巻頭言

(以下は、冊子版『ムラの戸籍簿 第Ⅰ集』(2010年4月)より転載したものです)


 研究会各位の努力が報われて「ムラの戸籍簿 第Ⅰ集」が完成する。列島社会におけるムラの意味を少しでも明らかにしていくことは、私個人のかねてからの念願であったから、これは本当にありがたいことだと感謝の気持ちで一杯である。

 一昨年の初夏のころに信州飯田で、第一回の地域史惣寄合が開催されて、私はそこで「地域史惣寄合への一つの提案」と題して話をし、古代・中世の郷・村の戸籍簿(本当は「郷・村籍簿」だが)を作ろう、とひろく呼びかけてみた。その時の報告集もさきごろ『地域史の現在』(飯田市歴史研究所年報別冊 2010年2月)として刊行されて、手許に届いたばかりである。報告では、立命と大谷における院生諸君の作業を紹介しながら、この仕事がもつ意味についていささかの所感を述べている。

 日本の歴史学、とくに地域史研究の将来にとって、この研究会の仕事はきっと大きな意味を持つようになるだろうと思う。  郷と村との史料をすべて点検するこの作業は、必然的にムラ(郷・村)と係わるかぎりでの、この国の荘園・国衙の史料をも同時にチェックする作業になる。この国の荘園や国衙(領)はいまだに混沌としているが、ムラとの係わりでそのあり方が浮かび上がってくるだろうと私は考えている。

 研究会にとって、郷村表の作成が重要であることはいうまでもないが、それにも増して、そうした作業の過程において遭遇することになる、内容豊富な個別のムラの事例分析の深化にこそ、より深い意味を求めていきたいと思う。

 古代・中世のあらゆる分野の研究者にとって、自分が常に帰ることのできる一つの具体的な地域(フィールド・ワークの地)をもつということの大きな意味を噛み締めてみたい。かつて個別荘園研究が盛んであったころ、民俗学者であった高取正男が顕密体制論の黒田俊雄を評して「黒田さんは自分の研究で何か分からないことが出てくると、いつも太良庄へ帰ってそこで考えている」と語ったことがあった。二人は大学の同期であって黒田は若い時期に太良庄の個別研究に心血を注いだ時期があった。在地の庶民生活のなかで、問題を捉えかえしてみることの重要性を、私は右の挿話から教えられた。自分がそこへ帰っていける一個の具体的な地域(フィールド)をもつということは、すべての研究に有形無形の深みと豊かな彩りを与えてくれるにちがいないと思う。研究会のメンバーの専門領域は政治史・文化史などにわたっており、必ずしも古代・中世の荘園史・村落史の専攻者に限らない。各人にとって担当した国が、そうしたフィールドになるよう祈っている。

        2010年4月  大山喬平