紀伊国

提供:「ムラの戸籍簿」データベース

========================================
本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。
また、郷村表はもともと各国担当者によってWordで作成されており、これを、「ムラの戸籍簿」研究会事務局で集約して公開用に変換しております。
変換作業上、特殊な文字や史料表記について、やむをえず作成者の作成した文字データが反映されていない部分のありますことをご承知おきいただけましたら幸いです。
========================================


作成者:川端泰幸

郷村名郡別世紀別初出表

郷村

世紀
郷(里)
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 未詳 合計 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 未詳 合計
合計 14 7 1 3 23 40 6 3 10 107 3 15 5 17 37 45 79 45 18 264
伊都郡 1 6 6 2 15 4 9 21 52 18 1 105
那賀郡 3 2 1 1 3 1 2 13 2 4 2 17 12 10 16 6 69
名草郡 4 3 13 30 2 4 56 2 6 11 7 3 8 8 8 53
海部郡 1 1 1 5 8 1 1 1 1 4
在田郡 2 1 1 1 5 5 1 9 3 18
日高郡 2 1 1 1 5 2 1 1 4
牟婁郡 2 2 1 5 1 1 6 1 2 11

概要

概要

7郡:名草・海部・伊都・那賀・日高・阿諦(のち在田)・牟婁。この郡構成は近代まで存続。史料などを確認しても基本的に郡域の変化は認められない。
南海道に属す。ただし、当初その一部は畿内に含まれていた。
「延喜式」では上国と記される。
国府跡は現和歌山市府中付近と推定されている。
古代氏族として、7世紀以前には大伴連・来目連・紀直・名草直など、8世紀以降忌部氏や渡来人系氏族が現れる。9世紀以降には紀臣も現れてくる。とくに、紀直系は、国造集団として名草郡に本拠を置き、紀伊国内諸郡から和泉・河内などにも勢力を拡大。岩橋(いわせ)千塚古墳群(現和歌山市)の大古墳群も紀直氏系諸氏の残したものとされる。
12世紀から荘園が多く現れるようになる。高野山をはじめとする寺社領荘園の多いのが特徴で、名草郡はその大部分が日前国懸神宮の神領となる。紀伊国の寺社領荘園を検討した小山靖憲は、この地域の荘園を素材に「領域型荘園」の概念を打ち出し、前代の寄人・免田型荘園から発展して、四至をもち在家・耕地・山野河海を含み込んだ領域的な荘園を「中世荘園」の典型であると位置づけた。
鎌倉時代に入り、文治元年(1185)守護・地頭設置の際、紀伊守護として元暦元年(1184)に豊島有経(根来要書)、13世紀に三浦一族の佐原十郎左衛門義連が知られる(和泉兼任)。佐原死後、承元元年(1207)後鳥羽院熊野詣の駅家雑用負担の功によって和泉・紀伊は両国とも、原則守護不設置となる。しかし承久の乱後再び設置。三浦義村、佐原家連が任じられている。守護所の所在は不明。
武士団として、隅田党と湯浅党。隅田党は、25~29家ほどから構成された武士団。隅田党始祖藤原忠延は元永元年(1118)隅田荘公文職に補任され、同年隅田荘総鎮守隅田八幡宮の俗別当職も得ている。元弘元年(1331)には、一族の頭領、隅田治郎左衛門通治が六波羅探題の治安・刑事裁判を扱う検断となる。湯浅党は平安後期より有田川下流の湯浅(現有田郡湯浅町)を根拠として武士団形成。祖は湯浅宗重。平清盛が熊野参詣の途中、平治の乱の報に接して引き返そうとした時に援護。平家の有力家人と言われるようになる。鎌倉時代には鎌倉御家人となり、一党には、藤並・石垣・阿弖河・宮原・六十谷・木本などの諸氏がいた。
鎌倉時代になって立荘された荘園も多い(相賀荘、官省符荘、花園荘、麻生津(おうづ)荘、貴志荘、弘田荘、賀太荘、阿弖河荘など。高野山領など寺社領荘園が多い。阿弖河荘では、湯地頭湯浅氏と百姓の争いがカタカナ書言上状の存在によって有名。
南北朝期には、紀伊国でも武士団が二分して争った。建武年間(1334~1338)に北朝方の畠山国清が守護となっている。紀ノ川流域はじめ諸所で合戦が頻発し、所職・所領の没収・改替などが多く行われていた。
戦国時代には畠山氏が守護職をもつも、家中内紛や紀伊が兼帯の国であったこと、さらに寺社や一揆(根来・高野山・雑賀など)が勢力を伸ばしていたことから、守護支配体制は不安定であった。その状況は中世末まで続き、天正13年(1585)羽柴秀吉による紀州攻めによって紀伊の中世は終焉を迎え、近世は徳川家康10男頼宣が入国し御三家となる。

典拠史料

『和歌山県史』古代史料一・二(1981・1989年)。
『和歌山県史』中世史料一・二(1975・1983年)。
『高野山文書』(『大日本古文書』家わけ第1、1904~7)。
海津一朗編『和歌山平野における荘園遺跡の復元的研究-中世日前宮領の研究』
(文部省科学研究費補助金成果報告書、2006年)
『本宮町史』古代中世史料編(2002年)。

凡例

『和歌山県史』古代史料…県古
『和歌山県史』中世史料…県中
『高野山文書』(『大日本古文書』家わけ第1)…高野山
「高野山文書」のうち「続宝簡集」「又続宝簡集」「宝簡集」はそれぞれ「続宝」「又続宝」「宝」と略記する。
海津一朗編『和歌山平野における荘園遺跡の復元的研究-中世日前宮領の研究』(文部省科学研究費補助金成果報告書、2006年)…科研
『本宮町史』古代中世史料…本宮。

郷村表

伊都郡

郷(里)

賀茂、村主、指理、桑原

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
志賀(郷)☆ 伊都郡 寛弘5.10.27 1008 〔金剛峯寺帖案〕金剛峯寺帖 伊都・那賀・有多(田)三箇郡司等/可任道理糺行寺領志賀・長谷・毛無原・阿手河等郷郷雑事状、 県古1p.486
金剛峯寺雑文(弘法大師伝全集2)
伊指郷(飯降)☆
大谷郷☆
伊都郡 大治2.8.17 1127 〔紀伊国在庁官人等解案〕【指理】在庁官人[    ]/立券進 日前国懸両社御封佰弐拾壱烟代常荒田漆拾玖町事/岡崎村内弐□(拾)肆町/和太南村内参拾町/安原村内拾伍町/岡田下村内拾町‖神社仏寺御封之代、依請以所在公田内被便補者、当他普通之例也、近則熊野本宮御封十烟之代、被便補牟婁■(郡)芳益(養)村見作田伍町所当官物、金剛峯寺同封戸代去康平年中以後、便補伊都郡伊指・大谷量郷田畠三佰余町、 県古1p.906
林家文書
渋田郷☆ 伊都郡 康治1.12.18 1142 〔紀伊国司庁宣案〕庁宣 留守所/可早為大伝法院領伊都郡内渋田郷壱処也、/右件郷、田畠荒熟山野并在家等、如石手等五個御庄、永為彼御領、可停止一切他所之役也、‖斎院長官兼守源朝臣在判、 県古2p.153
根来要書上
笠田郷 伊都郡 久安2.8.25 1146 〔聖教題跋〕[明星天子法 奥]写本云、久安二年八月廿五日午剋、紀伊州遊行之次於伊都郡笠田郷源二千石宅、奉写了、‖保元元年十二月十七日、於勧修寺西明院庵室書之、住侶智海本、 県古2p.184
高山寺経蔵典籍文書目録3
天野郷☆ (伊都) 承安3.10.5 1173 〔尊慶田地売券〕謹辞 売渡進田地事/合壱段者、/在天野郷字上大門〈但院主田〉、‖僧尊慶(花押)/執筆山王院供僧慶俊(花押) 県古2p.488
金沢文庫所蔵文書
桑原ノ里 伊都郡 12C 〔今昔物語集16〕[1]【桑原】今ハ昔紀伊ノ国ノ伊都ノ郡、桑原ノ里ニ、狭屋寺ト云フ寺有リ、其ノ寺ニ住ム尼共等、有ケリ、 県古1p.101
日本古典文学大系
三谷郷☆ (伊都) 建仁3.8.- 1203 〔某下文〕下 惣神主所/可早以三谷郷荒野内令開募放生会田事、/右、件放生会田、已以成池畢、開発彼郷荒野、可令引募也、‖(花押) 県古2p.967
丹生文書
長谷郷 (伊都) 建保3.10.18 1215 〔僧明憲田畠・山地譲状〕譲与 私領田畠并山地事/合壱所者、/在長谷郷下村西之垣内、 県中2p.692
中家文書
大瀧郷☆ (伊都) 建保6.3.- 1218 〔高野山所司愁状案〕高野山所司等解 申請 将軍家裁事/請特蒙 広恩依押領当山所領不当猛悪被召下吉野山悪僧春賢処重科并搦誡野川郷民子細状、‖野川住人等、号吉野山執行春賢之沙汰、入当寺領四五里許、懸傍示札畢、‖又白昼帯弓箭、打入造東大寺上人重源建立専修往生院庵室、‖今又擬打取大瀧等郷者也、 高野山8 p.93
又続宝108
北山郷 (伊都) 弘安4.5.17 1281 〔大法師親快田地充文〕宛行 処分事/合水田半者〈河北北山郷中村内字古垣内三/下方丁町村字橋/本半 新太郎作〉‖右件田地者、先師明戒房相伝之地也、而任長帳之旨、所宛行于円勝房也、‖大法師親快 高野山4 p.697
又続宝35
五殿郷(御殿郷) 伊都郡 正応2.2.25 1289 〔紀実氏田地売券〕謹辞 売渡田地立券文事/合水田半者 加下三十歩者/在紀伊国伊都郡高野政所下方大藪村内湯屋前‖右件田地、元者紀実氏先祖相伝領掌之私領也、而今依有要用、宛直米拾斛漆斗に、限永代、四郷五殿郷住人壬生時貞売渡畢事真実也、‖紀実氏(略押)/同嫡子千松丸(略押) 高野山3 p.644
続宝68
古佐布郷☆ (伊都) 永仁6.12.20 1298 〔徳女畠地売券〕売進畠地立券文事/合在一所古佐布郷之内新堂院前者、‖右件畠地者、徳女相伝畠也、而依有要用、銭参貫捌百文、限永代、于如達御房売進事実也、‖徳女(略押)/公文(花押) 高野山4 p.701
又続宝35
小河内郷 (伊都) 嘉暦4.5.26 1329 〔僧西忍田地売券〕奉売渡 田地事/合一所者〈在紀伊国小河内郷孝良寺村字/若宮谷南〉‖右件田地者、西忍相伝之私領也、而今依有要用、直銭参貫伍百文、限永代、孝良寺薬師仏奉売渡事実也、‖西忍(花押)/嫡弟惣信(花押) 高野山6 p.299
又続宝70
山崎郷☆ (伊都) 貞和5.6.11 1349 〔高野山衆徒預所職寄進状案〕奉寄進 酒殿宮山崎郷預所職事/右当社者、天野両所之本社、朝家無双之霊神也、‖改諸衆臈次之順職、備当社報賽之懇志、限永代、至来際、正以預所公事之料足、宜致社家修理也、‖預大法師 宗遍 在判/行事入寺 重然 在判/年預阿闍梨重祐 在判 高野山5 p.432
又続宝49

年月日 西暦 原 文 出 典
家田村 伊都郡 寛弘1.9.25 1004 〔太政官符〕太政官符紀伊国司/雑事弐箇条/一応寺家地与中納言平卿(惟仲)所領庄四至内慥令住(注ヵ)進山地田畠事、‖一応任先例免除状(収イ)公寺田并三綱小綱職掌等及徭丁弐拾人臨時雑役事、‖仍本願大師、山麓伊都郡家多村建政所舎庫蔵等、 県古1p.474
金剛峯寺雑文(弘法大師伝全集2
大野村☆
長杜村(長栖村ヵ)
伊都郡 永承4.12.28 1049 〔太政官符案〕大(太)政官符民部省/応以金剛峯寺領田相博寺家政所前田并荒野永免除租税官物雑役事、‖長杜(栖ヵ)村見作田拾陸町壱段弐佰捌拾歩、‖大野村見作田玖町漆段佰拾弐(弐拾)歩、 県古1p.582
高野山7(大日本古文書)
隅田村 伊都郡 延久4.9.5 1072 〔太政官牒〕太政官牒石清水八幡宮護国寺/宮寺所所庄園参拾肆箇処事、‖紀伊国陸箇所‖壱処 字野上庄 那賀郡‖壱処 字鞆淵薗 同郡‖壱処 字隅田庄 伊都郡/水田弐拾玖町‖依去寛和二年七月廿二日牒状、国司奉免判状云、件隅田村見作田任見開数、如去年可免除正税等、 県古1p.601
石清水文書1(大日本古文書)
名古曾村☆ (伊都) 保安1.11.17 1120 〔女坂上氏田地売券〕謹辞 売渡田之事/合壱段者 字名古曾村〈十三図三里/廿五坪西副〉‖女坂上氏/僧(略押)(裏書)「源祐」/(花押)僧(略押)(裏書)「勢順」 県古1p.881
高野山3(大日本古文書)
渋田村☆ 渋田庄
(伊都
)仁平1.9.- 1151 〔大伝法院住僧等陳状〕高野山御願寺大伝法院住僧等陳申、/興福寺西金堂訴申渋田庄事、‖渋田庄者、寺僧五師大法師喜範、以康平年中所寄施入其行之仏僧供免田之也、‖五師大法師喜範等、以渋田村称相伝之私領、動寄所々之高家、雖致庄領之結構、代々国司輙無承引、適付有縁之国司、纔雖立庄号、不経幾年序、為国司被倒了、 県古2p.244
根来要書下
笠田村☆ 伊都郡 久寿2.10.20 1155 〔坂上千澄田畠譲状案〕謹 譲渡田畠等事、/合三町小者、副町畠、/在紀伊国伊都郡竺田(笠田)村者、‖散位坂上朝臣(花押) 県古2p.275
角田文衛氏所蔵文書
河北村 相賀庄
(伊都)
永暦2.4.4 1161 〔紀助房田地売券〕紀助房売進 田地事/合三段并荒少々者、/在相賀御庄河北村内、‖右件地、元者御庄建立之始、開発領掌之地也、‖紀助房 県古2p.356
高山寺文書(高山寺資料叢書)
大やふ村☆ (伊都) 仁安3.12.1 1168 〔大山行貞田畠充文〕宛行 所分長(処分帳)田畠之事/合壹段小者 金剛峯寺御庄内板やかき内大やふ村‖右件畠、元大山行貞地也、而嫡為、大山国貞ニ限永代、所分わたす、‖大山行貞(略押) 高野山3 p.467
続宝66
揖里村☆ (伊都) 治承1.9.5 1177 〔信兼田地売券〕【指理】謹辞 売渡田券文事/合壱段者、‖在字揖里村田野田者、‖僧信兼、 県古2p.521
高野山6(大日本古文書)
山田村☆ 金剛峯寺御庄 治承3.7.25 1179 〔坂上久寿田地売券〕謹辞 売渡田地券文事、/合弐段大者、字金剛峯寺御庄山田村田中垣内‖右件田地者、坂上久寿か先祖相伝領也、而為慈父孝養、限直米漆石、坂上中子永売渡了、‖坂上(略押) 県古2p.557
『早稲田大学所蔵荻野研究室収集文書』上
大谷村☆ 伊都郡 文治5.3.16 1189 〔僧某田地相博状〕謹辞 贊(替)渡水田立券文事/合壱段陸拾歩者、/在紀伊国伊都郡高野山御領大谷村〈字壇上〉今依水田壱段半、限永年淡田運智相博畢、‖僧(花押) 県古2p.757
『早稲田大学所蔵荻野研究室収集文書』上
三谷村☆ (伊都) 建久8.9.21 1198 〔阿弖河荘地頭披陳状并頼聖具書案〕庄者、三代将軍御下文明鏡之間、貞応・嘉禄之比、不及其御沙汰者也、当庄地頭職無動転事、弥令露顕了、‖一 縁起中心不知行所々事‖岩野河村〈毘沙門堂領 地頭得田兵衛入道跡〉‖一 三谷村 高野山6 p.442
又続宝78
不死原村☆(伏原村) (伊都) 建永2.3.- 1207 〔勢得田地宛行状〕謹辞 宛行処分田地事/合壱所者、〈在高野政所河北方不死(原脱ヵ)村字南河原〉‖僧勢得(略押)/僧随得(略押)/僧禅覚(花押) 県古2 p.1042
高野山3(大日本古文書)
下村 長谷郷
(伊都)
建保3.10.18 1215 〔僧明憲田畠・山地譲状〕譲与 私領田畠并山地事/合壱所者、/在長谷郷下村西之垣内、 県中2p.692
中家文書
丁町村☆ 伊都郡 承久2.10.26 1220 〔林常貞田地売券〕謹辞 売渡田地新券文事/合壹段者/在紀伊国伊都郡丁町村〈字尻家田但姉相共/売所妙白也〉‖右件田地者、林常貞先祖相伝私領也、而今依有直要用、乃米拾斛肆斗、限永代増福売渡進畢、‖林常貞(略押)/嫡子常道(略押) 高野山3 p.605
続宝68
西揖里村☆ 伊都郡 承久3.2.21 1221 〔大法師実鑁御影堂供料田寄進状〕【指理】御影堂/奉施入 水田参段/一段 在紀伊国伊都郡西揖里村字西垣内〈於本券者、在真言堂経/蔵、依例不放之〉/二段 在同国同郡揖里字畑谷池尻北坪西縄本‖右施入之志趣者、以此三段水田、付三人預、以毎年所済之地利、為令備長日不断之浄供也、‖大法師実鑁(花押) 高野山5 p.431
又続宝49
禿村☆ (伊都) 文暦2.11.20 1235 〔源定田地売券〕売渡 田地事/合壹段者/在高野山政所河南方禿村字出口‖右件田地者、故財音之相伝領掌之真地也、而去承久二年冬、為強盗被殺害之剋、券契等皆以被盗取了、仍立紛失状、取三方執行并在地村人等之連暑(署)連判為証文、‖然而依有要用、‖限永代売渡于洛刃房了、‖源定(花押) 高野山3 p.617
続宝68
市原村 (伊都) 嘉禎4.4.10 1238 〔僧実俊田地売券〕謹辞 奉売渡田地事/合壱段半者〈字市原村黒谷尻〉‖右件田地者、僧実俊先祖相伝領掌地也、而依有要用、乃米参斛銭八百文、限永代、快珍房奉売渡畢、‖僧実俊(花押) 高野山5 p.37
又続宝36
桑野村 (伊都) 建長1.5.21 1249 〔大法師道空田地充文〕宛行 処分田地事/合壱段者〈在高野政所下方/桑野村陵田〉‖右件田地者故親父大夫殿相伝私領也、而為訪後生、宛行之文信房畢、‖大法師道空(花押) 高野山5 p.396
又続宝48
久戸山村☆ 伊都郡 弘長1.11.29 1261 〔増万田地売券〕売渡 田地事/合捌拾歩者/在紀州伊都郡政所久戸山村之内〈字裏谷〉‖右田地者増万相伝之私領也、而今依有要用、直米貮石〈官省符/供田斗定〉、限永代、売渡于菊楽房畢、‖増万(略押)/嫡子法師丸(略押) 高野山6 p.314
又続宝70
清水村☆ 伊都郡 文永1.12.21 1264 〔紀太子田地売券〕謹辞 売渡水田券文/合田三佰歩者、/在紀伊国伊都郡高野政所河北清水村字古川‖右件田者、記(紀)太子先祖相伝地也、而今依有用要、直乃米四石ニ限永代、紀三子売渡奉実也、‖記(紀)太子(略押)/勝楠(略押) 高野山3 p.526
続宝66
久住村 (伊都) 文永8.5.3 1271 〔入寺宗誓御影堂水田寄進状〕敬白 奉寄進御影堂水田事/合壱段者/在金剛峯寺御領河北方久住村字堀越‖入寺宗誓〈敬白〉(裏花押) 高野山2 p.163
続宝4
桑原村 (伊都) 文永8.5.6 1271 〔入寺宗誓田地売券〕【桑原】謹辞 売渡進田地立券文事/合壹段者/在金剛峯寺御領政所下方桑原村広田井々戸字綾田‖右件田地者、宗誓相伝之私領也、而依有要用、宛直米壹斛伍斗、限永代売渡進浄陽房畢、‖入寺宗誓(花押) 高野山5 p.46
又続宝36
北山中村 (伊都) 文永9.10.10 1272 〔入寺道慶御影堂陀羅尼田寄進状〕奉寄進 御影堂田地事/合壱段者/在政所河北方北山中村内檜懸壹段〈作人久住之/正介〉‖右件田地者顕信房相伝私領也、然今去九月六日夜、被不慮殺害畢、而有存日時寄進之志、其上无一人子息、‖所寄進於御影堂陀羅尼田実也、‖入寺道慶(花押) 高野山5 p.421
又続宝49
田原村☆ (伊都) 文永10.10.22 1273 〔我観房遺領等処分田畠注進状〕注進 田畠事/合/一 我観房遺領琳道房文‖竹原一所 在田原村‖右注進如件、 高野山5 p.486
又続宝50
入町村 (伊都) 弘安2.8.21 1279 〔僧力一御影堂灯炉料畠寄進状〕奉寄進 御影堂石灯籠夜灯料畠事/合大者〈在金剛峯寺御領政所河北方入町村字旧川/本券貮通副之〉‖為普抜済普利益、所奉寄進之状如件、‖僧力一(略押) 高野山3 p.424
続宝64
中村 伊都) 弘安3.11.- 1280 〔隅田北荘検田目録案〕注進 隅田北御庄内中村 弘安三年検田目録事/合/惣田数三十五丁一段半五十歩内‖残定得田九丁四反/分米二十七石四斗四升八合/都合米三十一石二斗二升一合/右注進如件、 県中1p.49
隅田家文書
北山村 (伊都) 弘安8.2.5 1285 〔了性房忌日田配置状〕配置 忌日田事/合半者/在高野政所北山村サカ谷‖右件地者、故了性房忌日田也、永代彼忌日用途、所配置之状如件、‖影蓮(花押)/覚雅(花押) 高野山3 p.545
続宝66
下村 隅田庄
(伊都
)弘安8.6.17 1285 〔北条業時下知状〕隅田庄八幡宮放生会舞用途弐拾貫<中村十貫/下村一貫>文事、‖毎年無懈怠、可致其沙汰、 県中1p.4
隅田八幡神社文書
佐賀村 (伊都) 弘安11.1.29 1288 〔松若田地売券〕奉売渡 田地事/合大者〈在金剛峯寺御領政所河北方佐賀村内/字久美瀬北水口大也〉‖右件田地者、松若先祖相伝之私領也、而今依為要用、ノ能米陸石伍斗、限永代、奉売渡于観真房事実也、‖松若(略押) 高野山3 p.499
続宝66
小田村☆ (伊都) 正応2.12.- 1289 〔比丘尼法阿弥陀仏御影堂陀羅尼田畠寄進状〕奉寄進 田畠事/合壱段半畠壱段者/在金剛峯寺領河北方小田村〈字義細原〉‖為滅罪生善頓証菩提、永以所奉寄進于高野山大師御影堂也、‖比丘尼(花押) 高野山2 p.143
続宝3
柏原村☆ 伊都郡 正応2.11.- 1289 〔藤原行房田畠売渡状〕売渡 田畠事/合田大、畠小者、<在字柏原村>/四至有本券<在紀伊国伊都郡相賀庄密厳院之/御領河北柏原村>、 県中1p.269
西光寺文書
桑原野村 (伊都) 永仁4.7.21 1296 〔入寺道弁御影堂陀羅尼畠地寄進状〕寄進 御影堂陀羅尼畠地事/合壱段者〈作人大谷住人行力〉/在官省符下方桑原野村之内字川部‖右件寄進志者、為善通寺々僧故祐真律円房出離生死頓証菩提、‖所奉寄進御影堂陀羅尼衆‖入寺道弁(花押) 高野山2 p.228
続宝6
調田村
紺野村
(伊都) 乾元2.2.29 1303 〔未入支配帳御影堂陀羅尼田注文〕御影堂陀羅尼田近年寄進未入支配帳田地事/壱段〈金善寄進〉〈政所紺野村内字大浮気/在本券〈定田八斗/作人一能〉紺野住人〉‖大〈良月房寄進〉〈在官省符下方調田村字/内島田 在本券九通 定田五斗/嘉元々年十月十三日〉 高野山2 p.141
続宝3
孝良寺村☆ (伊都) 嘉元2.2.24 1304 〔孝良寺村国安田地売券〕ウリワタシマイラセ候田事/合一所〈在小河内教良寺村字ワカ宮谷南〉‖右件田者、国安サウテムノシリヤウナリ、而今依有要用、直銭五貫五百文、限永代せムチヤウ并西忍ハウニ売ワタシ進候事実正也、‖教良寺村国安(略押)/チヤクシコム太郎(略押) 高野山3 p.480
続宝66
柏木村☆ (伊都) 嘉元3.1.16 1305 〔僧得万田地売券〕売渡奉田地立券文事/合水田四十歩〈字政所下方柏木村内/四郎行事垣内下勢王作〉‖右件田地之元者、僧徳(ママ)万之先祖相伝之私領也、而今依有要用、直物銭文伍佰文に、限永代、次郎トノニ売渡奉じ実也、‖得万(略押) 高野山5 p.63
又続宝36
上村 (伊都) 徳治2.2.8 1307 〔信正名田注進状案〕注進 上村内五郎兵衛入道殿御名田宮□(丸)分/合 公田参町七段<有御社用/有御年貢>/在家一宇 畠一反 田一段半□□‖右注進也、如件、 県中1p.126
葛原家文書
下方村 (伊都) 徳治2.10.17 1307 〔僧頼憲田地充文〕宛行 処分水田事/合壹段者〈在金剛峯寺御領/政所下方村字黒谷尻〉‖右件水田者、任先師遺言之旨、宛行于覚義房処也、‖頼憲(花押) 高野山5 p.552
又続宝52
北山栢木村(柏木村)☆ (伊都) 正和4.3.16 1315 〔藤原重信御影堂陀羅尼田寄進状〕奉寄進 御影堂陀羅尼田事/合壹所者〈在高野政所下方北山栢木村/字四郎行事垣内〈作人惣与入道/有麦〉‖右田地者、藤原重信〈字次郎〉売買相伝私領也、而所奉寄進于御影堂也、‖藤原重信(花押) 高野山2 p.227
続宝6
妙寺村☆ (伊都) 正和4.4.27 1315 〔道宗畠地売渡状〕売渡 畠事/合参百歩者、〈在高野政所下方妙寺村/字小井嶋>/依有要用、直銭伍貫文仁限永代、所売渡于馬次郎実也、 県中2p.1025
飛見家文書
東揖里村☆ (伊都) 文保3.3.14 1319 〔入寺行宝田地充文〕【指理】宛行 処分田地事/合大者〈在官省符下方東揖里村/字田井田〉/右田地者、任先師信教阿闍梨長帳之旨、所宛行于聖眼房之状如件、‖入寺行宝(花押) 高野山4 p.719
又続宝35
中揖里村☆ (伊都) 元亨2.4.21 1322 〔大法師長範御影堂陀羅尼田寄進状〕【指理】奉寄進御影堂陀羅尼田事/合壹分者〈在官省符中揖里村字前田/作人得行定田米伍斗并大麦/伍斗在之矣水戸守同寄進之〉/右意趣者、長範為後生菩提、所奉寄進也、‖大法師長範(花押) 高野山2 p.218
続宝6
島村☆ 相賀庄
(伊都)
嘉暦2.5.7 1327 〔千楠田地売券〕売渡 地事/合一所者/在相賀庄島村之内古垣内‖右件田地者、千楠相伝私領也、而今依有要用、直銭六貫伍(百脱ヵ)文、限永代所売渡于善性房実也、‖千楠(花押) 高野山4 p.735
又続宝35
タワ村 相賀庄
(伊都)
元弘1.12.- 1331 〔沙弥行仏田地売渡状〕売渡 田地立券文事/合小田者、/在記(紀)伊国伊都郡相賀庄河北タワ村内字小田、‖仍為後日沙汰、放新之券状、如件、 県中1p.272
西光寺文書
シヤウフ谷村☆ 相賀庄
(伊都)
元弘3.11.22 1333 〔紀千松女田地売渡状〕売渡 田地立券文事/合水田大者、/在紀伊国相賀庄河北シヤウフ(菖蒲)谷村内字/字(衍)タワノカキ内/後日為本券三通ソエテ新券状如件、 県中1p.273
西光寺文書
北村 (伊都) 延元2.5.25 1337 〔西道垣内畠売渡状〕売渡進 垣内畠新立券文事/合壱所者、〈本号六十歩〉・在六ヶ郷内上天野字北村定妙房カ畠ノ上‖依有要用、直銭伍貫文、限永代、馬場末十念御房ニ奉売渡事実也、 県中2 p.1025
飛見家文書
コソウノムラ(古佐布村)☆ (伊都) 延元2.3.26 1337 〔古佐布郷彦二郎加地子銭借券〕マウシウクルカチシせニノコト/合伍貫文者/右件カチシせニワ、アイネムニ、壹貫文ヘチニ二斗ツヽノヨネヲケヽ(結解)シ候テ、タシカニナシマイラせ候ヘシ、サシタテマツルシチモチアリ、コソウ(古佐布)ノムラアサナハヽノヒコシラウカカキウチ(垣内)一ソ(所)‖コソウノヒコシラウサタユキ(花押) 高野山6 p.280
又続宝70
兄井村☆ 三谷郷
(伊都)
正平9.1.17 1346 〔快実田地売券〕売渡 田地立券文事/合壹所者〈在三谷郷内兄伊村/字菖蒲田源四郎入道作〉/右件田地者、快実先祖相伝之私領也、而今依有要用、直銭拾貫文ニ、限永代琳宗房売渡事実也、‖快実(花押) 高野山3 p.633
続宝68
西平原村☆ (伊都) 観応2.3.21 1351 〔阿闍梨祐然御影堂陀羅尼田寄進状〕奉寄進 御影堂陀羅尼田事/合壹段者〈在高野政所下方西平原村/字西谷〉‖右、為現世安穏後生善処、永代奉寄進于御影堂也、‖阿闍梨祐然(花押) 高野山2 p.200
続宝5
新村☆ 花園庄
(伊都)
正平14.12.17 1359 〔花園下荘預所下知状〕□知/□薗下庄内新村故平六左□(衛)□□家尼公藤内男罪科之□□□実雖被罪科、 県中2p.793
中南区有文書
花坂村☆ (伊都) 正平22.12.8 1367 〔志賀郷并鼻坂村在家取帳〕志賀郷在家取帳‖已上志賀郷在家三十六宇歟‖鼻坂村在家取帳/一宇 熊太郎 一宇 又次郎‖已上鼻坂村在家三十一宇歟‖大法師永範(花押)/預所行算(花押)/阿闍梨宗算(花押)/阿闍梨快祐(花押) 高野山8 p.452
又続宝135
市脇村☆
小原田村☆
慶賀野村☆
小佐田村☆
神野々村☆
胡麻生村☆
辻村☆
妻村☆
出塔村☆
東家村☆
野村☆
橋谷村☆
柱本村☆
畑村☆
馬場村☆
細川村☆
向馬場村☆
向添村☆
矢蔵脇村☆
横座村☆
相賀庄
(伊都)
正平年中 1370 〔相賀惣社大明神神事帳写〕相賀庄惣社三部大明神神事帳写/寺社内外年中行事‖次ニ神配‖一、三斗五升 御幣 市脇村ヨリ/一、弐斗五升 御幣 東家村ヨリ、/一、壱斗 同 小佐田村/一、五升 同 妻村/一、壱斗 同 馬場村/一、三斗 同 胡麻生村/一、壱斗 同 細川村/一、弐斗五升 同 橋谷村/一、五升 同 慶賀野村/一、壱斗 同 柱本村/一、五升 同 矢倉脇村/一、壱斗 同 辻村/一、壱斗 同 小原田村/一、五升 同 菖蒲谷村/一、壱斗 同 出塔村/一、弐斗五升 同 柏原村/一、壱斗 同 神野々村/一、壱斗 同 野村/一、弐斗五升 同 禿童村/一、壱斗 向馬場村/一、五升 同 畑村/一、弐斗五升 同 清水村/一、弐斗 同 向添村/一、五升 同 横座村、 県中1p.323
相賀大神社文書
栗栖川村 (伊都) 文中3.8.25 1374 〔法印了算御教書案〕□□ 栗栖川村宛状事/右件栗栖川村者、雖為下庄□、自往古、下司後地トシテ知行□(無)相違者也、然間、任親父□□(状)、□向後者、可為眼惣房□□□(之知行)之由、所候也、仍執□□□(達如件)、 県中2p.796
中南区有文書
結縁寺村 (伊都) 天授4.10.21 1378 〔孫四郎畠地売渡状〕去渡 畠地事/合畠小者、〈在高野政所結縁寺村字大御門、/片子米二斗、麦一斗五升〉‖年々加地子ノ子ヲナサヽルニヨテ、彼ノ畠ヲ定龍御房ニサりわタシタテマツルモノナリ、 県中2 p.1028
飛見家文書
芋生村☆ 隅田庄
(伊都
)明徳4.6.- 1393 〔芋生村東光寺供僧職補任状〕補任/隅田庄苧(芋)生村東光寺供僧職/合壱口 供料畠壱段/右依国方仰、長円房所令補彼職也、 県中1 p.55
隅田家文書
丹生河村☆
畑山村
(伊都) 応永1.11.21 1394 〔官省符河南方田数目録〕政所南方田数目録‖一 久戸山村分‖一 結縁寺村分‖一 丹生河村分‖一 畑山村禿同‖都合田畠在家下地現作/四十六町六反卌歩/都合田畠荒二十五町一反九十歩 高野山7 p.368
又続宝92
佐賀谷村☆
佐野村☆
西島村
東柏木村☆
平原村☆
広野村☆
短野村☆
(伊都) 応永1.12.28 1394 〔政所下方在家垣内田数帳〕政所下方在家帳垣内内田数事/合/一田井田 中伊揖里 西伊揖里 三村ノ分/垣内田 以上八十歩/一市原村 無/一丁町村 無‖一佐野村垣内田 半七十歩/一佐賀谷村 無‖一短野村垣内田 六十歩/一井出 広野村 無/一東柏木村垣内田 一反小卅歩‖一平原村 無/一河南丹生河村 無/一結縁寺村垣内田 四十歩/一西島村 無/以上下方在家垣内田数六段半卅歩〈加山郷河南定〉 高野山4 p.179
又続宝17
中村☆ (伊都) 応永2.-.- 1395 〔官省符上方田数目録〕官省符 上方田数目録‖一 那古曽村‖一 不死原村‖一 紺野村‖一 田原村‖一 中村 高野山7 p.342
又続宝92
中南村☆ 花園
(伊都)
応永8.2.1 1401 〔源成頼母子契状〕   ]□(禅)房勧五□□行請人方へ□□申候質物事、合一所、‖右件ノ御質物、在所ハ花薗中南村字クホノ畠ト申候、‖源成(花押) 県中2p.810
中南区有文書
たるいの村(垂井村) ☆ 隅田
(伊都)
応永11.10.15 1404 〔尾崎入道かくもん田地寄進状〕隅田たるいの御堂/奉きしん、田大者、<あさなたるいの村内ゆやかいと/壱所内南方> 県中1p.13
隅田八幡神社文書
中村 志富田庄
(伊都)
応永15.10.27 1408 〔志富田荘在家支配帳〕志富田庄在家支配‖支配‖名山‖小谷‖中村 高野山6p.1
又続宝58
志賀村☆ (伊都) 応永29.-.- 1422 〔志賀村公方役書上〕応永廿九年/しかの村(志賀村) 公方厄(役)の事、但次第不同、/一りんしの京上一 六月十四日/一ふろの才(材)木 うつはり一し 板二枚ニ杣人三人 大野へ持夫四人 高野山8 p.443
又続宝133
中田村
長谷村
小川庄
(伊都)
応永32.5.26 1425 〔天野社一切経会段米納日記〕天野社一切経会段米諸庄納日記‖一名手庄内/参斗一升 西村 貮斗伍升二合 中村/陸斗貮升 野神村 陸斗壹升三合 馬ヤト村/貮斗四升一合 大川村/合貮斛参升六合五村分‖六箇七郷内/一参斗四升九合一勺 天野郷 一斗七升 星川村/貮斗五升四合 三谷郷 貮斗陸升五合六勺 小河内郷/肆斗陸升 長谷郷 貮斗 志賀郷/壹斗壹升 ハナ坂村‖一小川庄内/貮斗壹升 中田村 三升/長谷村‖一安楽川庄内/参斗伍升 コウノ村 一斗六升 コウ田村/貮斗九升 上ノヽ村 参斗 野タン原/壹斗参升 大原 北郷内‖一三ヶ庄内 神野庄‖壹斗伍升五合 正友名下村 高野山4 p.445
又続宝29
霜草村☆ 伊都郡 応永33.3.- 1426 〔政所一族中連署田地寄進状〕奉寄進 水田之事/合壱段者、/在紀伊国伊都郡隅田庄霜草村内字土橋裏、 県中1p.13
隅田八幡神社文書
中柏木村☆ (伊都) 応永年間 1427 〔官省符下方畠在家帳目安〕政所下方畠帳并在家‖一 丁町村分‖一 市原村分‖一 大谷村分‖一 東柏木村分‖一 中柏木村分‖一 市原村嶋ノ新畠分 高野山7 p.371
又続宝92
ひくちの村 (伊都) 文安1.6.- 1444 〔大宗・長慶連署畠地売渡状案〕うりわたすはたけの事/合半者、/ありきいのくにいとのこをりすたきたのしやう(在紀伊国伊都郡隅田北荘)ひくちのむらのうち、あさな<おにし/はたけ> 県中1p.73
隅田家文書
さかいはらのむら(境原村) ☆ 伊都郡 宝徳3.11.4 1451 〔境原忠秀・忠次連署在所売渡状〕うりわたす/きのくにいとのこおりすだきたのしやうの(紀伊国伊都郡隅田北荘)内さかいはらのむら(境原村)の事、 県中1p.191
葛原家文書
西柏木村☆ (伊都) 宝徳3.2.16 1451 〔東柏木孫太郎田地売渡状〕売渡田地事/合百歩者、〈在政所下方西柏木村、〉/四至〈限東道定、限南地蔵堂下地、/限西観音堂下地、限北観音堂下地、〉/右件田地者、雖為孫太郎先祖相伝私領、而今依有要用、直銭参貫文仁、永代遍明院々主信禅房仁売渡処実也、‖宝徳三年〈辛/未〉二月十六日 東柏木/孫太郎(花押) 県中2 p.1036
飛見家文書
ひらのゝむら(平野村) ☆ 伊都郡 宝徳3.10.2 1451 〔中嶋正秀田畠売渡状〕うりわたす、なか地(永地)の事、/合 田畠のかすハ明かんのゆつり状ニあり、/右かのさいしよハ、きのくに(紀伊国)いとのこおり(いとぐん)す田(隅田)きたのしやうの内、ひらのゝむらの内、 県中1p.190
葛原家文書
アカツカムラ(赤塚村) ☆
コウせムラ(河瀬村) ☆
山内下村☆
(伊都) 明応1.3.7 1492 〔芋生氏知行分長帳〕イモウフン(芋生分)長チヤウ(帳)‖ミチソイ/大 上米出る、山内下ムラニアリ‖コウせムラ(河瀬村)/キノカイト/一反小 上米・クシせン出る‖アカツカムラ分/ハナヲリ/一反 上米・クシせンイツル、 県中1p.253
芋生家文書
田井田村 (伊都) 15C 〔官省符下方并河南二村里坊々免除帳〕政所下方并河南二村里坊々免除張(帳)/田井田村 二宇‖中伊揖里村 一宇‖西伊揖里村 四宇‖市原村 一宇‖丁町村 六宇‖大藪村 三宇‖大谷村 十宇‖佐野村 六宇‖中柏木 三宇‖東柏木 四宇‖短野 一宇‖河南 丹生川村 二宇‖結縁寺 五宇‖已上五十一宇 高野山7 p.334
又続宝91
名蔵村☆ (伊都) 15C 〔諸供領臈次番付書〕九臈‖下方大藪村想阿弥陀仏寄進五反内‖新加名手西村一反 空仙房寄進‖廿七臈‖新加荒川庄高田村字谷口百廿歩 作人惣一/道印寄進百十七臈‖荒河庄黒河村寺前一反定田四斗麦二斗当作人随仏黒河住人尼公持蓮寄進作人小行事黒川住人‖百廿三臈‖荒河上野村仏土寺前小田原能念房寄進‖百廿四臈‖政所河北方大野村前廿四坪‖百八十一臈‖名手庄野上村大検校垣内尻比丘尼教心寄進、‖二百十一臈‖麻生津庄内中村字旧田一反〈在麦〉‖二百廿臈‖真国庄内中村水田三百歩‖二百廿三臈‖政所河北名蔵村字豊和田一反‖二百五十二臈 野上庄屋敷一所‖寺中村是恒名作人万歳 大輔房没収地 当作人下司所‖二百五十五臈 野上庄中村三反内一反公文名‖三百九臈‖官省符河南村之内水田一反‖三百七十七臈 神野庄内箕六村字上垣内一所定田六斗 高野山8 p.466
又続宝137
吉原村☆ (伊都) 15C 〔官省符上方坊免里坊注文〕諸院家坊免里坊注文/一 大野村 二宇‖一 清水村 一宇‖一 小田村 一宇‖一 不死原村 二宇内‖一 紺野村 五宇内‖一 山田村 八宇‖一 吉原村 四宇内   高野山7 p.332
又続宝91
中嶋村☆ (伊都) 天正18.3.11 1590 〔興山上人応其書状案〕当地池之堤、早速ニ出来珍重候、然者無比類地景之条、善如(女)竜王奉勧請候、随而拙僧石塔を彼堤上ニ為各自分之志被立置候者、末代可為五穀成就存候、并高蒲之池ハ中嶋ムラ西野へ可懸之間、皆々可得其意候、 県中1p.37
隅田家文書

那賀郡

郷(里)

石手、橋門、那賀、荒川、山埼、埴埼

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
荒川郷 那名郡
(那賀)
天平17.9.21 745 〔優婆塞貢進文〕【荒川】日置造石足〈年十九/紀伊国那名郡荒川郷戸主日置造白麻呂戸口〉/天平十七年九月廿一日/「了」(異筆) 県古1p.92
大日本古文書(編年)25
那賀郷 (那賀) 天平29.4.25 748 〔写書所解〕【那賀】写書所解 申願出家人事/合廿八人‖大伴連蓑万呂〈年廿九 労三年/紀伊国那賀郷戸主大伴連伯万呂戸口〉‖天平廿年四月廿五日阿刀酒主/伊福マ男依/志斐麻呂 県古1p.99
正倉院文書(続修28)
賀美里 (那賀) 8C 〔平城宮跡出土木簡〕荒河郷酒米五斗/賀美里 県古1p.111
平城宮跡出土木簡
山前郷☆ 那賀郡 承和12.12.5 845 〔那賀郡司解〕【山埼】那賀郡司解 申佰姓常地売買墾田并野地池山等立券文事、/合弐拾漆町参段陸拾歩、〈並在山前郷狛村大緑野并萩原村野田等〉、 県古1p.263
平安遺文
弥気里☆ 那賀郡 9C 〔日本霊異記 下〕沙弥信行者、紀伊国那賀郡弥気里人、俗姓大伴連祖是也、 県古1p.129
名手郷 那賀郡 正暦5.12.28 994 〔太政官符案〕□(太)政官符/応免除粉河寺所領鎌順(垣)東西四至内万雑役等事/在那賀郡名手郷/四至〈限東水无河、限南大河南山峯、/限西風杜并門河、限北横峯〉 県古1p.441
高野山正智院文書
毛無原(毛原)郷
那賀 寛弘5.10.27 1008 〔金剛峯寺帖案〕金剛峯寺帖 伊都・那賀・有多(田)三箇郡司等/可任道理糺行寺領志賀・長谷・毛無原・阿手河等郷郷雑事状、 県古1p.486
金剛峯寺雑文(弘法大師伝全集2
真国郷 (那賀) 建仁2.1.29 1202 〔僧頂印名地譲状〕譲与 真国郷内是枝名地証文事/右件名地者、従領家侍従大納言殿、先師証空証人所宛給也、‖頂印(花押) 高野山6 p.300
又続宝70
猿河郷 (那賀) 建長6.9.- 1254 〔紀伊国猿河郷惣刀禰平実茂請文〕平実茂請申/不可猿河郷務間為山上山下致比例非法事、/右当郷惣刀禰職者、実茂重代之所職也、而先年之比、聊依有子細、庄民訴申之間、自寺家被召上件職畢、然而今度蒙衆徒之御寛宥、令還補本職者、自今以後全不可行比例非法、‖平実茂(花押) 高野山1 p.217
宝16
神野郷 (那賀) 建長6.9.7 1254 〔紀伊国神野郷惣刀禰平家氏請文〕平家氏請申/不可神野郷務間、為山上山下致比例非法事、/右当郷惣刀禰職者、家氏重代之所職也、而先年之比、親父〈蓮願〉知行之時、聊依有子細、庄民訴申之間、自寺家被召上件職畢、然而今度蒙衆徒之御寛宥、令還補本職者、自今以後全不可行比例非法、‖平家氏(花押) 高野山1 p.219
宝16
野田原郷☆ (那賀) 嘉元2.12.8 1304 〔僧重円田地売券〕奉売渡 田地事/合壹段者〈在荒川庄内野田原郷中/字南垣内〉/右件田地者、重円先師相伝之私領也、而今依有要用、直銭陸貫伍佰文仁、限永代所奉売渡于教善房也、‖重円(花押) 高野山3 p.458
続宝65
小川郷☆
北郷
那賀) 応永32.5.26 1425 〔天野社一切経会段米納日記〕天野社一切経会段米諸庄納日記‖一名手庄内/参斗一升 西村 貮斗伍升二合 中村/陸斗貮升 野神村 陸斗壹升三合 馬ヤト村/貮斗四升一合 大川村/合貮斛参升六合五村分‖六箇七郷内/一参斗四升九合一勺 天野郷 一斗七升 星川村/貮斗五升四合 三谷郷 貮斗陸升五合六勺 小河内郷/肆斗陸升 長谷郷 貮斗 志賀郷/壹斗壹升 ハナ坂村‖一小川庄内/貮斗壹升 中田村 三升/長谷村‖一安楽川庄内/参斗伍升 コウノ村 一斗六升 コウ田村/貮斗九升 上ノヽ村 参斗 野タン原/壹斗参升 大原 北郷内‖一三ヶ庄内 神野庄‖壹斗伍升五合 正友名下村 高野山4 p.444
又続宝29

年月日 西暦 原 文 出 典
狛村 那賀郡 承和12.12.5 845 〔那賀郡司解〕那賀郡司解 申佰姓常地売買墾田并野地池山等立券文事、/合弐拾漆町参段陸拾歩、〈並在山前郷狛村大緑野并萩原村野田等〉、 県古1
p.263
萩原村 那賀郡 承和12.12.5 845 〔那賀郡司解〕那賀郡司解 申佰姓常地売買墾田并野地池山等立券文事、/合弐拾漆町参段陸拾歩、〈並在山前郷狛村大緑野并萩原村野田等〉、 県古1
p.263
鎌垣東村
鎌垣西村
那賀郡 正暦2.11.28 991 〔太政官符写〕大政官符 紀伊国司/応免除粉河寺所領鎌垣東西村四至内雑役等事、/在那賀郡/四至〈東限椎尾水無川弁才天、南限南山峰、/西限風社柴尾門川弁才天、北限横峰〉 県古1p.435
興国寺文書
名陵村
土埼村☆
那賀郡 (長徳4.-.-) 998 〔東大寺諸庄園田地注文定〕【埴埼】封戸廿一箇国 二千七百戸‖紀伊国/那賀・名草両郡十二町九段廿歩〈二月十六日最勝王経料金〉/那賀郡三毛庄田七町八段二百十六歩/常荒・河成四町二百十六歩/同郡名陵村田三町七段八十歩〈内竪読経料〉/同郡土埼村田十二町九段十四歩、 県古1p.457
東大寺要録6
荒田村 那賀郡 長久2.3.- 1041 〔紀利延寄進状写〕長久二年寄進状 弘田/長久二年三月日那賀郡紀利延等申寄進御領事、/一処 在河南院荒田村字弘田庄/四至〈限東幡尾登大道、限西名陵村堺、/限南三毛村堺、限北青山横峯〉 県古1p.531
根来要書上
三毛村☆ 那賀郡 長久2.3.- 1041 〔名草郡郡許院収納米帳進未勘文〕郡許院収納所解申注進永承三年収納米帳進未進勘文事、‖和佐村廿束 同仲村十束 安居村十一束五巴 有真村十四束/□□下村十束 津秦村十束 〓(クサカンムリ+解=トコロ)津村七束一巴 辛海村六束/楠見上村廿一束六巴 同下村十三束二巴 県古1p.531
根来要書上
名手村 那賀郡 嘉承2.1.25 1107 〔官宣旨案〕左弁官下 紀伊国金剛峯寺/応以管那賀郡河北字名手村田畠地利、永宛大塔仏聖灯油料事、‖右得彼国在庁官人等去年十二月日注文‖、当国者管七箇郡也、所謂伊都・那河(賀)・名草・海郡(部)・在田・日高・牟婁等是也、件七箇郡内、至于牟婁・日高・海郡(部)・在田・伊都・那河(賀)六箇郡者、毎郡十分之八九、已為庄領、公地不幾、‖就中伊都・那河(賀)両郡中、十分之九已為庄領、僅所残一両村也、件一両村、被奉免除者、当国内至伊都・那河両郡者、永可削其名字歟者、件村村子細、依御庁宣、粗勒在状言上如件、 県古1p.807
高野山文書4(大日本古文書)
石手村
岡田村☆
市村
那賀郡 大治1.7.- 1126 〔平為里私領寄進状案〕【石手】奉寄/私領壱処事/在紀伊国那賀郡河南院〈字石手村〉/四至〈限東岡田村西堺并沼田畠 限南大河/限西市村東堺 限北弘田庄南境〉 県古1p.902
根来要書上
畠井村 那賀郡 長承1.10.30 1132 〔鳥羽院庁牒案〕院庁牒 紀伊国衙/欲被任散位平光昌并僧慶義等寄文公験旨、国使相共立券言上、御願寺大伝法院領庄壱処事、/在管那賀郡河南院字山前郷内、副下参箇村調度文書等、畠井・(村脱ヵ)/四至〈限東三宅(毛歟)三河出合、限南大河并添船戸北甲、/限西市堺、限北弘田南稲庭南并葛木峯〉/名陵村/四至〈限東弘田庄、限南畠井村并市、/限北阿保峯、/限西吉田庄并公郷、/市村/四至〈限東兼川三箇河落合、限南古名草堰并小倉北古川、限北弘田庄南夾地五坪鮎谷北山、限西伏田并三里八坪西縄〉‖主典代主計助兼隠岐守大江朝臣(行重ヵ)在判、/別当大納言権治部卿中宮大夫朝臣(能俊) 県古2p.25
根来要書上
石走村
猿川村
神野村
神野真国庄
(那賀)
康治2.5.20 1143 〔神野・真国庄絵図〕 石走村‖猿川村‖神野村 県古2p.158
神護寺所蔵
佐々小河村☆ (那賀) 保元2.5.28 1157 〔官宣旨抜書〕左弁官下紀伊国/雑事参箇条/一応同免除鳥羽院御領同郡内神野真国庄事、‖去康治元年十二月所寄進鳥羽院庁也、以其地利米拾斛、毎年可弁進高野山云々、可為不輸租田、永不可入国使之由、所被成庁御下文、‖但神野西方佐々小河西峯云々、而依石清水宮領野上庄相論、以廻依為堺、可除佐々小河村野旨、同被載庁御下文、‖大史小槻宿禰在判 高野山8p.383
又続宝129
長田上村☆
長田下村☆
神前村
那賀郡 平治1.5.- 1159 〔紀伊国司庁宣〕庁宣 留守所/可早為栄山寺領那賀郡名手郷長田上・同下・神前参箇村字東屋庄事、/右件庄者、寺家根本領也、早任宣旨状、如元為彼寺領、可令領掌之状、所宣如件、‖防鴨河使左衛門権佐兼守皇后宮大進藤原朝臣(花押)(頼憲) 県古2p.326
陽明文庫所蔵文書
野田原村 荒河庄
(那賀)
嘉応1.10.18 1169 〔阿保行宗田地荒野譲状〕譲与 田地荒野事/在金剛峯寺御領荒河御庄内野田原村字南柄(垣ヵ)内/合壹所内‖右件田地者、阿保行宗之先祖相伝之私領也、依為阿保守真烏帽子子、彼地ヲ限永代譲与処也、‖阿保行宗(花押) 高野山5p.562
又続宝52
江河村☆ 名手庄
(那賀)
嘉応2.2.13 1170 〔紀友貞畠地売券〕謹奉 売渡畠券文事/合壱段者〈在名手御庄内/字江河村黒田垣(内脱ヵ)〉‖右件畠者、記(紀)友貞之先所(祖)相伝畠也、而依有用々、乃米参石ニ、仍楽ニ売渡了、‖記友貞 高野山6p.291
又続宝70
中村☆ 荒川庄
(那賀)
治承2.12.26 1178 〔日置助盛田地売券〕謹辞 売渡進田新券文事/合壱段者、/在荒川御庄内中村字名ヤナイ本、‖日置助盛(花押)/大中臣(花押) 県古2p.545
高野山文書3(大日本古文書)
中村☆ 名手大塔庄
那賀郡
寿永2.10.15 1183 〔坂上末国畠地売券〕謹言 売渡進畠地券文之事/合壱段者、/在紀伊国那賀郡名手大塔御庄内字中村、‖依有要用、直宛絹三疋四丈、限永代経花房売渡進畢、‖売人坂上末国(略押)/嫡男同国里(略押) 県古2p.608
広島大学所蔵文書
上村☆ 荒川庄
(那賀)
文治2.5.- 1186 〔高野山住僧等解〕高野山住僧等謹解 申請 鎌蔵(倉)殿下(源頼朝) 御裁定事、/請殊蒙 鴻恩、且依道理、且任証文、被裁断、為左(佐)藤左衛門尉能清、背度度 院庁御下文并法性寺(藤原忠通)殿下政所御下文等、擬押領当山領荒川庄四至北堺、不当子細状、‖右当庄去応保二年五月廿四日、官使・国在庁・両庄之住人等、相共臨地頭、致沙汰之間、官使矯餝不可勝計、仍八条院御使并荒川庄住人等、不聞沙汰、而皆以罷還畢、其後官使、引率数多軍兵、无左右、当庄最中上村南北十余待ち、東西不知其数、 県古2p.716
高野山文書1(大日本古文書)
近遠村 荒川庄
(那賀)
寛喜2.3.25 1230 〔一万法師田畠去文〕[    ]奉去垣内ノ田畠当事/在荒河庄ノ内近遠村‖右件垣内田畠等者、月信御房近遠惣券帯、有御沙汰、而ヲ近遠村住人等、月信御房へ進十三貫銭、彼惣券ヲ申請畢、雖然、於一万法師之所領等者、為御領、可作人給候、‖一万法師(略押) 高野山3p.532
続宝66
野上村☆ 名手庄
那賀郡
嘉禎4.8.30 1238 謹辞 売渡水田立券文事/合壹段者/在紀伊国那賀郡大塔御領名手庄野上村字炭釜‖右件水田者、先師相伝私領也、而依有要用、乃米肆石仁紀太子仁限永代所売渡実也、‖山籠大法師恵印(花押) 高野山4p.693
又続宝35
香田(神田)村☆ 荒川庄
(那賀)
仁治1.12.28 1240 〔僧上得田地売券〕売渡 田地立券文事/合壱段者‖在荒川御庄香田村字於那村垣内‖右件田地者、僧上得先祖相伝之領地也、而依有要用、乃米参斛参斗、限永代、売渡于尊蓮房畢、‖僧上得(略押) 高野山5p.572
又続宝52
丹生屋(村)☆ (那賀) 仁治2.-.- 1241 〔金剛峯寺衆徒陳状案〕金剛峯寺与粉河寺庄堺相論事、‖而粉川寺并丹生屋地頭代〈長康〉非苅取以前剰猥夜中苅取作毛之条、不可説所行也、‖彼状云、当村彼所尓立一井、 高野山4p.247
又続宝20
荒見村☆ (那賀) 建長2.12.2 1250 〔官宣旨〕左弁官下 紀□□□□□(伊国金剛峯)寺/応依記録所勘申守先符旨、停止当寺領名手庄異論粉河寺領丹生屋村東堺事‖粉河者、当寺領荒見村内也、‖前大史小槻宿禰(花押)(淳方)/右中弁平朝臣(花押)(時継) 高野山1p.427
宝30
馬宿村☆ 名手庄
(那賀)
建長4.3.6 1252 〔名手荘悪党交名注文案〕注進 名手庄悪党等刃傷狼藉剥奪取鍬腰刀着衣等交名事/野上村/礼仏法師‖馬宿村 絃惣行事 首士男 関得法師 高声法師/正検校‖右悪党等、率二百余人勢、乱入御寺後山町小谷并弟原、致狼藉之時、高野大衆入当村并御寺、可成敗之由ヲハ不知哉と令申最張交名、‖丹生屋村百姓等 高野山5p.663
又続宝56
西村 名手庄
(那賀)
文永2.④.20 1265 〔大法師宗秀田地充文〕宛行 田地新放券文事/合壱段者/在金剛峯寺領名手庄西村之内/四至〈限東道 限西持蓮領/限南蓮光領 限北能福領〉‖大法師宗秀(花押) 高野山2p.189
続宝5
赤木村☆ 神野庄
(那賀)
文永8.12.21 1271 〔大法師実能御影堂陀羅尼田寄進状〕御影堂寄進/大法師実能私領神野御庄赤木村内田地事/合大〈片子/参斗〉者、/右所領者、元日置国利先祖相伝之私領也、而実能為国利之養子、雖譲得此地、聊依有宿願、永所奉寄進于御影堂陀羅尼田也、‖大法師実能(花押) 高野山3p.402
続宝64
小河村
柴目村☆
神野真国庄
(那賀)
弘安3.8.- 1280 〔小河柴目両村半分和与状案〕高野山領紀伊国神野真国庄内小河柴目両村半分和与事/合小河柴目両村半分者/右件両村者、自昔以来、為高野山領之条、代々 聖帝官符宣、弘法大師真筆縁起以下証文厳重之処、 高野山7p.197
又続宝86
上野村☆ 荒川庄
(那賀)
弘安4.5.15 1281 〔実相院能念御影堂陀羅尼田寄進状〕奉寄進 御影堂長日不断尊勝陀羅尼田事/合壱段者〈在荒川庄上野村内/仏土寺前〉‖為主君聖霊増進仏道、乃至法界平等利益、相副本券二通、所令寄進之状如件、‖実相院住沙弥能念(花押) 高野山2p.278
続宝7
津川村☆ 神野庄
(那賀)
弘安8.10.- 1285 〔僧教智御影堂田地寄進状〕奉 寄進御影堂[   /合壹所者〈在紀伊国金剛峯寺御領/神野御庄津川村内/字貫主谷片子四斗〉‖右件田地者、僧教智相伝之私領也、‖為訪恩所之菩提、所奉寄進也、‖僧教智(花押) 高野山3p.420
続宝64
野田原下村☆ 荒川庄
(那賀)
文保2.2.16 1318 〔僧京印御影堂陀羅尼田寄進状〕奉寄進 水田事/合壹段者〈在荒川庄野田原下村/南垣内 中家作〉/右件田地者、依為京印相伝之私領、永所寄進御影堂陀羅尼田、‖京印(花押) 高野山2p.195
続宝5
猪垣村☆ (那賀) 元応1.⑦.6 1319 〔仙舜畠地施入状〕奉施入畠事/合壱所者〈公帳面大卅歩〉/在粉河寺領猪垣村字末沢内得一名/右件畠者、仙舜相伝之私領也、而為受法御布施、奉施入于少輔僧都御房事実也、 県中2p.832
興国寺文書
高村 荒川庄
(那賀)
嘉暦3.9.3 1328 〔僧篋有田地充文〕宛行 処分事/合水田壹段小者/在高野御領荒川庄高村〈字山崎〉/右件田地者、任先師長帳之旨、于教光房入寺、奉宛行所也、無他妨可令領知給之状如件、‖篋有(花押) 高野山3p.462
続宝65
東村 那賀郡 康永2.11.- 1343 〔藤原教友田地売渡状〕沽却 私領水田事/合壱段者、在紀洲那賀郡粉河寺御領東村池田矣、‖仍為後日沙汰、新券文状、如件、 県中1p.434
王子神社文書
ヌマノ村 真国庄
(那賀)
正平9.10.6 1354 〔石法師水田売渡状〕永売渡水田事/合小者、〈在真国庄内字ヌマノ村/四至本券在、ナカヽキ〉‖依有要用、直銭参貫伍百文、高野之正音房ニ永売渡処実也、 県中2p.649
高岡家文書
中村☆ 鞆淵荘
(那賀)
正平14.11.- 1359 〔鞆淵荘中村仏神田注文〕中村仏神田/百卅歩 和田堂 油田/百卅歩 仏土院 油田/百卅歩 田仲堂 油田/神田分/半 天王十一月十日御神楽田/一反小 借家村社正月五日・九月午日御供料田、 県中1p.625
鞆淵八幡神社文書
下村☆ 鞆淵荘
(那賀)
正平14.11.- 1359 〔鞆淵荘下村仏神田注文〕下村分/百卅歩 孝子堂油田/百卅歩 箭那せノ堂油田/六十歩 上垣内堂敷‖已上三段卅歩、 県中1p.625
鞆淵八幡神社文書
上村☆ 鞆淵荘
(那賀)
正平14.11.- 1359 〔鞆淵荘神村仏神田注文〕上村堂田分/一反正月六日修正田 妙法寺/百卅歩 同寺 油田/一反 橋寺 正月六日修正田/百卅歩 同寺 油田/百卅歩岩滝寺 油田/百卅歩今中寺 油田/百卅歩 梅尾寺、 県中1p.626
鞆淵八幡神社文書
西峯村 真国庄
(那賀)
明徳2.6.1 1391 〔権律師実範水田売渡状〕売渡 水田事/合新田壱段者〈高野山之寺領、真国庄之内西峯村、/字西谷、限東谷、限南岸、/限西岸、/限金剛三昧院田〉/依有要用、直銭参貫文、阿弥陀院之大師講之衆中へ売渡事実也、‖権律師実範(花押) 県中2p.643
高岡家文書
河防村 (那賀) 明徳4.11.13 1393 〔検注ヤフセ借銭日記〕明徳四年<癸/酉>十一月十三日/ケンチウノヤフセノ借銭事/合/二貫三百六十五文 西村 又百文 リキシヤニ/二貫三百六十五文 河防村 又百文 リキシヤニ/二貫三百六十五文 猪垣村 又百文 リキシヤニ/一貫三百文 猪垣ノ百姓分 又五十文 リキシヤニ/一貫三百文 丹生屋村 又五十文 リキシヤニ/一貫三百文 東村 又五十文 リキシヤニ/二貫五百文 誓度院/一貫五百文 御池 県中1p.447
王子神社文書
高田村 安楽河庄
(那賀)
応永17.11.28 1410 〔僧明祐田地売券〕売渡 水田立券文事/合壹段者〈在安楽河庄高田村之内/字竹副壹所本作人源六〉/右件田地者、明祐先師相伝之私領也、而今依有要用、宛直銭肆貫陸百文、限永代、奉売渡于勧学院事実也、‖明祐(花押) 高野山3p.569
続宝66
高畑村☆
鎌瀧村☆
堀超村
(那賀) 応永31.11.11 1424 〔名主番頭連署状〕津川村 貞吉(略押)‖赤木村 重吉(略押)‖高畑村 宗真(略押)‖鎌瀧村 行貞(略押)‖堀超村 景光(花押) 高野山4p.633
又続宝34
大川村 名手庄
(那賀)
応永32.5.26 1425 〔天野社一切経会段米納日記〕天野社一切経会段米諸庄納日記‖一名手庄内/参斗一升 西村 貮斗伍升二合 中村/陸斗貮升 野神村 陸斗壹升三合 馬ヤト村/貮斗四升一合 大川村/合貮斛参升六合五村分‖六箇七郷内/一参斗四升九合一勺 天野郷 一斗七升 星川村/貮斗五升四合 三谷郷 貮斗陸升五合六勺 小河内郷/肆斗陸升 長谷郷 貮斗 志賀郷/壹斗壹升 ハナ坂村‖一小川庄内/貮斗壹升 中田村 三升/長谷村‖一安楽川庄内/参斗伍升 コウノ村 一斗六升 コウ田村/貮斗九升 上ノヽ村 参斗 野タン原/壹斗参升 大原 北郷内‖一三ヶ庄内 神野庄‖壹斗伍升五合 正友名下村 高野山4p.444
又続宝29
鳥淵村 鞆淵庄
(那賀)
正長2.8.25 1429 〔鞆淵庄大検注分田総目録〕鞆淵薗大検注分田惣目録事/合肆拾壹町伍段十八歩/分米佰貮拾肆石伍斗四升六合六勺六才内‖一鳥淵村井料 中田 半‖右大検注分田目録之状如件、/正長二年〈己/酉〉八月廿五日   分田衆長誉(花押)/検使勝算(花押)/預所前法印良尊(花押) 高野山4p.151
又続宝80
カミムラ(上村) 毛原荘
(那賀)
永享2.3.21 1430 〔公文代小次郎文書紛失状〕キノクニナンカノコヲリ(紀伊国那賀郡)ケハラノシヤウ(毛原荘)カミムラ(上村)ノウチコモイケノマエ、四シ、ヒカシミソヲカキル、ミナミ小サコノ小さツエヲカキル、ニシカハヲモテタカキシヲカキル、キタ小ヲヽカキル、タヽシコノホンモンシヨニヲイテ、テンカ一トウノコトクせイ候シトキ、シヤウチヤウクワン子ンノフツサウニヨントリウシナイ候ヲハンヌ、‖公文代/小次郎(略押)/高野/宣算(花押)/細入(口入ヵ) 県中2p.1035
飛見家文書
鬼和田村 (那賀) 永享5.10.13 1433 〔東村負物米納入注文案〕本所寺家より東村勝福寺并王子御寄進庄(所ヵ)当の事、菩提坊御方へ負物の米ニあて候て進候、‖一所鬼和田村地<分麦五升たるせ/分米一斗 乍九郎大夫入道> 県中1p.475
王子神社文書
福井村☆ 那賀 文安6.1.16 1449 〔検校鏡範天野問答講料田寄進状〕奉寄進御社問答講料田之事/合壹所者〈在紀伊国那賀郡小河庄福井/井関田四反之内壹反定田五斗五升神主作/右件田地者、智庄厳院之先師自祐雄、妙阿禅尼仁譲給、自禅尼、鏡範相伝之処也、‖万雑無公事、不可有旱水損上田也、仍是者、学道衆之御中へ所寄進申也、‖検校法印権大僧都鏡範(花押) 高野山3 p.423
続宝64
田中村☆ 那賀 康正2.5.- 1456 〔平五郎等連署田地売渡状〕売渡 □□(田地)□事‖右件之田地者、紀伊国那賀郡真国庄内田中村於山本之田地ニ、四至〈本券/アリ〉‖直銭伍貫文ニ、長宮石方へ売渡事実也、‖平五郎(花押)/右近三郎(花押)/とう次郎(花押)/九郎大郎(花押)/又五郎(花押)/ひこ二郎(花押) 県中2p.652
高岡家文書
ケヤカワ村 (那賀) 明応4.10.6 1495 〔鞆淵八幡宮御供勧進帳〕惣都合五石一斗六升/八幡御供勧進帳/本河村分/一斗カイサワ 一斗ツヽミソエ 五升キタウラ‖ケヤカワ村分/三升カト 二升ニシウラ 県中1p.691
鞆淵八幡神社文書
黒河村☆
野上村☆
中村
寺中村
中村
荒河庄
名手庄
麻生津庄
野上庄
野上庄
(那賀)
15C 〔諸供領臈次番付書〕九臈‖下方大藪村想阿弥陀仏寄進五反内‖新加名手西村一反 空仙房寄進‖廿七臈‖新加荒川庄高田村字谷口百廿歩 作人惣一/道印寄進百十七臈‖荒河庄黒河村寺前一反定田四斗麦二斗当作人随仏黒河住人尼公持蓮寄進作人小行事黒川住人‖百廿三臈‖荒河上野村仏土寺前小田原能念房寄進‖百廿四臈‖政所河北方大野村前廿四坪‖百八十一臈‖名手庄野上村大検校垣内尻比丘尼教心寄進、‖二百十一臈‖麻生津庄内中村字旧田一反〈在麦〉‖二百廿臈‖真国庄内中村水田三百歩‖二百廿三臈‖政所河北名蔵村字豊和田一反‖二百五十二臈 野上庄屋敷一所‖寺中村是恒名作人万歳 大輔房没収地 当作人下司所‖二百五十五臈 野上庄中村三反内一反公文名‖三百九臈‖官省符河南村之内水田一反‖三百七十七臈 神野庄内箕六村字上垣内一所定田六斗 高野山8p.466
又続宝137
下野村 (那賀) 永禄12.12.6 1569 〔三船神社造営引付〕御宮者ムカシヨリヒワタニテ葺候、□(ヒ)ワタヨリコソキ(木枌)ツヨキト申候間、天分四年乙未九月十七日ニ氏人衆惣庄談合申候て、御クシヲトリ申候、コソキニクシヲ取申候間、コソキニフキタテ申候、‖庄ノ衆奉行日ニ二人ツヽ仕候、/上田村次第不同、/太夫 与太 衛門 松山/下野村次第不同/田中孫九郎 林カモン 小路ヨタ 同コンノカミ 同衛門 ナカヲサ太郎兵衛 ナカヲサ玄内 イチハ兵衛三郎‖新名衆・上田座・下野村座・上野村衆 合四座ナリ 県中1p.741
三船神社文書
左々村☆ 那賀 天正8.12.6 1580 〔吉見与太郎田地売渡状〕永代売渡申 田地之事/セマチ一ツ、南道、西みそ、/一たん、あさなやしと、九てん上米ハ四代なり、右彼下地ハ紀州なんか(那賀)のこうり野上左々村吉見やつきにて候へ共、 県中1p.789
奥家文書
嶋村 安楽川荘
(那賀)
天正16.12.25 1588 〔安楽川荘中米借用状〕借用申 米之事/合五十石者<壱□□半>/右借用申所実正也、仍証文如件、‖神田村彦三郎(略押)/嶋村甚次郎(略押)‖上野村右兵衛(略押) 県中1p.780
平野家文書
オワタムラ(小和田村) 鞆淵荘
(那賀)
天正17.12.23 1589 〔鞆淵荘納帳〕カミノムラ(上村)/下五十歩 三升六合五勺ク(ママ) ヲキサ ヒカシ‖ホンカワムラ(本河村)/六升 ムカイワタキ‖ヰノモト(湯本)/二升 イノモトヘヤ‖シモムラ(下村)/カタコ 二斗 キヤウシノマエ‖ヲワタムラ(小和田村)/二升 ウシロノヲモヤ 県中1p.703
鞆淵八幡神社文書
安楽見東村☆
安楽見西村☆
(那賀) 文禄2.12.11 1593 〔九頭大明神神役定書写〕定/一当社者往古より小社之鎮守有之、村民共参拝ス、‖安楽見東村聴惣代/孫四郎(略押)‖同 西村下聴惣代/弥重郎(花押) 県中1p.819
北家文書

名草郡

郷(里)

大屋、直川、苑部、大田、大宅、忌部、誰戸、断金、野応、津摩、国懸、有真、大屋、荒賀、大野、朝来

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
大田郷☆ 名草郡 (天平17.-.-) 745 〔優婆塞貢進文〕【大田】紀伊国名草郡大田郷戸主大宅直広麻呂直乙麻呂〈年一八〉 県古1p.92
大日本古文書(編年)25
直河郷☆ 名草郡 (天平17.-.- 745 〔優婆塞貢進文〕【直川】□□□(邇布直ヵ)諸嶋〈年十六/紀伊国名草郡直河郷戸主迩布直文得戸口、 県古1p.93
大日本古文書(編年)25
忌部郷☆ 名草郡 天平勝宝2.3.21 750 〔大伴若宮連大淵勘籍〕【忌部】大伴若宮連大淵〈年廿八/紀伊国名草郡忌部郷戸主大伴若宮連部良戸口〉 県古1p.107
大日本古文書(編年)25
片岡里 名草郡 神護景雲3.11.25 769 〔続日本紀30〕(神護景雲三年一一月二五日)己丑、陸奥国牡鹿郡俘囚外少初位上勲七等大伴部押人言、伝聞、押人等、本是紀伊国名草郡片岡里人也、昔者、先祖大伴部直、征夷之時、到於小田郡嶋田村而居焉、 県古1p.118
続日本紀30(新訂増補国史大系)
能応里 名草郡 9C 〔日本霊異記 下〕【野応】紀伊国名草郡能応里之人、寂林法師、離也国家、経也他国、修法求道而、至加賀郡畝田村、 県古1p.107
日本霊異記 下(日本古典文学大系)
貴志里☆ 名草郡 9C 〔日本霊異記 下〕紀伊国名草郡貴志里、有一道場、号曰貴志寺、其村人等、造私之寺故、以為字也、 県古1p.135
日本霊異記 下(日本古典文学大系)
埴生里 名草郡 9C 〔日本霊異記 下〕巨勢砦女者、紀伊国名草郡埴生里之女也、 県古1p.148
日本霊異記 下(日本古典文学大系)
山東郷☆ 名草郡 長承1.10.30 1132 〔鳥羽院庁牒案〕院庁牒 紀伊国衙/欲被任散位平光昌寄文并文書理、国使相共立券言上、御願寺大伝法院領庄壱処事、/在名草郡三上野院山東郷、副下調度文書、‖主典代主計助兼隠岐守大江朝臣(行重ヵ) 県古2p.26
根来要書上
且来郷☆
大野郷☆
岡田郷☆
小野田郷☆
吉礼郷☆
小勢田郷
坂井郷☆
重禰郷☆
那口郷☆
本渡郷☆
安原郷☆
多田郷☆
名草郡 久安1.11.1 1145 〔秦宿禰守利私領売券案〕【大野】【且来】□(譲)渡 私領壱処事/在紀伊国名草郡三上院/合十二郷/吉礼郷、安原郷、那口郷、小瀬田郷、/多田郷、且来郷、小野田郷、坂井郷、/本渡郷、岡田郷、重禰郷、大野郷、‖散位秦宿禰、 県古2p.177
間藤家文書
和佐上郷☆
和佐下郷☆
名草郡 嘉禄3.8.18 1227 〔藤原某田畠寄進状写〕寄進 所領壱所事/在紀伊国名草郡内和佐上・下郷、/合田畠山野弐百余町内/田畠百余町 山野百余町/四至〈限東那賀郡金峯山御庄小倉堺、/限南伝法院庄堺和佐坂峯、/限西熊野神領湯橋堺、/限北国領永穂并布施屋堺、 県中2p.51
歓喜寺文書
有間郷
有本郷☆
北有本郷☆
本有本郷☆
小宅郷
毛見郷☆
神前郷☆
冷水郷☆
〓(ところ)津郷
永沼郷
船尾郷☆
松島郷☆
吉田郷☆
(名草) 嘉禎4.9.25 1238 〔日前宮神領四面四至注文写〕【有真】艮他領‖松島郷‖神領有間郷、永沼郷‖東他領湯橋荘‖神領忌部郷‖神前郷‖巽他領冷水郷‖神領船尾郷‖南他領冷水郷、‖神領毛見郷‖坤他領大崎海‖神領毛見郷‖西他領雑賀庄‖神領小宅郷西嶋西畠、大田郷西畠、吉田郷本畠新畠‖乾他領北有本郷道、同有本郷、神領本有本郷‖他領六十谷荘道‖神領〓(ところ)津郷、‖右嘉禎元年御遷宮時之四面四至任先例、同四年九月廿五日、依被糺定例令註進之状、如件、‖紀伊国司従五位下源長信、 科研p.382
日前宮文書
秋月(郷)☆
内原(郷)☆
黒田(郷)☆
田尻(郷)☆
和田郷☆
(名草) 建長2.11.- 1250 〔新荷前田員数注進状写〕注進 村々新荷前田員数之事/合五町六段内、七斗代/和田郷 弐町、 神前 壱町、田尻八段/吉田 六反、黒田三反、小宅二反/大田 二反、有真 二反、内原 二反/秋月 壱反/建長二年十一月日  里久 上 科研p.381
日前宮文書
田井郷☆ (名草) 建治2.3.5 1276 〔丹生社安居供料国司方請文〕高野山丹生社領安居供料紀伊国田井郷麦参石事、任先例早可令下行之由、可被下知之状、所請如件、‖前大和守 高野山1p.233
宝18
朝日郷☆
黒江郷☆
冬野郷☆
吉原郷☆
(名草) 正応6.-.- 1293 〔和田庄実検田取帳名寄帳〕紀伊国和太庄/合正応六年実検田取帳名寄/一、朝日郷‖一、冬野郷分‖一、吉原郷分‖一、三葛郷分‖黒江郷分 科研p.328
林家文書
有家郷☆ (名草) 永仁3.3.23 1295 〔有家郷検田検畠取帳〕注進 永仁三年〈乙/未〉三月廿三日/有家郷検田検畠取帳事、 科研p.151
日前宮文書
新有間郷 (名草) 永仁3.3.23 1295 〔本有真郷検田検畠取帳および新有真郷検田検畠取帳〕【有真】新有真郷/田分‖已上壱町八段半内/出田六拾歩/本田壱町八段小、 科研p.154
日前宮文書
新永沼郷 (名草) 永仁3.-.- 1295 〔諸郷奉分田所当注文〕諸郷奉分田所当注文〈永仁三年/勘定 申〉/秋月郷第一、新〓(ところ)津郷第二、新永沼郷第三/本有真郷第四/忌部郷第五、有家郷第六/小宅郷第七、大田郷第八、黒田郷第九/神前郷第十、和太郷第十一、田尻郷第十二‖内原郷第十三、毛見郷第十四、船尾郷第十五 科研p.116
日前宮文書
津秦郷☆ (名草) 永仁3.3.23 1295 〔津秦郷検田検畠取帳〕注進 津秦郷検田取帳事 永仁三年乙未三月廿三日 科研p.143
日前宮文書
本有真郷 (名草) 永仁3.3.23 1295 〔本有真郷検田検畠取帳および新有真郷検田検畠取帳〕【有真】注進 永仁三年〈乙/未〉三月廿三日/本有真郷検田取帳事 科研p.157
日前宮文書
三葛郷☆ (名草) 元応2.5.8 1320 〔和太荘中分一方帳〕元応二年/和太御庄中分一方帳‖領家御方分‖注進 紀伊国和太御庄四箇郷中分一方帳〈除大窪七郎次郎/広氏知行分并/重恒・則里定〉‖一、三葛郷‖現作五丁七反百十歩〈三 五丁五反大五十歩/四 一反半〉 科研p.380
日前宮文書
三上郷 名草郡 明徳3.4.25 1392 〔守護大内義弘奉行人連署奉書〕名草郡三上郷内重禰郷願成寺免事、先方代諸公事跡閣之上者、混惣郷内、城誘人夫以下支配事不可然、御沙汰落居之間者、可止催促之由候也、仍執達如件、‖正阿(花押)/曇亮(花押) 県中2p.622
間藤家文書
中郷 (名草) 天文15.12.11 1546 〔中郷会席書状写〕態以折紙申入候、仍吉田之弥勒寺之看坊御儀者、御公方より之御寄進状并代々之譲状を有本之孫四郎大夫今ニ被致所持候、‖中郷会席/御社家御中、 科研p.344
日前宮文書
社家郷
南郷
(名草) 永禄5.7.- 1562 〔湯河直春起請文〕敬白 起請文、事/右意趣者、今度代替為礼儀、差越湊喜兵衛付(尉)候処、如先々不可有別儀旨、誓紙到来候、‖直(花押)(湯河直春)‖雑賀/本郷 源四郎大夫殿‖中郷/岩橋源大夫殿‖十ヶ郷/鈴木 孫一殿‖南郷/大野 稲井殿‖社家郷/中嶋 嶋田殿 県中2p.925
湯河家文書
宮郷 (名草) (天正5.)5.16 1577 〔織田信長朱印状〕就雑賀成敗、可抽忠節之由、神妙候、根来寺事、是又無二可馳走之旨申遣候、‖朱印(天下布武)/宮郷/中つ郷/南郷/三組惣中 県中2p.108
太田家文書

年月日 西暦 原 文 出 典
岡田村☆ (名草) 天平勝宝2.2.21 750 〔村君安麻呂勘籍〕村君安麻呂〈年卅七/紀伊国牟婁郡栗樔郷戸主村君辛兄之男〉‖天平五年所貫岡田郷戸主村君辛兄之男同部安麻呂〈年廿〉 県古1p.104
大日本古文書(編年)25
大田村☆ 名草郡 8C 〔播磨国風土記(揖保郡条)〕【大田】大田里〈土中上〉、所以称大田者、昔呉勝従韓国度来、始到於紀伊国名草郡大田村、其後分来、移到於摂津国三嶋賀美郡大田村、其又遷来於揖保郡大田村、是本紀伊国大田以為名也、 県古1p.69
日本古典文学大系
和佐村☆ (名草) 仁寿4.6.7 854 〔在田郡司解〕在田郡司解 申依式売買新田并家地畠地等立券文事‖一所和佐村七段二百十六歩〈直稲六百八束 段[  ]束〉‖一所丹生村九段七十二歩〈直稲漆佰参拾陸束 段別八十束〉‖一所大豆田村野田九段二百十六歩四至〈東至社并野分 西至百姓口/南至紀直縁丸家并野 北至百姓口分〉/直稲四百八十束 段別五十束‖一所一町在野村四至〈東至栗栖畠 南至紀臣波自女地/西至古垣并栗栖林 北至野田大溝〉直稲四百束 段別四十束‖畠一町在吉備郷小嶋村四至〈東至於比寺地 南至神奴知嶋地/西至紀朝臣並倉地 北至大河〉直稲参佰束段別卅歩、 県古1p.270
東寺文書礼
酒部村 名草郡 貞観3.2.25 861 〔名草郡直川郷墾田売券〕[    ]売買立墾田券文事/[    ]弐佰拾歩 在紀伊国名草郡直川郷酒部村/四至〈東限治田 南限治田/西限溝 北限溝〉充直稲参佰伍拾束、 県古1p.274
神宮文庫所蔵文書
三上村 名草郡 9C 〔日本霊異記 中〕聖武天皇世、紀伊国名草郡三上村人、為薬王寺、率引知識、息晋薬分〈薬王寺、今謂/勢多寺也〉、 県古1p.102
日本古典文学大系
能応村 名草郡 9C 〔日本霊異記 下〕【野応】有名草郡能応村、名曰弥勒寺、字曰能応寺、 県古1p.136
日本古典文学大系
楠見粟村☆ 名草郡 9C 〔日本霊異記 下〕廻頭而‖乞人者、有紀伊国名草郡部内、楠見粟村之沙弥鏡日也、 県古1p.148
日本古典文学大系
桜村 名草郡 9C 〔日本霊異記 中〕時寺之壇越岡田村主石人、夢見、其犢牛、追於石人、‖於是、犢牛問言、汝知我也、答、不覚也、彼牛放退、屈膝而伏、流涙白言、我者有桜村物部麿也、 県古1p.103
日本古典文学大系
本渡村☆ 名草郡 治安3.11.23 1023 〔太政官符案〕太政官符 紀伊国/応免除紀伊国名草郡薬勝寺所領田弐拾町租税官物并臨時雑役寄人弐拾人等事、/在名草郡三上野院/本渡村拾弐町陸段参佰肆拾捌歩、‖岡田村弐町陸段弐拾弐歩、‖多太村参町、‖勢田村弐町玖段参佰伍拾弐歩、 県古1p.516
薬王寺文書(国立史料館所蔵名草郡古文書)
多太村☆
勢田村
名草郡 治安3.11.23 1023 〔太政官符案〕太政官符 紀伊国/応免除紀伊国名草郡薬勝寺所領田弐拾町租税官物并臨時雑役寄人弐拾人等事、/在名草郡三上野院/本渡村拾弐町陸段参佰肆拾捌歩、‖岡田村弐町陸段弐拾弐歩、‖多太村参町、‖勢田村弐町玖段参佰伍拾弐歩、 県古1p.516
薬王寺文書(国立史料館所蔵名草郡古文書)
仲村☆
安居村
有真村
津秦村☆
〓(くさかんむり+解)津村(ところつむら)
辛海村
楠見上村☆
楠見下村☆
名草郡 永承3.-.- 1048 〔名草郡郡許院収納米帳進未勘文〕郡許院収納所解申注進永承三年収納米帳進未進勘文事、‖和佐村廿束 同仲村十束 安居村十一束五巴 有真村十四束/□□下村十束 津秦村十束 〓(クサカンムリ+解=トコロ)津村七束一巴 辛海村六束/楠見上村廿一束六巴 同下村十三束二巴 県古1p.571
九条家本延喜式巻八裏文書
岡前村☆
和太南村☆
安原村
岡田下村☆
(名草) 大治2.8.17 1127 〔紀伊国在庁官人等解案〕在庁官人[    ]/立券進 日前国懸両社御封佰弐拾壱烟代常荒田漆拾玖町事/岡崎村内弐□(拾)肆町/和太南村内参拾町/安原村内拾伍町/岡田下村内拾町‖神社仏寺御封之代、依請以所在公田内被便補者、当他普通之例也、近則熊野本宮御封十烟之代、被便補牟婁■(郡)芳益(養)村見作田伍町所当官物、金剛峯寺同封戸代去康平年中以後、便補伊都郡伊指・大谷量郷田畠三佰余町、 県古1p.906
林家文書
山東南村☆ (名草) (長承2.)2.9 1133 〔覚鑁書状〕野上住人等起請文見給候了、抑山東南村田拾伍町下文令成進之候、早遣彼御庄、可令請取給候、但不令相違本作人等、可令預作給也、件間事等、委令申義明房候了、毎時被仰合、可令沙汰給之状如件、‖僧(花押)(覚鑁)/進上持明房阿闍梨御房(真誉) 県古2p.37
根来要書上
湯橋村☆ 名草郡 久安2.4.29 1146 〔鳥羽院庁下文案〕院庁下 紀伊国在庁官人等/‖可任粉河寺解状并国司庁宣永為不輸地同寺領栗栖庄壱所事、/在菅(管)名草郡、/四至〈東限湯橋村西堺御園中道并子午縄、南限黒鳥池并大路、/西限有真永沼東境并子午縄、北限大河并古河、〉 県古2p.179
粉河寺御池坊文書
土崎村(吐崎村)☆ 名草郡 応保2.11.- 1162 〔大伝法院僧徒等解案〕御願寺大伝法院僧徒等重解 申請 天裁事、/請被殊蒙 天恩任長承年中 官符旨依当庄建立以後例当院領山東庄永可停止日前宮神役由重下 官符子細状、‖四至内神社仏寺領者、自往古于今、不勤彼神役、所謂東大寺末寺崇敬寺領木本庄、金剛峯寺領小倉庄西‖示内土崎村、仁和寺喜多院末寺薬勝寺領、伊太祁曽・鳴神・藤代王子等所□(領ヵ)也、 県古2p.370
根来要書下
しもむら(下村)
みなミむら(南村)
(名草) 文永5.11.26 1268 〔後鳥羽院姫宮四辻宮譲状〕後鳥羽院姫宮被進四辻姫御譲状案/きのくにわさの庄ハ、たいの御かたこれへゆつりてさふらふを、たいりのひめミやへゆつりまいらせ候、たしかなるところにてさふらふ、さふらハさらんのちにも、よくゝゝとふらせおはしませ、このうちしもむら(下村)、みなミむら(南村)と申候ところをハ、ことハゐんの御ほたいのために、ふたんこまのところにへちにとしころさたしつけて候、 県中2p.60
歓喜寺文書
箕田村 (名草) 永仁1.10.7 1293 〔後深草上皇院宣〕御祈願所歓喜寺申、紀伊国和佐庄内箕田村間事、寺解〈副具書〉、如此、可被沙汰之由、可令仰遣武家給之旨、御気色所候也、 県中2p.34
歓喜寺文書
豊田村 池田庄
(名草)
元徳4.4.16 1332 〔六波羅御教書〕紀伊国池田庄内豊田村地頭栗栖六郎入道代資安申、同庄内中村地頭代左衛門二郎并成行以下輩切落用水致狼藉由事、‖左近将監(北条時益)(花押)/越後守(北条仲時)(花押) 県中2p.93
栗栖家文書
松嶋村☆ (名草) 元弘3.7.10 1333 〔松嶋村文書紛失状案〕紀伊国松嶋村文書紛失間事/右当村者、栗栖千代楠丸帯右大将家文治二年十一月廿日御下文‖為開発領主重代相伝当知行之所帯也、而世上動乱之刻、今年〈元弘/三〉五月二日、大塔宮伺候人保田次郎兵衛尉宗顕・生地蔵人師澄以下、引率数万凶徒等、押寄当国安原郷千代楠丸之親父栗栖六郎入道道実之宿所、令放火之時、彼正文等悉焼失畢、 県中2p.92
栗栖家文書
西畑村 三上庄
(名草)
建武5.6.- 1337 〔願成寺寺僧衆議事書案〕[  ]寺領紀伊国三上庄重禰郷内願成寺寺僧与同□□郷西畑百姓等相論堺事、‖西畑百姓等陳状云、西畑村者、坂上貞元為開発之地、□(然)彼湛慶与貞元師壇之契約成之、爰湛慶依有一堂建立之志、貞元当村内為敷地円八町令寄進之、 県中2p.617
間藤家文書
中村☆ 名草郡 貞和3.10.10 1347 〔頼帳畠地寄進状〕寄進 禅林寺仏念垣内畠事/合壱段六十歩者、/在紀伊国名草郡大野中村仏念古垣内‖依難背妙願素意、如元、所重寄進禅林寺也、 県中2p.459
禅林寺文書
加納村☆ (名草) 文和3.8.3 1354 〔足利尊氏袖判下文写〕(花押)(足利尊氏)/下 栗栖六郎左衛門尉国実/可令早領知紀伊国狐嶋〈五郎左衛門/入道跡〉・加納村地頭職半分〈大進房/跡〉・安原郷加納〈山東三郎/蔵人跡〉事、/右人為勲功之賞、所宛行也、 県中2p.94
栗栖家文書
関戸村☆ 名草郡 正平16.9.20 1361 〔平範重垣内寄進状案〕歓喜寺 奉寄進垣内事/合壱所者、/在紀伊国名草郡和佐庄字関戸村惣追捕使方/四至限〈東荒畠、南山/西道、北宮井南岸〉 県中2p.14
歓喜寺文書
別所村☆ (名草) 明徳2.12.18 1391 〔守護山名義理年貢寄進状〕寄進 重禰郷願成寺/紀伊国重禰郷別所村年貢捌貫伍百文事/右為武運長久・家門繁昌、永代寄附之状、如件‖散位源朝臣(花押)(山名義理) 県中2p.620
間藤家文書
畑村☆ (名草) 明徳3.-.- 1392 〔坂井郷大庄畑村支証等案〕坂井郷内寺社免人給等除田地事‖大庄与畑村合土貢/都合弐百四十二石三斗四升六合八才之内/五分壱 四拾八石四斗六升七合二勺一才/畑村三十九石三斗四升一合四勺在之、/四貫百十四文 畑村夫銭・公事銭五分一相当、 県中1p.397
方衆座文書
鳥居村☆
幡川村☆
井田村☆
加田村
日方村☆
三上庄
(名草)
応永7.1.- 1400 〔三上荘大野郷年貢帳〕三上庄大野郷御年貢帳/合/鳥居村分‖幡川村分‖中村分‖井田村分‖加田村分‖日方惣村分 県中2p.470
禅林寺文書
深田和村 (名草) 応永23.12.2 1416 〔和佐荘深田和村得分注文〕和佐九人之深田和村のとく分/二十二貫四百文 たにとのゝ‖十二貫六百九十文 なかしまとのゝ 県中1p.155
葛原家文書
貴志村☆
山路村
園部庄
(名草)
15C 〔畠山道端書状案〕本領紀州園部庄内貴志・山路両村地頭職、同闕所分等、証文一見候了、先々忠節異他候之上、於今皆以不相替候之条神妙候、本訴事不可有等閑候、 県中1p.36
隅田家文書
小野田村☆
坂井村☆
(名草) 永正1.5.1 1504 〔重禰郷名主田地等遣渡状写〕永代鑓渡申事、/合而一所ハ、〈限東ハ大池つゝみ北づめ上へ見とうし、坂井村領類山、西ハつごへ、南ハ大道、北ハ岑小野田村領類山、此内ニ草林ス、‖右之件ハ、此度大池之依有高名、長田四人之主方へ末代かきり、祝義印ニやり申処、実正明鏡也、‖重禰郷/名主拾六人/百草大明神/長田四人之主/参、 県中2p.634
亀井家文書
子キ村(禰宜村)☆ (名草) 天文9.12.27 1540 〔井ノ口二郎太郎畠地売渡状〕永代売渡申畠之事/合而六十歩〈字名井ノ口四郎大夫カイト、/四至、東ハ類地、南ハ道、西ク子、北ハカワ、/右件畠者、雖為我等先祖相伝下地、依有今要用、直銭弐貫弐百文、無限永代、売渡申処実正明白也、‖子キ村/口入 五郎二郎(略押)/売主井ノ口二郎大郎(略押)/子キ村/九郎大夫殿/参、 県中2p.71
和佐家文書
下畑村 (名草) 天文16.5.1 1547 〔刑部太郎山地売渡状〕永□□(代売)渡申山之事/合一前(所)、在所ヒラハラニ有之、/右件之山ハ、雖為下畑村形(刑)部殿先祖相伝之山、依有今要用、直銭四百五十文ニ永代かきり、売渡申処実正也、‖口入助衛門(略押)/売主形部大郎/口入形部左衛門(略押)/□□□(津之介)□/参、 県中2p.635
亀井家文書
名高村☆ (名草) 天文23.11.27 1554 〔名高村四郎太郎田地売渡状〕永代売渡申田地之事/合公田一段者、〈在所者、川ムカイナワシ田二迫有、/東ハ蓮華院地、南ハ中道、西ハミソ、北井ミシヲカキルナリ、〉/右件田地者、名高村四郎大郎雖為名田之内、依有用要、直銭拾三貫文ニ、幡川御薬師江、永代売渡申処、実正也、‖名高村/四郎大郎(略押)/石倉/千松(略押)/御薬師/まいる 県中2p.561
禅林寺文書
野村 (名草) 永禄9.3.28 1566 〔位牌免田等注文案〕いはひ免之書置/一反 野村田井 米弐石 免不行 小路田藤[    ‖宗印 在判 県中2p.101
森家文書
重禰下村☆ (名草) 天正6.2.- 1578 〔禅林寺所務帳〕禅林寺所務帳/合‖重禰下村/畠九十歩一式 一迫 九月廿八日経田澄救/加地子五斗所役大麦六升三合、 県中2p.577
禅林寺文書
极沢村☆ (名草) 天正10.12.15 1582 〔极沢村地頭職証文写〕极沢村地頭職之事、/右粉河寺雖為所持、願成寺御観音江依被成買徳候、极沢百姓共納所之儀、毎年十月・霜月二度ニ結句ニ皆済可申処、如在有間敷候、此納所者如加地子定米ニ少モ無沙汰申間敷候、為其新起請文カキ令進上候、‖クミサワ村/上畑下畑百姓 県中2p.631
間藤家文書

海部郡

郷(里)

賀太、浜中

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
木本郷☆ 海部郡 天平19.2.11 747 〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕大安寺三綱言上/伽藍縁起并流記資財帳‖合墾田地玖佰参拾弐町/在紀伊国海部郡木本郷佰漆拾町、/四至〈東百姓宅并道 北山/西牧 南海〉 県古1p.94
大日本古文書(編年)2
浜中郷 海部郡 (弘仁13.-.-) 822 〔日本霊異記 下〕【浜中】長男紀臣馬養者、紀伊国安諦郡吉備郷人也、小男中臣連祖父麿者、同国海部郡浜中郷人也、 県古1p.131
日本古典文学大系
比井郷 海人郡(海部) 保元3.10.23 1158 〔聖教題跋〕大日本国紀州海人郡比井郷釈迦牟尼如来遺法弟子慈覚大師(円仁)門徒等八人宿縁相牽、共為 一結并禅定比丘尼尊者為大壇越、以木筆石墨、如法奉書写妙法蓮華経一部八巻、奉埋于王子上了、 県古2p.313
経塚遺宝
中郷
十ヶ郷
雑賀庄
(海部)
永禄5.7.- 1562 〔湯河一族連署起請文案〕案文/敬白 起請文事/右意趣者、今度代替為礼儀、差越湊喜兵衛付(尉)候処、如先々不可有別儀旨、誓紙到来候、‖湯河左近大夫/湯河式部大夫/湯河右馬允/湯河治部大輔/湯河源衛門尉/湯河掃部助/湯河久兵衛/湊新五郎/津村式部丞/郷(口ヵ)郡/雑賀庄/中郷/十ヶ郷/三上/社家/御中 県中2p.925
湯河家文書
本郷 (海部) 永禄5.7.- 1562 〔湯河直春起請文〕敬白 起請文事/右意趣者、今度代替為礼儀、差越湊喜兵衛付(尉)候処、如先々不可有別儀旨、誓紙到来候、‖直(花押)(湯河直春)‖雑賀/本郷 源四郎大夫殿‖中郷/岩橋源大夫殿‖十ヶ郷/鈴木 孫一殿‖南郷/大野 稲井殿‖社家郷/中嶋 嶋田殿 県中2p.925
湯河家文書

年月日 西暦 原 文 出 典
岸村 海部郡 天平神護1.10.25 765 〔続日本紀26〕(天平神護元年九月二五日)癸未、還到海部郡岸村行宮、 県古1p.114
新訂増補国史大系
浜中村 海部郡 9C 〔日本霊異記 下〕【浜中】紀伊国海部郡仁嗜之浜中村、有一愚痴夫、 県古1p.136
日本古典文学大系
賀田村☆ 海部郡 天暦4.11.20 950 〔東大寺封戸庄園并寺用帳〕【賀太】塩山五百六十町〈三百六十町、播麻国明石郡垂水村、二百町、紀伊国海部郡賀田村、〉 県古1p.399
東大寺文書2(大日本古文書)
北村 賀太庄
(海部)
応永10.7.5 1403 〔賀太荘しやうち房田地売渡状〕限永代売渡申田の事、/合小卅分者〈在処ハとまりのくち/神当るなり〉‖ようゝゝあるニよんて、同賀太庄北村殿阿弥せ(陀)仏の御方ゑ、限永代、直銭壱貫文に売渡申処、実正也、‖売主賀太庄北村 しやうちん坊(略押) 県中2p.418
室谷家文書

在田郡

郷(里)

吉備、湯笠、英多、奈郷

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
吉備郷 安諦郡
(在田)
養老4.10.- 720 〔平城宮出土木簡〕【吉備】紀伊国安諦郡吉備郷[     /養老四年十月持海[   県古1p.72
平城宮発掘調査出土木簡概報5
幡陀郷
(英多郷)
安諦郡
(在田)
天平年間 729~766 〔平城宮出土木簡〕【英多】紀伊国安諦郡幡陀郷戸主秦人小麻呂調塩三斗 天平[ 県古1p.93
平城宮木簡1
阿手河郷 (在田) 寛弘5.10.27 1008 〔金剛峯寺帖案〕金剛峯寺帖 伊都・那賀・有多(田)三箇郡司等/可任道理糺行寺領志賀・長谷・毛無原・阿手河等郷郷雑事状、 県古1p.486
金剛峯寺雑文(弘法大師伝全集2)
由和佐里
(湯浅里)☆
(在田) 天仁2.10.17 1109 〔中右記〕(天仁二年)十月‖十八日、鶏鳴之後出宿、‖次過由和佐里(湯浅里)、‖廿一日、天時々陰、‖南陪(南部)庄内亥の野村人宅ニ宿、〈国司目代儲/又久澄進物〉‖廿八日、‖未刻昼養〈宇久比(井)里/下人宅〉、‖廿九日、天陰、‖及辰巳刻、雨脚甚盛、着蓑笠踞舟中、水大湛舟、衣裳甚湿、凡辛苦悩乱非可堪忍、仍繋舟於岸脚、留下人小屋〈午/刻〉、此里号御妹云々、 県古1p.815
中右記(増補史料大成)
古江見郷☆ (在田) 大永3.12.- 1523 〔宮﨑定茲田地売渡状〕□□□□(永代売渡)田地、合弐段壱斗代□□(之所)、/在所者、古江見郷、東者大道、南者大門坊□、西□□□(者八講ヵ)田、北者[   ]、右彼下地、依有要用、直銭弐十貫文、売渡事所、‖藤原定茲(宮崎定茲)(花押)/安養寺五種経/惣分追善惣□(衆)中、 県中2p.717
安養寺文書

年月日 西暦 原 文 出 典
丹生村☆
大豆田村
野村
小嶋村☆
(在田) 仁寿4.6.7 854 〔在田郡司解〕在田郡司解 申依式売買新田并家地畠地等立券文事‖一所和佐村七段二百十六歩〈直稲六百八束 段[  ]束〉‖一所丹生村九段七十二歩〈直稲漆佰参拾陸束 段別八十束〉‖一所大豆田村野田九段二百十六歩四至〈東至社并野分 西至百姓口/南至紀直縁丸家并野 北至百姓口分〉/直稲四百八十束 段別五十束‖一所一町在野村四至〈東至栗栖畠 南至紀臣波自女地/西至古垣并栗栖林 北至野田大溝〉直稲四百束 段別四十束‖畠一町在吉備郷小嶋村四至〈東至於比寺地 南至神奴知嶋地/西至紀朝臣並倉地 北至大河〉直稲参佰束段別卅歩、 県古1p.270
東寺文書礼
荒田村 安諦郡 9C 〔日本霊異記 下〕牟婁沙弥者、榎本氏也、紀伊国牟婁郡人故、字号牟婁沙弥者、居住安諦郡之荒田村、 県古1p.116
日本古典文学大系
岩野河村☆ (在田) 建久8.9.21 1198 〔阿弖河荘地頭披陳状并頼聖具書案〕庄者、三代将軍御下文明鏡之間、貞応・嘉禄之比、不及其御沙汰者也、当庄地頭職無動転事、弥令露顕了、‖一 縁起中心不知行所々事‖岩野河村〈毘沙門堂領 地頭得田兵衛入道跡〉‖一 三谷村 高野山6p.442
又続宝78
吉原村☆ 在田郡 建仁2.10.25 1202 〔聖教題跋〕[聖教断簡 奥]建仁二年壬十月廿五日、於紀伊国在田郡石垣庄吉原村草庵、為或人草之、是偏為亡者追善也、 県古2p.946
『高山寺経蔵典籍文書目録』3
須原村☆ 湯浅庄
(在田)
嘉禄2.8.11 1227 〔紀良孝等連署田地売渡状〕謹辞 売渡常地立券事/合田弐段小者、<在湯浅御庄須原村之内字横枕〉、‖依有要用、高野山慈尊敬房入寺御房、限永代、直物銭文伍貫、所奉売渡実也、 県中2p.726
施無畏寺文書
吉河村☆
多村☆
湯浅庄
(在田)
建長7.3.7 1255 〔沙門喜海水田寄進状案〕奉寄進歓喜寺水田事/合四段者、〈在湯浅庄内吉河村仁三段大、坪者長山、/多村仁一段、八段坪内、/右件名田者、先師自明恵上人、喜海仁所譲給也、 県中2p.749
歓喜寺文書
上村
下村
阿弖河庄
(在田)
正嘉1.8.25 1257 〔阿弖河荘年貢未進注文〕注進/阿弖河御庄正嘉元年御年貢成未進事/上村定御年貢‖下村定御年貢‖阿弖河御庄公文紀(花押)(光澄) 高野山5p.665
又続宝56
栖原村
長山村
(在田) 建治3.6.18 1277 〔僧宗弁在庁講庁職寄進状〕奉寄進施無畏寺在庁講庁事/合四箇村者、多・栖原・吉河・長山、/右件在庁講庁職者、奉 寄進施無畏寺観音之処、実正也、 県中2p.731
施無畏寺文書
ハセ河村☆ (在田) 弘安3.1.28 1280 〔湯浅宗春水田寄進状〕敬白/奉寄進吉原八幡宮水田事/合壱段〈在ハセ河村〉/右志者、為令消除今所受病患、後生ニハ令遂西方極楽往生之素懐、限永代、所奉寄進也、 県中2p.750
歓喜寺文書
しやうのむら(庄村)☆ 在田郡 嘉元3.2.5 1305 〔智性田地寄進状案〕きのくにありたのこほり(紀伊国在田郡)いしかきのかわミなミ(石垣河南)のうち、しやうのむら乃うちちうたつくりにたん(二段)の事、よしわらのくわんきしハ、むめのを(栂ノ尾)のしやう人(明恵)の御はう、こたんしやうのちたるによりて、ゑいたいをかきりて、まんさうくしをめんして、かのてらゑきしんしたてまつりおわりぬ、 県中2p.737
施無畏寺文書
湯河村☆ 阿弖河上庄
(在田)
正平15.11.13 1360 〔後村上天皇綸旨写〕紀伊国阿弖河上庄真松名湯河村金垣内屋敷名田等、任父宗義正平十二年四月九日譲、知行不可有相違者、天気如此、具状、‖権右中弁(花押)/湯浅貴志福王丸館 県中2p.770
御前家文書
黒田村 (在田) 貞治1.11.25 1362 〔沙弥道智譲状写〕譲与 処分事/合/一、紀伊国 保田庄地頭職/一、同国 田殿庄領家職/一、同国 塩津浦地頭職/一、同国 上貴志地頭并下司職/一、同国 丁村地頭職/一、同国 薗部庄地頭職/一、、同国 黒田村大崎地頭職事‖所譲渡貴志五郎左衛門尉朝綱実也、仍譲之状、如件、‖沙弥道智(花押)(貴志宗朝) 県中2p.770
御前家文書

日高郡

郷(里)

財部、清水、内原、石渕、南部

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
財郷☆ 日高郡 天平宝字 -.10.- 761 〔平城宮跡出土木簡〕【財部】紀伊国日高部(ママ)財郷□□(戸主ヵ)矢田部益占調塩/三斗天平字宝(ママ)□(五ヵ)年十月 県古1p.111
平城宮木簡1
南部郷 日高郡 神護景雲2.-.- 768 〔西隆寺址出土木簡〕【南部】紀伊国日高郡南部郷戸主□□石/□調塩三斗□□景雲二年、 県古1p.116
西隆寺発掘調査報告
別里 日高郡 9C 〔日本霊異記 下〕紀直吉足者、紀伊国日高郡別里、端橋家長公也、 県古1p.147
日本古典文学大系
園宝郷☆ 日高郡 建暦2.2.- 1212 〔後鳥羽院庁下文〕【財部】院庁下 紀伊国在庁官人等/可早任[    ]寄文并国司庁宣等、為熊野新宮領、使者・国使相共、堺四至打傍示、令立券言上、園宝郷一処事、/在管日高郡内 本宮p.651
熊野速玉大社文書
いなみ本郷 (日高) 応永23.8.22 1416 〔宗光下知状〕いなみ(印南)本郷の事、藤はるニあつけ置うへハ、さまたけあるへからす、地(知)行あるへき状、如件‖宗光(花押) 県中2p.911
湯河家文書

年月日 西暦 原 文 出 典
亥の野村 南部庄
(日高)
天仁2.10.21 1109 〔中右記〕(天仁二年)十月‖十八日、鶏鳴之後出宿、‖次過由和佐里(湯浅里)、‖廿一日、天時々陰、‖南陪(南部)庄内亥の野村人宅ニ宿、〈国司目代儲/又久澄進物〉‖廿八日、‖未刻昼養〈宇久比(井)里/下人宅〉、‖廿九日、天陰、‖及辰巳刻、雨脚甚盛、着蓑笠踞舟中、水大湛舟、衣裳甚湿、凡辛苦悩乱非可堪忍、仍繋舟於岸脚、留下人小屋〈午/刻〉、此里号御妹云々、 県古1p.815
増補史料大成
山内村☆ 南部庄
(日高)
承安5.6.24 1175 〔前斎院庁下文〕前斎院庁下 南部御庄政所/可早寄進於高野山蓮華乗院当御庄内山内村田拾町事、‖右件御堂、為 故鳥羽院御菩提、所令建立御也、仍以件村所当地利、為被宛彼仏性灯油人供等、令寄進者也、‖宮内録中原(花押)/別当少納言兼侍従藤原朝臣(花押) 河内権守紀朝臣(花押) 高野山1p.301
宝2
下村 芳養庄
(日高)
応永18.6.8 1411 〔宗光下知状〕はや(芳養)の庄之内下村の事、藤はるにあつけ置うへハ、さまたけあるへからす、地(知)行あるへき状、如件、‖宗光(花押) 県中2p.911
湯河家文書
東村☆ (日高) 天正10.6.26 1582 〔二郎三郎・二郎五郎連署屋敷売渡状〕東村角屋敷之事、一度我等方へ被申候へ共、次郎大夫先祖と被申候て、現米弐斗九升ニ渡置候之処実正也、‖二郎三郎/二郎五郎 県中2p.902
前田家文書

牟婁郡

郷(里)

岡田、牟婁、栗栖、三前

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
可太郷☆ 牟婁郡 神亀5.9.- 728 〔平城宮出土木簡〕紀伊国牟婁□(郡ヵ)/ ](海)部郡可太郷黒(田ヵ)里□□(戸主ヵ)□□(神奴)与止麻呂調塩三斗、神亀五年九月、 県古1p.79
平城宮発掘調査出土木簡概報5
栗樔郷☆ 牟婁郡 天平勝宝2.2.21 750 〔村君安麻呂勘籍〕【栗栖】村君安麻呂〈年卅七/紀伊国牟婁郡栗樔郷戸主村君辛兄之男〉‖天平五年所貫岡田郷戸主村君辛兄之男同部安麻呂〈年廿〉 県古1p.104
大日本古文書(編年)25
宇久比里(宇久井里) ☆
御妹(里)
(牟婁) 天仁2.10.28 1109 〔中右記〕(天仁二年)十月‖十八日、鶏鳴之後出宿、‖次過由和佐里(湯浅里)、‖廿一日、天時々陰、‖南陪(南部)庄内亥の野村人宅ニ宿、〈国司目代儲/又久澄進物〉‖廿八日、‖未刻昼養〈宇久比(井)里/下人宅〉、‖廿九日、天陰、‖及辰巳刻、雨脚甚盛、着蓑笠踞舟中、水大湛舟、衣裳甚湿、凡辛苦悩乱非可堪忍、仍繋舟於岸脚、留下人小屋〈午/刻〉、此里号御妹云々、 県古1p.815
増補史料大成
本郷 印南庄
(牟婁)
永和3.4.17 1377 〔紀伊国印南荘本郷預状〕紀伊国印南庄本郷事、所預置也、可被存其旨之状如件、/永和三年卯月十七日  (湯河)詮光判/汁谷修理亮入道殿 本宮p.829
玉置主計文書(牟婁郡古文書)

年月日 西暦 原 文 出 典
熊野村☆ 牟婁郡 9C 〔日本霊異記 下〕諾楽宮御宇大八洲国之帝姫阿倍天皇御代、紀伊国牟婁郡熊野村、有永興禅師、化海辺之人、 県古1p.118
日本古典文学大系
芳益(芳養)村 牟婁郡 大治2.8.17 1127 〔紀伊国在庁官人等解案〕在庁官人[    ]/立券進 日前国懸両社御封佰弐拾壱烟代常荒田漆拾玖町事/岡崎村内弐□(拾)肆町/和太南村内参拾町/安原村内拾伍町/岡田下村内拾町‖神社仏寺御封之代、依請以所在公田内被便補者、当他普通之例也、近則熊野本宮御封十烟之代、被便補牟婁■(郡)芳益(養)村見作田伍町所当官物、金剛峯寺同封戸代去康平年中以後、便補伊都郡伊指・大谷量郷田畠三佰余町、 県古1p.906
林家文書
鷹山村☆ (牟婁) 正安4.1.25 1302 〔鷹山検校安堵状〕熊野山本宮五ヶ村鷹山村検校職之事、相伝職当知行無子細由被申上之上者、向後領掌不可有相違旨‖左衛門尉/鷹山検校 本宮p.760
古文書類記(本宮大社蔵)
皆合村
のき(能城村)☆
わけ(和気村)☆
ひたり(日足村)☆
かわひ三のむら(川合村)
(牟婁) 文和4.2.20 1355 〔庵室敷地名帳売渡状〕(端裏書)「御本皆合村人状あて」/それかしゝゝ〈おはなさゑもん/おろし〉うりわたすほんくうくつりみちのひんこのきみのあんしちしきちみやうちやうの事‖御もとみつのむら、かわひ三のむらせうにんにたつうへハこちにのわつらひあるへからす、‖のきの分‖わけの分‖ひたりの分 本宮p.803
熊野本宮大社文書
中むら(中村) (牟婁) 永享9.2.27 1437 〔彦左衛門茶園売渡状〕なかくうり申中むらのちやえんの事/合代壱貫二百文/右件のちやえんハ、ようゝゝあるによんて、はなち申候ところしち也、いらんさまたけ候ハヽ、一はいにてさた申へく候、‖かいぬししたにのさこの大夫殿/うりぬしひこさへもん(花押) 県中2p.1005
中原家文書
かきのきむら (牟婁) 永正17.11.16 1520 〔かきのき源衛門田地売渡状案〕うり申田之事/合こめに在三百文者、/右くたん御田ハ、急用あるニよて、永うり申事実しやうなり、てかん多方ゆき候とも、いらん申すましく候、‖うりぬしかきのきむらけんゑもん、/かいぬしひやうなりとう四郎との 県中2p.1009
中原家文書
四村 (牟婁) 永禄2.11.- 1559 〔玉置卯兵衛道者渡状〕永代わたし申候とうしや之事、四村山内よう/ゝゝあるに仍わたし申候、‖わたしぬし/玉置卯兵衛/直正(花押)/とりぬしきりはた/さいはちとの 本宮p.984
熊野本宮大社文書

  1. 『今昔物語集』は、その成立時期とされる保安元年にあわせた。