美作国

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作成者:吉永隆記

郷村名郡別世紀別初出表

郷村

世紀
郷(里)
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 未詳 合計 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 未詳 合計
合計 1 20 1 3 13 5 3 2 48 1 1 9 21 42 114 188
勝田郡 1 11 1 2 2 1 18 1 6 13 24 44
英多郡 4 1 1 1 1 8 7 7 4 4 22
苫田郡 3 5 2 1 11 1 2 4 7
久米郡 1 4 1 6 5 5 6 16
真島郡 1 1 1 3 8 38 46
大庭郡 1 1 2 2 1 1 1 5
所属未詳 11 37 48


概要

概要

 美作国は、和銅六年(713)に備前国北部の英多郡・勝田郡・苫田郡・久米郡・大庭郡・真島郡の六郡を割いて成立した。この分国の背景としては、地形的特質と砂鉄の産出がしばしば指摘されている。
 荘園分布の特徴としては、東部に多く分布し、西部は少ないという特徴がある。地形的特徴から見ると、西部(山間+盆地)においては比較的規模の大きな荘園が少ないながらも成立し、東部(丘陵+盆地)においては丘陵間を流れる河川沿いに多くの荘園が成立している。主な荘園としては英多保、江見庄、林野保、河会郷、粟倉庄、勝田庄、塩湯郷、布施郷、弓削庄、垪和庄、高田庄、久世保などがある。
 また、郡の変遷が多いことも特徴であり、近世に英多郡から分立した吉野郡や、明治に乱立した東南条郡や久米南条郡などがある。それらの郡は明治三十三年(1900)に合併し、凡そもとの郡域に戻ったとされるが、中世までの郡域は不詳な点も多い。
 鎌倉期以来、足利氏の所領が多く存在し、室町期の守護は山名・赤松氏間で変遷した。戦国期には周辺勢力の侵出が続き、最終的に宇喜多氏領国となるも、関ヶ原合戦後にも小早川氏、森氏などと藩主が変遷した。

参考文献


典拠史料

『岡山県史』第19巻編年史料(1988)
『岡山県史』第20巻家わけ史料(1985)
『美作町史』資料編Ⅰ(2007)
『大原町史』史料編・中(2008)
『岡山県古文書集』第1~4巻(1953~1981)

凡例

〔原文・出典欄〕
美作町…『美作町史』資料編Ⅰ
大原町…『大原町史』史料編・中
県史…『岡山県史』第19巻編年史料
県史(家)…『岡山県史』第20巻家わけ史料
岡古1~4…『岡山県古文書集』(数字は巻数)

郷村表

勝田郡[1]

郷(里)

勝田、飯岡、塩湯、殖月、香美[2]、吉野、廣岡、廣野、豊国、新野、賀茂、河邊、鷹取、和気

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
荒木田里 勝間田郡 7~8C 〔藤原宮跡出土木簡〕備前国勝間田郡荒木田里/五□□□マ□□□俵五斗 美作町p.385
飛鳥藤原宮跡発掘調査出土木簡概報5
塩湯郷☆[3] 勝田郡 8C 〔平城宮跡出土木簡〕【塩湯】美作国勝田郡塩湯郷米五斗 美作町p.395
平城宮木簡2
殖月郷☆[4] (勝田) 8C 〔平城宮跡出土木簡〕【殖月】□□郡殖月郷白米五斗 美作町p.395
平城宮発掘調査出土木簡概報32
広□郷[5] 勝田郡 8C 〔平城宮跡出土木簡〕【廣岡or廣野】美作国勝田郡広□郷米五斗/□米子虫 美作町p.395
平城宮発掘調査出土木簡概報19
豊国郷 勝田郡 8C 〔平城宮跡出土木簡〕【豊国】美作国勝田郡豊国郷中男茜 美作町p.395
平城宮木簡3
新野郷☆ 勝田郡 8C 〔平城京跡出土木簡〕【新野】美作国勝田郡/新野郷庸米六斗 美作町p.396
平城宮木簡6
広野(郷) 勝田郡 8C 〔平城宮跡出土木簡〕【廣野】美作国勝田郡広野□□ 美作町p.396
平城宮発掘調査出土木簡概報12
川辺郷☆ 勝田郡 8C 〔平城京跡出土木簡〕【河邊】美作国勝田郡川辺郷庸米六斗 美作町p.396
平城宮木簡6
和気郷 勝田郡 8C 〔平城宮跡出土木簡〕【和気】美作国勝田郡和気郷輪調鉄壹連 美作町p.396
平城宮発掘調査出土木簡概報12
香美郷 (勝田) 8C 〔長岡京跡出土木簡〕【香美】美作国勝田□香美郷白米五斗/□否主 美作町p.397
長岡京木簡2
加茂郷 勝田郡 8C 〔長岡京跡出土木簡〕【賀茂】美作国勝田郡加茂郷 □米五斗 美作町p.397
長岡京木簡2
鷹取郷 勝田郡 8C 〔長岡京跡出土木簡〕【鷹取】美作国勝田郡鷹取郷白米五斗 美作町p.397
長岡京木簡2
飯□(岡)郷☆[6] (勝田) 文治6.4.- 1190 〔主殿寮年預伴守方解〕【飯岡】主殿寮‖美作 年別油四石五斗一升 大粮米百四十七石/本保者、字飯□郷也‖以字宇野村等改立之間、見作僅六町余也 県史p.440
壬生家文書
藤田里☆ 富田庄
(勝田)
嘉禎4.-.- 1238 〔真如堂縁起〕関東執権〈平泰時〉奉敬信如来、殊更静真法印被帰依云々、依之美作国富田庄之内藤田里地頭職寄付之畢 県史p.505
真如堂縁起
勝賀茂郷☆ (勝田) 永仁4.12.30 1296 〔関東下知状〕【賀茂】可早為東福寺領淡路国都志郷地頭職〈□□□六郎跡〉幷美作国勝賀茂郷地頭職〈白戸三郎次郎重泰幷観音丸分領〉、 県史p.584
九条家文書6
弘野郷
(広野郷)
高野郷
富多庄
(勝田)
嘉元4.6.12 1306 〔昭慶門院御領目録〕御領目録‖一、大宮院御領/富多庄〈河辺郷 前左兵衛督親氏卿 御年貢二万疋/弘野・高野郷五辻二位宗氏卿 御年貢〉 県史p.653
竹内文平氏所蔵文書
勝間田郷☆ (勝田) 16C 〔小林秀長書下写〕【勝田】勝間田郷其寺旦那之儀、明光院ニ違背之趣被申如件、 美作町p.579
美作古簡集註解

年月日 西暦 原     文 出  典
塩田村 勝田郡 天平神護2.5.- 766 〔続日本紀〕又美作国守従五位上巨勢朝臣浄成等解称、勝田郡塩田村百姓、遠闊治郡、側近他界 美作町p.391
続日本紀
真壁村☆[7] 小吉野庄
(勝田)
貞和3.8.15 1347 〔下生寄進状〕奉寄 正続院/美作国小吉野庄真壁村領家得分内拾貫文事 美作町p.553
円覚寺文書
上村
下村
塩湯郷
(勝田)
(観応1).11.17.- 1350 〔山名義理挙状写〕後藤下野守申、美作国塩湯郷壱分地頭職・同郷上下村公文職半分・同国賀茂大夫跡成岡名等地頭職御施行事 県史p.764
赤堀家文書
中津村[8] (勝田) 永徳3.3.2 1383 〔肥塚範重檀那譲状〕にい野 中田殿さくらそうり、中津村ひつさか、 九日は長滝、 美作町p.553
肥塚文書
上村
下村
勝賀茂郷
(勝田)
延文2.5.14 1357 〔美作国守護代請文〕(端裏書)「美作国守護代請文」東福寺雑掌真雅申美作国勝賀茂郷上下村事、任仰下之旨、莅彼所、欲沙汰付寺家雑掌於下地候処、広戸左近将監并高山彦次郎等、不入立使節候之間、不能遵行候、 県史p.781
東福寺文書2
東村 吉野保
(勝田)
長禄2.9.3 1458 〔室町幕府奉行人連署奉書〕一 北野社領美作国林野保並吉野保東村等事、早合力社家代官、可被沙汰居候、 美作町p.555
北野神社文書条々引付二
といくに村[9]
(豊国村)
二位之村☆[10]
(新野村)
あらせき村[11]
北野村☆[12]
(勝田) 文明14.8.10 1482 〔広峰社檀那村書注文〕【新野】檀那村書注文/一、美作国之内‖といくに村和田の衛門、わした殿、‖又二位之村二位殿、神田之新右衛門殿、大西殿、‖といたの庄‖同東のあらせき村といた殿、‖ゑとき村、玉蔵坊一ゑん之知行なり、宿は森安の兵衛、北野村之内有なかの形部、くわのゝ村一ゑん、宿は兵衛殿‖惣して是ハ大方の注文也、村々にて懇ニ可尋也、以此旨、可為知行者也、 県史p.1053
肥塚家文書
位田村☆ 塩湯郷
(勝田)
延徳3.8.24 1491 〔蔭凉軒日録〕廿四日‖松泉軒末菴美作国塩湯郷位田村内喜田菴看坊職事依有由緒、任于集盛副寺者也 美作町p.503
蔭凉軒日録
にした村
岸原村
わた村☆
(和田村)
ひさつね村☆
(久常村)
まちかわ村☆
(町川村) [13]
せきもと村☆[14]
(関本村)
かき村☆[15]
(柿村)
(勝田) 15C 〔広峰社檀那村書〕みまさかのくにたんなの事/とよくに村之内 にした村‖同とよ国の内 岸原村 宿ハ きしはらのゑもん‖同とよ国之内 わた村 宿ハ 四郎ゑもん‖きやうほう村 宿ハ とよたけんひやうへ殿/せきもと村 宿ハ 九郎ゑもん/ゑとき村 宿ハ 定ふつ、同しんさう坊/かき村 宿ハ すけミつ/ひさつね村 宿ハ七郎左衛門尉〈同くニの五郎ひやうへはなれ家にて候間/書也〉/ひろをか村 宿ハふくもと しんゑもん/ひさな村 宿ハ九郎ゑもん 同むまとの/まちかわ村 宿ハ まちかわの七郎ゑもんとの/くきや村 宿ハ 三郎ひやうへ/三たんた村 宿ハ 太郎左衛門/六郎ひやうへ‖かゝミ村之内 とうたう村ノひこゑもん/にいの村之内 同にいのへいさへもんとの/ゆふし村之内 はくに新/かちや/同ゆふし村之内 はゝかしらの太郎ゑもん/さくらい村 宿ハ 太郎ひやうへ/ほつさか村之内 こうけのゑもん/きたのかも村 宿ハ 三郎ゑもん/ふなや/ひろミね たわのほう 美作町p.524
肥塚家文書
藤田村☆ (勝田) 永正12.12.- 1515 〔真如堂領諸国所々目録〕一、美作国〈藤田村地頭職幷富田庄之内弘野利国名・新宮・西山・栗尾・算々告田 県史p.1109
真正極楽寺文書
かうゑん村☆[16]
(高円村)
さわ村☆
(沢村)
くこ村
いけい村
ひろすミ村
ひろおか村☆
(広岡村)
久なか村
まるを村
(円尾村)
大いわ村
いま石村
かうり村[17]
四段田村
大うゑの村
西はの村
田中村
中田村
はら村☆
(原村)
さかのうへ村
くさ村[18]
(勝田) 天文14.2.- 1545 〔広峰社檀那村付帳〕東みまさかノ内村つけ/一、尾原ノ内‖一、東ミまさかの国内豊国/せきもと九郎ゑもんやと/有本備前守殿‖〈かうゑん村〉八郎ゑもん、〈かうゑん村〉助三郎、〈同所〉二郎大夫内‖一、同さわ村一ゑんやと/〈もり安〉二郎兵衛‖一、とよたの内かきのいちは/一ゑん 太郎左衛門/助ミつ 孫四郎/二郎四郎 〈くこ村〉 五郎ひやうへ/〈くこ村〉太郎左衛門‖一、とよたノ内いけい村一ゑん/一、同ひろすミ村/一、同とよたひろおか村/一ゑん福本新左衛門やと/一、とよたノ内久なか村一ゑん/やと九郎ひやうへ‖一、ひろとの内くさ村一ゑん/さかもと別当坊 〈まるを村〉孫九郎/〈大いわ村〉八郎左衛門 〈大いわ村〉三郎兵衛‖いま石村 二郎ゑもん‖一、にいの内かうり村一ゑん/をふさ殿/五郎ゑもん‖〈ひろと四段田村〉孫七 〈四段田〉弥五郎/〈大うゑの村〉七郎二郎 〈大うゑの村〉左衛門二郎/〈同所〉ひこ二郎 〈西はの村〉六郎兵衛/〈西はの村〉左衛門二郎‖一、にいのゝ内田中村/〈これハにいのとさ殿下地付而〉ミなミ神三郎殿/同孫六殿/一、しやうのかもノ内 〈はら村〉二郎衛門/中西与三左衛門 同孫九郎殿/これハひろと衆いまかもニ/一、しやうのかもノ内さかのうへ村/とき殿 五郎左衛門殿‖一、にいのノ内同中田村一ゑん/中田孫二郎殿 同弥二郎殿‖此ふんミ候て/しんたい/候へく候 県史p.1148
肥塚家文書
小原かし村 (勝田) 永禄9.3.- 1566 〔川副久盛給知宛行状写〕小吉野之内小原かし村いちゑんにかうりよくとして遣候条、 美作町p.560
美作古簡集註解
美野村☆ 小吉野庄
(勝田)
永禄9.11.16 1566 〔川副久方給知宛行状写〕小吉野庄美野村之内十郎兵衛分五段公事、為給地差計候、弥忠勤肝心候者也、 美作町p.561
美作古簡集註解
上村
中村
小吉野庄
(勝田)
永禄12.7.22 1569 〔江見久秀書状〕小吉野之上村之内荒内、中村之内友金名弾免、 美作町p.561
江見文書

英多郡

郷(里)

英多、閻武、吉野、大野、讃甘、大原、粟井、廣井、楢原、林野、巨勢、川会

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
大野里 英多郡 8C 〔平城京跡出土木簡〕【大野】美作国英多郡大野里鉄一連 美作町p.393
平城京木簡1
英多郷 英多郡 8C 〔平城宮跡出土木簡〕【英多】美作国英多郡英多郷『白米/五斗』、 美作町p.394
木簡研究22
吉野郷 英田郡 8C 〔平城京跡出土木簡〕【吉野】英多郡吉野郷黒葛十斤 美作町p.394
平城宮木簡1
粟井郷 英多郡 8C 〔長岡京跡出土木簡〕【粟井】英多郡粟井郷五斗/ 九年 美作町p.396
長岡京木簡2
川会郷 (英多) 嘉祥3.8.丙辰 850 〔文徳実録〕【川会】公卿抗表曰‖所管英多郡大領外従八位上財田祖麻呂、於郡下川会郷英多河石上、獲白亀一枚 県史p.180
日本文徳天皇実録
(河会)本郷 河会郷
(英多)
正応1.10.- 1288 〔渋谷明重後家尼寿阿置文〕平四郎入道之あとのそりやう御公事等はいふんおき文の事/一 河会郷内本郷中村・上山下村/公田四丁八段大十九歩内 県史p.571
岡元家文書
東大野郷 (大野庄)
(英多)
延文5.3.14 1360 〔足利義詮袖判下文〕【大野】下 赤松筑前守貞範法師‖同国東大野郷西方□□外記跡 大原町p.97
富田仙助氏所蔵文書
楢原郷☆[19] (楢原庄)
(英多)
正長1.2.26 1428 〔西山四郎五郎間山さ不譲状写〕【楢原】限永代譲渡作州間山さ不之事、‖一々楢原郷 美作町p.480
美作古簡集註解

年月日 西暦 原     文 出  典
十町村 河会郷
(英多)
寛元4.3.29 1246 〔渋谷定心譲状案〕(端裏書)「ちやうしんよりのゆつり状あとの御下知」‖一所美作国河会郷十町村河北/堺〈東限自練金山右河流 南限河流/西限白箸峰中安大石瀬 北限江見堺〉 県史p.517
入来院家文書
大足村 河会郷
(英多)
文永4.6.16 1268 〔関東下知状写〕可令早釈童丸領知美作国河会郷内大足村并東木屋事、 美作町p.535
入来院家文書
十丁のきたのむら
(十町北村)
かわへのかう
(英多)
建治3.9.13 1277 〔渋谷定心譲状案〕ゆつりわたすまこたけつるかところに‖一 ミまさかのくにかわへのかうのうち、十丁のきたのむらさかい、ほんゆつりしやうにミへたり 県史p.546
入来院家文書
中村☆
上山下村
河会郷
(英多)
正応1.10.- 1288 〔渋谷明重後家尼寿阿置文案〕平四郎入道之あとのそうりやう御公事等はいふんおき文の事/一 河会郷内本郷中村・上山下村/公田四丁八段大十九歩内 県史p.571
岡元家文書
下村[20] 河会郷
(英多)
正応4.8.28 1291 〔関東裁許状案〕美作国河会郷内下村半分 美作町p.540
岡元家文書
世戸村☆
(瀬戸村)
江見庄
(英多)
永仁3.4.22 1295 〔記録所注進状〕記録所/注進兼淳宿祢与実種朝臣相論粟田宮領美作国江見庄内世戸村事 大原町p.142
壬生家文書
はしたに村[21]
(土師谷村)
かめいし村
(亀石村)
(英多) 元応2.12.20 1320 〔渋谷重世譲状案〕一所 みまさかの国かわへ十丁南内かめいし・はしたにの村、しゝさかひ、本せうもんにみえて候、 美作町p.541
岡元家文書
十町南村 河会庄
(英多)
建武1.6.3 1334 〔雑訴決断所牒〕美作国河会庄十町南村内土志谷村田畠在家 美作町p.543
岡元家文書
平野村☆ 林野保
(英多)
建武1.10.8 1334 〔雑訴決断所牒〕雑訴決断所牒 平氏女〈字寅三 所〉/美作国平野村内色田壱町事 美作町p.476
岡元家文書
下森上山村☆[22] 河会郷
(英多)
貞和2.11.26 1346 〔渋谷定円重基譲状案〕一所 美作国河会郷内下森上山村 美作町p.544
入来院家文書
吉田村☆ 粟倉庄
(英多)
貞治1.2.15 1362 〔大原保日吉山王宮梵鐘銘〕作州大原保‖別当粟倉庄吉田村実妙禅寺/願主藤原平尾五郎左衛門親家 大原町p.59
岡山県金石史
新免村 粟井庄
(英多)
明徳4.7.20 1393 〔赤松義則寄進状〕寄進 神戸一宮社/ 美作国粟井庄内新免村地頭・公文職〈新免兵庫助跡〉事 大原町p.133
伊和神社文書
東村 吉野保
(英多)
長禄2.9.3 1458 〔室町幕府奉行人連署奉書案〕北野社領美作国林野保並吉野保東村等事、 美作町p.482
北野神社文書
金谷村[23]
吉野村
くわのゝ村☆[24]
(桑野村)
(東大野)
(英多)
文明14.8.10 1483 〔檀那村書注文〕一 美作国之内/檀那村書注文/一、美作国之内‖ゑとき村、玉蔵坊一ゑん之知行なり、宿は森安の兵衛、北野村之内有なかの形部、くわのゝ村一ゑん、宿は兵衛殿‖東大野之内金谷村一ゑんなり‖下者吉野村まろたの三郎右衛門‖惣して是ハ大方の注文也、村々にて懇ニ可尋也、以此旨、可為知行者也、 大原町p.83
肥塚家文書
ひらを村[25]
おさき村☆[26]
(尾崎村)
はう原村☆
(大原村)
(英多) 天文14.2.- 1545 〔檀那村付帳〕東みまさかノ内村つけ/一、尾原ノ内‖形部やと おはら ひらを村/やと‖一、はう原村一ゑん/‖此ふんミ候て/しんたい/候へく候 大原町p.93
肥塚家文書
大河内村 江見庄
(英多)
永禄12.7.20 1569 〔江見久秀書状〕小吉野庄之上村之内荒内‖江見庄之内大河内村今宮猪助分、 大原町p.152
江見文書

苫田郡

郷(里)

苫田、高野、綾部、美和、賀和、賀茂、林国、高倉、田中、田邊、田邑、布原、能雞、大野、香美

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
林田郷☆[27] 苫田郡 8C 〔平城宮跡出土木簡〕苫田郡林田郷□大豆五斗 進上 県史p.59
平城宮出土木簡概報15
布原郷 (苫田) 8C 〔平城宮跡出土木簡〕【布原】布原郷□□□…/□□郷□□□… 県史p.60
平城宮出土木簡概報16
田中郷☆[28] 苫田郡 8C 〔平城宮跡出土木簡〕【田中】美作国苫田郡田中郷庸米五斗 県史p.1287
平城宮跡出土木簡概報19
綾部郷☆
高野郷☆[29]
苫田郷
大佐々郷
高倉郷
(苫田) 文暦2.9.9 1235 〔官宣旨写幷左大史某外題写〕【綾部】【高野】【苫田】【高倉】左弁官下美作国‖当国東北条内高倉庄事、四至 東限綾部郷、南限高野郷、西限苫田郷、北限大佐々郷‖仍以件高倉郷、宛彼庄替 県史p.502
美作古簡集註解
東大野郷 (苫田) 延文5.3.14 1360 〔足利義詮袖判下文〕【大野】可令早□□□地頭職<完戸一族等跡>・同国委文庄公文職〈委文安房守〉・同国東大野郷西方〈□□外記跡〉 県史p.782
富田仙助氏所蔵文書
神戸郷☆ (苫田) 応安6.12.22 1373 〔室町幕府管領施行状〕□作国神戸郷内次男分〈岩原彦太郎跡〉・□香美庄内久保田〈竹鼻跡〉等地頭職□ 県史p.801
辻文書
薪郷☆[30] (苫田) 天正9.9.10 1581 〔斎藤近實感状〕今度者於飯坂、牧弥太郎被討捕、御粉骨無比類候、就其、野介庄内鳥取久兵衛分、幷薪郷内井上三郎左衛門分、久田村之内恒友名之儀、令合力候、弥々御忠儀可為肝要候、 岡古③p.295
立石家文書

年月日 西暦 原     文 出  典
宇野村 (苫田) 文治6.4.- 1190 〔主殿寮年預伴守方解〕主殿寮‖美作 年別油四石五斗一升 大粮米百四十七石/本保者、字飯□郷也‖以字宇野村等改立之間、見作僅六町余也 県史p.440
壬生家文書
三輪村 神戸郷
(苫田)
永徳3.4.27 1383 〔高野大明神社殿造替棟札〕上棟第日本国作州/神戸郷三輪村二宮高野大明神御社/造立事 永徳三年〈癸亥〉所奉造替也 岡古④p.296
高野神社文書
富田押入村☆[31] 高野郷
(苫田)
明徳5.3.18 1394 〔美作国守護預ヶ状〕美作国高野郷内富田押入村・同綾小路分事、為給分、所預置也 県史p.839
小河文書
くほた村☆[32]
(公保田村)
(苫田) 天文14.2.- 1545 〔広峰社檀那村付帳〕東みまさかノ内村つけ/一、尾原ノ内‖一、こんかう寺村一ゑん/しやうき坊 ミやけ此外名々/六郎右衛門殿/一、くほた村一ゑん/二郎ひやうへ 小二郎/中田孫六殿 はなしや/なかかいち/六郎兵衛/一、さかた村一ゑん/ミつさね三郎ゑもん/こはやし 五郎‖此ふんミ候て/しんたい/候へく候 県史p.1148
肥塚家文書
たかやま村☆[33]
(高山村)
(苫田) 元亀4.-.- 1573 〔広峰社檀那村付(後欠)〕ミまさか之内村付/一、かうこう村‖一、たかやま村/一、れうそく村 一、しひまかり村 一、たくち村/一、はこがさこ村 一、ひらふ村 一、たかのす村‖一、ひのうへ 一、ほり村 一、いしわら村/一、かう村/山本坊 一、ほうはら 一、あらた村/一、おさかへ/ひつちうの内ちすのこうり(後欠) 県史p.1191
肥塚家文書
久田村☆[34] (苫田) 天正9.9.10 1581 〔斎藤近實感状〕今度者於飯坂、牧弥太郎被討捕、御粉骨無比類候、就其、野介庄内鳥取久兵衛分、幷薪郷内井上三郎左衛門分、久田村之内恒友名之儀、令合力候、弥々御忠儀可為肝要候、 岡古3p.295
立石家文書
高野村☆[35] (苫田) 天正10.3.- 1582 〔羽柴秀吉禁制写〕禁制 作州内高野村/牧佐介/一、軍勢乱妨狼藉之事、/一、放火之事、/一、苅取田畠事、付、対地下人不謂族申懸事、 岡古③p.298
牧家文書

久米郡

郷(里)

大井、倭文、錦織、長岡、賀美、弓削、久米

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
委文郷 久米郡 天平勝宝9.4.7 757 〔西南角領解〕【倭文】家部乙万呂〈年廿八/美作国久米郡委文郷戸主家部年足戸口 県史p.75
正倉院文書
大井郷 久米庄
(久米)
建仁1.7.26 1201 〔三長記〕【大井】同堂領美作国久米庄司与国司相論大井郷事、仰於院庁可問注之由、可仰資兼 県史p.463
三長記
またまのかう
(全間郷)
ゆけ□庄
(久米)
天福2.2.28 1234 〔三条局置文〕ゆけ□庄のうち、またまのかうと申さふらうところ□□□しによせまいらせ候はゝやと、思□候也 県史p.501
久我家文書
垪和西郷☆[36] (久米) 建長6.11.17 1254 〔将軍家政所下文〕将軍家政所下 美作国垪和西郷住人/可令早密厳院阿闍梨覚玄為地頭職事、 県史p.526
徴古館文書
垪和東郷☆ (久米) 13C? 〔足利氏所領奉行人交名〕御領奉行事/足利庄、賀美郡、田井庄、讃甘庄、広沢郷、垪和東郷、垪和西郷、大佐貫郷、 県史p.578
倉持文書
原田郷☆ (久米) 長享2.8.20 1488 〔蔭凉軒日録〕午時就作州原田郷代官職事、法華寺殿雑掌折紙二通、 県史p.1071
蔭凉軒日録

年月日 西暦 原     文 出  典
籾村☆[37] (久米) 正安4.3.- 1302 〔美作国志呂宮御祭頭文次第写〕志呂宮御祭頭文次第/一番春/助貞一頭/元松一頭‖一 籾村分/一番春/末吉一頭 県史p.635
志呂神社文書
上村
下村
打穴庄
(久米)
建武5.1.16 1338 〔足利尊氏下文写〕下 小早河出雲権守宗景/可令早領知美作国打穴庄内上下村・安芸国梨子羽郷半分地頭職事、 県史p.719
小早川家文書
河口村☆ 弓削庄
(久米)
正平7.3.3 1352 〔左衛門尉正道下知状〕弓削庄河口村菊元名内畠壱段事、任御寄進状、為訪命阿菩提、為毎年如法経料足、永代可有領知状如件、 岡古1p.97
豊楽寺文書
錦織村☆ (久米) 永和2.10.17 1376 〔大般若波羅密多経刊記〕大般若波羅密多経巻第四百九十九/伏願開此巻、功勲回向、無上菩提、‖南瞻部州大日本国作州錦織村/光禅庵住持比丘至脱、 県史(家)p.62
岡山県立博物館所蔵文書
肥尾村☆[38] 長岡庄
(久米)
応永21.7.- 1414 〔洞院家雑掌言上状〕御家領美作国長岡庄守護半済押妨事‖当庄内日吉免・春日免・肥尾村・押領家分等 県史p.891
政部類記裏文書
立野村 弓削庄
(久米)
応永29.8.- 1422 〔左衛門尉某・右衛門尉某連署寄進状〕奉寄進/弓削庄豊楽寺田之事/合五段者 〈在所立野村福富名内也、斗代四斗代、坪付別紙在之〉/右為意趣者本堂定燈、被当寺寄符者也、早被全知行旨所被仰出也、 岡古1p.100
豊楽寺文書
全間村☆ 弓削庄
(久米)
(文安1).6.9.- 1444 〔氏未詳宗親書状〕作州弓削庄内御寺領立野・全間両村之事、為代官諸公事、 県史p.961
岡本文書
神目村☆[39] (久米) 文明13.7.10 1481 〔沼元兼家・同治為連署寄進状〕奉寄進/豊楽寺如法経田瓦之事、/合壱段者〈但神目村時延名内、坪者ヤウチカサコ、斗代者五斗、但升拾一合定也、中田〉 岡古1p.104
豊楽寺文書
藤原村☆ 長岡庄
(久米)
15C 〔北野社々領目録写〕『義尚公袖判/カリ本紙之内』/北野社領諸国所々目録‖一、美作国長岡庄藤原村五名 美作町p.483
北野社々領目録写
一色村☆[40]
上村
下村
久米庄
大井庄
(久米)
永正18.4.15 1521 〔江原佐次寺領支證施入状写〕美作国大井庄夢中山幻住庵へ支證等事、/合永正拾八年〈辛巳〉四月十五日撰之、‖一、久米庄上下村之内勘落分/支証数弐拾壱通在之/一、大井庄南方内一色村支證寄進状/数拾七通在之、 岡古④p.278
幻住寺文書
油木村☆ 倭文庄
(久米)
大永5.7.13 1525 〔丹治久清田地寄進状写〕寄進申倭文庄〈領家方油木村〉安任名田地之事、/合壱段者形部分半名内/在所坪田之本、 岡古④p.280
幻住寺文書
神代村☆ 倭文庄
(久米)
天文13.9.24 1544 〔村上久盛田地寄進状写〕倭文庄領家神代村与野正分之内田弐段、令祈進者也、為後日如件、 岡古4p.281
幻住寺文書
公文村☆[41] (久米) 文禄3.2.9 1594 〔江原親次田畠寄進状写〕寄附/御寺中之儀者、永禄九年以来令断絶候之処、当住存説和尚、天正十九年十月廿四日有登山、‖当庄公文村守里・是貞名之内拾貫前、為六親菩提、令新寄進候訖、 岡古4p.281
幻住寺文書

真島郡

郷(里)

真島、垂水、鹿田、大井、栗原、美甘、建部、月田、井原、高田

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
健□(部)郷 (真島) 8C 〔平城宮跡出土木簡〕【建部】美作国真□□(嶋郡カ)健□(部カ)郷□□□… 県史p.60
平城宮木簡1解説
西高田郷☆[42] (真島) 文治6.4.19 1190 〔吾妻鏡〕【高田】造太神宮役夫工米地頭未済事、//美作国//西高田郷 在下文/布施郷 下知親能畢、 県史p.439
吾妻鏡
月田郷☆ (真島) 康正2.6.7 1456 〔康正二年造内裏段銭幷国役引付〕【月田】康正二年造内裏段銭幷国役引付‖壱貫弐百五十八文〈同日同前七日定〉 佐野孫次郎殿〈美作国月田郷段銭〉 県史p.980
康正二年造内裏段銭幷国役引付

年月日 西暦 原     文 出  典
見明渡村☆[43] (真島) 文正1.②.25 1466 〔蔭凉軒日録〕当寺領美作国見明渡村井伊将監、依罪科可被召置之事 県史p.1000
国史大系
つち屋村
たかのす村
おなか村
せい谷村☆
(清谷村)
月田村☆
石原村☆
かふの村
(真島) [44] 文明14.8.10 1482 〔広峰社檀那村書〕一、たか田之内/こうこう原之さたつね兄弟、‖つち屋村一ゑん、宿主衛門殿なり、同中ふう三郎四郎殿、馬殿、はし本左近、形部、たかのす村一ゑん、宿主兵衛、おなか村一ゑん、宿主五郎大夫、きりはたくわはらの衛門、むかいの十郎大夫、しもいたの兵衛、太ミやうかのおこ、小ミやうかのこんのかミ、長谷之おこ、寺おの兵衛、わかしろ殿、谷井殿、八まん別当、はゝの左近、せい谷村しやう原のおこ、幷ニあら木のさお大郎大夫、又右衛門、とひわたりのおこ、久宗之藤大夫、山祢之左近、岩坪の源大夫、幷ニ月田村いちはのかふ屋、宮原の五郎兵衛、ほりの内二郎兵衛、新兵衛殿、河内の左衛門、石原村一ゑん、石原殿、神なか左近、/又高田内あら田之三郎大夫、かもわたせの左近兄弟、かふの村之寺、山本坊、西之大もん、わう生院徳賀、此外之人をハ王生院徳賀ニたつねへき也、惣して是ハ大方村かきなり、此旨可為知行者也、 県史p.1056
肥塚家文書
ぬくミ村[45]
のふかせ村
れいそく村[46]
しひ村
たかのす村
まかり村☆
(曲村)
ころゝひ中村☆[47]
(古呂々比中村)
大くるしひ村
さすな村
しもいわ村
くわ原村
むかいはら村
小ミやうか村
あらき村
をなか村[48]
なかたに村
ふくい村
のた村
のりゆき村
わうち村
こうけ村☆
(芝村)
ひな谷村
かミ村☆
(上村)
むねし村
ためとも村
しのを村
八まんち村
殿河内村
をいち村
いわい村☆
(岩井村)
やまね村
いわつほ村
はまた村
もりひさ村
かけ村☆
(影村)
ミや原村☆
(宮原村)
しもた村☆
(下田村)
(真島) 天文14.2.- 1545 〔広峰社檀那村付帳〕〕東みまさかノ内村つけ/一、尾原ノ内‖一、同ぬくミ村一ゑん/助衛門 左衛門‖一、たかたの内のふかせ村一/ゑん/やと ちふ太郎さへもん/二郎ひやうへ やと/一、いわらの内れうそく村一ゑん やと太郎ゑもん/一、ころゝひの内しひ/村一ゑん やと大くし/一、たかたの内たかのす村/一ゑん いまハたいちん/ま木源三郎殿 此村人/一、ころゝひまかり村一円/やとめんしんめう/まかへ殿もやとニて候/こかわ殿/一、同ころゝひ中村内/つちや村新ゑもん‖一、ミまさかのにしこ/ろゝひ之内大くるしひ/村一ゑん やと九郎左衛門/一、同所さすな村一ゑん/二郎ひやうへやと/一、よこもり村一ゑん/一、ころゝひしもいわ村一ゑん/一、同所くわ原村一ゑん/一、同さくらいちは一ゑん/一、同むかいはら村/一、いわらの内/一、小ミやうか村一ゑん‖一、いわらの内あらき村/とひわたり 二郎ひやうへ‖一、いわらの内をなか村/やと 三郎ひやうへ‖一、いわらいまハたいてん/なかたに村一ゑん/同所/一、大ひな 助ゑもんやと/同所/一、かたに村一ゑん/九郎さへもんやと/いわら/一、なしはら一ゑん/同所/一、ふくい村一ゑん/太郎ゑもん/同所/一、のた村 一ゑん/まさむねす藤殿/同所/一、のりゆき村一ゑん/かうり殿やと/同所/一、わうち村一ゑん/二郎ひやうへやと/同所/一、おくさめう一ゑん/同所/一、こうけ村一ゑん/同所/一、のりさねめう一ゑん/いわら/一、ゑのを寺まわり/ともに 一ゑん/同所/ひな谷村一ゑん/いわら/一つのわら/同所/一、すきひら/いわら/一こうつはた/三郎左衛門 さへもん二郎/一、いわらかミ村一ゑん/河内兵庫助殿‖あら木/二郎衛門 三郎左衛門/太郎兵衛 むねし村/源二郎‖一、いわらの内ためとも/村一ゑん‖一、ミまさかノ内いわらの内/しのを村 孫左衛門やと/ともさた 一ゑん 二郎四郎/二郎九郎〈三郎兵衛〉 三郎ゑもん/八まんち村 一ゑん/太郎二郎 四郎二郎/おいち六郎ひやうへあと/与二郎/同所といたに/さもん五郎/いわらの内/殿河内村/一ゑん/いわらの内をいち村/河内二郎ひやうへ殿/一、井原ノ内いわい村/一ゑん こんのかミやと/同所ためまさ一ゑん/いわらの内/やまね村一ゑん 八郎兵衛殿/いわらこいたわ内/一、左衛門四郎 同所/六郎衛門/同所/与四郎/同所/四郎左衛門/同所/一、いわつほ村一ゑん/さうゑもんやと/同所/はまた村一ゑん/同所/一、もりひさ村内/さこ 二郎さへもん‖此ふんミ候て/しんたい/候へく候 県史p.1148
肥塚家文書
たくち村☆[49]
(田口村)
(真島) 元亀4.-.- 1573 〔広峰社檀那村付(後欠)〕ミまさか之内村付/一、かうこう村 一、さたつね村 一、よこをさ村/一、しとた村 一、ときのほ村 一、たかやま村/一、れうそく村 一、しひまかり村 一、たくち村‖一、かう村/山本坊 一、ほうはら 一、あらた村/一、おさかへ/ひつちうの内ちすのこうり(後欠) 県史p.1191
肥塚家文書

大庭郡

郷(里)

大庭、美和、河内、久世、田原、布勢

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
布施郷 (大庭) 文治6.4.19 1190 〔吾妻鏡〕【布勢】造太神宮役夫工米地頭未済事、‖美作国‖西高田郷 在下文‖布施郷 下知親能畢、 県史p.439
吾妻鏡
ふくたこう☆[50]
(福田郷)
(大庭) 仁治3.12.17 1242 〔久見村公用皆済状〕納久見村米代方之事、/合□□□分一/一、米壱石五升ハ但□□□/此内一石ハふくたこうの宮御まつり、 岡古4p.289
福田神社文書

年月日 西暦 原     文 出  典
久見村☆ (大庭) 仁治3.12.17 1242 〔久見村公用皆済状〕納久見村米代方之事、/合□□□分一/一、米壱石五升ハ但□□□/此内一石ハふくたこうの宮御まつり、 岡古④p.289
福田神社文書
長田村☆[51] (大庭) 文永-.12.13 13C 〔長田村□正名公用皆済状〕長田村□正名公用辻之事、/合 米方三石四斗□□三郎衛門尉/代方壱貫百文 岡古④p.289
福田神社文書
田原村☆ (大庭) 14C 〔寂室録〕九月十三日、遊田原村、投宿茆舎、同来諸弟皆曲肱就寝、独開窓観月、 県史p.576
寂室録
徳山村☆[52] (大庭) 文明18.12.11 1486 〔徳山村年貢皆済状〕納徳山村御年貢代方之事、/合かうけ名三分一/一、米六斗之内四斗、井手代引、/但、倉付共ニ、 岡古4p.292
福田神社文書
社村☆ (大庭) 永禄5.11.5 1562 〔三浦貞尚感状〕今度爰許罷退、忠儀神妙候之間、為加給、社村之内、末吉名之事、差遣候訖、弥忠勤肝要者也、 県史(家)p.18
美甘文書

所属郡不明

[53]

年月日 西暦 原     文 出  典
ゑとき村
ゆふし村
さくら谷村
ほつさか村
未詳 文明14.8.10 1483 〔広峰社檀那村書注文〕檀那村書注文/一、美作国之内‖ゑとき村、玉蔵坊一ゑん之知行なり、宿は森安の兵衛、北野村之内有なかの形部、くわのゝ村一ゑん、宿は兵衛殿‖又ゆふし村一ゑん知行なり、小田の小八殿、さくら谷〔村〕一ゑん知行なり、ほつさか村、こふけの二郎兵衛、残人をハ能々二郎兵衛殿ニ可尋なり、又北の賀茂之内、ふるやの左近、ゑひ之内けこやの左近殿‖惣して是ハ大方の注文也、村々にて懇ニ可尋也、以此旨、可為知行者也、 美作町p.523
肥塚家文書
きやうほう村
くきや村
三たんた村
かゝミ村[54]
(香々美村)
とうたう村[55]
さくらい村
きたのかも村
未詳 15C 〔広峰社檀那村書〕みまさかのくにたんなの事‖きやうほう村 宿ハ とよたけんひやうへ殿/せきもと村 宿ハ 九郎ゑもん/ゑとき村 宿ハ 定ふつ、同しんさう坊/かき村 宿ハ すけミつ/ひさつね村 宿ハ七郎左衛門尉〈同くニの五郎ひやうへはなれ家にて候間/書也〉/ひろをか村 宿ハふくもと しんゑもん/ひさな村 宿ハ九郎ゑもん 同むまとの/まちかわ村 宿ハ まちかわの七郎ゑもんとの/くきや村 宿ハ 三郎ひやうへ/三たんた村 宿ハ 太郎左衛門/六郎ひやうへ‖かゝミ村之内 とうたう村ノひこゑもん/にいの村之内 同にいのへいさへもんとの/ゆふし村之内 はくに新/かちや/同ゆふし村之内 はゝかしらの太郎ゑもん/さくらい村 宿ハ 太郎ひやうへ/ほつさか村之内 こうけのゑもん/きたのかも村 宿ハ 三郎ゑもん/ふなや/ひろミね たわのほう 美作町p.524
肥塚家文書
かれこ村
四かいちは村
さねかね村
こんかう寺村
さかた村
上ミしやうた村
さこ村[56]
しとた村
よこもり村
しゆくらしは村
すきお村
さくらしは村
たさいさこ村
中くら村
かミのき村
とうせんはう村
てたに村
よこへ村
ほりの内村
ミたうさこ村
うゑひ村
いやなり村
ミこかさこ村
あらた村☆[57]
かもわたせ村
つわう村
未詳 天文14.2.- 1545 〔広峰社檀那村付帳〕東みまさかノ内村つけ/一、尾原ノ内‖一、かれこ村内 かれこ/四郎衛門‖一、同さわ村一ゑんやと/もり安/二郎兵衛/新免備後殿 同名/甚五郎殿/有元与介殿 同四十郎/同右京亮殿 井原甚介殿/同衛門大夫殿 有元惣兵衛殿/同弥五郎殿 同八郎五郎殿/同惣二郎殿 四かいちは村/四郎左衛門/一、久津祢村一ゑん 善衛門殿/一、さね〔祢〕かね村一ゑん うへ/月いつも殿 此下地御取候間、此方たんなさね/かね名御取候ハねは小松原方たんなニて候‖一、こんかう寺村一ゑん/しやうき坊 ミやけ此外名々/六郎右衛門殿/一、くほた村一ゑん/二郎ひやうへ 小二郎/中田孫六殿 はなしや/なかかいち/六郎兵衛/一、さかた村一ゑん/ミつさね三郎ゑもん/こはやし 五郎‖一、上ミしやうた村ノ内/すへ田八郎ゑもん方/同所孫二郎やと形部/同所弥二郎よた孫五郎殿‖一、ほつさか内さこ村 お/さき村 五郎ゑもん‖一、しとた村一ゑん やと/助太郎‖一、よこもり村一ゑん‖一、つきたの内/一、しゆくらしは村/一、すきお村一ゑん/なぬし九郎さへもんやと/新さへもん殿/一、わた村一ゑん/一、さくらしは村/一、かけ村一ゑん/一、たさいさこ村/一、かなつほ一ゑん/一、つきたのうへ一ゑん/同所中くら村五郎/ひやうへやと/一、同所かミのき村一/ゑん 二郎左衛門やと/一、とうせんはう村一円/同所しものはう かミの/はう いつれも此ま/わり一ゑん/てたに村/竹内助三郎殿/かんとう与三ひやうへ殿/同六郎兵衛殿/たけの内たうめう衆/一、よこへ村 一、なかやま/やとおき太郎兵衛/一、ミや原村 一、いちは一ゑん/一、石原村 一、ほりの内村/一、ミたうさこ村 杉尾殿/一、うゑひ村一ゑん/一、いやなり村一ゑん/一、わらひを一ゑん/一、ミこかさこ村一ゑん/一、たかんへ一ゑん/一、くわはら村一ゑん/一、しもた村一ゑん/やと七郎ひやうへ/一、はう原村一ゑん/一、とちはら一ゑん/一、あらた村一ゑん/一、かもわたせ村一ゑん/さこきやうたい/一、つわう村一ゑん/つわうき三郎殿‖此ふんミ候て/しんたい/候へく候 県史p.1148
肥塚家文書
かうこう村☆[58]
さたつね村
よこをさ村
ときのほ村
しひまかり村
はこがさこ村
ひらふ村
やまかけ村
せうらう村
ほり村
かう村
未詳 元亀4.-.- 1573 〔広峰社檀那村付(後欠)〕ミまさか之内村付/一、かうこう村 一、さたつね村 一、よこをさ村/一、しとた村 一、ときのほ村 一、たかやま村/一、れうそく村 一、しひまかり村 一、たくち村/一、はこがさこ村 一、ひらふ村 一、たかのす村/一、やまかけ村 一、のゝかもん 一、やまねのさこ/一、たきのうへ 一、をうくるみ 一、せうらう村/一、ひらふさこ殿 一、にしのいわら/ミいさへもん二郎 一、たに殿/一、かたに 一、きりはた 一、なかたに村/一、をなか二郎兵衛 一、やまね村/藤兵衛さこ殿 一、いわつほ村/一、すへのもり 一、八幡別当 一、かわち殿/一、たかやま 一、さき田のいちは又さへもん/一、はんさ衛門さきたへ/一、ひのうへ 一、ほり村 一、いしわら村/一、かう村/山本坊 一、ほうはら 一、あらた村/一、おさかへ/ひつちうの内ちすのこうり(後欠) 県史p.1191
肥塚家文書

  1. 勝間田郡から勝田郡への改称時期は不明だが、『倭名抄』には「勝田」とあるのでこの表記にしてある。
  2. 香美郷は苫田郡にもあるが、ここでは『倭名抄』と木簡の「勝田(郡)香美郷」のように、勝田郡のものと確認できるものを採録している。
  3. 塩湯郷は近世には湯郷(湯江)村と呼ばれる。また、「後藤良貞置文(掟書)」(藤井駿・水野恭一郎編『岡山県古文書集 第二輯』、思文閣出版、1955に所収)は在地領主法の貴重な史料。
  4. 『倭名抄』によれば、「殖月郷」は美作国勝田郡のみである。
  5. 『倭名抄』には勝田郡には広岡郷と広野郷があり、これはいずれかと言える。仮に広岡郷であれば、近世に広岡村が存在。
  6. 美作国内で飯岡郷以外に「飯」の頭文字の郷はない。
  7. 近世には真賀部村。
  8. 「にい野」を新野郷と推定し、中津村はこの中に位置してしたと解釈している。
  9. 豊国庄内にあったと推定。なお、以下原文から豊国庄域にあったと推定できるものは同様に採録。
  10. 新野郷内にあったと推定。
  11. 豊田庄内にあったと推定。
  12. 近世、勝田郡(勝北郡)の北野村。
  13. 近世、勝田郡(勝北郡)の上町川村、下町川村。
  14. 近世、勝田郡(勝北郡)の関本村。
  15. 近世、勝田郡(勝北郡)の柿村。
  16. この欄は、豊国庄・豊田庄・新野郷内にあったと推定されるものを採録。
  17. 「かうり村」はじめ「田中村、中田村」も「にいのノ内」とされており、新野村周辺を新野郷域と推定。
  18. 「くさ村」が「ひろとの内」という事から、広戸地域(勝田郡)と推測し、勝田郡に採録。以下同。
  19. 近世では楢原上村、楢原下村と分かれている。
  20. 「河江庄内本郷下村」(「渋谷重勝譲状案」『岡山県史19巻 編年史料』第1442号)という表記もあり、同一の村か。
  21. 土師谷村は十町南村の内にあったという(十町南村の項を参照)。亀石村も同様と考えられる。
  22. 下森村、上山村か。なお、近世には上山村とだけある。
  23. 原文中の「東大野」は東大野郷を指し、吉野村は吉野保内と推測し、いずれも英多郡に入れてある。
  24. 近世、英多郡(吉野郡)の桑野村。
  25. 「おはら」を大原保と推測し、英多郡に入れてある。
  26. [7]近世、英多郡(吉野郡)の尾崎村。
  27. 林田郷は他の史料にも多く見え、近世も林田村とあることから、『倭名抄』に記載の林国郷は林田郷の誤記か。或いは、林国郷が林田郷に変わったか。
  28. 近世、小田中村あり。
  29. 近世、高野本郷村と高野山西村あり。
  30. 近世、薪森原村あり。
  31. 近世には押入村。
  32. 近世、苫田郡(西北条郡)の公保田村。
  33. 近世、苫田郡(西西条郡)内に高山村あり。
  34. 近世、久田上原村と久田下原村あり。
  35. 脚注24に同じ。
  36. 次項の垪和東郷も含め、近世では西垪和村、東垪和村、中垪和村、大垪和村とある。
  37. 近世には上籾村、下籾村。
  38. 近世では越尾村。
  39. 近世には上神目村、下神目村、神目仲村。
  40. 近世では南方一色村。
  41. 近世には里公文村、山手公文村。
  42. 近世では高田村。
  43. 近世では見明戸村。
  44. 「たか田之内」は高田庄内と推定し、真島郡として採録。以下同。
  45. 「一、同ぬくミ村一ゑん」の「同」について、一つ前に「一、たかたナリやす名」とあるので、「たかた」を指すと解釈し、高田庄域と仮定している。以下、いずれも高田庄内と推定できるものはここに採録。
  46. 「いわらの内」を井原郷内と推定している。以下、「いわらの内」は同様に処理。
  47. 古呂々比中村は、「つちや村」を含み、前掲「つち屋村」項の原文よりいずれも「たか田之内」にある事が窺え、高田庄域に含まれるか。
  48. 同じ真島郡で既に「おなか村」が挙がっているが、本項では「いわらの内」となっており、井原郷と高田庄が重なる場合は同一の村と思われるが、断定できないので一応カウントしている。
  49. 近世、真島郡内に田口村あり。
  50. 福田郷と布施郷については同一視する見方もある。『岡山県古文書集』解題では、本史料の「ふくたこうの宮」を布施郷内福田にある郷の宮と解釈しており、福田神社を布施郷内の大社と位置付けている。なお、近世には中福田村、上福田村とある。
  51. 近世には上長田村、下長田村。
  52. 近世には上徳山村、下徳山村。
  53. 近世村から郡を推定できそうなものもあるが、同名の村が複数あるなど、確定するには至らないことを踏まえ、ここに採録しているものも多い。
  54. 「かゝみ村」は香々美庄(苫田郡)域にあったと思われるが、勝田郡にも同様の郷名があるので断定できず、未詳の中に入れてある。なお、苫田郡には近世も「香々美村」がある。
  55. 原文より、「とうたう村」は「かゝみ村」の中にあったと思われる。
  56. 「さこ村」と次項の「おさき村」は「ほつさか内」とあるので、「ほつさか村」の中に位置していたと思われる。
  57. 近世、真島郡内に荒田村、勝田郡(勝南郡)内に新田村あり。
  58. 近世、苫田郡(東北条郡)内に公郷村、英多郡内に香合村あり。