「但馬国」の版間の差分

提供:「ムラの戸籍簿」データベース
 
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===城崎郡===
===城崎郡===
====郷(里)====
====郷(里)====
新田、城埼、三江、奈沼(佐)、田結
新田、城埼、三江、奈沼(佐)<ref>戸籍簿作成において、高山寺本の『和名類聚抄』を参考にしており、和妙抄郷として記載されている「奈沼郷」をあげているが、『兵庫県の地名Ⅰ(日本歴史地名大系 第29巻1、平凡社、1999年)』によると、高山寺本以外の諸本には「奈佐郷」とあり、「奈沼郷」は誤記とされている。</ref>、田結
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2024年8月19日 (月) 21:47時点における最新版

作成者:事務局

郷村名郡別世紀別初出表

郷村

世紀
郷(里)
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 未詳 合計 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 未詳 合計
合計 1 18 2 1 1 4 14 1 1 43 2 21 17 16 104 160
朝来郡 4 1 1 6 2 2 4
養父郡 2 2 3 1 8 8 4 1 9 22
出石郡 4 1 1 6 2 9 6 17
気多郡 4 1 9 1 15 4 1 6 11
城崎郡 2           2 4 4
美含郡 1 1 2 2 2 28 32
二方郡 1 1 2 2 1 1 22 26
七美郡 2 2 35 35
所属郡不明 1 1 5 2 9

概要

概要


参考文献


典拠史料

『兵庫県史』史料編 古代1~3、中世1~9、近世1
『但馬史研究』13 1990年

凡例

出典欄における『兵庫県史』の表記は、県史古・県史中にした。

郷村表

朝来郡

郷(里)

山口、桑市、伊由、賀都、牧田、東河、朝来、粟賀、磯部

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
刀我里(東河) 阿相郡 和銅7.10.- 714 〔木簡〕【東河】但馬国阿相郡刀我里大贄一斗五升/都□□ 七年十月 県史中9p.790
平城京跡出土木簡
牧田郷☆[1] 朝来郡 天平10.4.12 738 〔法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳〕【牧田】合食封弐佰戸〈永年者/在四国/播磨国揖保郡林田郷五十戸 但馬国朝来郡牧田郷五十戸/相模国足下郡倭戸郷五十戸 上野国多胡郡山部郷五十戸〉/右、天平十年歳次戊寅四月十二日、納賜平城/宮御宇 天皇者、 県史古1p.128
法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳
桑市郷☆ 朝来郡 天平勝宝2.1.8 750 〔但馬国司解〕【桑市】但馬国司解 申進上奴婢事/合進上奴婢伍人〈三人奴/二人婢〉價稲肆仟伍伯五拾束‖婢田吉女〈年十九/左頬黒子〉價稲壱仟束/右、朝来郡桑市郷戸主赤染部大野之婢 県史古1p.134
東南院文書
伊由郷☆ 朝来郡 8C 〔木簡〕【伊由】朝来郡伊由郷米五斗 県史古1p.517
但馬国分寺跡出土木簡
朝来郷 朝来郡 天慶4.10.26 941 〔本朝世紀〕【朝来】巳剋、居住但馬国朝来郡朝来郷蔭孫賀茂貞行、為/彼国進上凶賊藤原文元・弟文用等頭之使到来、申/云、今月十八日酉剋許、貞行私宅門、法師二人来着、 県史古2p.73
本朝世紀
粟鹿郷☆ 朝来郡 長保4.1.21 1002 〔粟鹿大明神元記〕【粟賀】右根■氏大明神天美佐利命者、神氏最初之天降人皇治化之祟基也、此境山陰道但馬州朝来郡粟鹿郷也、尓時山海混/沌煙闇靄、庶民漸事人王、神霊未入皇帰、吾親王命振固洲天下御坐名曰粟鹿大明神也、 県史古1p.600
粟鹿大明神元記

年月日 西暦 原     文 出  典
桑原村☆ 朝来郡 応永18.⑩.16 1411 〔但馬国祐徳寺領田畠山林注文案〕但馬国養父郡□□□領田畠山林等事/合‖坪桑原村/田一段半 朝来郡/牧田郷桑原分内 桑原宗春大師 寄進/之/状有是、/応永十八年潤十月十六日 県史中7p.726
大徳寺塔頭文書2
桑市村☆ 朝来郡 応永20.10.18 1413 〔鰐口〕【桑市】朝来郡桑市村普賢寺/応永廿年拾月十八日 願主平家次敬白 県史中4p.615
鰐口 日輪寺
粟鹿村☆ 朝来郡 慶長1.10.19 1596 〔某領知朱印状写〕【粟賀】□馬国朝来郡粟鹿村/□鹿大明神社領同村之内三拾三石壱斗之事、任先規□/附之畢、全可収納幷境内山林竹木諸役等免除、如有/来不可相違者、守此旨、神事祭礼可相守者也、 県史中3p.724
夜久文書48
畑村 (朝来) 16C 〔徳丸盛長書状写〕就畑村之儀、申結候処、御同名、半可被及鉾楯之段、/芳存不可然、内存之趣令申候、被□□無事□□至候、 県史中3p.713
夜久文書18

養父郡

郷(里)

糸井、石禾、養父、賀母、軽部、大屋、三方、建屋、養耆、長田、遠佐、駅里

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
老左郷(遠佐・小佐)☆ 養父郡 天平勝宝7.5.- 755 〔木簡〕【遠佐】但馬国養父郡老左郷赤米五斗〈村長語部廣麻呂/天平勝宝七歳五月〉 県史古1p.500
平城宮跡出土木簡
賀母郷☆ 養父郡 8C 〔木簡〕【賀母】但馬国養父郡賀母郷白米五斗 県史古1p.503
平城宮跡出土木簡
石和郷
軽部郷
養父郡 康治2.8.19 1143 〔太政官牒案〕【石禾】【軽部】壱処〈字水谷神宮寺〉/在但馬国養父郡内/四至〈東限三江道幷滝、南限大塚幷石和郷高田庄堺/西限山上峯幷軽部郷堺、北限峯幷塚栗坂池中〉/件寺、領主相伝之後、已無異論矣、 県史古3p.240
安楽寿院古文書
土田郷☆
石禾上郷
大恵本郷☆[2]
養父郡

大恵保[3]
弘安8.12.- 1285 〔但馬国太田文〕【石禾】小佐郷 五反 為地頭代被押領之間経上訴云々/土田郷 二反 当知行‖号土田郷/石禾上郷 七十町三反百七拾分〈地頭土田六郎兵衛尉則直跡八幡神人免廿四/町六反〉/方々仏神田九丁七反弐百廿歩‖大恵本郷 五丁六反百三十歩〈地頭肥塚七郎入道/行西〉/仏神田三反/地頭分六反/公文給五反/公田四丁二反百三十三歩 県史中3p.471,473,474
帝釈寺文書1
三方郷 養父郡 徳治1.11.28 1306 〔三方郷東西山河堺注文〕【三方】但馬国養父郡三方郷東西山河堺之事/合/一、東者 中うとお堺エ、/一、南者 ひる谷之中尾お堺エ、/一、西者 すゝ谷お堺エ、/一、北者 大峯お堺エ、/右所、東西山河之堺注置如此、 県史中3p.668
三方文書1

年月日 西暦 原     文 出  典
石原村☆ (養父) 文永5.6.23 1268 〔権律師某油畠寄進状〕奉寄進 石原妙見大菩薩御油畠事/合壱段者/右、石原村依為重代之本領、無相違給御下知畢、仍奉/寄進御油畠之状如件、 県史中3p.615
日光院文書1
基(墓)垣村
岩崎村☆
与垣村
小田村☆
石禾村
那木谷村
高瀬村☆
養父郡
大恵保


石禾下庄
弘安8.12.- 1285 〔但馬国太田文〕【石禾】四分方五拾六丁二百三十四分〈地頭土田又太郎高茂御家人〉/基垣村地頭職 土田六郎時春御家人/藤和谷地頭職 石禾田尼蓮阿御家人‖岩崎村 四丁二百七拾七歩〈地頭肥塚三郎入道蓮心〉/神田小‖与垣村 四丁一反百八歩/神田一反三百四十八歩‖小田村 四反〈地頭女子等/女子分〉/二反 桑原弥二郎妻女‖石禾下庄 三十二丁一反百分内中分/石禾村 地頭角折又太郎入道〈明仏子息四郎国綱〉/那木谷村 同五郎入道行仏/高瀬村 同太郎真綱女子 県史中3p.473,474
帝釈寺文書1
置田村 養父郡
建屋新庄
元徳1.8.1 1329 〔但馬国祐徳寺領田畠山林注文案〕但馬国養父郡□□□領田畠山林等事/合‖坪置田村/畠弐段 建屋新庄内 原覚道 寄進状有是之、/元徳元年八月一日 県史中7p.725
大徳寺塔頭文書2
東野村 (養父) 文和3.7.26 1354 〔阿闍梨任範祈祷料田寄進状〕妙見三所権現祈祷料田畠事/合田畠弐段者〈在当国三方庄内成光名内田 字ツクタ/同庄内東野村畠〈雖荒川御油神畠、於神役者、/為領主沙汰可入立之也、〉〉 県史中3p.617
日光院文書5
津付村
山田村
(養父) 貞治1.11.15 1362 〔伊達貞綱譲状幷外題安堵〕譲渡所領事/但馬国小佐郷内弐分両方地頭職事/右、当郷弐分両方、号津付幷山田両村者、道西重代所/領也、而子息次郎蔵人直綱仁限永代、所譲与者也、 県史中8p.37
南禅寺文書47
黒口村☆[4] (養父) 長禄3.12.26 1459 〔恒冨荘主良孝名主職宛行状〕宛行相国寺常徳院御領/但馬国小佐郷石原大畠名職之事/合壱名悉皆所者 大はたけ名とかうす/右彼名職者、黒口村水垣与二郎依有由緒、持米代々知/行所実也、 県史中3p.623
日光院文書25
中村☆ (養父) 弘治3.5.吉日 1577 〔にしかた日記〕たちまの国おうや‖一、中村/八木のふん‖一、との村地下御はらい/すゑさ門殿 やと 小刀、くし、はり、扇●/同大郎兵衛殿 扇 但馬史研究13p.12
軽部村
新津村☆
宮垣村☆
樽見村☆
上山村☆
熊野村
中村☆
夏梅村☆
養父郡 永禄3.11.21 1560 〔三方郷東西堺注文〕【軽部】但馬国養父郡三方郷東西堺/合/一、軽部新津村堺〈東ハ中うと/北ハ阿弥陀堂〉/一、新津村・宮垣村堺〈東ハ平度/北ハいとつ谷〉/一、宮垣村・樽見村堺〈東ハ上山のはな/北ハ同指向小尾〉/一、樽見村・上山村堺〈但シたきか平/同指向なり〉/一、上山村・熊野村堺〈但シ坂之峯〉/一、樽見村・中村堺〈東ハ阿弥陀林通道/上ハかつらの木/北ハうをかはな也〉/一、中村・夏梅村堺〈東ハすゝ谷上ハ中尾/北ハつきあいか谷也〉 県史中3p.671
三方文書11

出石郡

郷(里)

小坂、安美、出石、室野、埴野、高橋、資母

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
少坂郷(小坂)
穴見郷(安美)☆[5]
出石郡 天平勝宝2.1.8 750 〔但馬国司解〕【小坂】【安美】但馬国司解 申進上奴婢事/合進上奴婢伍人〈三人奴/二人婢〉價稲肆仟伍伯五拾束/奴池麻呂〈年廿四/脣左上黒子〉價稲玖伯束/右、出石郡少坂郷戸主外従七位下宗賀部乳主之奴/奴糟麻呂〈年廿四/右目後疵〉價稲玖伯束/右、同郡穴見郷戸主大生直山方之奴 県史古1p.134
東南院文書
高椅里 出石郡 8C 〔木簡〕【高橋】但馬郡出石郡高椅里長□□□ 県史中9p.768
袴狭遺跡出土木簡
出石郷☆[6] (出石) 8C 〔木簡〕【出石】出石郷秦部牛万呂戸口秦部旅人己口分桑□ 県史中9p.768
袴狭遺跡出土木簡
下里郷(資母)[7] (出石) 9C 〔木簡〕【資母】下里郷□□□ 県史中9p.765
砂入遺跡出土木簡
神戸郷 出石郡 弘安8.12-. 1285 〔但馬国太田文〕神戸郷 三拾四町七反百十六歩〈地頭太田次郎左衛門尉政直跡 白川三位家跡雖/被召上所相触欝/訴也、〉 県史中3p.484
帝釈寺文書1

年月日 西暦 原     文 出  典
開発村
奥野村☆
出石郡
大内庄
弘安8.12.- 1285 〔但馬国太田文〕同開発村 三丁九反〈下司小野太郎高依御家人〉/流失一反小‖定田五拾三町五反三拾分〈金覚注文定已上〉/但シ如下司香住孫太郎入道浄阿注文者、定田/九拾町、其外新田二十町、又下司開発之奥野/村新田三拾町、為預所押領云々、 県史中3p.482,483
帝釈寺文書1
栗尾村☆ (出石)
雀岐庄
貞和2.11.27 1346 〔光厳上皇院宣〕但馬国雀岐庄内栗尾村可令知行給之由、/院御気色所候也、仍執達如件、 県史中8p.653
広橋家文書6
唐河村☆[8] (出石) 貞和3.6.24 1347 〔刑部守延坊舎等譲状〕譲渡 播磨国広峯山上坂本坊舎幷檀那所従資財雑具等/事‖一、但馬国内 大田ノ下方唐河村/一、所従阿古女/右、坊舎・檀那等者、守延重代相伝之領主也、而息女/童子為一子之間、於守延跡者、無所漏悉以永代所譲与/之也、 県史中2p.618
広峯文書33
平田村☆ (出石)
雀岐庄
貞和4.2.22 1348 〔今川頼貞注文案〕注進/但馬国大高山凶徒与同輩跡事‖一、雀岐庄内平田村〈法勝寺領/公文志津田彦三郎入道/一、同庄内栗尾村 県史中8p.653
広橋家文書7
さかもと(坂本)の村 (出石)
太田庄
貞和5.9.24 1349 〔本光院殿寺領寄進状案〕たちまの国太田庄内さかもとの村事、臨川寺三会院へ/きしん申候也、ゑい代よきやうに御さた候へく候、 県史中7p.753
天龍寺文書4
小谷村☆
増法寺村
(出石)
雀岐庄
貞和5.12.25 1349 〔足利将軍家御教書案〕坊門少将為名朝臣雑掌成久申、但馬国雀岐庄内平田・/増法寺・小谷三个村事、於当庄者、領家・地頭中分之/条、文永下知明白也、而門真左衛門入道寂意、以当庄/公文志津田彦三郎入道跡御下文、一円押領領家職云々、/太以不可然、 県史中8p.654
広橋家文書12
秦守村 (出石)
太田庄
観応2.8.15 1351 〔足利義詮御内書案〕但馬国太田庄内秦守村事、為臨川寺三会院領、御知行/不可有相違候、恐惶敬白、 県史中7p.754
天龍寺文書10
赤鼻村☆[9] (出石)
太田庄
観応3.5.19 1352 〔今川頼貞寄進状〕奉寄附 石清水八幡宮/但馬国太田庄内赤鼻村参分壱地頭職事/右、為悉地、為御神楽料所、所奉寄附也、仍寄進之状如件、 県史中7p.34
石清水文書32
南尾村☆ (出石) 応安4.3.6 1371 〔勘解由小路兼綱譲状案〕但馬国雀岐庄内栗尾村/当村者、坊門少将親輔朝臣本領也、而参南山之間、/建武以来被没収了、予光厳院殿御代、去貞和年中/拝領之‖南尾村同彼朝臣跡一具之地也、当御代拝/領神妙、以便宜可申給相伝之勅裁者也、 県史中8p.660
広橋家文書24
さかす(坂津)村☆
中山村☆
おくやね(奥矢根)の村☆[10]
あま(天)谷村☆
(出石) 文明10.8.- 1478 〔但馬国檀那村付注文〕たちま国/一、さかす村 宿者岩間殿/一、ミや本村 やとハほうり殿/一、おくやね/一、中山村 やとハ九郎二郎/一、きりの/一、てんちう寺村 やとハ井上/一、はた 一、かうもと/一、さたか村 やと たんの五郎左衛門/一、野しり村 やとハ山ね之二郎衛門/一、おくやねの村 やと あさかい殿‖一、あま谷村 やと/おか衛門 県史中2p.524
肥塚文書21
はた(畑)村☆
はゝ(馬場)の栗村
いつしの郡 文明14.8.10 1482 〔丹後・但馬両国檀那村付注文〕一、但馬国いつしの郡内河内之はた村一ゑん いま山/の寺門前共ニ一ゑん也、平埜藤内兵衛 おくやねの/つしたてわき 野尻之かもん はゝの栗村 なかの/かき、山根殿、 県史中2p.527
肥塚文書2

気多郡

郷(里)

太多、三方、楽前、高田、日置、高生、狭沼、賀陽

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
思殖郷
波太里
気多郡 天平8.8.9 736 〔木簡〕但馬国気多郡思殖郷波太里/忍海部麻呂白米五斗 天平八年八月九日 県史中9p.792
平城京跡出土木簡
餘部郷 気多郡 天平宝字6.12.16 762 〔私部得麻呂漆工貢進文〕貢上/私部酒主〈年廿〉但馬国気多郡餘部郷戸主私部意嶋戸口/知塗柒 県史古1p.169
正倉院文書
思往郷 (気多) 8C 〔木簡〕思往郷□□□□□木四枝□□ 県史古1p.517
但馬国分寺跡出土木簡
高田郷 気多郡 延暦23.1.26 804 〔日本後紀〕【高田】遷但馬国治於気多郡高田郷 県史古1p.270
日本後紀
気多下郷
三方郷
日置郷☆
(気多) 貞応1.7.7 1222 〔関東下知状〕【三方】【日置】訴状云、当庄領散在多気(気多)下郷一丁七段、三方郷七/丁余、日景(置)郷七段之処、各称郷領致妨之間、当庄民等/疲両方之責、失廻土之計、寺領滅亡畢云云者、事若実/者、彼傍郷地頭三人面々押領新井庄領之条、甚不穏便、 県史中9p.716
仁和寺文書2
高生郷
気多郷
上ノ郷☆[11]
狭沼郷☆[12]
八代郷☆
下賀陽郷☆[13]
気多郡 弘安8.12.- 1285 〔但馬国太田文〕【高生】【狭沼】【賀陽】高生郷百七町八反大〈公文矢部尼関東給/八幡宮神人免六十丁〉仏神田四丁七反?気多郷 百拾一丁三反弐百廿四分内/上ノ郷 弐拾八町五反二百八拾歩〈地頭沼田小太郎入道願西/八幡宮神人免七丁八反〉常荒流失五丁百六拾歩?狭沼郷 三拾四丁二反大〈公文八木九郎左衛門尉高貫/御家人/八幡宮神人免十二丁四反小〉/常荒流失六反百三拾六歩?八代郷 拾九町二反二百三分〈公文八木三郎左衛門入道真御家人/八幡宮神人免三町〉/常荒流失一町一反六十九歩?下賀陽郷 五十九町四拾一分内〈地頭二人〉/地頭給五丁二反/郷司佃七反 県史中3p.478~480
帝釈寺文書1
日置符中郷 気多郡 嘉吉1.6.- 1441 〔安田続貞本領譲状案〕【日置】譲与 安田孫三郎本領/但馬国楽前南庄西方地頭職幷大井料田等/合壱所地頭職者〈同日置符中郷内/大井料田五段〉/右之所領者、自親左近将監入道相伝之地也、 県史中3p.584
垣谷文書9

年月日 西暦 原     文 出  典
上野村
下野村

上村
下村
気多郡
大将野庄
弘安8.12-. 1285 〔但馬国太田文〕大将野庄 五拾七町七反百六拾歩/上野村給拾八丁壱反小内〈領家地頭同〉‖下野村三拾九町六反四拾八分内‖上村弐拾七町三反〈地頭河越修理亮跡〉/地頭給二丁六反‖下村弐拾七丁三反〈地頭野元孫三郎〉/地頭給ニ町六反 県史中3p.477,480
帝釈寺文書1
観音寺村☆ (気多) 明応9.6.20 1500 〔垣屋遠忠田地寄進状〕為 妙見定燈、三方庄本所分内観音寺村田数壱町、永/代寄進申候畢、仍諸公事除之幷下地坪付別紙在之〈封裏〉、/仍寄進状如件、 県史中3.638
日光院文書68
野上村 気多郡 享禄4.3.11 1531 〔供養碑〕但馬国気多郡中大将野上村逆修一結諸衆/太岡 常久 道妙 道永 浄心/宗秀 道全 道仙 行泉 常全 県史中4p.573
供養碑 三野神社
伊福村☆ (気多) 永禄2.8.26 1559 〔伊東続職感状〕去廿三日〈未刻〉於善雲寺野合戦之時、服部左近右衛門尉頸/討捕之、翌日〈廿四〉於伊福村、亦頸一打取之云々、 県史中3p.587
河本文書1
馬庭村☆[14] (気多) 天正9.10.11 1581 〔寺本久内判物〕馬庭村家之おくニて、へこへのミち・ミね、取切手、/馬庭村之方へ付申候、為其一筆如件、 県史中3p.589
田中文書1
浅蔵村☆[15] (気多) 天正15.11.29 1587 〔前野長泰判物〕浅蔵村在之荒□、新所を立、荒封可開儀、意得候、則/煙役免候、然共、今迄役儀仕百姓、郷々より於罷越者、/堅可令成敗候、 県史中3p.614
田尻文書1
江原村☆
日置村☆
気多郡 文禄4.1.27 1595 〔前野長泰諸役免除状〕【日置】気多郡之内江原村新町諸役令免除訖、若理不尽族申懸/者於在之者、召捕可挙之候、但知行在郷之百性等越事、/一切不可在者也‖日置村之北右衛門とのへ 県史中3p.588
田口文書1

城崎郡

郷(里)

新田、城埼、三江、奈沼(佐)[16]、田結

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
那佐郷 城崎郡 神護景雲3.-.- 769 〔木簡〕【奈佐】但馬国城崎郡那佐郷官府腊□龍 神護景雲三年□=/=月□マ豊嶋六斤 県史古1p.501
平城宮跡出土木簡
田結郷☆ 城崎郡 8C 〔木簡〕【田結】城崎郡田結郷□□里宗我部□ 県史中9p.792
平城京跡出土木簡

年月日 西暦 原     文 出  典
気比村☆
上山村☆
立野村☆
本庄村
城崎郡
気比庄
弘安8.12.- 1285 〔但馬国太田文〕気比庄 五拾町一反弐百九拾分内〈地頭太田太郎左/衛門政綱跡〉/気比村三拾四町三反弐百五拾歩〈地頭太田左衛門太/郎政頼〉/上山村四町三反三百五十歩〈地頭藤蔵人重直〉/立野村拾一町二反五拾歩〈地頭太田左衛門次郎政員〉/本庄村畠六町四反〈地頭太田左衛門三郎政光〉 県史中3p.487
帝釈寺文書1

美含郡

郷(里)

佐須、竹野、香住、美含、長井

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
佐須里 (美含) 8C 〔木簡〕【佐須】佐須里伊支須二斗 奈良文化財研究所木簡データベース(平城京)
竹野郷☆ 美含郡 弘安8.12.- 1285 〔但馬国太田文〕【竹野】竹野郷 九拾一町六反〈地頭安居院左衛門督日法印/公文右衛門入道信道御家人〉 県史中3p.488
帝釈寺文書1

年月日 西暦 原     文 出  典
長井村
丹生村☆[17]
美含郡
佐須庄
弘安8.12.- 1285 〔但馬国太田文〕【長井】同庄内長井村 拾六町一反六拾分/流失一町二反‖同庄内丹生村 六町一反八拾四分〈地頭久下左衛門九郎〉/流失二反弐百弐歩 県史中3p.489
帝釈寺文書1
米持村☆[18] (美含) 暦応3.2.17 1340 〔左衛門尉某寄進状〕奉寄進/佐須庄内米持□□/免荒木田壱段事/幷油免畠東之上者、好子谷□□/右依偈仰之志深厚、所□□進之状如件‖米持村 県史中3p.494
八木文書1
栖谷村☆[19] (美含) 応永7.8.- 1400 〔某袖判書下写〕栖谷村御百姓等、如先々惣郷山へ可入由、被仰下旨、/心得申候、但栖山へ者、可有禁制候歟、仍為後證之状如件、 県史中3p.445
円通寺文書4
やうら村☆[20]
ふしの村☆[21]
中のゝ村☆[22]
くらはし村
こはら村☆[23]
大のゝ村☆[24]
大谷村☆
ミたに村☆[25]
かちかのゝ村☆[26]
すから村☆[27]
もり村☆[28]
まふろ村☆[29]
ゆら村☆[30]
きぬまき村
屋た村☆[31]
からた村
かすみ村☆[32]
若松一日市村☆[33]
志のへ村
さかい村☆[34]
さすのはいとう村☆[35]
はた村☆[36]
おか村☆[37]
はむ村☆[38]
にうし村☆[39]
くと村☆[40]
むなかい村☆[41]
くん谷村☆[42]
(美含) 弘治3.5.吉日 1557 〔にしかた日記〕【香住】たちまの国おうや‖一、やうら村 十六七御はらいくはり候‖一、ふしの村‖一、中のゝ村 御はらい十本斗‖一、くらはし村/にい坊 はらい斗‖一、こはら村/原源左衛門尉殿‖一、大のゝ村/一、大のゝ村 廿斗はらい との村‖一、大谷村‖一、ミたに村‖一、かちかのゝ村‖一、すから村/与二郎殿 扇‖一、もり村/もり殿‖一、まふろ村 六御はらいくはり候‖一、ゆら村 七御はらいくはり候‖一、きぬまき村/助左衛門殿 扇‖一、屋た村 御はらい十四、五‖一、からた村 きやうふ殿‖一、かすみ村 御はらい廿斗くはり候‖一、若松一日市村/わか松兵衛殿 やと‖一、志のへ村/志のへの助衛門殿 扇/一、さかい村‖一、にう村‖一、さすのはいとう村/こものや六郎左衛門殿 扇‖一、はた村/きん内殿 扇‖一、おか村/うつか殿 扇‖一、はむ村/はむの助衛門殿 扇/一、たかやなき村/けん志よ殿 扇/一、にうし村/きたむら五郎左衛門殿 あふき‖一、くと村/ようめい寺 扇‖一、めし村/一、むなかい村/せう殿さま のし おひ‖一、くん谷村/ちやう殿さま のしおひ 但馬史研究13p.12~35

二方郡

郷(里)

久斗、二方、田公、大庭、八太、温泉、刀伎、熊野

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
波多里(波太・八太) 二方評 文武天皇3.12.- 699 〔木簡〕【八太】己亥年十二月二方評波多里/大豆五斗中 県史古1p.497
藤原宮跡出土木簡
温泉郷☆[43] 二方郡 8C 〔木簡〕【温泉】二方郡温泉郷五戸私マ庭足四斗六升 県史古1p.517
但馬国分寺跡出土木簡

年月日 西暦 原     文 出  典
竹田村☆
寺木村
二方郡 長寛3.6.- 1165 〔阿闍梨聖顕寄進状案〕□進 私領壱処事/在但馬国二方郡温泉郷竹田・寺木村者/四至〈東限射添郷境、南限峯、/西限八太郷上保境、北限八太郷下保境、〉/右件私領元者、本領主平季盛伝領之間、郷司百姓等屢/雖致妨、去康治元年之比、触訴国司之刻、任本/公験并譲状、可領掌之由、所令判許也、 県史古3p.409
高山寺文書
海尻村 (二方) 永徳3.4.27 1383 〔行阿弥寄進状〕□□□□□疑代々之雖有□□状□致□、毎月八日/□□□所□□燈□也‖海尻村四郎次郎渡申、代々之/子孫至于、無懈怠可致燈也、 県史中3p.747
穂積文書1
前村☆ 二方郡
八太庄
応永35.3.8 1428 〔鰐口〕我此名一紦其己 但馬国二方郡八太庄前村薬師堂勝楽寺鐘/衆□□□信心□□応永三十伍年〈戊/申〉三月八日合力壇那大願主□ 県史中4p.615
鰐口 正楽寺
こさんと村
たんと村☆[44]
つはきもり村
中辻村☆
きりのおか村☆[45]
との村
いゝのゝ村☆[46]
志ほ山村☆[47]
うとさ村☆[48]
ゆむら☆[49]
細田村☆
ゑなか村
はゝ村
いと村☆[50]
志んてん村[51]
こくらく寺村[52]
もとおり村
たいのさしくい村☆[53]
ほそミのあかさき村☆[54]
たかすゑ村☆[55]
にい谷村
ひのきを村☆[56]
(二方) 弘治3.5.吉日 1557 〔にしかた日記〕【温泉】たちまの国おうや‖一、こさんと村/もりさか又四郎殿 おひ‖一、たんと村/西村三郎左衛門殿 おひ‖一、つはきもり村‖一、中辻村/にし殿 扇/一、きりのおか村/はし坂殿 扇/一、との村/志け安左衛門殿 扇‖一、いゝのゝ村/川崎たんこ殿 上おひ‖一、志ほ山村/岡入道殿 おひ‖一、うとさ村/太上さま/一、ゆむら/たてわき殿 扇/たんくわ/一、細田村/藤左衛門殿 やと おひ‖一、ゑなか村/まこ左衛門殿 おひ/一、まへ村/志やうけん殿 やと おひ‖一、はゝ村‖一、いと村中 御はらい/くろ坂けんはん殿 上おひ‖一、志んてん村中御はらい/岸田八郎左衛門殿 おひ/一、志は村中御はらい/神主殿 おひ‖一、こくらく寺村中 御はらい/こくらく寺まこ兵衛殿 やと おひ‖一、もとおり村/正法寺 扇/一、たいのさしくい村御祓/屋谷ミまさか殿 上おひ‖一、ほそミのあかさき村 御はらい/宮おか殿 やと おひ‖一、たかすゑ村御はらい/おか村殿 扇/一、にい谷村御はらい‖一、ひのきを村御はらい/にし村殿 おひ‖かミ数六拾壱まい有/下中之郷宗三郎/吉久 花押 但馬史研究13p12~35

七美郡

郷(里)

兎束、七美、小代、射添

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
射添郷 (七美) 長寛3.6.- 1165 〔阿闍梨聖顕寄進状案〕【射添】□進 私領壱処事/在但馬国二方郡温泉郷竹田・寺木村者/四至〈東限射添郷境、南限峯、/西限八太郷上保境、北限八太郷下保境、〉/右件私領元者、本領主平季盛伝領之間、郷司百姓等屢/雖致妨、去康治元年之比、触訴国司之刻、任本/公験并譲状、可領掌之由、所令判許也、 県史古3p.409
高山寺文書
川山郷 七美郡 12C 〔今昔物語集〕今昔、但馬国、七美郡、川山ノ郷ニ住ム者有ケリ、其ノ/家ニ一人ノ若子有テ、庭ニ腹這ケルヲ、其ノ時ニ鷲、空ヲ/飛テ渡ケル間ニ、此ノ若子ノ庭ニ腹這ヲ見テ、飛落テ、若子ヲ爴取テ 県史古3p.746
今昔物語集

年月日 西暦 原     文 出  典
との村☆[57]
かちや村☆[58]
ぬきた村☆[59]
さ祢やま村☆[60]
いわ月村
かんすい村☆[61]
かんはむら☆[62]
ひろ井村☆[63]
いし寺村☆[64]
大さゝ村☆[65]
わち村☆[66]
もりわき村☆[67]
屋い谷村☆[68]
くろた村☆[69]
屋と村☆[70]
ひかけ村☆[71]
市はら村☆[72]
寺かうち村☆[73]
かゝ山村☆[74]
ふんとう村
たかいの村☆[75]
大ぬか村☆[76]
ふくにし村☆[77]
くろのゝ村[78]
屋うのゝ村☆[79]
志かた村☆[80]
かわ井村☆[81]
たかす村☆[82]
いのゝ村[83]
ミとり村☆[84]
上とはら村[85]
下とはら村
なかせ村☆[86]
山田村☆
さかい村☆[87]
(七美) 弘治3.5.吉日 1557 〔にしかた日記〕たちまの国おうや‖一、中村/八木のふん‖一、との村地下御はらい/すゑさ門殿 やと 小刀、くし、はり、扇●/同大郎兵衛殿 扇/同政所殿‖一、かちや村五郎左衛門殿 おひ/同二郎ひやうへ殿 おひ/同村尾与五郎殿 おひ‖一、ぬきた村/同田村殿 やと おひ‖一、さ祢やま村/同二郎兵衛殿 おひ 扇/一、いわ月村/岩月藤左衛門殿 扇‖一、かんすい村/備後殿 扇‖一、かんはむら/同もりわき殿 おひ/一、ひろ井村/広井志やうけん殿 おひ扇‖一、いし寺村/ひろ井新三郎殿 扇‖一、大さゝ村 御はらい/一、わち村 御はらい‖一、もりわき村 御はらい‖一、屋い谷村‖一、くろた村 はらい廿斗‖一、屋と村/岡田新兵衛殿 やと おひ‖一、ひかけ村/八郎兵衛殿 あふき●‖一、市はら村/屋すゆき殿 御はらい廿斗くはり候‖一、寺かうち村/〈わた二ひき〉/実相坊‖一、かゝ山村 御はらい十二三‖一、ふんとう村/一、たかいの村/たかい菅殿 とほりやと‖一、大ぬか村 いりくミ也‖一、ふくにし村/〈わた三ひき〉/同かん大夫殿‖一、くろのゝ村 御はらい廿斗‖一、屋うのゝ村/〈さかつら〉/二郎左衛門殿‖一、志かた村‖一、かわ井村/常住院 やと‖一、たかす村 西かわらへ御付候‖一、いのゝ村へ/一、ミとり村 廿斗御はらい‖一、上とはら村 あふき はらい/一、下とはら村 あふき 五六つはらい‖一、なかせ村/二郎兵衛殿‖一、山田村/中井三郎左衛門殿 やと‖一、さかい村/西村殿 やと/ミくミのふん/ 但馬史研究13p.12~3

所属郡不明

年月日 西暦 原     文 出  典
下村 寛喜2.2.- 1230 〔菅荘八幡宮祭田・修理田数注文案〕一、八幡宮山牓示事/一、西方者 大タウケノナカレ尾ヨリ内サケ谷トカウス、/一、北者 横尾ノ峯ヲサカツテ其内也、/一、東者 下村イナイ谷ノ西ノヒライヲ限、/丑寅者 日谷ノタツミ丑寅ムキノヒライヲ限、 県史中3p.505
川崎文書1
池内村 暦応2.12.26 1339 〔足利尊氏寄進状〕奉寄 但馬国常住金剛寺/同国池内村幷押坂社事/右為当国塔婆料所、々寄附也、早守先例、可致沙汰之/状如件、 県史中3p.438
金剛寺文書1
阿古谷山崎村 応永13.3.26 1406 〔山名時熈寺領寄進状写〕寄進 円通大智庵/但馬国竹野郷地頭領両職内田地/弐町四段余阿古谷山崎村山林〈注文別紙/在之〉等事/右為太有和尚塔頭要脚所令寄進也、早守先例可被致寺/務状如件、 県史中3p.445
円通寺文書7
ミや(宮)本村
てんちう寺村
さたか村
野しり(尻)村
文明10.8.- 1478 〔但馬国檀那村付注文〕たちま国/一、さかす村 宿者岩間殿/一、ミや本村 やとハほうり殿/一、おくやね/一、中山村 やとハ九郎二郎/一、きりの/一、てんちう寺村 やとハ井上/一、はた 一、かうもと/一、さたか村 やと たんの五郎左衛門/一、野しり村 やとハ山ね之二郎衛門/一、おくやねの村 やと あさかい殿‖一、あま谷村 やと/おか衛門 県史中2p.524
肥塚文書21
たかやなき村
志は村
弘治3.5.吉日 1557 〔にしかた日記〕たちまの国おうや‖一、たかやなき村/けん志よ殿 扇/一、にうし村/きたむら五郎左衛門殿 あふき‖一、くと村/ようめい寺 扇‖一、まへ村/志やうけん殿 やと おひ‖一、はゝ村‖一、いと村中 御はらい/くろ坂けんはん殿 上おひ‖一、志んてん村中御はらい/岸田八郎左衛門殿 おひ/一、志は村中御はらい/神主殿 おひ 但馬史研究13p.12~35

  1. 西牧田村。
  2. 大江村。
  3. 大恵保は、岩崎村・大恵本郷・与垣村・小田村で構成されていた。
  4. 九鹿村。
  5. 穴見市場村。
  6. 出石町。
  7. 平城宮跡出土木簡に「但馬国出石郡資□郷矢田部吉□□」がある(県史中9p.785)。
  8. 唐川村。
  9. 中赤花村・奥赤花村。
  10. 矢根村。
  11. 上郷村。
  12. 上佐野村。
  13. 賀陽村。
  14. 万場村。
  15. 浅倉村。
  16. 戸籍簿作成において、高山寺本の『和名類聚抄』を参考にしており、和妙抄郷として記載されている「奈沼郷」をあげているが、『兵庫県の地名Ⅰ(日本歴史地名大系 第29巻1、平凡社、1999年)』によると、高山寺本以外の諸本には「奈佐郷」とあり、「奈沼郷」は誤記とされている。
  17. 丹生沖浦村・丹生上ヶ村・丹生浦上村。
  18. 米地村。
  19. 須谷村。
  20. 八原村。
  21. 藤村。
  22. 中野村。
  23. 小原村。
  24. 大野村。
  25. 三谷村。
  26. 加鹿野村。
  27. 守柄村。
  28. 森村。
  29. 間室村。
  30. 油良村。
  31. 矢田村。
  32. 香住村。
  33. 若松・一日市村。
  34. 境村。
  35. 隼人村。
  36. 畑村。
  37. 下・上岡村。
  38. 土生村。
  39. 丹生地村。
  40. 九斗村。
  41. 無南垣村。
  42. 訓谷村。
  43. 湯村。
  44. 丹土村。
  45. 桐岡村。
  46. 飯野村。
  47. 塩山村。
  48. 歌長村。
  49. 湯村。
  50. 井土村。
  51. 志んてん村(新田村)は、寛文12年(1672)に願い出て、福富村に改めた(『兵庫県の地名Ⅱ(日本歴史地名大系)』)。
  52. 寛永4年(1627)、旗本宮城豊嗣領となった折に、豊嗣は陣屋を従来の芦屋から当地に移し、合わせて村名も極楽寺村から清富村に改めたと考えられる(『兵庫県の地名Ⅱ(日本歴史地名大系)』)。
  53. 田井・指杭村。
  54. 赤崎村。
  55. 高末村。
  56. 檜尾村。
  57. 外野村。
  58. 鍛冶屋村。
  59. 貫田村。
  60. 実山村。
  61. 神水村。
  62. 神場村。
  63. 広井村。
  64. 石寺村。
  65. 大篠村。
  66. 和地村。
  67. 森脇村。
  68. 八井谷村。
  69. 黒田村。
  70. 宿村。
  71. 日影村。
  72. 市原村。
  73. 寺河内村。
  74. 耀山村。
  75. 高井村。
  76. 大糠村。
  77. 福西村。
  78. 江戸時代、七美郡を領した旗本交代寄合山名氏は、寛永19年(1642)に陣屋を福岡村から当地に移し、地名も従来の黒野から佳名の村岡に改めたという(『兵庫県の地名Ⅱ(日本歴史地名大系)』)。
  79. 用野村。
  80. 鹿田村。
  81. 川会村。
  82. 高津村。
  83. 古くは井野村と称し、中村氏・尾崎氏・田村氏の一族で八戸ほどの集落をなしていたが、慶長元年(1596)に中村惣右衛門が当地に居を移し、長須村と改称したという(『兵庫県の地名Ⅱ(日本歴史地名大系)』)。
  84. 味取村。
  85. 集落は北流する矢田川の右岸の段丘上や平地に形成される。「上とはら」は段丘上、「下とはら」は平地の集落をいったものか(『兵庫県の地名Ⅱ(日本歴史地名大系)』)。
  86. 長瀬村。
  87. 堺村。