若狭国

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本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。
また、郷村表はもともと各国担当者によってWordで作成されており、これを、「ムラの戸籍簿」研究会事務局で集約して公開用に変換しております。
変換作業上、特殊な文字や史料表記について、やむをえず作成者の作成した文字データが反映されていない部分のありますことをご承知おきいただけましたら幸いです。
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作成者:谷昇

郷村名郡別世紀別初出表

概要

概要


参考文献


典拠史料


凡例

『福井県史』解説に、木簡の使途が明記されているものは、それを〔 〕内に示した。木簡データベース等から採録したものは、〔木簡〕と表記した。


郷村表

遠敷郡

郷(里)

おにゅう遠敷、にう丹生、たまき玉置、あか安賀、のり野里、しま志麻

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
岡田里 (遠敷) 文武1.-.- 697 〔調塩付札〕丁酉年若狭国小丹生評岡田里三家人三成/御調塩二斗 1巻p.255
藤原宮木簡
小丹生里[1]
(遠敷)
(遠敷) 文武1.-.- 697 〔木簡〕【遠敷】丁酉年/若佐国小丹〈〉生里/秦人□□□〔己ヵ〕○二斗‖ 藤原宮1-182
藤原宮木簡
三分里 (遠敷) 文武3.-.- 699 〔木簡〕・己亥年若佐国小丹□〔生ヵ〕・三分里三家首田末□〔呂ヵ〕 藤原宮荷札集成-122
藤原宮木簡
玉杵里[2]
(玉置)
(遠敷) 己亥年(文武3).-.- 699 〔調塩付札〕【玉置】己亥年□□(月ヵ)玉□(杵ヵ)里人若倭部身塩二斗 1巻p.256
藤原宮木簡
三家里[3] (遠敷) 己亥年(文武3).-.- 699 〔貢進物付札〕己亥年若狭国小丹×/三家里三家首田末□(呂ヵ)× 1巻p.257
藤原宮木簡
野里[4] (遠敷) (7C) 〔調塩付札〕【野里】野里中臣部石人塩二斗 1巻p.261
藤原宮木簡
嶋田里 遠敷郡 養老6ヵ.8ヵ.- (722) 〔荷札〕若狭国遠敷郡/野□□□□〔郷嶋田里ヵ〕‖・○養老□〔六ヵ〕○□〔八ヵ〕月 城34-22下平城宮木簡
田井里 遠敷郡 神亀4.潤月.7 727 〔調塩付札〕若狭国遠敷郡玉置郷田井里〈三次君国依御調塩三斗〉/神亀四年潤月七日 1巻p.265
平城京木簡
少海里[5] 遠敷郡 神亀5.9.15 728 〔調塩付札〕若狭国遠敷郡〈木津郷少海里土師電(マヽ)御調塩三斗〉/神亀五年九月十五日 1巻p.266
平城京木簡
丹生郷[6] 遠敷郡 天平勝宝5.6.15 753(以前) 〔仕丁送文〕【丹生】秦人広山年廿四〈若狭国遠敷郡丹生郷戸主秦人可久麻戸(マヽ)口〉 1巻p.675
正倉院丹裹古文書
伊都里 (遠敷) (8C) 〔舂白米付札〕玉置郷伊都里〈舂白米五斗〉 1巻p.278
平城宮木簡
志麻郷
(志万・嶋)
宇庭ヵ里
遠敷郡 (8C) 〔木簡〕【志麻】若佐国遠敷郡○/志麻郷宇□〔庭ヵ〕里/秦人〈〉三斗 城22-33下
(333)
平城宮木簡
車持郷☆
長部里
遠敷郡 (8C) 〔木簡〕若狭国遠敷郡/車持郷長部里□□□〔千ヵ〕□/〈〉□〔六ヵ〕□ 城34-25上
(286)
平城宮木簡
余戸里[7] 遠敷郡 8C 〔木簡〕若狭国遠敷郡/余戸里宍人□臣足/○御調塩→ 平城宮
7-12794
平城宮木簡
中手東郷[8]
中手西郷
(東郷)
(西郷)
(遠敷) 大治1.2.- 1126 〔源某若狭国所領処分状〕処分所領田畠山林等事/合/中手東郷/畠/一所〈加山林定〉 字丹生村‖中手西郷/畠/一所 字大比江生畠‖青郷六ヶ所 已上同前‖右、件所領田畠山林、相伝領知也‖処分状如件 1巻p.742-3
東寺百合文書
名田郷 遠敷郡 仁安3.11.29 1168 〔沙弥盛信弘私領相博状案〕相博 私領一所事/右 若狭国遠敷郡名田郷‖右、件所者相伝私領也。‖永所相博伊予内侍殿領摂津国武庫東条河辺南条内野間御庄也 1巻p.755
徳禅寺文書
国富郷 遠敷郡 建久6.12.4 1195 〔太政官符〕□□□(太政官)符 若狭国司/応任官使右史生安倍定宗立券状、令弁済公家長日御修法供米・‖在管遠敷郡国富郷/四至‖/田参拾肆町壱段参佰伍拾歩‖建久六年十二月四日 2巻p.846
吉川半七氏所蔵文書
富田郷 (遠敷) 仁治1.2.13 1240 〔若狭国惣地頭若狭忠清知行分去渡田畠坪付注文〕注進/若狭国惣地頭忠清知行分三ヶ所内去渡田畠坪付事/合/一、太良保馬上免内‖一、富田郷内/四反畠 大木本 2巻p.49
東寺百合文書
安賀郷 (遠敷) 文永2.11.- 1265 〔若狭国惣田数帳案〕【安賀】若狭国/注進□□(文永)二年実検田数所当米事/合弐仟弐佰拾柒町陸段弐佰参拾参歩‖安賀郷壱町参反‖楽音寺三反百廿歩 即郷‖右、実検惣田数并所当米員数如件/文永二年十一月 日  文所 2巻p.82、94
東寺百合文書
太良郷☆ (遠敷) 文永8.11.30 1271 〔吉田経俊奉書〕太良郷検注事、可停止之由、重被仰目代候也。下知状書進候、仍執達如件。/「文永八(異筆)」十一月卅日 中納言(吉田)経俊 太良荘史料
1巻p.206
東寺百合文書
中郷☆ (遠敷) (中世末) 〔宮川保神田堂田書立〕宮川保神田并堂田之事/新保村分/壱反 姫宮御供神事 正月朔日 分米壱石八斗‖中郷分/小 大谷若宮田矢室名之内 分米四斗 矢室衛門三郎 1巻p.268
清水三郎右衛門家文書

年月日 西暦 原     文 出  典
丹生村 (遠敷) 大治1.2.- 1126 〔源某若狭国所領処分状〕【丹生】処分所領田畠山林等事/合/中手東郷/畠/一所〈加山林定〉 字丹生村‖中手西郷/畠/一所 字大比江生畠‖青郷六ヶ所 已上同前‖右、件所領田畠山林、相伝領知也‖処分状如件 1巻p.742
東寺百合文書
大谷村☆ (遠敷) 天福2.10.8 1233 〔六波羅御教書案〕賀茂社司等申、為若狭国宮河保地頭代、相語山僧宗慶阿闍梨致狼藉、欲割取宮河庄内大谷村并矢代浦田事、訴状折紙〈副寺牒案/沙汰人解〉遣之‖事実者不穏便、早可停止当時狼籍(藉)也。‖掃部助(北条時盛)在御判/駿河守(北条重時)在御判 2巻p.202
座田文書
堅海村
竹原村[9]
(遠敷) 文永2.11.- 1265 〔若狭国惣田数帳案〕若狭国/注進□□(文永)二年実検田数所当米事/合弐仟弐佰拾‖町陸段弐佰参拾参歩‖久須夜宮壱町 堅海村‖右、実検惣田数并所当米員数如件/文永二年十一月 日  文所 2巻p.82
東寺百合文書
坂本村☆
上村
(遠敷) 弘安3.9.15 1280 〔若狭国名田庄内坂本村売券案〕若狭国名田庄内坂本村相伝系図/(系図掲載)/沽却 蓮花王(院脱ヵ)御領若狭国名田庄坂本村事/合四至〈‖限西上村ノサカイ‖〉‖右件村者、三条中将(実盛)重代相伝御私領也。而依有要用、宛直銭陸佰貫文、限永代所沽却于藤原氏女之実也‖藤原朝臣 判 2巻p.217-8
真珠庵文書
須恵野村 (遠敷) 正応5.8.24 1292 〔覚雅附属状案〕中正院本尊聖教・道具等并肥前国佐嘉庄・若狭国須恵野村等、奉譲与畢。但在鎌倉之間、小町平金吾不浅申承之条、其志難忘者也。‖仍委付状如件‖覚雅/法印 在判/経乗/大蔵卿阿闍梨御坊 2巻p.309
醍醐寺文書
知見村[10] (遠敷) 元徳2.12.27 1330 〔法橋頼全・阿闍梨能性連署知見村役請取状〕請取 蓮華王院金堂御修理用途事/合陸百文者/右、当寺領若狭国名田庄内知見村役、所請取如件‖法橋頼全(花押)/修理奉行阿闍梨能性(花押) 2巻p.220
真珠庵文書
井上村☆ (遠敷) 貞和3.8.8 1347 〔出浦親直請文案〕若狭国名田庄井上村・坂本・上村三ヶ村事、去月八日御奉書、謹下賜候畢。‖任御奉書之旨、打渡下地於雑掌候畢‖貞和三年九月三日 源親直(請文裏判)/進上 御奉行所 2巻p.225
真珠庵文書
田村 (遠敷) 貞和3.9.6 1347 〔若狭国名田荘内田村上葉結解状〕田村御上葉結解状 貞和三年分/合弐拾五貫六百文 加別納定□□ハノソク定‖一、左衛門次郎借申候用途 貞和二年十二月日五貫文‖貞和三年九月六日 忠弘(花押) 2巻p.225
真珠庵文書
下村☆ (遠敷) 貞和4.9.6 1348 〔若狭国名田荘内田村年貢算用状〕田村御年貢さんようの事‖以上廿九石七斗二合/一、下村より田村へこすひゃうらん米さんよう事‖貞和四年九月六日 忠弘(花押) 2巻p.227
真珠庵文書
和多田村☆ (遠敷) 観応1.5.- 1350 〔大納言阿闍梨坊雑掌申状〕目安/大納言阿闍梨坊雑掌申、蓮華王院領若狭国名田庄内和多田村河手并政所名等事、去四月卅日 院宣・花山院入道(兼信)中納言家御雑掌事等、今月九日到来、謹令拝見畢‖仍目安言上如件 2巻p.227
真珠庵文書
小村 (遠敷) 観応1.12.13 1350 〔若狭国名田荘内田村水損河成注文〕田村水損河成注文事 観応元年十二月十日‖一、小村/国友名 一反内〈小大佃河成〉 大 流失/十二歩 流失/半 流失‖損田三反三百廿九歩‖観応元年十二月十三日 優阿弥(花押)/しやうゑん(花押)/清秀(花押) 2巻p.230
真珠庵文書
中村☆ (遠敷) 文和3.12.9 1354 〔後光厳天皇綸旨〕河内国厚見庄‖若狭国名田庄内中村‖等、泉涌寺知行不可有相違者/天気如此、仍執達如件‖左少弁(平親顕)(花押)/皎全上人御房 2巻p.284
大覚寺文書
寺野村 (遠敷) 康安2.8.6 1362 〔大内和秀寺領寄進状〕奉寄進/若狭国松永庄棡山明通寺寺領寺野村事/右寺領者、先給主太伊(惟宗)良任本寄進状之旨、限永代重所奉寄進也‖右衛門尉和秀(花押) 9巻p.583
明通寺文書
新保村☆ (遠敷) 明徳2.2.10 1391 〔すきわ重家田地宛行状〕宛行 しつ海(志積)浦田之事/合捌段小卅歩〈在所宮川之内/新保村下ニ在〉/右下地ハ、重代相伝与依有宛行也‖すきわ/重家(花押)/しつ海刀祢/兵庫左衛門殿 9巻p.10
安倍伊右衛門家文書
谷村
鳴滝村
遠敷郡 応永34.8.15 1427 〔日枝神社棟札〕若州遠敷郡太良庄谷村 大工遠敷/八幡宮 応永三十四〈丁未〉年八月十五日〈作立〉/大願主鳴滝村之道性 中村之左近允 小浜市史金石文編p.66
日枝神社棟札
奈胡村☆ (遠敷) 永享4.10.- 1432 〔国富荘奈胡村山王大権現鎮座記[11]〕奈胡村山王別当職之事/一、国富庄奈胡村山王大権現本地者医王菩薩也(薬師如来)‖羽賀寺建立之時、彼山王権現奈胡村江神躰遷座シ、四ヶ村之為氏神‖定乗(花押) 9巻p.446
羽賀寺文書
永田村 (遠敷) 宝徳2.10.13 1450 〔時講結衆如法経銭寄進札〕奉施入/棡山明通寺如法経銭□□/合拾貫文者毎年御経壱□□□分(ヵ)/右志趣者、奉為現世安穏後生□□乃至六道四生郡(マヽ)類無差平等利益‖永田村時講結衆 小浜市史金石文編p.94
明通寺寄進札
野代村[12] (遠敷) 宝徳3.3.28 1451 〔野代村上下宮棟札写〕野代村上下産神/六所宮造立 宝徳三年〈辛未〉三月廿八日‖本願人 藤原氏池田三郎左衛門貞祐/同宝徳三年五月廿二日書写畢/筆者管(菅)原朝臣〈布施茂貞〉/右一枚棟札‖以上十枚之内/鍵取世話共、妙楽寺古来よりいたし来候 9巻p.669
妙楽寺文書
福谷村☆ (遠敷) 文明2.10.18 1470 〔平権守如法経米寄進札〕奉施入 羽賀寺如法経米事/合拾斛者/窃以一乗妙典者、是八万宝蔵之最上一代諸経之大旨也‖現当二世悉地成就無差平等而已‖西津庄福谷村/平権守敬白 小浜市史金石文編p.200
羽賀寺寄進札
次吉村☆ (遠敷) 文明7.2.- 1475 〔権大夫権守如法経米寄進札〕奉施入 羽賀寺如法経米事‖為慈父妙連禅門三十三廻追善之、投浄財於如法道場頓仏果円満‖次吉村/施主権大夫権守〈敬白〉 小浜市史金石文編p.202
羽賀寺寄進札
羽賀村☆ (遠敷) 文明8.3.16 1476 〔某如法経米寄進札〕奉施入 羽賀寺如法経米之事/合拾斛者/窃法華如法書写功徳併仏縁、経巻一実是也。故浄泉禅門為任開示悟入法門出離生死頓証菩提非情草木悉皆成仏普利/文明八暦三月十六日/羽賀村西大家/施主敬白 小浜市史金石文編p.202
羽賀寺寄進札
熊野村☆ (遠敷) 文明9.-.- 1477 〔妙清如法経米寄進札〕奉施入羽□□如法経米事/合拾斛者/夫以此経者□□道之真法衆生頓覚之実□□法之勝用誠有憑者畢‖熊野村‖施主妙清敬白 小浜市史金石文編p.204
羽賀寺寄進札
黒駒村
椎村
(遠敷) 文明18.11.15 1486 〔妙宥如法経米寄進札〕奉施入/飯盛寺如法経米之事/合拾斛者/右意趣者信心施主現(後欠)‖黒駒村椎村内/妙宥禅定門 小浜市史金石文編p.221
飯盛寺寄進札
勢井村☆
(勢村)
(遠敷) 延徳1.10.20 1489 〔清水正久田地売券〕永代売渡申下地之事/合壱段者 在所勢井村新田之内也。但依要用有、代物六貫文仁永代売渡申所実正也。‖清水五郎左衛門尉‖正久(花押) 9巻p.400
長源寺文書
生守村[13] (遠敷) 延徳3.2.10 1491 〔有景下地売券〕永代売渡申下地事/合壱反者‖右彼下地者、御領源七名之内、私雖為重代相伝、依有要用、代銭拾一貫五百文ニ永代売渡申処実正也。‖生守村左衛門/有景(花押) 9巻p.611
明通寺文書
東勢井村☆ (遠敷) 延徳3.11.2 1491 〔大郎五郎田地売券〕永代売渡申田地事/合四斗者〈在所東勢井村石ふし也〉/右彼田地者、雖為譜代相伝之散田、依有要用、現銭弐貫文に永代売渡申処明白也‖売ぬし 大郎五郎(略押)/請人同 左衛門(略押) 9巻p.401
長源寺文書
甲崎南村 (遠敷) 延徳4.8.16 1492 〔彦三郎塩浜売券并畑田賢清補任状案〕永代売渡申塩浜之事/合壱上(昇)者/右、件塩浜者、雖為見定大夫先祖相伝私領、依有要用、限永代柒貫伍百文ニ、三宅孫右衛門尉殿ニ売渡申所実正明白也‖仍永代売券状如件。‖甲崎南村見定大夫/彦三郎 判 9巻p.657
妙楽寺文書
能木村 (遠敷) 永正5.10.23 1508 〔六郎大夫如法経米寄進札〕奉施入/棡山明通寺如法経之事/合壱部〈毎年所〉/右此経者、色心直躰衆生本源也。‖依之相当道泉禅門卅三廻、早可致无上仏果‖能木村/六郎大夫(略押) 小浜市史金石文編p.112
明通寺寄進札
多田村☆ 遠敷郡 大永4.10.23 1524 〔武田元光安堵状〕若狭遠敷郡今富庄多田村新田之内、壱段百歩事、任沽券之旨、為給分宛行西村与三右衛門尉次盛畢者、永代知行不可有相違状如件/大永四年十月廿三日 (花押)(武田元光) 2巻p.715
尊経閣文庫所蔵文書
飛川村☆ (遠敷) 天文7.2.2 1538 〔寺井家忠所職補任状〕補任/飛川村平大夫抱之内田地壱段買得之由、得其意候。然上者本役等無懈怠致其沙汰、永知行不可有相違者也。仍補任之状如件‖家忠(花押) 9巻p.558
明通寺文書
下能木村 (遠敷) 天文15.2.15 1546 〔妙心如法経寄進札〕棡山明通寺如法経銭事/合肆貫文者〈毎年御経一部奉納〉/右志者、為妙心禅尼十三年善根、七分全徳也。‖無差利益。仍奉施入〓(人偏+|+文)如件‖下能木村/妙心(花押) 小浜市史金石文編p.127
明通寺寄進札
国分寺村 (遠敷) 天文18.12.2 1549 〔左衛門尉如法経米寄進札〕夫如法妙典三世諸仏出世本懐、一切衆生成仏直説也。依之為妙性禅尼第十七廻忌京(マヽ)令運数年志者。仍至法界平等利益。仍奉施入処如件‖国分寺村/左衛門 小浜市史金石文編p.129
明通寺寄進札
三重村☆ (遠敷) 天文19.6.20 1550 〔谷田寺寺領関係文書写〕若州処々買得目録之事‖一 七百代 正乗坊分 同三重村新屋‖以上/右目録之趣、被成 御判(武田信豊)上者、永代無相違可有知行‖六月廿日 大和守/奥坊重増/当寺往昔十二坊号/円蔵坊‖已上 小浜市史社寺文書編338
谷田寺文書
小南村 (遠敷) 天文19.11.13 1550 〔孫右衛門尉如法経米寄進札〕棡山明通寺如法経米之事/合五石者〈毎年御経一部奉納〉/右志趣者為  信男逆修七分全徳也‖仍奉施入処如件。‖小南村/孫右衛門尉(花押) 小浜市史金石文編p.129
明通寺寄進札
遠敷村 (遠敷) 天文21.10.10 1552 〔太郎兵衛如法経米寄進札〕【遠敷】奉施入岩屋山妙楽寺如法経米之事/合伍石者/右志所者為遠敷村宗清禅門逆修菩提也‖施主遠敷村/天文廿一〈壬子〉十月十日 太郎兵衛敬白 小浜市史金石文編p.231
妙楽寺寄進札
仏谷村[14] (遠敷) 天文22.-.28 1553 〔開発四村惣中山売券〕売渡申ふくら山之事/此山者仏谷之もと山にて候間、開発四村之惣中として仏谷之村惣中へ売渡申候処実正也‖此上ハ仏谷村子々孫々迄代々御知行可有候‖開発/刀祢(花押)/竹ノ内(略押)/はしもと(略押)‖/仏谷村参 9巻p.34
大橋脇左衛門家文書
高塚村 (遠敷) 天文22.8.13 1553 〔介大夫如法経米寄進札〕棡山明通寺如法経米之事/合五斛者〈毎年御経一部奉納〉/右趣意者、為宗妙信女逆修七分全徳也。‖現世安穏後生善処仍奉施入処如件‖高塚村/介大夫(略押) 小浜市史金石文編p.131
明通寺寄進札
さふり谷村
(佐分利谷)
むしか野村 ☆
(虫鹿野)
くり田村☆
(栗田)
尾さき村☆
(尾崎)
いなおか村
(稲岡)
わくり村☆
(和久里)
すなハ村☆
(須縄)
井ノ口村
三宅村☆
上吉田村☆
瓜生村☆
あかり村☆
(安賀里)
鳥羽山内村[15]
長井村☆
有田村☆
大鳥羽村☆
おはら村☆
(小原)
平野村☆
岩屋村☆
あいた村☆
(相田)
藤井村☆
あさう村[16]
(麻生)
いさゝ村
大やふ村☆
(大藪)
興道寺村☆
木の村☆
(木野)
松はら村☆
(松原)
くゝし村☆
(久々子)
田かミ村☆
(田上)
ふし原村☆
(伏原)
むかさ村☆
(向笠)
(遠敷) 弘治2.6.22 1556 〔明通寺鐘鋳勧進算用状〕明通寺鐘鋳勧進算用状 納之事‖弐百文 わたゝ村分 三百六十文 みへ村‖以上弐拾八頁五十文歟/鐘鋳勧進米之納/一石 大野兵部殿
(一々の村名は省略)
9巻p.630-633
明通寺文書
桑村 (遠敷) 弘治2.-.- 1556 〔明通寺鐘鋳勧進時入目下行日記〕明通寺鐘鋳勧進時入目下行帳‖弘治二年分‖五十文〈桑村舟入へ舟ちん渡ス。米六石のせ候て〉 9巻p.636
明通寺文書
玉置村☆ (遠敷) 永禄5.2.16 1562 〔三良大夫如法米寄進札〕【玉置】棡山明通寺如法経米之事/合十石者〈毎年御経一部奉納〉/右志者、為妙金禅尼三十三廻忌景追善也‖仍施入処如件‖玉置村/三良大夫(略印) 小浜市史金石文編p.135
明通寺寄進札
上野村 (遠敷) 天正2.9.7 1574 〔左近大夫如法経米寄進札〕奉施入棡山明通寺如法経米之事/合伍石者〈毎年御経一部奉納也〉/右志者、為道香禅門廿五年忌追善也‖今日施主現世安穏後生善処乃至普利‖上野村/左近大夫(略押)(裏面)「宿坊南僧房祐重/筆者少納言教秀」 小浜市史金石文編p.140
明通寺寄進札
四分一村☆ (遠敷) 天正11.2.8 1583 〔平衛門如法経米寄進札〕奉施入明通寺如法経米事/合五石者/右志者、為奉祈逆修得脱致運送数年営処也。然後毎年御経一部可預御廻向者也。彼金文云普為十万衆生演説妙法尓時娑婆世界菩薩声聞天竜八部人与非人皆遥見被竜女成仏而已‖四分一村 平衛門(略押) 小浜市史金石文編p.143
明通寺寄進札
松生村 遠敷郡 天正11.7.26 1583 〔羽柴秀吉判物〕若州遠敷郡松生村弐百六拾石余令扶助畢。全可領知状如件‖越前守/秀吉(花押)/木下和泉入道殿 2巻p.647
岡本栄之氏所蔵文書
大田村☆ (遠敷) 文禄3.3.- 1594 〔大田村高指出〕五十参石 畠方 大豆/六拾八石 荒 此内‖高参百卅六石七斗五升/此外ニ少(〻しも)かくし申候者、可為曲事者也。其時一言之儀申候間敷候。/文禄参年三月吉日 大田村/九郎兵へ 9巻p.81
紙屋文書
田原村 (遠敷) 文禄3.11.21 1594 〔木下勝俊社領寄進状〕(折紙)田原村為天神社領、拾石之所令寄進者也/(文禄三年)十一月廿一日 勝俊(花押) 9巻p.505
廣嶺神社文書
海士坂村 (遠敷) 慶長3.10.15 1598 〔代官所物成目録〕御代官所定物成之事‖高五百拾八石五斗六升三合 鳥羽谷ノ内/海士坂村/定成百八拾弐石壱斗三升内/大豆弐拾七石也‖右之旨可被収納候者也 1巻p.126
小浜市桑村文書
青井村☆ (遠敷) 慶長4.11.1 1599 〔代官所物成目録〕定御代官所物成之事‖定物成合千七拾四石七斗七合内‖一、百四拾五石壱斗九升八合内/大豆弐拾石也/鳥羽内/海士坂村‖伏原村‖一、弐拾五石八斗九升八合 青井村‖右分堅可被取立候也。‖理右衛門(花押・印)‖(桑村)彦一殿 9巻p.129
桑村文書
立(竜ヵ)前村☆ 遠敷郡 慶長5.10.19 1600 〔京極高次判物〕遠敷郡之内 志積浦/同 立(竜ヵ)前村/同 野代村/以上三ヶ所/高合五百拾七石壱斗六升八合‖右之分従当年代官申付候間可入念候也‖高次(花押)/くミや 六郎左衛門殿 9巻p.83
組屋文書
小野村 (遠敷) 年未詳-.7.24 〔僧増賢書状案〕若狭国名田庄惣下司□(職ヵ)并小野村事、追進□案文令進上候。以此之趣、可有御披露候。恐惶謹言。七月廿四日 僧増賢 2巻p.235
真珠庵文書
木保村 (遠敷) (中世末) 〔宮川保神田并堂田之事〕宮川保神田并堂田之事/新保村分/壱反 姫宮御供神事 正月朔日 分米壱石八斗‖木俣村分/四反 山王御修理田分米六石 清水三郎右衛門尉 9巻p.269
清水三郎右衛門家文書
金屋村☆ (遠敷) (中世末) 〔蔵人所写牒〕(暦応5年4月日蔵人所牒の写あり)‖右者従/禁中真継家先祖江被下置候御牒御綸旨之写也/真継家役所(印)/若州遠敷金屋村/鋳物師中 2巻p.262
芝田孫左衛門家文書

大飯郡[17]

郷(里)

おおい大飯、さぶ佐文、きづ木津、あお阿遠 (天長2年〈825〉佐文・木津・阿遠郷は遠敷郡から分離)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
木ツ里[18]
(木津)
(大飯) 庚子年(文武4).-.- 700 〔調塩付札〕【木津】庚子年四月〈若狭国小丹生評木ッ里秦人申二斗〉 1巻p.258
藤原宮木簡
安遠郷[19]
(青郷) [20]
(大飯) 天平2.8.- 730 〔木簡〕【阿遠】・安遠郷川辺里○/秦→/調〈〉‖・○天平二年八月 城23-19上(195)
佐分郷[21] (大飯) 天平6.8.10 734 〔木簡〕【佐文】・若狭国遠敷郡○/佐分郷岡田里/□□〔三家ヵ〕人三縄‖・御調塩三斗○天平六年八 十日 城22-33下(336)
平城宮木簡
大飯郷 (大飯) (8C) 〔木簡〕【大飯】・□□〔大ヵ〕飯□〔郷ヵ〕〈〉・〈〉 平城宮7-12668
平城宮木簡
式多里 (大飯) (8C) 〔木簡〕若狭国遠敷郡/佐分郷式多里/三家人牧田‖御調塩三斗 1巻p.城16-6下(23)
平城宮木簡
大井本郷
(本郷) ☆
(大飯) 貞応2.4.10 1223 〔関東下知状〕可令早源有康為若狭国大井本郷地頭職事/右人、任親父朝親法師之譲状、可為彼職之状、依仰下知如件‖前陸奥守平(北条義時)(花花押) 2巻p.736
東大史料編纂所蔵

年月日 西暦 原     文 出  典
長井村☆ (大飯) 弘治2.6.22 1556 〔明通寺鐘鋳勧進算用状〕明通寺鐘鋳勧進算用状 納之事‖弐百文 わたゝ村分 三百六十文 みへ村‖以上弐拾八頁五十文歟/鐘鋳勧進米之納/一石 大野兵部殿
(一々の村名は省略)
9巻p.630-633
明通寺文書
石山村☆ (大飯) 天正16.2.16 1588 〔小老与七郎書状〕石山村之内山茶(手米ヵ)之儀者伝右ニ申聞候ヘハ、浄土寺ヘ一円ニ令寄進之旨、則拙者ニ心得可申上候通候条、扨々如此候。其御心得可被成候。恐々謹言‖小老与七郎 定□(花押)/いしやま 浄土寺様 参 9巻p.1044
浄土寺文書
舞々村 大飯郡 文禄5.3.10 1596 〔津河内記公事免除状〕大飯郡高浜舞々村、諸公事相免除者也‖津河内記 一□(花押)/才恙(丞)/幸菊/与助 9巻p.1022
妙光寺文書

三方郡

郷(里)

のと能登、み弥み美、みかた三方

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
耳里[22] (三方) (7C) 〔貢進物付札〕【弥美】三方評耳里□× 1巻p.259
藤原宮木簡
竹田部里 (三方) (7C) 〔調塩付札〕三方評竹田部里人〈□□□(宅ヵ)世万呂塩二斗〉 1巻p.259
藤原宮木簡
能登郷[23] (三方) (8C) 〔貢進物付札〕【能登】若狭国三方郡能登郷/戸主粟田公麻呂戸口/○三家人□麻呂調/○塩参斗∥ 1巻p.285
平城宮木簡
中村里 三方郡 (8C) 〔調塩付札〕若狭国三方郡耳郷中村里〈物部□万呂御調五斗〉 1巻p.279
平城宮木簡
竹田郷
丸部里
三方郡 (8C) 〔調塩付札〕若狭国三方郡竹田郷〈丸部里竹田部□乙□志御調塩五□〉 1巻p.280
平城宮木簡
三方郷☆ 三方郡 (8C) 〔貢進物付札〕【三方】若狭国三方郡三方郷 1巻p.286
平城宮木簡
山西郷
山東郷
耳西郷
(三方) 文永2.11.- 1265 〔若狭国惣田数帳案〕若狭国/注進□□(文永)二年実検田数所当米事/合弐仟弐佰拾‖町陸段弐佰参拾参歩‖山西郷十五町六反‖右、実検惣田数并所当米員数如件/文永二年十一月 日  文所 2巻p.78
東寺百合文書
金山郷☆ (三方) 応安4.4.29 1371 〔代官某学頭米宛行状〕長谷寺五所大明神為楽頭田分、金山郷御年貢内壱石、可被下行之状如件/応安四年卯月廿九日/御代官(花押)/毛(気)山大夫 8巻p.768
江村伊平治家文書

年月日 西暦 原     文 出  典
麻生村☆ (三方) 弘安6.10.- 1283 〔左兵衛尉康貞下知状〕山西郷内麻生村西宮在家事、早為不輸之地、所宛行于有万法師也。仍下知如件。‖左兵衛尉康貞 8巻p.483
園林寺文書
黒田南村☆ (三方) 元弘1.10.3 1331 〔倉見荘御賀尾浦・黒田南村代官職宛行状〕(花押)/宛行 倉見庄内見加尾浦并黒田南村之代官職事/右、件之代官職者、左近丞仁宛預所也。仍状如件。/元弘元年十月三日 8巻p.809
大音正和家文書
野間村 (三方) 暦応2.7.13 1339 〔若狭国守護斯波氏頼請文〕廬山寺雑掌円信申、若狭国前河庄内野間村事、守護代道智請文如此。子細載状候。且幼稚之間不能判刑(形)候、以此旨可有御披路(露)候、恐惶謹言。‖左近将監氏頼/進上御奉行所 2巻p.448-9
廬山寺文書
気山村☆ (三方) 文和1.8.1 1352 〔須磨久盛・孫二郎連署請文〕耳西郷之内気山村鮭川之儀、我等両人被仰付忝存候。自此内料足六貫□・鮭拾弐尺・同一夜狩上瀬宮江、同四方御政所江一夜狩、同百姓中江弐尺、毎年相立可致知行之由被仰聞候。心得存候。立て須磨二郎四郎/久盛(花押)/孫二郎(花押) 8巻p.725
宇波西神社文書
久々子村☆ (三方) 永享8.6.20 1436 〔天竜寺下知状〕住山周銘(花押)/天竜寺領若狭国耳西郷早瀬浦国清名内伊切山小嶋・同磯海之事/右伊切山之小嶋・同磯海、任往古例国清名知行之百姓可令進退事、永代不可有相違也。久々子村百姓号開発雖立押〓(魚編にム+月)(鮪ヵ)網、早瀬之百姓磯海者就陸地令進退段、浦々大法之由歎申之‖久々子村押立鮪網魚見等切捨之上者、於向後彼相論出来者、久々子村百姓堅可有罪科者也。‖出官妙歓(花押) 8巻p.461
上野山九十九家文書
郷市村☆
松原村☆
堂合同村
海山村☆
別所村☆
大藪村☆
(三方) 文明1.7.-[24] 1469 〔耳西郷惣田数銭帳〕耳西郷惣田数銭帳之事/一、郷市村田数之事/壱町六段者 三郎丸名壱名分‖一、松原村‖六反者 堂合同村‖一、久々子村‖一、八反者 海山村之分‖一、気山村‖一、別所村‖一、大藪村‖文明元年七月平治段銭之事/反別付而参文宛、名分田数ニ付而ハ在子細 8巻p.725-33
宇波西神社文書
しゝの村
金山村☆
神子ノ村[25]
田楽村
王ノ村
(三方) 大永2.3.- 1522 〔上瀬宮祭礼神事次第写〕上瀬宮毎年祭礼御神事次第‖神前かさり物の次第‖三月四日御神事祭礼の次第 但口明の事/三月朔日/一、田楽村 御口明清酒三升 花米五升〈大ふな五こん/三たうヨリ上申〉‖同六日/一、しゝの村〈カミ二帖、但五でうかミなり、此方ニてゆわいあり〉はけの本也/代百文白米三升 8巻p.736
宇波西神社文書
岩屋村☆
あいた村☆
(相田)
藤井村☆
あさう村
大やふ村☆
(大藪)
興道寺村☆
木の村☆
(木野)
松はら村☆
(松原)
くゝし村☆
(久々子)
田かミ村☆
(田上)
ふし原村
(伏原) ☆
むかさ村☆
(向笠)
(三方) 弘治2.6.22 1556 〔明通寺鐘鋳勧進算用状〕明通寺鐘鋳勧進算用状 納之事‖弐百文 わたゝ村分 三百六十文 みへ村‖以上弐拾八頁五十文歟/鐘鋳勧進米之納/一石 大野兵部殿
(一々の村名は省略)
9巻p.630-633
明通寺文書
黒田村☆ 三方郡 天文11.4.- 1542 〔吉田光慶田地寄進状〕永代寄進申田地之事/合参段半者 分米伍石〈小浜売ますニ四斗五升入之俵也〉/右之田地者、三方之郡之内知行分黒田村道隆分之内之下地也‖吉田四郎兵衛尉/光慶(花押) 9巻p.210
西福寺文書
佐田村☆ 三方郡 天文12.7.9 1543 〔武田信豊袖判安堵下知状〕(花押)若州三方郡山東郷之内宗景名并所々買得目録之事‖一、壱処 在所井根口 同佐田村百姓中‖右条々雖為沽却明白、依盗人取失、重御判被下者也。‖直理(熊谷)(花押)/田辺又四郎殿 8巻p.537
田辺半大夫家文書
小田村
(織田)
(三方) 永禄4.5.8 1561 〔勝長安堵状〕於山東郷小田村仁宗景抱分之事/一、宗景名 壱円‖一、畠壱所 同抱/右無相違、田辺又四郎於子々孫々当(宛)行末代畢。仍為後日如件。‖勝長(花押) 8巻p.537
田辺半大夫家文書
早瀬村[26] (三方) 元亀1.9.22 1570 〔服部暹栄書状〕去十九日、若州於早瀬村御合戦候処、分捕之趣従景通注進候。無比類高名御忠節無是非候。満足大慶此事ニ候。追而可申候也、謹言。‖服部入道(花押影)/野村七兵衛尉とのへ 2巻p.622
金沢市立図書館所蔵文書
苧村 (三方) 天正3.3.5 1575 〔上瀬宮祭礼田楽頭文〕明年上瀬宮田楽頭役人之事/差定天正参年三月五日/壱人 行重名 苧村/源八‖右、依衆儀定処如件 8巻p.757
宇波西神社文書
日向村[27] (三方 天正11.8.8 1583 〔峰屋頼隆知行宛行状〕為扶持日向村之内を、以百七拾石遣候。成其意全可領知者也。‖出羽 頼隆(花押)/田辺長介とのへ 8巻p.538
田辺半大夫家文書
きりを村
市村
(三方) 天正18.3.5 1590 〔上瀬宮祭礼田楽頭文〕明年上瀬宮田楽頭人之事/天正拾八年三月五日/壱頭 市村 介衛門尉/壱頭 きりを村 五郎大夫/壱頭 市村 三兵衛/右、依衆儀差定処如件 8巻p.759
宇波西神社文書
田井村☆ (三方) 天正15.8.- 1587 〔入江三川・原進之丞知行宛行状[28]〕一、阿波(粟)屋越中守佐柿之城ニ而、越前之勢取懸ケ籠城之節、田井野(〻村)へも百人斗類兵参、田井野ニ而六拾斗の男十八九の男弐人討取、其勢清水の下迄参り候‖右之条々、時之褒美として、永代五人之者共ニ可為知行者也/天正十五〈丁亥〉年八月中旬/入江左京家来/入江三川・原進之丞(花押) 8巻p.977
武長宗兵衛家文書
寺谷村 (三方) 天正19.3.6 1591 〔上瀬宮祭礼田楽頭文〕〕明年上瀬宮田楽頭人之事/天正拾九年三月六日/一頭 寺谷村/彦助 8巻p.759
宇波西神社文書
やち村
(谷内)
のゝま村
(三方) 天正19.7.20 1591 〔南前川村百姓中村高差出〕一、六十弐石五斗九升六合者‖内十四石三斗七升 やち村(谷内)‖のゝま村‖惣合七百弐拾壱石者‖南前川 百姓中 8巻p.986
野々間区有文書
中村 (三方) 天正20.3.5 1592 〔上瀬宮祭礼田楽頭文〕明年上瀬宮田楽頭役人之事/差定天正廿年三月五日/壱人 中村 久六‖右、依衆儀定処如件 8巻p.759
宇波西神社文書

  1. 「小丹里、少丹生里」とも見える。「遠敷里」としては所見しない。「遠敷郷」が、平城宮木簡(城22-33下(331))に見える。
  2. 「玉置郷」として、平城京木簡(古代265)に見える。ほかに「手巻里、玉杵里、手枕里」ともあり
  3. 「三家郷」として、平城宮木簡(城16-6下(22))に見える。
  4. 「野郷」として、平城宮木簡(城19-22上(196) )に見える。
  5. 「少海郷」として、平城宮木簡(平城宮7-11969)に見える。
  6. 「丹生里」として、平城宮木簡(古代274)に見える。
  7. 三方郡にもあり。
  8. 他に「東郷」「西郷」として所見する。大治元年(1126)3月日「若狭国恒枝名田坪付帳案」(古代743、東寺百合文書)ほか。
  9. 弘治2.6.22「明通寺鐘鋳勧進散用状」に「たわら村」とある。
  10. 知見小倉畑村、知見挙野村、知見久坂村として所見。
  11. 「本文書ハ、近世ノ作ト考エラレル」なる注記あるが、姑くここに載せる。なお、弘治2.6.22「明通寺鐘鋳勧進算用状」に「なこ村」あり。
  12. 弘治2.6.22「明通寺鐘鋳勧進散用状」に「のたい村」とある。
  13. 弘治2.6.22「明通寺鐘鋳勧進算用状」に「いこもり村」とある。
  14. 「仏谷浦」として所見。
  15. 「山内村」として所見。
  16. 「麻生野村」として所見。
  17. 大飯郡は、天長2年(825)7月10日、遠敷郡を分割して建郡された(『日本紀略』)
  18. 現大飯郡に所属、大飯郡は天長2年(825)、遠敷郡を分割して成立(『日本紀略』)
  19. 現大飯郡に所属、大飯郡は天長2年(825)、遠敷郡を分割して成立(『日本紀略』)。大治元年(1126)2.-「源某若狭国所領処分状」に、大飯郡「青郷」が見える。
  20. 木簡(庸米付札)に「×敷郡〈青郷・川辺里〉庸米六斗〈秦□〉/天平二年十一月」(古代266、平城京木簡)とあるから、「安遠郷=青郷」である。
  21. 現大飯郡に所属、大飯郡は天長2年(825)、遠敷郡を分割して成立(『日本紀略』)。建長2年(1250)6.10「若狭国旧御家人跡注文案」に大飯郡「佐分郷」が見える。
  22. 平城宮木簡に「耳郷中村里」、「弥美郷中村里」(古代279)「美々里」(古代261)あり。1265年に「耳西郷」あるが、別に採録しておく。
  23. 「能登野村」として所見。
  24. 文書末に年付日付を欠くが、文中に「文明元年七月」とあり、これに拠った。
  25. 「神子浦」として所見。
  26. 「早瀬浦」として所見。
  27. 「日向浦」として所見。
  28. 「本文書ハ研究ノ要アリ」との注記がある。