「大和国」の版間の差分

提供:「ムラの戸籍簿」データベース
(meta description 付与)
1行目: 1行目:
{{#seo:
|description=「ムラの戸籍簿」とは、日本古代・中世の文献史料上にみえる郷・村の初見事例を国別・郡別に集積したデータベースです。民衆の生活の基盤である郷・村 (=ムラ) が、いつ生まれ 、近世村にどのように接続するのか、あるいは消滅するのかを記録する「郷村表」を、人間の戸籍にたとえて「ムラの戸籍簿」と呼んでいます。
|locale=ja-JP
}}
========================================<br>
========================================<br>
本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。<br>
本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。<br>

2022年10月1日 (土) 23:06時点における版

========================================
本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。
また、郷村表はもともと各国担当者によってWordで作成されており、これを、「ムラの戸籍簿」研究会事務局で集約して公開用に変換しております。
変換作業上、特殊な文字や史料表記について、やむをえず作成者の作成した文字データが反映されていない部分のありますことをご承知おきいただけましたら幸いです。
========================================


作成者:事務局

郷村名郡別世紀別初出表

概要

概要


参考文献


典拠史料

『改訂天理市史』史料編 1~5巻(天理市史編さん委員会、1977~79)
『新訂王寺町史』資料編(王寺町史編集委員会、2000)
『香芝町史』史料編(香芝町史調査委員会、1976)
『安堵町史』史料編上・下巻(安堵町史編纂委員会、1990・91)
『大和下市史』資料編(下市町史編集委員会、1974)
『川西町史』史料編(川西町史編集委員会、2004)
『改訂大和高田市史』史料編(大和高田市史編纂委員会、1982)
『広陵町史』(奈良県広陵町史編集委員会、1965)
『川上村史』史料編 上・下(川上村史編纂委員会、1987)
『桜井市史』史料編 上・下(桜井市史編纂委員会、1981)
『田原本町史』史料編第1巻(田原本町史編さん委員会、1988)
『東吉野村史』史料編 上巻(東吉野村史編纂委員会、1990)
『改訂新庄町史』史料編(改訂新庄町史編集委員会、1983)
『橿原市史』史料編 第1巻・第2巻・第3巻(いずれも改訂橿原市史編纂委員会、1986)
『新訂大宇陀町史』史料編第1巻(新訂大宇陀町史編集委員会、2001)
『斑鳩町史』史料編(斑鳩町史編集委員会、1979)
『斑鳩町史』続史料編(斑鳩町史編集委員会、1979)
『大和郡山市史』史料集(柳沢文庫専門委員会、1966)
『榛原町史』(榛原町史編集委員会、1959)
『榛原町史』史料編(榛原町史編集委員会、1991)
『神道大系 神社編(大和国)』(神道体系編纂会、1987年)
※なお、「解題」にて疑義が呈されていた「大和国五郡神社神名帳略解」と「大和国神社考」は検索より外した。
『神道大系 神社編(大神・石上)』(神道体系編纂会、1989年)
『神道大系 神社編(春日)』(神道体系編纂会、1985年)
『国史大系』
『寧楽遺文』
『鎌倉遺文』
『南北朝遺文』

凡例

郷村表

添上郡

郷(里)

山村、猶中、山辺、楊生、八島、大岡、春日、大宅

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
志茂郷(資母・師毛) 添上郡 天平13.③.7 741 〔東大寺奴婢帳〕右京職移 大養徳国司/奴足人〈年丗六〉/男椋人〈年十〉/男黒人〈年四〉‖除籍附大養徳国添上郡志茂郷少初位下大宅朝臣賀是麻呂戸者職依移旨除籍帳訖 寧楽遺文(下)p.741
東南院文書
大岡郷☆[1]
仲戸郷
於美里
添上郡 天平14.11.15 742 〔智識優婆塞等貢進文〕【大岡】柿本臣大足〈年廿二/大養徳国添上郡大岡郷戸頭柿本臣佐賀志之男〉読経 法華経二巻〈第一 第二〉‖中臣寺三剛解 申出家人貢事/童子少広〈年壱拾伍〉/右大養徳国添上郡仲戸郷於美里戸主奈良許知伊加都戸口淡海少広 寧楽遺文(中)p.510
正倉院文書
大宅郷☆[2] 添上郡 天平勝宝1.11.3 749 〔東大寺奴婢帳〕【大宅】散位寮散位大初位上大宅朝臣可是麻呂謹解 申貢進賤事/合陸拾壱人/奴丗六人/婢廿五人‖右四十九人、大倭国添上郡大宅郷戸主大宅朝臣可是麻呂戸賤 寧楽遺文(下)p.749
東南院文書
春日郷 (添上) 延暦7.12.23 788 〔大和国添上郡司解〕【春日】添上郡司解 申売買立券文事/家壱区地肆段伯歩‖在部下/春日郷/右、得右京六條三坊戸主従七位上勲八等尋来津首月足解状偁、己家充価直銭壱拾貫文与左京五條一坊戸主正六位上小治田朝臣豊人戸口同姓福麻呂已畢 平安遺文1p.3
薬師院文書
山村郷☆
山君郷
楢中郷(楢)☆
添上郡 8C 〔勘籍〕【山村】【猶中】[ ]/大宅岡田臣人上年十‖大倭国六人/大原史長嶋年十九〈大倭国平群郡坂門郷戸主少初位上大原史男君戸口〉/仕己知豊国年四十七〈大倭国添上郡山村郷戸主仕己知虫麻呂戸口〉/八嶋白麻呂年十六〈大倭国添上郡資母郷戸主八嶋麻呂戸口〉/田井伊美男足年十一〈大倭国宇智郡資母郷郎戸口〉/栗前広虫年丗〈大倭国広端郡広端郷戸主栗前広麻呂戸口〉/山君岐波豆年廿二〈大倭国添上郡山君郷戸主大初位下山君乎奈弥戸口〉/淡海人足年十九〈大倭国添上郡楢中郷戸主大初位上已知伊香豆戸口〉 寧楽遺文(中)p.539
正倉院文書
八嶋郷☆ 添上郡 仁和1.9.21 885 〔日本三代実録巻四十八・光孝天皇〕【八島】廿一日壬寅、太政官下符五畿内七道諸国令認索流人楊雄王、‖本是大和国添上郡八嶋郷人也 国史大系4p.595
大岡中郷☆ 添上郡 寛和3.2.1 987 〔大和国大岡中郷刀禰等解〕【大岡】大和国添上郡大岡中郷刀禰等解 申請 勧修寺長官上綱御房御牒事/合壱枚 被載可任公験立券〔家地〕并依土風例定進宜要門等之状 平安遺文2p.464
関戸守彦氏所蔵文書
南郷 添上郡 長保2.8.13 1000 〔東大寺白米納所収納帳〕東大寺大仏供白米納所/勘去年八月一日以後至于今年七月晦日御供白米進未事‖寺家少別当進山辺郡北郷廿一石‖大堂達厳伝進城下郡西郷料一石‖珍慶進一石之中〈六斗山辺郡北郷料/四斗添上郡南郷料〉 平安遺文2p.528
内閣文庫所蔵文書
楊生郷[3] 添上郡 長保2.11.15 1000 〔東大寺白米納所収納帳〕【楊生】東大寺返抄 山村兼頼/検納大仏供白米伍斗事/右添上郡楊生郷当年料之内所進、検納如件、故返抄了/長保弐年十一月十五日 大堂達 平安遺文2p.528
久原文庫所蔵文書
中郷 添上郡 長保2.12.2 1000 〔東大寺白米納所収納帳〕東大寺返抄 添上郡中郷/検納白米壱斛事/右白米当年料内、惣行事安忠所進、且検納如件、故返抄/長保弐年十二月二日 大堂達 明圓 平安遺文2p.529
渡邊福太郎氏所蔵文書
福智郷[4] (添上) 長保3.3.2 1001 〔東大寺返抄〕(端裏書)「楊生郷」造東大寺返抄 山村兼正/検納年修利稲参拾陸束事/右利稲、去年福智郷料所進、検納如件、故返抄之/長保参年三月二日/別当大僧都 知事 平安遺文9p.3500
内閣文庫所蔵文書
西郷 添上郡 長保3.8.27 1001 〔造東大寺返抄〕造東大寺返抄 添上郡西郷/検納利稲捌拾弐束壱把事 立用已了/右利稲、去年料珍慶所進、且検納如件、故返抄/長保参年八月廿七日 堂達/別当大僧都 平安遺文2p.547
根津美術館所蔵文書
東大寺郷[5] 添上郡 久安6.8.25 1150 〔橘行長家地売券〕沽却 敷地私領新券文事/合口漆間参尺七寸、奥弐拾捌間二尺四寸〈但七尺間定〉/在大和国添上郡東大寺郷今小路南頬/四至〈限東垣 限西頬地中垣 限南中垣 限北大道〉 平安遺文6p.2268
百巻本東大寺文書76
坂原郷☆[6] (添上) 久寿2.12.25 1155 〔紀守助田地去文〕紀守助謹曳進田立券文事/合壱段者〈在坂原郷内字長澤〉/四至〈限東尾 限南際目 限西尾 限北際目〉 平安遺文6p.2338
大宮文書
大楊生郷☆[7] 添上郡 養和2.1.6 1182 〔僧良仁房地処分状〕【楊生】処分渡 四間壱面之房并敷地事/合壱所者字/在大和国添上郡大楊生郷之内忍辱山北谷/四至等在本公験面ニ/右、件於四間壱面之房并敷地者、僧良仁院之師資相伝所領也 平安遺文9p.3784
大東急文庫所蔵文書
国分里 (添上) 建久4.3.- 1193 〔尼禅妙家地売券〕沽却 家地事/合参間者/在東大寺国分里押上〈河北邊奥〉/四至〈限東藤内領 限南川 限西川 限北際目〉/右、件家地、元者松南院尼禅妙之相伝私領也/年来領掌之間、全無他妨 鎌倉遺文2p.71
金比羅宮所蔵文書
小楊生郷☆[8] (添上) 建久8.2.- 1197 〔笠置寺大法師等解案〕【楊生】東大寺別院笠置寺大法師等謹解 申請 天裁事/請被殊蒙 天裁、停止春日社領大和国小楊生郷住民安部近弘等横募神威、背鳥羽院庁御下文并副下絵図四至 鎌倉遺文2p.216
春華秋月抄草
手掻郷[9][10] 添上郡 元久2.3.13 1205 〔僧定西家地譲状〕譲与 家地事/合弐間半者〈但七尺間定〉/在大和国添上郡東大寺手掻郷之内/四至〈限東京大道 限南類地際目 限西中垣 限北他領際目〉/右、件家地者、僧定西之相伝私領也 鎌倉遺文3p.233
筒井寛聖氏文書
三橋郷☆[11] (添上) 承元4.11.3 1210 〔興福寺公文所下文〕公文所下 添上郡刀禰司并辰市三橋郷民等/可早任下知致沙汰、忠宗〈九郎大夫〉没官領事 鎌倉遺文補1p.273
祐春記
和爾郷☆ 添上郡 承久3.12.21 1221 〔沙彌念西田地売券〕(端裏書)「字石塔」「直米如員納畢、請使源太」沽却 水田立券文事/合壱段者/在添上郡和爾郷内/四至〈限東際目 限南川 限西高岸 限北山道〉右、件水田元者、沙彌念西先祖相伝私領也 鎌倉遺文5p.75
百巻本東大寺文書
長井郷☆[12] 添上郡 嘉禄3.3.20 1227 〔安部千手丸田地売券〕沽却 水田事/合壱段者、字野副之檜葉野/在大和国添上郡長井郷東七条二里十八坪之内/四至〈在本券面〉/右、件領者、安部千手丸之相伝之地也、 鎌倉遺文14p.160
百巻本東大寺文書
新薬師郷☆[13] 添上郡 貞永1.10.2 1232 〔藤原姉子売券〕沽却 中尾家地事/合一所、面拾漆間、奥拾玖間アリ/四至〈限東地類際目 限西類地際目、口南ニアリ 限南類地際目 限北他領、未申ノ角ニアリ〉/在大和国添上郡新薬師郷内/右件家地者、藤原姉子相伝私領、然而依有要用、限米拾斛〈本器/定〉永令沽却西金/堂衆幸祐畢、 鎌倉遺文6p.408
春日大社文書
南院郷[14] (添上) 仁治3.8.26 1242 〔後嵯峨天皇綸旨〕東大寺訴申南院郷間事、被相尋興福寺之処、申状如此、以此旨、早可被仰遣者、依 天気、上啓如件 鎌倉遺文8p.370
東南院文書
甲斐塚郷☆[15] (添上) 建長5.10.19 1253 〔中三子屋敷寄進状案〕奉寄進屋敷之事/合口四間〈七間定、所当弐斗〈八合升定〉、東西七間歳末五十文〉/在甲斐塚郷内今窪湯屋敷也/四至〈限東井 限南領地 限西大道 限北辻子〉/右、寄進状如件/建長五〈癸丑〉十月十九日 檀主中三子〈在判〉/字四郎女 鎌倉遺文10p.397
奈良坊目拙解所収元興寺中門堂懸板
春日社北郷
春日社南郷[16]
(添上) 文永12.2.- 1275 〔大和春日社北郷神人等解〕春日社北郷神人等謹言上/為南郷神人春宗等、背先例致自由帳行、恣令乱御供巡役、不当狼藉子細事 鎌倉遺文15p.67
中臣祐賢記
邑地郷☆ 副上郡(添上) 弘安9.12.25 1286 〔願仏畠地處分状〕處分渡 畠地新券文事/合壱所者〈地子三斗、本斗定め〉/在大和国副上郡邑地郷之内/字ナシシモトノヤシキ、四至〈限東クロ、限西行□□ 限西キシ 限北□□ 鎌倉遺文21p.172
大和大宮文書
中御門郷☆[17] (添上) 正応4.2.25 1291 〔東大寺年預尊顕文書勘渡状〕正応四年二月廿五日〈年預五師尊顕勘渡五師賢俊〉/一 諸会請定事‖一 中御門郷民石王丸本□□女籠木物依売屋地、興福寺西金堂修二月差女籠木之間勤之由、風聞之間、相尋子細之処‖一 南院郷内十地院文書三通〈他寺成妨之時、大切証文歟〉 鎌倉遺文23p.81
東大寺文書
水間郷☆ 添上郡 永仁6.12.5 1298 〔大和西大寺田園目録〕注置 西大寺塔僧房通別三宝料田畠目録事‖添上郡東六条五里内七段〈岩淵寺西辺、字橘内北辺〉/添上郡東六条五里卅五坪内一段小〈字四枝、岩淵寺西〉/城上郡小夫郷内四段〈字ミタケ、スハミタニ〉添上郡水間郷内四段〈字クホノ垣内〉/山辺郡南郷十五条七里十一二両坪内二段〈東辺、字クホナカ/シリカケ〉/已上五所一町八段小、永仁三年五月廿五日光明真/言料田、願信房 鎌倉遺文24p.253
東大寺文書
櫟本郷☆ (添上) 正安2.11.19 1300 〔大和櫟本郷民連署起請文〕(端裏書)「櫟本庄起請文」敬白 天罰起請文事/件子細者、於御参宮人夫役者、櫟本郷民等、自昔至今、令勤仕事無先例候 鎌倉遺文27p.237
東大寺文書
ヲシアケノカウ(押上)☆[18] (添上) 正中2.11.12 1325 〔東大寺押上郷民等連署起請文〕(端裏書)「押上郷起請」敬白天罰起請文事/右、件子細ハ、去十日夜宗観房せチカイノ事、ヲシアケノカウニヲイテソ、ユメヽヽ其躰ヲタレカシトイフ事ヲシラス候 鎌倉遺文38p.19
百巻本東大寺文書
河上郷☆ (添上) 嘉暦2.9.5 1327 〔賀茂基久書状〕河上郷内西辻一段夫役、社務之間、令免除之条、可存知之由、可被仰含真光候、恐惶謹言 鎌倉遺文38p.306
古簡雑纂
元興寺東郷 添上郡 元徳3.2.- 1331 〔某家地買取状〕買取東涌井家地事/合東西四間五尺七寸三分者/在大和国添上郡元興寺東郷十輪院之内/四至〈限東 限西際目 限南中垣 限北大道〉/右、買取之状如件/元徳三年〈辛未〉二月 日 鎌倉遺文40p.201
奈良坊目拙解所収元興寺中門堂懸板
楢山郷
大宅寺郷
添上郡 応永6.1.13 1399 〔大和葛下郡興福寺供養料足段銭収納注文〕(端裏書)「興福寺供養[ ]」平田庄田数千四百五十町三反小四十歩〈二百反銭〉‖添上郡/寺方‖大乗院方‖楢山郷 二町八段‖大宅寺・山村両郷 四町五段大 新庄町史p.55
春日大社文書
唐桃郷(杏・小筵)☆ [19] (添上) 長禄2.12.25 1458 〔経覚私要鈔〕一、辰市唐桃郷鳥屋付使云々、凡非理沙汰不可然間、自門跡遣北面成敗歟、祐識依申也 橿原市史2p.180
元興寺郷☆[20] (添上) 文明6.5.6 1473 〔大乗院寺社雑事記〕一、山水普心御童子・力者色々尽事之間、両座中二百疋給之、畏入了、今度普心方召仰人夫等事、元興寺郷・御領内野田・法乗院・花薗・苻坂油座衆・檜皮座衆・笠帳座衆・桶座衆・塩座衆五个所・十座・法貴寺・寺本郷以下田舎御領等、各連日召仰之 田原本町史p.150
東九条郷☆ (添上) 文明10.4.17 1478 〔多聞院日記〕近年越智弾正忠沙汰トy、牢人為可相支、今市辺ニ相構城郭、仍屈要害以下之料ニ、人夫相懸辰市東九条郷云々、一国悉以不漏寺社之進止、然而別而於当庄者、五師之遷代領、上下一円知行之庄薗也 橿原市史2p.389
坂郷(苻坂)☆[21] (添上) 文明19.2.2 1487 〔大乗院寺社雑事記〕一、去月廿五六日事也、箸尾金剛寺被官人坂油売、於山城高令殺害人而取雑物了、仍山城国人致検断召取之切捨了、山城之沙汰次第神妙也、就其坂郷ニ自衆中使共付之 田原本町史p.170
ヒロ岡郷(広岡)☆ (添上) 永禄5.5.20 1562 〔享禄天文之記〕五月廿日、河州ニテ子コロ衆并岩本御屋形様方へ、三好軒并弾正殿取懸テ‖廿日夜、筒井殿ハ普提山寺マテ御落有、同夜、多門山出テ小屋悉焼払、西手負ヒロ岡郷焼、/一、廿一日、筒井郷、十市郷、片岡郷焼払 王寺町史p.143
国立公文書館内閣文庫所蔵大乗院文書

年月日 西暦 原     文 出  典
春日村 (添上) 天平勝宝2.2.24 750 〔東大寺奴婢帳〕【春日】官奴司解 申選定奴婢事/合奴婢二百人〈嶋宮奴丗四人 廣瀬村常奴三人 春日村常奴三人 今奴丗一人 内匠寮今奴十三人 庵知村常奴八人 飽浪村常婢一人〉 寧楽遺文(下)p.752
東南院文書
高橋邑 (添上) 8C 〔日本書紀巻五・崇神天皇〕八年〔癸卯〕夏四月庚子朔乙卯、以高橋邑人活日為大神之掌酒〈掌酒、此云佐介弭苔 国史大系1上p.162
穴昨邑 (添上) 8C 〔日本書紀巻七・景行天皇〕五十五年春二月戊子朔壬辰、以彦狭嶋王拝東山道十五国都督、是豊城命之孫也、然到春日穴昨邑、臥病而薨之、是時、東国百姓悲其王不至、竊盜王尸葬於上野国 国史大系1上p.223
越田村 添上郡 弘仁1.9.12 810 〔日本後紀巻二十・嵯峨天皇〕己酉、太上天皇至大和国添上郡越田村、即聞甲兵遮前、不知所行 国史大系3p.88
簀川村 添上郡 承暦4.3.10 1080 〔山村姉子解〕謹解 申売進所領田地并栗林等事/合/一、作手田/在添上郡楊生郷簀川村/一楊田四段 東邊湯船迫四段 桑田一段/二大田三段 平安遺文10補p.44
一乗院文書
福智村 添上郡 長承3.10.23 1134 〔官宣旨案〕在大和国添上郡福智村下條五福里/右、得春日社司去月八日陳状偁、去八月十八日宣旨偁、謹検旧実、当庄者是寺僧戒和上戒龍去天暦年中、以私領田畠 平安遺文5p.1953
根津美術館所蔵文書
法用村☆ 添上郡 建久9.4.29 1198 〔礼阿弥陀仏田地寄進状〕寄進 湯田事/合弐段者/在大和国添上郡大殿山内法用村/行友名西谷三段内上切二段/四至〈限東峯 限西峯 限南峯 限北細路〉 鎌倉遺文2p.305
百巻本東大寺文書
色知村 添上郡 建永2.2.- 1207 〔登美貞守田地売券〕沽却進田地事/合壹段者/四至〈東限田頭 南限石/西限道 北限道〉/在大和国添上郡色地村、字上津和田迫 鎌倉遺文補1p.241
東大寺文書
邑地上村☆[22] (添上) 正応5.12.18 1292 〔国依等連署畠売券〕沽却 私領畠地新券文事/合壱所者/在邑地上村河原畠西ノソイ/四至在本券面在之/右、件畠地之元者、沙彌願佛房之先祖相伝之私領也、雖然、死去尅、子息等依合テ、紀利国限永代、現米参斛、所沽却渡実正也 鎌倉遺文23p.313
大宮文
邑地村☆ 添上郡 永仁2.3.- 1294 〔東大寺大仏燈油料田注文〕記録/東大寺大仏殿御常燈料所田畠事‖一段〈邑地〉本地子五斗六升 作又二郎/十一合、歳末破木一荷、所当内他所公事無之、但近年公/事在之由百姓申之、委可尋之/在大和国添上郡邑地村〈字上上津和邇〉 鎌倉遺文24p.133
東大寺文書
大野村
檜笠村
添上郡
田原庄
応永6.1.13 1399 〔大和葛下郡興福寺供養料足段銭収納注文〕(端裏書)「興福寺供養[ ]」平田庄田数千四百五十町三反小四十歩〈二百反銭〉‖添上郡/寺方/左京条内〈三条四修通四坊分自下津路至田村河〉七十六町三段/同五条六条通〈四坊分、自下津路至田村河通〉‖大乗院方‖田原庄内大野・檜笠両村 十三町四段大 新庄町史p.53・55
春日大社文書
田原西村 (添上) 寛正5.6.- 1464 〔平城津彦神祠由来〕平城津彦神霊祠/平城津彦神者田原天皇ノ霊魂也‖四十三代元明天皇〈天智天皇弟皇女、田原天皇姉君也〉、和銅七年〈改元霊亀元年〉八月〈或作八月〉、薨于高圓宮〈高圓宮旧跡、今ノ白毫寺是也〉、時年五十餘歳、陵在田原西村 神道大系(大和)p.10
奈良豆比古神社史料
桐山村☆ (添上) 15C 〔三箇院家抄・応永十二年大乗院家宇多一郡内庄園・関所目録〕応永十二年九月宇多一郡悉以大乗院家知行之時、諸家領地分半分致知行了‖桐山村 小著庄〈五反八岩室知行〉 東吉野村史p.91
史料纂集
楢村☆
くら庄村(蔵庄)☆
添上郡 文禄4.8.20 1595 〔文禄検地帳〕【楢中】文禄四年/八月廿日/大和国添上郡之内楢村御検地帳/増田右衛門殿打口/深尾甚六/まめた/上田 十六間/十六間 八畝拾六分 壱石三斗四升四合 くら庄村/助五郎‖文禄四年未八月廿日 深尾甚六 天理市史5p.343
天理図書館蔵
和迩村☆ 添上郡 文禄4.8.20 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年八月廿日/大和国添上郡之内和迩村御検地帳/増田右衛門尉打口/村井勝左衛門/当り畠 あふら坂 石はし 池そこ 池ノ内 池ノしり いせ畠 いなは 上殿 上山 うちのへ うら ゑたか谷 おゝかめ田 大畠 天理市史5p.376
和迩区有文書
櫟本村☆ 添上郡 文禄4.8.24 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年/八月廿四日/大和国添上郡櫟本村御検地帳/増田衛門尉打口/深尾半兵衛/平井弥四良/かりこ/上 八間廿一間 六畝十八歩 壱石三升九合 彦三郎‖合弐千百丗七石八斗八升(印)/此内六十石六斗三升あれ/文禄四年八月廿四日 平井弥四良(花押)/深尾半兵衛(花押) 天理市史5p.227
東大寺図書館蔵

添下郡

郷(里)

村国、佐紀、矢田、鳥貝

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
登美郷(鳥見)
箭田郷(矢田)☆
添下郡 和銅7.11.4 714 〔続日本紀巻六・元明天皇〕【鳥貝】【矢田】十一月戊子、大倭国添下郡人大倭忌寸果安、添上郡人奈良許知麻呂‖自売私粮、巡加看養、登美・箭田二郷百姓、咸感恩義、敬愛如親 国史大系2p.57
菅原郷☆ 添下郡 天平19.2.11 747 〔法隆寺伽藍縁起并流記資財帳〕法隆寺/伽藍縁起并流記資財事‖山林岳嶋等弐拾陸地大倭国参地/平群郡屋部郷一地、東限鳥方岳板垣嶺 北限渋谷、至於保伊知比石庭 西限石庭、至大谷須疑墓 南限寺領、 同郡坂戸郷岳一地、東限平群川 南西限久度川 北限志比坂路、添下郡菅原郷深川栗林一地、東限道 南限百姓家習宜池 西北限/百姓田 寧楽遺文(中)p.365
北浦定政手澤本
佐貴郷 添下郡 宝亀1.8.17 770 〔続日本紀巻三十・称徳天皇〕【佐紀】丙午、葬高野天皇於大和国添下郡佐貴郷高野山陵、以従三位藤原朝臣継縄為御後次第司長官 国史大系2p.380
秋篠郷☆ 添下郡 応保2.2.21 1162 〔紀国末所領売券〕沽却 大池中谷壱処事/合/四至〈限東小路 限南峯 限西横峯 限峯〉/在大和国添下郡秋篠郷内大池/右、件谷者、紀国末先祖相伝開発領掌之谷也 平安遺文7p.2548
成簀堂所蔵東大寺文書
秋篠寺郷[23] 添下郡 永仁6.12.5 1298 〔大和西大寺田園目録〕注置 西大寺塔僧房通別三宝料田畠目録事/大和国葛上郡丗三四五条之内庄一所〈号新井庄、坪付在別〉/添上郡東京六条四里十坪中三段/山邊郡南郷十三条六里十四坪 西邊三段‖添下郡秋篠郷内三条三里一坪二段/仁治元年〈庚子〉十月五日興芸職賢房寄入之‖添下郡秋篠寺郷内一段〈字内寺之嶋畠上東、作人正直〉/所当米一石〈十二合升定〉/永仁二年十月十五日以直米八石〈本器〉買取之 鎌倉遺文26p.250
西大寺文書
筒井郷☆ (添下) 文明11.8.26 1479 〔大乗院寺社雑事記〕一、西方院城構一見之、天満より西ニ堀二重在之、古堀也、加修理而サラエ畢‖大儀ナル堀事也、田舎人夫共召上之堀之〈筒井郷・箸尾郷・十市郷云々〉 橿原市史2p.410
本庄郷☆ (添下) 明応2.1.30 1493 〔大乗院寺社雑事記〕一、衆徒・国民等坊人分大乗院領給分躰/古市分‖本庄郷之内藤沢名半分、此外稗田庄之内六十石、田村庄一円 橿原市史2p.477

年月日 西暦 原     文 出  典
登美銭司村 (添下) 8C 〔造金堂所解案〕造金堂所解 申請用銭并雑物等事、合銭一千六百十二貫九百五十四文‖四十二文自登美銭司村運和炭十四斛車一両賃/四百五十文泉狛村運鋳形料土六十五車五両賃〈両別九十文〉 寧楽遺文(中)p.483
正倉院文書
高田村☆ (添下) 文禄5.9.26 1596 〔増田長盛奈良川用水裁許状〕已上/先日目安を上候高田村井水ふせ樋之事、高田村之井水之川上にて新川を申付、来生川へおち候ニ付てふせ候由申候、然ハ彼新川より水おち候分領程高田村之新樋へ水をとらセ可申候 安堵町史(上)p.61
窪田区有文書

平群郡

郷(里)

那珂、飽波、平群、夜麻、坂門、額田

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
屋部郷
坂戸郷(坂門)
平群郡 天平19.2.11 747 〔法隆寺伽藍縁起并流記資財帳〕【坂門】法隆寺/伽藍縁起并流記資財事‖山林岳嶋等弐拾陸地大倭国参地/平群郡屋部郷一地、東限鳥方岳板垣嶺 北限渋谷、至於保伊知比石庭 西限石庭、至大谷須疑墓 南限寺領、 同郡坂戸郷岳一地、東限平群川 南西限久度川 北限志比坂路、添下郡菅原郷深川栗林一地、東限道 南限百姓家習宜池 西北限/百姓田 寧楽遺文(中)p.365
北浦定政手澤本
中郷 平群郡 10Cヵ 〔信貴山寺資財帳写〕【那珂】信貴山寺/資財宝物帳‖一、諸檀越施入、在各相副公験‖宗岳用行子施入 田参段并下地壱処〈在平群郡中郷八条十四里十六坪内〉/伊福部薬子等施入地参段〈在同郡同条里九坪并十六坪内/延喜十六年正月三日施入〉 平安遺10p.文3811
信貴山文書
平群郷 平群郡 天喜6.10.9 1058 〔僧慶壽田地施入状案〕【平群】長福寺奉施入田畠等案文事/合/□大和国平群郡平群郷東條三里十五坪一町〔念仏僧供料〕 十六坪三段〈念仏僧供料〉 廿一坪一丁〈同九〉 平安遺文3p.948
狩野亨吉氏蒐集文書
立野郷☆ (平群) 延久3.9.20 1071 〔興福寺雑役免坪付帳〕(表題)「興福寺雑役免西諸郡」/興福寺/大和国庄々田畠二千三百五十七町九段三十五歩内西諸郡添下平群城下十市高市葛下忍海葛上宇智吉野広瀬幷十箇郡田畠坪付‖立野庄田畠六町 燈油免田也/世野九条十四里丗二―半 丗三―七反 立野郷十条十四里廿―三反 廿八―一段大 平安遺文9p.3635
東郷(額田東)☆[24] 平群郡 康和3.12.23 1101 〔忍海重末田地売券〕□却 先祖相伝所領田事/合壱段佰捌拾歩者/在平群郡東郷九條三里四坪之内/四至〈限東阿世 限南畔 限西垣 限北畔〉/□、件田元者、忍海重末先祖相伝所領田也 平安遺文4p.1414
額安寺文書
飽波東郷☆[25] 平群郡 元永2.12.13 1119 〔藤原清末田地売券〕【飽波】謹解 申売買所領田立券文事/合参段者‖在平群郡飽波東郷七條大井里十九坪之内/四至〈限東畔 限南畔 限西残地幷江 限北垣 内之畠壱段此僧覚胤売渡畢〉 平安遺文5p.1690
お茶の水図書館所蔵
夜摩里郷(夜麻) 平群郡 保安4.10.7 1123 〔僧善祐田地売券〕【夜麻】謹解 申売進領田新券文事/合弐段者〈字屋笠田〉/在平群郡夜摩里郷八條八里十一坪之内自北四五筋/四至〈限東畔 限南平群 限西畔 限北僧覚耀領〉 平安遺文5p.1748
法隆寺文書
飽波郷☆[26] 平群郡 建久7.12.16 1196 〔僧俊長田地売券〕【飽波】沽却 相伝水田立券文事/合壱段者/四至在本券面/在大和国平群郡七条二里廿二坪飽波郷/右、件田者、僧俊長相伝私領也、而今依有要用、限直米玖石〈本斗定〉、即俊長母奉売塗三子畢 鎌倉遺文2p.210
百巻本東大寺文書
額田西郷☆
額田郷(額田部)☆
平群郡 建保2.3.4 1214 〔宗暁処分状案〕【額田】(端裏書)「スカ田西郷十一行賢寄進」合/□処 田五段/在大和国平群郡額田西郷十条六里丗一坪之内〈東五段〉‖一処 田一段/在平群郡西郷九条七里十六坪之内〈西郷一段五段目也、僧良遍処分之〉/但於忌日役者、同郡額田郷十一条六里十九廿廿九三ヶ坪内自東一段目之畠一段ニ永付了 鎌倉遺文4p.118
東大寺文書
飽波西郷☆[27] 平群郡 健保2.12.25 1214 〔入道蓮慶処分状〕【飽波】処分渡 所領田畠事/合伍段者/処二段 在大和国平群郡飽波東郷九條五里十三坪之内‖処壱段 同郡飽波西郷七條六里丗一坪之内〈自東四段目〉 鎌倉遺文4p.146
額安寺文書
目安郷☆ 平群郡 貞応3.7.17 1224 〔東大寺梵網会料田注文〕注進 東大寺梵網会用途料施入田地坪付事‖平群郡目安郷十條九里丗五坪之内弐段〈北辺、西端半破/字好田〉/本券相副之、所当米壱石六斗壱升、同升定 鎌倉遺文5p.287
筒井寛聖氏文書
笠目郷☆ 平群郡 建長6.5.9 1254 〔興南院権律師某水田去渡状〕去渡 水田事/合弐町者〈笠目郷在之、春日八講御酒免田也〉/在大和国平群郡十条八里四坪陸段 同条里廿八坪四段 同所同条七里三十二坪一町/四至在本券/右件水田者、聖海上人相伝之所也 安堵町史(上)p.32
春日大社文書
斑鳩郷 (平群) 13Cヵ 〔龍田大明神縁起〕龍田大明神御事〈龍田大明神トハ立野大明神御事也〉/龍田大明神御事/夫大日本国中之仏法者、其起自上宮聖徳皇之伝燈‖翁云、自此東斑鳩郷尤足称美 神道大系(大和)p.387
龍田大社史料
平野郷
四手原郷(椣原)☆
平群郡 延慶1.12.4 1308 〔興福寺公文所下文案〕公文所下 平群郡刀禰司并平野・四手原郷民等/可早任下知旨、注進交名、藤二郎男殺害人事/右、去月廿二日於当郷内、令殺害藤二郎男畢 鎌倉遺文東寺2p.236
東寺百合文書ネ函
勢野本郷☆[28] (平群) 14C 〔寺要日記〕(上略)龍田宮三十講品配/初日〈十六日〉勢野本郷、龍田〈北在地報恩寺/南在地法永寺〉/無量義経徳行品第一 妙法蓮華経序品第一 金光明最勝王経序品第一 安堵町史(下)p.1010
法隆寺史料集成
窪田郷☆ (平群) 文亀1.12.15 1501 〔順空房水田地主職売券〕沽却 水田作主職新立券之事/合壱段者〈字窪田郷内クロメタ東ナワテ、南モ限類地、限西類地、限北モ類地也〉/右件水田作主職元者衛門殿先祖相伝之私領也 安堵町史(上)p.48
天理図書館所蔵文書
下長郷☆[29] (平群) 16C 〔春日進官領納帳〕(上略)法貴寺郷方/小坂領/○合壱斗七升/舞庄領/○合伍斗三升‖下長郷/下長領/○合四斗九升七合五夕 川西町史p.54
天理図書館所蔵文書

年月日 西暦 原     文 出  典
飽浪村(悪波・阿波)☆ (平群) 天平勝宝2.2.24 750 〔東大寺奴婢帳〕【飽波】官奴司解 申選定奴婢事/合奴婢二百人〈嶋宮奴丗四人 廣瀬村常奴三人 春日村常奴三人 今奴丗一人 内匠寮今奴十三人 庵知村常奴八人 飽浪村常婢一人〉 寧楽遺文(下)p.752
東南院文書
岡本村 (平群) 9C 〔日本霊異記〕聖徳皇太子異しき表を示す縁 第四/聖徳皇太子は、磐余池辺双槻宮に宇御めたまひし橘豊日天皇の子なり‖片岡村の路の側に乞匈人有り‖岡本村の法林寺の東北の角に有る守部山に、墓を作りて収め、名つけて人木墓と曰ふ 王寺町史p.22
新日本古典文学大系
弟原村[30] 平群郡 永久4.2.14 1116 〔大方広入如来知徳不思議経〕永久四〈歳次丙申〉二月十四日法隆寺一切経内書写了/勧進聖人沙門勝賢‖大和国平群郡坂戸里弟原村住人也、僧快圓 平安遺文題p.171
法隆寺所蔵
夜部村 平群郡 建保2.2.20 1214 〔秦行常畠地売券〕沽却 売買畠新立券文事/合壱段者〈字江井〉‖在平群郡夜部村八條九里丗三坪并同條里十九坪内 鎌倉遺文3p.4
法隆寺文書
くほた村(窪田)☆ 平群郡 天正14.9.11 1586 〔天正十四年窪田村付落帳〕天正十四年/九月十一日/平群郡くほた村付をとし帳/ミのたい/壱反半 壱石六斗五升 くほた/助二郎/同/壱反 壱石弐斗 同 安堵町史(下)p.103
天理図書館所蔵文書
笠目村☆ 平群郡 文禄4.8.26 1595 〔文禄四年笠目村検地帳田方写〕文禄四〈乙未〉年/八月廿六日/大和国平群郡笠目村御検地帳/写/牧野伝蔵/太田/上田〈壱間/十三間〉拾三歩 六升三合 笠目/宗五郎 安堵町史(下)p.75
天理図書館所蔵
岡崎村☆ 平群郡 文禄4.8.28 1595 〔文禄四年岡崎村検地帳〕文禄四年〈乙未〉八月拾八日/大和国平群郡岡崎村御検地帳/嶋左近打口/□□/上田〈立十弐間/四間〉弐畝十弐歩 三十七升八合 おかさき/衛門二郎 安堵町史(下)p.150
天理図書館所蔵
安堵邑☆ 平群郡 慶長1.11.- 1596 〔常楽寺旧記〕大和国平群郡夜麻郷/常楽寺御旧記〈太子建立四十六ヶ院/其一 在安堵村〉/抑聖徳太子二十二歳御時於大和国高市郡豊浦小墾田宮向原寺本朝仏法最初欽明天皇十三年‖高橋館ヨリ 蘇我馬子大臣 五十七騎/神宮村ヨリ 小野妹子大臣 六十二騎/飽波村ヨリ 大伴禄手大臣 三十二騎/岡本村ヨリ 阿部学架大臣 二十四騎/川合村ヨリ 秦川勝朝臣 二十五騎/太子勢都合弐百五十三騎余/慶長元年〈丙申〉十一月/大和国平群郡夜麻郷安堵邑/神主/高橋斎宮宗観/謹拝書/常楽寺現住/僧都信経/拝書 安堵町史(下)p.445
富本家旧蔵文書
高安村☆[31]
東安堵村☆[32]
西安堵村☆
法隆寺村☆
平群郡 慶長3.8.- 1598 〔安堵社神験記〕安堵社神験記巻序/大和国平群郡安堵総社牛頭天王者、聖徳太子芦垣宮皇居之御時東五色雲靄釼之令御夢見占之給‖太子各御帰軍不斜御本願可成就宣随臣大伴禄手臣在飽波郷、此時飽波郷令改安堵郷‖是者常楽寺楚跡也、此地夜麻郷飽波郷両堺安堵村領地也‖飽波の里とハ聞に賢くもかゝる安堵を名つけ初けり立田山嵐の音に高安の里ハあれにし寺と答へよ 同(阿一)/右高安寺故在り高安村持也、此旧里名富小川村ト云、業平河内国高安里通時此里ニ休跡在以〈高安村ト改かへり〉/聖徳太子御建立/大和国平群郡夜麻郷/常楽寺事/此謂者大和名所記第六平群郡夜麻郷右之寺ト申者此常楽寺之事也、東安堵村南半領地者夜麻郷、北半領者飽波郷、而宮地共往古安堵村之領地、此堺宮地寺在之‖寛弘三〈丙巳〉年恵心院僧都源信蒙詔奉遷牛頭天王諸堂坊舎社地東西安堵村共、講堂者遷法隆寺村大日堂是ナリ、各常楽寺楚跡也、寺家千軒と申伝寺跡在之、〈阿波/笠目〉各分村也 安堵町史(下)p.305
富本家旧蔵文書
龍田村☆ (平群) 16C 〔中坊宗祐書状〕龍田村之儀雖二条殿去年御契約分相残五十疋給候、然者百疋語申候、就其彼庄へ添文以下事意得尋候、御左右次第可進之候、随而箸尾唐院領催促事承候、彼庄下箸尾之代官衆へ案内申そへ添文進之事如何候 川西町史p.127
京都大学総合博物館所蔵一乗院文書

広瀬郡

郷(里)

城戸、上倉、下倉、山守、散吉、下句[33]

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
広端郷(広瀬)☆ 広端郡(広瀬) 8C 〔勘籍〕[ ]/大宅岡田臣人上年十‖大倭国六人/大原史長嶋年十九〈大倭国平群郡坂門郷戸主少初位上大原史男君戸口〉/仕己知豊国年四十七〈大倭国添上郡山村郷戸主仕己知虫麻呂戸口〉/八嶋白麻呂年十六〈大倭国添上郡資母郷戸主八嶋麻呂戸口〉/田井伊美男足年十一〈大倭国宇智郡資母郷郎戸口〉/栗前広虫年丗〈大倭国広端郡広端郷戸主栗前広麻呂戸口〉/山君岐波豆年廿二〈大倭国添上郡山君郷戸主大初位下山君乎奈弥戸口〉/淡海人足年十九〈大倭国添上郡楢中郷戸主大初位上已知伊香豆戸口〉 寧楽遺文(中)p.539
正倉院文書
区徳里(久度) (広瀬) 10C 〔聖徳太子伝暦〕推古天皇十四年三月/太子在斑鳩宮‖望区徳里云、三百歳後有帝皇出在平群、後又有臣相之気也 王寺町史p.26
聖徳太子全集
北郷[34] 広瀬郡 寛仁1.12.2 1017 〔信貴山寺資財帳写〕信貴山寺/資財宝物帳‖一、諸檀越施入、在各相副公験‖当麻正秀奉施入家地二段事/在広瀬郡北郷十三条三久度里十二坪内西壱/寛仁元年十二月二日 平安遺文10p.3811
信貴山文書
下倉郷 広瀬郡 康和3.10.10 1101 〔大和国小東庄内山村吉則紛失状〕【下倉】大佛白米免小東庄内山村吉則所領事/合/広瀬郡下倉郷十二條二里七坪〈限東中垣并畔 限南畔 限西小路 限北畔〉/十三條二里十二坪地二反 平安遺文4p.1409
東大寺文書
箸尾郷☆[35] 広瀬郡 貞応3.2.- 1224 〔鐘楼寄進銘〕大和国/広瀬郡箸尾郷/大福寺椎鐘也/貞応三年〈甲申〉二月日/願主円阿弥陀仏 広陵町史p.599
大阪府貝塚市願泉寺鐘楼
大輪田郷☆ 広瀬郡 弘長1.4.28 1261 〔尼生阿弥陀仏田地寄進状〕寄進 東大寺大佛殿御大佛殿燈油料田事/合水田弐佰肆拾歩者/在大和国広瀬郡大輪田郷之内十一条五里廿八坪内/四至〈限東谷岸 限南谷岸 限西際目 限北谷岸〉 鎌倉遺文12p.74
百巻本東大寺文書
薬井郷☆ (広瀬) 文永9.7.25 1272 〔春日社記録〕一、廿五日、以衆徒使者定賢被命云‖神人等申云、先度、於薬井郷神人刃傷、而雖申訴更無御成敗之間、神人等評定云 王寺町史p.59
増補続史料集成
南郷
河合郷☆
広瀬郡 貞和3.-.- 1347 〔興福寺造営料大和国八郡段米田数注進状〕広瀬郡 大乗院方/中村 九段 南郷五町/長田庄 田数不知 河合郷 六町一反半/済音寺 三十町二反七十歩/同 一乗院方/長河庄 百六十五町四反 広陵町史p.205
春日神社文書
細井戸郷 広瀬郡 文禄4.9.21 1595 〔内山永久寺領方目録〕寺領方目録/大和国広瀬郡細井戸郷/一、四百拾三石四斗七升 ひらお/一、参百弐拾七石四斗九升 ひきそう/一、弐百三拾石四升 池尻内/合九百七拾石/右、以今度検地之上令寄附訖、全可寺納候也/文禄四年九月廿一日/内山寺 広陵町史p.297
出典記載なし

年月日 西暦 原     文 出  典
大豆村 広瀬郡 和銅2.10.25 709 〔弘福寺田畠流記帳〕弘福寺〈川原〉/田壱伯伍拾捌町肆段壱伯弐拾壱歩/陸田肆拾玖町漆段参歩/大倭国〈広瀬郡大豆村弐拾町玖段弐拾壱歩/山辺郡石上村田弐拾捌町肆段壱伯肆拾陸歩/葛木下郡成相村田壱町弐段漆拾弐歩/高市郡寺辺田参町参段参拾玖歩 寧楽遺文(中)p.343
円満寺文書
百済邑☆ (広瀬) 宝亀6.4.10 775 〔大安寺碑〕大安寺碑文一首并序‖爰詔有司、於百済邑建九重塔、名百済大寺‖故遷高市村新作造焉、増七百戸、改名大官寺‖宝亀六年四月十日作 正四位淡海真人三船 寧楽遺文(下)p.978
今亡失
水派邑(城上) [36] (広瀬) 8C 〔日本書紀巻十六・武烈天皇〕【城戸‖】十一月、詔大伴室屋大連、発信濃国男丁、作城像於水派邑、仍曰城上也 国史大系1下p.5
中闇村☆[37] 広瀬郡 12C 〔大和国小東庄坪付〕十一条二里野井里丗一坪一段半‖注進 東大寺御佛聖白米免庄之坪々等事/合/一、広瀬郡小東庄事/在北郷中闇村十二条二里六坪二反〈同庄券勘合内〉/七坪二段丗ト〈白〉/十七坪一反〈白〉 十八坪一反〈白〉 平安遺文10p.3890
尊経閣所蔵藤井貞幹抄文書
河井村(川合)☆ (広瀬) 嘉元4.3.23 1306 〔後宇多上皇院宣〕大和国河井村住人行康、小東庄年貢抑留事、早可令尋沙汰給之由、御気色候也、以此旨、可令洩申別当僧正御房給 鎌倉遺文29p.322
東南院文書
久度村 広瀬郡 文明2.2.15 1470 〔和州広瀬郡久度村田畠之事〕(表紙)「文明弐年/和州広瀬郡久度村田畠之事」和州広瀬之郡久度村宮田之事/打せまち/壱段 此内三斗弐升 くわんもち/宮田‖書付家次作御太刀道/堀内長兵衛/判/文明弐年〈己□〉二月十五日 王寺町史p.48天理図書館所蔵文書
大垣内村☆ 広瀬郡 文禄4.9.21 1595 〔文禄検地帳写〕文禄四年〈乙未〉/八月吉日/大和国広瀬郡大垣内村御検地帳/東玉 国領来喜右衛門/小谷孫作‖墨付上紙とも五拾六枚在/但本帳ノ紙数事/文四/九月廿一日 東玉 広陵町史p.290
出典記載なし
大塚村☆
池尻村☆
広瀬郡 文禄4.9.21 1595 〔増田長盛書状案〕当社領之事、広瀬郡之内大塚村之内六拾五石九斗八升、同池尻村之内弐拾九石、合九拾五石、今度以御検地之上、被成御寄附候、被任御朱印之旨全可在社納候、恐々謹言/文禄四 九月廿一日/増田右衛門尉長盛判/三輪/大宮/若宮社中 広陵町史p.299
天理大図書館保井文庫文書
神主村
新村
森村
渕口村
今市村
二條村
藤森村☆
広瀬村☆
林口村
(広瀬) 16C 〔百済・広瀬棟帳〕神主村/御神領へ入ル/与衛門 上 賢成院/与作 上 御門跡/長衛門 上 松林院/一助 上‖新村/両座/与三郎 中 御門跡/孫次郎 中‖森村/萬蔵院/甚六 上 御門跡/宗次郎 中 学侶安養院/助二郎 下‖渕口村/両座/善六 中‖今市村/両座/宗十郎 上 地生院/善三郎 上‖二條村/両座/助二郎 下 新坊/新四郎 下 禅学院/孫三郎 下‖藤森村/左助 上 孫一郎 上 甚左衛門 上‖広瀬村/両座/源十郎 上 両座/弥三 中‖林口村/蓮台院/孫三 中 両座/孫六 下‖惣合 弐百弐拾四人 広陵町史p.199~203
多武峰文書

葛上郡

郷(里)

日置、高宮、牟婁、桑原、上鳥、下鳥、太坂[38]、楢原、神戸、余戸

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
柏原郷☆ 葛上郡 天平勝宝3.3.3 751 〔東大寺奴婢帳〕奴小足〈以天平十年逃〉/大倭国葛上郡柏原郷柏原造種万呂之家役五年/又河内国志紀郡林郷戸主上部古理戸口上部白麻呂之家在五年/又還大倭国葛上郡柏原郷柏原造奈兄佐家役三年妻〈河内国〉 寧楽遺文(下)p.768
東大寺文書
下島郷(下鳥ヵ) 葛上郡 承和14.6.7 847 〔山城国宇治郡司解〕【下鳥】宇治郡司解 申立売買家地券文事/合家壱区 地壱町〈熟地五段/林五段〉/在五條上堤田外里五坪三段二百歩〈熟地〉‖四至〈東限公畠并大和国葛上郡下島郷戸主賀茂朝臣真継戸口同姓成継家地并東大寺花厳院 南限道 西限外従五位下縣氏益家地并公畠 北限社〉 平安遺文1p.78
東南院文書
新井郷 葛上郡 文治2.12.5 1186 〔勧学院政所下文〕勧学院政所下 大和国葛下・忍海両郡司并石井庄官等/可早停止上人行俊妨、令僧尋珍領掌当庄事‖葛上郡〈限東小山 限西葛木峯/ 限南新井郷 限北興田/庄〉則四至内役行者誕生所也 新庄町史p.41
春日大社文書
伏見郷☆ 葛上郡 建久6.10.- 1195 〔大和高天寺住僧等寄進状〕寄進 一乗院御祈願所事/合壱間四面堂壱宇者/在葛上郡伏見郷/右、件堂為募御威、所令御寄進当時家也、且以住僧等日別之勤行、奉祈御願円満之由 鎌倉遺文補1p.82
福智院家文書
大口郷
小野郷[39]
(葛上) 応永34.-.- 1427 〔一乗院昭円講師反銭納帳〕御奉行〈太輔法橋御房/丹波寺主御房〉/一、十二ヶ所庄分事‖一、 定使小法/六丁/大口郷‖小野郷〈六貫文納之〉/以上 川西町史p.50
天理図書館所蔵文書
菩提寺散郷
南郷☆
御所郷☆
(葛上) 15C 〔越智郷段銭収納算用状〕一、越智郷段銭収分在所‖越智殿楢原殿相持/菩提寺散郷 十六町‖楢原庄/楢原庄 十町五段半/御室庄 三町六段三百歩/延福寺 三町/南郷 四拾町/近年廿三町‖御所郷 二町一段半 新庄町史p.62
春日大社文書
原谷郷☆ 葛上郡 15C 〔三箇院家抄〕葛上郡内田地在燈油仏聖田 御塔宿直田同在之‖(朱)「五十八」/原谷郷〈葛上郡〉/上分米三石 正願院方 新庄町史p.100
史料纂集

年月日 西暦 原     文 出  典
高尾張邑(葛城) (葛上) 8C 〔日本書紀巻3・神武天皇〕九月甲子朔戊辰、天皇陟彼菟田高倉山之巓、瞻望域中。時国見丘上則有八十梟帥?倭国磯城邑有磯城八十梟師、高尾張邑〈或本云、葛城邑也〉 国史大系1上p.12
茅原村☆ (葛上) 保安3.9.5 1122 〔大方広佛華厳経〕保安三年〈歳次壬寅〉九月五日辛酉書写了、願主僧念寂/以薬師寺本経一交了/保安三年〈壬寅〉十月四日書写了、勧進法隆寺沙門五師大法師林幸、結縁施主茅原村住人僧厳真女橘姉子敬奉書写了 平安遺題p.19文4
法隆寺所蔵

葛下郡

郷(里)

神戸、山直、高額、賀美、蓼田、品治、当麻

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
山君里(山直) 葛木下郡 8C 〔威奈大村墓誌銘〕【山直】小納言正五位下威奈卿墓誌銘幷序/卿諱大村桧前五百野宮御宇 天皇之四世後岡本聖朝紫冠威奈鏡公之第三子也‖以其年冬十一月乙未朔廿一日乙卯帰葬於大倭国葛木下郡山君里狛井山岡 香芝町史p.10
二上村出土四天王寺所蔵
葛下北郷[40] (葛下) 嘉承1.12.28 1106 〔桜島成弘田地売券〕謹解 申売買作手領田立券文事/合弐段者/四至〈限東残田 限南畔 限西三反次 限北畔〉/在葛下北郷十八條一里丗六坪〈中観覚院田者〉/右件作手田、元者成弘先祖相伝所領也、而今依有直要用、充價直之米参石 平安遺文4p.1523
内閣文庫所蔵大和国古文書
葛下郷 (葛下) 大治1.3.7 1126 〔大原兼清田地売券〕謹解 申売買作手領田立券事/合弐段者/四至〈限東残田 限南畔 限西三段次 限北畔〉/在葛下郷十八条一里丗六坪中勧学院□/右、件作手田、元者兼清先祖相伝所領也、而今依有直要用、充価直々米陸石 平安遺文5p.1785
内閣文庫所蔵大和国古文書
礒野郷(磯野)☆ 葛下郡 建久4.4.6 1193 〔惣追捕使清原正秀注文写〕葛下郡平田御庄、惣追使、清原正秀注置大織冠御供所礒野郷四至事/東限今里ヨリ東大堀際/西限淵河東辻ヨリ南北へ行畔手際/南限中村里ヨリ南三町行テ西東行大道際/北限横路ヨリ北二町西東畔際 大和高田市史p.40
談山神社文書
甘田郷 葛下郡 建久8.-.- 1197 〔多武峰略記(地)〕多武峰略記 巻下‖一、堂舎 付仏像‖法花堂 柿葺、元檜皮、一間四面‖安元二年丙申七月十一日、為此堂造営、運取葛下郡甘田郷住人僧巌智〈明光房〉之堂了 神道大系(大和)p.206
談山神社史料
高田郷☆ 葛下郡 建久9.4.23 1198 〔伊福寺大般若経跋文〕未尅書写之、大和国葛下郡高田郷、伊福寺内ニテ 旧大和高田市史p.113
棚本旭宣氏所蔵
興田郷(奥田) [41] (葛下) 嘉禄3.8.- 1227 〔平重康申状〕平重康言上/欲且任度々長者宣・寺家下知、且依 関東御教書状、被行狼藉人於所当罪、令安堵代官光重大和国豊国庄地頭職事‖預所幸尼割庄内興田村称寄進 春日社‖今年閏三月十三日御教書云、興田郷御墓守狼藉事、可対決両方之由被仰下畢 大和高田市史p.61
春日大社文書
大西郷☆ 葛下郡 貞和3.2.- 1347 〔興福寺造営料大和国八郡段米田数并済否注進状〕(表紙)「一乗院方/大和国段米大安寺注進状〈貞和三年二月日〉」注進興福寺造営料大和国八郡段米田数并難渋弁済等所々事/一乗院方/合/葛下郡‖大西郷 四町五段/段米一石三斗五升/悉難渋‖田井村二十四町半/段米七石二斗一升五合/曽我少納言公抑留之 王寺町史p.41
春日大社文書
中村郷☆ 葛下郡 応永6.1.18 1399 〔興福寺造営料大和国八郡段米田数注進状〕□□/興福寺造営料大和国八郡〈段米田数〉/葛下郡/寺方‖野村 廿一町四反半/田井村 廿四町半/已上‖中村郷 六町二段/大畠 六町七段六十歩‖応永六年〈己卯〉正月十八日/奉行英空(花押) 王寺町史p.44
春日大社文書
片岡ノ端ノ郷 (葛下ヵ[42]) 長禄4.10.10 1460 〔長禄記〕遊佐河内守大将ニテ、千五百騎ニテ寄来ル、大川ノ南ノソイラノホリニ、片岡ノ端ノ郷ヲ通リニ、総持寺ノ芝ニテ勢ヲ添ヘ、案内者ナレハトテ立野大和守ニ冑百余騎ヲ副、御輿河原ノ松本エ一手ハ向ク 王寺町史p.193
続群書類従
南郷[43] 葛下郡 文明1.11.22 1469 〔大乗院寺社雑事記〕一乗院領平田庄者田数二千二百九十五丁一反七十二歩、広瀬郡ニ四百六十一丁七反二百四十歩、葛下郡北郷ニ千百廿四町九反百廿歩、南郷ニ七百八丁四反七十二歩 広陵町史p.187
布施郷 (葛下) 文明14.10.4 1482 〔大乗院寺社雑事記〕一、七堂燈油事‖七堂燈油庄々事〈文明十四年注□、十三年分事也〉/布施郷越智方/今井庄 本油二石三斗一升五合〈去年五斗三升納之〉 大和高田市史p.58
万歳郷 (葛下) 天文19.7.11 1550 〔多聞院日記〕一、従筒井河州衆ヲ語ヒ、惣都合二万五千程ニテ万歳郷悉以放火了、高田トノ公事ニテ筒井ヨリ如此沙汰了云々 大和高田市史p.86
片岡郷 (葛下) 永禄5.5.21 1562 〔享禄天文之記〕五月廿日、河州ニテ子コロ衆并岩本御屋形様方へ、三好軒并弾正殿取懸テ‖廿日夜、筒井殿ハ普提山寺マテ御落有、同夜、多門山出テ小屋悉焼払、西手負ヒロ岡郷焼、/一、廿一日、筒井郷、十市郷、片岡郷焼払 王寺町史p.143
国立公文書館内閣文庫所蔵大乗院文書

年月日 西暦 原     文 出  典
成相村 葛木下郡 和銅2.10.25 709 〔弘福寺田畠流記帳〕弘福寺〈川原〉/田壱伯伍拾捌町肆段壱伯弐拾壱歩/陸田肆拾玖町漆段参歩/大倭国〈広瀬郡大豆村弐拾町玖段弐拾壱歩/山辺郡石上村田弐拾捌町肆段壱伯肆拾陸歩/葛木下郡成相村田壱町弐段漆拾弐歩/高市郡寺辺田参町参段参拾玖歩 寧楽遺文(中)p.343
円満寺文書
国中村 葛下郡 宝亀5.10.3 775 〔続日本紀巻三十三・光仁天皇〕冬十月己巳、散位従四位下国中連公麻呂卒、本是百済国人也‖以居大和国葛下郡国中村、因地命氏焉 国史大系2p.419
片岡村 (葛下) 9C 〔日本霊異記〕聖徳皇太子異しき表を示す縁 第四/聖徳皇太子は、磐余池辺双槻宮に宇御めたまひし橘豊日天皇の子なり‖片岡村の路の側に乞匈人有り‖岡本村の法林寺の東北の角に有る守部山に、墓を作りて収め、名つけて人木墓と曰ふ 王寺町史p.22
新日本古典文学大系
高田村☆ 葛下郡 正治2.6.27 1200 〔伊福寺大般若経跋文〕於和州葛下郡高田村伊福寺書写之 旧大和高田市史p.114
棚本旭宣氏所蔵
興田村(奥田)☆ (葛下) 嘉禄3.8.- 1227 〔平重康申状〕平重康言上/欲且任度々長者宣・寺家下知、且依 関東御教書状、被行狼藉人於所当罪、令安堵代官光重大和国豊国庄地頭職事‖預所幸尼割庄内興田村称寄進 春日社‖今年閏三月十三日御教書云、興田郷御墓守狼藉事、可対決両方之由被仰下畢 大和高田市史p.61
春日大社文書
磯野村☆ (葛下) 弘安2.8.- 1279 〔大和平田荘々官等申状〕大和国平田御庄官名主等謹言上/欲早当国磯野村住人等、募御墓守権威、放入数十□牛馬於当御庄、飼作麦刻、剰致打擲蹂躙上者、任前□御下知、被召出彼狼藉人等、被行重科子細事 鎌倉遺文18p.211
兼仲卿記弘安六年春巻裏文書
田村 葛下郡 正応5.4.10 1292 〔西大寺田園目録〕注置 西大寺塔僧房通別三宝料田畠目録事‖葛下郡北郷廿四条二里二坪内一町〈字マカリカハノ二ノ坪〉/所当米六石四斗〈十一合升定〉‖葛下郡田村深井垣内二段/所当米一石四斗/已上九ヶ所、四町六段半/正応五年四月十日、以玉手隆円房本尊当麻曼荼羅、為其後家尼并子息金剛丸沙汰、奉安置当寺 大和高田市史p.65
西大寺所蔵文書
下田村☆ 葛下郡 元弘1.1.- 1331 〔経営古記〕(上略)夫鹿嶋大明神者、人王八十代高倉院御宇、承安二年三月、従常州鹿嶋宮、奉勧請於此地也、按其由来‖而到於和州葛下郡下田村、時日将暮 香芝町史p.141
鹿嶋神社文書
田井村 葛下郡 貞和3.2.- 1347 〔興福寺造営料大和国八郡段米田数并済否注進状〕(表紙)「一乗院方/大和国段米大安寺注進状〈貞和三年二月日〉」注進興福寺造営料大和国八郡段米田数并難渋弁済等所々事/一乗院方/合/葛下郡‖大西郷 四町五段/段米一石三斗五升/悉難渋‖田井村二十四町半/段米七石二斗一升五合/曽我少納言公抑留之 王寺町史p.41
春日大社文書
野村 葛下郡 応永6.1.18 1399 〔興福寺造営料大和国八郡段米田数注進状〕□□/興福寺造営料大和国八郡〈段米田数〉/葛下郡/寺方‖野村 廿一町四反半/田井村 廿四町半/已上‖中村郷 六町二段/大畠 六町七段六十歩‖応永六年〈己卯〉正月十八日/奉行英空(花押) 王寺町史p.44
春日大社文書
豊田中村 葛下郡 永享3.11.8 1431 〔臨時反銭唐院方納帳〕一、永享元年〈己酉〉公方御下向要脚臨時反銭唐院方納帳/大乗院方‖葛下郡〈定使善福 西分〉‖豊田中村〈六丁六反〉(朱)「三百文」 新庄町史p.86
大乗院文書

忍海郡

郷(里)

津積、園人、中村、栗栖

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
栗樔郷 忍海郡 8C 〔智識優婆塞等貢進文〕【栗栖】秦伎美麻呂〈年廿一/大和国忍海郡栗樔郷戸主従七位下勲十二等忍海上連薬戸口/読経 法華経一部 最勝王経一部 寧楽遺文(中)p.529
正倉院文書
薑郷☆
十三郷☆[44]
(忍海) 15C 〔越智郷段銭収納算用状〕一、越智郷段銭収分在所‖同(布施方)領/薑郷 五町一反/但此庄反銭無之、反米斗納也‖田中方/南喜殿庄〈四十六町六反大/近年蔵付マテ占〉‖十三郷 五段 新庄町史p.62
春日大社文書

年月日 西暦 原     文 出  典
笛吹村☆ (忍海) 寛弘1.9.13 1004 〔鏡作神社縁起〕日本国在八尾里/銅正一位大明神/御尊垂迹 神秘/夫天地開成、天地城成父、成母、成日、成月、成王‖乙巳年八月都移和州、人皇三十二代帝四月九日崩御在、七月九日八尾奉移飯趣山、号正一位笛吹大明神、其時ヨリ笛吹村トモ云 神道大系(大和)p.406
鏡作坐天照御魂神社史料
脇田村☆ (忍海) 明応3.11.5 1494 〔国分尼葛城山施薬院慈光寺由緒〕往昔聖武天皇天平六年脇田村西端ニ施薬院ヲ建立シ、葛城山ノ百種ノ薬草ヲ集メ、医療師ヲ置キ、窮民ニ之ヲ施シ、無■(古+辛)ノ貧病者ヲ看病救療セ■(人偏+卑)メ給フ 新庄町史p.88
『大和上代寺院志』所収文書

宇智郡

郷(里)

阿陀、賀美、那珂、資母

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
資母郷 宇智郡 8C 〔勘籍〕【資母】[ ]/大宅岡田臣人上年十‖大倭国六人/大原史長嶋年十九〈大倭国平群郡坂門郷戸主少初位上大原史男君戸口〉/仕己知豊国年四十七〈大倭国添上郡山村郷戸主仕己知虫麻呂戸口〉/八嶋白麻呂年十六〈大倭国添上郡資母郷戸主八嶋麻呂戸口〉/田井伊美男足年十一〈大倭国宇智郡資母郷郎戸口〉/栗前広虫年丗〈大倭国広端郡広端郷戸主栗前広麻呂戸口〉/山君岐波豆年廿二〈大倭国添上郡山君郷戸主大初位下山君乎奈弥戸口〉/淡海人足年十九〈大倭国添上郡楢中郷戸主大初位上已知伊香豆戸口〉 寧楽遺文(中)p.539
正倉院文書
阿陁郷☆[45] 宇智郡 貞観8.10.23 866 〔日本三代実録巻十三・清和天皇〕【阿陀】廿三日甲午、贈太政大臣藤原朝臣墓在大和国宇智郡阿陁郷、詔置守家傜丁十二人 国史大系4p.201
賀美郷
那賀郷
宇智郡 天元3.9.- 980 〔太政官符案〕【賀美】【那珂】太政官符 大和国司/応永為栄山寺領田地参佰参拾漆町陸段事/一墓山地弐佰捌拾町/在宇智郡阿陁郷鵜野村‖在同郡賀美郷下堤村真土條并郡條内‖一高栗栖牧地参拾町/在同郡那賀郷河南三條五灰焼里北辺布師村 平安遺文2p.457
栄山寺文書
二見郷☆
坂合部郷
(宇智) 仁安3.7.24 1168 〔豊井庄新芋注進状〕(端裏書)「両郷芋浄鏡房沙汰」注進 豊井御庄内二見・坂合部春料芋不食分中分食□/合参拾為内/一、二見郷九為/貞包一為〈六両一分〉‖一、坂合部郷廿一為内/二条徴下給〈但守包芋歟〉/定十九為/安成一為〈七両〉 平安遺文7p.2720
東大寺文書
大岡郷(岡)☆ 豊井庄
(宇智)
治承3.8.5 1179 〔大和国豊井庄年貢請取状〕納 豊井御庄大岡郷分御年□/合佰両者/右、当年御年貢内、且所[ /治承参年八月五日/納殿預(花押) 平安遺文8p.2981
保阪潤治氏所蔵東大寺文書
大鳥郷 豊井庄
(宇智)
文明11.5.13 1479 〔大乗院寺社雑事記〕一、一乗院家御領注文行賢五巻記定、興富庄〈在末庄〉 窪田 兼殿 大内‖豊井庄四个郷〈大岡・二見・大鳥・坂合部/糸百六十両・綿千両・紅花五百両・長講米九石〉 王寺町史p.115
増補続史料大成

年月日 西暦 原     文 出  典
二見村☆ 内郡(宇智) 和銅2.10.25 709 〔弘福寺田畠流記帳〕弘福寺〈川原〉/田壱伯伍拾捌町肆段壱伯弐拾壱歩/陸田肆拾玖町漆段参歩/大倭国〈広瀬郡大豆村弐拾町玖段弐拾壱歩/山辺郡石上村田弐拾捌町肆段壱伯肆拾陸歩/葛木下郡成相村田壱町弐段漆拾弐歩/高市郡寺辺田参町参段参拾玖歩‖内郡二見村陸田陸段 寧楽遺文(中)p.343
円満寺文書
鵜野村(宇野)☆
下堤村
布師村
宇智郡 天元3.9.- 980 〔太政官符案〕太政官符 大和国司/応永為栄山寺領田地参佰参拾漆町陸段事/一、墓山地弐佰捌拾町/在宇智郡阿陁郷鵜野村‖在同郡賀美郷下堤村真土條并郡條内‖一、高栗栖牧地参拾町/在同郡那賀郷河南三條五灰焼里北辺布師村 平安遺文2p.457
栄山寺文書

吉野郡

郷(里)

賀美、那珂、資母、吉野

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
遠津川郷(十津川) (吉野) 永治2.2.15 1142 〔大和国金峯山寺牒〕金峯山寺牒 金剛峯寺〈衙〉/一紙被載〈当寺領中津川村被押妨彼山由者〉/牒、件村者、自往古以来、任官符 勅定旨、為当山所領、而以去十月比、俄偁遠津川郷内、被加制止者、抑件中川者、遠津川郷内領、而自以往已来、所雑役勤仕也 平安遺文6p.2068
高野山文書宝簡集48
野川郷
中津川郷☆
(吉野) 建保6.3.- 1218 〔高野山所司愁状案〕高野山所司等解 申請 将軍家裁事/請特蒙 広恩、依押領当山所領不当猛悪、被召下吉野山悪僧春賢、処重科并搦誡野川郷民子細状/右、謹検案内、建保三年二月之比、野川住人等、号吉野山執行春賢之沙汰、入当寺領四五里許、懸榜示札畢‖然間、件中津川郷、為吉野法師被押領畢 鎌倉遺文4p.277
高野山文書又続寳簡集
吉野郷☆[46] (吉野) 建保6.4.2 1218 〔後鳥羽上皇院宣案〕【吉野】(別紙)「建保六年」「院宣案 高野山訴事 四月二日」高野山訴申吉野郷民狼藉事、度々訴状等如此、如状者、尤以可及一山滅亡云々、殊可有御沙汰事候歟、 鎌倉遺文4p.279
高野山文書又続寳簡集
竜門郷
高原郷☆
二十河郷(西河)☆
檜垣本郷☆
阿知我郷☆[47]
比曽郷☆
麻志郷☆[48]
波佐郷☆[49]
郡原郷
古田郷☆[50]
吉野郡 建武1.9.4 1334 〔吉水院真遍坊領紛失状〕金峯山吉水院々主律師真遍謹言上/欲早被経御 奏聞、任寺家宿老証判、被 綸旨、備将来亀鏡当院坊領証文紛失事/副進‖大和国/丹生谷庄 戸毛庄‖竜門郷水田参段 玉田水田五段‖吉野郡/高原郷 二十河郷 檜垣本郷内水田五段 阿知我郷内屋敷壱所并水田五段 新住水田四段 阿芸河水田四段 比曽郷内水田五段 麻志郷内水田五段 波佐郷内水田弐段 郡原郷内水田参段 古田郷内水田弐段 川上村史(上)p.6
吉水神社文書
河合郷 (吉野) 観応1.9.- 1350 〔玉置山権現縁起〕子守 三所 八大金剛童子 白山 三狐神 三所如意宝珠 大日堂 通知無漏嶽 大毘盧那嶽 月見岩屋/玉置三所之玉砌者金山第一之金場也‖北野天神西川河合郷祭置之、毎月参籠無懈怠、末代迄玉置一家之輩社参不可有懈怠、依之、一巻神書天神宝殿奉納置者也 神道大系(大和)p.527
玉置神社史料
志賀郷☆ 竜門庄
(吉野)
正平15.10.18 1360 〔雲祥一筆大般若経〕巻百八十八、正平十五年初冬十八日、於竜門庄志賀郷長波左間之清五室写之、雲祥、惣旦那同前巻 川上村史(下)p.313
運川寺蔵
河上郷[51] 吉野郡 元中9.10.1 1392 〔某宮令旨〕大和国吉野郡河上郷三村山手知行事、任先例、不可有相違之由、令旨所候也、悉之以状/元中九年十月一日/大杉之輩中 美濃守 川上村史(上)p.8
『南狩遺文』所収文書
管城部郷 吉野郡 宝徳2.1.17 1450 〔田地売券〕(端裏書)「タテイシトノゝカイトノフケノ文ショ」売渡申 新立券文之事/合三十カリ者、字トノゝカイトノフケ/在大和国吉野郡管城部郷立石村内之/四至〈限東立際目 限南シクカキル 限西コロミソ 限北河中〉/右、件田地ハ、左近二郎先祖相伝之私領也、而今依要用有、限永代直銭十三貫文ニ西谷ノ助二郎殿ニ売渡申処明白実也 大和下市史p.55
楠山家文書
河野郷 (吉野) 文明10.8.- 1478 〔上月記〕南方御退治条々/一、綸旨并御内書等、/当方御頂戴之間、中村弾正忠貞友被仰付之処、於両宮御退治之事者、既可棄一命上者争不達御本意乎‖一、同夜半子於吉野山河野郷奉討南方二宮、同伺候人宇野大和守・高野山智荘厳院弟子定順・同次郎三郎〈名字不知〉此四人討捕訖 川上村史(上)p.54
『群書類従』所収
木津郷☆
鷲賀郷(鷲家)☆
伊豆郷☆[52]
(吉野) 15C 〔三箇院家抄〕葛上郡内田地在燈油仏聖田 御塔宿直田同在之/(朱)「五十五」/鷲賀三ヶ郷〈木津郷 鷲賀郷 伊豆郷/未庄三ヶ所 平野 杉谷 谷尻〉 新庄町史p.99
史料纂集
花薗郷 (吉野) 15C 〔三箇院家抄・坊官・侍等給分〕■(ボダイ)舜寺分/四貫文 兵庫郷田成畠之内/綿十屯 坪江鏡地‖花薗郷奉行/若槻庄奉行五石御米内 東吉野村史p.72
史料纂集
入郷(丹生ヵ)☆ 吉野郡 永禄4.-.- 1561 〔畠地売券案〕(端裏書)「タニムラナカシマ ウリケン」売渡申畠之新巻文状之事/本斗ムキ五斗 所者、ナカシマ新河ノヲモテ‖右依テ吉野郡入郷中嶋源九郎雖為相伝、今要用有、直銭五貫広橋北与次郎殿へ永代ヲ限テ売渡申事実正明白也 大和下市史p.88
楠山家文書
クロタキカウ(黒滝) (吉野) 文禄5.9.12 1596 〔竹役催課状〕(端裏書)「クロタキヤフ」文禄五年クロタキカウキリヲキタケノコト/壱タンニツキ十六ホンツゝ、タケノキヤウワ、モトワツチキワヨリ、ウエヲトメスニエタマテヲモキヲキ申ヘキコト 大和下市史p.103
楠山家文書

年月日 西暦 原     文 出  典
中津川村☆ (吉野) 永治2.2.15 1142 〔大和国金峯山寺牒〕金峯山寺牒 金剛峯寺〈衙〉/一紙被載〈当寺領中津川村被押妨彼山由者〉/牒、件村者、自往古以来、任官符 勅定旨、為当山所領、而以去十月比、俄偁遠津川郷内、被加制止者、抑件中川者、遠津川郷内領、而自以往已来、所雑役勤仕也 平安遺文6p.2068
高野山文書宝簡集48
大瀧村☆ (吉野) 建保7.2.15 1219 〔高野山検校覚海書状〕近日、十津川郷人来当寺領大瀧村懸札申云、当村并花園等、吉野之領十津川之内也、仍令懸比榜示之札、自今以後者、可勤十津川之公事云々 鎌倉遺文4p.309
高野山文書寳簡集
廿講村(西河)☆
竹原村(高原)☆
吉野郡 元中1.12.20 1384 〔後亀山天皇綸旨〕大和国吉野郡内廿講・竹原両村所被返付也、如元可令知行者、天気如此、悉之以状/元中元年十二月廿日 左中弁(花押)/吉水兵部卿房 川上村史(上)p.8
吉水神社文書
川上村 吉野郡 応永18.1.19 1411 〔見昌華厳経〕孝子比丘尼見昌拝書/応永十八年正月十九日、吉野郡川上村阿野宮/河上第一金岡寺常住、願主住持比丘尼見昌、四天王寺北村高徳禅庵常住 川上村史(下)p.342
日本古写経現存目録所収
立石村☆ 吉野郡 宝徳2.1.17 1450 〔田地売券〕(端裏書)「タテイシトノゝカイトノフケノ文ショ」売渡申 新立券文之事/合三十カリ者、字トノゝカイトノフケ/在大和国吉野郡管城部郷立石村内之/四至〈限東立際目 限南シクカキル 限西コロミソ 限北河中〉/右、件田地ハ、左近二郎先祖相伝之私領也、而今依要用有、限永代直銭十三貫文ニ西谷ノ助二郎殿ニ売渡申処明白実也 大和下市史p.55
楠山家文書
小瀬村(巨瀬)☆
栃本村☆
(吉野) 15Cヵ 〔滝川寺所蔵経巻奥書〕南帝崩□康正丁子臘月二日夜、赤松カ徒殺奉ル、此経勧請一結衆之姓名在斯、所謂/小瀬分 □玉置将監 大屋宰相‖栃本分 中宅左衛門三郎 竹下形部 大平兵衛太郎 同兵衛次郎 同左衛門四郎 帯刀允‖有之両村之次第書 宅念 川上村史(上)p.10
滝川寺所蔵
水足村[53] (吉野) 大永2.4.26 1522 〔河相宮縁起〕百済寺僧学弁記云/当社御鎮座之始者/人皇十代崇神天皇御宇‖一、明神天降坐在所、大和国巨瀬村今木里天降給、大水之時明神乗御船、水足村来留給、此号水足明神、後又改名河相明神、即自是名巨瀬今木之社、曰河相 神道大系(大和)p.491
広瀬神社史料
タニムラ(谷)☆ 吉野郡 永禄4.-.- 1561 〔畠地売券案〕(端裏書)「タニムラナカシマ ウリケン」売渡申畠之新巻文状之事/本斗ムキ五斗 所者、ナカシマ新河ノヲモテ‖右依テ吉野郡入郷中嶋源九郎雖為相伝、今要用有、直銭五貫広橋北与次郎殿へ永代ヲ限テ売渡申事実正明白也 大和下市史p.88
楠山家文書
上谷村☆ (吉野) 天正6.6.28 1578 〔下多古ケン左衛門等定状〕定状之事/一カウタニ山ニツキ、トロ河ト出入御座ソロヲアツカヰソロテサダメ申シサカイメノコト、ヤナヰタニノ大谷カキリヒカシハ上谷村之山西ハトロ河山ト申ソロエトモウラムカヰヲ立合ニサタメヲキ申候 川上村史(上)p.12
中谷順一文書
如名生村(賀名生)☆[54] 吉野郡 天正8.10.- 1580[55] 〔筒井諸記〕天正八年十月/吉野郡〈騎馬二百五十七人/雑兵五百七十人〉‖阿野堀源兵衛〈如名生村トモ云、後醍醐・後村上二代皇居也、今ニ御所ト云、観応二ニ光厳院・光明院春宮此所ニ七年之間囲レ疫ス、其外構家方、門跡、清花、公家、諸司坐旧地在リ〉 川上村史(上)p.59
水戸彰考館所蔵文書
井戸村☆ 吉野郡 文禄4.8.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年/八月日/和州吉野郡之内井戸村□□□‖畠方高合八拾九石弐斗五升二合(印)/内八石三斗六升四合以上(印)/文禄四年八月日 八嶋久兵衛尉(印) 川上村史(上)P.454
井戸区有文書
いかり村(碇)☆ 吉野郡 文禄4.8.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年/八月日/和州吉野郡いかり村検地帳‖畠方/高合五拾八石六斗/内八石七斗弐升三合荒/文禄四年八月日 八嶋久兵衛(印) 川上村史(上)p.509
井光区有文書

宇陀郡

郷(里)

漆部、伊福、浪坂、多気、笠間

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
波坂郷 宇太郡 和銅6.7.6 713 〔続日本紀〕【浪坂】丁卯、大倭国宇太郡波坂郷人大初位上村君東人得銅鐸於長岡野地而献之、高三尺、口径一尺、其制異常 国史大系2p.53
笠間郷☆ 宇陁郡 久寿3.3.7 1156 〔清原友次畠売券〕【笠間】謹解 売買畠事/合壱処者/四至〈限東峯 限南田際 限西少尾正中右 限北大道〉/在大和国宇陁郡笠間郷之内寺垣内之東畠也/右件畠者、正遠之先祖相伝之所領、清原是次買畢処也 平安遺文9p.3727
内閣文庫蔵澤氏古文書
山邊郷☆ 宇陀郡 建暦2.12.8 1212 〔僧慶増文書紛失状〕僧慶増所領紛失状事/合/在名張郡黒田庄内水田畠広野事‖右、件領者、慶増相伝領也、年来之間、全以無他妨、然間彼本券等大和国宇陀郡山邊郷願幸房ト云人在、件券預置 鎌倉遺文4p.50
石崎文書
南阿曽谷郷(阿曽田・麻生田ヵ)☆ 宇陀郡 永仁4.3.1 1296 〔興福寺公文所下文案〕公文所下 宇陀郡刀禰幷南阿曽谷郷民等/可早任衆議旨、相従領主僧浄心所勘、弁済年々所当米脇三反事/右、件脇田三反事、前々雖被下知、真阿幷百姓彌太郎男等不随領主之所勘云々 鎌倉遺文25p.199
福智院家文書
東郷☆ 宇多郡 正平21.5.18 1366 〔後村上天皇綸旨〕大和国宇多郡東郷若童丸跡半分、為料所可令知行者、天気如件、悉之、以状/正平廿一年五月十八日 右大弁(花押)/宇佐美下野守館 南北朝遺文(関)5
p.55
脇家文書
牧郷☆ (宇陀) 長禄2.9.22 1458 〔経覚書状〕言説候事候、随而陣取之様自畠山方申下分符合候‖高山奥・古市・番条、此等者しはほ谷と申候て鷹山打越に牧郷よりに候所をとをり候て、牧郷内に北ハたと申在所に陣を取候へと申候由古市物語候 安堵町史(上)p.42
猪熊文書
大熊四郷☆[56] 宇多郡 寛正2.12.19 1461 〔大乗院寺社雑事記〕一、宇多郡大熊四郷之年預、自小川方百疋分沙汰、給人等如戒支配云々 東吉野村史p.58
石田郷☆
高塚郷☆
宇多郷
(宇陀) 15C 〔三箇院家抄・応永十二年大乗院家宇多一郡内庄園・関所目録〕応永十二年九月宇多一郡悉以大乗院家知行之時、諸家領地分半分致知行了‖石田郷内田八反‖高塚之内/極楽寺領御許可分、五反高塚郷内 一丁石田郷内‖宇多郷/新関〈在所芳野〉 東吉野村史p.92
史料纂集
大神郷☆ 宇多郡 15C 〔三箇院家抄・宇多郡庄々郷々注文〕宇多郡庄々郷々注文/合/一、大乗院御方/芳野 松井 東郷 田口‖丹生谷大神郷 東吉野村史p.93
史料纂集
平野郷 (宇陀) 天文16.⑦.20 1547 〔三箇院家抄・天文十六年挿入文書〕鷲家〈ヲカワ方ヒクワン 家丗計〉 下司助大郎‖木津〈両方ケンタ井〉 下司松山総介〈平野郷ニ住宅アリ〉 東吉野村史p.96
史料纂集

年月日 西暦 原     文 出  典
穿邑(宇賀志)☆ (宇陀) 8C 〔日本書紀巻三・神武天皇〕六月乙未朔丁巳‖今樂府奏此歌者、猶有手量大小及音声巨細、此古之遺式也、是後天皇欲省 吉野之地、乃従菟田穿邑、親率軽兵巡幸焉 国史大系1上 p.119
日本書紀
猛田邑 (宇陀) 8C 〔日本書紀巻三・神武天皇〕二年〔壬戌〕春二月甲辰、天皇定功行賞、賜道臣命宅地居于築坂邑、以寵異之、亦使大来目居于畝傍山以西川辺之地、今号来目邑、此其縁也、以珍彦為倭国造〈珍彦、此云于砮毗故〉、又給弟猾猛田邑、為猛田縣主、是菟田主水部遠祖也 国史大系1上 p.132
日本書紀
丹生谷村☆[57] (宇陀) 15C 〔三箇院家抄〕〔三箇院家抄・応永十二年大乗院家宇多一郡内庄園・関所目録〕応永十二年九月宇多一郡悉以大乗院家知行之時、諸家領地分半分致知行了‖丹生谷村内安養寺領御許可 東吉野村史p.92
史料纂集
平野村
松井村☆
稲戸村☆
藤井村☆
三宮寺村☆
平尾村☆
疋澤村[58]
駒かへり村(駒帰)☆
さくら村(佐久良・佐倉)☆
大神村☆
上村
下村
(宇陀) 慶長2.6.20 1597 〔水分神社縁起〕当社水分様圓儀有之処、慶長弐年二月十七日ニ、我等家火事ヲ相被、巻物之類火に合申候‖平野村古場之堂僧正壱躰うけ取、嶽の明神と御祝被成候、今壱躰者古屋野内前請取、古市場ニ御祝込被成候‖然るニ、騎追馬ハ七疋内壱疋古市場、同壱疋松井村より、同壱疋稲戸村より、同壱疋藤井村y、同壱疋三宮寺村より、同壱疋平尾村より、矢慰之馬、守道殿より馬兒共、岩清水之馬ニ兒ハ和田之上之段、稲戸村葛上より馬兒共ニ‖六、森野仁右衛門〈駒かへり村〉、黒装束、折烏帽子〈但馬ハ宇加志村より〉/一、古市場一之禰宜、宮野原境メ迄御迎ニ参、為御くう米と弐袋、御輿之内入見子者、古市場より参也/一、御輿之次ニ、所の禰宜、白張ニ立ゑほし‖七、中村甚兵衛〈さくら村〉、黒装束、折烏帽子〈但馬ハ大神村より〉‖一、上村ニ地蔵堂、是も秘仏也/一、下村ニ観音、秘仏也 神道大系(大和)p.446
惣社水分神社史料

城上郡

郷(里)

辟田、下野、神戸、大市、大神、上市、長谷、恩坂[59]

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
北郷 城上郡 長承2.1.13 1133 〔権少僧都大神荘相伝券文〕権少僧都房相伝 庄壱処事/合拾伍町肆段佰捌拾歩/在大和国城上郡北郷 字大神庄/十八条四里十四坪四段 十九条三里丗坪 平安遺文5p.1918
東大寺文書
南郷 城上郡 建保3.12.27 1215 〔僧定尊田地売券〕沽却 田地新券文事‖在大和国城上郡南郷廿条一里十四畔内〈自北六段也〉/四至〈限東畔 限南際目 限西畔 限北畔〉/右、件田地元者、僧定尊先祖相伝私領也 鎌倉遺文4p.195
百巻本東大寺文書
瀧蔵郷☆ (城上) 文永6.5.28 1269 〔興福寺公文所泰経書状〕瀧蔵郷訴事、為長谷寺散郷上者、寺家公人可入候之条者、不能子細候、但於過分狼藉者、可加制止之旨、衆儀之間、以此趣、前日下向公人等中へ、加下知候了 鎌倉遺文14p.45
中臣祐賢記
小夫郷☆ 城上郡 永仁6.12.5 1298 〔大和西大寺田園目録〕注置 西大寺塔僧房通別三宝料田畠目録事‖添上郡東六条五里内七段〈岩淵寺西辺、字橘内北辺〉/添上郡東六条五里卅五坪内一段小〈字四枝、岩淵寺西〉/城上郡小夫郷内四段〈字ミタケ、スハミタニ〉添上郡水間郷内四段〈字クホノ垣内〉/山辺郡南郷十五条七里十一二両坪内二段〈東辺、字クホナカ/シリカケ〉/已上五所一町八段小、永仁三年五月廿五日光明真/言料田、願信房 鎌倉遺文24p.253
東大寺文書
野部郷 (城上) 嘉元4.6.12 1306 〔昭慶門院御領目録〕御領目録/一 庁分/山城国久我本庄‖一 庁分御庄々〈目録同前、但五ヶ所漏目六之間、注加之〉/大和国野部郷 伊勢国額田納所〈万里小路大納言入道〉 鎌倉遺文29p.371
竹内文平氏所蔵文書
楊本郷☆ 城上郡 天文24.8.29 1555 〔後奈良天皇綸旨〕大和国城上郡楊本郷天満大自在天神、祭礼式月雖為八月、向後以九月可遂行之由、被聞食畢、弥可奉祈皇家再興之旨可令下知給者/綸旨如此、仍上啓如件/天文廿四年八月廿九日/右中弁淳光/謹上 右兵衛督 殿 天理史市1p.151
伊射奈岐神社蔵

年月日 西暦 原     文 出  典
磯城邑 (城上) 8C 〔日本書紀巻3・神武天皇〕九月甲子朔戊辰、天皇陟彼菟田高倉山之巓、瞻望域中。時国見丘上則有八十梟帥‖倭国磯城邑有磯城八十梟師、高尾張邑〈或本云、葛城邑也〉 国史大系1(上)p.120
忍坂邑☆[60] (城上) 8C 〔日本書紀巻三・神武天皇〕【忍坂】冬十月癸巳朔、天皇嘗其厳瓮之糧、勒兵而出、先撃八十梟帥於国見丘破斬之、是役也‖乃顧勅道臣命、汝宜師大来目部、作大室於忍坂邑、盛設宴饗、誘虜而取之 国史大系1(上)p.123
三輪村☆ (城上) 弘安6.4.26 1283 〔長者(鷹司兼平)宣〕当国三輪村西御厩庄間事、都不存知事候、若夏中談義衆中存知事候哉、長者宣如此候、若被聞食事候者、可令取沙汰給之由候也、恐々謹言 鎌倉遺文20p.29
大和大東家文書
三谷村☆ 城上郡 文禄4.8.18 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年/八月十八日/大和国城上郡三谷村御検地帳/九□衛門/勘五郎‖田畠/居屋敷合拾壱町九反三畝廿歩/右分米合五拾八石五斗/内永荒三石三斗壱升/文禄四年八月十八日/小堀新介(印) 桜井市史(下)p.582
三谷区有文書
滝蔵村☆ 城上郡 文禄4.8.23 1595 〔文禄検地帳〕八□ □本仁右衛門/和州城上郡滝蔵村御検地帳‖田畠屋敷共ニ/合拾弐町九段壱畝十七歩/右分米/合百丗壱石八斗九升/内荒九升六合(印)/文禄四年八月廿三日/小堀新介(印) 桜井市史(下)p.578
滝倉区有文書
粟殿村☆ 城上郡 文禄4.8.26 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年/八月廿六日/和州城上郡粟殿村御検地帳/粟殿村/武右衛門/寺[ ]‖田畠/居屋敷合五拾六町壱反九畝八歩/右之分米/合八百五拾五石弐斗八升八合/内永荒拾弐石壱斗九升五合/文禄四年八月廿五日 小堀新介 桜井市史(下)p.74
堀江和典文書
赤尾村☆ 城上郡 文禄4.8.26 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年/八月廿六日/和州城上郡赤尾村御検地帳/弥左衛門/伝右衛門/弥兵衛‖田畠/屋敷合七町半拾五歩/右の分米合九拾石八斗弐升七合/内永荒拾三石五斗/文禄四年九月吉日 小堀新介(印) 桜井市史(下)p.234
北浦彦介文書
芹井村☆ 城上郡 文禄4.8.26 1595 〔文禄検地帳写〕文禄四年/八月廿日/大和国城上郡芹井村御検地帳/勘五郎/九郎右衛門‖田畠合拾弐町七反七畝廿壱歩/分米合百拾三石壱斗内/拾弐石六斗壱升 永荒新荒有/文禄四年八月廿日 小堀新助 桜井市史(下)p.565
芹井区有文書
大泉村☆ 拭上郡(城上) 文禄4.8.29 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年/八月廿九日/和州拭上郡大泉村御検地帳/寺本仁右衛門 印‖田畠/居屋敷合四拾七町四段八畝廿七歩/右分米/合六百弐拾石七斗四升九合/内荒三拾九石五斗(印)‖(裏書)「文禄四年 九月吉日 [ ]印」 桜井市史(下)p.856
森本康男文書
しぶ谷村(渋谷)☆ 城上郡 文禄4.8.29 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年/八月廿九日/和州城上郡しぶ谷村御検地帳/弥兵衛/伝右衛門/いけしり/下田 拾五歩 五升五合 喜三郎‖田畠屋敷/合拾町六段壱畝拾七歩/右の分米/合百弐拾三石内/永荒四石七斗/文禄四年九月吉日 小堀新介(印) 天理市史5p.447
渋谷区有文書
江堤村(江包)☆ 城上郡 文禄4.8.30 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年/八月晦日/和州城上郡江堤村御検地帳/寺本仁右衛門‖田畠屋敷/合三拾五町三畝十六歩/右分米/合四百九拾八石弐斗四升二合/内荒七石三斗八升八合 永荒 桜井市史(下)p.1012
太田順康文書
長おか村(長岡)☆[61] (城上) 文禄4.8.- 1595 〔文禄検地帳〕(表紙欠)西きと/上畠〈五間半/拾弐間〉弐畝六分 弐斗六升四合 喜介‖大すミ/中田〈五拾七間/五間〉 九畝拾五歩 壱石弐斗三升五合/長おか村/源三郎‖文禄四年/八月日 長束次良兵衛(花押)(印) 天理市史5p.529
檜垣南区有文書
吉隠村☆ (城上) 文禄4.9.吉 1595 〔文禄検地帳写〕元禄三年/午ノ九月吉日/吉隠村御検地帳写‖田畠居屋敷/合三拾九町八反四畝弐拾歩/右之分米/合四百四拾八石九斗八升九合/内永荒弐拾四石弐斗三升/文禄四年九月吉日/小堀新介 判 桜井市史(下)p.703
吉隠区有文書
穴師村☆ 式上郡(城上) 文禄4.9.吉 1595 〔文禄検地帳写〕明治四年/辛未九月/和州式上郡穴師村御検地帳写/穴師村‖田畠/屋敷合弐拾四町九反弐畝七歩/分米合三百弐拾石九斗内/拾五石八斗四升 永荒‖文禄四年九月吉日/小堀新助 桜井市史(下)p.879
細田常夫文書
備後村☆ 城上郡 文禄4.9.吉 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年/九月吉日/大和国城上郡備後村御検地帳/勝介/□足‖田畠/居屋敷合参拾六町四反壱畝弐拾五歩/分米四百九拾壱石六斗五升五合/分米四百九拾壱石六斗五升五合 永荒/文禄四年九月吉日 小堀新介(印) 桜井市史(下)p.880
巻野内区有文書
大田村(太田)☆ 城上郡 文禄4.9.吉 1595 〔文禄検地帳写〕文禄四年/九月吉日/大和国城上郡大田村御検地帳/勝介/休足‖田畠/居屋敷合弐拾八町七反四畝拾歩/分米四百拾石三斗壱升壱合/此内壱石四斗 荒/文禄四年九月吉日/小堀新助 桜井市史(下)p.989
辻政嗣文書
まめこし村(大豆越)☆ 城上郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年/和州城上郡まめこし村御検地帳/源町‖田畠/居屋敷合拾五町九段九畝弐拾壱歩/右の分米合弐百弐拾壱石弐斗三升三合/内永荒拾九石五斗六升四合(深町)/文禄四年九月吉日/小堀新介(印) 桜井市史(下)p.1005
森岡慶治文書
ヒカ井村(東田ヵ)☆
クサカワ村(草川)☆
ツシ村(辻)☆
(城上) 慶長2.10.13 1597 〔ヤマセノフリノ日記〕慶長弐年/十月十三日/ヤマセノフリノ日記/壱枚ニツキ/一斗四升フリ/廿枚 ヒカ井タ/廿三枚 大豆越村/廿四枚 ヒカ井村/弐枚 クサカワ村/拾四枚 大田村/拾六枚ヒンコ村/廿枚 ツシ村/拾壱枚 ハツリ/九枚半 アナシ/合百丗弐枚半之内/壱枚ニツキ一斗四升フリ/此米/拾八石五斗五升ノ内/一石八斗五升五合/タワラノ代ニヒク 桜井市史(上)p.907
辻政嗣文書

城下郡

郷(里)

賀美、大和、三宅、鏡作、黒田、室原

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
黒田郷☆ (城下) 天平14.11.17 742 〔智識優婆塞等貢進文〕【黒田】合弐人/鏡作首縄麻呂、年十三〈黒田郷戸主正八位下大市首益山戸口〉/他田臣族前人、年十六〈同郷戸主鏡作連浄麻呂戸口〉 寧楽遺文(中)p.512
正倉院文書
鏡作郷 城下郡 8C 〔智識優婆塞等貢進文〕【鏡作】丹比連大歳〈□□□□/大養徳国城下郡鏡作郷戸主立野首斐太麻呂戸口/読経 法華経一部〈並破文〉 寧楽遺文(中)p.528
正倉院文書
東郷 城下郡 長保1.8.27 999 〔大和国司解〕大和国司解 申請 官裁事/勘糺言上殺害管城下郡東郷早米使藤原良信、兼強盗随身物犯人等状/一、捕進犯人四人/秦 清正 丈部有光/僧 壽蓮 橘美柿丸 平安遺文2p.517
三條家本北山抄裏文書
西郷 城下郡 長保2.8.13 1000 〔東大寺白米納所収納帳〕東大寺大仏供白米納所/勘去年八月一日以後至于今年七月晦日御供白米進未事‖寺家少別当進山辺郡北郷廿一石‖大堂達厳伝進城下郡西郷料一石‖珍慶進一石之中〈六斗山辺郡北郷料/四斗添上郡南郷料〉 平安遺文2p.528
内閣文庫所蔵文書
森屋郷[62] 城下郡 弘長2.11.- 1262 〔新楽寺鐘銘〕大和国城下郡森屋郷/新楽寺鋳鐘本願主/僧延尊建保三年〈癸亥〉四月廿八日/而本鐘破損之間鋳改之/当願主沙彌佛念并顕実/欲結一佛浄土縁遍法界/衆生利益圓矣/弘長二年〈壬戌〉十一月 日/大工丹治国則 鎌倉遺文補3p.200
太田新次郎蔵日本古鐘銘集成
武蔵郷☆ (城下) 建治3.6.- 1277 〔醍醐寺報恩院領注文〕「栄増注文」報恩院御領注文/醍醐寺報恩院御領等注文/合/一、大和国田永庄内時重名并新免事‖一、武蔵郷御米十五石〈口米六斗納所得分〉/延定廿五石五斗〈石別七斗延定〉 鎌倉遺文17p.79
醍醐寺文書
飯継郷 (城下ヵ) 弘安2.8.- 1279 〔某申文〕寄沙汰及謀訴条、太以無謂者哉、□□彼重継住所□□事無実也、其故者、当庄爾末社建立之時、正預有将奉□正体、令落付彼所給之間、方四町者、号飯継卿(郷)之地頭領、□入部更以無之、況地頭屋無之、地頭政所者、自重継居住□□町計西也、而地頭政所之由申之条、未曾有之虚言也、 鎌倉遺文18p.211
兼仲卿記弘安七年四月・閏四月巻裏文書
屏風里☆ 城下郡 嘉元3.11.- 1305 〔良観忍性舎利瓶銘〕良観上人舎利瓶記/和尚法諱忍性、西大寺沙門也、俗姓伴氏‖建保五年丁丑七月十六日誕於大和国城下郡屏風里、貞永元年七月十日十六歳出家帰道、天福元年於東大寺戒壇院登壇受戒 鎌倉遺文29p.265
相模極楽寺出土瓶
坂手郷☆ 城下郡 貞和3.2.- 1347 〔興福寺造営料大和国八郡段米田数并済否注進状〕(表題)「一乗院方/大和国段米大安寺注進状〈貞和三年二月日〉」注進興福寺造営料大和国八郡段米田数并難渋弁済等所々事/一乗院方/合‖城下郡‖坂手郷 四十八町八段/段米十四石六斗四升/弁済五石三斗/(押紙)「九石六斗八升二合」/難渋九石三斗四升 川西町史p.43
春日大社文書
吐田郷☆ 城下郡 応永6.1.18 1399 〔興福寺造営料大和国八郡段米田数注進状〕□□/興福寺造営料大和国八郡〈段米田数〉‖城下郡/寺方/南庵治 廿一町四段三反切/結崎 三十町二反/本佐木 田数不知/吐田郷 廿五町六段百五十四歩/屏風 三町七段 川西町史p.46
春日大社文書
穂田郷(保田)☆
平田郷☆
(城下) 応永34.-.- 1427 〔一乗院昭円講師反銭納帳〕御奉行〈太輔法橋御房/丹波寺主御房〉/一、十二ヶ所庄分事‖八丁六反四十八歩/穂田郷〈一貫六百六十文〉 平田郷〈二貫文納之〉 川西町史p.50
天理図書館所蔵文書
本郷
貴殿郷
戒蔵郷
鎰郷(鍵)☆
稲井郷
丹波郷
唐子郷(唐古)☆
斎宮郷
四条郷
(城下) 永享1.-.- 1429 〔公方御下向反銭方引付〕一、永享元年〈己酉〉公方御下向要脚臨時反銭唐院方納帳/大乗院方‖城下郡 定使入道丸真福‖本郷 三丁一反□ □貫五百五十文/貴殿郷 十一丁大 二貫二百文/戒蔵郷 二丁七反小 一貫三百八十四文/鎰郷 十一丁一反小 八貫文/稲井郷三十七反 一貫八百五十文/丹波郷 二丁一反 □百文/舞庄 三丁七反大 一貫五百丗文/唐子郷 十一丁一反大 二貫文/斎宮郷 五丁三反 八百五十文/四条郷 一丁七反 八百八十文 川西町史p.121
内閣文庫大乗院文書
法貴寺郷☆[63] (城下) 16C 〔春日進官領納帳〕(上略)法貴寺郷方/小坂領/○合壱斗七升/舞庄領/○合伍斗三升‖下長郷/下長領/○合四斗九升七合五夕 川西町史p.54
天理図書館所蔵文書

年月日 西暦 原     文 出  典
奄知村 (城下[64]) 天平勝宝2.2.24 750 〔東大寺奴婢帳〕官奴司解 申選定奴婢事/合奴婢二百人〈嶋宮奴婢七十九人/官奴婢一百廿一人〉/口一百人奴〈嶋宮奴丗四人 廣瀬村常奴三人 春日村常奴三/人 今奴丗一人 内匠寮今奴十三人 奄知村常/奴八人 飽浪/村常奴八人〉 寧楽遺文(下)p.752
東南院文書
村屋村(森屋) (城下) 8C 〔造金堂所解案〕造金堂所解 申請用銭并雑物等事、合銭一千六百十二貫九百五十四文‖三百文自村屋村買運青菜車四両賃〈両別七十五文〉/百六十七文自同村買運草車二両賃〈一両八十七文/一両八十文〉 寧楽遺文(中)p.484
正倉院文書
結崎村[65]
中村☆
市場村☆
井戸村☆
辻村☆
城下郡 文禄4.8.- 1595 〔文禄検地帳写〕御検地帳写/式下郡/結崎村/坪井/上田〈□□間/□□□〉七畝拾四歩〈壱石壱斗九升六合〉 甚九郎‖結崎村庄屋/弥次郎/中村庄屋/喜平治/市場村庄屋/亦四郎/井戸村庄屋/三之助/辻村庄屋/孫兵衛 川西町史p.541
結崎区有文書
吐田村☆ (城下) 文禄4.8.- 1595 〔文禄検地帳〕(後筆)「本帳」 吐田村/とかいと/上畠〈二丗〉 間間 弐畝 弐斗四升 与七郎‖文禄四年/八月日 長束治郎兵衛(花押)/六尺三寸竿を以五間六拾間三百歩壱反定也 川西町史p.752
吐田区有文書
武蔵村☆
びせん村(備前)☆
かいち村(海智)☆
式下郡(城下) 文禄4.8.- 1595 〔文禄検地帳写〕文禄四年八月日/式下郡内武蔵村御検地帳/長束次郎兵衛打口/かた田/上田〈五拾間/拾間半〉反七畝拾五歩 弐石八斗 法貴寺/こねき‖同(椋本)/上田〈五間/五拾三間〉八畝廿五歩 壱石四斗壱升四合 法貴寺/才五郎‖同(椋本) 上田〈五拾三間/五間〉八畝廿五歩 壱石四斗壱升四合 びせん村/左衛門二郎‖こんにやく橋/中畠〈廿六間/弐間〉壱畝廿弐歩 壱斗七升四合 かいち村/五郎 天理市史5p.535
武蔵区有文書
大木村☆
伊予戸村☆
北坂手村☆[66]
大安寺村☆
(城下) 慶長5.9.吉 1600 〔御社記〕(表紙)「延喜式大社/村屋坐弥富都比売神社紀写」抑当社、延喜式神名、弥富都比売神社、祭神高皇産霊尊御女三穂津姫神ニ而まします‖今大木・伊予戸両村之鎮守称太根神、御神輿行幸之時御休場也‖千代神社ハ今北坂手村ノ鎮守ナリ、社地ハ大安寺村領内森一社ノ社地也 神道大系(大和)p.420、422
村屋坐弥富都比売神社史料

高市郡

郷(里)

巨勢、波多、遊部、檜前、久米、雲梯、賀美

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
田中郷(☆) (高市ヵ) 宝亀3.1.25 772 〔掌珍論〕大和国田中郡(郷)御作連清之書一巻、宝亀三年正月廿五日[     ] 寧楽遺文(下)p.986
小川睦之助氏蔵
高市里
藤原里
(高市) 宝亀3.5.25 772 〔歌経標式〕臣濱成言、原夫歌者、所以感鬼神之幽情‖高市里人秋歌曰/旨羅都由等〈一句〉阿岐能婆宜等婆〈二句〉亦藤原里官卿奉贈新田親王歌曰/美那曽己弊〈一句〉旨都倶旨羅他麻〈二句〉他我由恵爾〈三句〉己々侶都倶旨■〈四句〉和我於母婆那倶爾〈五句〉‖宝亀三年五月廿五日参議兼形部省卿守従四位上勲四等藤原濱成謹上 寧楽遺文(下)p.931
佐々木信綱氏本
明日香能(之)里(飛鳥)☆ (高市) 8C 〔万葉集〕和銅三年庚戌春二月、従藤原宮遷于寧楽宮時、御輿停長屋原向望古郷作歌〈一書云、太上天皇御製〉飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之当者 不所見香聞安良武〈一云、君之当乎不見而香毛安良牟〉 橿原市史1 p.561
南郷 高市郡 長保2.10.9 1000 〔東大寺燈油納所返抄〕東大寺燈油納所返抄 高市郡南郷/検納燈油壱斗事/右燈油当年料、内蔵秋丸名所進、検納如件、故返抄/長保弐年十月九日 預堂達 禅因 平安遺文2p.529
佐々木信綱氏所蔵文書
高市北郷[67] (高市) 承暦2.11.10 1078 〔大和国司庁宣〕庁宣 高市北郷司/可早令開渡以快万名田五大堂皆免峯藤名事/右、依被乞請、多武峰寺可開渡之状如件、郡宜承知、依件行之、故宣/承暦二年十一月十日/大介朝臣(花押) 平安遺文3p.1151
書陵部所蔵谷森文書
細川郷☆ (高市) 建久8.-.- 1197[68] 〔多武峰略記〕第三度/承安三〈癸巳〉年六月二十五日、山郷并寺中堂塔僧坊皆悉焼失、其時長者松殿関白太政大臣基房、座主覚快親王‖又同年十二月廿四日於千代市細川郷墓守延俊為西宮庄司是貞聟行包被凌轢了‖田坂郷住人久俊、同日於冬野城死 大和高田市史p.66
群書類従
西郷 高市郡 承元3.11.13 1209 〔僧栄基寄進状〕寄進 元興寺極楽坊百日大念仏之内一日一夜可勤仕供料畠事/合一段者 四至〈本在券面〉/在大和国高市郡西郷廿一条二里廿八丗両坪/右件畠者、興福寺東金堂衆栄基大法師相伝私領也 橿原市史1p.761
元興寺本堂柱刻銘
伊夫里郷(飯降)☆[69] 高市郡 寛喜2.6.3 1230 〔僧良俊陳情〕良俊陳申/高市郡於穏岐谷、被搦強盗〈友清男〉間、条条子細状/件郡内伊夫里郷ニ、大和一国ノ強盗二盗籠居候天、山立入売盗犯以之為宗、剰へ彼郡ニ水越寺ト申候ハ、良俊之氏寺也 橿原市史1p.776
春日大社文書
日隈郷(檜前)☆ (高市) 正応4.2.25 1291 〔東大寺年預尊顕文書勘渡状〕【檜前】正応四年二月廿五日〈年預五師尊顕勘渡五師賢俊〉/一、諸会請定事‖一、大和庄々土打事幷日隈郷土打事奏状案・院宣・長者宣案文、正文進〔寺務〕禅定院了、〈如前勘渡〉 鎌倉遺文23p.82
東大寺文書
飛太郷☆[70]
益田郷
吉田郷☆
小綱郷☆
(高市) 至徳3.6.9 1386 〔興福寺一乗院門跡領段米注文〕興福寺一乗院門跡領注文/廻当年御講師料段別参升米事/大窪寺〈四丁八反半〉/飛太郷〈三丁一反大〉/益田郷〈二丁半〉‖吉田郷〈二丁九反大六十歩〉/今井〈七丁三反〉/八木郷〈一丁五反大〉/小綱郷〈四丁〉/以上高市郡/飯高郷〈八丁二反小〉/浄法寺〈五丁六反大〉/新口/以上十市郡 橿原市史3p.29
天理図書館蔵保井文書
越智郷☆ (高市) 応仁2.11.3 1468 〔大乗院寺社雑事記〕一、古本新庄反銭事吉備以代官申入〈吉備給主ハ三丁三反也、二丁一反之由申之、不審事也〉/二丁一反吉備御給也、此内越智郷并多武峰領之内少々在之、催促難計云々 橿原市史2p.265
矢木郷(八木)☆ (高市) 文明14.10.30 1482 〔大乗院寺社雑事記〕一、今日箸尾・十市之陣結崎責之云々、高田・越智等取向云々‖矢木郷南ノツラ、自十市焼之云々、伊勢国司勢昨日悉以引退了、坂内・岩内・宮ノ内・姉小路、以上大将四頭也 川西町史p.80
続史料大成
平部郷 (高市) 文明18.10.21 1486 〔大乗院寺社雑事記〕一、矢木中座之衆之内平部郷住人三人在之、此三人方ヨリ門跡方御油三升進之、衆中方公事銭六百出之云々 田原本町史p.170
子嶋南郷☆[71]
大嶋郷
辻郷
城土郷☆[72]
(高市) 15C 〔越智郷段銭収納算用状〕一、越智郷段銭収分在所‖子嶋南郷〈廿二町八反六十歩/近年五町〉‖五野方/大嶋郷〈三町/近年一町五反〉‖辻郷 五町二反‖越智殿楢原殿相持‖城土郷 六町六段大 新庄町史p.60
春日大社文書
巨勢郷☆[73]
軽家郷(軽部)
東坊城郷☆
(高市) 15C 〔三箇院家抄〕【巨勢】惣■(ボダイ)山御領/■(ボダイ)山領百五十二丁二反三百丗歩寺門反米定田‖巨勢郷〈極楽寺〉御油‖以上給主分/応永十年二月廿七日軽家郷注進、悉皆十五石ニ請申‖蘇我庄〈高市郡寺門反銭五町〉慈明寺〈同、同二丁八反半〉東坊城郷〈同、同六丁六反大〉 橿原史市2p.267
史料纂集
曲川郷☆ (高市) 15Cヵ 〔一乗院門跡御教書案〕自是可被仰出思召刻御返事被申入御本望之至候‖其外今度曲川郷麹室座銭事、曲川方是使津主儀相紛被申ニ付而、彼郷役銭無沙汰由注進申候条 橿原市史3p.671
天図保井文書
今井郷☆ (高市) 天正3.11.9 1575 〔織田信長朱印状〕当郷事令赦免訖、自今以後万事可為大坂同前、次陣取並乱妨狼藉等堅令停止之状、如件/天正参年十一月九日(朱印)/今井郷惣中 橿原市史3p.635
称念寺文書
川西之郷☆ (高市) 天正9.1.- 1581 〔川西郷祠布施米覚〕於是川西之郷者往昔梟師、蘇我稲目同心而於此地雖筑於千首塚、□業□其余徒百六騎越智家繁栄之砌、号六家地士而免許於苗字而、菅公之旧地根成柿鎮守両社御造立勧請之節、抽丹誠 橿原市史3p.574
梅本晴久文書

年月日 西暦 原     文 出  典
樫村 (高市) 和銅8.4.- 715 〔粟原寺鑢盤銘〕寺壱院四至〈限東竹原谷東岑 限南大岑/限樫村谷西岑 限北忍坂川〉/此粟原寺者、仲臣朝臣大嶋、惶惶誓願‖和銅八年四月、敬以進上於三重宝塔七科鑢盤矣、仰願籍此功徳/皇太子神霊速證无上菩提果 寧楽遺文(下)p.968
談山神社所蔵
羆疑村(熊疑) (高市) 天平19.2.11 747 〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕大安寺三剛言上/伽藍縁起并流記資財帳/初飛鳥岡基宮御宇 天皇之未登極位、号曰田村皇子‖唯臣伊羆疑村始在道場、仰願奉為於古御世御世之帝皇 寧楽遺文(中)p.366
正暦寺所蔵
高市村 (高市) 宝亀6.4.10 775 〔大安寺碑〕大安寺碑文一首并序‖爰詔有司、於百済邑建九重塔、名百済大寺‖故遷高市村新作造焉、増七百戸、改名大官寺‖宝亀六年四月十日作 正四位淡海真人三船 寧楽遺文(下)p.978
今亡失
檜隈邑(檜前)☆ (高市) 8C 〔日本書紀巻十九・欽明天皇〕【檜前】秋七月、倭国今来郡言、於五年春、川原民直宮〈宮名〉、登樓騁望、乃見良駒‖川原民直宮、檜隈邑人也 国史大系1下p.72
築坂邑☆
来目邑(久米)
(高市) 8C 〔日本書紀巻三・神武天皇〕【久米】二年〔壬戌〕春二月甲辰、天皇定功行賞、賜道臣命宅地居于築坂邑、以寵異之、亦使大来目居于畝傍山以西川辺之地、今号来目邑、此其縁也、以珍彦為倭国造〈珍彦、此云于砮毗故〉、又給弟猾猛田邑、為猛田縣主、是菟田主水部遠祖也 国史大系1上p.131
軽村☆[74] (高市) 8C 〔日本書記巻十四・雄略天皇〕冬十月乙卯朔辛酉、以水間君所献養鳥人等、安置於軽村、磐余村二所 国史大系1上p.379
夜部村(四分)☆ 高市郡 元慶4.10.20 880 〔日本三代実録巻三十八・陽成天皇〕【遊部】廿日庚子、 勅大和国十市郡百済川辺田一町七段百六十歩、高市郡夜部村田十町七段二百五十歩 国史大系4p.482
金橋村 高市郡 天文13.1.- 1544 〔曲川向原山徳寺縁起〕高市郡金橋村大字曲川向原山徳寺縁起 橿原市史3p.672
天理図書館近世文書
石川村☆ 高市郡 文禄4.8.23 1595 〔石川村文禄検地帳写〕文禄四年八月廿三日/和州高市郡石川村御検地帳写 橿原市史3p.396
山田小三郎文書
鳥屋村☆ 高市郡 文禄4.8.25 1595 〔鳥屋村検地帳写〕四十番 文禄四年/壱帖四帖分内ニ在之/和州高市郡鳥屋村御検地帳/八月廿五日/上野十右衛門/毛利吉左衛門 打口 橿原市史3p.465
鳥屋区有文書
新堂村☆ 高市郡 文禄4.9.16 1595 〔新堂村検地帳〕文禄四年/和州高市郡新堂村御検地帳/九月十六日 橿原市史3p.617
堀部卓治文書
土橋村☆ 高市郡 文禄4.9.16 1595 〔土橋村検地帳写〕文禄四年/和州高市郡土橋村御検地帳写/九月十六日/御宿勘兵衛 橿原市史3p.737
山崎伊平文書
三瀬村(見瀬)☆ 高市郡 文禄4.9.20 1595 〔見瀬村文禄検地帳〕二帖ノ内九帖ノ内在之/和州高市郡三瀬村御検地帳/小林九郎右衛門打口 橿原市史3p.433
見瀬区有文書

十市郡

郷(里)

飯富、川辺、池上、神戸

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
千代郷 十市郡 天平19.2.11 747 〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕大安寺三剛言上/伽藍縁起并流記資財帳‖右依前律師道慈法師寺主僧教義等啓白、平城宮御宇 天皇天平十六年歳次甲申納賜者/合薗地弐処‖大倭国五処/一、在十市郡千代郷 一、在高市郡古寺所 一、在山辺郡波多蘇麻 一、在式下郡村屋 一、在添上郡瓦屋所 寧楽遺文(中)p.381
正暦寺所蔵
池上郷 十市郡 天平宝字5.11.27 761 〔大和国十市荘券〕【池上】十市郡司解 申立売買地券事/合地弐区〈並在十市郡池上郷〉/一区地参段 在板倉壱宇板屋参宇〈東限朱雀路南即広長口分田 西溝并小道 北車持朝臣仲智地〉 寧楽遺文(中)p.644
東南院文書
西郷 十市郡 長保2.11.10 1000 〔東大寺白米納所収納帳〕東大寺白米納所返抄 十市郡西郷/検納白米伍斗事/右白米、当年料之内、彼郡所進、且検納如件、故返抄/長保弐年十一月十日 大堂達明圓 平安遺文2p.528
久原文庫所蔵文書
東郷(十市東) 十市郡 長保3.8.27 1001 〔東大寺納所返抄〕東大寺白米納所返抄 十市郡東郷/検納大仏供白米壱斛伍斗事/右白米去年料之内、日置為正所進、且検納如件、故返抄 平安遺文2p.547
根津文書
とをちのさと(十市)☆ (十市) 11C 〔拾遺集・一条摂政〕くればとく いきてかたらんあふことの とをちのさとのすみうかりしも 橿原市史1p.723
倉橋郷(椋橋)☆ 十市郡 建久8.-.- 1197 〔多武峰略記(天)〕多武峰略記 巻上‖一、行幸/日本後(書)紀第四(三)十云、持統天皇七年九月辛卯日、天皇幸於大和国十市郡倉橋郷多武岑、壬辰日、車駕遷宮云々 神道大系(大和)p.170
談山神社史料
多郷☆ (十市) 貞和3.2.- 1347 〔興福寺造営料大和国八郡段米田数并済否注進状〕【飯富ヵ】城下郡/備前庄 十八町大〈反米五石四斗二升〉‖多郷 九町三反〈反米二石七斗九升〉/弁 二石七斗五升/未進四升 田原本町史p.60
春日大社文書
飯高郷☆ (十市) 至徳3.6.9 1386 〔興福寺一乗院門跡領段米注文〕【飯富】興福寺一乗院門跡領注文/廻当年御講師料段別参升米事/大窪寺〈四丁八反半〉/飛太郷〈三丁一反大〉/益田郷〈二丁半〉‖吉田郷〈二丁九反大六十歩〉/今井〈七丁三反〉/八木郷〈一丁五反大〉/小綱郷〈四丁〉/以上高市郡/飯高郷〈八丁二反小〉/浄法寺〈五丁六反大〉/新口/以上十市郡 橿原市史3p.29
天理図書館蔵保井文書
大野郷 十市郡 応永6.1.13 1399 〔大和葛下郡興福寺供養料足段銭収納注文〕(端裏書)「興福寺供養[ ]」平田庄田数千四百五十町三反小四十歩〈二百反銭〉‖十市郡/寺方‖大野郷 九町九段半 新庄町史p.48
春日大社文書
長田郷 十市郡 寛正6.-.- 1465 〔興福寺大乗院門跡領反銭注文〕興福寺大乗院門跡領注文/寺門反銭公方御下向之時自両納所可進分 内膳一町三反大/新堂〈飯高垣内〉七丁三反小/多郷九丁三反/小矢部〈西大垣〉四丁二反/新□〈長田郷〉六丁六反大〈北大垣〉‖以上十市郡 橿原市史3p.29
成簀堂文書
治道郷☆[75]
高家郷☆[76]
(十市) 永正14.-.- 1517 〔護国院御神殿造営銭日記〕護国院御神殿造営銭納日記永正十四□‖一、諸郷分奉加銭/廿貫文上 治道郷分、納之/十貫五百文上 細川郷分、納之/廿貫五百文上 高家郷分、納之/十四貫五百文上 椋橋郷分、納之/三十貫文上 龍門惣郷分、納之 大和高田市史p.52
談山神社文書

年月日 西暦 原     文 出  典
鵄邑(外山)☆ (十市) 8C 〔日本書紀巻三・神武天皇〕十有二月癸巳朔丙申、皇師遂撃長髓彦、連戰不能取勝、時忽然天陰而雨氷、 乃有金色霊鵄、飛來止于皇弓之弭、其鵄光曄煜、状如流電‖時人仍号鵄邑、今云鳥見、是訛也 国史大系1(上)p.126
笠縫邑 (十市) 8C 〔日本書紀巻五・崇神天皇〕六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。是以晨興夕惕。請罪/神祇。先是。天照大神。倭大國魂二神。並祭於天皇大殿之内。然/畏其神勢共住不安。故以天照大神。託豐鍬入姫命。祭於倭笠縫/邑。 国史大系1(上)
p.159
磐余村 十市郡 12C 〔春日御社本本地并御託宣記〕(表紙)「春日御社御本地并御託宣記」春日四所縁起‖日本彦磐余天皇〈号神武天皇、治四(七)十六年、第四子也/出自日向国入大和国於十市郡磐余村、即帝位 神道大系(春日)p.30
春日社記
とをちのむら(十市)☆ (十市) 13C 〔順徳院御集〕ひとめみしとをちのむらのはじもみぢまたもしぐれて秋風ぞふく 橿原市史1p.727
味間邑☆ 十市郡 永禄9.5.28 1566 〔補巌寺開山支派〕和州十市郡味間邑補巌寺開山支派‖右八哲者以補岩古記写世間流布支派図列之、若拠補岩輪住列、則竹叟了 田原本町史p.295
補巌寺文書
八部村(矢部)☆
大網村☆
西竹田村☆[77]
薬王寺村☆
法津村(保津ヵ)☆
中村☆
大垣村☆
豊田村☆
多村☆
葛本村☆
東竹田村☆
秦楽寺村☆
下庄村☆
俵本村(田原本村)☆
宮森村☆
飯高村☆
新堂村☆[78]
越付村[79]
新口村☆
十市郡 天正20.9.3 1592 〔多宮御造営勧進帳〕【飯富】(端裏書)「大和国十市郡多之宮御造宮御勧進御算用帳」十市郡多宮御造宮勧進帳/時天正廿年〈壬辰〉九月三日/五石弐斗 八部村/四石七斗 大網村/四石 西竹田村/四石 保津/五石七斗五升 薬王寺村/弐石三斗五升 法津村/六石壱斗壱升 味間村/弐石四斗壱升 中村/七石壱斗 御在所/弐石八斗五升 大垣村/三石五斗 豊田村/五石 多村‖午十月十日/七斗一升 各寄合飯米入目ニ渡ス/参石二斗 御フセ 大知院/五石弐斗壱升 葛本村/五石壱斗弐升 東竹田村/六石八斗 秦楽寺村/弐石八斗五升 下庄村/弐石弐斗七升 新木/六石壱斗 俵本村/参石三斗四升 宮森村/八石九斗一升 飯高村・越付村/弐石三斗 新堂村/三石四斗 新口村 田原本町史p.91
多神社文書
新堂村☆[80] 十市郡 文禄4.8.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年八月 日/和州/十市郡内新堂村御検地帳/長束次郎兵衛打口‖田畠/屋敷合四拾四町弐段六畝壱歩/此分米/合六百六拾三石九斗三升内/四石七斗八升九合 永荒/拾四石五升四合 当荒/八月 日/長束次郎兵衛(花押)(印) 桜井市史(下)p.540
東新堂区有文書
上品寺村☆ 十市郡 文禄4.9.5 1595 〔上品寺村検地帳〕文禄四年九月五日/大和国十市郡之内上品寺村御検地帳/増田右衛門尉打口 佐治彦左衛門 橿原市史3p.920
上田長守文書
木之本村☆ 十市郡 文禄4.9.6 1595 〔木之本村文禄検地帳〕文禄二二年〈乙未〉/大和国十市郡木之本村御検地帳/九月六日/東玉 橿原市史3p.325
天理図書館蔵近世文書
木原村☆ 十市郡 文禄4.9.7 1595 〔木原村文禄検地帳〕文禄四年/東玉印/和州十市郡木原村御検地帳/九月七日/門兵衛/大介 橿原市史3p.910
平田喬祐文書
池内村☆ 十市郡 文禄4.9.16 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年九月十六日/和州十市郡池内村御検地帳/御牧勘兵衛/合四百弐拾六石六斗弐升/内荒九石三升一合〈八石三斗九升八合/六斗八升三合 永荒/当荒/此御帳畝違算用違仕も百性より理申所迷改、御帳百性写さセ候間、重而申分有之写し者也/文禄四年九月十六日/御牧勘兵衛(花押) 桜井市史(下)p.326
梅咲直昌文書
荻田村☆ 十市郡 文禄4.9.16 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年荻田村御検地帳/高瀬/(内題)「文禄四年/未九月/和州十市郡荻田村御検地帳/高瀬」/合三百五拾七石五斗二升/内荒九石八斗七合 八石五斗一升二合永あれ/一石二斗九升五合当あれ/此御帳畝違算用違何も百性ら理申所改御帳百性ニ写させ候、重而申分仕間敷者也/文禄四年九月十六日/御牧勘兵衛(印)/高瀬(印) 桜井市史(下)p.236
高瀬康生文書
北山村☆
横垣村☆
南浦村☆
十市郡 文禄4.9.21 1595 〔知行方目録写(井上源五覚書)〕知行方目録/一、百九石一斗 大和国十市郡/北山村/一、百三十五石 同/横垣村/一、参百五十七石五斗 同/おい田村/一、参百九十八石三斗 同/南浦村/合千石/右以今度検地之上令扶助訖、可領地也 桜井市史(上)p.198
天理図書館近世文書
西宮村☆ 十市郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年九月 日/和州十市郡西宮村御検地帳/長束次郎兵衛打□‖田畠/居屋敷合弐拾四町弐段四畝/此分米/合三百五拾八石六斗三升内(貼紙)「三百六拾石六斗壱升壱合」/合三百五拾八石六斗三升内/四石壱升 当荒/文禄四年九月 日/長束次郎兵衛(花押) 桜井市史(下)p.544
川谷一寿文書
内膳村☆ 十市郡 文禄4.9.- 1595 〔内膳村文禄検地帳〕文禄四年/和州十市郡内膳村御検地帳/九月日/増田右衛門打口/佐伯彦兵衛 橿原市史3p.180
天理図書館蔵近世文書
御ざいしょ村(御在所)☆[81] 拾市郡 文禄5.4.2 1596 〔御ざいしょ村名寄帳写〕文禄五年丙申卯月二日/和州拾市郡御ざいしょ村のなよせ帳/兵こ多方 橿原市史3p.810
今沢為男文書
八條村☆ 十市郡 慶長5.9.吉 1600 〔御社記〕(表紙)「延喜式大社/村屋坐弥富都比売神社紀写」抑当社、延喜式神名、弥富都比売神社、祭神高皇産霊尊御女三穂津姫神ニ而まします‖十市郡八條村ニまします千代神社水流して、城下郡神来の森御旅所ニ神社流来てとゞまり座す 神道大系(大和)p.422
村屋坐弥富都比売神社史料
桜井村☆ (十市) 16C 〔豊臣秀吉通行先触〕太閤殿下御馬触書/関白様被成御通候付而、馬拾疋可罷出候、謹言/大蔵法印/七月九日(花押)/桜井村中 桜井市史(下)p.32
船谷晴夫文書

山辺郡

郷(里)

都介、星川、服部、長屋、石成[82]、石上

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
郡家郷 山辺郡 神亀6.2.9 729 〔小治田朝臣安萬侶墓誌〕右京三條二坊従四位下小治田朝臣安萬侶大和国山辺郡都家郷郡里崗安墓/神亀六年歳次己巳二月九日 寧楽遺文(下)p.969
都介野村出土東京帝室博物館所蔵
長屋郷 山辺郡 承和13.3.19 846 〔続日本後紀巻十六・仁明天皇〕【長屋】庚申、大和国言、居住山辺郡長屋郷京戸左京三條一坊戸主犬甘千麻呂牛産三足犢 国史大系3p.185
都介郷 山辺郡 康保1.9.25 964 〔都介郷刀禰等解案〕【都介】大和国山辺郡都介郷刀禰等解 申請勘解由長官殿御帖并郡符事/被載可立券殿御名言上広瀬・薦生并両牧状 平安遺文1p.406
東大寺文書
穂積郷 山辺郡 安和2.7.8 969 〔法勝院領目録〕請特被加随近并在地国郡刀禰等証判院領所々田地公験等焼亡状‖一 大和国山辺郡穂積郷野々子庄田地肆段 平安遺文2p.429
仁和寺文書
南郷[83] 山辺郡 長保1.12.19 999 〔東大寺返抄〕東大寺□□□返抄 山辺郡南郷/当年利稲参拾束事/□件利稲国符二百四十束、額田豊連所進収納如件、故返抄/長保元年拾弐月拾玖日/□堂達 平安遺文9p.3496
尊経閣所蔵文書
北郷 山辺郡 長保2.8.13 1000 〔東大寺白米納所収納帳〕東大寺大仏供白米納所/勘去年八月一日以後至于今年七月晦日御供白米進未事‖寺家少別当進山辺郡北郷廿一石‖大堂達厳伝進城下郡西郷料一石‖珍慶進一石之中〈六斗山辺郡北郷料/四斗添上郡南郷料〉 平安遺文2p.528
内閣文庫所蔵文書
上郷☆[84]
下郷☆[85]
笠間庄
山辺)
建保2.5.- 1214 〔東大寺領諸荘田数所当等注進状〕東大寺/注進 寺領庄々近年田数所当等事/大和国‖笠間庄〈上郷〉/田廿三町一段百歩内〈建仁元年散状定〉‖同庄〈下郷〉/田二十一町丗歩〈建仁二年散状〉 鎌倉遺文4p.127
東大寺続要録
東郷 山辺郡 永仁2.3.- 1294 〔東大寺大仏燈油料田注文〕記録/東大寺大仏殿御常燈料所田畠事‖一段〈牛墓〉 本地子四斗二升 作弥平次 野田/十合、但作人持来之、他所公事無之/在大和国添上郡東大寺以東牛墓 西北辺‖二段〈アヲチ〉 本地子一石四斗〈七斗代〉作良住/十合、作人持来、歳末七尺筵一枚・瓜十、他所屓所少分在之、但百姓役也、則所当之外、可弁之由、請文在之/在大和国山辺郡東郷十條一里五坪〈南辺〉 鎌倉遺文p.128
東大寺文書
布留郷☆ (山辺) 文明15.8.27 1483 〔大乗院寺社雑事記〕一、念仏至今日、九条庄、曽我部庄・小林庄・狭竹庄〈但不参、依小山戸事也〉各到来、依布留郷事、九条庄ハ曽我部庄法貴寺者ヲ相語進之 川西町史p.81
続史料大成
上殿郷[86] 大陽生庄
(山辺)
15C 〔三箇院家抄〕〔三箇院家抄・大乗院家一円知行荘園目録〕『一』大乗院寄/藤井東庄〈十六丁一反大/山辺郡〉‖『七』大乗院寄/大陽生庄内上殿郷公事物〈山辺〉‖『四十一』竜花院末庄/南殿七郷 東吉野村史p.76、80
史料纂集
産子郷 (山辺) 慶長5.9.吉 1600 〔御社記〕(表紙)「延喜式大社/村屋坐弥富都比売神社紀写」抑当社、延喜式神名、弥富都比売神社、祭神高皇産霊尊御女三穂津姫神ニ而まします‖亦産子郷中村々ヨリ、村長・宮座ノ輩数多、素襖・烏帽子着用シテ、頭人子唱、金烏帽子・浄衣等着用シ、馬乗或ハ肩負テ宮地ニ渡ル 神道大系(大和)p.423
村屋坐弥富都比売神社史料

年月日 西暦 原     文 出  典
石上村 山辺郡 和銅2.10.25 709 〔弘福寺田畠流記帳〕【石上】弘福寺〈川原〉/田壱伯伍拾捌町肆段壱伯弐拾壱歩/陸田肆拾玖町漆段参歩/大倭国〈広瀬郡大豆村弐拾町玖段弐拾壱歩/山辺郡石上村田弐拾捌町肆段壱伯肆拾陸歩/葛木下郡成相村田壱町弐段漆拾弐歩/高市郡寺辺田参町参段参拾玖歩 寧楽遺文(中)p.343
円満寺文書
竹谿村 山辺郡 天平12.10.29 740 〔続日本紀巻十三・聖武天皇〕壬午、行幸伊勢国、以知太政官事兼式部卿正二位鈴鹿王、兵部卿兼中衛大将正四位下藤原朝臣豊成為留守、是日到山辺郡竹谿村堀越頓宮 国史大系2p.160
廣瀬村 (山辺) 天平勝宝2.2.24 750 〔東大寺奴婢帳〕官奴司解 申選定奴婢事/合奴婢二百人〈嶋宮奴丗四人 廣瀬村常奴三人 春日村常奴三人 今奴丗一人 内匠寮今奴十三人 庵知村常奴八人 飽浪村常婢一人〉 寧楽遺文(下)p.752
東南院文書
額田邑 山邊郡 8C 〔日本書紀巻十五・仁賢天皇〕是歳、日鷹吉士還自高麗、工匠須流枳・奴流枳等、今大倭國山邊郡額田邑熟皮高麗、是其後也 国史大系1上p.416
少野石村 (山辺) 康保1.9.25 964 〔都介郷刀禰等解案〕大和国山辺郡都介郷刀禰等解 申請勘解由長官殿御帖并郡符事/被載可立券殿御名言上広瀬・薦生并両牧状‖新開治田/四至〈東限石屋并少野石村笠間河/北限路瀬并道〉 平安遺文1p.406
東大寺文書
六条村☆ 山辺郡 康平1.3.10 1058 〔尼善妙解案〕謹辞 与処分先祖相伝田畠等事/合参拾参町伍段者/在大和国山辺郡北郷六条村〈字井上庄〉/右、謹検案内、件田畠元者父市頭藤原延助之相伝所領也、藤原中子処分得、後経両年、而善妙之在俗之時、年来夫以既死去了 平安遺文9p.3567
東大寺図書館本具舎抄裏文書
鰹原村 下笠間庄
(山辺)
永仁1.12.7 1293 〔関東御教書案〕(端裏書)「東大寺々解條々事永仁元十二七日」東大寺衆徒申條々/一 周防国宮野庄地頭、押領公田由事‖一 僧慶有幷伊賀国御家人成道・慈道等、押取大和国下笠間庄内鰹原村及幡岡庄年貢、致殺害・追捕由事 鎌倉遺文24p.85
東大寺文書
丹波市村☆
永原村(長原)☆
布留村☆
(山辺) 元亀1.5.11 1570 〔石上布留神宮寺伝記〕布留社中興乱世剋宝物記録等紛失由来/一、次年(永禄十三)庚午三月中ニ、大般若経者取散在之ヲ校合ス/四月十五日ニ、十狐ノ御太刀京都迄御着、神人藤五并三ヶ村〈丹波市・永原村・布留村〉ヨリ御迎ニ参、還御在之 神道大系(大/石)p.9(石上)
内閣文庫所蔵
山口村☆
三昧田村[87]
(山辺) 天正18.2.28 1590 〔幾坂池堤築造掟状〕(包紙ウワ書)「天正十八庚寅年/いく坂池水一日替りニ出し申候山口村と取替し之証文三通/内本紙 壱通/写 二通」山口領之内いく坂池之つゝミつきあくる掟条々/一 四月十五日迄者山口ニ一円可存申事/一 四月十六日より以後者山口、三昧田と一日かわりニ水出可申候‖右ニ置てわ池之つゝミお新儀ニつきあくるニ付、先儀水之おきておあいすて、両村同心之上相定候間、永代少も違乱不可有候者也、仍状如件/天正十八年二月廿八日/此あつかい人 丹波大 十郎(花押)/山口各衆 甚一(花押)‖三昧田各衆参 衛門二郎(略印) 天理市史3p.9
三昧田区有文書
荒蒔村☆ 山辺郡 文禄4.9.3 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月日/大和国山辺郡荒蒔村御検地帳/堂之北/上畠 半 六斗 荒蒔村/才六‖合弐拾九町六段八畝弐歩/分米/合参百八拾四石弐升壱合(印)/文禄四年乙未九月三日 天理市史4p.416
荒蒔区有文書
内馬場村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月日/大和国山辺郡内馬場村御検地帳/そのゝ尾/上 壱反 壱石五斗 茶屋/彦三郎‖都合百三拾六石弐斗六升(印) 茶薗/山枡共也/文禄四年乙未九月日 天理市史4p.35
山原家文書
豊井村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月日/大和国山辺郡豊井村御検地帳/屋敷 壱畝 壱斗弐升 茶や/彦三郎‖都合弐百七拾四石六斗六升(印)/文禄四年乙未九月日 天理市史4p.72
豊井区有文書
田部村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未/九月/大和国山辺郡田部村検地帳/(表紙裏書)「田部村之池弐ツ別所領之内有之」浄土院/上 壱畝廿一歩 弐斗六升三合  田部/左近五郎‖合三拾三町七段四畝拾弐歩/分米四百八拾九石壱斗七升/文禄四年乙未九月日 天理市史4p.111
奈良県立奈良図書館蔵
杉本村☆
喜殿村☆
平等坊村☆
山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月/大和国山辺郡杉本村検地帳/上崩/中 壱反 壱石三斗五升 喜殿村/助五郎‖同/中畑 五畝廿七歩 五斗九升 平等坊村/助五郎‖合弐拾九町三反八畝拾七歩/分米三百九拾五石壱斗八升/文禄四乙未年九月日 天理市史4p.177
橋本家文書
小路村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月日/大和国山辺郡小路村検地帳/今北/同/上 一反四畝十五歩 二石一斗七升五合 六/与四郎‖合弐拾壱町六段廿九歩/分米弐百七拾七石三斗四升/文禄四年乙未九月日 天理市史4p.200
天理図書館蔵
田井庄村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳写〕□□四年□未/大和国山辺郡田井庄村御[ ]/あふら田 石はし 一ノ坪 いぬいてん 内かいと‖田畠/合四拾三町弐反半[ ]/合六百四拾五石[ ]/文禄四年乙未九月□ 天理市史4p.225
田井庄区有文書
富堂村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月日/大和国山辺郡富堂村御検地帳/三ノつほ/上畑 壱反三畝 壱石五斗六升 とひ/庄屋‖都合三拾三町六反廿二歩/分米都合四百六拾弐石七斗三升/以上/文禄四年乙未九月日 天理市史4p.257
小竹家文書
岩室村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月日/大和国山辺郡岩室村検地帳/□□/上 四畝 六斗四升 才五郎‖田畠合五拾町三反六畝十三歩/右之分米/合七百四石九斗八升/文禄四年乙未九月日 天理市史4p.267
岩室区有文書
九条村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月□/大和国山辺郡九条村御検地帳/上畠 弐畝八歩 弐斗七升二合 藤五郎‖田畠/合六拾弐町八段六畝歩(印)/右分米/合八百八拾六石八斗九升六合(印)/文禄四年乙未九月日 天理市史4p.288
天理図書館蔵
備前村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月日/大和国山辺郡備前村御検地帳/屋敷/拾弐歩 四升八合 祢宜/藤四郎‖都合三百拾六石五斗五升三合(印)/文禄四年乙未九月日 天理市史4p.310
備前区有文書
合場村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月日/大和国山辺郡合場村御検地帳/屋敷 三畝拾歩 四斗 藤五良‖合六町三反半弐拾壱歩/分米合八拾石九斗六升/文禄四年乙未九月日 天理市史4p.335
合場区有文書
嘉幡村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月日/大和国山辺郡嘉幡村御検地帳/西はたけ/上畠 五畝拾歩 六斗四升 斎五郎‖都合五拾七町壱段四畝拾九歩/分米都合七百九石九壱斗(印)/以上/文禄四年乙未九月日 天理市史4p.353
嘉幡区有文書
稲葉村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月日/大和国山辺郡稲葉村御検地帳/屋敷/弐畝拾歩 弐斗八升 新四郎‖都合四百六拾六石九斗七升/文禄次(四)年乙未九月日 天理市史4p.429
稲葉区有文書
新泉村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年乙未九月日/大和国山辺郡新泉村検地帳/いたやかいと/中 八畝廿一歩 壱石壱斗三升一合 しゆさん‖合弐拾壱町七反六畝廿五歩/分米合弐百六拾九石九斗一升(印) 天理市史5p.143
山中家文書
岸田村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄□□□未九月日/大和国山辺郡岸田村検地帳/チヤノキカイト/上畠 四畝 四斗八升 岸田/弥七‖田畠合五拾六町七段壱畝三歩/右之分米/合七百参拾五石参斗三升(印)/文禄四年乙未九月日 天理市史5p.156
岸田区有文書
成願寺村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳〕文禄四年□未九月日/大和国山辺郡成願寺村御検地帳/里のにし/上 壱反壱畝 壱石六斗五升 藤四郎‖下畠 五反六畝六歩 八斗代/分米四石四斗九升六合 天理市史5p.199
成願寺区有文書
薗原村☆ 山辺郡 文禄4.9.- 1595 〔文禄検地帳写〕大和国山辺郡薗原村御検地帳/なべわり/壱反三畝 壱石七斗五升五合 そのはら/助一‖合四町八反壱畝六歩/分米六拾四石 在判/文禄四年乙未九月日 天理市史5p.213
園原区有文書
中山村☆ (山辺) (文禄4.9.-) (1595) 〔文禄検地帳〕(後補表紙)「文録四年検地帳/中山村」そけ山田/弐反 弐石弐斗 助五郎‖合参拾弐町六段六畝弐拾七歩/分米四百四拾参石六斗三升(印)/文禄四年乙未九月日 天理市史5p.182
中山区有文書
桃之尾村☆ (山辺) (文禄4.-.-) (1595) 〔文禄検地帳〕 (後補表紙)「文禄四年/御検地/桃之尾村」‖田畠/合拾六町三段三畝廿三歩/右分米/合百九拾四石五斗三升(印)/茶ゑん桃□□ 天理市史4p.22
天理図書館蔵

所属郡不明

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
黄瀬郷[88] 平治1.6.15 1159 〔秦国里宅地畠寄進状〕□□大和国黄瀬郷十四條三里丗六坪西辺〈未申角〉/秦国里宅地畠壱段大者/右、注進国里宅地畠、東大寺奉依所如件、以解 平安遺文6p.2457
東大寺文書
田坂郷 建久8.-.- 1197 〔多武峰略記〕第三度/承安三〈癸巳〉年六月二十五日、山郷并寺中堂塔僧坊皆悉焼失、其時長者松殿関白太政大臣基房、座主覚快親王‖又同年十二月廿四日於千代市細川郷墓守延俊為西宮庄司是貞聟行包被凌轢了‖田坂郷住人久俊、同日於冬野城死 大和高田市史p.66
群書類従
東西山郷 承久2.12.- 1220 〔大和永久寺三昧供僧定文案〕東西山郷、不可沽却処分于他所、人必又可申院主証判事/承久二年十二月 日 供僧三昧連署/忝申請御判形、備亀鑑■(ム+矢) 前大僧正御判 鎌倉遺文補2p.56
東京国立博物館本内山永久寺記
東大寺西里郷[89] 嘉禄1.12.14 1225 〔実賢家地売券〕沽却 家地事/合南北北口一丈九尺二寸五分奥三丈五尺東西十八丈八尺也‖在東大寺西里郷内宮殿地丑寅角〈西北築垣者此地巾也〉 鎌倉遺文補2p.103
東大寺文書
六車郷 文永2.8.4 1265 〔関白一条実経御教書〕六車郷間事、被聞食候了、猶も沙汰次第内々可被申之旨、所被仰下候也、仍執達如件/八月四日辰剋 散位忠隆奉 鎌倉遺文13p.35
中臣祐賢記
寺本郷 文明6.5.6 1473 〔大乗院寺社雑事記〕一、山水普心御童子・力者色々尽事之間、両座中二百疋給之、畏入了、今度普心方召仰人夫等事、元興寺郷・御領内野田・法乗院・花薗・苻坂油座衆・檜皮座衆・笠帳座衆・桶座衆・塩座衆五个所・十座・法貴寺・寺本郷以下田舎御領等、各連日召仰之 田原本町史p.150
武市郷[90] 15C 〔越智郷段銭収納算用状〕一、越智郷段銭収分在所‖五条野方/古芝庄 一町七段半‖武市郷 九町五段七十二歩 新庄町史p.63
春日大社文書

年月日 西暦 原     文 出  典
ヒカシムラ(東村ヵ) (山辺ヵ) (文禄4.-.-) (1595) 〔(山田村)文禄検地帳写〕(後補表紙)「文録検地帳」てうしか口/上 七畝 壱石五升 衛門‖ヒカシムラ/上/廿歩 壱斗 衛門‖惣合四百丗五石壱斗三合 天理市史4p.450
久保家文書
神宮村 慶長1.11.- 1596 〔常楽寺旧記〕大和国平群郡夜麻郷/常楽寺御旧記〈太子建立四十六ヶ院/其一 在安堵村〉/抑聖徳太子二十二歳御時於大和国高市郡豊浦小墾田宮向原寺本朝仏法最初欽明天皇十三年‖高橋館ヨリ 蘇我馬子大臣 五十七騎/神宮村ヨリ 小野妹子大臣 六十二騎/飽波村ヨリ 大伴禄手大臣 三十二騎/岡本村ヨリ 阿部学架大臣 二十四騎/川合村ヨリ 秦川勝朝臣 二十五騎/太子勢都合弐百五十三騎余/慶長元年〈丙申〉十一月/大和国平群郡夜麻郷安堵邑/神主/高橋斎宮宗観/謹拝書/常楽寺現住/僧都信経/拝書 安堵町史(下)p.445
富本家旧蔵文書

  1. 広岡村。
  2. 大江村(大江は大宅の転ヵ)。
  3. 楊生郷、大楊生郷、邑地郷、坂原郷は春日社領「神戸四箇郷」として把握されている(『日本歴史地名大系』「神戸四箇郷」参照)。このほか、「楊生七郷」も見えるが、内わけは不明(「春日若宮神主中臣祐明解」『鎌遺』②981号)。柳生村。
  4. 福智郷(福智庄)は、添上郡の他に宇陀郡にも存在するが、とりあえずここに収めた。
  5. 奈良では平安後期以来、東大・興福両寺の門前郷の存在が確認でき、東大寺七郷が鎌倉末期に成立した(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  6. 阪原村。
  7. 大柳生村。
  8. 柳生村。
  9. 東大寺七郷の一つ。旅宿があったことから、「旅宿郷」とも呼ばれた(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  10. 手掻町(「奈良坊目拙解」(1735年))。
  11. 下三橋・上三橋村。
  12. 北永井・南永井村。
  13. 興福寺七郷の一つ(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。新薬師町(「奈良坊目拙解」(1735年))。
  14. 東大寺七郷の一つヵ(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  15. 肘塚村。『大乗院寺社雑事記』文明12.6.19条の「七郷」(興福寺寺門郷)のうちの新薬師郷に「〈諸公事免云々〉貝塚」とみえ、興福寺寺務の支配下にあった(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  16. 春日社の三方座(北郷・南郷・若宮)の呼称であり、一般的な郷と性格が異なるが、とりあえず収めた(「春日大社」『国史大辞典』永島福太郎執筆)。
  17. 東大寺七郷の一つ(手掻郷・押上郷・中御門郷・今小路郷・水門郷・今在家郷・北御門郷) (『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。中御門町(「奈良坊目拙解」(1735年))。
  18. 東大寺七郷の一つ(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。押上町(「奈良坊目拙解」(1735年))。
  19. 唐桃郷は結戒郷と共に辰市郷を形成していた。その辰市郷は「辰市四ヶ郷」の一つであり、他は八条郷、東九条郷、西九条郷である(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』「八条村」参照)。
  20. 元興寺町(「奈良坊目拙解」(1735年))。
  21. 油坂町(「奈良坊目拙解」(1735年))。中世には符坂といったが『経覚私要鈔』長禄2.11.3条にはすでに「油坂座衆」と記され、また単に坂とも称された。南都七郷の一つである西御門郷のうちに「坂〈南ノツラ〉」とあり、中世は興福寺寺務の支配下にあった(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  22. 邑地村。
  23. なお、添下郡の秋篠郷と秋篠寺郷は、同じ郷を指す可能性もあるが、とりあえず採録した。
  24. 額田部村。
  25. 東安堵村。
  26. 飽波郷は後に「安堵郷」に改称されたという(「安堵社神験記(慶長3年)」安堵町史(下)所収)。
  27. 西安堵村。
  28. 西勢野・東勢野村。
  29. 下永村。近世においては式下郡内に入っているが、中世の下永庄は所在を諸文書に平群郡として記されており、郡域の変動があったと思われる。
  30. 斑鳩町大字竜田に小字茅原が残るので、弟原は茅原の誤記とも考えられる(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  31. 旧名は富小川村(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  32. 本史料によれば、安堵村内に郷の所属が異なる東西安堵村があった。
  33. 高山寺本では「下旬」。下勾のことか。
  34. 「広瀬北郷」も広瀬郡「北郷」と判断した。
  35. 箸尾萱野村。
  36. ここに見える「城上」を城戸郷とする説もある(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  37. 穴闇村。
  38. 高山寺本では「大坂」。
  39. 中世、小野郷は舟路・五百家・鳥井戸・林・僧堂・朝妻六村の総称であった(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  40. 「葛下郡北郷」(「西大寺田園目録」『大和高田市史』p.65など)を指すものと判断した。
  41. 興田郷は忍海郡と葛下郡にまたがっており、忍海郡として表記されることも多いが、とりあえず葛下郡に収めた。興田村についても同様に扱った(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  42. 片岡郷に関係すると推測。
  43. 葛下南郷を指すのであろう。
  44. 天保郷帳では北十三村が忍海郡、南十三村が葛上郡に所属。
  45. 東阿田・西阿田・南阿田村。
  46. 御吉野村。
  47. 阿知賀村。
  48. 西増・中増村。
  49. 馬佐村。
  50. 子古田村。
  51. 川上郷内には近世段階で二十三ヶ村(東川村・西河村・大滝村・寺尾村・北塩谷村・迫村・高原村・人知村・白屋村・井戸村・武木村・下多古村・白川渡村・井光村・中奥村・北和田村・上多古村・上谷村・柏木村・神之谷村・大迫村・伯母谷村・入之波村)が存在したが、ここでの三村については不明(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  52. 伊豆尾村。
  53. 水足村の所在は不詳だが、縁起の中で触れられているように、水足明神が河相明神(川合村)に改名された経緯や、巨瀬村(小瀬村)との関係む踏まえ、吉野郡に収めた。
  54. 向加名生村。
  55. 『筒井諸記』の成立時期は検討を要するが、記述に従い、とりあえずここに収めた。
  56. |四郷のうちわけは未詳。
  57. 入谷村。
  58. 或いは疋相村(広瀬郡)のことか。そうであれば、ここにみえる平尾村についても、疋相村と共に細井戸名を形成していた広瀬郡平尾村の可能性もあるが、とりあえずここに収めた(「細井戸名」『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  59. 高山寺本では「忍坂」。
  60. 恩坂村。
  61. 下長岡・上長岡村。
  62. 杜屋郷、村屋郷とも。
  63. 『多聞院日記』天文11.3.18条に「一、法貴寺十郷大略焼之了云々」とあるが、法貴寺十郷との包含関係等は不明。
  64. 近世以前の奄知村は城下郡と山辺郡に両属していたとされる(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  65. 近世に結崎村は5村に分かれ、結崎市場村・同中村・同辻村・同井戸村・同梅戸村が存在した(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  66. 坂手村。
  67. 「高市郡北郷」(「(久安3)藤原仲子田地売券」『平遺』⑥p.2196)と同じものと判断した。
  68. 「多武峰略記」の成立年としている。
  69. 樋野村。
  70. 飛彈村。
  71. 子嶋・下子嶋村。
  72. 常門(問)村。
  73. 古瀬村。
  74. 大軽村。
  75. 針道村。
  76. 多武峯寺領の四郷のひとつ。四郷は多武峯寺領のうちで最も寺に近く、根本所領ともいうべき直属的なもので、高家郷・治道郷・椋橋郷・細川郷をさす(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  77. 竹田村。
  78. 現橿原市。
  79. 所属は詳らかでないかが、他の十市郡村と共に挙げられているので、十市郡と判断した。
  80. 現桜井市。
  81. 十市村は、近世初期に旗本村越光領と旗本佐久間政実領の相給村になっており、旗本佐久間氏領十市村は「ございしょ村」とも呼んだらしい(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  82. 高山寺本では「石生」。
  83. 「山辺南郷」も同じものと判断した(「(保延2年)僧珍勝田地売券」『平遺5』p.1983)
  84. 上笠間村。
  85. 下笠間村。
  86. 大楊生庄の飛地として山辺郡に所在したと推定されている(『日本歴史地名大系 奈良県の地名』)。
  87. 山口村と共に「両村」とされていることから採録。なお、三昧田村は「文禄検地帳写」(天理市史 史料編五巻、p.12)にも「大和国山辺郡三昧田村」と見える。
  88. 巨勢郷(高市)か。
  89. 添上郡東大寺郷の内か。
  90. 高市郷のことか。