近江国

提供:「ムラの戸籍簿」データベース
2018年9月23日 (日) 15:21時点における小さ子社 (トーク | 投稿記録)による版 (→‎概要)

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本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。
また、郷村表はもともと各国担当者によってWordで作成されており、これを、「ムラの戸籍簿」研究会事務局で集約して公開用に変換しております。
変換作業上、特殊な文字や史料表記について、やむをえず作成者の作成した文字データが反映されていない部分のありますことをご承知おきいただけましたら幸いです。
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作成者:谷昇

郷村名郡別世紀別初出表

概要

概要

東山道の一国。現在の滋賀県。琵琶湖を中心とし、伊吹・鈴鹿山地(湖東)、信楽山地(湖南)、比良・比叡山地(湖西)に囲まれ、湖北は伊吹山を含む山地を隔てて岐阜・福井県に接する盆地をなし、姉川、犬上川・愛知川・日野川・野洲川、湖西に安曇川等の主要河川が流入する。琵琶湖から唯一流出する河川である瀬田川は、宇治を経て淀川となる。
24個の銅鐸が発見された野洲郡大岩山をはじめ、県内至る所に四世紀後半から六世紀後半に至る古墳が散在し、渡来系の人々の遺跡も多い。天智天皇6年(667)には都が大津に移され、ここで天智天皇が即位した。続く天武天皇元年(672)には壬申の乱の舞台となった。
律令制下『延喜式』の規定によれば、近江国は大国で、近国に属し、滋賀・栗太・甲賀・野洲・蒲生・神崎・愛智・犬上・坂田・浅井・伊香・高嶋の12郡からなり、現在に至るも郡の増減はなく、郡域の移動も極めて少ない。国府は栗太郡勢多にあり、国分寺ははじめ瀬田、のち現大津市石山国分町に移されたという。一宮は瀬田町の建部神社である。天平14年(742)甲賀郡紫香楽に離宮造営・大仏建立が計画されたが、17年平城京に還都し紫香楽は放棄された。比叡山に最澄が開いた天台宗延暦寺は、近江一国を埋め尽くさんばかりの寺領を有し、別院園城寺(三井寺)とともにに、政治・経済上強い影響力を保持した。また日吉山麓の日吉神社(大津市坂本)へは、古代・中世の行幸・御幸がひんぱんに行われた。
また近江国は立地上、交通の要諦であり、京を発する主要街道のうち、東海道・東山道・北陸道が近江国を貫通しており、東海道は鈴鹿峠を越えて伊勢国へ入り、東山道は美濃国、北陸道は若狭国へ通じた。国周辺の鈴鹿・不破・愛発(のちに逢坂)に関が設けられ舟運も盛んであった。近江国は政治経済はもちろん、都の玄関口として軍事的にも重要な位置にあった。
鎌倉幕府が成立すると近江国守護に佐々木氏が補任され、中世末に至った。以後在地における惣結合の発達、土一揆を基盤として、真宗教団が近江に展開して強大になった。応仁・文明の乱後、六角・京極氏が争う中、織田信長が近江に侵入、安土城を拠点として全国制覇を目指し、信長の跡をついだ豊臣秀吉は近世封建支配を推進した。
上記のように地理的・宗教的・政治経済的に重要な立地要件を備えた近江国には、大和・山城に次いで200余の荘園があり(福田栄次郎「近江国」(講座日本荘園史 6」吉川弘文館、1993年)、皇室領・摂関家領・山門寺社領等があった。
*2000年代の合併で9郡が行政的に消滅させられ、現在は蒲生・愛知・犬上3郡名を残すのみである。

参考文献

典拠史料

○『滋賀県史』は戦前出版のものしかなく、網羅的な郷・村名の採録は、地方史や史料集に拠らざるを得ない。
○下表に示した市町村史を参照した。
○木簡史料……奈良文化財研究所「木簡データベース」(http://www.nabunken.go.jp/Open/mokkan/mokkan2.html)に拠った。
○『滋賀県の地名』(日本歴史地名大系25、平凡社、1991年)における「近江国(郡・郷解説)」記事から、採録で漏れていた初出史料を検索し追加した。
○東大史料編纂所データベース、『平安遺文』+未収載文書および『鎌倉遺文』から、数件を検出した。
○近江国「郷・村」所見史料集一覧(2018.2.1現在)
A 史料集・文献(順不同)
○『平安遺文』
○『鎌倉遺文』
○『角川日本地名大辞典 滋賀県』(角川書店、1979年)
○『滋賀県の地名』(平凡社、1991年)
○『近江井口日吉神社文書』(福田栄次郎「山門領近江国富永荘史料」『駿台史学』明治大学、58、1983年)
○『近江井口日吉神社文書紙背文書』(福田栄次郎「続山門領近江国富永荘史料―」『駿台史学』明治大学、61、1984年)
○『滋賀県大般若波羅蜜多経調査報告書 1 2』(滋賀県教育委員会事務局文化部文化財保護課編、1989年)
○『菅浦文書 上下』(滋賀大学日本経済文化研究所、1960・1967年)
○『近江大原観音寺文書』(『改訂近江国坂田郡志 7』1945年所収)
○『大原観音寺文書』(滋賀県教育委員会編、1975年)
○『近江大原観音寺文書』(福田栄次郎・神崎彰利校訂、史料纂集、2000年)
○『今堀日吉神社文書集成』(仲村研編、雄山閣出版、1981年)
○「今堀日吉神社文書」(『八日市市史 5 史料Ⅰ』1987年)
○『葛川明王院史料』(村山修一編、吉川弘文館、1964年)
○『朽木文書 第一、第二』(史料纂集、1978、1981年)
○『朽木家文書 第一、第二』(史料纂集、2007、2008年)
○「『朽木文書』河上荘関係史料」(石尾芳久ほか「〔資科〕朽木文書の研究」『関西大学法学論集』28-1、1979年)
○「大嶋神社・奥津嶋神社文書」(『滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要』1-9、1968-76年)
○『内閣文庫影印叢刊 朽木家古文書 上下』(1977-1978年)
○「竹生島文書」(『東浅井郡志 4』1971年所収)
○「藤田文書」(『中世政治社会思想 下』笠松宏至ほか校注、日本思想大系22、岩波書店、1972年)
○「大宝神社文書」(芝野康之・小栗栖健治・埴岡真弓校訂『近江地方史研究』15・16合併号、1982年、19、1984年)
○「山中文書」(『水口町志』下、1959年、『三重県史 中世1下 資料編』、1999年)
○「橋本左右神社文書」(久留島典子「橋本左右神社文書中の村入り相論関係史料」榎原雅治(代表)『1998~2000科研報告書『中世村落史料の史料科学的研究』2000年)
○「(高島郡)日置神社文書」(藤本孝一「近江国高島郡河上庄・大江保の史料について―『大江保河上往古中興近代集入雑記』の紹介」『中世史料学叢論』思文閣出版、2009年)
○萩原龍夫『中世祭祀組織の研究』(吉川弘文館、1962年)
○小栗栖健治『宮座祭祀の史的研究』(岩田書院、2005年)
B 県市町村史
滋賀県 『滋賀県史 5 参照史料』(1971年、初版1928年)
高島郡 『増補高島郡誌』(1972年、初版1927年)
『高島町史』(1983年)
『マキノ町誌』(1987年)
『今津町史 4 資料』(2003年)
『新旭町誌』(1985年)
『安曇川町史』(1984年)
『朽木村志』(1983年、初版1974年)
滋賀郡 『近江国滋賀郡誌』(1979年、初版1883年)
『志賀町史 1 2 』(1996・99年)
『大津市志 上中下』(1911年)
『大津市史 上中下』(1942年)
『新大津市史 上下』(1962年)
『新修大津市史』(1978-1987年)
栗太郡 『近江栗太郡志 4』(1925年)
『草津市史 1』(1981年)
『草津市史史料集 1 近江国栗太郡村誌 上下』(1990、1991年)
『守山市誌 5 歴史編』(2006年)
『守山市史 下 資料篇』(1974年)
『栗東の歴史 5 資料篇Ⅱ』(1995年)
『栗東町史』(1980年)
野洲郡 『野洲郡史 上』(1998年、初版1927年)
『野洲町史 1 通史編』(1987年)
『中主町史 1』(1978年)
甲賀郡 『甲賀郡志 上下』(1971年、初版1926年)
『甲賀市史』(全7巻、2007-15年)
『石部町史』(1959年)
『新修石部町史 史料編』(1990年)
『甲西町誌』(1974年)
『甲賀町史』(1973年)
『甲賀町史 資料篇』(1994年)
『水口町志 上』(1960年)
『土山町史』(1961年)
『貴生川町誌』(1954年)
蒲生郡 『近江蒲生郡志 6』(1980、初版1922年)
『八日市市史 5 史料Ⅰ』(1987年)
『竜王町史 上下』(1987、83年)
『蒲生町史 4 史料』(2000年)
『滋賀県八幡町史 下 史料』(1940年)
『近江八幡の歴史 6 通史1』全9巻刊行中(2014年)
『近江日野町志 上下』(1930年)
『近江日野の歴史8 史料編』(2010年)
神埼郡 『近江神崎郡志稿 上下』(1973年、初版1928年)
『五個荘町史 3 史料Ⅰ』(1992年)
『能登川町史』(1976年)
『東近江市史 能登川の歴史 4 資料・民俗編』(2012年)
『永源寺町史 永源寺編』(2002年)
愛知郡 『近江愛智郡志 1 4』(1971年、初版1929年)
『湖東町史 上』(1979年)
『東近江市史 愛東の歴史1 資料編』(2008年)
『秦荘の歴史』(全4巻、2005-09年)
『近江愛知川町の歴史』(全5巻、2005-2010年)
犬上郡 『犬上郡誌・高宮町史』(渡邊 弘人編、臨川書店、1986年)
『彦根市史 上』(1980年)
『新修彦根市史 5 史料編 古代・中世』(2001年)
『滋賀県豊郷村史』(1963年)
『甲良町史』(1984年)
『多賀町史 上下別』(1991、95年)
坂田郡 『近江坂田郡志 上中下』(1980年、初版1913年)
『改訂近江国坂田郡志 7 8』(名著出版、1971年、初版1945年)
『米原町史 資料編』(1999年)
『山東町史 史料編』(1986年)
『近江町史』(1989年) 『近江長浜町志 1 本編上』(1988年)
『長浜市史』(全8巻、1996-2004年)
浅井郡* 『東浅井郡志 4』(1971年、初版1927年)
『伊吹町史 3 資料篇』(1998年)
伊香郡 『近江伊香郡志 上』(1973年、初版1953年)
『余呉町誌 資料篇 上』(1988年)
*浅井郡 → 東浅井郡・西浅井郡(1879年) → 西浅井郡消滅(伊香郡に吸収)(1897年) → 東浅井郡

凡例

郷村表

滋賀郡

郷(里)

古市、真野、大友、錦部

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
古市郷[1]
志那郡 天平1.-.- 729 〔近江国志那郡計帳〕【古市】古市郷/戸主大友但波志吉備麻呂 正倉院文書p.387
真野郷☆ 滋賀郡 貞観2.4.11 860 〔近江国大国郷墾田売券〕【真野】‖件墾田買納東大寺‖但惣券移載安宝之甥滋賀郡真野郷戸主 平安遺文117
吉田文書
錦部郷☆ 志賀郡 貞観9.6.11 867 〔安祥寺伽藍縁起資財帳〕【錦部】‖在近江国志賀郡錦部郷大津村庄家一区券文三枚 平安遺文164
東寺蔵
衣川郷☆ (滋賀) 寛和2.2.1 985 〔日本紀略〕今日禁制、近江国大津以北、衣川郷以南漁猟。依延暦寺座主尋禅奏状也。 日本紀略、同日条
筏立郷☆
青柳里
音高郷(推定)
(志賀) 元暦1.9.15 1184 〔近江国注進風土記〕大松原〈志賀〉 筏立郷〈同〉/青柳里〈同〉‖小松原〈志賀〉 音高郷 富津浜〈同〉 『山槐記』同日条
南郷☆ (滋賀) 建久8.11.- 1197 〔石山寺寺辺南郷検畠目録〕注進 石山寺々辺南郷検畠目録六事 鎌倉遺文945
石山寺文書
右淵郷
河南郷
(滋賀) 応永3.9.- 1396 〔青蓮院門跡雑掌目安案〕‖去明徳年中相語佐々木田中〈不知実名〉、無故押領葛川右淵郷野堺田地等 葛川明王院史料p.127
葛川郷☆ (滋賀) 文保1.8.26 1317 〔源愉書状〕伊香立庄与葛川堺相論間事/行者等事書進上云々。‖伊香立乱入候ハ、葛川郷相防候 葛川明王院史料p.880
ハニノ郷
(和邇郷)☆
河原のかう
(河原郷)
(滋賀) 長享2.10.13 1488 〔宮こ屋惣三郎末次道者売券〕永代売渡申道者之事/合近江国在所西近江〈ハニノ郷之内河原/・中村二里也〉‖長享二年十月十三日/売主宮こ屋惣三郎/末次(花押)/河原のかうおやの事、ミやうせんのさこ殿 志賀町史4p.254
徴古文府

年月日 西暦 原     文 出  典
真野村☆ 滋賀郡 天平宝字1.⑫.29 762 〔造石山院所解〕【真野】造石山院所
解‖白土取遣滋賀郡真野村
滋賀県史5p.7
正倉院文書
和迩村[2] (滋賀) 弘仁4.10.28 813 〔太政官符〕猨女之興、国史詳乎。其後不絶今猶見在。又猨女養田、在近江国和迩村、山城国小野郷 八幡町史下p.3類聚三代格一
類聚国史 19
小野村☆ 滋賀郡 弘仁6.7.- 815 〔新撰姓氏録〕小野朝臣/大春日朝臣同祖。彦姥津命五世孫。米餅搗く大使主命之後也。大徳小野臣妹子家于近江国滋賀郡小野村。因以為氏。日本紀合。 新撰姓氏録
群書類従25
大津村☆ 志賀郡 貞観9.6.11 867 〔安祥寺伽藍縁起資財帳〕‖在近江国志賀郡錦部郷大津村庄家一区券文三枚 平安遺文164
東寺蔵
御厩村 (滋賀) 建保2.4.16 1214 〔天台座主記 慈円〕十五日早朝、差遣所司以下公人等於大津東浦之間、三井法師原喧嘩事、所司帰却処、三井僧徒追至大江浜辺、与所司及合戦。社頭参詣大衆伝聞此事、不移時刻馳向件砌、焼払錦織里西浦在家並北院房舎、遂及丑刻令焼金堂以下堂塔僧房等了。同十六七両日之間、焼比屋粟津・松本在家〔青本〕御厩村 渋谷慈鎧編
『校訂増補天台座主記』
p.159
仰木村☆ 滋賀郡 正元1.9.11 1259 〔将軍家政所下文〕将軍家政所下 近江国滋賀郡仰木村住人/可令早佐々木神主重方為地頭職事 滋賀県史5p.88
蒲生郡安土村佐々木文書
鎌8406
葛河村
(葛川村)
(滋賀) 正応5.8.- 1292 〔朽木庄地頭代願仏言上状〕近江国高島郡朽木庄地頭佐々木出羽前司代沙弥願仏謹言上/欲早被申入本所〔青蓮院〕、被召上交名住人等、且被糾返寄現物、且被行其身於重科、同国山門領葛河村住人‖等 滋賀県史5p.124
京大蔵葛川明王院文書
葛川下村
落合村
(滋賀) 嘉元1.12.13 1303 〔権大僧都信厳奉書〕葛川下村神主菅三郎/男友正事 葛川明王院史料p.306
上村 (滋賀) 正和2.8.6 1313 〔忠太郎請文〕請申候、上村中沢前ニ正和二年〔癸丑〕八月一日広板置候事を 葛川明王院史料p.52
中村☆ (滋賀) 元徳3.9.- 1331 〔明王院所当並散在年貢注文〕‖六升五合、中村孫二郎
高野村 (滋賀) 延文4.8.14 1359 〔葛川住人等申状案〕葛川住人等謹言上/右子細者、今日申一点、木戸/□(比)良両庄土民等率/数百人多勢□(俄)押寄、当所/高野村焼払住人等之住屋悉焼払之 葛川明王院史料p.36
坊村☆ (滋賀) 延徳3.6.21 1491 〔明王院預所御教書〕‖葛川坊村大門之藤四郎/闕所畠弐ヶ所事 葛川明王院史料p.677
苗鹿村☆ (滋賀) 明応6.2.25 1497 〔晴富宿禰記同日条〕去廿三日夜、苗鹿村自和爾発向放火、去年歟。就代官職相論事、和爾隆蔵坊寄来苗鹿□□命 志賀町史4p.255
晴富宿禰記
榎村☆ (滋賀) 明応7.4.13 1498 〔康祐書状〕仏心院御坊領中/在地畠壱所事/為屋地被預下榎村/藤三郎男畢 葛川明王院史料p.362
途中村☆ 志賀郡 明応7.12.7 1498 〔大光房源永売券〕永代売渡申 私領田地之事/合壱所者 字者江州志賀郡龍華庄之内途中村 葛川明王院史料p.259
ヒトヤトリ村 永正2.1.8 1505 〔道玄入道寄進状〕奉寄進明王堂畠之事/合壱所者 字名ヒトヤトリ村某ノ家ノコシ東也 葛川明王院史料p.260
木戸口村☆ 永正10.6.10 1513 〔天文二年掃地納帳〕天文二年六月十日掃地帳‖八合(枡)/三升 坂下田 五升之内 木戸口村 近江大夫 葛川明王院史料p.525
大物村☆ 大永2.8.1 1522 〔六角氏奉行人連署奉書〕木戸内大物村百姓、依致緩怠、十乗坊加成敗訖。万一自余族令同心於悪行者、不移時、可被合力彼十全坊之由、被仰出候也。仍執達如件。 志賀町史4p.266
伊藤泰詮家文書
北小松村☆
野村
志賀郡 大永7.1.- 1527 〔伊藤家引付〕伊藤御師徳屋喜大夫賦帳書給与近江国志賀郡北小松村一円‖野村衆西村与、左衛門尉 志賀町史4p.267
伊藤泰詮家文書
細河村☆
坂下村☆
榎村
待井村☆
(滋賀) 享禄2.1.- 1529 〔明王院花頭並壇供帳〕二日村 細河村 二郎衛門子石松 一役/同村 榎村‖同村 坂下村‖同村 坊村孫二郎子きく 葛川明王院史料p.537-8
ぬくい村☆ (滋賀) 享禄4.2.- 1531 〔明王院花頭並壇供帳〕二日村 待井村‖ぬくい村 葛川明王院史料p.538
栗原村☆
高城村☆
志賀村
川原村
船路村☆
大野村☆
中浜村☆
普門村☆
北浜村☆
志賀郡 天正11.8.1 1583 〔江州志賀郡内台所入所々目録〕江州志賀郡内台所入所々目録事/一、八百石八升 志賀村‖一、参百石 普門村‖一、参百石 大野村‖都合弐万六百六拾石/天正拾壱年八月朔日 秀吉(花押)/杉原七郎左衛門尉殿 志賀町史4p.302
浅野家文書
あなう村
(穴太村)
志賀郡 文禄4.8.8 1595 〔近江国志賀郡御蔵入帳〕御蔵入目録/一、三百弐拾九石八斗三升 近江志賀郡 志賀村/一、三百拾九石 同あなう村‖合わせ 八千九石五斗/右沙汰を執らしめ、運上す可く候也/文禄四年八月八日 (秀吉朱印) 志賀町史4、.303
芦浦観音寺文書
佐川村☆ 志賀郡 慶長2.12.29 1597 〔近江国志賀郡・蒲生郡・栗太郡内蔵入地算用状〕一、弐拾五石六升七合 志賀郡之内佐川村出来米高四拾三石六斗七升内物成三拾石五斗七升松村知行ニ被下候分 彦根市史5p.820
芦浦観音寺文書
山上村☆
錦織村☆
藤尾村☆
志賀見世村☆
志賀郡 慶長3.12.26 1598 〔豊臣家奉行人連署園城寺寺領目録写〕【錦部】江州志賀郡三井寺寺領之事‖山上村/錦織村/藤尾村/志賀見世村 彦根市史5p.825
園城寺文書

栗太郡

郷(里)

物部、治田、木川、勢多、梨原

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
物部郷[3] 栗太郡 天平19.-.- 747 〔法隆寺伽藍縁起并流記資財帳〕【物部】‖近江国栗太郡物部郷肆段 栗東の歴史5p.12
寧楽遺文
木川郷 栗太郡 天平勝宝5.6.15 753 〔丹裏古文書〕【木川】志何史堅魚麻呂、年廿〈近江国栗太郡木川郷戸主大友日掠佐麻呂戸口〉 大日本古文書
25 正倉院文書
治田郷[4] 栗太郡 康平6.2.- 1063 〔大神宮諸雑事記〕【治田】‖治田郷専当之許ニハ神部衛士等加料儲也 栗東の歴史5p.24
群書類従1
安良郷
玉野郷
栗太 元暦1.9.15 1184 〔近江国注進風土記〕近江国/注進 風土記事/‖安良郷〈栗太〉‖玉野郷 山槐記同日条
駒井郷☆ 栗太郡 正応3.11.22 1290 〔大般若経識語〕奉施入近江国栗太郡駒井郷大萱里宝光寺/右為悲母聖霊十三年追善所奉迎如件‖勧進僧信尊 大般若経調査報告2p.640
大笹原神社蔵
北河数郷[5] (野洲) 正和1.2.5 1312 〔野洲川事掟書〕三上社神領山河等之事‖野洲河下/一北河数郷秋葉之事、公用壱貫文御贄 五喉九月九日社頭備御供野洲河下 守山市史下p.50
三上神社文書
下笠郷☆ 栗太郡 元亨1.10.16 1321 〔信性処分状〕同栗太郡下笠郷同得分年記之間 鎌倉遺文27880
田代文書
田上郷 (栗太) 建武4.4.25 1337 〔道俊・頼俊軍忠状〕佐々木佐渡大夫判官入道一見状/同十四日至長野・朝宮・柞原・野尻・田上郷合戦 滋賀県史5p.150
山中文書
石山郷 (栗太) 文和3.2.6 1354 〔細川清氏地頭職寄進状〕奉寄 臨川寺三会院/近江国石山郷上方半分事/右亡父前阿波守和氏、‖為彼替任和氏素意、所令寄進之状如件 守山市史下p.87
臨川寺重書案
片岡郷☆ 栗太 永徳2.8.10 1382 〔大般若経識語〕于時永徳弐年〈壬戌〉八月十日近江栗太片岡郷/於相沢薬師寺書写畢。 大般若経調査報告2p.390
葛川明王院蔵
矢橋郷☆ 栗太郡 明徳2.4.1 1391 〔藤原直親置文〕近江国栗太郡矢橋郷石津寺事/右当寺者為当家代々墳墓所、一門之崇敬異于他‖奉仰 彼御力、成此興行、若号直親子孫於此寺并田畠、雖経後々代々、更不可有相違乱煩‖藤原直親 滋賀県史5p.179
石津寺文書
勝部本郷☆ 栗太郡 嘉吉1.8.18 1441 〔栗太郡綣村天王社八月十八日相撲頭役里々次第〕一、二番 綣村天王 八月十八日相撲時仕本里事‖一、合参石弐斗弐升者勝部本郷内〈御榊勝部宮へ入申候〉 栗太郡志4p.373
大宝神社文書
手原郷☆ 栗太郡 明応9.4.16 1500 〔手原稲荷神社男神像台座墨書銘〕江州栗太郡/手原郷之内/里中大明神‖開眼/供養 栗東の歴史5p.116
手原稲荷神社蔵
高野之郷
(高野郷)
栗本之郡 天文2.11.6 1533 〔田地売券〕江州栗本之郡高野之郷内 栗東の歴史5p.123
栗東町有里内文庫文書
四図郷 栗本郡 永禄1.10.- 1558 〔田地売券〕代売渡申私領田地之事/合壱段者、在江州栗本郡四図郷之内、香ノ池 滋賀県史5p.283
井口文書
出庭郷☆ (栗太) 天正8.9.17 1580 〔芦浦観音寺領指出目録〕芦浦観音寺領指出目録之事‖六石五斗 出庭郷 栗東の歴史5p.137
芦浦観音寺文書

年月日 西暦 原     文 出  典
東坂村☆ (栗太) 延慶2.3.27 1309 〔常楽院替山証文写〕相替山事/合壱所者/在金勝寺東坂本宇鳥谷并鳥四郎山‖右件山者、自円心坊手東坂村中仁買領者也。雖然依為相互便宜、元正覚山仁加名田一所、限永代所替進実正也。 栗東の歴史5p.48
滋賀県市町村沿革史採集文書
赤野井村 (栗太) 暦応3.8.12 1340 〔高師直地頭職宛行状〕御判/下 諏方大進房円忠/可令早領知近江国三宅郷内一二里、并赤野井村〈付鳥羽中村田在家〉地頭職事、右為奉行事功之賞所宛行也 守山市史下p.64
臨川寺重書
椙江村
(杉江村)☆
(栗太) 貞和2.10.27 1346 〔足利直義下知状〕米積法橋定教与園城寺所司等相論近江国山賀庄内椙江村事/右庄者山徒猷覚跡也、建武四年御寄付之間、為造営料所寺務無相違之処、定教号一村之領主、依申子細、番訴陳之上遂問答訖 守山市史下p.65
密井文書
綣村☆ 栗太郡 貞治5.4.- 1366 〔大宝神社渡物次第〕栗□(太)郡綣村大宝天王者、自大宝年中神事祭礼□(于)今在之一綣村五郷仁当祭礼時卯月子日□□(御幸)還幸共仁、渡物氏人□□□、□規如此‖渡物次第 栗東の歴史5p.138
大宝神社文書
中山村
畑屋村
(栗太) 明徳4.3.20 1393 〔八幡神社棟札〕御宮之上葺時、成允介童成人々注文/西村分/百文 允成 衛門三郎‖中山村分‖畑屋村分 栗太郡志4p.58-59
大石村八幡神社蔵
伊勢村☆ 栗太北郡 応永4.4.- 1397 〔天王古帳写〕定 江州栗太北郡綣村大宝天王卯月初子御祭礼里々次第事/合/六番 伊勢村六石九斗四升 栗東の歴史5p.140
大宝神社文書
南笠村☆ 栗太郡 永享9.12.13 1437 〔治田大明神社由緒記〕奉寄進当社御神田事/合三百歩者‖在近江国栗太郡南笠村内、十三条二里、卅四坪、印定米五斗 栗太郡志4p.630
南笠村治田神社蔵
中村
クホ村
(久保村)
辻村☆
土村
王村
師ノ村
本村
安村
駒井村☆
中沢村☆
小柿村☆
栗太北郡 嘉吉1.8.-[6] 1441 〔綣村天王社古帳〕定在近江国栗太北郡綣村天王社八月十八日相撲頭役里々次第事‖一、二番、綣村天王社、八月十八日相撲時仕本里之事‖合、参斗二升五合中村弁、クホ村、辻村‖土村‖一、相撲懸銭‖六十文 王村‖師ノ村‖本村‖一、四番 綣村天王、八月十八日時仕本事‖安村‖一、下村榊太駒井村、神事太‖一、中沢、ヲカキ米事‖中沢・小柿両村定米 栗東の歴史5p.108
大宝神社文書
師子ノ村
三ツ村
保村
(栗太) 康正2.3.5 1456 〔天王社卯月祭礼下行米注文〕定天王卯月祭礼当所之下行米事‖タツナ、ハルヒ、クラツヽミ、ヒキサシナワ師子ノ村/但王ノ村ト□□(三ツ)村トウチカヱ也/白クラハ保村 栗東の歴史5p.67
大宝神社文書
野路村☆ (栗太) 康正2.-.- 1456 〔造内裏段銭并国役引付〕‖田村治部少輔殿江州野路村段銭 彦根市史5p.478
群書類従
高野ノ邑
(高野村)
安養寺村☆
手原村☆
栗太 文正1.-.- 1466 〔金森日記抜〕湖東御経回之事‖文正元年ノ秋ノ末ニ、栗太高野ノ邑ノ善宗正善ノ道場〈福正寺ノコトナリ〉ニワタラセオハシマス。‖安養寺村ノコウシ房〈了法ノ父ト云〉道場ニモウツラセオワシマス。手原村ノ信覚房‖ノ道場ト云ヘルニ、上様オワシマセリ。 栗東の歴史5p.70
真宗史料集成2
下村 栗太郡 明応2.9.25 1493 〔綣村天王社古帳〕定 在近江国栗太郡綣村天王社、八月十八日相撲頭役里々次第事‖一、下村 榊太、駒井村 神事太 大宝神社文書
p.85
下笠村☆ (栗太) 天文9.-.- 1540 〔神階記〕後奈良院/天文九年近江国下笠村神授正一位 栗太郡志4p.525
神階記
続群書類従3上
p.171
十禅師村 (栗太) 弘治2.1.12 1556 〔神田小作証〕当宮御神事田字二ノ坪一反之事、従当年中升三斗二升於大切堅相定請申‖十禅師村 与太郎/衛門三郎 栗太郡志4p.526
笠縫村老杉神社蔵
勝部村☆
出庭中村☆
高野土村
(栗太) 永禄10.8.17 1567 〔永禄十年相撲米納日記〕相撲米納日記‖八月十七日/四斗四升八合 勝部村弁‖出庵中村弁‖今宿弁‖高野土村弁‖同おさか弁‖高野三宅弁 栗東の歴史5p.127
大宝神社文書
駒井さわ村☆
集村☆
新堂村☆
大萱村☆
穴村☆
(栗太) 元亀3.3.24 1572 〔金森・三宅郷総代起請文〕敬白天罰霊社起請文事/一、金森・三宅エ出入内通一切不可仕事‖一、万一従当郷出入内通之輩、聞召於被出者、親類・惣中共、可被加御成敗之事‖駒井さわ村総代/兵衛五郎(略押)/集村総代‖新堂村総代‖大萱村総代‖穴村総代 守山市史下p.146
勝部神社文書
志那之村☆
林村
(栗太) 天正4.10.29 1576 〔織田信長朱印状〕江州知行在所/一、林村‖一、支那之村‖一、庄村 栗東の歴史5p.133
兼松文書
古高村☆
よこへ村
(横江村)
大門村
(栗太) 天正19.3.25 1591 〔総右衛門御宿之時庭帳〕ゆたての入目‖納日記/百七十五文 古高村‖よこへ村/卅文出/百七十五文 大門村分 栗太郡志4p.484
物部村古高諸頭中蔵
大路井村☆ 栗太郡 文禄3.3.13 1594 〔曽我尚祐領知目録写〕一、弐百石 江州栗太郡大路井村之内 彦根市史5p.765
内閣文庫蔵
城目村
部田村☆
追分村
馬場村
(栗太) 文禄3.11.- 1594 〔(小槻)宮修理奉加帳〕    宮御修理奉加帳之事‖卅文 部田村 孫六‖中村 弥十郎‖追分村 所々‖馬場村 彦右衛門 栗太郡志4p.193-198
志津村部田井口定吉氏文書
おか村
(岡村)☆
(栗太) 年未詳.8.12 〔下間性乗奉書〕印/御門跡様へ進上‖花廿五まい おか村 栗東の歴史5p.134
長安寺文書
東壁村
西壁村
栗太郡 年月日未詳 〔大宝天王社渡物次第〕栗□(太)郡綣村大宝天王者、自大宝年中神事祭礼□(于)今在之‖十一番 東壁村衆御幤紙、馬上本渡物四人‖一二番 西壁村衆御幣□(衣)、引馬渡物馬上六人 栗東の歴史5p.139
大宝神社文書

甲賀郡

郷(里)

老上、夏身、山直、蔵部

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
山直郷 (甲賀) 8C 〔木簡〕【山直】山直郷戸主□□石戸口・得足米五斗 甲賀郡信楽町宮町遺跡
蔵部郷[7] 甲可郡 天平勝宝3.8.2 751 〔甲可郡所解〕【蔵部】申売買墾田并野地立券事‖在蔵部郷者 滋賀県史5p.3
東寺百合文書
山村(本ヵ)郷
柏木郷[8]
甲賀郡 永久2.7.21 1114 〔源義光処分状写〕渡処分 所領弐箇所/在近江国甲賀郡山村(本ヵ)・柏木両郷事 平安遺文補40
寺門伝記補録
石部町史p.17
岩根郷☆ (甲賀) 建治1.10.11 1275 〔北条時宗田地寄進状〕近江国岩根三ヶ郷不断如法経/道場六所内岩根郷分三所供料 滋賀県史5p.90
甲賀郡岩根村貴船神社文書
上山村郷☆ 甲賀東郡 応長.2.12 1312 〔阿清文書預状案〕預置 近江国山中并友行名文書事/在近江国甲賀東郡柏木御厨上山村郷助□名内字今武開也‖右件田地者、僧実円相伝之名田也。雖然依□□用能米‖斛仁限永代‖所令沽却実也。‖僧実円 水口町志下p.301
山中文書
中山村郷☆ (甲賀) 元徳4.3.- 1332 〔中山村郷元徳三年目録写〕注進 中山村郷元徳三年目録事/神田/若宮三十八所‖寺田/彼岸田一反‖右注進如件‖田所代良慶 花押/政所代秋信 甲賀郡志上p.305
山中文書
酒人村郷☆
(酒人郷)
(甲賀) 元徳4.3.- 1332 〔酒人郷元徳三年目録写〕注進 酒人村郷元徳三年目録事/神田 一丁七反‖寺田/酒人寺四反上‖右注進如件‖田所代良慶 花押/政所代秋信 甲賀郡志上p.316
山中文書
山村郷☆
上山郷
甲賀上郡 元弘3.7.10 1333 〔近江伴助郷契約状〕契約 近江国甲賀上郡山村郷、助郷知行四分一事 鎌倉遺文32350
山中文書
老上南郷 甲賀下郡 建武2.3.14 1335 〔字薬師女田地売券〕【老上】謹解 沽却渡進私領田地新立券文事/合壱段者‖右近江国甲賀下郡老上南郷桧物御庄内津久見西迫奥鳥谷字薬師女之田壱段也。 石部町史p.34
竹内淳一家文書
朝宮郷☆ (甲賀) 建武4.4.25 1337 〔軍忠状〕佐々木佐渡大夫判官入道一見状/同日信楽朝宮郷内於岩倉城ニ数刻合戦 滋賀県史5p.150
山中文書
信楽上郷☆ (甲賀) 建武4.4.- 1337 〔小佐治基氏軍忠状〕近江国御家人小佐治右衛門三郎基氏‖申、信楽依蜂起馳走之処‖同十四日、信楽上郷自甲山東口始、切破十ヶ所木戸逆木、焼払城郭畢 能登川の歴史4p.22
小佐治文書
長野郷☆
朝宮郷☆
柞原郷☆
野尻郷☆
(甲賀) 建武4.4.25 1337 〔道俊・頼俊軍忠状〕佐々木佐渡大夫判官入道一見状/同十四日至長野・朝宮・柞原・野尻・田上郷合戦、 滋賀県史5p.150
山中文書
野川郷☆ (甲賀) 建武5.3.- 1338 〔小佐治国氏軍忠状〕近江国大原小佐治兵衛三郎国氏事、去二月一日御敵伊勢路落之間、二同日馳向鈴鹿山、数十ケ日警固仕‖同二十三日信楽凶徒等令発向池原杣并野川郷焼払家々‖然早賜御証判、欲致忠節矣。仍言上如件。‖平国氏/承了 花押 甲賀郡志上p.369
小佐治文書
大佐治上郷☆ (甲賀) 暦応4.4.- 1341 〔山中道俊申状案〕右当所者、先祖山中新五郎俊直、建久五年二月十四日、為太神宮奉幣使上下向、‖公卿 勅使以下往還諸人安穏‖預置当国大佐治上郷地頭神保宗内左衛門入道阿清之処 三重県史資料篇中世1p.377
山中文書
上野郷☆ (甲賀) 応永31ヵ
(編者推定)
1424 〔山賊人交名注文〕山賊人数之事‖上野郷内 大夫四郎大夫‖此同類、柏木六郎召捕候処、手余候之間、今月二日討留候了。 三重県史資料篇中世1p.411
山中文書
大野郷☆ 甲賀郡 永享5.⑦.25 1433 〔佐々木満綱譲状〕近江国甲賀郡大野郷事、大野中務入道任譲状之旨、子息次郎左衛門尉高能可令相続者也。‖仍為後証状如件‖大膳大夫 花押(佐々木光綱)/大野次郎左衛門尉殿 甲賀郡志上p.335
大野氏文書
水口郷☆ 甲賀上郡 天文12.4.8 1543 〔田地売券〕永代売渡申私領田地之事‖在江州甲賀上郡水口郷之内下しんかい 水口町志下p.375
山中文書
落窪の郷 (甲賀) 元亀1.6.4 1570 〔信長公記 元亀元年六月条〕六月四日、佐々木承禎父子、江州南郡所々催一揆、野洲川表へ人数を出し、‖落窪の郷にて取合及一戦切崩 石部市史p.60
信長公記

年月日 西暦 原     文 出  典
紫香楽村 甲賀郡 天平14.8.11 742 〔続日本紀〕癸未、詔曰、朕将行幸近江国甲賀郡紫香楽村 続日本紀
栗村 甲賀郡 建久2.5.19 1191 〔西大寺所領荘園注文〕‖近江国‖甲賀郡椋部郡栗村、在流記 鎌倉遺文534
西大寺文書
上山村☆ (甲賀) 建保4.2.10 1216 〔山中俊直譲状案〕ゆつりわたす、あふみのくに、やまなかのちとうしき、ならひに、かみやまむら(上山村)のともゆきみゃう 水口町志下p.295
山中文書
三大寺村☆ (甲賀) 文永2.2.29 1265 〔文永元年外記日記裏書〕契約、近江国池原杣内三大寺村事、右村者園中将家御管領之地也。 甲賀郡志上p.396
外記日記
山中村☆ (甲賀) 正和2.10.18 1313 〔山中氏俊譲状案〕任此状可令領掌之由、依仰下知如件‖相模守(北条凞時)御判/ゆつりわたすおりやうの事/右あふみのくに山中村のちとうしき、ならひニ上山むらのともゆきミやうは、氏俊ちうたいさうてんのそりやうなり‖氏俊判 三重県史資料篇中世1p.372
山中文書
中山村☆ 甲賀上郡 建武1.7.2 1334 〔南及之宮内田地売券〕永売渡進先祖相伝私領田地事/合小者‖右件田地元者近江国甲賀上郡中山村内南及之宮内先祖相伝名田也。然直依有要用、‖売渡進事実正明白也。‖南及之宮内(花押) 甲賀郡志上p.306
松井淳風氏所蔵文書
上山中村☆ (甲賀) 貞和4.11.5 1348 〔山中道俊譲状〕上山中村ちとうゆつり/一、くはう(公方)米事/一、せき(関)の事/一、山中へたかう(他郷)より人足・かけくしすこしもなき事‖道俊花押/もくのすけとの(頼俊)まいる 三重県史資料篇中世1p.379
山中文書
柑子村☆ 甲賀郡 延文2.3.8 1357 〔六角氏頼預置状〕近江国甲賀郡池原杣庄内柑子村地頭職事、当郡静謐之間、所預置也。早任先例可致沙汰之状如件‖沙弥(佐々木氏頼)(花押) 甲賀郡志上p.368
山中文書
内山村 甲賀郡 延文2.8.7 1357 〔山中杢助頼俊申状〕山中杢助頼俊申、甲賀郡柏木御厨内山村検断給事、件一族等致違乱云々。任本知行之旨可沙汰頼俊之状如件‖花押(佐々木氏頼)/馬淵三郎右衛門入道殿 甲賀郡志上p.310
山中文書
宇田村☆ (甲賀) 応安7.11.9 1374 〔山中浄俊譲状〕譲与 処分事/合‖一、柏木五郷検断等事/一、宇田村同前河原荒野等事‖坪付別紙在之‖浄俊(花押) 三重県史資料篇中世1p.386
山中文書
石部内畑村
泉村☆
(甲賀) 至徳4.3.21 1387 〔山中範俊置文〕一、石武内畑村百姓六人并炭二石〈毎年在之〉‖一、福原之山林荒野々畠並泉村之観音堂院主職之事‖右彼所領所帯所職名田屋敷山林荒野等者‖任道俊浄俊譲可令領知‖範俊(花押) 水口町志下p.339
山中文書
八田村☆ 甲賀郡 永享3.11.14 1431 〔室町将軍家足利義教御教書案〕‖近江国甲賀郡岩根朝国内中下八田村与山門領同国蒲生郡山上保堺相論事 水口町志下p.350
山中文書
河原村☆
酒人村☆
甲賀郡 文安1.5.15 1444 〔用水事守護執達状〕甲賀保司高俊申、同郡柏木郷内河原・酒人両村用水事、公方御奉書如此、同任御下知之旨、早其旨可有存知候由、被仰出候也。‖伊庭満慶 甲賀郡志上p.316
山中与一郎氏文書
平松村☆ 甲賀郡 応仁1.3.- 1467 〔新堤年貢免除状〕(袖判)大慈院拝領近江国甲賀郡平松村内壱段平松名、壱段則真名、壱段頼武名、已上参段分、為地下用水被付置新堤。可然上者御年貢‖有御免也‖納所 梵鋭(花押)/維那 等卿(花押) 甲賀郡志上p.291
宮島賢太郎氏文書
多羅尾村☆ (甲賀) 文明6.9.15 1474 〔飛鳥井雅通歌集『亜槐集』〕文明六年九月十五夜、江州柏木に住侍りし時、春日社参詣時乱世によりて道すなほならぬ折にて、しがらき龍泉寺(多羅尾村)という寺にやどりてよみし/もみち葉のひかりに分し影暮て月にそ明すみ山への宿 甲賀郡志上p.315
飛鳥井雅通歌集『亜槐集』
宇治河原村
(氏河原村)
甲賀上郡 文亀1.11.- 1501 〔望月堀内・又太郎代官職売券〕永代売渡申近江国甲賀上郡宇治河原村代官職之事/右之代官職者、従先祖有子細上之儀者、雖(ママ)相違代々我等カ為知行‖仍為已後之売券之状如件‖望月堀内(花押)/又太郎(花押) 三重県史資料篇中世1p.402
山中文書
那坂村 甲賀上郡 弘治3.5.23 1557 〔又七郎秀□田地売券〕永代売渡申私領田地之事/合壱段者‖在江州甲賀上郡柏木之内字那坂村らいかうニ‖限四至‖右件之田地者、雖為我等知行、依有直要用‖永代売渡申処也。‖又七郎/秀□ 水口町志下p.378
山中文書
林口村☆ 甲賀上郡 永禄12.6.12 1569 〔私領畠売券〕永代売渡申私領畠之事/合二町四反者‖在江州甲賀上郡柏木郷林口村字綾野に在之‖右件之畠者、我等先祖相伝之雖為私領、依有直要用現米十八石に同名大和守俊好え売渡申処実正明白也。‖上村四郎左衛門/為高(花押) 甲賀郡志上p.330
山中文書
山上中村☆
牛飼村☆
(甲賀) 天正11.12.16 1583 〔草刈場境界紛議判状〕就今度山上中村と被仰構候草刈場之儀、双方へ御一書具に令披見、無贔屓偏頗、存分順路と存知異見申条々‖多喜弥九郎資忠(花押)‖牛飼村御名主御中/若党中/百姓中/参 甲賀郡志上p.398
坂上市太郎氏文書
石部村☆ 天正20.12.11 1592 〔山手銭誓約書〕当郷御山手之儀、被成御尋候。先年御地頭へも御代官へも一粒一銭、御山手を出申儀無之候。若偽申候て、重而訴人出在之者、如何様にも科人に可被召行候‖石部村/又左衛門‖日向殿御代官 駒井猪介殿 参 甲賀郡志上p.516
内貴寛治氏文書
西保村 (甲賀) 文禄3.5.4 1594 〔代官目録〕代官目録/一、八百弐拾五石壱斗四升 西保村‖宇福寺‖右先代官前より未進方、去年に麦年貢詰相改、‖少も油断有間敷候也‖隠岐長頼(花押)/竹内河内どのへ 甲賀郡志上p.287
竹内岩吉氏文書
三雲村☆ (甲賀) 年未詳.8.21 〔六角義治書状〕郡内於参会中、此方之儀種々入魂之由、不始于今執着至候、様子成持かたより申送候。‖猶馳走可喜入候、委曲三雲・種村可申候‖義治(花押)/山中大和守殿 三重県史資料篇中世1p.405
山中文書

野洲郡

郷(里)

三上、敷智、服部、明見、邇保、篠原、駅家

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
邇保郷 野洲郡 8C 〔木簡〕【爾保】野洲郡爾保郷□→ 平城宮 内裏東方東大溝地区
山本郷 夜珠郡 天平5.-.- 733 〔国郡未詳計帳〕‖正丁 近江国夜珠(野洲)郡山本郷 正倉院文書
大日本古文書1
敷智郷 野洲郡 天平17.8.3 745 〔仕丁送文〕【敷智】‖近江国野洲郡敷智郷戸主 正倉院文書
大日本古文書1
馬渕郷 野洲郡 延久年中 1069-74 〔後拾遺往生伝〕紀吉住者、近江国野洲馬淵郷住人。村中之田夫。 後拾遺往生伝
大日本仏教全書p.107
吉水郷☆
(吉身)
富羽里
(野洲) 元暦1.9.15 1184 〔近江国注進風土記〕近江国/注進 風土記事/‖富羽里〈野洲北〉‖吉水郷 山槐記同日条
三宅郷☆ 野洲南郡 仁治3.4.5 1242 〔将軍家政所下文〕近江国野洲南郡内三宅郷住人‖補任地頭職事/品河四郎入道成阿/右人承久勲功之賞所宛給也。 守山市史下p.46
田代文書
八夫郷☆
河田郷☆
(野洲) 元応1.10.- 1319 〔日吉社社領注進状案〕‖一、篠原三百歳(ママ)‖八夫郷・河田郷 彦根市史5p.357
続群書類従
石田郷☆ 野洲郡 元亨1.10.16 1321 〔信性処分状〕譲渡処分事合近江国野洲郡石田郷地頭得分年記之間 鎌倉遺文
27880
田代文書
播磨田郷☆ 建武1.12.- 1334 〔吉身庄検注目録〕惣田数肆拾壱町弐段半参拾歩内‖除/弐町陸段大十歩 播磨田郷内横川押領之 滋賀県史5p.196
葛川明王院文書
守山郷☆ (野洲) 観応2.8.1 1351 〔地頭職補任状〕近江国守山郷地頭方事 守山市史下p.79
後鑑所引坐右集
欲賀郷☆ (野洲) 文和2.5.1 1353 〔本間秀光勲功賞〕下 本間石河又四郎季光/可令早領知近江国欲賀郷闕所分事 守山市史下p.86
本間文書
秋富郷 (野洲) 文和4.7.18 1355 〔大般若経識語〕奉施入、近江州秋富郷西方禅寺沙弥昌元又一返已上為一切衆生平等利益一見‖沙弥道阿 大般若経調査報告2p.638
大笠原神社蔵
久野辺郷☆
長嶋郷☆
高木郷☆
野洲郡 明徳1.4.12 1390 〔足利義満御内書写〕為安養寺供養料、江州野洲郡久野辺・長嶋・高木等之三ヶ郷令寄附之畢 栗東の歴史5p.54
永正寺文書
服部郷☆ (野洲) 応永21.11.- 1414 〔室町将軍家御教書写〕【服部】江州日吉庄崇徳寺領、於当地田拾壱町、安食庄田八町、越郷畠参町、服部郷田七町等事、領知不可有相違□□、所被仰下也、仍執達如件‖沙弥(花押影)(細川満元) 彦根市史5p.452
崇徳寺文書
比江郷☆ (野洲) 康正2.-.- 1456 〔造内裏段銭并国役引付〕‖加治豊前守殿近江国比江郷‖聖護院御門跡江州石田郷段銭 彦根市史5p.478
群書類従
山賀郷☆ 野洲郡 明応6.11.8 1465 〔方便法身尊像裏書〕大谷本願寺釈実如(花押)/明応六年〈丁巳〉十一月八日/方便法身尊像〈江州野洲郡山賀郷杉江村西道場〉/願主 釈了善 守山市史下p.108
正光寺蔵
赤野井郷 野洲郡 永正6.3.20 1509 〔蓮如上人真影裏書〕大谷本願寺釈実如(花押)‖蓮如上人真影〈江州野洲郡赤野井郷顕証寺常住者也〉 守山市史下p.109
西別院蔵
兵主郷 (野洲) 享禄3.1.17 1530 〔大般若経識語〕兵主郷内河尻村矢放宮/享禄三年〈庚寅〉正月十七日 大般若経調査報告1p.164
矢放神社蔵
小篠原郷☆ 野洲郡 永禄5.10.6 1562 〔栄慶等売券〕【篠原】永代売渡申私領畠之事‖在江州野洲郡小篠原郷内在之 葛川明王院史料p.253
金森郷☆ (野洲) 元亀3.3.14 1572 〔久保村・出庭村請所写〕金森・三宅去年御懇望之筋目依致相違、彼両郷江出入内通不可仕候旨最前以起請文申上候‖久保村惣代 栗東の歴史5p.131
大谷雅彦家文書
杉江郷☆ (野洲) 天正8.9.17 1580 〔芦浦観音寺領指出目録〕‖欲賀郷‖杉江郷‖山賀郷‖駒井郷‖出庭郷‖持磨田郷 栗東の歴史5p.136
観音寺文書
渕郷 野洲北郡 年月日未詳 〔大般若経識語〕野洲北郡矢放宮御経/野洲北郡渕郷内河尻村矢放大明神御経也。 大般若経調査報告1p.166
矢放神社蔵

年月日 西暦 原     文 出  典
桜村☆
龝昌村
(秋昌村)
野洲北
野洲
元暦1.9.15 1184 〔近江国注進風土記〕近江国/注進 風土記事/‖桜村〈野洲北〉‖龝昌村〈野洲〉 山槐記同日条
川尻村
(河尻村)
野洲北郡 貞応2.-.- 1223 〔大般若経識語〕貞応第二暦、近江国兵主社/大般若経内依聖人勧進/書写畢為過去慈父現在/悲母 大般若経調査報告書1p.163
矢放神社蔵
祇王村 (野洲) 貞応3.7.10 1224 〔大般若経識語〕貞応三、七、十 祇王村交了〈生年十八〉/大原来迎院上人少々神道覧之 野洲郡史上p.294
矢放神社蔵
小浜村☆ 野洲南郡 建長6.3.23 1254 〔大般若経識語〕建長第六暦〈甲寅〉三月廿三日、於近江国野洲南郡服(部ヵ)/小浜村大御堂巳時許書写之訖。恙執筆湛善〈生年廿歳〉(花押) 大般若経調査報告書1p.164
矢放神社蔵
椙邑
(杉村)
野洲郡 文応1.8.18 1260 〔高島郡安積川網代寄進状〕近江国野洲郡椙邑小津大明神御供並湯田之事、任先規之例全神納並高島郡安積川御網代供之事/別目録有之是亦備神供者也。下知如件。‖相模守 在判/越後守 在判 守山市史下p.47
小津神社文書
高木村☆ (野洲) 延慶1.1.- 1308 〔石灯籠銘文〕正月吉日/高木村□□/延慶元年 野洲郡史上p.299
篠原村春日神社蔵
吉身のむら
立入の村
(吉身村)☆
(立入村)☆
(野洲) 延慶2.-.- 1309 〔夫木和歌抄、吉身立入をよめる〕君が代は吉身のむらの民もみる 春をまつやといそぎ立つらむ 藤原俊成/うつらはで立入の村の白菊は さて幾秋の露霜かへむ 藤原俊光 守山市史下p.49
夫木和歌抄[9]
赤野井村☆ (野洲) 暦応3.8.12 1340 〔地頭職補任状〕‖可令早領知近江国三宅郷内十二里并赤野井村‖地頭職事 守山市史下p.63
臨川寺重書
入町村☆ 野洲郡 14C 〔願成就寺大般若経識語〕野洲郡入町村/大堀長左衛門/先祖代々/一校了 大般若経調査報告書1p.84
願成就寺蔵
長嶋村☆ 野洲郡 応永33.3.18 1426 〔願成就寺大般若経識語〕施主/野洲郡長島村/松誉寿貞/妙誉貞照/俗名さの/大般若経多経也/又校了畢 大般若経調査報告書1p.83
願成就寺蔵
金森村☆
杉若村
野洲郡 康正2.-.- 1456 〔造内裏段銭并国役引付〕‖長楽寺領近江国金森村段銭‖光乗近江国野洲郡杉若村々散々段銭 彦根市史5p.478
群書類従
小村 野洲南郡 長禄3.3.28 1459 〔蓮如十字名号裏書〕大谷本願寺釈蓮如/長禄三年〈乙卯〉三月廿八日/无礙光如来〈江州野洲南郡巾磨田善性門徒同郡小村〉/願主 釈善宗宗 守山市史下p.97
延命寺蔵
下中村 野洲南郡 長禄3.11.28 1459 〔方便法身尊像号〕大谷本願寺釈蓮如判/長禄三年〈乙卯〉三月廿八日/方便法身像〈江州野洲南郡下中村北道場本尊也〉 守山市史下p.98
真光寺蔵
開発中村☆ 江州南郡
(野洲)
寛正3.2.16 1462 〔親鸞御影蓮如裏書〕大谷本願寺釈蓮如(花押)/寛正三年〈壬午〉二月十六日/大谷本願寺親鸞聖人御影〈江州南郡開発中村〉 守山市史下p.99
開発中村親鸞聖人御影
五条村☆ (野洲) 明応2.6.27 1493 〔社領安堵状〕当郷五条村内堀内事、為社領諸役無其沙汰之上者、段銭要脚以下令免除之訖 野洲郡史上p.288
兵主神社文書
淵郷村 野洲北郡 永禄2.1.18 1559 〔大般若経識語〕永禄弐〈己未〉正月十八日、常州秀海修覆備巻野洲北郡淵郷村・河尻村矢放大明神御経也。 大般若経調査報告書1p.169
矢放神社蔵
永原村☆
北村☆
中北村☆
(野洲) 永禄8.5.15[10] 1565 〔佐々木承禎下知状〕其元祇王用水之事、先例之通永々無紛之段、賢(ママ)申付上者、弥得其心可有之者也。‖永禄八年五月十五日 承順(花押)/永原村/北村/中北村/百姓中
篠原村☆ (野洲) 年月日未詳 〔大般若経識語〕一校了/篠原村/惣三郎/釈栄心 大般若経調査報告書1p.84
願成就寺蔵

蒲生郡

郷(里)

東生、西生、必佐、篠田、篠笥、大島、船木、安吉、桐原

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
東生郷 蒲生郡 和銅5.7.15 712 〔正倉院古裂〕近江国調小宝花綾壱匹〈花綾文〉 織蒲生郡東生郷田尻小東人 蒲生町史4p.18
正倉院宝物銘文集成
桐原郷 蒲生郡 天平20.4.25 748 〔写書所解〕【桐原】申願出家人事‖大友曰佐広国年卅七 労三年/近江国蒲生郡桐原郷 蒲生町史4p.20
大日本古文書
必佐郷[11] (蒲生) 8C 〔木簡〕【必佐】近江国□□郡必佐郷□□□〔里ヵ〕・大伴部大山一□〔俵ヵ〕 平城京左京二条二坊十一・十四坪坪境小路跡
周恵郷 蒲生郡 8C 〔木簡〕近江蒲生□周恵郷春日部/君麻呂庸米一俵 蒲生町史4p.65
平城宮木簡
安吉郷 (蒲生) 承平2.1.21 932 〔源昇家領近江国土田荘田地注文〕【安吉・東生】‖已上各在安吉郷中‖已上各在東生郷中 平安遺文239
蒲生町史4p.37
船木郷☆ 蒲生下郡 承保1.3.2 1074 〔近江国奥嶋庄司解〕【船木】‖在蒲生下郡船木郷 平安遺文1103
長命寺文書
蒲生町史4p.37
田井郷☆ (蒲生) 永長2.10.- 1097 〔京城万寿禅寺記〕‖藤原国明寄附江州田井郷 蒲生町史4p.50
群書類従
大嶋郷 蒲生下郡 建保4.10.10 1216 〔僧増弁処分状〕【大島】僧増弁及老毛剋処分渡水田事/合壱段者/在蒲生下郡大嶋郷 鎌倉遺文2270
長命寺文書
八幡町史p.52
篠田郷 蒲生郡 建長8.8.29 1256 〔田地寄進状案〕【篠田】‖篠田郷 十一条十四里卅二坪一反‖桐原郷十二条十七里廿五坪一反 鎌倉遺文8027
長命寺文書
島郷☆ (蒲生) 建治2.9.30 1276 〔佐々木頼綱書状〕長命寺常灯用途嶋郷内領田事 八日市市史5p.217
長命寺文書
大森郷☆ 蒲生郡 正応4.8.- 1291 〔木造阿弥陀如来坐像胎内墨書銘〕近江国蒲生郡大森郷明王堂 滋賀県の地名p.711
小脇郷[12] (蒲生) 徳治2.12.6 1307 〔興福寺三綱補任 別当良信〕寺領鯰江庄申、為柿御園并小脇郷立新井事、為小脇郷地頭佐々木備中入道崇西、被搦取当庄民等事 愛東の歴史1p.49
続群書類従
岡屋郷☆ (蒲生) 正和2.4.- 1313 〔勝手神社棟札〕彼岡屋郷之事、市子之庄内 蒲生郡志6p.303
勝手神社蔵
河東郷 (蒲生) 嘉暦4.9.13 1329 〔円阿弥陀仏田地寄進状〕‖在加(河)東郷あさう(麻生)御庄内 蒲生町史4p.82
山部神社文書
いまほりのかう☆
(今堀郷)
柴原郷
蒲生上郡 貞和2.12.7 1346 〔道阿弥陀仏畠質流状〕‖在蒲生上郡得珍保いまほりのかうの内‖柴原郷地ふく寺阿弥陀仏御出挙代 八日市市史5p.351
今堀日吉神社文書
内野郷☆ (蒲生) 貞治2.4.5 1363 〔虎石女等田地寄進状〕‖在所佐々木御庄内野郷狛野西四切 蒲生町史4p.100
蒲生下郷 (蒲生) 応安7.4.10 1374 〔大般若経識語〕応安七年〈癸丑(ママ)〉卯月十日/於蒲生下郷興隆寺十如坊書写/一校畢 大般若経調査報告書1p.226
かまうのこをり
(蒲生郷)
蒲生郡 康暦1.6.4 1379 〔田畠寄進状〕あふミのくに、かまうのこをり、たけひさのうち、ほそき二段、きゃうつか二段よ(余)、こねうかう一段はん、左右のみやに、きしん申ところじつなり。よって後日のため、かくのことし‖秀□(花押) 蒲生郡志6p.346
橋本左右神社文書
市原郷☆
杉杣郷
(蒲生) 嘉慶1.8.- 1387 〔藤切神社生板銘文〕(面裏銘)市原郷/(面裏銘)杉杣郷/嘉慶元年八月吉辰 蒲生郡志6p.743
藤切神社文書
岡屋村郷☆ (蒲生) 明徳3.2.28 1392 〔勝手神社棟札〕明応三年申二月廿八日、岡屋村郷本所山門所務依相論〈地下秘社〉、平戊(ママ)年柱立也。‖上棟応永七〈庚申〉八月二十二日大工真野 蒲生郡志6p.303
勝手神社蔵
中村郷☆ 蒲生郡 応永4.6.8 1397 〔薬師寺光兼下地寄進状〕奉寄 永源寺/近江国蒲生郡得珎保中村郷内弐段‖同保柴原郷内壱段 八日市市史5p.254
永源寺文書
本郷☆ 蒲生下郡 応永9.2.9 1402 〔如法道場田畠屋敷寄進状〕奉寄進 如法道場田畠・家屋敷等之事/合 家屋敷田畠者/在蒲生下郡本郷内河裳屋敷‖右件屋数(ママ)田畠者、昌慶比丘尼先祖相伝之私領也。‖井上如法道場開山岩本坊宗覚仁所奉寄進実正也‖比丘尼昌慶 花押/尼 拾弐 花押 蒲生郡志6p.172
大嶋奥津嶋神社文書
蛇溝郷☆ (蒲生) 応永14.7.20 1407 〔神畠蛇溝惣覚〕合‖反八十分当法蛇溝郷内 八日市市史5p.238
蛇溝町共有文書
野のかう
(野郷)
(蒲生) 応永25.4.1 1418 〔野々郷商人等市津料申状案〕謹申上/野のかう商人等つれう(津料)の事/一、四十九院市ニ七月五十文、十二月五十文、毎年つれういたし申候。市奉行殿とり候‖右注進申上分、もしいつわり申候ハヽ、堅御きうめい(糺明)ニあつかり候へく候 八日市市史5p.364
今堀日吉神社文書
井乃う田
(郷)
(蒲生) 応永33.12.11 1426 〔法仁等連署請状案〕保内とおはた(小幡)とのさうろんの事、もつたいなく候間、中村井乃う田下二郷ニおき候てハ、せんれいニまかせ、 八日市市史5p.367
今堀日吉神社文書
今在家郷☆ 蒲生 永享7.2.24 1435 〔知光畠売券〕‖字蒲生上郡得珍保今在家郷内南副仁在之 八日市市史5p.372
今堀日吉神社文書
野田郷☆ 蒲生郡 明応6.10.14 1497 〔日野牧野田郷大誓寺無常三昧堂勅許〕江州蒲生郡、日野牧野田郷内、無常三昧堂建立事、被聞食畢。如元可致其沙汰之状如件。‖左中弁 判/大誓寺衆徒中 日野町志上p.140
宣秀卿記
北之郷 (蒲生) 永正14.10.17 1517 〔勧進猿楽日記〕勧進猿楽太刀日記‖五ツ 東破塚‖五ツ 北之郷‖以上、如此‖今堀惣分 今堀日吉神社文書p.229
横関下郷☆ 蒲生郡 文亀2.2.2 1502 〔後柏原天皇綸旨案〕案文/右近府駕輿丁等、江州蒲生郡於横関下郷、在所御服商売事、任先例可致其成敗之旨、可致下知之由、被仰下之状如件。‖右少弁(藤原伊長)在判/新四位史殿 今堀日吉神社文書p.123
上郷 (蒲生) 大永8.7.5 1528 〔栗太左京亮定政等連署書状〕尚従 御屋形様次郎殿様(大原高保)へ御書被参候/保内商人申上御成敗事‖従石塔寺上郷商人馬淵・横関辺江無売買次第在之間‖可被成御尋之由候‖栗太左京亮 定政/狛修理亮 頼□/水原橘左衛門尉殿御宿所 八日市市史5p.424
今堀日吉神社文書
枝村郷 (蒲生) 天文21.12.24 1552 〔室町幕府奉行人連署奉書案〕美濃紙座人申、従江州枝村郷、京上之美濃紙事、対宝慈院殿、御公用令沙汰‖弥不可有相違之趣、被成奉書訖。‖(松田)藤頼 在判/(松田)盛秀 在判/枝村 当座中 八日市市史5p.437
今堀日吉神社文書
破塚郷
野々宮郷
小今在家郷☆
(蒲生) 弘治3.3.22 1557 〔御服年貢注文案〕‖五十文 一人 同破塚郷‖中野郷‖小今在家郷‖野々宮郷 八日市市史5p.441
今堀日吉神社文書

年月日 西暦 原     文 出  典
鏡村☆ (蒲生) 垂仁天皇3.3.- 720成立 〔日本書紀〕三年春三月、新羅王子天日槍来帰焉‖近江国鏡村谷陶人、則天日槍之従人也 蒲生町史4p.5
白部村☆ 蒲生下之郡 嘉禎4.10.- 1238 〔大般若経識語〕蒲生下郡白部村、若宮大明神御集物也‖嘉禎四年十月   定意 蒲生郡志6p.185
若宮神社蔵
岡屋村☆
東村☆
西村
新村
今村
(蒲生) 正和2.4.- 1313 〔勝手神社棟札〕苗村大明神岡屋村弓事備えし次第/社頭持村人名帳‖東村、神宮雨宮兵衛太夫 神頼長‖西村、沙弥紀満阿弥‖新村 戒法重光/今村 又太郎 弥十郎 蒲生郡志6p.303、304
勝手神社蔵
迫村☆ (蒲生) 至徳2.12.19 1385 〔足利義満御判御教書〕近江国儀俄庄、同下司職、迫村‖麻生庄半分、同公文職……儀俄左京亮氏秀可令領掌之状如件 蒲生町史4p.108
蒲生文書
赤尾村 蒲生下郡 至徳3.8.24 1386 〔禅慶如法田寄進状〕‖在蒲生下郡赤尾村内十三条十八里廿九坪 長命寺文書87
苗村 蒲生 明徳2.6.1 1391 〔正福寺旧鐘銘〕敬白‖奉懸椎鐘之事‖右蒲生之郡苗村三所大明神御宝前花鯨也 米原町史資料編p.328
番場正福寺蔵
小須恵村☆ 蒲生上郡 明徳4.3.22 1393 〔鏡山村八幡神社修理田寄進状〕奉寄進、小須恵村八万宮修理田事/合壱段者 字池ハタ宮/庄所当五斗五升、是ハ修米也 蒲生郡志6p.392
八幡神社文書
氏村
中村☆
(蒲生) 応永9.11.- 1402 〔岩倉諏訪神社棟札裏〕御村人□村道□妙忻道[  ]‖中村[  /東村円生[  /氏村[  ‖福寿寺一和尚[  ]□慶 萩原p.308
岩倉諏訪神社蔵
大森村☆ 蒲生郡 応永11.9.20 1404 〔大森神社再建棟札〕江州蒲生郡徳珍保大森村/十禅師造立之事/右趣意者大森藤原光吉、為祈願成就奉造立所如件‖願主光吉敬白/神主重弘 蒲生郡志6p.770
大森神社蔵
大村 (蒲生) 応永16.6.1 1409 〔定置札〕定置札之事/岡屋社頭本ハ両社、近年三社、応永已来根本神春日宮末社中‖本領家・地頭・預所相共ニ寄進/一、祭礼御献供/東村 四膳内‖西村‖新村‖今村‖法所/其外下事御子中/大村 蒲生郡志6p.301
鏡山村勝手神社蔵
馬淵村☆ (蒲生) 応永18.10.28 1411 〔宇野教林書状〕去廿五日御書廿六日到来候間、拝見仕候‖島郷公文職ハ馬淵村之其代官ニ因幡田と申候者、給人方代官請取候て地下お被譴責、既十石余押取候 能登川の歴史4p.27
東寺百合文書ル函
野村 (蒲生) 応永29.4.17 1421 〔藤切神社棟札〕藤切大明神造立時/奉加帳事/応永廿八年〈壬寅〉三月廿八日〈午時〉/棟上在之‖三貫文 野村 蒲生郡志6p.735
藤切神社蔵
いまほりの付
(村ヵ)
(今堀村)☆
(蒲生) 応永29.
同(閏ヵ)10.14
1422 〔南光坊免状〕野部あト之は田け事/合反余/右子細者、いまのりのかくら田の同十せんし(禅師)なり。この廿かんねん(ヶ年)の余あれ候。よてたいてん候。しかるについて付(村)と応永廿八年ニうちひらき、かくら田ニさたまり候‖いまほりの付(村) 草名(花押) 八日市市史5p.365
今堀日吉神社文書
久村
(比佐村ヵ)
(蒲生) 応永31.12.11 1424 〔ねこ田神主置文案〕わたむき御祭馬二疋可出事/馬登田大、大二ツ、大、同河原新田一段、中町庭一和尚付可登馬、久々勤申也‖しやつか両人の被仰事ニハ、神主の馬をかセテ、久村二疋の馬と定置也。‖ねこ田/神主 日野の歴史8p.20
比佐神社文書
荘村
信乃村
林村☆
(蒲生) 正長1.12.13 1428 〔荒牧諸散在年貢引付帳〕荒牧諸散在年貢引付帳‖荘村分/馬太郎分 二反(ヒラタ)‖奥村分‖二斗同 信乃村‖名得分‖とくらく名 壱石一斗二升五合 林村 昌愿 蒲生町史4p.122
橋本左右神社文書
今堀東村 蒲生郡 永享4.1.24 1432 〔今堀兵衛三郎等連署畠売券〕売渡進 私領畠地事/合壱段半者‖在蒲生郡得珍保内蛇溝郷 南之‖今堀東村 兵衛三郎(略押)/馬五郎(略押) 今堀日吉神社文書p.277
横山村☆ (蒲生) 永享8.8.- 1436 〔大般若経識語〕其次永享八年〈丙辰〉八月日修理畢。/当郡横山村梵天王宮、古来神宝之大般若経、全部其中甚破壊而難修補‖ 大般若経調査報告書1p.229
櫟神社蔵
南村☆
野背村
(蒲生) 宝徳1.7.10 1449 〔柴原村人連署畠売券〕‖右、件畠地、元者柴原村人相伝‖今堀村人所望さりかたきによて、永奉永(衍ヵ)売渡‖南村右馬尉、野背村道清、西村道祐 八日市市史5p.383
今堀日吉神社文書
道正村 (蒲生) 享徳5.1.11 1455 〔宗長大工職譲状〕(本堂指図裏文書)ゆつり渡申 大工所之事/早崎イヌ井村神領之内、孫三郎方新衛門并十九村(マヽ)イナハ此内了福寺ハノコシテキ候。安養寺道正村同西タウ此ふん永代兵衛次郎にゆづり申者也。‖阿部神介/宗長(花押) 滋賀県史5p.318
阿部文書
馬場吉村 蒲生郡 康正2.8.- 1456 〔真木神社葺替棟札〕近江蒲生郡小口真気神社葺事/于時康正二年〈丙子〉年(衍ヵ)八月日 時神主吉宗〈并地下衆/次第不同〉‖馬場吉村/右於後代為令存知記之留社頭者也 蒲生郡志6p.308
真気神社蔵
甲津畑村☆ (蒲生) 寛正6.7.4 1465 〔市原村藤切神社献上鰐口銘〕江州市原荘之内、甲津畑村藤切大明神金口也。 蒲生郡志6p.743
藤切神社蔵
柴原西村 蒲生郡 文正1.11.- 1466 〔柴原西村兵衛四郎田地売券〕売渡進 私領田地新放券事/合壱所者 公方ハ□弐斗/在蒲生郡得珍保内柴原郷内字〈山路西在之〉‖右件田地者、元者兵衛四郎先祖相伝之私領ナリトイエトモ(傍書)依有要用、直米弐石五斗仁刑部次郎〈手仁〉限永代売渡進処実正明白也。‖柴原西村/兵衛四郎(花押) 今堀日吉神社文書p.280
安養寺村☆ 蒲生郡 文明5.12.- 1473 〔願成就寺大般若経識語〕‖蒲生郡安養寺村/三上伴惣治/文明五年〈癸巳〉十二月日/右筆良祐 大般若経調査報告書1p.83
願成就寺蔵
駕輿丁村 (蒲生) 永正9.④.3 1512 〔伊庭貞隆書下〕従駕輿丁村相渡候橋之事、不及是非之儀、以人数此橋於引取由候。何様儀候哉。急度令登城、子細可被申明者也。仍状如件。‖出羽守(伊庭貞隆)(花押)/橋本/地下人中 能登川の歴史4p.63
橋本左右神社文書
馬場村
苽籠村[13]
一井村
鷹飼村☆
(蒲生) 永正9.9.- 1512 譲与大工之事/合‖同馬場村‖一、嶋郷之内/多賀村惣中‖‖籠村惣中‖一井村惣中 鷹飼村惣中 八幡町史3p.60
高木文書
上村
横関村☆
(蒲生) 大永8.7.8 1528 〔佐々木定頼書状案〕従石塔寺、上村商人今度横関於市田所売買之事、前々依無其例、就保内商人嘆申、被相留由候。為横関村与彼商人出入事、令停止由候‖定頼〈有判〉/次郎殿(大原高保)/進候 八日市市史5p.424
今堀日吉神社文書
下村 (蒲生) 大永8.7.10 1528 〔大原高保書状案〕従石塔寺上郷商人、先規於下村相定、問屋無売買処、今度於横関市田所商売事無謂通、‖(大原)高保〈在判〉/水原橘左衛門尉殿 今堀日吉神社文書p.100
ヲネ村 (蒲生) 享禄2.8.22 1529 〔左右神社神田目安〕左右神社神田目安/合/キヤウツカ/二段 一石 四段米/六升ハス池免‖以上‖ヲネ村 孫三郎衛門 蒲生郡志6p.351
橋本左右神社文書
鈴村☆ 蒲生上郡 天文15.12.19 1546 〔鈴村源左衛門等連署田地売券〕‖在蒲生上郡鈴村領内 蒲生町史4p.153
大森区有文書
武久村[14]
橋本村☆
(蒲生) 天文22.4.9 1553 〔橋本・武久両村条々事書〕条々申上候/一、宮内衛門尉之儀、被下候御折紙之通、罷下橋本村人江申候へ者、各々之存分申上候条々之事‖一、武久・橋本両村にて候を三村と申事者、いらさる事之由申候 久留島典子
橋本左右神社文書
長福寺村☆ 蒲生郡 永禄2.2.30 1559 〔馬淵村日吉神社棟札〕永禄二年〈己巳〉仲春三十日造立之/江陽蒲生郡長福寺村中/息災長久 蒲生郡志6p.297
馬淵村日吉神社蔵
北村 (蒲生) 永禄2.10.23 1559 〔北村納日記〕北村納日記之事/合永禄弐年拾月廿三日/かてう/弐斗 彦左衛門殿 蒲生郡志6p.359
橋本左右神社文書
薬師村☆
隠岐村
蒲生郡 永禄11.12.21 1568 〔勝手神社仮殿棟札〕江州蒲生上郡正一位医師大明神御仮殿也〈‖薬師村妙願子孫/隠岐村浄円子孫〉‖神主貞経 蒲生郡志6p.315
勝手神社蔵
金屋村☆
中野村☆
蛇溝村☆
破塚村☆
今在家村☆
(蒲生) 天正3.8.20 1575 〔加藤次左衛門尉沙汰状写〕当保内、下郷堂社領在々之事‖則折紙調進候。於向後不可有異儀候。為其申候、猶板太郎左可被申候。仍如件‖金屋村 中野村/蛇溝村 破塚村/今在家村 八日市市史5p.347
中野共有文書
本ノ村
□新村
(蒲生) 天正8.4.8 1580 〔綿向御神事次第〕綿向御神事次第/小へい/まふさう‖公文/本ノ村・□新村 日野の歴史8p.32
馬見岡綿向神社文書
森村 (蒲生) 天正9.3.28 1581 〔成田重政等連署済状案〕今度鯰江与中野之郷出入相済条々‖一、中野より森村へ出候井水、先規をそむき、相留者在之ハ、きと可申付候事‖太田又介/運(ヵ)在判/成田弥左衛門尉/重政在判/鯰江御給人/御下代中 八日市市史5p.461
今堀日吉神社文書
西宮村
仁正寺村☆
みそち村
はら村
へいの村
(平の村)
(蒲生) 天正9.7.16 1581 〔社大蔵指出日記〕神領ヨリ御下行勝長御大官前即払次第之日記‖四月祭礼神前え御供参、即なうらい分、同此之内定御仕立払日記之事/斗御供之分 即払引分日記/加壱斗 西宮村五斗御供‖加壱斗 仁正寺村‖みそち村‖はら村‖へいの村 日野町志下p.54
馬見岡綿向神社文書
三屋村☆
西破村
(蒲生) 天正19.3.15 1591 〔三屋・西破両村草場契状〕三屋、西破、両村分立之草場、加茂野御検地ニ付而、両村同前に他領と境目之方示を指、於此野者、両村互異乱無之候、若此草場に付而従他領妨出来仕候はゝ、如先例両付(村ヵ)可為一身者也。仍為後日証文状如件。‖西破村庄屋 喜左衛門(花押)‖三津屋村惣中参 滋賀県史5p.371
三津屋共有文書
上畠村☆
須恵村☆
川守村☆
岩井村☆
小口村☆
岡本村☆
蒲生郡 天正19.4.26 1591 〔近江国蒲生郡内知行方目録〕近江国蒲生郡内知行方目録/一、弐百弐拾五石六斗八升 蒲生郡/上畠村‖同すゑ村(須恵)‖同川もり村(守)‖同いわ井村(岩井)‖同おくちむら(小口村)‖同岡本村内 蒲生町史4p.183
東大史料編纂所蔵
富田文書
鋳物師村 (蒲生) 慶長4.③.16 1599 〔安井新尉居屋敷売券〕永代売渡し屋敷事/合拾七歩者‖在蒲生日野之内鋳物師村居屋敷之内也/右件屋敷ハ我等先祖相伝之知行也。雖然依直要用、右現米納升七斗ニ神主殿御手へ売渡申所実正明白也‖安井/新尉(花押)/安井神主殿まいる 蒲生町史4p.184
安井秀明家文書
稲垂村☆ (蒲生) 慶長4.8.25 1599 〔言経卿記同日条〕一、江州稲垂村百姓三人来了。大豆・タラ二ツ等持来了。夕飡申付了‖丑刻ニ相終了。 蒲生町史4p.185
言継卿記
かいて今村
(開出今村)
(蒲生) 年未詳.6.7 〔小幡商人申状案〕条々 従愛智川北市之郷□□‖一、愛智川中橋市・四十九院市・枝村市、是新市也。出路市・高宮市‖此北市へ罷立候あい物商人事、くつかけ‖かいて今村、此等の在所ニ候。 八日市市史5p.478
今堀日吉神社文書
葛巻村☆
嶋村☆
鵜川村☆
殿村
綾戸村☆
三ノ村☆
川上村☆
(蒲生) 年月日未詳 〔苗村大明神臨時之御祭礼日限〕壬寅九月四日相勤者也/村中渡之次第/一番 葛巻村/但出立はかふりを着、紗之衣にて馬六匹もそろえなり/二番 嶋村‖鵜川村‖殿村‖綾戸村‖三ノ村‖川上村 蒲生郡志6p.420-421
苗村神社蔵
西横関村 (蒲生) 年月日未詳 〔大般若経識語〕西横関村/久田藤八/岡田善五郎 大般若経調査報告書1p.88
願成就寺蔵
池脇村☆ 蒲生郡 年月日未詳 〔大般若経識語〕(表紙の芯に御仏供米袋を使用)「ほうそう守/蒲生郡市原郷/本堂建奉加袋/池脇村 大般若経調査報告書2p.543
天満神社蔵

神崎郡

郷(里)

高屋、神崎、駅家、神主、垣見、小社、小幡

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
雄諸郷 甘作郡
(神崎)
8C 〔木簡〕【神崎】尾近江国甘作郡雄諸郷・大津里大友行商 五個荘町史3p.16
平城宮木簡
垣見郷☆
小社郷
神埼郡 応徳2.9.9 1085 〔伝灯大法師覚曜申文案〕【垣見・小社】‖在近江国神埼郡垣見(小社二)郷等 平安遺文補177
青蓮院文書
佐野山里
祝郷
文暦1.9.15 1184 〔近江国注進風土記〕近江国/注進 風土記事/佐野山郷〈神崎〉‖祝郷 山槐記同日条
柿御園下郷 (神崎) 元応2.11.6 1320 〔藤氏長者(一定内経)宣案〕興福寺学侶申、大供料所近江国鯰江庄庄官申、柿御園下郷惣追捕使道西・九郎以下、刈田并神人殺害以下狼藉事 愛東の歴史1p.52
春日大社文書247号
山上郷[15] (神崎) 康安2.9.2 1362 〔佐々木氏頼寄進状〕為衆僧御時料分、山上郷内熊原村除夫役諸公事、 神崎郡志稿上p.124
永源寺文書
柿御園中郷 神崎郡 永徳3.6.21 1383 〔足利義満安堵状〕近江国‖神崎郡栗見本庄小社郷内所々、柿御園中郷名田、……任領主等寄進状〈案文副之〉之旨、寺家可令知行之状如件 神崎郡志稿上p.128
永源寺文書
山本郷☆
三俣郷☆
木流郷☆
息村郷
野村郷☆
(神崎) 応永28.5.10 1421 〔健部荘保司方百姓等起請文[16]‖山本郷内‖三俣郷内‖木流郷内‖息村郷内‖野村郷内 八日市市史5p.257
天龍寺文書
小幡郷[17] 神崎郡 永享4.3.9 1432 〔室町幕府奉行人連署奉書〕【小幡】一 日吉社司申近江国神崎郡小幡郷内閤村・種村事、糺決之。可被召進当知行仁之由候也。仍執達如件。/永享四/三月九日 為種/為之/佐々木膳大夫(六角満綱)殿 五個荘町史3p.131
御前落居奉書
佐々名郷
島郷
(神崎) 永享4.3.9 1432 〔室町幕府奉行人連署奉書案〕一、御料所近江国山前内佐々名・島郷并朝国内下地等持跡事、 五個荘町史3p.132
御前落居奉書
神田郷[18] (神崎) 長享1.10.5 1487 〔後法興院(近衛政家)記〕長享元年十月五日 柿御園三郷御樽代三百疋進上、山上郷公文、樽二荷進上、神田郷公文百疋、‖依申安堵也。 神崎郡志稿上p.120
北郷 神崎郡 文亀3.11.6 1503 〔行真田地売券〕売渡進私領田地新放券文事/合参拾歩者〈但直米壱石五斗請取畢〉/在神崎郡伊庭之御庄ノ内、字北郷坂北より五反目下付六十歩下卅歩在之 能登川の歴史4p.84
八王子法橋伝来文書29
内野村郷 (神崎) 大永1.-.- 1521 〔百済寺下行注文〕定下行/一 一貫文 建部庄内野村郷弁〈山□□墾田南庄〉 神崎郡志稿上p.153
百済寺文書
御園小神田郷☆ (神崎) 大永7.5.26 1527 〔六角定頼奉行人連署奉書〕当寺領御園神田郷、同小神田郷内壱町五段三百歩内、参段替地相加之、都合壱町五段参百歩段銭之事‖上進分被免除上者、如先規可被申付、若猶異議之族雖在之、不可有承引由、被仰出候也。仍執達如件/大永七年五月廿六日/忠広(花押)/高雄(花押) 愛智郡志1p.348
永源寺文書
神崎西郷
少祐郷
(神崎) 年月日未詳 〔大般若経断片識語〕近江国神崎西郷小祐郷栗見庄住人平慶景/一巻乞書写了/執筆僧長慶之 大般若経調査報告1p.170
矢放神社蔵

年月日 西暦 原     文 出  典
熊原村 (神崎) 康安2.9.2 1362 〔崇永寄進状〕為衆僧御時料分、山上郷内熊原村除夫役諸公事、 永源寺町史永源寺編p.317
永源寺文書
本庄村 (神崎) 応永15.2.5 1408 〔鼻高面裏銘〕十善寺 本庄村/栗見 彦根市史5p.441
久留美神社蔵
奥村 (神崎) 正長1.12.13 1428 〔荒牧諸散在年貢引付帳〕正長元年十二月十三日/荒牧諸散在年貢引付帳‖奥村分/彦次郎衛門 三斗 左衛門太郎衛門 参斗 蒲生町史4p.121
橋本左右神社文書
田原村☆ 神崎郡 正長1.-.- 1428 〔日吉天満宮遷宮注文〕江州湖東日吉御庄田原村祭礼地渡、‖(付図あり)‖大日本国近江州神崎郡田原村民某等 彦根市史5p.458
日吉天満宮文書
七里村☆
八里村
(神崎) 永享2.11.6 1430 〔足利義教御内書〕永享二年十一月二日‖山前庄御内書到来‖御内書文章/山前南庄、同七里・八里両村、并北庄役等、如元御知行不可有相違候也。恐々謹言 神埼郡志稿上p.169
看聞御記
閤村
種村☆
神埼郡 永享4.3.9 1432 〔室町幕府奉行人連署奉書〕一、日吉社司申近江国神埼郡小幡郷内閤村・種村事、 五個荘町史3p.131
御前落居奉書
中庄村 (神崎) 康正1.8.- 1455 〔北野社領書付〕北野社領 近江国建部庄二職方/江州 中庄村 神埼郡志稿上p.152
京都北野神社文書
中村 (神崎) 康正2.-.- 1456 〔造内裏段銭并国役引付〕康正二年造内裏段銭并国役引付/合‖三貫文 〈六月二日 五卅日定/同〉矢島六郎殿/同名次郎右衛門殿〈江州中村段銭〉 彦根市史5p.478
群書類従
妙法寺村☆ (神崎) 長享1.11.3 1487 〔延命寺礼物進上状〕延命寺御礼物百疋進上、御園内妙法寺村内延命寺、家門祈願寺也。寺領違乱族有之事、令下知間、為其礼也。 神埼郡志稿上p.121
後法興院記
種村☆ (神崎) 明応2.9.17 1493 〔含空院領目録〕山上含空院領所々散在田数之事‖壱段 種村分 永源寺町史永寺編p.427
永源寺文書
中村 (神崎) 明応4.7.21 1495 〔金蔵法橋夏米寄進状〕奉寄進 炎魔堂夏米之事/合壱斗/右件之夏米者、中村ノ大将軍本仁畔中内ヨリ無懈怠毎年一斗ツヽ可入者也。‖明応四年己卯七月廿一日 金蔵法橋(花押) 能登川の歴史4p.84
八王子法橋伝来文書27
建部北村
建部中村
(神崎) 大永1.-.- 1521 〔百済寺雑納帳〕雑納/一 九十八文 建部北村・中村山手銭辛巳六百文内且弁 神埼郡志稿上p.153
百済寺文書
三役村
山本村☆
河曲村☆
八鳥村
稲葉村☆
田原村☆
西川村☆
神崎郡 慶長3.7.24 1598 〔浅野長政近江国神崎郡内領知目録〕‖浅野弾正少弼/近江国神埼郡知行方目録/参百三石五斗 建部三役(股ヵ)村 彦根市史5p.774
浅野家文書
野村☆
神田村☆
外村☆
堺村
北村☆
奧村☆
木流村☆
南村
井部村
平板村☆
石塚村☆
神崎村
新開村
福堂村☆
神崎郡 慶長3.7.24 1598 〔近江国神崎郡内蔵入地目録〕‖御代官浅野弾正少弼/近江国神埼郡御蔵入目録‖一、七百弐拾九石七斗三升 同野村 彦根市史5p.776
浅野家文書

愛知郡

郷(里)

蚊野、八木、大国、長野、平田、養父

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
蚊野郷☆ 愛知郡 天平宝字6.5.1 762 〔国符〕【蚊野】愛智、坂田、高嶋郡司/合応輸租米寺封参郷/‖愛智郡蚊野郷 彦根市史5p.78
正倉院文書
大国郷 (愛知) 延暦15.9.23 796 〔近江国大国郷墾田売券〕【大国】大国郷戸主鳴前乙麻呂解申 彦根市史5p.258
平安遺文15
吉田文書
八木郷☆ (愛知) 延暦15.11.2 796 〔近江国八木郷墾田売券〕【八木】八木郷戸主民首田次麿解 申立売買墾田券事/‖右件田、正税陸拾束充価値、与売常土大国郷戸主調首新麿既了 彦根市史5p.258
平安遺文16
国立歴史民俗博物館蔵(金比羅宮所蔵文書)
養父郷[19] 愛智郡 天安1.3.8 857 〔近江国養父郷墾田売券〕【養父】愛智郡養父郷戸主‖解 申依用米売買墾田立券文事 彦根市史5p.274
平安遺文87
川越治郎氏蔵
長野郷☆ 愛智郡 堀河天皇在位中
1086-1107
11世紀に分類
〔江州中原氏系図〕 彦根市史5p.157
続群書類従
善田郷
(吉田郷)☆
愛知郡 天治2.8.- 1125 〔近江国司庁宣〕【長野】‖可早任 宣旨并先例、以寄人所作請坪切満尊勝寺御香御薗庄田伍拾陸町事/長野善田蚊野郷内拾町/八木郷内肆拾陸町 平安遺文4977
早稲田大学所蔵文書
押立郷 (愛知) 建久1.6.7 1190 〔主殿寮年預伴守方解〕‖近江‖以字押立郷立保畢 鎌倉遺文440
壬生家文書
小大国郷
小八木郷☆
愛智郡 元応1.10.- 1319 〔日吉社領注進状〕愛智郡四箇郷 長野 小大国/吉田 小八木/大宮毎夜御油 相撲会草衣 同社家饗膳 愛智郡志1p.369
日吉上郷
日吉下郷
石寺郷☆
安彦子郷[20]
永野郷☆
愛知郡 建武1.12.7 1334 〔雑訴決断所牒〕‖仁和寺雑掌信性申、当国園城寺領事/右如目代宗顕并守護代聖恵等注進状者、入交愛智郡内日吉上下・石寺・安彦子郷・八木郷・永野郷・小大国、已上七ヶ所之状、無相違云々 愛東の歴史p.55
東寺百合文書
岸本郷[21] (愛知) 貞治5.12.- 1366 〔神主等連署田地売券〕謹辞 沽却進私領田地新放券文事/合半不作 直銭四貫六百文請取了/在小椋荘内岸下郷弥平次名内半、字小河原、毎年得分壱石‖貞治五年丙午十二月日/神主(花押)‖ 愛東の歴史p.59
永源寺文書
中郷 愛智郡 永和4.2.29 1378 〔富塚曇瓊田上中庄下司・公文職等寄進状〕奉寄進 永源開山和尚御影長灯料足事‖定得分六斗六升/一所大 愛智郡小椋庄中郷/売主介五郎、四至界ハ売券ニ見タリ 永源寺町史永源寺編p.342
永源寺文書
吉田村☆
枝村☆
(愛知) 応永9.12.10 1409 〔吉田村春日神社棟札〕奉造立吉田村春日大明神御宮事/応永九壬午年□月廿七日テウノ立、十二月二日柱立‖此時勧進正覚寺宝泉坊枝村貞乗/上遷宮十二月十日、大導師一和尚 愛智郡志4p.339
愛知神社蔵
黒柄郷 (愛知) 長禄3.4.19 1459 〔臨川寺重書案文〕臨川寺雑掌申、近江国押立保黒柄郷内田畠、同国神崎郡柿御園中郷惣追捕使職‖方々及違乱云々 神崎郡志稿上p.133
室町幕府奉行人連署奉書
横溝郷☆ (愛知) 長享1.10.22 1487 〔奉行人奉書〕近江国押立保内横溝郷事、就由緒被返二階堂山城前司政行朝臣訖。早可存知之由被仰出候 愛智郡志1p.594
蔭涼軒日録
高野郷
殿村郷
小椋郷
小田刈郷☆
(愛知) 明応2.9.17 1493 〔山上含空院領所散在田数注文〕壱段大拾歩 高野郷分‖殿村郷分‖小椋郷分‖小田刈郷分‖種村分 愛智郡志1p.340
永源寺文書
平柳郷☆
上半郷
下半郷
一色郷☆
(愛知) 永正9.3.11 1512 〔押立神社板札文書〕押立氏子中、神領山、下苅草等、神主殿江御願申上、為御供料、九石弐斗永代五郷江請持‖一ノ山 壱石九斗 平柳郷 家数 百五十軒‖黒柄郷‖上半郷‖一色郷‖下半郷‖横溝郷 愛智郡志4p.156
押立神社文書
平流郷[22] 愛智郡 天正19.4.23 1591 〔豊臣秀吉朱印状〕於江州愛智郡平流郷内合百石事、遣之訖、全可寺納候也。‖(秀吉朱印)/長命寺 彦根市史5p.754
長命寺文書
菩提寺郷☆ (愛知) 年月日未詳 〔雑下行帳〕四升九合一勺 菩提寺郷年貢四升□□一勺/寺延定 種村高へ入之 神崎郡志稿上p.353
百済寺文書

年月日 西暦 原     文 出  典
覇流村[23] (愛知[24] 天平勝宝3 751 〔墾田絵図〕覇流村漆拾町 彦根市史5p.284
正倉院文書
高野村[25] 愛知郡 天長1.10.11 824 〔近江国大国郷野地売券〕近江国愛智郡高野村野地畠公験/謹解 申売進地事/合壱佰弐拾町在近江国愛智郡大国郷高野村 彦根市史5p.263
平安遺文49
大東急記念文
熊原村 (愛知) 康安.9.2 1362 〔六角崇永寺領寄進状〕為衆僧御時料分、山上郷内熊原村、除天役諸公事果役以下、一円令進上候。恐惶敬白/康安弐年九月二日 崇永(花押)/衣鉢侍者禅師 永源寺町史永源寺編p.317
永源寺文書
種村 (愛知) 明応2.9.17 1493 〔永源寺領散在田数注文〕山上含空院領所々散在田数之事‖壱段 種村分‖已上八町漆段小拾五歩/明応弐年癸丑九月十七日 愛東の歴史1p.81
永源寺文書
妹村
薗村
(愛知) 永禄12.1.27 1569 〔合弁さい人数書〕天文廿四己卯年二月六日/合弁さい人数書‖永禄十二己巳年正月廿七日ニ弥五郎宿/一番 太郎三郎‖六番 妹村ノ衛門二郎/七番 薗村の辻こま千代衛門二郎 愛智郡志4p.80
西小椋村会根弁随講共有文書
きりた村 (愛知) 天正5.10.13 1577 〔竹・藤請取状〕請取申竹藤之事/合藤壱荷也 但二度のをなおして/合壱束也 但二度之をなおして‖きりた村/神主殿 愛智郡志4p.54
東小椋村日枝神社文書
小八木村☆ (愛知) 天正9.5.18 1581 〔大般若経修理事書〕奉寄進春日大明神/供養導師千慈坊法印開帳/天正九歳五月十八日 江州小八木村住社 愛智郡志4p.137
東押立村春日神社文書
愛智川村 (愛知) 天正18.1.21 1590 〔浅井忠政等連署下知状〕愛智川村あみた寺・居屋敷・藪共ニ一円ニ申付候間、向後無相違可令知行候‖天正拾八年正月廿一日 河瀬四郎左衛門尉内 下代康一(印) 東浅井郡志4p.122
南部文書
下平流村☆ 愛知郡 天正19.2.27 1591 〔長命寺領下平流村検地帳〕‖長命寺領/江州愛智郡 下平流村内 彦根市史5p.749
長命寺文書
中下村☆
林村☆
ひだ村
(肥田村)☆
東高野瀬村☆
めかた村
(目加田村)
愛智郡 天正20.11.5 1592 〔近江国愛智郡内蔵入地目録〕江州愛智郡内御蔵入所々目録‖一、四百石弐斗五升 中下村‖林村‖ひだ村‖東高野瀬村‖めかた村 彦根市史5p.755
芦浦観音寺文書
中一色村☆ 愛知郡 文禄3.10.10 1594 〔寺西新五郎領知目録〕一、三百四石一斗二升五合 江州愛智郡中一色村内 彦根市史5p.765
寺西文書
青山村☆
石村
愛知郡 慶長4.12.1 1599 〔豊臣家大老連署領知宛行状〕其方本知江州愛智郡妹村内三百二十石‖同青山村‖同石村 彦根市史5p.777
毛利家文書

犬上郡

郷(里)

神戸、田可、沼波、高宮、尼子、甲良、安食、清水、賨田、青根、駅家

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
甲良郷 犬上郡 8C 〔木簡〕【甲良】犬上郡□〔田ヵ〕良郷 長屋王邸
尼子郷☆ 犬上郡 天平20.4.25 748 〔写書所解〕申願出家人事‖羽栗臣国足年廿六 労三年、近江国犬上郡尼子郷戸主羽栗原伊賀万呂戸口 彦根市史5p.54
正倉院文書
河原郷 犬上郡 天平勝宝5.12.5以前 753 〔丹裹文書〕□背舎人立入、年廿二/近江国犬上郡河原郷戸主川背舎人高市孫立人 彦根市史5p.60
正倉院文書
火田郷 犬上郡 天平勝宝9.4.7 757 〔西南角領解〕申画師等歴名事‖物部福万呂、年十四、近江国犬上郡火田郷 滋賀県史5p.61
正倉院文書
野波郷 犬上郡 宝亀2.3.17 771 〔凡海連豊成経師貢進文〕貢/‖飽波飯成、近江国犬上郡野波郷戸主飽波飯成戸口 滋賀県史5p.100
正倉院文書
田鹿郷☆ 犬上郡 貞観9.6.11 867 〔安祥寺伽藍縁起資財帳〕【田可】‖在近江国犬上郡田鹿郷田鹿村赤岡庄 平安遺文164
東寺蔵
高宮郷☆ 犬上 元暦1.9.15 1184 〔近江国注進風土記〕【高宮】近江国/注進 風土記事/‖高宮郷〈犬上〉 山槐記同日条
東郷 犬上郡 貞応2.7.2 1223 〔大般若経識語〕貞応二年七月二日近江州犬上郡東郷於/敏満寺住僧定西/為結縁書写仕了/大願主進士入道覚西 大般若経調査報告1p.166
矢放神社蔵
八坂郷☆ (犬上) 文永5.1.20 1268 〔梶井前大僧正御教書〕多賀社神官等訴申、八坂郷民神役勤否間事 鎌倉遺文9842
多賀神社文書
野田山郷☆ (犬上) 元亨2.4.8 1322 〔六波羅御教書〕近江国多賀社神官‖申、同国野田山郷地頭、伐取当社領森木由事 彦根市史5p.359
多賀大社文書
大尼子郷☆ (犬上) 元徳2.1.- 1330 〔地頭清嗣代盛元訴状〕【尼子】(前欠)論人 地頭清嗣代盛元/一当寺敷地并寺領免田畠等、為 勅願寺、為公家御祈祷所否、為地頭進止否事‖去延慶年中被下 官符畢。而大尼子郷地頭代盛元以下輩、号荘内之建立‖同所進之具書等‖已上八通所令備進也/元徳二年正月 日上之‖ 滋賀県史5p.136
胡宮神社文書
下郷 (犬上) 文正2.7.2 1467 〔多賀大社所務算用状〕注進多賀大社〈文正弐年七月二日〉所務渡散用状事‖一、甲良米未進納‖七斗 下郷/多賀豊後守殿 彦根市史5p.505
多賀大社文書

年月日 西暦 原     文 出  典
水沼村 (犬上) 天平勝宝3 751 〔墾田絵図〕近江国司解 申墾開水田事‖水沼村参拾町 彦根市史5p.281
正倉院文書
(覇流村) →愛知 天平勝宝3 751 →覇流村は愛智郡にまたがっており、愛知郡に分類した。 彦根市史5p.284
正倉院文書
田鹿村☆
(多賀村)
犬上郡 貞観9.6.11 867 〔安祥寺伽藍縁起資財帳〕【田可】‖在近江国犬上郡田鹿郷田鹿村赤岡庄 平安遺文164
東寺蔵
西今村☆ (犬上) 寛正7.2.16 1466 〔蔭涼軒日録同日条〕十六日、‖養徳院領江州西今村、吉田弾正致違乱、可仰御成敗之事、以訴状申之、仍致披露 彦根市史5p.493
蔭涼軒日録
野田村 犬上郡 天文11.8.1 1542 〔久徳左近兵衛尉領知目録写〕江州犬上郡内所々知行目録事/多賀庄内‖一、弐百三拾三石 野田村‖秀吉(花押影)/久徳左近兵衛尉殿 彦根市史5p.734
集古文書
尼子村☆
在士村☆
四十九院村☆
四十九院南村☆
小河原村☆
ならさき村
(楢崎村)☆
かうら畑村
おうむら
(大宇村)
たけかはな村
(竹ヶ鼻村)☆
かなや村
(金屋村)☆
しやうらく寺村
(正楽寺村)☆
北大地村
(北大落村)☆
今村☆
石畠村☆
池寺村☆
八丁村☆
はちめ村
(八目村)☆
土田村☆
大はし村
(大橋村)☆
よこせき村
(横関村)☆
法養寺村☆
おさてら村
(長寺村)☆
大ほり村
(大堀村)☆
一円村☆
ひなつむら
(日夏村)
かんろ村
(甘露村)☆
大藪村☆
中藪村☆
はつさか
(八坂村)☆
まつ原村
(松原村)☆
ミつや村
(三津屋村)☆
すこし村
(須越村)☆
犬上郡 天正19.4.27 1591 〔江州犬上郡御蔵入目録〕【尼子】江州犬上郡/同さか田郡御蔵入所々目録‖江州犬上郡御蔵入目録/尼子村‖さいし(在土)村‖四十九いん村‖同南村‖小河原村‖ならさき村‖かうら畑村(中略)‖小物成 犬上郡/一、五十石 よし米 ひなつむら‖かんろ村(後略) 彦根市史5p.792
林祝太郎氏文書
四手村☆ (犬上) 天正19.10.22 1591 〔断り書〕四手村 多賀町史別p.569
多賀共有文書
方士村 犬上郡 文禄2.11.17 1593 〔田代太郎右衛門尉領知目録〕知行方目録‖一、五十弐石八斗七升二合 方士村内 彦根市史5p.763
瑞泉寺文書
堀村☆ 犬上郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成十三ヶ条掟書〕犬上郡堀村掟之条々 彦根市史5p.800
北島多一氏所蔵文書
宇尾村☆ 犬上郡 慶長4.12.1 1599 〔豊臣家大老連署領知宛行状〕其方本知江州犬上郡之内宇尾村五百石 彦根市史5p.777
毛利家文書
ほうゑ寺村
(法華寺村)
(犬上) 年未詳.11.26 〔石田正澄判物〕古橋村山手之儀、何かと申由候。曲事之儀候。急度納所可申候。於由(油)断者催促可遣候也。/木工頭/正澄(花押)‖ほうゑ寺村/百姓中 彦根市史5p.845
古橋村高橋家文書

坂田郡

郷(里)

大原、長岡、上坂、下坂、細江、朝妻、上丹、阿那、駅家

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
上丹郷☆ 坂田郡 天平19.12.22 747 〔坂田郡司解〕【上丹】申売買賎立券事‖近江国坂田郡上丹郷戸主 彦根市史5p.53
東南院文書
上坂郷[26] 坂田郡 天平宝字6.5.1 762 〔国符〕【上坂】愛智、坂田、高嶋郡司/合応輸租米寺封参郷/坂田郡上坂郷 彦根市史5p.78
正倉院文書
下坂田郷 坂田郡 8C 〔木簡〕近江国坂田郡下坂田郷人身庸米・六斗□□〔井ヵ〕須人戸 甲賀郡信楽町宮町遺跡
大原郷 (坂田) 弘仁10.2.16 819 〔近江国大原郷長解〕【大原】大原郷長解‖永年売買墾田并畠地立券文事/売人大原郷戸主秦淨継‖得買人浅井郡湯次郷戸主 彦根市史5p.261
平安遺文4421
東京大学旧蔵
長岡郷[27] (坂田) 弘仁14.12.9 823 〔近江国長岡郷長解〕【長岡】長岡郷長解‖売買墾田立券文事‖売与浅井郡湯次郷戸主 彦根市史5p.262
平安遺文48
林康員所蔵文書
上坂田郷[28] 坂田郡 天暦4.11.20 950 〔東大寺封戸庄園并寺用雑物目録〕‖愛智郡百戸料、大国八数郷、五十五疋、坂田郡五十戸料、上坂田郷 米原町史資料p.96
東大寺文書
平安遺文257
細江郷[29] 坂田北郡 長寛2.9.25 1164 〔官宣旨〕【細江】左弁官下近江国/応停止延暦寺西塔悪僧‖坂田北郡細江郷内保田、垂新制押領事 彦根市史5p.161
平安遺文3310
坂本蓮華院文書
村居田郷☆ (坂田) 弘安8.12.15 1285 〔地頭某田畠寄進状案〕寄進村居田郷新田并畠事/合田壱町畠等‖右、於当寺并彼田畠等者、令停止政所并検断等之乱入、為衆徒之進退、可令致施主安穏之祈祷也‖弘安八年十二月十五日 在御判 大原観音寺文書p.11
本郷☆ (坂田) 弘安9.5.21 1286 〔依願田地譲状案〕譲渡、私領田地譲状事‖合参段半内〔在大原御庄本郷内、御堂敷地松井一段〕 大原観音寺文書p.14
夫馬郷☆ (坂田) 永仁3.8.10 1295 〔沙弥慈仏田地寄進状〕寄進 観音寺馬上免事/合壱段大内 在夫馬郷内為安地壱段大輔殿作 大原観音寺文書p.17
神坂南郷 坂田北郡 永仁4.2.16 1296 〔比丘尼阿弥陀仏如法経田寄進状案〕寄進 観音寺如法田事/合壱段小者〈在坂田北郡神坂南郷五条三里廿四坪‖〉‖仍為亀鏡、所寄進状如件/永仁四年丙辰二月十六日 比丘尼妙阿弥陀仏 在判/嫡男貞尋 在判 大原観音寺文書p.20
間田郷☆ (坂田) 正安3.12.- 1301 〔僧寛誉田地寄進状〕弁進 私領田地文事/合大者、在大原御庄内間田郷内フミハラノ 大原観音寺文書p.35
鳥羽上郷☆ 坂田郡 延元2.2.9 1337 〔兵庫頭政長奉書〕尊氏・直義以下逆徒追討事、坂田郡長岡庄内鳥羽上郷所被寄附当寺也 大原観音寺文書p.49
春拯郷☆
(春照)
坂田北郡 永徳1.8.- 1381 〔春照秀重田地寄進状〕‖在近江国坂田北郡春拯郷内 大原観音寺文書p.78
細江南郷☆ 坂田北郡 嘉慶1.12.26 1387 〔沙門覚真田地売券書〕沽却進 私領田地新放券文事/合壱段者 在近江国坂田北郡細江南郷‖嘉慶元年丁卯十二月廿六日 沙門覚真(花押) 坂田郡志7p.263
長浜八幡神社文書
相撲庭郷☆ 明徳3.11.29 1392 〔某袖判塔供養法田寄進状〕奉奇(寄)進江州大原荘相撲庭郷内観音寺田事 大原大原観音寺文書p.84
上郷☆
(平方上郷)
坂田北郡 永享5.6.20 1433 〔宮河光道・同妙俊惣持院屋敷下地寄進状〕奉寄進 惣持院屋敷之下地事/合一丁者 在江州坂田北郡平方之庄之内、上郷六条七里十二坪一丁也。万雑公事無之‖永享五年六月廿日 宮河 光道(花押) 将監(花押) 又次郎(花押)/妙俊(花押) 坂田郡志8p.60
総持寺文書
十五条郷 (坂田) 文安3.7.12 1446 〔宇賀野不動坊円精田地寄進状〕惣持院奉寄進 田地之事/合弐段者 法勝寺十五条郷之内、コシヤシキ町西ノ縄本‖文安三年丙寅七月十二日 宇賀野不動坊/円精(花押) 坂田郡志8p.64
総持寺文書
十二条郷[30] (坂田) 宝徳4.5.2 1452 〔長沢村正覚畠地売券〕沽却進 私領畠新放券文事/合参拾陸歩者 在十二条郷内長沢村 坂田郡志8p.18
井戸村文書
国友上下郷
(国友上郷)☆
(国友下郷)☆
曽根村郷☆
堀部上坂郷☆
(坂田) 康正2.6.20 1456 〔観音寺仏田目安〕観音寺仏田目安‖国友上下郷分‖二反‖曾禰村郷分‖堀部上坂郷分‖康正二年丙子六月廿日/書之 坂田郡志8p.400,408,413
大原観音寺文書
日尽郷 坂田郡 応仁2.1.9 1468 〔日尽郷旧社古跡留書〕江州坂田郡日尽郷/一、薬師如来 山東町史史料編p.24
北方寺村文書
十三条郷 文明6.4.11 1474 〔ヒテ信畠地売券〕私領田地新放券文事/畠半者 在法勝寺御領内十三条郷内字サハノシリ‖売渡主 ヒテ信(花押)/文明六年四月十一日 坂田郡志8p.29
井戸村文書
法勝寺之郷 坂田郡 文明18.2.24 1486 〔雅冬契状〕(袖判)近江国坂田郡朝妻庄法勝寺之郷木幡知行分十二条郷参分壱領家方年貢之内、弐拾石壱斗六合事、為我□先祖永代井戸村備後守方え沽却候事実正明白也。‖文明十八年二月廿四日 雅冬 坂田郡志7p.290
中村林一氏蔵
筑摩十六条郷[31] (坂田) 延徳2.9.- 1490 〔伺事記録〕一、日吉社御師樹下修理大夫仲辰申、当社領近江国筑摩十六条郷事 彦根市史5p.580
室町幕府引付史料集成
大野木郷☆ (坂田) 永正3.3.26 1506 〔大沢宗信田地売券〕売渡申大野木郷恒弘名之事‖但とくふん四石五斗なり 山東町史史料編p.29
水戸彰考館文書
椙沢郷
(杉沢郷)☆
(坂田) 永正9.1.5 1512 〔杉沢郷正順田地寄進状〕永代円乗寺寄進田之事/合弐段者 在坪本文書在之/右寄進意趣者壱段大野木下地者、正順為現世当二世逆修、壱段椙沢郷久光名之内‖永正九年壬申正月五日/杉沢郷/正順(花押) 山東町史史料編p.30
成菩提院文書
室上之郷 坂田郡 永正17.12.27 1520 〔河瀬俊久・同利久連署田地売券〕‖江州坂田北郡柏原荘室上之郷 伊吹町史p.85
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八条之郷☆ 坂田北郡 大永7.12.28 1527 〔町田家治田地売券〕売渡進 田地新放券文之事/在江州坂田北郡福能部之庄之内/八条之郷‖右件田地之者、雖為町田三郎左衛門尉先祖相伝之私領、依有直要用能銭参貫文に限永代売渡者也。‖大永七年丁亥十二月二十八日 町田三郎左衛門尉/家治(花押) 坂田郡志7p.530
大原観音寺文書
七条之郷☆ 坂田北郡 天文13.1.- 1544 〔五郎左衛門外連署七条垣内村永勝寺仏田売券〕永代売渡進私領新放券文之事/合小者 在坪者江州坂田北郡七条之郷之内‖売主七条村人中/五郎左衛門(花押) 坂田郡志7p.561
大原観音寺文書
平方庄下郷
(平方下郷)☆
天文14.3.29 1545 〔総持寺普賢坊宣勝田地売券〕永代売渡申 私領田地新放券文之事/合壱段者 在江州坂田北郡平方庄下郷之内八条八里‖天文十四年三月廿九日 売主総持寺普賢坊/宣勝(花押) 坂田郡志8p.120
総持寺文書
神郷 (坂田) 永禄11.2.27 1568 〔浅井長政申談書〕申談御知行方之事/一、野洲栗本両郡之事‖一、神郷之事‖永禄十一年/二月廿七日/浅井備前守/長政(花押)/山中大和守殿参 水口町志下p.386
田中文書
坂田南郷 (坂田) 天正6.3.3 1578 〔島久右衛門田地売券〕永代売渡申私領田地新放券文事/合壱段者 在江州坂田南郷法性寺之内、字嘉女田南ヨリ四反メ也‖天正六年三月三日 島久右衛門/秀□(花押) 坂田郡志7p.128
吉田文書
福永郷 江州北郡マヽ
(坂田)
天正7.1.11 1579 〔羽柴秀吉宛行状〕江州北郡福永郷内、参百石令扶助訖‖天正七/正月十一日 羽柴藤吉郎/秀吉(花押)/浅野弥兵衛(長政)殿 坂田郡志8p.230
浅野文書
管田郷 (坂田) 天正11.4.- 1583 〔柴田勝家禁制〕禁制甲乙人 管田郷/一、陣取事/一、放火事/一、伐採竹木事‖天正十一年卯月日/修理亮(花押)(柴田勝家) 坂田郡志8p.277
箕浦文書
忍海郷 坂田郡 年未詳.10.1 〔東大寺三綱紀〕金剛寺 在坂田郡忍海郷神田、号金岩山/十月一日 信玄/浅井備前守殿 東浅井郡志4p.509
内閣文庫蔵

年月日 西暦 原     文 出  典
夫馬村☆ (坂田) 文永2.1.- 1265 〔預所某寄進状〕寄置 観音寺免田事‖大原庄夫馬村内、平野山成成半名 大原観音寺文書p.6
椙殿村
(杉殿村)
(坂田) 応安6.3.10 1373 〔沙弥某定書〕‖一、椙殿村人々可守護寺家間事/右椙殿村共寺領敷地居住之上者、於寺家聊不可存員外、殊更長老出行留守等時分為結番‖応安六年三月十日 沙弥(有書判) 滋賀県史5p.172
清滝寺文書
ヲウチ村 (坂田) 応永26.2.27 1419 〔本堂造作日記〕当寺本堂造作事 応永廿六年己亥二月廿七[  ‖布勧進/一、ヲウチ村ノ 一、南谷イチ殿 大原観音寺文書p.117,130
牛詞村[32]
(牛飼村)
(坂田) 応永33.12.21 1426 〔中島介四郎田地売券〕売度(渡)私領田地放券文事‖合壱段小者〈‖又大、在坪ハ同(夫馬)郷之内牛詞(飼)村ノ前〉‖応永三十三年丙午十二月廿一日 介四郎(花押)/又介(花押)/夫馬之郷中嶋之 坂田郡志7p.414
田村☆
烈見村[33]
相撲村☆
西浜村
中村☆
三河村
北山階村
南山階村
四木村☆
今浜村
(坂田) 永享7.7.- 1435 〔勧進猿楽桟敷注文次第書〕桟敷注文次第不同 永享七年七月 日/近江三座‖薬師寺〈田村〉‖烈見村‖相撲村/西浜村 中村〈祇園〉/三河村〈二間〉/北山階村‖四木村〈二間/□□〉 今浜村〈三間/道林道秀〉 坂田郡志8p.449-450
神照寺文書
朝妻村☆ (坂田) 永享7.7.- 1435 〔永享七年七月勧進猿楽奉加分〕【朝妻】奉加分‖二貫文 朝妻村 坂田郡志8p.450
神照寺文書
かちむら
(鍛冶村)
(坂田) 永享8.3.22 1436 〔桟敷日記〕桟敷日記〈永享八年三月廿二日〉‖三百文 下坂ノかちむらより/宝徳二年四貫文返申候、宮立之時 大原観音寺文書p.155
居屋敷西村 (坂田) 永享10.12.13 1438 〔柏原正賢御地坪付帳〕御地名坪付事/一、居屋敷〈西村〉 九百文成/以上田数三段少小作前四石弐斗也‖永享十年戊辰十二月十三日 柏原/正賢 無花押 山東町史史料編p.22
成菩提院文書
横浜村
はたせ村
(坂田) 永享11.4.25 1439 〔八番宮塔供養記録〕八幡宮塔供養 永享十一年卯月廿五日‖弐貫三百文 五斗返ス/横浜村‖十貫内 五疋くらおきゆふさめの/十疋はたせ村□とく御引 坂田郡志8p.452,453,454
神照寺文書
夫馬ノ中村☆ 坂田北郡 文安3.1.14 1446 〔融尊田地寄進状〕寄進 私領田地事/合壱段者〈在江州坂田北郡大原庄之内、夫馬郷観音寺前ノ深田一反也‖〉‖依(仍)後日為亀鏡寄進状状(衍ヵ)如件/夫馬ノ中村ノ/庄司/梅本/融尊(花押)/観音寺之/文安参年丙寅正月十四日 大原観音寺文書p.194
長沢村☆ (坂田) 宝徳4.5.2 1452 〔長沢村正覚畠地売券〕沽却進 私領畠新放券文事/合参拾陸歩者 在十二条郷内長沢村 坂田郡志8p.18
井戸村文書
イヌヰ村
(乾村)
浅井郡 康正2.1.11 1456 〔阿部宗長譲状〕ゆつり渡申大工所之事/早崎イヌヰ村神領之内孫三郎方・新右衛門方、並十九村・イナハ(稲葉)‖此分永代兵衛二郎ニゆつり申者也。/享徳五年[34]正月十一日 阿部神介/宗長(花押) 東浅井郡志4p.4
阿部文書
今村☆
大野村
(坂田) 康正2.6.20 1456 〔観音寺仏田目安〕‖国友上郷分‖一反〈佐野道印寄進/卯月八日田〉同一石 作人今村ノ/左近太郎‖半 〈同源慶寄進〉 同九斗〈一円〉 作人 大野村ノ/太郎才才 坂田郡志8p.400-413
大原観音寺文書
井戸村
一畝村
(坂田) 文明3.8.- 1471 〔井戸村定阿得分留書〕定徳寺之文書共見まいしさるかくのおと若太夫にあつけおきて候へは、文明三年二月廿八日の日のらんいうしないて候とて、いたさす候間、もし支証文とてもちていてきたらん者ハ盗人にてあるへし‖井戸村備後守/定阿/ 坂田郡志7p.287
中村林一氏所蔵文書
下村 坂田北郡 文明18.12.29 1486 〔下司連署御油田弥次郎田地売券〕売渡申 新放券文之事/合壱段者‖文明十八年丙午十二月廿九日 売主御油田弥次郎/□久(花押)/景俊(花押)(花押)‖(裏端書)石田/下村より 坂田郡志7p.486
大原観音寺文書
下司村☆ 坂田北郡 永正1.11.6 1504 〔下司・楞厳院長忠連署聖真子観応堂田地売券〕(別筆)壱段 聖真子観音堂村人売状也。作人 下司村小二郎左衛門‖売渡申 聖真寺(子)観音堂田地新放券文事‖永正元年甲子十一月六日 村人/彦右衛門‖ 坂田郡志8p.100
総持寺文書
寺村☆ (坂田) 永正14.8.- 1517 〔米布施御影供新寄進帳〕神照寺‖米布施 九月分‖半 北方内公田加二斗五升 寺村/大工‖ 坂田郡志8p.447
神照寺文書
玉村 (坂田) 天文3.10.11 1534 〔浅井亮政沙汰状〕大野木内大沢次郎左衛門尉前(方ヵ)より御買得分、大沢跡当給人雖競望(候)巨細承分□□□(候付而ヵ)。如前々御寺納管要候。恐々謹言。/天文参/十月一日 亮政(花押)/玉村/大蔵坊御中 東浅井郡志4p.323
西秋文書
垣内村 坂田南郡 天文8.2.19 1539 〔惣寺坊源慶田地売券〕永代売渡進田地新放券文事/合壱段者〈在江州坂田北郡七条之荘内垣内村ノ東的庭也〉 坂田郡志7p.551
大原観音寺文書
加田村☆ (坂田) 天正11.3.11 1583 〔佐久間盛政・徳山秀現連署禁制〕当村中放火并山小屋へ猥之族、急度令停止畢‖加田村中 長浜町志1p.159
神田村小川武右衛門氏蔵
山上中村 (坂田) 天正11.12.16 1583 〔牛飼村判状〕就今度山上中村と被仰構候草刈場之儀に、双方へ御一書具に令披見、無贔屓偏頗、存分順路と存知異見申条々/一、‖又南東は山上中村より草木を可被刈候、此旨彼方へも申付候‖天正十一年亥未十二月十六日/多喜弥九郎資忠(花押)‖ 滋賀県史5p.373
坂上文書
いむら
(飯村)☆
坂田郡 天正13.⑧.11 1585 〔堀尾吉晴領知目録〕江州所々知行方目録‖一、五百五十壱石九斗 いむら まい原 彦根市史5p.741
東大史料編纂所所蔵文書
祇園村☆ (坂田) 天正13.9.1 1585 〔山内一豊安堵状〕祇園村之内を以、三拾二石四斗八升令支配之条、全可知行候。猶重而可申付候、恐惶謹言。/天正十三年九月朔日 山内伊右衛門(花押)/五藤助右衛門殿 長浜町志1p.183
五藤伝次右衛門氏所蔵文書
榎木村 江州北郡 天正14.9.2 1586 〔山内一豊安堵状〕江州北郡之内、榎木村にて三百石令支配候。全可知行候。猶重て可申談者也。/天正十四年九月二日 山内対馬守(花押)/乾猪助殿 長浜町志1p.187
国宰伝
西飯村☆ 坂田南之郡 天正15.3.19 1587 〔若宮おまつ屋敷売券〕永代売渡申屋敷一職之事‖在江州坂田南之郡字西飯村之内 坂田郡志7p.129
吉田文書
馬場村☆
久礼村☆
か戸根村☆
(門根村)
樽石村
樋口村☆
寺倉村☆
西坂村☆
牛打村☆
志折村
醒井村☆
上野村☆
下野村
榑畑村☆
夫野村
明幸村
堂谷村☆
満願寺村☆
長岡村☆
菅川村
清滝村☆
石田村☆
箕浦村☆
顔戸村☆
能登瀬村☆
日光寺村☆
藤川村☆
丹生村☆
(坂田) 天正19.4.27 1591 〔江州犬上郡御蔵入目録〕江州犬上郡/同さか田郡御蔵入所々目録‖坂田郡‖一、七百八拾石九斗五升 馬場村‖久礼村‖か戸根村(後略) 彦根市史5p.792
林祝太郎氏文書
長浜村☆ (坂田) 天正20.1.- 1592 〔観音寺石川久五郎・早川主馬頭連署沙汰状〕長浜村、屋敷高百拾間(軒)之事 坂田郡志7p.305
相撲庭村☆ (坂田) 文禄4.9.25 1595 〔相撲庭村検地帳〕田畠都合三拾四町六段壱畝五歩/右之分米三百五拾弐石□斗七升/文禄四年九月廿五日 相撲庭村/庄屋 孫左衛門/北左近/[  ]/□村九郎兵衛様○神村/参 東浅井郡志4p.562
馬淵仲弥氏所蔵文書
しゃうほだい院村
(成菩提院村)
坂田郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成十三ヶ条掟書〕坂田郡内しゃうほだい(成菩提)院村掟条々 彦根市史5p.802
北島多一氏所蔵文書
多和田村☆ 坂田郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成十三ヶ条掟条々〕‖坂田郡之内田(多)和田村掟条々‖右十三ヶ条如件‖治部少(花押) 彦根市史5p.804
伊夫気文書
伊吹村☆ 坂田郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成十三ヶ条掟書〕坂田郡之内伊吹村掟条々 彦根市史5p.806
伊夫気文書
八条村☆ 坂田郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成九ヶ条掟書〕坂田郡之内八条村掟条々 彦根市史5p.806
中川文書
国友村☆ 坂田郡 文禄5.3.23 1596 〔石田三成領宛行状〕為新恩、坂田郡於国友村之内百石令扶持畢 彦根市史5p.812
国友藤兵衞家文書
岩脇村☆ (坂田) 文禄5.7.25 1596 〔京極高次知行状〕為給恩於岩脇村之内、百三十二石五斗六升‖合四百石令扶助畢。全可知行者也。/文禄五/七月廿五日 高次(花押)/箕浦次郎左衛門殿 坂田郡志8p.278
箕浦文書
筑摩村☆
中島村
坂田郡 慶長2.4.20 1597 〔石田三成麦掟写〕当なつより諸国麦年貢田方三分一納可申旨‖朝妻村/坂田郡ちくま村/中島村 彦根市史5p.816
中村不能斎採集文書

浅井郡

郷(里)

岡本、田根、湯次、大井、川道、丁野、錦部、速水、益田、新居、都宇、朝日、塩津

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
湯次郷 浅井郡 天平19.2.10 738 〔大安寺資財帳〕【湯次】勘録大安寺資財知行之事‖近江国 六処/浅井郡 一処 自大嶽至湯次郷/右以去天平十八年十月十四日、被僧綱所牒偁‖天平十九年二月十一日 都維那僧 霊仁‖上座法師 孫耀 東浅井郡志4p.508
大安寺資材帳
大井郷 浅井郡 天元4.8.30 981 【大井】良源、諡号慈恵和尚。延暦寺座主。近江国浅井郡大井郷人。 釈家官班記上
群書類従24
岡本郷 浅井郡 嘉保2.10.- 1095 【岡本】鹿菅太、失其名。江州浅井郡岡本郷住人也。 拾遺往生伝
大日本仏教全書p.107
伊部郷[35] 浅井郡 保元3.3.12 1158 〔大般若経識語〕‖保元三年戊寅三月丙辰十二日戊申午時了/如形筆師僧天台末覚上人玄如房弁恵/於浅井郡法勝寺〈御庄〉伊部郷桃津寺書写之状如件 滋賀県大般若1p.349
八幡神社蔵
横田郷 保元3.3.16 1158 〔大般若経識語〕保元三年戊寅三月丙辰十六日丙子巳時了/於浅井東郡横田郷、筆師僧華乗房賢栄/但以此書写善者現世安穏、後生善処許事 東浅井郡志4p.617
大浦共有大般若経識語
朝日里 浅井 元暦1.9.15 1184 〔近江国注進風土記〕【朝日】近江国/注進 風土記事/朝日里〈浅井〉 山槐記同日条
中野郷[36] (浅井) 建永1.6.5 1206 〔藤原兼子申文〕‖実任件二郷〈(近江)伊部・中野〉相具調度文書等 三長記同日条
鎌倉遺文1622
速水南郷☆ 浅井西郡 貞応2.12.26 1223 〔大般若経識語〕貞応二年十二月二十六日於近江州浅井西郡速水南郷今村為且仏法/興隆且法界衆生胎卵湿化父母皆成成仏道之 大般若経調査報告1p.165
矢放神社蔵
河道郷☆ 浅井東郡 建長1.11.29 1249 〔大般若経識語〕【川道】江州浅井東郡河道郷住僧期西/為結縁書写一巻/建長一廻暦霜月二九日 大般若経調査報告1p.355
八幡神社蔵
朝日郷 浅井郡 文永5.①.28 1268 〔左衛門尉某譲状案〕【朝日】‖近江国浅井郡朝日郷内久保名 鎌倉遺文19854
祗園社記雑纂一
大井郷[37] 浅井郡 延慶3.10.13 1310 〔彦部松寿請文案〕知行分江州浅井郡内大井郷南方地頭職本証文事、只今雖可備上覧候彼証文等‖十月十三日○延徳三年 彦部松寿/飯尾大蔵太夫殿○兼連 東浅井郡志4p.485
小早川証文所収文書
益田南郷[38] (浅井) 正和1.12.23 1312 〔六波羅裁許状案〕【益田】近江国竹生島僧等与当国益田南郷地頭山内大炊左右衛門太郎通勝代源真、相論当寺領早崎村田地事 東浅井郡志4p.196
竹生島文書
大路村郷 (浅井) 建武3.9.5 1336 〔光厳院々宣案〕当寺領近江国湯次上庄内大路村郷・‖知行不可有相違之由、新院御気色所候也 坂田郡志7p.317
下郷共済文書
錦織東郷☆ 浅井郡 貞和1.11.12 1345 〔足利尊氏寄進状〕【錦部】寄進 竹生島権現/近江国浅井郡錦織東郷地頭職 東浅井郡志4p.198
竹生島文書
南北郷 浅井郡 文和3.6.6 1354 〔足利尊氏下補状〕下補/近江国浅井郡南北郷之内、河道住人等於下知者、四十八種之諸商、無他妨可致成敗事 東浅井郡志4p.95
千手院文書
河毛郷☆ (浅井) 応永4.2.5 1397 〔寛教請文案〕当寺領江州田河庄之内河毛郷事、預申候。於寺用者、任請文之旨、毎年無懈怠、可有御下知候。恐々謹言。/応永四/二月五日 寛教/三宝院御房 東浅井郡志4p.416
醍醐三宝院文書
丁野郷☆ (浅井) 応永7.4.3 1400 〔室町将軍家御教書案〕【丁野】上臈御局雑掌申、近江国丁野郷用水・同国田中庄栴檀井・並加子井事、近年富永庄地下人等押妨‖太不可然、所詮彼是可停止新儀之違乱‖被全耕農之節之由、所被仰下也。仍執達如件/応永七年四月三日 沙弥判○畠山基国入道徳元/佐々木備中守殿○六角満高 東浅井郡志4p.440
東大寺文書
益田北郷☆ 浅井西郡 応永8.11.3 1401 〔海津平六売券〕売渡進私領田地新放券文事/合壱段者 近江国在浅井西郡益田北郷内、七条十四里十八坪。自西於参反次一反也。内保也。/件田地、元者益田海津平六先祖相伝之私領也、而然依有要用能米〈俵定〉肆石五斗ニ‖売渡処実正也。‖応永八年辛巳十一月三日 海津平六(花押) 東浅井郡志4p.200
竹生嶋文書
田河郷
(田川郷)☆
(浅井) 応永30.4.10 1423 〔室町将軍家御教書案〕大覚寺御門跡雑掌申、近江国田河郷内丁野郷井水事、訴状如此‖早為使節、堅加下知、可全丁野郷用水之由、所被仰下也、仍執達如件‖応永卅年四月十日 沙弥在判(畠山満家)/山門使節中 井口日吉神社文書p.64
小北郷 (浅井) 康正1.12.27 1455 〔足利義政御教書〕(袖判)近江国南北郷一円・同大井郷西方・並小北郷、上野国地頭職‖当知行之上者、小串次郎左衛門尉成行領掌不可有相違之状如件/康正元年十二月廿七日 東浅井郡志4p.118
南部文書
曽根村郷☆ (浅井) 康正2.6.20 1456 〔観音寺仏田目安〕‖曾禰村郷分/大般若料千楽良祐寄進/八斗 加輿丁 庄ノ段別ニ有 作人井尻/橋爪衛門‖康正二年丙子六月廿日/書之 坂田郡志8p.400,408,413
大原観音寺文書
新井郷☆ (浅井) 康正2.-.- 1456 〔造内裏段銭并国役引付〕【大井・新居】‖彦部三州入道殿江州大井郷段銭‖朝日近江守殿江州朝日郷段銭‖等持寺領江州新井郷段銭 彦根市史5p.478
群書類従
錦織郷☆ 浅井郡 天文7.6.13 1475 〔和田家阿弥陀仏像裏書〕□(本)願寺釈□(説)如(花押)(○光教)/天文七年戊戌六月十三日/方便法身尊形 真宗寺門徒 近江国/浅井郡錦織郷和田村/願主 釈道秀 東浅井郡志4p.627
和田家阿弥陀仏像裏書
内保郷☆ 浅井郡 天文6.5.11 1537 〔実如上人影像〕天文六年丁酉五月十一日 釈証如(花押)○光教/実如上人御影 近江国浅井郡湯次庄/内保郷誓願寺当什物/願主 釈了明○第十四世 東浅井郡志4p.627
誓願寺仏像裏書
益田郷☆ 浅井郡 天文6.5.12 1537 〔常勝寺円眷寄進状〕奉寄進永代私領田地新放券文之事/合壱段者 在江州浅井郡益田郷之内、字開田‖右件田地、元者常勝寺蓮実坊円眷買得相伝私領也。‖雖経弟子孫々後々末代、不可有違乱煩他妨者也。仍為後日証跡之寄進状如件。/天文六年丁酉五月十二日 寄進主常勝寺住/円眷(花押) 東浅井郡志4p.221
竹生嶋文書
今成郷 浅井郡 天文13.12.13 1544 〔今成宗通田地寄進状〕売渡進田地新放券文之[  ]/合小者 在江州浅井郡由口□(庄)□(今)成郷内‖右件田地ノ元者、今成宗通かん二郎先祖相伝私領‖天文一三年甲辰十二月十三日 売主今成/宗通(花押)/かん二郎(花押) 坂田郡志7p.563
大原観音寺文書
佐野郷☆ (浅井) 永禄3.4.10 1560 〔野村定知沙汰状〕佐野郷之内字新開一般同字二町半畠壱畝、合三ヶ所洞ヶ寺来円かたより寄進之由 坂田郡志7p.586
大原観音寺文書
安養寺郷☆
延勝寺郷☆
今西郷☆
青名郷☆
(浅井) 永禄11.8.- 1568 〔竹生島納帳〕納帳〈永禄十一戊辰〉歳八月吉日‖阿弥陀堂田‖安養寺郷内西鬼丸文書在之/壱反 三俵代‖作安養寺/深井与兵衛尉方 東浅井郡志4p.552-556
竹生島納帳
三田村郷☆ (浅井) 天正2.3.26 1574 〔木下秀吉下知状〕野村与三田村郷、井水之申事、双方証文無之候条、急度不申付候。‖然者従当作于水之刻者、三田村江三日、野村へ一日、追日番水ニ、可被申付候‖天正弐/三月廿六日 藤吉郎/秀吉(花押)/三田村郷/名主/百姓中 東浅井郡志4p.161
三田共有文書
早崎郷☆ (浅井) 天正.9.11 1574 〔羽柴秀吉寄進状〕当郡以早崎郷之内参百石事、令寄進訖。全可有寺納候、然上者、如前々勤行等不可有油断之状如件/天正弐/九月十一日 羽柴藤吉郎/秀吉(花押)/竹生島/衆中 東浅井郡志4p.238
竹生嶋文書
富田郷☆ 浅井郡 天正5.3.29 1577 〔北速水源兵衛譲状〕ゆつり与状之事/合一段者 有江州浅井郡西庄内富田郷 坂田郡志8p.137
総持寺文書
野村郷☆ (坂田) 天正9.4.27 1581 〔羽柴秀吉秀勝連署宛行状〕野村郷之内、内匠分百五十石、遣之候 東浅井郡志4p.292
神照村鈴木久次郎氏蔵
宮部郷☆
尊勝寺郷☆
山科郷
浅井郡 天正13.⑧.22 1585 〔堀尾吉晴領知目録〕江州所々知行方目録‖一、四千七百四十石/浅井郡/宮部郷‖尊勝寺郷‖山科郷 彦根市史5p.740-741
東大史料編纂所蔵
錦織東西郷☆ 浅井保 年未詳.2.- 〔伊勢大宮司某書状〕太神宮御領近江国錦織東西郷之春成神税事。為徴納雑掌宗吉令入部候。早任先例員数可究済之旨、御成敗候者、併可為御神忠候。恐々謹言。/二月 日 大宮司 在判/謹上 錦織南方地頭殿/謹上 錦織北方地頭殿 東浅井郡志4p.471
伊勢神宮文書
山田郷☆ (浅井) 年未詳.3.26 〔羽柴秀吉下知状〕藤綱之用ニ候。当所ふぢ、此者申次第、もたせ可遣者也。/三月廿六日 藤吉郎/秀吉(花押)/山田郷/百姓中 東浅井郡志4p.187
脇坂文書
富永之郷 (浅井) 年未詳.10.16 〔石田三成・増田長盛連署裁許状案〕富永之郷給人衆、年貢被納様、非分之出入有之、迷惑之由御訴訟申来候間、‖(増田)右衛門尉/長盛判/(石田)治部少輔/成判 彦根市史5p.790
光照寺文書
大安寺郷☆ 浅井郡 年月日未詳 〔大安寺三綱記〕浅井十二ケ寺/速水寺 在浅井郡大安寺郷/僧房十六宇/貞観十三年、行教僧正依八幡宮神勅草創。 東浅井郡志4p.506
大安寺三綱紀
田根郷 浅井郡 年月日未詳 〔木簡〕【田根】浅井郡田根郷・□□〔春酒ヵ〕□□戸 大阪府柏原市安堂遺跡

年月日 西暦 原     文 出  典
早崎村☆ 浅井郡 弘安7.12.22 1284 〔関東御教書案〕近江国竹生島寺僧等申、為当国浅井郡守護代、背度々下知、乱入寺領早崎村、押取身代以下銭貨由事、訴状具書如此、何様事候哉、早相尋実否可被申左右候。仍執達如件。/弘安七年十二月廿二日 武蔵守御判(北条時村)/佐々木備中前司殿 東浅井郡志4p.195
竹生島文書
曽祢村☆
(曽根)
浅井郡 元応1.10 1319 〔日吉社社領注進状案〕‖一、浅井郡曽祢村神田弐町余 彦根市史5p.357
続群書類従
にしのむら
(西村)☆
(浅井) 暦応4.4.14 1341 〔今西二藤屋敷売券〕うりわたしたてまつる管(マヽ)浦やしきの事/合一所者‖右かのやしきハ、もとハしんすけ入道のやしき也。但にとうし(二藤次)とのところゑ、にしのむらゑうりハたす処実正也。‖暦応四年〈かのとのミ〉壬四月十四日/今西二藤(花押) 菅浦文書上p.153
大井村☆ (浅井) 応永23.12.15 1416 〔大井村福林寺田地売券〕進沽却 私領田地新放券文事/合壱段者‖右件田地、元者大井村堂福林寺買得相伝之私領也 坂田郡志8p.59
総持寺文書
田村☆
八木浜村☆
(浅井) 永享7.7.- 1435 〔勧進猿楽桟敷注文次第書〕桟敷注文次第不同 永享七年七月 日/近江三座‖薬師寺〈田村〉 年行司遍照房行祐ノ時/三寺〈返ス〉‖八木浜村 坂田郡志8p.449-450
神照寺文書
三田村☆ 浅井郡 永享8.2.18 1436 〔桟敷日記〕壱貫文、七郎次郎殿三田村/弐貫文、三河村〈「村人」〉 大原観音寺文書p.155
高田村☆ (浅井) 永享11.4.25 1439 〔八幡宮塔供養記録〕八幡宮塔供養 永享十一年卯月廿五日‖弐貫文 高田村‖ 坂田郡志8p.453
神照寺文書
中野村☆ (浅井) 康正2.6.20 1456 〔観音寺仏田目安〕康正二年丙子六月廿日観音寺仏田目安‖字白川七条/一反〈蜜厳房源慶寄進〉 分米八斗〈枡定〉作人 中野村/道一 坂田郡志8p.400,412
大原観音寺文書
難波村☆
酢村[39]
浅井郡 文明2.5.16 1470 〔牛頭天王寄進帳留書〕江州浅井郡難波村牛頭天王江/御寄進帳之事‖一 天王居館之内壱町七段参畝拾八歩也‖右所之書物いちれうニ付而相渡申候‖又れう川のば、上者すむら(酢村)のなわさかい‖、下は南北郷のなわさかいまで、難波ノ牛頭天王之神領也‖文明二年五月十六日 難波村/惣中 東浅井郡志4p.177
八坂神社文書
上八木村☆
下八木村☆
十ツ九村☆
弓削村☆
浅井郡 大永2.3.- 1522 〔郷中道川定帳〕(表紙)大永二年壬午三月/郷中道川定長(帳)/江州〈浅井郡八木之庄〉上八木村‖一井口ゟ下八木村分迄 川幅三間半也‖右井入用ハ二ツ割〈上八木村・十ツ九村・下八木村〉/一下八木村えの川口ゟ三町餘ノ内、当村と立会川也。/依之弓削村水之稲、反ニ六羽(把)宛、当村え取也。 東浅井郡志4p.543
下八木那須市左衛門氏文書
下西村
上条下西村
浅井郡 大永5.2.4 1525 〔大円房慶雄売券〕永代売渡私領居屋敷之事/合壱所者 在江州浅井郡草野ノ庄上条下西村 東浅井郡志4p.2
赤田文書
大路村
上条西村
(浅井) 享禄1.12.- 1528 〔大聖寺仏田帳〕納大聖寺仏田引付張(帳)之事/合享禄元年戊子十二月日‖一 若宮田分‖大路村若森/一反 一石二斗/上条西村/半 三斗 東浅井郡志4p.550
下草野村大門共有文書
和田村 浅井郡 天文7.6.13 1538 〔和田家阿弥陀仏像裏書〕□(本)願寺釈□(説)如(花押)(○光教)/天文七年戊戌六月十三日/方便法身尊形 真宗寺門徒 近江国/浅井郡錦織郷和田村/願主 釈道秀 東浅井郡志4p.627
誓願寺蔵
野村☆ (浅井) 元亀1.6.28 1570 〔織田信長披露状案〕今日巳時、越前衆(者)並浅井備前守、横山為後詰、野村と申所迄執出、両所備人数候‖両口一統ニ遂合戦得大利候。‖野も田畠も死骸計候‖(元亀元年)六月廿八日 織田弾正忠/信長/細川兵部大輔殿(藤孝) 東浅井郡志4p.427
山形市香澄町津田元徳氏所蔵文書
速見村☆
香村
北今村☆
中村☆
西野村
浜野村
小今村☆
(浅井) 天正13.⑧.21 1585 〔江州北郡知行目録〕【速水】於江州北郡遣行方目録‖速見村‖香村‖北今村‖中村‖西野村 坂田郡志8p.226
山内文書
鍛冶屋村 浅井郡 天正15.2.20 1587 〔介太夫売券〕永代売渡申畠新放券文之事/合畠壱畝者 在江州浅井郡草野庄ノ内字西山、畠壱畝也。此外万雑無公事/右件之畠、元者鍛冶屋村之介太夫雖為先祖相伝私領、依有直要用、能米六斗壱升仁、限永代売渡申処実正明白也‖天正拾五年二月廿日 売主かちや村ノ/介太夫(花押) 東浅井郡志4p.61
草野文書
しゆろ村
(種路村)☆
(浅井) 天正19.3.26 1591 〔種路村検地帳〕(表紙)天正拾九年三月廿六日/江州浅井郡山本内しゆろ村御検地帳‖家付之事/以上家数合三拾四間也〈こや・つのや外也〉/天正十九年三月廿六日 奥山源之丞/瀧野助七 東浅井郡志4p.560
朝日村山本共有文書
谷口村☆ 浅井郡 天正19.4.6 1591 〔谷口村検地帳〕〕(表紙)天正拾九年四月六日/江州浅井郡田根庄谷口村御検地帳‖田畠合廿四町七反四畝/米(合米)合百九十五石四斗 東浅井郡志4p.560
田根村谷口共有文書
青名村☆
八日市村☆
(浅井) 天正19.4.13 1591 〔豊臣家奉行裁許状〕青名・八日市村と、中野村と井水出入之事、去年従八日市村相立候井溝、新儀之由候間、彼井溝之儀者、重而も相立候ハヽ、可為曲事候。大川筋先規之所へ、井口を明、用水可相通候也。/天(天正)十九/卯月十三日 長大蔵(花押)‖ 東浅井郡志4p.188
速水村猪飼庄兵衛氏蔵
尊勝寺村☆ 浅井郡 天正19.4.23 1591 〔豊臣秀吉宛行状〕於江州浅井郡尊勝寺村内、合五拾石事、宛行之訖。全可寺納候也。/天正十九/四月二十三日 (秀吉)(朱印)/実才庵 東浅井郡志4p.76
実際庵文書
今村☆
猫口村☆
浅井郡 天正19.4.25 1591 〔猫口村検地帳〕(表紙)天正十九年四月廿五日/江州浅井郡今村之内ねこの口村分御検地帳/辻久二/正田弥十‖田畠合拾三町五反二畝八歩/分米合弐百参拾七石八升七合/米かりさん用/小七郎/藤七 東浅井郡志4p.561
速水村猫口共有文書
野田村☆ 浅井郡 天正19.4.25 1591 〔豊臣秀吉寄進状〕江州浅井郡/下八木之内、拾七石、同郡西草野田村之内 坂田郡志7p.279
知善院蔵
下山田村☆
ふた又村
(二股村)
(浅井) 天正20.-.- 1592 〔山田郷年貢帳〕‖天正廿年四村やしき/二拾石 上山田村/六石六斗六升六合六夕 下山田村/六石六斗六升六合六夕 ふた又村/六石六斗六升六合六夕 八日市村/以上四拾石 東浅井郡志4p.559
小谷村上山田共有文書
ひらつか村
(平塚村)☆
(浅井) 文禄4.3.1 1595 〔馬方入免散用状〕天正拾八年馬方入免/一三貫文 弥一郎引かへ/惣馬之衆より申所実正也、算用仕候而、やがて納所可申候/孫兵衛‖右件之御米借用申所実正明白也‖文禄四/三月一日 ひらつか村/三郎四郎/藤二郎 東浅井郡志4p.514
平野庄郷記文書
細江村☆ (浅井) 文禄4.7.5 1595 〔細江村久左エ門・総三郎連署米借用証文〕借用申御米之事/合弐石者‖文禄四年七月五日/細江村/久左衛門(花押)/総三郎/いうぇむら/小二郎さま 坂田郡志8p.53
井戸村文書
山本河原村☆
かうけん寺村
(香花寺村)☆
浅井郡 文禄4.9.9 1595 〔石田三成領知宛行状〕其方知行方江州浅井郡之内三田村・須村・山本河原村・かうけん(香花)寺村 彦根市史5p.798
長浜城歴史博物館蔵文書
郡上村☆ 浅井郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成十三ヶ条掟書〕浅井郡之内郡上村掟条々 彦根市史5p.805
北島多一氏所蔵文書
田川村☆ 浅井郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成十三ヶ条掟書〕浅井郡之内田川村掟条々 彦根市史5p.804
小室文書
落村☆ 浅井郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成九ヶ条掟書〕浅井郡之内落村掟条々 彦根市史5p.808
中川文書
河毛村☆ 浅井郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成九ヶ条掟書〕浅井郡之内河毛村掟条々 彦根市史5p.809
河毛文書
内保村☆ (浅井) 慶長2.11.21 1597 〔石田三成宛行状〕東寺領為堪忍分、浅井郡以内保村之内、加居屋敷、拾石令扶助訖。全寺納不可有相違之条如件。/慶長弐/十一月廿一日/石田治部少輔/三成/誓願寺 東浅井郡志4p.94
誓願時文書
丁野村☆
安養寺村☆
南池村☆
浅井郡 慶長3.8.23 1598 〔石田三成領知宛行状〕【丁野】領知分/一、三百拾弐石五斗八升七合 浅井郡丁野村内‖同 安養寺村内‖同 南池村 彦根市史5p.824
前野文書
ゆすき村
(湯次村)
浅井郡 慶長4.1.26 1599 〔宮部孫兵衛売券〕永代売渡し申候壱識(職)之事/合七畝者 かうしゆ浅井郡湯次之郷之内。‖右件之此壱識者、元者宮部東村孫兵衛せんそさうてんの壱識たり。(と)伊へとも、ゆすき村与右衛門尉ニ売申也。‖慶長四年正月廿六日 宮部東村/孫兵衛(花押)/あつかい人/又三郎(花押) 東浅井郡志4p.172
宮本文書
湯田村 東浅井郡 年未詳.7.1 〔卜真斎信貞書状〕東浅井郡湯田村称名寺/今度筑前守足弱衆之儀、御馳走ニ付而御帰住之事、可為如前々之旨、折紙遣し候‖七月一日 卜真斎/信貞(花押)/尊勝寺/称名寺 長浜町志1p.133
称名寺文書

伊香郡

郷(里)

柏原、安曇、遂佐、楊野、余領、片岡、伊香、大社

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
余領郷 伊香郡 天平20.9.26 748 〔木簡〕【余領】近江国伊香郡余領郷戸主粟田臣船麻呂戸粟田臣牛麻呂庸米・一俵○天平廿年九月廿六日 平城京左京二条二坊十・十一坪 二条条間路北側溝
阿曇郷 伊香郡 8C 〔木簡〕【安曇】阿曇郷戸主伊香連□〔卯ヵ〕人戸白米一俵 平城宮
伊香郷 伊香郡 8C 〔木簡〕【伊香】近江国伊香郡伊香郷〈〉/〈〉/□七十八‖ 平城宮 内裏東方東大溝地区
与胡郷 伊香郡 8C 古老伝曰、近江国伊香郡与胡郷、伊香小江在郷南也。天之八女、倶為白鳥、自天而降。 近江国風土記逸文
岩波『風土記』
宇禰郷
西宇禰郷
(宇根郷)☆
(伊香) 応永28.5.8 1421 〔法橋兼全奉書案〕当庄宇禰郷善道依刃場(刃傷)、西宇禰郷名主百姓等、五院大郎方へ押懸及合戦‖於西宇禰者共ニ者、堅為罪科‖応永廿八年/五月八日 法橋兼全奉/謹上富永庄中司少綱御房 井口日吉神社文書p.58
高月郷☆ (伊香) 応永29.6.24 1422 〔法橋兼全奉書案〕当庄高月郷高時放火人罪科事、任法例、可有其沙汰候。仍地田畠・屋内等、任実正可有注進者也。‖応永廿九年/六月廿四日 法橋兼全奉/謹上富永庄中司少綱御房 井口日吉神社文書p.59
尾山郷☆ (伊香) 応永29.6.24 1422 〔法橋兼全奉書案〕当庄尾山郷孫藤次継母殺害罪科事、懸六親、堅可有其沙汰候‖応永廿九年/六月廿四日 法橋兼全奉/謹上富永庄中司少綱御房 井口日吉神社文書p.59
雨森郷☆ (伊香) 応永29.8.11 1422 〔法橋兼全奉書案〕就雨森郷山木盗人事、差下公人候。任法例可有其沙汰候‖応永廿九年/八月十一日 法橋兼全(宛所を欠く) 井口日吉神社文書p.60
上郷 (伊香) 応永32.10.5 1425 〔山門使節連署状案〕下三郷新井料下知/富永庄妙臨寺井料事、依立近年上郷、抜郡有其煩之間、本井料不足之由依嘆申、本募之外、重壱名方可免許者也。此由可下知之状如件。/応永卅二年十月五日 乗蓮房在判/椙生房在判/金輪院在判(宛所を欠く) 井口日吉神社文書p.68
杦野郷[40]
(杉野郷)☆
(伊香) 永享11.11.5 1439 〔大般若経識語〕永享十一年霜月五日/中庄杦野郷横山大明神御経/同界亀寺住僧円乗正賢/書写了 大般若経調査報告書1p.337
黒田郷☆
石作郷☆
古橋郷☆
(伊香) 長禄-.-.2 1457-1460 〔室町将軍家御教書〕南禅寺徳雲院末寺龍雲寺領近江国黒田・石作両郷領家職、同古橋郷‖段銭以下臨時課役事、早任去年十二月廿六日御判之旨、可為守護使不入地之由、所被仰下也。仍執達如件。/長禄□年□月二日 右京大夫(細川勝元)(花押) 東浅井郡志4p.453
妙心寺文書
馬上郷☆ (伊香) 天文2.2.17 1533 〔垣見政広売券〕永代売渡申下地之事/合壱段者‖右件下地ハ、馬上郷六郎左衛門先祖相伝田地也。雖然依有直要用、能銭拾貫文ニ永代売渡申所実正明白也‖売主馬上郷垣見六郎左衛門尉/天文二年癸巳二月十七日 政広(花押) 東浅井郡志4p.218
竹生島文書
赤尾郷☆ (伊香) 弘治2.11.21 1556 〔浅井久政安堵状〕従百々讃岐方、御地蔵え寄進田壱段、赤尾郷内コフケ、‖徳分参俵事、任証跡之旨、不可有異議候‖弘治弐年/十一月廿一日 久政(花押)/木本/浄信寺/御番衆中 東浅井郡志4p.292
浄信寺文書
西野郷☆
熊野郷☆
(浅井) 永禄11.8.- 1568 〔竹生島納帳〕納帳〈永禄十一戊辰〉歳八月吉日‖阿弥陀堂田‖安養寺郷内西鬼丸文書在之/壱反 三俵代‖作安養寺/深井与兵衛尉方 東浅井郡志4p.552-556
竹生島納帳
木本郷
(木之本郷)☆
伊香郡 天正11.3.- 1583 〔羽柴秀吉禁制状〕江州北郡/禁制 木本郷・同小屋 坂田郡志8p.132
西村文書
石道郷☆ (伊香) 年未詳.2.24 〔浅井亮政書状〕当寺中之事、石道郷之内之処、此方へ不被能音信候。有如何儀候哉。拙者持分儀候‖猶無承引者、可成其覚悟候。恐々謹言。/二月廿四日 浅井備前守/亮政(花押)/飯福寺/年行事 東浅井郡志4p.324
飯福寺文書
野村郷
中郷
(伊香) 年未詳.4.10 〔法橋兼全奉書案〕当庄之内野村郷者、餘呉庄中郷者ヲ殺害候条、言語道断之次第候。仍乗蓮房折帋如此候、於其身者任大法、可有罪科候‖四月十日 法橋兼全奉/謹上富永庄中司少綱御房 井口日吉神社文書p.63
下郷 (伊香) 年未詳.9.3 〔山門使節連署状案〕先日為 上意落居候妙臨寺井水事、今日任御教書之旨、自丁野塞候処候。下郷百姓等出合追払之由、自大覚寺殿訴訟候、‖今度出合候下郷百姓等、於張本人者、可有名字注進候‖九月三日 兼宗/暹春/弁澄 井口日吉神社文書p.61
唐河之郷
(唐川郷)☆
(伊香) 年月日未詳 〔近江井口日吉神社文書紙背文書〕(第廿二丁)就西村方公事、唐河之郷/御百姓之目安如此、可有御/披露候 井口日吉神社文書p.89
大音郷☆ 伊香郡 年月日未詳 〔大般若経識語〕近江国伊香郡大音郷大社大明神御経 大般若経調査報告書1p.353
八幡神社蔵

年月日 西暦 原     文 出  典
菅並村☆ 伊香郡 応安1.8.1 1368 〔願乗寺鐘銘〕近江国伊香郡余呉庄菅並之村岩本寺六所権現鐘也 米原町史資料編p.320
米原町顔乗寺蔵
鷲見村☆ 伊香郡 応永28.6.5 1421 〔大般若経識語〕応永廿八歳辛丑六月五日/為□□禅門追善也/沙門旭岩書了‖伊香郡余呉庄鷲見村御経也 大般若経調査報告書1p.347
西念寺蔵
くろた村
(黒田村)☆
江州北郡
(伊香)
天正11.2.20 1583 〔木下長秀下知状〕当郷夫丸之事、家数九十間之内、四十五人めんきょ仕候。残而四拾五人、明日小(大)原まで可出候。若無沙汰おゐてハせいはい可仕候也。/(天正十一年)二月廿日 小一郎/長秀(花押)/くろた村/名主/百姓中 東浅井郡志4p.132
西村文書
東かしはら村
ゐのくち村
(東柏原村)☆
(井之口村)☆
(浅井) 文禄3.3.6 1594 〔田中吉政下知状〕以上/宮川助作知行分、脇坂右兵衛ニ宛行候間、来田畠損出、速ニ可出候。‖文禄参年/三月六日 吉政(花押)/東かしはら村/ゐのくち村 東浅井郡志4p.186
脇坂文書
東柳野村☆ 伊香郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成十三ヶ条掟書〕伊香郡之内東柳野村掟条 彦根市史5p.805
弓削善一朗氏文書
千田村☆ 伊香郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成十三ヶ条掟書〕伊香郡之内千田村掟条々 彦根市史5p.805
近江伊香郡志
椿井坂村 伊香郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成十三ヶ条掟書〕伊香郡之内つはい(椿井) 彦根市史5p.806
中村不能斎採集文書
大沢村 伊香郡 文禄5.3.1 1596 〔石田三成九ヶ条掟書〕伊香郡之内千田村掟条々 彦根市史5p.811
近江伊香郡志
落川村☆ 伊香郡 慶長2.4.20 1597 〔石田三成麦掟〕当なつより諸国麦年貢田方三分一納可申旨、 御意に付而可納□□(やう)、又おさむましき田畠覚之事‖(石田三成)治部少輔(花押)/伊香郡/落川村百姓中 彦根市史5p.817
滝川文書
坂口村☆ (伊香) 慶長2.11.24 1597 〔石田三成領知宛行状〕各堪忍分、為寺納、加居屋敷物成、坂口村之内於寺廻三拾石令寄附者也。‖石田治部少輔/三成(花押) 彦根市史5p.818
菅山寺文書
野村 (伊香) 年未詳.4.10 〔乗蓮房兼宗書状案〕餘呉庄内中郷山お富永庄野村者盗切候間、出合之処、結句中郷之者お殺害候‖至惣村者老二三人可有罪科候‖四月十日 法橋兼宗(乗蓮房)/富永庄預所殿 井口日吉神社文書p.63
古橋村☆ (伊香) 年未詳.11.26 〔石田正澄判物〕古橋村山手之儀、何かと申由候、曲事之儀候。急度納所可申候、於由(油)断者催促可遣候也‖(石田)木工頭/正澄(花押) 彦根市史5p.845
古橋村高橋家文書

高島郡

郷(里)

神戸、三尾、高島、角野、木津、桑原、川上、大処、鞆結 相可阿布加、有弐宇尓、多気多計、麻続乎宇美、三宅美也計、流田奈加礼多、櫛田久之多

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
葺積郷 高島郡 天平宝字6.5.1 762 〔近江国符案〕国符 愛智、坂田、高嶋郡司/合応輸租米寺封参郷/‖高島郡葺積郷 正倉院文書
彦根市史5p.78
中寸郷 高島郡 8C 〔木簡〕近江国高嶋郡中寸郷戸主額田国足 甲賀郡信楽町宮町遺跡
広野郷 高島 元暦1.9.15 1184 〔近江国注進風土記〕近江国/注進 風土記事/‖広野郷〈高島〉 山槐記同日条
田中郷[41] 高島郡 嘉禎1.7.29 1235 〔吾妻鏡〕‖是近江国高嶋郡田中郷地頭、佐々木次郎左衛門尉高信代官与日吉社人等起闘乱之故也 吾妻鏡同日条
八日市市史5p.65
木津郷☆ 高島北郡 元応1.10.- 1319 〔日吉社々領注進記〕‖一、高島北郡木津郷神田壱町五段、申日御供料所‖右往古重邑神領等社家知行所ニ大概注進如斯‖元応元年十月日/小比叡社/神主従四位下祝部宿禰挙昌‖各在判 志賀町史4p.225
滋賀県史料採集文書
三重生郷☆ (高島) 元弘3.2.15 1333 〔近江三重生郷地頭代行豪田地寄進状〕寄進 太山寺奥院念仏田事/合弐段者〈在三重生郷内十条七里十七坪壱段/同廿四坪壱段〉右、件田地者、斉藤左右衛門尉〈不知実名〉永代一円被寄進‖元弘三年二月十五日 地頭代行豪(花押) 朽木文書1p.79
西万木郷☆ (高島) 建武2.5.22 1335 〔沙弥道観等田地寄進状〕寄進 太山寺奥院念仏田事/合壱段者、/在江州西万木郷内‖建武弐季五月廿二日/沙弥道観(花押)/衛門尉頼俊(花押) 朽木文書1p.79
栃生郷☆ (高島) 応永3.6.26 1396 〔朽木氏綱譲状案〕譲与 嫡子五郎所(朽木能綱)/右所領者、近江国朽木庄・同針畑村并自池顕盛相伝所領等‖次朽木庄内栃生郷者、田中七郎一期之間、可知行之由、契約畢‖応永三年六月廿六日/左衛門尉氏綱在判 朽木文書2p.88
宮野郷☆ (高島) 永享4.3.11 1432 〔田地売券〕売渡私領田地事/合壱段者宮野郷内 滋賀県史5p.170
朽木文書
北郷[42] 高島郡 文安1.9.28 1444 〔旦那願文〕江州高嶋北郷河上庄住人 今津町史4p.559
熊野那智大社文書
朽木郷 高嶋郡 文明2.1.26 1470 〔近江守護六角政堯書下〕近江国高嶋郡朽木郷領家半済并駒口等事、所預置朽木信濃守貞高也者、守先例可有知行状如件/文明弐年正月廿六日 (花押)(六角政堯 朽木文書1p.25
むく郷
(椋郷)☆
(高島) 長享1.11.17 1487 〔安富元家書状〕屋形(細川政元)大橋左右衛門四郎自賀州罷上候処、御領中むく郷(椋)にて荷物被荷取、剰彼者生涯由申候‖(長享元年)十一月十七日 基家(花押)(安富)/朽木殿(歓喜・貞高)/御宿所 朽木文書1p.131
高嶋郷 (高島) 永正14.9.- 1517 〔葛川寺務雑掌三答状案〕朽木郷商人者申合高嶋郷事 葛川明王院史料p.911-3
スヽカセノ里
(鹿ヶ瀬郷)☆
高島郡 永正14.8.- 1517 〔無量寿院雑掌初答状案〕彼山路者、高嶋郡内スヽスカセノ里ニ令往還古路、無其隠者哉 志賀町史4p.265
国会図書館蔵
冑山文庫
ひら之かう
(平良郷)☆
(高島) (享禄4).8.15 1531 〔中村友尚書状〕態以折帋申候、仍はりはたひら之かう(針畑平良郷)代官職之事‖(享禄四年)八月十五日 中村右京助/友尚(花押)/くた(久多)/弥三郎殿 朽木文書1p.109
永田郷☆ 高島郡 天正11.8.1 1583 〔杉原家次知行目録〕宮之郷‖永田郷 今津町史4p.572
浅野家文書
河上郷 高嶋郡 年未詳8.15 〔六角高頼書状〕高嶋郡河上郷内鴨野今新田事、去年永田猿菊申付候処、御違乱之由候、不可然候。‖八月十五日 高頼(花押)/朽木弥五郎殿/進之候 朽木文書1p.209

年月日 西暦 原     文 出  典
治幡村
(針畑)
高島郡 大治2.9.- 1127 〔明法博士中原明兼勘注〕一通 大治二年九月日庁宣〈前司宗兼〉条云、可以治幡村、為朽木庄領事者。/高嶋郡司信濃公静意、為国司後見之間、望知針畑庄、仍所構取。不可為証文。‖長承二年七月十二日大判事兼明法博士安芸権介中原朝臣「明兼」 平安遺文2281
近衛家本知信記天承二年巻裏文書
藤江村☆ (高島) 暦仁1.9.20 1238 〔吾妻鏡〕賀茂別雷社領近江国安曇河御厨内藤江村事 吾妻鏡同日条
杤生村[43]
(栃生)
(高島) 延慶1.2.- 1308 〔朽木荘地頭代弁空二答状案〕‖右子細者、葛河百姓等打入地頭領杤生村内、細河板井瀬殺害及傷、苅田 葛川明王院史料p.874
福郷村[44]
(椋川)
高島郡 暦応4.4.5 1341 〔日吉神社棟札〕奉修造福郷村社棟上事 今津町史4p.557
在郷椋川沿革小言
辻ノ村
(辻村)☆
河登村
桂田村
伊井村☆
桂ノ村
(高島) 正長2.5.- 1429 〔岩剣宮鳥居建立祝之事〕引馬次第事‖辻ノ村 馬一疋 河登村 馬一疋/桂田村 馬一疋 伊井村 馬一疋/桂ノ村 馬一疋 藤本孝一「近江国高島郡河上庄・大江保の史料について」p.96
大江保河上往古中興近代集入雑記
洞谷村
家一村
(高島) 文明2.12.- 1470 〔近江朽木荘林下番雇分日記〕林下番やとい分御日記/合壱貫百十壱文やとい分/洞谷村一村之惣中ヨリ出可申候‖○文明二年十二月ヵ 朽木家文書一p.13
はた(村)
すゝかせ(村)
いくろ(村)
(畑村)☆
(鹿ヶ瀬村)☆
(伊黒村)☆
(高嶋) 文明11.2.24 1479 〔中村左近等連署証文〕就山中境目儀、此方奉憑候上ハ、一ミ(味)の心得をもって、後々末代可致奉公候。‖其ために三ヵ村□(之ヵ)面々一同申入候‖文明十一年二月廿四日/朽木/御殿原中/御百姓中/はた(畑)中村左近(略押)/すゝかせ(鹿ヶ瀬ヵ)正宝(略押)/いくろ(伊黒)九郎左近(略押) 朽木文書二p.76
平箇崎村
(平崎村)
酒波村☆
深清水村☆
大沼村☆
中庄村☆
構村☆
北生見村☆
(高島) 長享3.-.- 1489 〔大江保河上往古中古近代集入雑記〕佐名谷山出入の裁許書/平箇崎村より申すハ‖佐名谷山出入の裁許書/酒波村より申すハ‖深清水村‖大沼村‖中庄村‖伊井村‖をゝせ山 平崎村、構村‖あめ谷□ 北生見村 今津町史4p.563-564
日置神社文書
南谷村 高嶋 年未詳.7.29 〔銀子請取状〕覚/一、油五升 代四拾弐匁五分‖右之代銀慥ニ請取相済申候。/高嶋南谷村/七月廿九日 油屋長左衛門 葛川明王院史料p.587

所属不明

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
祝郷[45]
音高郷
未詳 元暦1.9.15 1184 〔近江国注進風土記〕近江国/注進 風土記事/‖万世浜‖祝郷‖音高郷 山槐記同日条

  1. このほか古代の「古市郷」は、最澄得度の記録が残る。宝亀11年(780)11月10日近江国牒「応得度壱人/三津首広野年拾五、滋賀郡古市郷戸主正八位下三津首淨足戸口」(滋賀県史5p.18、来迎院文書)のほか、延暦2年(783)正月20日、延暦4年(785)4月6日の国牒がある
  2. 左中弁兼摂津守小野野主の解状に、「猨女之興、国史詳乎。其後不絶今猶見在。又猨女養田、在近江国和迩村、山城国小野郷。今小野臣・和迩部臣等、既非其氏、被供猨女。熟捜事緒、上件両氏、貪人利田、不顧恥辱(中略)積日経年、恐旧貫」との訴えがあり、両氏の猨女養田への介入を禁止している。
  3. 永正2年(1505)「江州栗太郡物部郷蜂屋宇和宮上棟」(宇和宮神社本殿棟札写)の記録がある。
  4. 祈年祭勅使一行が、栗太郡の貫首や治田郷の専当のところに宿泊している。
  5. 同文書中に「北河井口数郷」あり。
  6. 明応2年(1493)9月25日書写となっているが、芝野ほか「大宝神社文書」の考証(p.89)により、「嘉吉元年」を採っておく。
  7. 「甲賀郡掠部郡(蔵部郷ヵ)栗村」1191年あり。
  8. 柏木郷は、源義光の所領で、永久元年(1113)5月11日に両郷を関白藤原忠実家に本家職を寄進して摂関家の牧とし、これを長男覚義に譲った時の文書である。義光は頼義三男で、新羅三郎と号し、園城寺と縁が深かった。「柏木本郷」とも。
  9. 『夫木和歌抄』ふぼくわかしょう。鎌倉後期の私撰和歌集。36巻。藤原長清撰。延慶3年(1310)頃成立。
  10. 郡志に「多少疑ふべき点がるから確実な史料としては元和迄降らねばならぬ」とあるが、姑くここに置く。
  11. 必佐郷、弘安6年(1283)2月13日〔名田等譲状〕【必佐】「∥在近江国蒲生上郡 迫名田参町壱段/并必佐郷内散在坪々」(鎌倉遺文14790、出雲蒲生文書、№310)として重出する。
  12. 小脇郷地頭佐々木備中入道崇西(頼綱)が柿御園ならびに当郷灌漑のために愛知川に堰を設け「新井」を立てて取水したことが発端となり、対岸の愛知郡鯰江庄と激しい争論となった。大きな水濠を有した小脇館の造営と新井の築造は、ともに勧農の意味を有したといえよう(『滋賀県の地名』参照)。
  13. 滋賀県史5、p.318には「瓜籠村(宇津呂)」とある。
  14. 久留島典子「橋本左右神社文書中の村入り相論関係史料」(研究代表者・榎原雅治『一九九八~二〇〇〇年度研究費補助金研究成果報告書 中世村落史料の史料科学的研究』2000年)の翻案と年次推定による。『蒲生郡志 6』p.359に「天文22.4.9」付けの同社文書あり。
  15. 郷内に「熊原村」あり。
  16. 5郷64人が郷ごとに連署した起請文である。
  17. 他に平城京木簡あり。
  18. 他に「柿御園神田郷」あり。
  19. 「大国藪郷」天暦4(950)11.20(平安遺文257)あり。
  20. 安孫子郷、我孫子郷、あひこの郷表記あり。
  21. 岸下郷とも。
  22. 覇流郷とも。
  23. 平流村とも。
  24. 覇流村は、犬上・愛知両郡の郡境地帯にあったとされている(『滋賀県の地名』p.65)
  25. 大国郷内にあった。
  26. 坂田郡上坂郷・高嶋郡葺積郷・愛知郡蚊野郷分の東大寺封租米につき、一郷分は造石山寺所に留め、他は東大寺へ直送するよう命じており、租米輸送方法が具体的に述べられていて興味深い。平城京木簡あり。
  27. 平城京木簡あり。
  28. 平城京木簡あり。
  29. 祇園感神院日別御供料便補保立保の経緯が分かる。
  30. 郷内に「長沢村」あり。
  31. 「筑摩村」。
  32. 「牛養村」とも(『大原観音寺文書』p.170)。
  33. 『長浜町志』1(本編上、p.18)では「列見村」に作る。
  34. 『滋賀県の歴史』(平凡社)は、「享禄五年」とする。
  35. 重出10件。
  36. 後鳥羽天皇乳母、藤原兼子(1155-1229)の位署をもつ前欠文書が、『三長記』に引かれている。同申状によれば、伊部郷とともに後白河院庁下文を受けて実任が領知してきたが、同院没後の判決の遅れを嫌って調度文書とともに兼子に譲られており、兼子がその安堵を求めている。
  37. 『釈家官班記』(『群書類従』24)「大僧正 良源」項に、「近江国浅井郡大井郷人」と見える。
  38. 六波羅探題裁許状によれば、山内大炊左衛門太郎通勝代源真が竹生島の僧と、「郷内早崎村」の田地をめぐって相論を展開した。
  39. 「須村」とも。
  40. 同文書に椙野郷とも。
  41. 当時の地頭は佐々木高信(近江守護佐々木信綱の子)であった。同年六月、高信は勢多橋行事として当郷の坂本日吉社新神人に所役を課したが、これを拒否されたため地頭代と日吉社宮仕法師との間に喧嘩が起き、宮仕が殺傷される事件に発展、高信らは流罪となっている。
  42. このころ熊野信仰が広がっており、「江州高嶋北郷川上庄住人」11名の名が見える。
  43. 朽木庄地頭朽木義綱と葛川明王院との境相論で、葛川百姓が「朽木庄栃生村内細河板井瀬」に乱入し、栃生村民に乱暴を働き、殺害したとある。両者の堺相論を示す初見史料である。
  44. 福郷村は椋川村のことを祝意を籠めてこういったものといわれる(今津町史解説)。
  45. 神崎郡神主郷(和名抄)に比定する考えもある(『滋賀県の地名』)