売券〕奉沽渡、見沢美濃公御坊所/筑後国北水田荘福島村内小榎屋敷一所事/右、屋敷者、資兼重代相伝所領也、而美濃公御坊所、限永代、直銭二十三貫文、所沽渡也、於御公事并恒例臨時済物者、至于将来、可為本名主沙汰也、就公私有違乱時者、可致其明、若聊母背申状者、可被本名知行之仁於沽取之咎也、仍為後日状如件、 筑後
p.384
太宰府天満宮文書
河口間真田村[50] 下妻荘
(下妻)
貞和3.3.10 1347 〔沙弥涌念置文写〕一、肥前国長嶋郡後藤西山三郎兵衛所従御堂関白殿以来十九代藤原貞国、同于原山住権律師瑜俊所へ、所領次第証文於相副伝了/一所肥前長嶋郡内西山三十五町/一所筑後国三潴荘内田地十一町恒黒太郎入道跡/一所同国下妻荘内河口間真田村田地四町〈河口五郎太郎跡〉/一所筑前国(衣偏に呆)浪郡大豆村田地十六町/一所対馬你伊郡一郡天満宮御領/一所肥前国基肄郡奈良田村長吉各内三町、以上町一町、ヨコ枕一町、町坪一町已上三町/右、此所之所領等相伝所、如件 筑後
p.401
反故廼裏見来之巻
北水田本村[51] 北水田荘
(下妻)
天授2.10.13 1376 〔種次奉書写〕充行/老松御社北水田本村宮司職并定楽職事/補任、円宗坊喜幸〈宮司十一町/定楽十一町〉/右、以彼仁、両職所定補也、任先例、有限御勤無懈怠、可令勤仕之状、如件 筑後
p.418
歴世古文書
南嶋村 水田荘[52]
(下妻)
永和4.9.16 1378 〔高辻長衡御教書〕寺領筑後国水田荘内南嶋村事、被致知行、有限寺役并御年貢雑物以下、任先例無懈怠、可被致其沙汰之由、領家之仰所候也、仍執達如件、 筑後
p.423
太宰府天満宮文書
北嶋村☆ 水田荘[53] 永和4.9.26 1378 〔高辻長衡書状〕一、筑後国水田荘内北嶋村并肥前国幸津本荘累代家領候、小鳥居信会跡安王丸押妨候、此事被仰付御事之仁、土貢慇懃沙汰給候者、可申付候、委細之旨、以此僧令申候、異于他神領候、可然候之様、被廻賢慮候者、可為御敬神之専一候、悉期後信候、恐々謹言、 筑後
p.426
太宰府天満宮文書
下牟田村☆ 水田荘
(下妻)
永和4.11.9 1378 〔大鳥居信源避状〕避渡亀松丸所/天満宮領筑後国水田荘本村内田屋敷・同荘下牟田村・同国飯得荘内甘木村并宰府屋敷已下事/右、所領者、大鳥居重代相伝之私領也、然間、帯亡父信高之譲状、信源当知行之地也、爰乱世之間、半済給人悉依令違乱、京進物無沙汰之間、舎兄信弁并信源、蒙領家御不審、以信弁・信源分領、被補任亀松丸畢、然間、信源者無一子之間、任信高置文之旨、永代避渡亀松丸方之上者、向後不可有異論、就中於下牟田者、預御遵行并給人避状畢、彼状同副渡者也、仍避状如件、 筑後
p.427
太宰府天満宮文書
水田本村 (下妻) 永徳2.7.19 1382 〔〕天満宮雑掌申当宮日別御供料所筑後国水田本村間事、為厳重之社要上者、縦雖給人相返、任先度之遵行、於京濟年貢定夫者可被沙汰渡給人、至社家知行者、可被守度々成敗状如件、 太宰府12
p.405(5615)
太宰府天満宮文書
吉祥村 水田荘(下妻) 応永2.⑦.25 1395 〔天満宮領筑後国所領注文〕高樋庄 同高橋村/同庄内原寺免 同鵜木空閑/同上浦空閑 綾野庄/同庄内明暹名[6] 同庄内吉冨名/下妻庄 得飯庄/同甘木村 安忠別符/上下夜部村 長田庄/大墓庄 坂田庄/江門庄 同庄新田/石田庄 稲吉村/二王丸名 白柔村/小河庄 青□/吉田庄 水田南嶋村/同庄北嶋村 同庄福嶋村/同庄下牟田 吉祥村/観興寺 三毛南郷/同北郷 楽徳別符/忠見別符 鯵坂庄五郎丸名/大城村 櫛原庄/上妻郡筑紫部庄 同郡葛野庄/同郡鳥形山 生葉部八尻 筑後
p.492
太宰府天満宮文書
水田南嶋村 水田荘
(下妻)
応永2.⑦.25 1395 〔天満宮御領筑後分不輸等注文〕‖小川荘、水田南嶋村、同荘北嶋村、同荘福嶋村、同荘下牟田、 太宰府12
p.448(5658)
飯得村 下妻郡 天文3.1.14 1534 〔菊池義宗寄進状〕筑後国下妻郡北嶋十二町、飯得之村内加恵六町之事/天満宮為新寄進令敬心之所也、全以執務、可被抽丹誠之状、如件 筑後
p.594
太宰府天満宮文書
本郷村☆ 水田荘
(下妻)
大永5.8.- 1535 〔芳司自然石図像板碑銘文〕筑後国/下妻郡広田荘/本郷之村/芳司町/笑酒、 九州の石塔
p.100
長田村[54] (下妻) 天文19.6.25 1550 〔大鳥居信渠書状写〕就長田村之御知行、彼社内宮司分等御寄進之由、以御一通承候、千秋万歳候、益御武運長久・子孫繁昌之御祈念、不可有油断之儀候、必以吉日御祝儀可申入候、賀事恐々謹言、 筑後
p.646
田尻家譜
水田村[55] 下妻郡 永禄2.- 1559 〔角大鳥居信順覚書〕宰府諸軍令狼藉被引帰候処、尚以大勢可取入之由存、鳴螺鐘・神輿を四堂ニ振棄、小鳥居信元若杉麓退出候、社内被明置候間、近方之者共乱入、御蔵まても預ヶ物一茂不残取候、此時水田之村も同社家にて候間、可破却之由風聞候、騒動以外也、 筑後
p.669
太宰府天満宮文書
折地村☆ (下妻) 天正12.9.15 1584 〔戸次鎮連・朽網宗歴連署書状〕前十三折地村付城近辺悪党相(魚編に各)候処、被懸合、以一戦大手負被仕、付両人討捕頸ニ持給候、御粉骨不及申候、弥無御油断、御才覚肝要候、猶重々可申述候、恐々謹言 柳川
p.15
蒲池文書
下妻村☆ 下妻郡 天正15.10.13 1587 〔立花統虎知行宛行状〕三潴郡之内/一所七十六町、青木荘/下妻郡之内/一所四十九町、下妻村/山門郡之内/一所十二町、飯得・飯尾村/同郡之内/一所六段、室園村/下妻郡之内/一所三町、長田横尾/同郡之内/一所四十三町、上下水田居屋敷/以上 筑後
p.755
水田天満宮文書
新庄村 溝口荘
下妻郡
天正15.11.28 1587 〔立花統虎庄屋給宛行状写〕坪付、下妻郡溝口荘新庄村/庄屋給/一所二町五反四丈/以上/右之前、全知行肝要候也 筑後
p.762
矢賀部家文書
志村☆ 下妻郡 文禄5.4.28 1595 〔立花親成知行宛行状〕山門郡之内、鷹尾村千五百五十一斛四斗八升八合、津留村七百九十七斛六斗四升七合、浜田村八百卅九石九斗、堀切嶋百六十斛六斗一升九合、下妻郡志村之内、百五十三石三斗四升六合、合三千五百斛〈目録別帋在之〉事、今扶助訖、可有全領知者也、 筑後
p.810
米多比家文書
小島村
新溝村☆
小田村☆
本村
坂田村☆
つる田村☆
(鶴田村)
くゑ村☆
(久恵村)
みつ田村
北むた村☆
(北牟田村)
馬間田村[56]
なか島村☆
(中嶋村)
下つま郡 文禄4.12.1 1595 〔文禄四年十二月筑後國目録〕下つま郡‖長田村‖小島村‖新溝村‖〈溝口ノ内〉小田村‖〈溝口ノ内〉本村‖坂田村‖つる田村‖くゑ村‖下つま村‖〈つる田ノ内〉志村‖みつ田村‖下むた村‖北むた村‖馬間田村‖なか島村‖おり地村‖本郷村 県史料4
p.178
立花文書
常持村☆ 下妻郡 文禄5.4.28 1596 〔立花親成寄進状写〕下妻郡水田村五百六十五斛八斗六升六合、常持村之内四百三十四斛一斗三升四合、以上千斛〈目録別紙在之〉事、為御神領令寄附候、全有領知、可被励御祈念候、恐々謹言 筑後
p.813
太宰府天満宮文書
中おり地村☆
(中折地村)
下妻郡 文禄5.4.28 1596 〔立花親成宛行状〕三瀦郡之内田脇村千三百四十八斛五斗三升六合、鐘ヶ江村三百八十斛壱斗四升五合、安武之中島村弐百九十九石四斗六升、下妻郡之内、中おり地村百廿一斛八斗五升九合、合二千百五十斛〈目録別紙在之〉事、令進之候、可有全領知候、仍三池民部丞事、右之内百五十石遣之、為寄揆合宿専要候也、 久留米
p.611
三池文書
吉岡村☆ 下妻郡 文禄5.4.28 1596 〔〕三瀦郡北矢賀部之内二百九十八石八斗四升八合、下妻郡吉岡村之内百一石一斗五升二合、合四百斛、〈目録別帋在之〉右内、至次男作蔵百石扶助畢、可全領知者也、 県史料10
p.394
佐田文書
久良原村☆
芳司村☆
冨安村☆
下妻郡 慶長2.2.12 1597 〔柳川領村高附帳〕下妻郡‖久良原村‖長田村‖小田村‖北牟田村‖本郷村‖溝口村‖新溝村‖芳司村‖坂田村‖富安村‖馬間田村‖靍田村‖久恵村‖中嶋村 筑後
p.823
立花家文書
邊春村 (下妻) 年未詳2.28 〔〕寔今歳之御慶、重畳不易幸甚候、抑此等之為祝詞、使書幷海茸二樽慥相届候、仍太守神文被差出候、御禮御慇懃至候、同拙子神載、御満足之由、本懐候、弥無別心、可申談之旨、不可有疎意候、然者邊春村事、被属御懇望候、親貞離渋之由、其聞得候、 県史料5
p.164
蒲池文書

山門郡

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
高尾郷 瀬高下荘
(山門)
文治2.6.27 1186 〔太宰府守護所下文案〕【鷹尾】早可任鎌倉殿御下文旨、令知行所領等事/今弘・光友・地久志部・豊福・多久万田・北田・境田・岩崎字・瀬高下荘内鷹尾郷・久万天年・国分・□々木/副下彼御下□/□□□月六日御下文、同六月□□□□、右件十二箇所者、家宗為地頭職、令知行之由所申也、令知行彼職、於有限官物雑事者、任先例無懈怠、可弁進本所之状如件、以下者、任御下文旨、可令知行之状如件 県史料8
p.25
上妻文書・吾妻鑑

年月日 西暦 原     文 出  典
高柳村[57]
吉里村☆
瀬高下荘
(山門)
治承2.7.5 1178 〔別宮御前掃除役次第〕□定/別宮御前掃治次第事/合/一日、高柳村藤二郎、三日、同村藤三郎/五日、同村多次、七日、土入道古家/九日、同村小藤太、十一日、同村本司貫首/十三日、同村当古家、十五日、池里七郎/十七日、同村藤太貫首、十九日、同村備二郎貫首/廿一日、同村政太郎坊、廿三日、同村海別当/廿五日、同村四郎別当、廿七日、同村紀二郎/廿九日、吉原多太/右件掃除役以大宮司十五家宛、各守次第、無懈怠可令勤仕之状、如件、 鷹尾文書
p.153
甘木村 飯得荘
永和4.11.9 1378 〔大鳥居信源避状〕避渡亀松丸所/天満宮領筑後国水田荘本村内田屋敷・同荘下牟田村・同国飯得荘内甘木村并宰府屋敷已下事/右、所領者、大鳥居重代相伝之私領也、然間、帯亡父信高之譲状、信源当知行之地也、爰乱世之間、半済給人悉依令違乱、京進物無沙汰之間、舎兄信弁并信源、蒙領家御不審、以信弁・信源分領、被補任亀松丸畢、然間、信源者無一子之間、任信高置文之旨、永代避渡亀松丸方之上者、向後不可有異論、就中於下牟田者、預御遵行并給人避状畢、彼状同副渡者也、仍避状如件、 筑後
p.427
太宰府天満宮文書
留永村 瀬高上荘
山門郡
天文16.3.27 1383 〔風浪神社棟札〕筑後国山門郡瀬高上荘留永村風浪宮奉上萱再興 柳川
p.291
本吉村☆ (山門) 天正8.2.24 1580 〔蒲池鑑広寄進状〕至清水山本吉村之内田地一町奉寄進候、右立願成就之意趣、為武運長久、子孫繁栄也、仍状如件、 柳川
p.335
清水寺文書
大木村☆ 山門郡 天正9.8.6 1581 〔龍造寺隆信知行宛行状写〕筑後三瀦郡蒲池之内、北矢ク郡田数廿九町一反、同国山門郡大木村田数十七町、作所除之、合四十六町一反之事、須古小島ヶ里為代地、進之候、御知行可為肝要之状如件、 柳川
p.345
小城藩士佐嘉差出古文書写
河村 瀬高上荘
(山門)
天正9.8.- 1581 〔清水寺鐘追銘〕清水寺鐘追銘/願主/講筵之一衆/日本国西/海道筑後州/瀬高上荘梁/河村、坂本 柳川
p.345
柏葉抄録
塩塚村[58] 山門郡 天正9.9.4 1581 〔龍造寺久家知行宛行村付[59]〕筑後国山門郡の内/塩塚村/百三十町/肥後国合志郡の内/夜間/十二町/右同郡の内/金亀寺/二町/右同郡の内/植田村/四十五町/同玉名郡の内/伊倉北方小嶋/十町/同郡伊倉南方の内/請三ヶ村/三町、 大和
p.608
田尻家譜
重富村 (山門) (天正14).8.28 1586 〔高良山座主良巴書状〕‖登城之儀被聞召付、御礼殊祈祷之巻数一枝被懸御意候、畏入候、弥御精誠所仰候、仍 御神領重富村之儀示預候、狼藉等之事無異儀之様、可申付候、猶御使僧江令申候、可得御意候、恐々謹言 久留米
p.603
満盛院文書
長嶋村☆ 山門郡 天正15.9.30 1587 〔立花統虎坪付写〕‖〈山門郡瀬高下庄内〉一所拾六町 〈長嶋村〉庄屋抱 久留米
p.609
安東家文書
室薗村[60] 山門郡 天正15.10.13 1587 〔立花統虎知行宛行状〕三潴郡之内/一所七十六町、青木荘/下妻郡之内/一所四十九町、下妻村/山門郡之内/一所十二町、飯得・飯尾村/同郡之内/一所六段、室園村/下妻郡之内/一所三町、長田横尾/同郡之内/一所四十三町、上下水田居屋敷/以上 筑後
p.756
水田天満宮文書
禅院村 山門郡 文禄3.11 1593 〔柳河年表〕文禄3年‖十一月大友義統夫人、山門郡禅院村ノ建仁寺ニ没ス。 県史料5
p.538
北廣田村☆
堀池薗村☆
立山村☆
あさひ村☆
(朝日村)
吉かい村☆
(吉開村)
河原内村☆
藤尾村☆
上小川村☆
津留村☆
牧村
有富村☆
(有留村)
くさは村☆
(草場村)
飯尾村☆
飯得村☆
(飯江村)
ほりきり村☆
(堀切村)
廣安村☆
大竹村☆
濱田村☆
海津村☆
開村☆
おうつか村☆
(大塚村)
井出上村☆
下小川村☆
松庭村☆
(松延村)
堤村☆
中尾村☆
たけの井村☆
(竹井村)
たな町村[61]
(棚町村)
下久末村☆
蒲舟津村☆
吉富村☆
(吉留村)
徳益村☆
藤吉村☆
枝光村☆
本村
正行村☆
上百町村☆
三村
せたか村
中山村☆
弥富村
弥四郎村☆
今古賀村☆
高畠村☆
垂見村☆
上久末村☆
筑籠村☆
南矢賀部村☆
やなかハむら☆
(柳河村)
五十町村☆
中矢賀部村☆
山門郡
文禄4.12.1 1595 〔文禄四年十二月筑後國目録〕知行方筑後國山門郡‖北廣田村‖堀池薗村‖立山村‖あさひ村‖吉かい村‖北之關‖河原内村‖藤尾村‖上小川村‖津留村‖牧村‖毛と吉村‖有富村‖瀬高下庄‖くさは村‖大木村‖飯尾村‖多か柳村‖吉里村‖飯得村‖ほりきり村‖〈宮その村/廣安村〉‖長島村‖大竹村‖濱田村‖海津村‖開村‖おうつか村‖井手上村‖下小川村‖松庭村‖堤村‖中尾村‖たけの井村‖高柳村‖たな町村‖下久末村‖蒲舟津村‖吉富村‖高尾村‖鹽塚村‖徳益村‖藤吉村‖枝光村‖〈瀬高庄〉本村‖〈蒲舟津〉正行村‖上百町村‖三村‖せたか村‖中山村‖彌富村‖彌四郎村‖今古賀村‖〈蒲舟津内〉高畠村‖垂見村‖上久末村‖筑籠村‖南矢賀部村‖やなかハむら‖五十町村‖中矢賀部村‖是よりよしかた‖たな町村‖〈宮永〉筑籠村‖藤吉村‖高尾村‖柳河村‖吉富村‖屋とみ村‖徳益村‖長島村‖吉里村‖ひらき村‖津留村‖はまた村‖堀切村‖鹽塚村 県史料4
p.173
立花文書
一木村 山門郡 文禄5.4.28 1596 〔立花親成知行宛行状写〕山門郡一木村之内、二百卅九石五斗七升五合、三瀦郡之内、原田村三百七十五石一斗一升七合、下妻郡中おり地村之内八十六石一斗一升七合、合七百石‹目録別紙有之›事、令扶助訖、可全領知候也、 筑後
p.813
斉藤家文書
瀬高上荘村[62] 瀬高上荘
(山門)
文禄5.-.- 1596 〔寺社領高覚書〕覚/一、山門郡大木村之内、二百石、愛宕/一、同大木村之内、二百石、梅岳寺/一、同村之内、三十石、清水寺/一、同村之内、十五石、小泉津/一、同村之内、六十石‹五斗九升›、角坊/合五百五石五斗九升/一、高柳村北分ノ内、百六十石、新房/下妻郡溝口村之内、廿石、普院/一、同村之内、六石、福王寺/一、瀬高上荘内、十石、談儀所/一、同村之内、三十石/祇園/一、下荘之内、十石、談儀所/一、三瀦郡榎津之内、三石、風浪 筑後
p.821
立花家文書
田尻村
岩津村
浦村
山門郡 年月日未詳 〔大友義鑑袖判知行坪付〕田尻伯耆守知行分坪付/一所、十二町、田尻村/一所、廿七町、岩津村/一所、六町、浦村/一所、六町、波江村/一所、三十三町、竹井村/一所、六十六町、海津村/一所、十二町、大塚村/一所、五町五段、神崎分/一所、十二町、北分/一所、二百五十町‹此内徳田七十町›鷹尾/以上 柳川
p.108
田尻家文書

三宅郡

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
三毛北郷 三毛郡 弘安9.⑫.28 1286 〔関東式目〕一、守護人‖一、為宗人々‖古飯次郎資景‹筑後国三毛北郷内田在家/永利次郎兵衛尉重朝跡› 小郡
p.123
比志嶋文書
三毛南郷 三毛郡 康永2.4.11 1343 〔〕天満宮安楽寺日別御供米料足筑後国三毛南郷堺村田地事、 太宰府11
p.211(4912)
太宰府天満宮文書
三池郷 (三毛) 貞和5.10.29 1349 〔〕筑後国三池郷米生堺村内田地事、為兵粮料所雖預給候、神領之条、所見分明之間、止綺侯畢、可有御存知存其旨候、恐々謹言、 太宰府11
p.289(4990)

年月日 西暦 原     文 出  典
ミやへのむら☆
(宮部村)
三池郡 永仁4.6.24 1296 〔大江宗心置文〕さためをく/そうしんのしよりやうすこ大しについて御くうししたいの事/右すこ大しのセちれうの事、ようとうちやうつらに廿もん、これをあつ、そうりやうにいたすへき也、つきにすこ大しくにめくりのときハ、ミやへのむらのふんよりとしにくわんもん、そうりやうあらきにいたすへき也、をのゝゝこのしやうをまふてきんしすへし、さらにゐしつすへからさる状如件、 久留米
p.158
荒木近藤文書
下たくま村☆
(田隈村)
てかまの村☆
(手鎌村)
たかいつミの村☆
(高泉村)
ひらのの村☆
(平野村)
三毛郡 元亨4.2.13 1324 〔道覚所領処分状案〕処分、道覚所領等事/一、嫡子木工助貞鍪分‖一、次男左近大夫貞政分/肥後国鹿子木荘内加納村田地十八丁五反三丈/同荘内田地二丁‹いせ里のひき田›同つゝら山のいまこか加之/筑後国三池南郷内/田地六十六丁三反一丈/内‹五丁二反一丈中、給主持立用/五丁三丈、下地しんたいの立用/十二丁、祖母一期の後知行分›/畠地十二丁内‹九丁八反二丈下たくまの村/二丁一反三丈てかまの村、但川口ハのそく›/一、三男六郎くら人貞家分/筑後国三池南郷内/田地五十七丁九反一丈/内‹三丁三反四丈、給主持立用/五丁二反、下地しんたいの立用/八丁、祖母一期の後知行分›/畠地八丁内‹五丁六反一丈、たかいつミの村/二丁三反四丈、ひらのゝ村› 小郡
p.181
三池文書
三毛堺村 (三毛) 康永2.4.11 1343 〔〕天満宮安楽寺日別御供米料足筑後国三毛南郷堺村田地事、 大宰府11
p.212(4913)
太宰府天満宮文書
米生堺村 (三毛) 貞和5.10.29 1349 〔〕筑後国三池郷米生堺村内田地事、為兵粮料所雖預給候、神領之条、所見分明之間、止綺侯畢、可有御存知存其旨候、恐々謹言、 太宰府11
p.289(4990)
米生村 (三毛) 貞和6.9.- 1350 〔宮ノ原天満宮五重石塔銘文〕【米生】奉造立、筑後国三毛南郷米生村、天満宮大自在天神御、宝前五重石塔一基/右造立志者、且為奉増和光之利益、且為天下安全国家豊饒、殊為二親亡魂出離生死頓證菩提、乃至法界平等利益所奉造立如件、 九州の石塔
p.45
藤田村☆ (三毛) 貞和7.2.- 1351 〔乙宮神社石殿背面銘文〕奉造立/彦山第一之護法/筑後国三池南郷藤田村/願主藤原経躬/大工藤原助継、 九州の石塔
p.119
米生下村 三毛郡 正平13.2.28 1358 〔正照寄進状〕奉寄進/高良山毎年不闕如法道場/筑後国米生下村内正照知行分田畠在家等事/右、田畠在家等者、正照相伝所領也、而師匠大智上人年来於当山上宮、尽未来際毎年如法書写一乗妙典、報答四恩、抜済三有、同共法界、衆生円満、無上仏果、菩提為奉成就、菩薩広大無極大悲本願被発清浄御願之間、件料田屋敷等、相副相伝本文書、永代所奉寄進也、 久留米
p.544
広福寺文書
下夜部村
甘木村☆
上夜部村
得飯荘[63]
(三池)
応永2.⑦.25 1395 〔天満宮領筑後国所領注文〕高樋庄 同高橋村/同庄内原寺免 同鵜木空閑/同上浦空閑 綾野庄/同庄内明暹名[2] 同庄内吉冨名/下妻庄 得飯庄/同甘木村 安忠別符/上下夜部村 長田庄/大墓庄 坂田庄/江門庄 同庄新田/石田庄 稲吉村/二王丸名 白柔村/小河庄 青□/吉田庄 水田南嶋村/同庄北嶋村 同庄福嶋村/同庄下牟田 吉祥村/観興寺 三毛南郷/同北郷 楽徳別符/忠見別符 鯵坂庄五郎丸名/大城村 櫛原庄/上妻郡筑紫部庄 同郡葛野庄/同郡鳥形山 生葉部八尻 筑後
p.493
太宰府天満宮文書
玉村
今村
山崎村
中浦村
三池郡 年月日未詳 14C 〔肥後国山北西安寺石堂碑文〕‖相良三郎長頼嫡子/遠州より兄弟三人、三男領地山北郷屋気村、同鎮西下向相良頼平板井村筑後三池郡/玉村今村山崎村中浦村 小郡
p.188
相良家文書
今福村☆ (三池) 年月日未詳 15C 〔自然石図像板碑銘文〕筑後州三池北郷今福村/大願成就 九州の石塔
p.123
下今福村 (三毛) 天正8.-.- 1580 〔下今福村等田地坪付〕村付/一、下今福村、三十三町/一、さかい、六町/のゝう田、六町/一、岡、三町/一、おか松、三町/一、とい永、十九町/同四町分/一、新開、四十五町/一、ふすへ、六町/一、ふかくら、六町/宮房殿分/村付/一、楠田、四十五町/一、かミうち、三町/一、のし、三十三町/一、上今福、三十三町/追って、新開村之儀、親類共、又江上落着の間は、母ニ候者ヘ預け置く可きの由申し候へ共、鎮並存分たらば、善悪之れ有る可きの覚悟に候、御存知させ候、 大和
p.579
田尻文書
新賀江村
楠田村☆
内邨[64]
三池郡 天正15.7.1 1587 〔浅野長吉書状〕尚々、御知行弐百町之事も、在所廻にて可有御請取候、其通弥七へ申入候、以上/其方居所之義、三池郡之内江浦か、新賀江村、楠田村、内邨四ヶ所之内ニ、可被置旨、立花左近殿と申合候、可有其御心得候、則高橋弥七へも、以書状申入候、恐々謹言、 柳川
p.16
蒲池文書
野志村 (三池) 天正16.1.11 1588 〔蒲池鎮運ヵ坪付〕野志村之内/坪付/〈入道町於加々丁〉一所二丈中、〈一反三丈中之内〉新十郎/〈水坪九反之内〉一所二反半、うき地/合三反 柳川
p.382
大木家文書
亀尻村☆
飯江村☆
浦村☆
田尻村☆
原村☆
岩津村☆
古賀村☆
上今福村
新開村[65]
中原村
湯屋村
怒縄田村☆
亀崎村☆
隈村☆
倉永村☆
三池郡 文禄4.12.1 1595 〔文禄四年十二月筑後國目録〕三池郡‖龜尻村‖飯江村‖浦村‖田尻村‖原村‖岩津村‖古賀村‖上今福村‖下今福村‖新開村‖中原村‖湯屋村‖怒縄田村‖龜崎村‖隈村‖楠田村‖野志村‖倉永村 県史料4
p.186
立花文書
光照寺村
常里村
大善寺村
(三池) 文禄5.□.8 1596 〔三瀦郡之内三池郡出米代ニ上分〕一、千九百卅八石一斗九升、大石村、上/一、八百四十四石一斗七升、大隈村、上/一、千三百七十五石七斗一升、津福村、上/一、三百四十七石三斗五升、光照寺村、中/一、千八百四十六石五斗一升、安武村、中/一、六百十八石六升、常里村、中/一所、三百十二石七斗二升、荊津村、中/一、三千百五十三石二升、大善寺村、中/一、五百六十四石二斗七升、白口村之内、上/已上九ケ村/合一万七百斛/右之上米ニ余分柳川内ニ扣申/一、二百九十二石五升、白口村之内 久留米
p.610
安東家文書
二部村☆ 三池郡 年月日未詳 〔大鳥居知行分注文〕大鳥居居所々知行分〈此内不知行〉‖一、三池郡、野司六町〈此内二町岩野質券〉郡代知行/一、同郡、米生四町〈此内灯油田〉知行分二町余〈其外米生方押領、二部村御供米藤田〈灯油御供米〉小森田方・大野方・賀江方押妨〉 筑後
p.535
太宰府天満宮文書
於尻本村☆
(尾尻村)
深蔵村☆
(深倉村)
河原内村
三池郡 年月日 〔田尻鑑種知行坪付〕村付/三池郡之内、百廿町、手鎌村/同四十五町、亀崎村/同廿五町、蔵永村/同六五町、ふすへ村/同十三町、深蔵村/同十三町、ふか浦村/同十五町、甘木村/同十五町、於尻本村/同十二町、四ヶ村/同三町、亀尻村/六町、藤ノ尾村/五十五町、本河村/三十三町、松延村/三町、河原内村/八町、大江村/六町、大木村/十二町、上小河村/百廿町、塩塚村/百町、棚町村/以上、六百三町/右付之分、鑑種城廻、無余儀致格護候ハてハの分、先々付申候、千町ニ不足分四百丁にて候、是ハ追而可申談候、先彼村付ニ可有御判形候矣/千町之外/津留村、五十五丁/浜田村、七十五町 柳川
p.185
田尻文書

所属不明

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
白垣郷 不明 正安2.3.12 1300 〔〕白垣弥次郎入道々念与山城又三郎栄相論筑後国白垣郷内両堤東□南新田牟田在家事、任八院村本主唯仏〈于時範忠〉弘長元年九月八日状、被裁許道念畢、仍任下知状、可沙汰付之旨、被仰下之処、如所進絵図者、池二令見在之間、令比校道念先進絵図之時、小池為細縄池之条、無異儀之上、符合唯仏状之間、彼池以南三町為堺可被沙汰付也、仍執達如件、 太宰府9
p.163(1300)
山城松浦文書
吉川郷 不明 天正12.9.13 1584 〔戸次道雪書状写〕‖北目之事、統虎被仰談、吉河郷内御存分被仰渡之由、彼方角之儀者、毎時無異所事候、 柳川
p.370
薦野家譜
筒郷 不明 天正3.10.5 1594 〔草野居屋敷八十町之内村付〕大城、飯田十二丁、持田嶋三丁、□生三丁、千代嶋十丁九段、筒郷一丁、木塚三丁、露三丁、中河原六町、清野十二町、石浦廿町、□持十二町、 県史料4
p.152
草野文書
抱木郷 不明 年未詳.9.3 〔秋月種実書状〕御礼畏入候、仍一昨夜、和泉之村敵足城、以御粉骨、番衆切捨、被任御存分候歟、千勝万勢、可然御事候、殊北野之村渡船、被忍取候歟、是又可然御行候、毎々御辛労之至、不及申候、将又、肥後表之儀、先日申候様、無残所、薩州属案利候、就此表出勢之儀、政家・広門申談、近日使者可差立覚悟候、彼調不可有緩候、可御心安候、随而、抱木郷表敵陣無相替儀候、此四五日者、手火矢・石火矢等之行断絶之分候、敗北不可有程候、必吉左右可申入候、恐々謹言、 久留米
p.109
高良山文書

年月日 西暦 原     文 出  典
下宇治村 不明 建武1.3.21 1334 〔〕筑後国下宇治村地頭職半分、為勲功賞松浦小次郎入道蓮賀□連可令知行者、天気如此悉之、 県史料10
p.183
松浦文書
吉両村
幸泉村
不明 観応3.2 1352 〔安楽寺領注進状案〕‖一、筑後国一円‖白桑村‹一条入道、作人飯田次郎九郎入道›‖‹上切候›吉両村‹関東寄進之›‖三瀦庄内吉祥今村‹凶徒大村小太郎押領、›/幸泉村‹燈油田›/半不輸/三毛北郷 同南郷/大城村‹凶徒押領› 久留米
p.535
太宰府天満宮文書
高山村 不明 永徳2.7.19 1382 〔〕天満宮領筑後国高山村社家分事、度々成敗之処、背大法、給人一同押妨之間、社要悉退転云々、太以不可然、所詮莅彼所、堅可被沙汰居、半分下地於社家雑掌、若給人及異儀、可被改彼給人候、状如件、 太宰府12
p.404(5614)
太宰府天満宮文書
岩方村 不明 永徳3.7.18 1383 〔親世当知行国々散在所領所職等事〕‖筑後国三瀦荘半分、同国鷹尾別府、同国岩方村 県史料3
p.124
大友文書
黒木山内寄之村 不明 享徳3.11.3 1454 〔菊池為邦安堵状〕筑後国黒木山内寄之村注文在之事、御知行不可有相違状如件、 五条家文書
p.42
蒲田崎村
蒲田村
不明 永禄13.4.5 1570 〔戸次鑑連・吉弘鑑理連署書状〕追而、河添一揆足弱之事承候、如何体仁茂敵詰候様、以御分別御了簡専要候、/夜前至蒲田御着村之 柳川
p.303
吉田村 不明 天正6.3.2 1578 〔筑後領主附〕‖一、津村大助、居三瀦郡津村、領廿四町‖一、酒井田河内守、居酒井田村領五町‖一、甘木紀伊守、居甘木村、領十七町‖一、荒木、居荒木村、領十三町、一、吉田、居吉田村、領十二町‖一、菅四郎次郎、竹野郡菅村、領十二町七反/一、麦生、居竹野郡麦生村‖一、鰺坂、居三井郡鰺坂村 筑後
p.704
筑後国史
河崎本村 不明 天正7.12.3 1579 〔感状其外書付之写〕‖今度両年之籠城中夜白辛労心懸之儀、誠御頼敷候、為其忠河崎本村之内七町預進之候、可令知行候、恐々謹言 柳川
p.64
蒲池敬造家文書
佐良垣村 不明 天正9.6.12 1581 〔小代親伝書状〕貴礼令拝見候、仍蒲池鎮並事、連々就悪行顕然、今度輙御成敗候、千秋万歳候、彼残党於佐良垣村楯籠候之処、筑州衆申談即時討果候、被聞召付態被仰下候、外聞之至忝候、弥可抽忠貞覚悟候、不可有緩疎候、猶石田内記助方可有御達候、可得御意候、恐々謹言 柳川
p.344
竜造寺文書
中河原 不明 天正15.8.12 1587 〔坪付〕筑後国三瀦郡之内、蒲池居屋敷之内/一所十二町、吉祥之村/山門郡之内屋敷中/一所二段、〈かまの下/畠地之分、中河原村〉次郎左衛門名、 県史料10
p.392
佐田文書
牛鶴村
江口村
不明 天正16.2.12 1588 〔〕筑後竹野郡高野分/はしの本/一所一段半、大宮司/牛鶴村之内/ちやうのつほ六反内ヨリ/一所三反、新左衛門尉/筑後江口村分/やなせのむかへ六反内/一所三反、やのとの/下さ内今隈/やしき付三反内/一所二反、治部丞、 県史料10
p.297
庄崎文書
早米木村 不明 文禄2.-.- 1593 〔柳河年表〕文禄二年‖早米木村ニ僧祐忍、照光寺ヲ開基ス。其後元和六年再興ス。 県史料5
p.538
郷原村 不明 文禄5.4.21 1595 〔〕三瀦郡之内酒見村五百七十石二斗八升一合、郷原村千二百六十九石一斗九升、下林村五百六十九石六斗一升三合、木室之内〈対馬懸リ〉八百三十五石一斗七升六合、篠淵村之内二百五十五石七斗四升、合三千五百斛〈目録別紙在之〉事、令扶助訖、可有全領知候、仍而由布平兵衛尉事、今度於朝鮮、其方為名代、別而軍労候条、右之内百石遣候、為寄揆合宿専要候也、 県史料9
p.266
由布文書
上内村 不明 年月日未詳 〔村付〕村付/鎮並本地、百三十町、塩塚村/同、百町、たな町村/黒木領、廿五町、ひらき村/同廿五町、をさ嶋/豊後領、六町、井手ノ上/同、三十三町、松延村/鎮並本地、大き村/三池之内、四十五町、亀崎/同、四十五町、野瀬/同、三町、上内村/豊饒領、三町、亀尻/鎮並本地三池、十三町、甘木/豊饒領三池、十五町、尾尻本村/三池、六町、ふすへ/三池、六町、ふか倉/三池、十三町、ふか浦/三池、五町、をか松/以上四百七十八町 大和
p.607
田尻文書
神崎村 不明 年月日未詳 〔浜田村等坪付〕先御判有之、七十五町、浜田村/同、五十五町、都留村/百町、棚町村/廿五町、ひらき村/廿五町、おさ嶋村/四十五町、神崎村/三町、亀尻村/右合三百三十八町/彼地之儀、万一鎮並此方和談ニ罷成候ハゝ、堅鑑種御知行肝要候矣 柳川
p.187
田尻文書
大利村 不明 年未詳12.6 〔小鳥居信元灯明方注文〕一所、筑後下妻荘ニ在之、小鳥居領知内/一々、当国那迦村在之/一所、筑後国水田荘ニ在之、大鳥居領地之内/一々、榎寺在之/一、筑後国・肥前国・肥後国、三ヶ国中之油座小鳥居申付之油、社納之上座坊ニ令下行候事/一、八月祭礼廿一日暁ヨリ至廿四日暁、神前虹橋上灯明之事、従常修坊懃之事/一、従常修坊於神前懃御灯明料所、大利村在之、従常修坊請取之、毎年油十二提ニ御灯ニ被渡候/右御灯明方粗注上進之候、仍当社上下神官、神役・社用不懃之仁一人茂無御座候、彼一坊事者、過分之神領雖被相抱候、於当社年中ニ一度之神役不被相懃候事無其隠候、此等之趣宜預御披露候、恐々謹言 筑後
p.606
太宰府天満宮文書
本郷村
長島村
不明 年未詳.7.25 〔〕‖一、長島村懃番、御判地本吉廿七町五段分之儀、可返給之由候、祝着候、自今以後如此之類、申入間敷之事/一、本吉廿七町五反分、為打替本郷村向後可有格護之事/付本郷村之儀、打替地之事候条、先、御判茂不入、鎮運可有知行之事、 県史料5
p.169
蒲池文書
藤ノ尾村
本河村
不明 年月日未詳 〔田尻鑑種知行坪付〕村付/三池郡之内、百廿町、手鎌村/同四十五町、亀崎村/同廿五町、蔵永村/同六五町、ふすへ村/同十三町、深蔵村/同十三町、ふか浦村/同十五町、甘木村/同十五町、於尻本村/同十二町、四ヶ村/同三町、亀尻村/六町、藤ノ尾村/五十五町、本河村/三十三町、松延村/三町、河原内村/八町、大江村/六町、大木村/十二町、上小河村/百廿町、塩塚村/百町、棚町村/以上、六百三町/右付之分、鑑種城廻、無余儀致格護候ハてハの分、先々付申候、千町ニ不足分四百丁にて候、是ハ追而可申談候、先彼村付ニ可有御判形候矣/千町之外/津留村、五十五丁/浜田村、七十五町 柳川
p.185
田尻文書

  1. 井上薬師堂遺跡は、三原郡内にある遺跡。
  2. 筑後国か。
  3. 西郷か。
  4. 「元禄国絵図」に「本郷村」の記載あり。
  5. 岩田荘。
  6. ともに「元禄国絵図」に「大石村」「山北村」とみえる。
  7. 上妻郡に同名の近世村あり。
  8. 「元禄国絵図」に「吉井町」とある。
  9. 年月日未詳の「田籠端村」と関係あるヵ。
  10. 生葉郡か。他の史料からは確認できない郡名。
  11. 「元禄国絵図」に「東牧村」「西牧村」がみえる。
  12. 『久留米市史』は三井郡とする。
  13. 『久留米市史』は山本郡とする。
  14. 「元禄国絵図」に「東麦生村」「西麦生村」がみえる。
  15. 「元禄国絵図」に「山本村」と見える。
  16. 三原郡丙部里と同じ遺跡の出土。『木簡研究』の考察では三井郡の賀駄駅との判断には否定的だが、評制下では三原・三井郡の郡域等に違いがあった可能性があるため、三井郡で採録した。
  17. 『鎌倉遺文』32-p.346(12973)では、「山本郷」とし、三井郡と注釈をつける。
  18. 郡の表記はないが『小郡市史』と『久留米市史』は「三井郡」とする。
  19. 『久留米市史』は三井郡とする。
  20. 『久留米市史』は山本郡とする。
  21. 『和名抄』に記載なく、この史料以外では確認できない郡名。御井郡に属するか。
  22. 『久留米市史』は三井郡とする。
  23. 『久留米市史』は三井郡とする。
  24. 観応3年(1351)に「河南郡」と見える。
  25. 『福岡県史資料』7輯p.237の同文書には「名崎村」見える。
  26. 三瀦荘鎮守大善寺玉垂宮の神事にもみえる。「元禄国絵図」には「下鯵坂村」「東鯵坂村」「西鯵坂村」「南鯵坂村」「北鯵坂村」がみえる。
  27. 慶長4年に「和泉村」とみえる。
  28. 年月日未詳の書状に「南国符村」とも見える。
  29. 年未詳6月23日付大友家年書状にみえる「南国分村」と同一ヵ
  30. 「元禄国絵図」には「上荒木村」「下荒木村」とある。
  31. 「元禄国絵図」には「南酒見村」「北酒見村」がある。
  32. 「元禄国絵図」には「安武古町」「安武本村」がある。
  33. 「元禄国絵図」に「江上本村」「江上本町」「江上上村」とある。
  34. 「元禄国絵図」では「上八院村」「中八院村」「下八院村」がある。
  35. 「元禄国絵図」では「南清松村」「北清松村」とある。
  36. 「元禄国絵図」には「上木佐木村」「下木佐木村」がある。
  37. 「元禄国絵図」には「木室本村」「木室中村」がある。
  38. 「元禄国絵図」では上下に分かれる。
  39. 上下幡帆村は「元禄国絵図」では「幡保村」となるか。
  40. 「元禄国絵図」では「吉祥村」
  41. 下田村と関係があるか。
  42. 「元禄国絵図」には「蛭池村」とあるが牟田とつく村も3つみえる。
  43. 「元禄国絵図」には「上青木村」「下青木村」がみえる。
  44. 上下小法村は、「元禄国絵図」では「小保村」となるか。
  45. 「元禄国絵図」には「南矢部村」「北矢部村」とみえるが「矢部村」と関係するか。
  46. 「元禄国絵図」には「南大淵村」「北大淵村」がみえる。
  47. 「元禄国絵図」には「南矢部村」「北矢部村」とみえる。前述の「夜部村」と関係するか。
  48. 『八女市史』は、全文書き下しとなっており、今回は原文書を確認できなかったため、書き下しのまま採録した。
  49. 永徳3年(1383)5月2日の「今川了俊書下」(『筑後』p.468「太宰府天満宮文書」)には「水田荘」と見える。
  50. 「元禄国絵図」には「馬間田村」がみえる。
  51. 「元禄国絵図」には「水田村」が見える。
  52. 永徳元年(1381)5月27日の「今川了俊書下」(『筑後』p.454「大鳥居文書」)には、「北水田荘」と見える。
  53. 永徳3年(1383)5月2日の「室町幕府御教書」(『筑後』p.471「太宰府天満宮文書」)には「北水田荘」と見える。
  54. 「元禄国絵図」には「南長田村」「北長田村」がみえる。
  55. 前出の「北水田本村」「水田本村」との関係は不明。
  56. 前出の「河口間真田村」と関係するか。
  57. 「元禄国絵図」では南北にわかれる。
  58. 「元禄国絵図」では上下にわかれる。
  59. 筑後市史での掲載では、書き下してある。今回は原文を確認できなかったため、市史の掲載されたまま原文として引用した。
  60. 宮薗村か。
  61. 「元禄国絵図」では上下にわかれる。
  62. 「元禄国絵図」では「瀬高上荘本町」とみえる。
  63. 飯得荘とも。
  64. 「元禄国絵図」には上下にみえる。
  65. 「元禄国絵図」には南北あり。