安房国

提供:「ムラの戸籍簿」データベース
2018年9月22日 (土) 19:40時点における小さ子社 (トーク | 投稿記録)による版

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本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。
また、郷村表はもともと各国担当者によってWordで作成されており、これを、「ムラの戸籍簿」研究会事務局で集約して公開用に変換しております。
変換作業上、特殊な文字や史料表記について、やむをえず作成者の作成した文字データが反映されていない部分のありますことをご承知おきいただけましたら幸いです。□
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作成者:大欠哲

郷村名郡別世紀別初出表

概要

概要

 現在の千葉県の南部。房総半島の南端部に位置する。三方を海に囲まれ、上総国境には房総丘陵の一つ鋸山、清澄山丘陵がそびえている。西側は東京湾を挟んで三浦半島に面し、太平洋の沖合には黒潮が流れ、温暖な気候であるため古くから海との関係が深く、海を媒介とした独自の地域文化圏を形成している。また、豊かな漁場に恵まれたことから御食国に任じられ、皇室や朝廷の御饌を担当したとされる。
 律令国家成立当初、上総国に含まれていたが、養老二年(718)五月に平群・安房・朝夷・長狭の四郡を割いて新設された。天平十三年(741)十二月、再び上総国に併合されたが、天平勝宝九年(757)五月に再設置された。
 国府は現在の南房総市府中付近に置かれ、古代末期から中世にかけて丸氏・長狭氏・安西氏・神余氏などの武士団が活動し、平安末期には源頼朝の再起の地となる。室町時代には結城氏・上杉氏が守護となり、15世紀半ば頃には里見氏が台頭し、安房国統一を果たして、上総から下総の一部に至るまで勢力を張った。豊臣秀吉による小田原城攻め以後は、安房一国が里見氏の領地となった。
 安房国の中央部から北西部にかけて平群郡が位置し、平安末には平北郡などが分立。戦国期には北郡と称し、江戸初期には平郡となっている。安房郡は房総半島の南端に位置し、平安末期に令制下の郡域が分割されたと想定され、当時の史料に確認できないものの、武家の存在から安東・安西が成立していたという。神余郡と称する地域が生じ、さらに戦国期には山下郡に改称したという。中央部には朝夷郡が位置しており、朝平郡・朝平南郡などともみえる。室町期より近世初頭には丸郡が朝夷郡域に成立。丸御厨を本拠地とする丸氏の支配領域に由来している。東側には長狭郡が位置し、四郡のなかで唯一中世においても令制下の郡名が継承され近世に至っている。

典拠史料

『千葉県の歴史』資料編の古代・中世2~5、『千葉県史料』金石文編Ⅰ~Ⅲならびに中世編(諸家文書・県外文書)、さらに適宜他の自治体史などを利用した。

凡例

『千葉県の歴史』資料編・・・出典欄における表記は県-古など。
『千葉県史料』・・・出典欄における表記は県史-金など。

郷村表

平群郡

郷(里)

砥河、達良、石井、狭隈、長門、大里、穂田、川上、白浜

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
白浜郷
清岑里
平群郡 天平9.-.- 737 〔調庸綾絁布墨書銘文〕【白浜】平群郡白浜郷清岑里大弓マ得万呂細布壱端〈長四丈二丈〉 県-古p.501
正倉院墨書銘文2
狭隈郷[1] 平群郡 年月日未詳 8C 〔木簡〕【狭隈】上総国平群郡狭隈郷□丁若麻積マ麻呂養銭六百文 県-古p.463
平城宮木簡6
大里郷 平群郡 年月日未詳 8C 〔調庸綾絁布墨書銘文〕【大里】平群郡大里郷戸主丸子部三国戸服織部屋万呂 県-古p.501
正倉院墨書銘文1
石井郷[2] 平群郡 年月日未詳 8C 〔木簡〕【石井】安房国平群郡□(石ヵ)井郷鰒腊□籠 県-古p.475
平城京木簡1
下尺万郷[3] 北郡 文永8ヵ.-.- 1271 〔二階堂氏知行注文〕【狭隈】安房国北郡内吉浜‖万寿御前〈御方〉、安房国北郡内下尺万郷、同内要島‖金寿御前〈御方〉、安房国北郡内本名村、 県-中4p.469
二階堂文書5
穂田郷☆ 北郡 文明18.4.8 1486 〔地蔵菩薩坐像〕【穂田】大日本国安房州北郡穂田郷河上大河村三宝之弟子等以抽一心清浄丹誠奉□金附地 県史-金p.125 1613[4]
吉浜郷☆ (平群) 天文22.8.25 1553 〔日我妙顕寺置文〕定 吉浜郷谷山妙顕寺之事、右彼寺者、上代者雖有子細、先師日要上人之代ニ依大破被上之畢、然間可為妙本寺之各坊同前之由被相定、泉陽坊日授ニ仰付畢、 県-中3p.168
妙本寺文書12
平久里郷[5] (平群) 天正7.6.9 1579 〔里見義頼判物写〕平久里之郷根本之下男八人之内五人、田地指添遣之候、為後年及壱札候、仍如件、 県-中4p.530
武州文書17
山下郷☆ (平群) 年未詳.5.18 16C 〔足利高基書状写〕同名大炊頭房州知行、真名倉郷、窪郷、白間戸村、井戸村、山名・山下郷、成敗不可有相違候、謹言、 県-中4p.913
集古文書所収簗田文書1

年月日 西暦 原 文 出 典
吉浜村☆
本名村☆
北郡 文永8ヵ.-.- 1271 〔二階堂氏知行注文〕安房国北郡内吉浜村‖万寿御前〈御方〉、安房国北郡内下尺万郷、同内要島‖金寿御前〈御方〉、安房国北郡内本名村、 県-中4p.469
二階堂文書5
藤生村 (平群) 暦応4.4.10 1341 〔太田時連譲状写〕譲与 安房国不入斗藤生村・同国吉浦、筑後国生葉庄内朝田村‖右、所譲与孫七郎時直也、 県-中5p.439
萩藩譜録1
不入計村☆[6] (平群) 康暦1.12.23 1379 〔足利氏満御教書写〕安房国岩井不入計村事、為鶴岡八幡宮本地供料所、可有管領之状如件、 県-中4p.492
相州文書7
平久里村☆ 北郡 文安3.-.- 1446 〔天神縁起絵巻奥書〕夫房州北郡平久里村有数歩灵地、栽松栢於千載観貞心於四時知是神仙境歟、 県史-諸p.33
平群天神文書1
河上村(川上)☆ 北郡 文明18.4.8 1486 〔地蔵菩薩坐像〕【川上】大日本国安房州北郡穂田郷河上大河村三宝之弟子等以抽一心清浄丹誠奉□金附地 県史-金1p.25
1613
柴原村 北郡 天文16.11.16 1547 〔日侃筆日我大行寺置文写〕安房国北郡穂田郷柴原村大行寺之事、右彼寺家者、当職従日我八代先師 日伝上人之草創也、時之坊主号勧乗坊日了、 県-中3p.391
妙本寺文書363
本折村(本織)☆[7]
明石村☆
(平群) 永禄7.11.24 1564 〔里見義堯判物〕延命寺新林村入合之事、一、本折村之内芝間、一、明石村之内芝間、一、池之内村分之芝間、以上三ヶ村入合 是者池之内村之寺領百石之替リ、 県-中3p.676
延命寺文書1
平岡村 平郡 天正13.3.28 1585 〔釣燈籠〕安房国平郡平岡村住、 県史-金2p.434
2241[8]
青木村☆[9] (平群)
多々良庄
天正15.4.5 1587 〔里見義康安堵状〕多々良之庄於青木村、光厳寺之事、如前々延命寺御拘相違有間敷候、為其一札令進覧候、仍如件、 県史-諸p.120
延命寺文書3
多田良村☆
岡本村☆
深名村☆
大津村☆
宮本村☆
居倉村☆
正木村☆
大学口村☆
山下村☆
米沢村☆
久枝村☆
下佐久門村☆
保田村☆
小保田村☆[10]
佐久間村☆[11]
平久里中村☆
山田村☆
平郡 天正18.10.- 1590 〔安房修験書上〕【達良】【狭隈】【穂田】房州平郡多田良村、一、不動堂領‖同郡岡本村、一、八幡宮領‖房州平ノ郡深名村、一、牛頭天王‖房州平郡大津村‖同郡宮本村‖同郡居倉村‖房州平郡正木村‖房州山下郡湊村‖房州山下郡安布里村‖房州山下郡薦口村‖相浜村‖朝夷郡白浜村‖房州朝夷郡平磯村‖房州朝夷郡川戸村‖安房郡竹岡村‖安房郡御庄村‖同郡中村‖同郡山名村‖安房国朝夷郡岩糸村‖安房国朝夷郡下三原村‖安房国朝夷郡中三原村‖安房国平之郡大学口村‖安房平之郡山下村‖安房国平郡米沢村‖安房国平之郡不入斗村‖房州平郡久枝村‖房州平之郡下佐久門村‖房州平郡保田村‖房州平之郡小保田村‖房州平郡佐久間村‖平郡平久里中村‖百姓地山田村‖安房国長狭郡平塚村‖安房国長狭郡大山、一、壱畝六歩百姓地、古畑村‖佐野村之内百姓地‖安房国長狭郡大川面村‖安房国長狭郡仲村‖房州長狭郡池田村‖房州長狭郡横渚村‖同郡東野尻村‖右之通リ、京都江書上申候控、 県-中3p.663
田代正満家文書3
三坂村☆ 平郡 慶長2.10.7 1597 〔古検地帳目録〕安房国平之郡之内三坂村田畑水帳 県史-諸p.407
上堀村☆ 北郡 慶長2.10.28 1597 〔古検地帳目録〕房州北之郡之内上堀村御検地帳 県史-諸p.408
合戸村☆ 北郡 慶長3.4.14 1598 〔里見義康印判状〕北郡於合戸村寺領参石令寄附候、為其一札、仍如件、 県-中3p.661
福満寺文書2

安房郡

郷(里)

太田、塩海、麻原、大井、河曲、白浜、神余

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
松里(松樹)[12] 安房郡 文武3.10.- 699 〔木簡〕己亥十年上捄國阿波評松里 県-古p.460
藤原宮木簡1
白浜郷☆
長屋里
安房郡 神亀4.⑨.- 727 〔木簡〕【白浜】安房郡白浜郷長屋里戸主□□□ 県-古p.462
平城宮木簡1
大田郷
大屋里
安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕【太田】安房国安房郡大田郷大屋里戸主大伴部黒秦戸□日下部金麻呂輸鰒調陸斤 県-古p.475
平城京木簡2
塩海郷☆[13]
賀宝里
安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕【塩海】安房国安房郡塩海郷賀宝里戸矢田部呰万呂輸鰒調陸斤 県-古p.475
平城京木簡3
播羅里 安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕安房国安房郡塩海郷播羅里若田部宮□ 県-古p.476
平城京木簡5
大井郷☆
小野里
安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕【大井】安房国安房郡大井郷小野里戸主城部忍麻呂戸城部稲麻呂輸鰒調六斤 県-古p.477
平城京木簡8
大島里 安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕安房国安房郡大井郷大島里矢作部□乎戸矢作□調陸斤 県-古p.478
平城京木簡10
公余郷[14]
賀茂里
安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕安房国安房郡公余郷賀茂里戸主大伴マ辛子戸大伴マ広足輸鰒調六斤 県-古p.478
平城京木簡12
長尾里 安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕安房国安房郡公余郷長尾里〈戸主大伴部忍麻呂 大伴部黒秦〉鰒調陸斤 県-古p.479
平城京木簡14
広湍郷☆[15]
河曲里
安房郡
(群房庄)
天平7.10.- 735 〔木簡〕【河曲】安房国安房郡広湍郷河曲里丈部牛麻呂輸調鰒陸斤 県-古p.480
平城京木簡17
沙田里 安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕安房国安房郡広湍郷沙田里戸丈部大床調鰒六斤 県-古p.481
平城京木簡21
御井里 安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕安房国安房郡松樹郷御井里戸白髪部富□輸鰒調陸□ 県-古p.482
平城京木簡24
小坂里 安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕安房国安房郡松樹郷小坂里戸大伴部高根輸鰒調陸斤 県-古p.483
平城京木簡25
長野里 安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕安房国安房郡片岡郷長野里矢田部荒城輸鰒 県-古p.483
平城京木簡27
滝辺里 安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕安房国安房郡片岡郷滝辺里戸卜部黒麻呂輸鰒調陸斤 県-古p.484
平城京木簡29
利鹿郷
岡名里
安房郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕安房国安房郡利鹿郷岡名里私部金鰒調陸斤 県-古p.484
平城京木簡30
片岡里☆[16] 安房郡 年月日未詳 8C 〔木簡〕上総国安房郡片岡里服織部小□戸服織部麻呂調壱束 県-古p.464
平城宮木簡8
三富里 安房郡 年月日未詳 8C 〔木簡〕安房国安房郡□□郷三富里矢田部□□□鰒調六斤 県-古p.485
平城京木簡32
安東郷☆ (安房) 応永30.12.8 1423 〔足利持氏御教書〕極楽寺宝塔院雑掌申、安房国安東郷内朴谷村事、爰真田刑部左衛門尉固支云々、 県-中4p.852
極楽寺文書4
大神宮郷☆[17] 平南郡 永禄11.-.- 1568 〔玉隠和尚語録〕塔下 房州平南郡大神宮郷海雲山大昌寺者楽山和尚之道場也、 県-中5p.957
630
千歳郷 山下郡 天正2.9.- 1574 〔鰐口〕安房州山下郡千歳郷畠村牛頭天王之宮奉掛鰐口一ヶ祈所施主敬白、 県史-金3p.3 2164[18]
竹原郷☆ (安房) 天正9.9.- 1581 〔里見義頼印判状〕覚 一、興津地 一、上野之郷 一、興津ノ内大針大蔵抱 一、守屋 一、宇原 一、南目川 一、平蔵之郷 一、高根之郷 一、壱松之郷 一、池田之郷 一、竹原之郷 「一、板屋・紙舗」 一、本須賀 右八ヶ村、依忠信出之候、於後日如何差者、忠之人茂其仁ニ努々出間敷候、 県-中4p.454
里見叢書1
沼郷☆ (安房) 天正12.4.28 1584 〔里見義頼充行状〕於沼之郷屋敷分ニ田地壱貫代出之者也、 県-中5p.601
岩崎文書2
神余郷☆ (安房) 天正17.9.1 1589 〔里見義康印判状〕【神余】長狭野尻之給并江田之本給之上ニ、於神余之郷田地拾貫代、去此如約束出之候、一騎之走廻厳密ニ可致之候、為其遣印判者也、 県-中3p.681
石井常夫家文書1
北条之郷☆ (朝夷) 天正18.9.13 1590 〔里見義康安堵状〕朝平南郷之郷、於南方寺家屋敷寺領七貫代‖此外於北条之郷海蔵寺分七貫五十代、 県史-諸p.138 円蔵院文書5
実倉郷☆[19] (安房) 文禄3.5.1 1594 〔里見義康寄進状〕兼約之田地、弐拾貫代并屋敷指副、於実倉之郷進之候、仍如件、 県史-中p.37
73 西門院文書
井戸郷☆[20]
河名郷☆[21]
(安房) 年未詳.4.12 16C 〔北条氏規書状写〕去八日ニ津之崎を押廻、井戸・河名両郷へ動由肝要候、なき日二者少之郷村成共動候て打敵度候、 県-中4p.390
越前史料所収山本文書12
山名郷☆ (安房) 年未詳.5.18 16C 〔足利高基書状写〕同名大炊頭房州知行、真名倉郷、窪郷、白間戸村、井戸村、山名・山下郷、成敗不可有相違候、謹言、 県-中4p.913
集古文書所収簗田文書1

年月日 西暦 原 文 出 典
古国府中村☆[22] (安房) 観応3.3.2 1352 〔足利尊氏下文写〕下 遠山安芸守景房 可令早領知安房国古国府中村‖右、為勲功之賞所充行也、 県-中4p.446
古文書1
伊戸村☆ (安房) 文和2.4.17 1353 〔日郷置文〕譲渡安房国安西三富保内伊戸村法華宗事、山城房日明導師之益可令勤仕者也、右、謹勘先師之制誡称、対治爾前迹門謗法、建立法華本門正法云々、 県-中3p.363
妙本寺文書319
鴻栖村 (安房) 文和2.5.16 1353 〔足利尊氏袖判下文〕可令早領知安房国小共田保〈但馬六郎入道跡〉・同国安東内鴻栖村〈得行四郎入道跡〉事、右為上総国前弘郷替所充行也者、任先例可致沙汰之状如件、 南北朝遺文(関)4p.27
2452紀伊野田文書
朴谷村 (安房) 応永30.12.8 1423 〔足利持氏御教書〕極楽寺宝塔院雑掌申、安房国安東郷内朴谷村事、爰真田刑部左衛門尉固支云々、 県-中4p.852
極楽寺文書4
池之内村☆ (安房) 永禄7.11.24 1564 〔里見義堯判物〕延命寺新林村入合之事、一、本折村之内芝間、一、明石村之内芝間、一、池之内村分之芝間、以上三ヶ村入合 是者池之内村之寺領百石之替リ、 県-中3p.676
延命寺文書1
畠村☆[23] 山下郡 天正2.9.- 1574 〔鰐口〕安房州山下郡千歳郷畠村牛頭天王之宮奉掛鰐口一ヶ祈所施主敬白、 県史-金3p.3 2164
大井村☆ (安房) 天正18.10.24 1590 〔里見氏寄進状〕【大井】此度於于大井之村、上衆地検之時分、石井給弐貫代書落之由申候、 県史-諸p.19 手力雄神社文書2
湊村☆
安布里村☆[24]
薦口村☆[25]
相浜村☆
竹岡村
御庄村☆
山名村☆
山下郡



安房郡
天正18.10.- 1590 〔安房修験書上〕房州平郡多田良村、一、不動堂領‖同郡岡本村、一、八幡宮領‖房州平ノ郡深名村、一、牛頭天王‖房州平郡大津村‖同郡宮本村‖同郡居倉村‖房州平郡正木村‖房州山下郡湊村‖房州山下郡安布里村‖房州山下郡薦口村‖相浜村‖朝夷郡白浜村‖房州朝夷郡平磯村‖房州朝夷郡川戸村‖安房郡竹岡村‖安房郡御庄村‖同郡中村‖同郡山名村‖安房国朝夷郡岩糸村‖安房国朝夷郡下三原村‖安房国朝夷郡中三原村‖安房国平之郡大学口村‖安房平之郡山下村‖安房国平郡米沢村‖安房国平之郡不入斗村‖房州平郡久枝村‖房州平之郡下佐久門村‖房州平郡保田村‖房州平之郡小保田村‖房州平郡佐久間村‖平郡平久里中村‖百姓地山田村‖安房国長狭郡平塚村‖安房国長狭郡大山、一、壱畝六歩百姓地、古畑村‖佐野村之内百姓地‖安房国長狭郡大川面村‖安房国長狭郡仲村‖房州長狭郡池田村‖房州長狭郡横渚村‖同郡東野尻村‖右之通リ、京都江書上申候控、 県-中3 p.663
田代正満家文書3
南瀧村☆[26] (安房) 天正19.7.7 1591 〔里見義康充行状〕宇都保野相違付而、為其替南瀧村卅貫所幷丸本郷代官出之候、相応之走廻厳密ニ可致之候、為其及印判者也、 県史-諸p.203 武石文書1
東長田村☆ 山下郡 慶長2.10.11 1597 〔古検地帳目録〕安房国山下郡内東長田村御検地帳
県史-諸p.402
犬石村☆ 山下郡 慶長2.11.20 1597 〔里見義康印判状写〕房州山下郡之内犬石村弐百五拾八石四斗、南龍村之内六拾壱石三斗五升、合三百弐拾石扶助候、 県-中4p.536
武州文書39
稲村☆ 山下郡 慶長2.11.20 1597 〔里見義康充行状〕房州山下郡稲村之内百弐拾石、令扶助候、百姓不荒様ニ全可有知行者也、
県史-諸p.17 石井文書3
清水村☆ 山下郡 慶長2.11.20 1597 〔里見義康充行状〕□知行覚 一、百弐拾五石九斗八升 山下郡清水村、
県史-諸p.122 延命寺文書5
南条村☆ 山下郡 慶長2.12.3 1597 〔里見義康印判状写〕山下郡南条村之内拾石進候、百姓不荒様ニ全可有知行候、以上、
県-中5p.608
安房国古文書摘要3
八幡村☆ (安房) 慶長3.7.29 1598 〔里見義康寄進状〕於八幡村□候、此外東国□之御手洗□壱石五斗寄之候、
県史-諸p.3
鶴谷八幡神社文書3

朝夷郡

郷(里)

御原、新田、大潴、満禄、健田

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
健田郷
仲村里
朝夷郡 養老6.10.- 722 〔木簡〕【健田】安房国朝夷郡健田郷仲村里戸私部真鳥調鰒六斤三列長四尺五寸束一束 県-古p.462
平城宮木簡3
柏原里 朝夷郡 天平5.10.- 733 〔木簡〕安房国朝夷郡健田郷柏原里卜部神調鰒六斤為壱籠五烈 県-古p.486
平城京木簡34
満禄郷☆[27] 朝夷郡 天平勝宝8.11.- 756 〔調庸綾絁布墨書銘文〕【満禄】朝夷郡満禄郷戸主□部広□調細布壱端 県-古p.501
正倉院墨書銘文3
久保郷☆[28] 朝夷南郡
(早三南庄)
建武2.6.2 1335 〔摩利支天立像〕久保郷住人□左入道善阿男四人 女子四人 右志者為現世安穏後世善処、法界平等梨養也
県史-金1p.31 404[29]
朝平郷☆[30] (朝夷) 応永3.7.23 1396 〔室町幕府御教書〕安房国朝平郷南方‖任去月七月廿四日安堵、被沙汰付上杉安房守憲定代之様可有申沙汰之由、所被仰下也、仍執達如件、 県-中4p.174
伊佐早文書6
三原郷☆[31] (朝夷) 応永28.7.26 1421 〔上杉定頼宛行状写〕【御原】安房国三原郷内西小田村三分一之事、為新恩所充行也者、早守先例、可令領掌之状如件、 県-中4p.521
常陸誌料雑記2
加茂郷☆ (朝夷) 天正9.11.25 1581 〔里見義頼判物写〕日運寺々中并正木左近大夫両度ニ被付候寺領御堂内永代不可有諸役候、殊加茂之郷旦那衆違乱横合不可有者也、仍如件、 県-中5p.608
安房国古文書摘要1
朝夷南郷☆[32] (朝夷) 天正18.9.13 1590 〔里見義康安堵状〕朝平南郷之郷、於南方寺家屋敷寺領七貫代‖此外於北条之郷海蔵寺分七貫五十代、 県史-諸p.138 円蔵院文書5
丸本郷☆[33] (朝夷) 天正19.7.7 1591 〔里見義康充行状〕宇都保野相違付而、為其替南瀧村卅貫所幷丸本郷代官出之候、相応之走廻厳密ニ可致之候、為其及印判者也、 県史-諸p.203 武石文書1

年月日 西暦 原 文 出 典
西小田村 (朝夷) 応永28.7.26 1421 〔上杉定頼宛行状写〕安房国三原郷内西小田村三分一之事、為新恩所充行也者、早守先例、可令領掌之状如件、 県-中4p.521
常陸誌料雑記2
白浜村☆
平磯村☆
川戸村☆
岩糸村☆
下三原村☆
中三原村☆
朝夷郡 天正18.10.- 1590 〔安房修験書上〕【御原】房州平郡多田良村、一、不動堂領‖同郡岡本村、一、八幡宮領‖房州平ノ郡深名村、一、牛頭天王‖房州平郡大津村‖同郡宮本村‖同郡居倉村‖房州平郡正木村‖房州山下郡湊村‖房州山下郡安布里村‖房州山下郡薦口村‖相浜村‖朝夷郡白浜村‖房州朝夷郡平磯村‖房州朝夷郡川戸村‖安房郡竹岡村‖安房郡御庄村‖同郡中村‖同郡山名村‖安房国朝夷郡岩糸村‖安房国朝夷郡下三原村‖安房国朝夷郡中三原村‖安房国平之郡大学口村‖安房平之郡山下村‖安房国平郡米沢村‖安房国平之郡不入斗村‖房州平郡久枝村‖房州平之郡下佐久門村‖房州平郡保田村‖房州平之郡小保田村‖房州平郡佐久間村‖平郡平久里中村‖百姓地山田村‖安房国長狭郡平塚村‖安房国長狭郡大山、一、壱畝六歩百姓地、古畑村‖佐野村之内百姓地‖安房国長狭郡大川面村‖安房国長狭郡仲村‖房州長狭郡池田村‖房州長狭郡横渚村‖同郡東野尻村‖右之通リ、京都江書上申候控、 県-中3p.663
田代正満家文書3
仁賀浦村☆[34] 丸郡 慶長2.9.2 1597 〔古検地帳目録〕房州丸郡仁賀浦村御検地帳 県史-諸p.409
大貫村☆ 丸郡 慶長2.12.15 1597 〔里見義康判物〕丸之郡大貫村之内小松寺之事、寺内共五石令寄進候、為後日及判形候、仍如件、 県-中3p.721
小松寺文書1
北朝平南村☆[35] 丸郡 慶長3.7.- 1598 〔里見家女人知行目録〕丸郡之内北朝平南村〈廿七番〉 上田 竹原田 三畝廿歩四斗七升六合 善さへもん、上田 同所 八畝廿四歩壱石一斗四升四合 新右衛門 県-中3p.670
田代正満家文書6
白間戸村☆[36] (朝夷) 年未詳.5.18 16C 〔足利高基書状写〕同名大炊頭房州知行、真名倉郷、窪郷、白間戸村、井戸村、山名・山下郷、成敗不可有相違候、謹言、 県-中4p.913
集古文書所収簗田文書1

長狭郡

郷(里)

壬生、置津、田原、酒井、伴部、賀茂、丈部

郷(里) 年月日 西暦 原 文 出 典
大伴郷[37] 長狭郡 天平勝宝5.-.- 753 〔木簡〕白髪部〈千島年十七 上総国長狭郡大伴郷戸主白髪部千足戸□〉 県-古p.70
105 正倉院文書
酒井郷 長狭郡 天平勝宝8.10.- 756 〔調庸綾絁布墨書銘文〕【酒井】上総国長狭郡酒井郷戸主丈部床足 丈部黒狛戸主生部子□ 県-古p.502
正倉院墨書銘文4
置津郷 長狭郡 天平-.-.-. 8C 〔木簡〕【置津】安房国長狭郡置津郷戸主丈部黒秦戸□丈部第輸凡鰒六斤 県-古p.463
平城宮木簡5
川合郷
津城里
長狭郡 年月日未詳 8C 〔木簡〕安房国長狭郡川合郷津城里葛 県-古p.486
平城京木簡36
長佐郷
打墨郷☆[38]
(長狭) 建長5.9.14 1253 〔胎蔵界沙汰付小野延命院次第奥書〕建長五年癸丑 九月十四日、未時書了、於長佐郷・打墨□(郷ヵ)、 県史-中p.22
40 石井光雄所蔵聖教
東条郷☆[39] (長狭) 文永7.-.-. 1270 〔日蓮書状写〕而ルヲ日蓮ハ安房ノ国東条郷清澄山ノ住人也、自幼少ノ時虚空蔵菩薩ニ立願云、成日本第一ノ智者云々、 県-中5p.295
本満寺文書1
柴原子郷 長狭郡 建武5.10.11 1338 〔源某寄進状〕奉 寄進 長狭郡大山寺当郡柴原子郷上村内田地壱町〈奈良井原〉事、右毎日為奉転読大般若経一秩宛、寄進之状如件、 県-中3p.746
安田家文書1
平塚郷☆ (長狭) 嘉吉3.2.28 1443 〔某胤清等連署寄進状〕同郡平塚郷正作田数弐段事、為少所之上為土貢之外間、不及上達、以私之連署先奉寄畢、 県-中3p.753
安田家文書16
柴原郷 長狭郡 天正4.7.10 1576 〔釣燈籠〕安房州長狭郡柴原郷高蔵山大山寺燈籠奉寄附田代中務大輔源弘長敬白、 県史-金2p.418 2173[40]
おはた郷☆[41] (長狭) 天正8.7.6 1580 〔里見義頼印判状写〕おはたの郷并龍光寺加倍に候間、少も狼藉いたすましく候、仍如件、 県-中5p.167
後撰芸葉1
池田郷☆ (長狭) 天正8.7.20 1580 〔里見義頼印判状写〕池田之郷八幡之禰宜職、如前々被下之者也、 県-中3p.682
石井昌道家文書1
泉郷☆[42] (長狭) 天正8.8.23 1580 〔里見義頼朱印状写〕於泉之郷、正木大炊助母跡屋敷之事、左近大夫ニ相断、其身一世不入ニ出之候、其段可被心得候、仍如件、 県-中4p.531
武州文書19
上野郷☆ (長狭) 天正8.11.16 1580 〔里見義頼判物〕此度各ヘ従内被申理筋目附而、興津之地并上野之郷半分被返候、簡要ニ候、仍如件、 県-中3p.730
石井守文書1
曾呂郷 (長狭) 天正19.10.24 1591 〔里見義康印判状〕於曾呂之郷、田地参貫代出之候、相応之走廻可致之者也、 県-中3p.677
岡崎昭二家所蔵文書1

年月日 西暦 原 文 出 典
上村 長狭郡 建武5.10.11 1338 〔源某寄進状〕奉 寄進 長狭郡大山寺当郡柴原子郷上村内田地壱町〈奈良井原〉事、右毎日為奉転読大般若経一秩宛、寄進之状如件、 県-中3p.746
安田家文書1
平塚村☆ 長狭郡 至徳1.8.15 1384 〔山名智兼・某有嗣連署寄進状〕御料所安房国長狭郡柴原子郷平塚村内山畑田事、為新八幡宮領所奉寄進之也、殊可被抽天下安全祈念之状如件、 県-中3p.737
常福院文書1
下村 長狭郡 応永28.12.29 1421 〔足利持氏寄進状〕寄進 龍興寺 安房国長狭郡上村内下村内等事、右、任去貞治二年六月廿日御介錯寄進状之旨、所寄附之状如件、 県-中4p.885
保阪潤治所蔵文書4
磯村☆ (長狭) 文明18.8.- 1486 〔廻国雑記〕磯むらといへる所は名にしおひていそづたひの村なれば、海ちかく磯つたひゆくいそむらに村々みゆるあまの釣ふね、 県-中5p.918
605
長狭村 (長狭) 天正14.3.3 1586 〔観音堂須弥壇枠板〕房州長狭村 小町住人 佐藤 地引内蔵助弥太郎 県史-金1p.125 2253
古畑村☆
佐野村☆
大川面村☆
仲村☆
池田村☆
横渚村☆
東野尻村☆
長狭郡 天正18.10.- 1590 〔安房修験書上〕房州平郡多田良村、一、不動堂領‖同郡岡本村、一、八幡宮領‖房州平ノ郡深名村、一、牛頭天王‖房州平郡大津村‖同郡宮本村‖同郡居倉村‖房州平郡正木村‖房州山下郡湊村‖房州山下郡安布里村‖房州山下郡薦口村‖相浜村‖朝夷郡白浜村‖房州朝夷郡平磯村‖房州朝夷郡川戸村‖安房郡竹岡村‖安房郡御庄村‖同郡中村‖同郡山名村‖安房国朝夷郡岩糸村‖安房国朝夷郡下三原村‖安房国朝夷郡中三原村‖安房国平之郡大学口村‖安房平之郡山下村‖安房国平郡米沢村‖安房国平之郡不入斗村‖房州平郡久枝村‖房州平之郡下佐久門村‖房州平郡保田村‖房州平之郡小保田村‖房州平郡佐久間村‖平郡平久里中村‖百姓地山田村‖安房国長狭郡平塚村‖安房国長狭郡大山、一、壱畝六歩百姓地、古畑村‖佐野村之内百姓地‖安房国長狭郡大川面村‖安房国長狭郡仲村‖房州長狭郡池田村‖房州長狭郡横渚村‖同郡東野尻村‖右之通リ、京都江書上申候控、 県-中3p.663
田代正満家文書3
小町村☆[43]
小原村☆[44]
長原村
玉川村
あいか村
石畠村
こみた沢村
滝村
大森村
山王村
りんげ村
あいか大夫村
(長狭) 慶長2.9.18 1597 〔増田長盛奉行人連署裁許状写〕小町村并小原村さかい目不相究ニ付而、両奉行罷出、さかい目相立申候事、一、小町村ヘ付候村、長原村・玉川村・あいか村・石畠村・こみた沢村、此五ヶ所也、一、小原村ヘ付候村、滝村・大森村・山王村・りんげ村・あいか大夫村、此五ヶ所也、 県-中3p.745
南小町区有文書1
吉保村☆[45] 長狭郡 慶長3.12.1 1598 〔里見義康印判状写〕長狭郡之内きつほ村ニおゐて、沙弥屋敷共ニ拾五石付置候、為其印判進候、以上、 県-中3p.739
田中稔所蔵文書1

  1. 下佐久間村・佐久間下村・佐久間仲村。「於佐久間之郷、本途之田地五貫代、寺家無寄にて進之候、為其及一札候、仍如件、」文禄2(1593).12.25里見義康判物(「妙本寺文書55」県-中3p.187)。
  2. 岩井袋村。
  3. 下佐久間村。
  4. 二ツ堂。安房郡鋸南町小保田。
  5. 平久里下村・平久里中村。
  6. 不入斗村。
  7. 本織村。慶長3(1598).9.23〔里見義康印判状〕「於于本織村馬乳久右衛門殿返給、為加増拾石出之也、」 県-中4青葉文書1。
  8. 春日大社。奈良市春日野町。
  9. 東・西青木村。
  10. 小田保村。
  11. 下佐久間村・佐久間下村・佐久間仲村。
  12. 天平7年に松樹郷として再出。
  13. 塩見村。
  14. 和名抄には記載がなく、神余郷と同一の郷である可能性(カムヨからコウヨに転じた)。
  15. 広瀬村。和名抄には記載がなく、河曲郷に再編成された可能性が指摘されている。「安房国郡房庄内広瀬郷 件郷者、五辻斎院且有御祈願之旨、且為恩隣、所被施入彼経蔵也、」正治2(1200).2.28藤原経房処分状案(「勧修寺文書1」県-中5p.232)。
  16. 北片岡村・南片岡村。
  17. 太神宮村。
  18. 牛頭天王。館山市畑。
  19. 真倉村。
  20. 伊戸村。
  21. 川名村。
  22. 中村。
  23. 畑村。
  24. 安布理村。
  25. 古茂口村。
  26. 南竜村。
  27. 丸本郷村。
  28. 宝徳元(1449).12.13〔上杉顕房宛行状写〕安房国朝夷南郡久保郷之内上野弥太郎跡之事、 県-中4常陸誌料雑記3。弘治3(1557).11.〔鰐口〕房州早三南庄久保郷万年山東泉寺正木左京亮・平茂清息末丸宿願成就処也、 県史-金3 111。
  29. 真野寺。安房郡丸山町久保。
  30. 北朝夷村・南朝夷村。
  31. 下三原村・中三原村・上三原村。
  32. 南朝夷村。
  33. 丸本郷村。満禄郷と同一ヵ。
  34. 仁我浦村。
  35. 北朝夷村。
  36. 白間津村。
  37. 伴部郷に改められた。
  38. 下打墨村・中打墨村・上打墨村。
  39. 東条広場村・東条東村・東条西村。
  40. 松永安左衛門氏所蔵。埼玉県入間郡柳瀬村。
  41. 大幡村。
  42. 和泉村。
  43. 南小町村・北小町村。
  44. 下小原村・上小原村。
  45. 吉保仲村・吉保大川面村・吉保宮山村。